hirax.net::Keywords::「日の出」のブログ



1999-06-17[n年前へ]

人静月同照 

ぼくらが旅に出る理由

 この写真は奈良の橿原のはずれ辺りで撮影したものである。、車のボンネットの上で30秒の露出を行ったものだったと思う。まるで太陽のように輝いているのは、月だ。夜に京都を出発し、和歌山の海の近くで日の出を迎えたのだから、この写真を撮ったのは深夜だったはずだ。

 和辻哲郎の随筆によれば、夏目漱石は李白の「人静月同眠」という詩を「人静月同照」だと思っていたそうだ。「人静かにして月同じく眠る」では単なる情景であるが、「人静かにして月同じく照らす」ならば思想である。和辻哲郎は、「人静かにして月同じく照らす」という言葉に漱石の人間に対する態度や、自ら到達しようと努めていた理想がこもっていたと言う。

2002-02-28[n年前へ]

二分少しの過去と未来 

Below the horizons

 「今日見た景色」を撮るようになって一年ほど過ぎた。「その日」眺めた目の前の景色をデジカメで切り取ってスクラップしてきた。ふと、その「今日見た景色」を眺めてみると、水平線近くの朝日や夕日を眺めた写真が多いことに気づいた。

 海沿いの街に住んでいて、日の出とともにゴソゴソと動き出す生活をしているのだから、それは当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。だけど、「水平線や地平線」越しの太陽」に惹かれるのはきっとそれだけではないと思う。だから、これまでも「二人で同じ流れ星を見るための地平線」、「地平線まで辿り着く時間」、そして「水平線の彼方」や何かを、色々と考えてみたりしたのだろう。
 

 そういえば、少し前に太陽の見え方をちょっと計算したり、調べたりしていた。その中で、地球の大気のせいで、太陽光が水平線近くで屈折する効果、大気差、の大きさを眺めていたると、角度にして35分弱となっていた。地上から眺める時の太陽の大きさとほぼ同じだ。

 ということは、地球に大気があるがために地平線の下、目で眺める太陽一個分の大きさだけ地平線の下、の太陽を私たちは眺めることができる。私たちが朝日を眺めているときは、実はまだ地平線の下にいるはず(もし大気が無ければ)の太陽を眺めていて、夕日を眺めるときはもうすでに地平線の下に沈んでしまったはずの太陽を眺めていることになる。

 目で眺める太陽一個分の大きさというと、時間にすると130秒位だ。だから、私たちは地球が大気で包まれているがために、二分少し後の未来に見えるはずの朝日や、二分少し前に見えたはずの過去の夕日を眺めている。

 「手の届かない世界と届く世界との境界線」の代名詞としてもよく使われる「水平線」や、「見えない世界と見わたせる世界との境界線」そのものの「地平線」も、実はその向こうの風景を「二分少しぶん」だけならかいま見ることができるなんて、とても面白い。そして、ふと気づいてみれば、いつも眺めてきた「今日見た景色」だって、時にはそんな「二分少しの過去と未来」だったりするのかもしれないな、と思う。
 

2002-11-26[n年前へ]

日の出から日の入りまで 

 を今日は眺めてました。

 色んな景色を眺めながら、色んなことを考える。日の出や、朝日に照らされる高架の上の新幹線や、朝日にたなびく煙突の煙を眺めたりする。雨が上がった後の水たまりに映る空を眺めてみたりする。

 少し歩けばたどり着けそうな、虹の橋桁を眺めて、後ろを振り返ると富士山が雲の間から顔を出している。

日の出から日の入りまで日の出から日の入りまで日の出から日の入りまで日の出から日の入りまで日の出から日の入りまで日の出から日の入りまで日の出から日の入りまで日の出から日の入りまで






2003-02-08[n年前へ]

日の出や湖面や槍ヶ岳 

 諏訪湖で日の出を眺めた。八ヶ岳の向こうから朝日がさしてくる。そんな朝日にデジカメを向けてシャッターを押してみる。少しきれい。そして、周りを眺めてみると、色んな山に朝日が差し始めてる。下を眺めてみると、諏訪湖では湖面をボートが滑つように動いてた。とても寒いけれど、きれいで静かな景色だ。

 新穂高ロープウェイスキー場ではいつものようにゴンドラの中から槍ヶ岳を眺める。最上部が2200mで標高差日本一(知られていないけど)のスキー場だから、景色は本当に晴らしい。もちろん、狭くて急でコブで埋まるコースだって気持ちがいい。たまにコースを外れて小枝を避けながら、木々の中を滑ってみるのだって、とっても気持ちがいい。そんな感じで雪山の中を何にも考えずにただ滑る。陽はなかなか差してくれないけれど、ただひたすら滑ってみる。

日の出や湖面や槍ヶ岳日の出や湖面や槍ヶ岳日の出や湖面や槍ヶ岳






2003-05-06[n年前へ]

ぼくらの一日が景色を描く  

お月さま 以前、ネットワーク上にたくさん散らばっている「笑顔」を集めて、一枚の風景を描いてみたことがあった。屈託のない笑顔もあれば、泣き顔もあるだろうし、こわばっているようなそんな笑顔だってあるだろう、そんな笑顔を集めて一枚の絵を作ってみたことがあった。

 今さっき作ってみたのはこんな「景色」だ。この写真の本物は実はとても大きいから、ここに貼り付けた写真では細かいところはよく判らないかもしれない。きっと、変な三日月の人形かな?と思う位だろう。

 だけど、この写真を拡大してみれば、実はモザイク画であることが判る。よく眺めてみれば、色んな人達が書いているはてなダイアリのWEBページを集めて作ったモザイク画であることが判る。昨日から今日にかけて「色んな人が書いたその日の出来事」で作った一枚の景色であることが判るかもしれない。つまるところ、この写真は数百人のある一日の日記を集めて作った一枚の景色だ。

 何処かの誰かが一日の出来事をWEBページに書いてみる。笑顔もあれば、泣き顔もあるし、何にもない一日だったかもしれないし、あるいは呆然とするような一日だったかもしれない。

 そんなWEBページをちょっと遠くから眺めると、色んな風景が見えてくる。



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