hirax.net::Keywords::「欲望」のブログ



2007-12-09[n年前へ]

私たちの前にある「たくさんの古いこと」「数えられない新しいこと」 

 少し前、「栄光なき天才たち」の原作を書き、重力多体問題用スーパーコンピュータ"GRAPE"(分子動力学用途のものはWINEである)の実作業を主として担った伊藤智義氏が、高校の数年上の先輩にあたるということを知った。GRAPE関連の書籍などは色々読んでいたが、あのありふれた公立高校の校舎にいた人だとは、全然気づかなかった。この記事を読んで、なんだかとても嬉しい気持ちになったのだけれど、その嬉しい気持ちに忸怩たる違和感も、チリチリと感じた。

 その違和感の原因は、私自身が別に何をしているわけでないのに、嬉しく思う・感じるのはなぜなのだろう?と考えたからだ。もしかしたら、私の気持ちの底に「虎の威を借る狐」のような欲望があるのだろうか、と考えたからだ。

 「ふるさとは語ることなし」と、坂口安吾は死ぬ直前に書いた。ふるさとのように、ふるいこと、自分でない誰かがしたことは数え切れないくらいたくさんある。けれど、私たちができること・したいことも、まだまだたくさんあるはずだ。新しいこと・してみたいことは、私たちの前にたくさん積み上げられている。「ふるさとを語る」のは、まだ早い。

 坂口安吾のキーワードである「ふるさと」という言葉には、二重性というより、対極的で相反するものが、そのまま一つの言葉の中に込められているという気がする。
「桜の森の満開の下」解説 川村 湊

あのGRAPE開発者・伊藤智義が目指す三次元TV実現坂口安吾デジタルミュージアム坂口安吾栄光なき天才たち






2008-03-14[n年前へ]

10万円札を浴槽に浮かべる「バブリーバブルバス」 

 『武藤鉦製薬「610ハップ」で温泉気分』のような自然の温泉を素朴に再現した昔ながらの入浴剤もあれば、それとは全く逆に現代の欲望を現代の技術で結晶化したような入浴剤もある。そんな「現代の欲望を現代の技術で結晶化したような入浴剤」が、バンダイが最近発売し始めた「バブリーバブルバス」だ。一万円札(額面は何と10万円だ)をイメージした紙状の泡入浴剤である。浴槽に(1回分として適当な)10枚程度浮かべると、1分間程度でその10万円札が溶けていくという。

 (デザインは1万円札だが)10万円札10枚入り250円だから、100万円のお札を浮かべた浴槽に入ってみるのも面白い……かもしれない。そんな浴槽に浸かりながら、「豊かさ」と「貧しさ」、そのどちらを実感するかは、その人次第なのだろう。

 「お客様は神様です」という言葉とともに、「消費者が望むだろう」と誰かが考えたものを誰かが作る。需要あるところには、必ず供給が生まれる。あるいは、今では、その逆にして、供給のあるところに需要が生まれていく。お客さまという神様たちの欲望に応えようと・欲望を生み出そうと、供給者が色んなものを作り出していく。

2008-04-28[n年前へ]

「商品と欲望」と「優秀なセールスマンの人生の意味」 

 この資本主義社会に生きている限り、商品とは、他人の欲望を具体化したものです。自分が作りたいだけでは、それは商品とはなりません。それが、他人が欲望するものとなって初めて商品となるのです。
   鴻上尚史「名セリフ!」文藝春秋社
 …問題がひとつだけあるとすると、優秀なセールスマンほど他人の欲望をまず一番に考え続ける結果、自分の欲望がわからなくなることです。いったい、自分は何がしたいのか、自分の人生の意味は何なのか、全くわからなくなるのです。
   鴻上尚史「名セリフ!」文藝春秋社

2008-05-31[n年前へ]

鴻上尚史の「仕事の分類」「恋愛関係の分類」 

 鴻上尚史のドン・キホーテのピアス(668)に、俳優やミュージシャンになろうとする子供を応援する親が増えてきたことに驚きつつ、「きっちりした仕事」「浮き草のような仕事」や「実業」や「虚業」といった区別に意味のない時代になっていて、「やりたい仕事」「やりたくない仕事」くらいの区別しかできなくなっているのかもしれない、ということが書いてあった。

 もっと厳密に言うと、「やりたいけどやれない仕事」と「やれるけどやりたくない仕事」と「やりたくないけどやらなきゃいけない仕事」ということかな。
 おっ、まるで、恋愛関係みたいだ。
 鴻上尚史 ドン・キホーテのピアス(668)
 「「手作り三次元グラフ」と"Life Work"」や「"複雑極まりない"複素平面」上に「仕事」と「趣味」を描く」で作った分類(黒色の横軸="他人の満足"という軸。あるいは、その"他人の満足"が形を変えた”お金”といったもの、青色の縦軸は"自分(本人)の欲求・満足"を示す軸、赤色の軸は"時間軸")に少し似ています。

 少し似てはいますが、鴻上尚史の分類には上のような分類とは決定的に違う・それはまさに決定的な軸がひとつ入っています。それは「やれるけれどやりたくない」と「やりたくないけどやらなきゃいけない」の間で迷い・決定するという「選択肢・意思」です。その選択や意思の軸が、鴻上尚史の分類では明確に描かれています。
 私が描いた三次元図では、もしも人がこの三次元中を移動していくように見る場合には、その人が(その人の仕事が)動く軌跡の過程の中にその選択肢が含まれているというわけです。

 俳優とかバンドマンどか、表現にかかわる仕事の多くは、「失業が前提」の職業になります。……「やりたくてやれる俳優の仕事」が来る日まで、「やれるけどやりたくない俳優の仕事」をするかどうか迷いながら、(「やれるけどやりたくない俳優の仕事」をするくらいなら、レストランのバイトなんかの)「やりたくないけどやらなきゃいけない他の仕事」で生き延びるのです。
 鴻上尚史 ドン・キホーテのピアス(668)
 ふと、私が描いた「自分の満足軸」と「他人の満足軸」が一致してしまったりすると、あるいは、その区別ができなくなってしまうと、「自分自身の満足」というものは得られない・見えなくなってしまうのかもしれない、と思う。
 この資本主義社会に生きている限り、商品とは、他人の欲望を具体化したものです。自分が作りたいだけでは、それは商品とはなりません。それが、他人が欲望するものとなって初めて商品となるのです。
   鴻上尚史「名セリフ!」文藝春秋社
 …問題がひとつだけあるとすると、優秀なセールスマンほど他人の欲望をまず一番に考え続ける結果、自分の欲望がわからなくなることです。いったい、自分は何がしたいのか、自分の人生の意味は何なのか、全くわからなくなるのです。
   鴻上尚史「名セリフ!」文藝春秋社

2009-01-30[n年前へ]

夢はときどきだが、かなうこともある。 

 本橋 信宏の「欲望の迷路―体験取材ノンフィクション

 私は歳を重ねるうちに忘れていたある考えを思い出していた。夢はときどきだが、かなうこともある。



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