2010-03-25[n年前へ]
■「個性の差異」や「感情や思考」と「行動」と
十二の星座、それぞれの男女、全部で二十四人を主人公にした二十四の物語 角田光代・鏡リュウジの「12星座の恋物語 」から。
すべての人が星座によって十二パターンの性格に分類できる、とは私も信じていません。(中略)私が書きたかったのはむしろ、人の差異でした。十二人集めたら十二通りの個性があり、二十四人集めたら二十四人分の個性がある。自分の思考回路や行動原理がいつも正しいわけはなく、まったく異なる人もいる。また、頭では正しいことがわかっているのに、いつもいつも正しいことばかりできるはずもない。という、そのことを、この短い小説で書けたらいいなあと思っていました。
男性、女性、それぞれの星座の色々な人たち、そんな二十四人の物語を、読みたい星座の読みたい性別から適当に読み進めていくと、「あぁ、これが物語というものなんだ」と実感させられます。
2010-03-27[n年前へ]
■「減点法」と「加点法」の「見方」
十二の星座、それぞれの男女、全部で二十四人を主人公にした二十四の物語 角田光代・鏡リュウジの「12星座の恋物語 」から。自分の星座や性別や、あるいは、誰かの星座や性別から始まる、角田光代が綴る「物語」を読んでみれば、その言葉に、少し惹かれるかもしれません。
私をふった恋人は減点法で人を見て、店長はその反対、どんどん点数をプラスしていくつきあい方をするんだろう。
私は善人ではないし、たぶん女性としての魅力もそんなにないんだろうと思う。けれど、私をふった彼氏が知らなかったことを店長は知っている。彼氏が見てくれなかったところを見てくれる。自分がすばらしい人間とはゆめゆめ思わないけれど、でも、そんなに捨てたもんでもないはずだと、ようやく私は思うことができる。
おばあちゃんになったっていいや。私のだめなところも、弱いところも、全部受け入れてくれる夏の陽射しみたいな人と出会えるならば。時間の経過とともに、そういうの全部、ひとつひとつプラスに換算してくれる人といっしょにいられるならば。
2010-03-29[n年前へ]
■飲んでいることを忘れたいから酒を飲むという「星の王子さま」に登場する問答を。
角田光代の「酔いがさめたら、うちに帰ろう。 」(鴨志田穣)への書評から。
なぜ酒を飲むのか、飲んでいることを忘れたいからだという、「星の王子さま」に登場する問答を幾度も思い浮かべた。
いってはいけない場所は避けて生きる。それが正論だが、人生は正論にはおさまらない。生きることはかくも理不尽である。それでもこの小説が絶望に彩られていないのは、「帰りたい」、そう切望する場所を、理不尽な「僕」が諦(あきら)めることをしないからだろう。
「酔いがさめたら、うちに帰ろう。 」の「僕」は、とても理不尽で不器用で、その理不尽で不器用な「僕」が生まれてからの話、そして、「彼女」と描く-西原理恵子-のもとに、やはり限りなく不器用に「帰る」までの話である。「帰る」ことができた一節には、「帰りたい」と切望したその場所の大きさと魅力が透けて見えてくる。
2010-04-03[n年前へ]
■未来へと続くかたちのない何かを作ること
角田光代の「恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。 」から。
一冊の本を作るのに、どれだけの時間と労力が要るか、十五年かけて私は知っている。たぶん、そういう仕事をいっしょにしてきてくれた人々を見て、私は「今日のごはん代より五年後のごはん代を見据える仕事をしよう」と思うに至ったんだと思う。
やっつけ仕事で今をしのぐより、今どんなにたいへんでも、未来へと続くかたちのない何かを作ることこそが仕事だと、教わってきたんだと思う。
2010-04-04[n年前へ]
■「運命」と「縁」…と。
角田光代の「恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。 」から。
運命の人、というものを私はあんまり信じていないけれど、縁のあるなし、というものは確実に信じている。縁がある人とは、友達であれ恋人であれ恩師であれ、こっちが行動を起こさなくともどこかで会える。価値観や立場がまったく違ったとしても、一年に一度しか会わなくとも、関係は切れない。
その関係に、意志の力というものはあまりにも関与できないような気がする。縁、というほかないような気がする。
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