hirax.net::Keywords::「ミステリー」のブログ



2001-01-04[n年前へ]

リアルな追跡劇 

 地道な追跡というのはミステリー小説よりわくわくしたりすることが多い。「カッコーはコンピュータに卵を産む」なんかその最たるものだし、一橋文哉の「小説」なんかもそうだ。荒唐無稽な映画「コンタクト」を観ながらこの手の話をリアルに描いたら面白いんじゃない(少なくともごくごく一部の人には)かとふと思った。

2001-10-29[n年前へ]

今日の加納朋子 「月曜日の水玉模様」の文庫本 

 図書コーナーで「月曜日の水玉模様」の文庫本を買った。ハードカバーを持っているにも関わらず買ったのは、解説をじっくり読みたいから。
 「日常の謎」ミステリーが好きな人にとって、「解説」というのはこれもまたミステリーの謎解きそのものだと思う。自分が眺めていた小説の中の景色を「ほぅら、こんな見方もあるでしょう?」と解説が書くことで、その景色をまた違った場所から眺めたストーリーを描くのだから。
 でもって、この本の中の「毎日、乗り降りを繰り返す通勤電車の中で出会う、数百、数千の人達。彼らの一人一人はいったいどういう暮らしをし、何を考え、どこへ向かっているのだろう?」なんて加納朋子らしくて良いなぁ。瞬間写真コレクションも思わず連想してしまう。 

2002-01-20[n年前へ]

徳川埋蔵金殺人事件 

超論理特許ミステリー「狩野埋蔵金の埋蔵場所を解読し発掘する方法」





 ワタシの勤務先では「一年に*本特許を書くべし」という恐ろしいノルマがある。もちろん、こまめに書いていれば何の問題もないのだけれど、他の仕事にかまけてついつい後回しにしていたりすると、年末や期末には特許をまとめて書かなければならなくなる。架空の物語を量産する小説家のように、架空の実験データを描き整理し、架空の特許を量産しなければならなくなるのである。

 いつものごとく、昨年末もそうだった。年末の最後の二三日は特許書きで追いつめられ、しかも書き上げられずに、できの悪い小学生のように、家へ書きかけの特許を持ち帰って、正月休みに特許を書かなければならなくなったりしていたのである。そんなわけで、正月番組を見ながら、特許庁の電子図書館のサイトにアクセスし特許調査をしつつ特許を書いていた。が、正月番組などを眺めているせいか、どうにもマジメに特許が書けなかったりするのである。いつしか、ビールを飲みながら仕事とは全然関係無い特許公報を眺めていたりしたのである。

 今回、紹介する特開2001-42765「狩野埋蔵金の埋蔵場所を解読し発掘する方法」という公開特許公報もその一つである。キャッチーな名前で想像つくとは思うが、なんとこの特許出願はいわゆる赤城山徳川埋蔵金の場所を発掘するための特許なのである。世に出される特許は数多く、埋め立てゴミの数より多いくらいかもしれないが、そんな中でも「埋蔵金の隠し場所を解読し発掘する方法」なんて特許は見たことがない。歴史ミステリー、暗号ミステリー、そして、ご当地モノミステリーなどが好きなワタシは思わず目を奪われ、その特許を読み始め、そしてこの超論理特許ミステリーの世界に引き込まれたのだった。

 そして、この特許のあまりの素晴らしさに今回こんな感想文を書いて、世の中にこの超論理特許ミステリー特許を広めたいと思うのである。そして、さらにはこの感想文を読んだ人が特許フォーマットに慣れ親しみスラスラと特許を書けるようになり、ワタシのように特許を書き残しで苦しむ人が減ることを強く望む次第なのである。
 

 さて、特許では、まず「発明の名称」を書かなければならない。この特許でももちろんそうだ。というわけで、
「発明の名称」 狩野埋蔵金の埋蔵場所を解読し発掘する方法
 
 何とも、キャッチーな名前である。これが火曜サスペンス劇場であれば、「徳川赤城山埋蔵金全裸殺人事件2 湯けむり露天風呂で美人女子大生が消えた!村に残る伝説が不気味に今よみがえる!」くらいにはパワーアップすることだろうが、特許の書類としては十分に魅力的である。この名前を見れば、誰しもワタシのようにこの特許の世界に引き込まれるハズである。

 そして、次に「どんな範囲のこと」を特許として宣言するかを書くわけだ。これを請求項と呼ぶが、この特許はもちろんこれだ。
「請求項」 従来一般に赤城山徳川埋蔵金といわれている黄金の埋蔵場所を発見・発掘すること

 なんと、赤城山徳川埋蔵金といわれている黄金の埋蔵場所を発見・発掘してしまうのである。特許を書いて大金を手に入れるという話はたまに聞くが、特許を書いて埋蔵金を手に入れるという話は聞いたことがない。まさに、夢というか、男のロマンというか素晴らしい特許なのである。

 そして、次に「従来の技術」というセクションが続く。つまり、従来はこんな問題がありますよ、こんなに不便だったのですよ、ということを書くのである。それに対して、今回書いたこの技術はそんな「従来の課題」を解決できて、価値があるのですよ、と訴えるのだ。そこで、この特許は説く、

「従来の技術」 従来の技術は、解読に科学性が不足していたために、経済効果の悪いものであった。…暗号のかたちで示されている埋蔵金を資源として再利用するためには、闇雲に探したのでは経済的に成り立たないので技術とは言えない。埋蔵金の探査技術が発達すれば、埋蔵金の発掘は夢や学問でなく産業になるであろう

 なんと、これまでの発掘を「技術とは言えない」と喝破しているのである。かつて、近所の埋蔵金伝説に、電子ブロックの金属探知器を頼りに闇雲に探そうとしていたワタシなどは、「あぁ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ…」と謝らなくてはならないような勢いなのである。この作者発明者は埋蔵金の探査技術が発達すれば、埋蔵金の発掘は夢や学問でなく産業になるとまで謳いあげるのだった。今さっき、埋蔵金探しは「夢で男のロマンだぁ」と書いたワタシはさらに「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ…」と謝らなければならないのである。

 さらに、従来の「埋蔵金探し」を箇条書きに上げ、

  • 勘で場所を決めて、縦穴を掘り、さらにいくつもの横穴を掘ったり、ブルトーザーで土を押しのける
  • 百年にもわたり、長期間諦めずに掘る
このいずれも科学的でないと問題点を挙げるのである。従来例が妙に具体的で、「百年も諦めずに掘ってるのは一体ダレのこと?」とか、「縦穴を掘ったり、横穴を掘ったり、ブルトーザーで土を押しのけるってそれも一体ダレデスカ?」とツッコミを入れたくなり、さらには、「それって…テレビでも観ながらこの特許を書いたのではないデスカ?」と思ってしまうほどなのだ。

 しかし、そんなミステリー特許に引き込まれていくワタシの心の中のツッコミなど知る由もなく、この埋蔵金小説許では、引き続き具体例を挙げて特許の内容を説明していくことになる。それが、次の「実施例」である。具体的な資料群をもとに、埋蔵金発掘に迫るストーリ〜が書き示されている。

 、この資料群がスゴイのである。何しろ、こんな感じなのだ。

  • 資料A 「常習赤城におよそ三百六十万両。古井戸を掘ることを手がかりとすべし」という水野家に伝わる遺言
  • 資料B 「寺の床下から発見された方位図・地図・暗号文書」
  • 資料C 「空井戸から発見した銅板と像」
  • 資料D 「黄金埋蔵はアッという間にされたらしい、という地元住人のウワサ」
どうだろうか。何と、提出された添付資料は地元住人のウワサである。火曜サスペンスも真っ青である。特許庁に申請される特許は数多く、星の数ほどもあるだろうが、そんな中でも地元住人のウワサを添付した特許は他にあるのだろうか?添付された図面資料だって、なんてったって、床下から発見された暗号文書だったりするのである。歴史ミステリーが大好きで、猿丸幻視行を楽しんだワタシなどはもうたまらない面白さなのである。
 
資料Bの一部 「暗号文書」
まさに、歴史ミステリーである

 
寺の床下から発見された方位図・地図

 しかも、資料Aの「常習赤城におよそ三百六十万両。古井戸を掘ることを手がかりとすべし」という遺言に対しては、「ここで疑問に思うのは、義父が何故もっと詳しく埋蔵場所を教えなかったのか」などと死者にムチ打ち、マジメなのかそれともツッコミ?と言いたくなるような感想・疑問を書き、この疑問に対して延々2ページに渡り超論理的考察、超心理的考察を加えることで、ついには「埋蔵金は七つの古井戸に埋蔵されたことになる」と、超論理科学的に鉄槌結論を下すのである。

 そして、下に示す「寺の床下から発見された方位図・地図・暗号」を基に、黄金分割を始めとする数学的考察などを駆使し、埋蔵金の位置を推定する。しかも、単に推定するだけでなくて、経済的・効率的に発掘をするために埋蔵金の位置の計算誤差を延々と論じて、ついには誤差50cm〜7m弱だと推定するのであった。なるほど、この歴史ミステリー小説特許は単に技術特許にとどまらず、経済を見据えた経済ミステリー特許でもあったのだ。「埋蔵金の発掘は夢や学問でなく産業になる」のだ。

 さて、この埋蔵金ミステリーで指し示された「埋蔵金の埋まっている七つの古井戸」がどこであるかを知りたい人も多いだろう。ということで、特許の図を重ね合わせ、埋蔵金の埋まっている七つの古井戸の場所をプロットしてみたのが、次の図である。どの辺りか判らない人のために、広域地図をリンクしておくとここら辺りということになる。
 

ここが埋蔵金の埋まっている場所だ

 さて、この特許の最後には「なお、この辺りは便利な住宅地向きの環境になりつつあるので、住宅が建設される前に発掘することが望ましい」
と産業としての指針まで描きつつ筆をおくのである。

 どうだろうか、面白いミステリー小説特許だったのではなかろうか?そして、特許なんて簡単に書ける、と思った人もいるのではないだろうか?そして、どんどん特許を書きたくなる、と思う人も多いに違いない。で、ワタシは思うのだ。できれば、できることであれば、その書いた特許をワタシにも少し分けて頂いて、ワタシのノルマを少しでも減らして欲しい、と強く強く思うのである。
 
 
 

2002-01-27[n年前へ]

究極の選択 テキスト編 

 いつものように自分の英語スキルの無さを実感して、英語の本を読もう、と決めたのです。が、文字の多いものは読めるとも思えないので(自分をよく知っているのだ)、マンガに決めました。が、空港の本屋にあったのは「金田一少年の事件簿」と「部長 島耕作」の二種類だけだったので、しょうがなくストーリーを楽しめそうなモノ、ということでいつもなら絶対に読まない「盗作マンガ」を買いました。はい、「金田一少年の事件簿」を買ったのです。
 で、これを読んでいたとき、ふと私は思いました。これ読んで覚えたフレーズとか単語って一体いつ役に立つんだろう?って思ったのです。
 私が、周りでやたら殺人事件が起きたり、嵐の山荘に取り残されたりする高校生なら、そんな単語やフレーズを使うシチュエーションは沢山あると思うのです。
 でも、残念なことにそんなシチュエーションには私は陥ったことがありません。いえいえ、私どころがほとんどの人はそんなシチュエーションには陥らないと思うのです。これからも、そして未来も。だって、周りでやたら殺人事件が起きる高校生なんてものすごく非現実的な設定です。「死体消失トリック」とか「犯人はオマエだ!」とかいうフレーズを覚えても、きっと何の役にも立たないと思ったのです。
 そこで、私はさらに思いました。じゃぁ、私は「部長 島耕作」を選べば良かったのでしょうか?島耕作のようなシチュエーションなら起こりうるのでしょうか?いえいえ、それも絶対に違います。何事にも女性と「良い関係」になり、すべてのピンチをオンナで切り抜けていく出世人生なんて、そうそうないと思うのです。少なくとも、私にそんな状況が訪れるとは思えません。全てを暴力と土下座で切り抜けるサラリーマン金太郎もたいがいですが、全てをオンナで切り抜ける島耕作もひどすぎる設定です。世の中にはこの二種類のサラリーマンしかいないのでしょうか?いいえ、そんなことは無いハズです。何事も切り抜ける道が「暴力・オンナ・土下座」でしか切り抜けられないなんて、それではサラリーマンというよりヤクザ屋さんです。いや、もしかしたら、サラリーマンもヤクザの一種なのかもしれませんが、私はヤクザ屋さんを目指すにはちょっとばかり弱すぎます。
 あるいは、島耕作を見習えば、もしかしたらピローロークが上手になるかもしれませんが、それは私の意図するところではありません。それに、島耕作のピローロークが上手いとも私には思えません。私には何で島耕作がモテるのか全然理解できません。あっ、そんなことは関係ないですね。
 で、私は思ってしまったのです。殺人事件に囲まれる高校生とかオンナに囲まれる島耕作とか、ありえない設定のマンガは果たして語学力向上の役に立つのか?と。つまりは、出版社の講談社に「オマエはホントに読者の語学力向上を考えているのか」と小一時間問いつめたくなったのです。どうせなら、「某理系ミステリー」とか「動物のお医者さん」とか辺りをお願いしたいのです、ハイ。

2002-06-02[n年前へ]

職場のスフィンクスの名台詞 

止まったエスカレーターに何故上手く乗れないのか?

 ある朝、いつものように出社すると、いつもと違うことがあった。職場へ行くために通らなければならないエスカレーターが動いていない。エスカレーター横のガラスが割れているため、それを直すまではエスカレーターを止めたままにしているらしい。かなり、不便ではあるが、壊れたモノはしょうがないのである。しょうがなく、建物の端にある階段をエッチラ、オッチラ上って職場の居室へ行ったのである。
 
故障中のエスカレーター
故障中のエスカレーター

 きっとスカレーターはすぐに直るだろうと思っていたのだが、残念ながらエスカレーターは直る気配が全く無いまま数日過ぎた。いつまでたっても、いぜんとしてエスカレーターは停止したままなのである。しかし、私たちの職場にはそのエスカレーターを使わないと辿り着けないので、その職場の人達はその止まったままのエスカレーターをいつしか階段代わりに登り降りするようになっていた。止まったエスカレーターは「楽ちんなエスカレーター」ではないけれど、ただの階段としては十分使える、というわけだ。

 ところが、である。ただの階段と違って、何故か止まった「エスカレーター」は歩きづらいのである。特に、エスカレータに乗る最初の一歩がなんとも上手くいかないのだ。よく、エスカレーターに乗る最初の一歩や、エスカレーターから降りる最初の一歩が上手く出せない人がいるが、ちょうどあんな感じになってしまうのである。普段、動いているエスカレーターを使う分には、私は「上手く乗れない」なんてことは全然無いのだけれど、何故か止まったエスカレーターに足を踏み出そうとすると、体のバランスが崩れてしまうのだった。もちろん、エスカレーターが止まっていることも、微妙に段差が違うことも判っているのだけれど、だけれども何故かバランスを崩してしまうのである。
 というわけで、私も含めてあらゆる人達がスカッスカッと何故かバランスを崩しながら、止まったエスカレーターに恐る恐る足を踏み出していたのである。
 

 そんなある日、止まったエスカレータの横にシミュレーションプログラム作成を生業とするN氏がいつまでも立っていることに気づいた。そして、止まったままのエスカレーターを登り降りしようとする人達を次から次へとつかまえては、N氏は何事かを喋りかけているのである。何故だか、N氏は通る人通る人に何かの言葉を発しているのであった。それはまるで、ピラミッドの前に佇み、そこを通る旅人達に謎かけをするというスフィンクスであるかのようだった。

 もちろん何処へ行くにもその止まったままのエスカレーターを使わなければならないので、私もすぐにN氏改めスフィンクスに捕まってしまうこととなった。そして、N氏はこう言ったのである。

「止まったエスカレーターに足を踏み入れるとき、何故だか体のバランスが崩れるような気がしないか?オマエは?」
もちろん、それは私も不思議に思っていたわけで、
「そー、そー、そうなんですよねー。ただの止まったエスカレーターなんだから、普通の階段みたいなものなのに、不思議ですよねー。」
と私が答えると、
喝〜!不思議ですよねー、じゃぁないだろー。何故?どうして?を追求するのがオマエの仕事じゃないのかー!」
と怒るのである。そ・それは私の仕事ではないのじゃないだろうか…、百歩譲ってそれが趣味なら確かにそうかもしれないが…、ワタシは別に子供電話相談室ではないんだけどなー…、と私が心の中で考えていると、
「ちゃんと、物事にはすべて原因があるハズだぁー。止まったエスカレーターに足を踏み入れるとき、何故体のバランスが崩れるのか、その理由を考えてみろー。」
と怒りまくるのである。ここまでくると、ピラミッドの前で謎かけをするスフィンクスそのものである。いや、むしろそれよりタチが悪いかもしれない。何しろ、このスフィンクスはシミュレーション・プログラムを作るのを仕事にしているのだから、物理と論理に長けているのである。だから、きっと結構素朴であろう元祖スフィンクスよりなおさらタチが悪いのだ。

 う〜む、これはそう簡単にこのスフィンクスからは解放されそうにないな〜、と思いながらも、私が

「う〜ん、エスカレーターが止まっている、って判っていても、無意識のうちに体がエスカレーターが動いていると思いこんじゃうんですかね〜。それで、何かバランスを崩してしまうんですかね〜」
とあいまいに答えると、
「違〜う。答えはちゃんとすぐ目の前にあるのに、それにオマエは何故か気づいていないだけなのだ〜」
と、スフィンクス、じゃなかったN氏はものすごく嬉しそうに叫ぶのだった。そして、そのスフィンクスは驚くべき解説を始めたのである。
 「オレ達はエスカレーターが止まっている、という大きなことに気をとられて目の前、いや足下と言った方が良いか、の大事なことが見えていないんだよ。ホラ、エスカレーターの動く階段部分の直前がどうなっているか、良く見てみろよ。そこだけ傾いて斜面になっているだろう?」
「あー、確かにそーですねぇ〜」
確かにそーですねぇ〜、じゃねぇよ。エスカレーターに乗ろうとするときに、俺たちの体を支えている足はそのちょうど斜面の上に乗っかっているわけだよ」
「…」
「動く階段部分」直前にある斜面
止まったエスカレーターをよく眺めてみると…
故障中のエスカレーター
「動く階段部分」直前の斜面
「だから、エスカレーターに足を踏み出そうとする瞬間、実はオレ達の体はエスカレーターの方に傾いてしまっているわけだ。だけど、オレ達は- エスカレーターが止まっている - ということに気をとられて、斜面の上でオレ達の体がすでに傾いてしまっていることに気づかないわけさ」

「オレ達が止まったエスカレーターに足を踏み入れるとき体のバランスが崩れるのは、踏み出したオレたちの足に原因があるわけじゃなくて、もう一方の足下が傾いているということに気づかないことが原因なわけだ」

「答えはすぐ目の前に書いてあるのに、オレ達はただそれに気づかないだけなんだよー」

 このN氏改めスフィンクスが語る話を聞いたときに、ワタシは目からウロコが落ちるような気がした。そして、ワタシの頭の中で加納朋子「ななつのこ」冒頭の台詞の文章
 いつだって、どこでだって、謎はすぐ近くにあったのです。何もスフィンクスの深遠な謎などではなくても、例えばどうしてリンゴは落ちるのか、どうしてカラスは鳴くのか、そんなささやかで、だけど本当は大切な謎はいくらでも日常にあふれていて、そして誰かが答えてくれるのを待っていたのです....。
が流れ出したのである。何もスフィンクスの深遠な謎などではなくて、職場の壊れたエスカレーターの前でも謎(大切かどうかはともかく)はいくらでも日常にあふれていて、そして時には誰かがスフィンクスに変身して、その謎に答えを出してくれるのであった。なるほど、なのである。
 そして、「動く階段部分の直前にある斜面」を意識するようになった途端、止まったエスカレーターでも何の問題もなく乗れるようになり、むしろ、どうしてあんなにスカッスカッとバランスを崩していたのか不思議に思えるほどになったのだった。
 

 で、その後スフィンクス改めN氏と「動く階段部分の直前にある斜面」のその他の効果、止まったエスカレーターに足を踏み入れるとき体のバランスを崩してしまうということ以外の効果、についてしばらく話をした。で、数日後成田で「動く歩道」の上を歩きながら、その効果を確認したので、その内容を書いてみる。
 

「動く歩道」の一例
故障中のエスカレーター

 上の写真は平らな「動く歩道」だが、この場合にも先の場合と同じように、「動く歩道部分」直前は斜面になっている。そして、私たちは「動く歩道」に片足を踏み出すとき、もう一方の足は必ずその斜面部分に立っている。それは、ちょうど跳び箱を飛ぶ前に必ず私たちが踏切板を踏み込む瞬間のようなのである。すると、斜めになった面に片足で立った私達は、それに気づかないまま無意識のうちに体が前に倒れ、加速するのである。もちろん、斜面を片足で後ろに踏み出す効果もあって加速するのである。

 私達が普通に歩いている状態に比べて、「動く歩道」の上を歩く状態というのは、私達の体の速度は速いのである。だから、普通に歩く状態から「動く歩道」の上を歩く状態にスムースに移行するためには、私達はその瞬間に「動く歩道」の速度に応じた若干の加速をしてやらなければならない。ところが、「動く歩道部分」直前の斜面のために、無意識のうちに私達はその加速を行ってしまうのである。だから、比較的スムースに「動く歩道」の上に移動して、しかもその瞬間の不連続な速度変化を感じずに済むわけだ。

 そして、「動く歩道」を降りるときには、これとは逆のことが生じる。つまり、通常の歩道部分に踏み出した片足が、斜面部分に着地し、その斜面が私達の方に傾いているため上り坂を上るような状態になって、自然と私達の体は減速するのだ。だから、「動く歩道」から普通の歩道部分への移行がスムースになる、というわけなのである。

 このような効果が誰にでも起きるのかどうかは判らないし、仮にそれが一般的に起きる現象だとしても、それが制作者達の意図したものであるかどうかは判らない。しかし、止まったエスカレーターを前に当惑したことのある人や、あるいはいつもエスカレーターや「動く歩道」に上手く乗れない人は、ぜひ「動く部分直前の斜面」に気をつけながら、足を踏み出してみてもらいたい、と思うのだ。

 それにしても、「答えは目の前に書いてあるのに、オレ達はただそれに気づかないだけ」とは、ミステリー小説の中の気持ちの名探偵の台詞のようである。色んなところで色んなことで、私達はよろめいたり、つまづいたりするけれど、そんな時目の前の景色や、足下の景色をじっと眺めてみれば、目の前にその答えが大きく書いてあったり、あるいは転がっていたり、そして時にはその答えを踏みつけていたりするものなのかもしれないな、とふと思ったりするのである。だけど、やっぱり私達はそんな答えには気づかないまま、無意識に体が傾いてバランスを崩してしまうのかもしれないな、と思ったりもするのである。



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