2000-09-09[n年前へ]
■帰ってきた「電子ブロック」
動け僕らのスーパーマシン
某サイトの中枢である某秘密研究室の撮影写真が下の写真である。日夜、色んな道具で遊んだり、無意味な?実験・解析・考察している某サイトの中枢がこの部屋である。といっても、実際にはこの部屋にはそんなに入っていないらしい(だからそれほどちらかっていない)のであるが、それはこの際関係ない。とりあえず、この写真を見ると、部屋の片隅にとある科学おもちゃが積み重なっていることがわかるだろう。もちろん、判る人ならすぐ判るはずの「学研の電子ブロック」が積み重なっているのである。
前回、電子ブロックで遊んだ
の時には、Ex-60とEx-100しか持っていなかったのだが、文字通り「人間的に大きなオーパ氏」にEx-150を頂くことができたおかげで、今では三機種が私の部屋に鎮座しているのである。 知らない人のために電子ブロックの説明をしておくと、電子ブロックというのは学研が出していた科学おもちゃで、電子回路を簡単に作って遊べるものである。今で言うところのブレッドボード上で電子回路を組み立てるようなもので、電子部品が入ったブロックを差し込んでいくことで、電子回路を組み立てて遊ぶことができるのである。子供の頃の「電子ブロック」は私にとってまさにスーパーマシンだった。そして、デザインはスケルトンが基本という古さを感じさせないものだった。下の写真を見れば、電子ブロックの感じが大体つかめることと思う。
電子ブロックについて詳しく知りたい方には、
- 電子ブロック ( http://www.denshiblock.co.jp/)
そこで、作成されていたのが「バーチャル電子ブロック」である。先のWEB上から説明文を引用すると、
「バーチャル電子ブロック」は教育玩具として人気を博した「電子ブロック」の復刻版という位置づけで、パソコン上でマウスを操作してブロックを配置して電子回路を作成し、その働きをシミュレーションできるソフトウェアですというものだ。ソフトウェアの力で「電子ブロック」が蘇るのである。しかも、別売りの外部インターフェースをPCに接続すれば、往年のブロックの形状をした外部機器を制御できるというのである。
この「バーチャル電子ブロック」プロジェクトがアナウンスされてから、ずいぶんと長い時間が経った。その間、来る日も来る日も「バーチャル電子ブロック」のことを考えていたのである。未だかなぁ、早く出ないかなぁ、と毎日考えていたのだ(部分的に誇張有り)。
それが、昨日ようやく(お試し版)という形でダウンロードして、実際にいじれるようになった。そこで、
- 「バーチャル電子ブロック」発売のお知らせ( http://www.denshiblock.co.jp/vdb/index.htm )
このお試し版は付属の「スイッチング回路」で使ってる部品のみを使うことができる。トランジスタ一種、LED、抵抗三種、ブザー二種、プッシュスイッチと若干の配線である。それ以外は、使うことはできないようになっている。そこで、使える部品だけで遊んでいたのだが、じきにすぐ飽きてしまった。まぁ、動作確認のための「お試し版」だからこんなものなのなのだろうなぁ、とりあえず発売されたら直ぐに買うことにするかなぁ、と思いながらビールを飲んでウトウトと昼寝をし始めてしまった。すると、私は面白い夢を見始めた。
夢の中では、コビトさんがいっぱい登場して、何やらセッセとブロックを運んでくる。そして、カチリカチリとお試し版の回路の中にブロックをはめていくのである。あれあれ、あのブロックはさっきまでは使えなかったのになぁ、と思っているのにコビトさん達は無関係に運んでいくのである。
というわけで、コビトさん達は試しにさっきの付属の回路にボリュームと電流計を取り付けたようである。
夢の中で私がいじってみると、ボリュームをいじるとLEDの明るさもリアルタイムで変わるし、ボリュームの抵抗次第で、スイッチング回路もちゃんと動く、そしてその上電流計もちゃんと動く。いやぁ、楽しいものである。こりゃ、実際の製品が出たら即「買い」である。
また、NE555や74-164といったICも夢の中では登場していたのだが、コビトさんにはこれらのICはちょっと大きすぎて運べなかったらしい。あるいは、この狭い領域の中では大きな部品をうまく使えなかったのかもしれない。とにかく、途中でコビトさんは投げ出してしまった。
さて、この「バーチャル電子ブロック」は私のように「電子ブロックを懐かしく感じる世代」に受けることだろう。それだけでなくて、もしかしたら今の子供達(の一部)にも受けるかもしれない。その時に、「こういうおもちゃが出てくるまでの歴史」をその子供達にぜひ知って欲しいなぁ、と私は思うのである。そうしないと、現在、できているものをあるのがただ当たり前のように思ってしまうのではないか、と思う。
そして、逆に「昔のものから今あるものへの流れ」を知ることで、「今あるものから明日あるものへの流れ」を作ることができるようになるんじゃないのかなぁ、とおぼろげながら思ってみたりするのである。
2000-09-26[n年前へ]
■高鳴る鼓動は何のせい!? 心電図編
力尽きた時はその時で、笑い飛ばしてよ。
「人間は生まれた時は自由である。しかし、いたるところで鉄鎖に繋がれている。」といったのはルソーである。確かに、その通りだ。生まれたばかりの赤ちゃんの全裸ヌードは、朝からテレビで放送されているのに、大人の全裸ヌードには必ずと言って良いほどモザイクなどが掛けられてしまうのである。どちらも同じ全裸ヌードにも関わらず、生まれたばかりの時と大きくなってからでずいぶんと扱いが違うのである。「人間は生まれた時には自由なのに、大人になると規制がかかってしまう」のである。ルソーの言った通り、映倫やビデ倫が大人になった人間には規制をかけてくれるのだ。
ところで、少なくとも昔の私はこんな規制が全く不必要であった。といっても、聖人君子のような悟りを開いていたわけではもちろんなくて、それには深い事情があったのである。
高校時代の体育の授業で体操をしていた時のことだ。確か前宙か何かに失敗して私は頭からマットの上に真っ逆さまに落ちた。ちょうど、横溝正史の描く「湖面の上に足だけを付き出した死体」のように私はマットに突っ込んだのである。いや、その時は冗談で無しに一瞬自分が死んだかと思ったくらいだった。「どうせ死ぬならもっと格好良い死に方をさせてくれぇ」と思うくらいのヒドイぶつかり方だった。その時は、ズキ・ズキ・ズキ…と死ぬかと思うほどのヒドイ頭痛に襲われたが、それも結局30分位でなんとか治まったのである。少なくとも、その時には「治まった」と思ったのである。
ところが、その後遺症はすぐに(?)私の目の前に現れたのである。何とも、その後遺症はイヤな再登場をしたのであった。
深夜TV、いや11PMか何かだったか、とにかく何かのテレビを私が眺めていると、大胆な水着の女性が登場した。私の「血圧も心拍数も心持ちアップ(従来比)」した、と思った瞬間、ズキ・ズキ・ズキ…とあの死ぬかと思ったヒドイ頭痛が再登場したのである。別にアンコールをしたわけでもないのに、勝手に頭痛が再登場したのである。全然大胆な水着の女性を眺める暇なんかもなくて、私はただ頭を抱えて転げ回るだけだった。
この頭痛はこの一回ポッキリでなくて、私が少しでもエロを感じるたびに再登場した。もうエロビデオ何か見ようなどととしたらもう大変である。映倫のモザイクが登場するより早く、私の頭の中の倫理協会の拒否権が発動されるのである。映像美に私の心臓が「ドキ・ドキ・ドキ…」とときめいたりするとモウ大変、悪さをした孫悟空が三蔵法師に緊箍(きんこ)を小さくされて苦しむように、私も同じく七転八倒しなければならないのである。映倫やビデ倫のモザイクはただ見えないだけであるが、私の心の中の倫理協会は肉体的な制裁まで加えてくれるのであった。真夏のただでさえ暑くて心臓がドキドキしている時なんかに、エロビデオを見ようなんて思ったらもう大変、百発百中病院行きだったのである。
その後、私は頭痛に苦しめられるたびに病院へ行った。医者はその度「どうしました?」と聞くわけであるが、そう言われても私も困ってしまうのである。まさか、「テレビのエロシーンに興奮したら、ひどい頭痛に襲われました。」などと答えるわけにはいかない。いや、もっとはっきり言ってしまえば「宇宙企画のビデオに興奮して、頭痛に襲われました。」などと言うわけにはいかないのである。
そんなことを言ったら最後、「宇宙企画のビデオに興奮って、アンタそれでは変態ロリ野郎ですよ。」等と医者に言われかねない。それどころか、「頭痛ってアンタそりゃ、天罰ですよ。ヘッヘッヘ…」などと医者に言われかねないのである。しょうがないので、私は「いや、なんか急にちょっと頭痛がして…」などと体中にダラダラと汗をかきながらウソをつくしかなかった。当然だとは思うが、間違っても
エロビデオに興奮 -> 心臓ドキドキ -> 頭痛ズキズキという、うれし・恥ずかしフローチャートを告白するわけにはいかなかったのである。
結局、何回か脳波検査等を受けたりはしたのであるが、結局よく判らないままだった。どんなときに頭痛が起きるかを正直に言わず、ウソばかり喋る患者だったのだからしょうがないかもしれない。それでも、数年の内にいつの間にか直ってしまった。ともあれ、一時は心臓がドキドキと打つ心拍音を気にしながら、11PMを見たりしていたのであるが、いつの間にか堂々心拍数を気にせず見ることができるようになったのである。
そんな過去を思い出したのは夜の仕事場でだった。その時、私はとあるセンサ用の回路をせっせと組み立てていた。その時にBURR-BROWNのINA118という石を使ったのであるが、このデータシートには何とこんな使用回路例が載っていたりするのである。もともと、微小電位増幅用の石だからとても自然な応用回路例ではあるのだが、やはり回路図の中に人間が登場すると何故か笑ってしまう。疲れてハイになっていた私は大笑いすると共に、心電図や脳波検査を受けた昔を思い出したのであった。
http://www.burr-brown.com/WebObjects/BurrBrown/download/ DataSheets/INA118.pdf |
この回路は人間の体の微小電位を増幅して計測してやる回路であるから、この回路を使えば人間の体の電気的な活動を見てやることができる。この手のことが詳しくやりたかったら、やはり「今日の必ずトクする一言」とか「魅惑の似非科学」といったところを眺めると良いと思う。
ともあれ、かつて私は
エロビデオに興奮 -> 心臓ドキドキ -> 頭痛ズキズキという「うれし・恥ずかしフローチャート」に苦しめられていたわけであるが、逆にこの石を使って「心臓ドキドキ」を計測して、逆に「私の興奮度合い」を眺めてやろう、私は決意したのである。そして、私の興奮度合いだけでなくて他の人の興奮度合いも覗きまくろう、と考えた。
そこで、早速この回路図を元に組み立ててみたのがこの「Heartbeat1000」だ。安定性なんか無視しまくりのブレッドボード使用でそのくせGainは1000倍に変更という、無意味なエアロパーツを付けたヤンキー車のような仕様である。製作時間は本体が15分、さらに電極部分が30分というお手軽装置だ。
一応、電極部はこんなベルト固定式にしてあるので「誰でも簡単に使える」ようになっている。しかし、このベルトで体に電極を張り付けた状態というのはかなりサイバー(よく言えば)であり、他のもっと正直な言い方で言うとかなりアブナイ状態である。これを付けていると、それだけで受けが取れるのではないかと思えるほどだ。
それでは、早速この電極を胸に張り付けた状態でWEBサーフィンでもしてみることにしよう。自分の興奮度合いが丸見え状態での「うれし・恥ずかしWEBサーフィン」である。
まずは、自分のWEB「hirax.net」を眺めてみた。その時の「Heartbeat1000」の出力がこんな感じである。これが私の心電図というわけだ。左上の時間・電位レンジを見ると、
横軸が一マス一秒で、心拍が大体一秒間に一回で、その時に「Heartbeat1000」の出力にして5V程度のパルス(ゲインが結構高い)が出ていることが判る。この画面中では、13回心臓がドキドキしている。この画面は十秒間の記録画面であるから、一分当たりに直すと心拍数は78回ということになる。
縦軸が一マス5V
当たり前と言えば当たり前だが、自分のWEBを眺めてもそうそうドキドキはしない。とんでもないミスを見つけたりすると、ものすごくドキドキすることもあるが今回は軽く眺めただけなのでそんなドキドキは幸運ながらなかった。せっかくだから、自分のWEBを眺めて楽しくてドキドキしてみたいものではあるが、不幸なことにそんなことも全くなかった。実に残念なことだ。
そこで、次にZAKZAK(http://www.zakzak.co.jp/)でスポーツニュースを眺めてみた時の心電図が次の結果である。
こちらは、画面中の心拍数が14回であるから、一分に直すと84回である。さっきよりは幾分興奮しているようである。あくまで、ZAKZAKのスポーツニュースであって「ギャル満載」のコーナーでないということは、データの正確さの為にここに宣言しておきたい。
そして、最後に興奮しそうなスケベサイトということで、かつて一世を風靡し、インターネットの牽引役ともなった(言い過ぎか?)TokyoTopless(http://www.tokyotopless.co.jp/)を眺めてみた
こちらも、10秒間の心拍数が14回で一分当たりでも同じく84回だ。つまり、私はエロサイトを見ても「心頭滅却し火もまた涼し」状態で、何の興奮もしていないのである。少なくとも、私はZAKZAKのスポーツニュースと同じ程度にしか興奮しないようだ。私は正に聖人君子なのである。さすが、
エロビデオに興奮 -> 心臓ドキドキ -> 頭痛ズキズキという「うれし・恥ずかし聖人君子養成ギブス」で何年も鍛えただけある。もう、清廉潔白を絵に描いたような状態である。えっ、何やら「Heartbeat1000」の出力が何か不安定になっているって?どうみても興奮しているって?本当はこのあと興奮しすぎたせいで、データ取得ができなくなったんだろうって? いいじゃないの、そんなことは…
ところで、こんな風にオシロスコープの画面で自分の心臓が動くようす、自分の生きているようすを自分の目で見ているととても不思議な気持ちになる。私が興奮すれば、オシロスコープに描かれていく画面は高鳴る鼓動を見せてくれるし、何かに苦しめばやはり同じようにその変化を見せてくれるだろう。ただ規則正しくパルスを描くオシロスコープの画面を見ながら、色々なことを考えてしまうのだ。もし、このオシロスコープの軌跡が停止したら、どうなるだろうか?その時何を思うだろうか?
2000-11-03[n年前へ]
■NF回路WF1941用プログラム
をせっせと作る。
2000-11-07[n年前へ]
■ふと、思い出したこと。
夜、職場で動作チェック用の回路を組み立てていた。そんな作業をしていると、もう20年位前にapplee(ロビン電子仕様、eだったかなぁ?)の基盤をせっせと半田付けしていたことを思い出した。これまで何度も「これはスゴイぞっ」と思ったことが何度もあるが、それを少しだけ振り返ってみたい。まずは、appleでchoplifter(こんな綴りだっけ?)を見たときはビックリしたなぁ、もう。あの逃げる人の動きは絶品だった。思わずapplee(あくまでロビン電子仕様)のメイン基盤(だけ。部品は後で揃えた。)を買ってしまった位だもの。あと、X11R4ベースのプログラムを始めたときもやっぱり、ビックリしたなぁ。あのネットワーク透過性はやはりカルチャーショックだった。あと、MacintoshのCodewarriorも驚いたが、それはC++Builderも同じか。あれ、何かいまひとつになってきたぞ、と。そういえばI/Oの常連だった七味十唐子さん(こんな綴りで良かったかな?)とかどうされているんだろう?IOが小さくなっているのを見た時は、哀しかったなぁ。あれを創刊した(ASCIIの前はI/Oに携わっていたんだよな、確か。)西和彦はどう思ってるんだろう?う〜む。
2001-08-07[n年前へ]
■「ボケ」た背景で包み込め
デジカメ画像をキレイにボカそう アルゴリズム編
最近、新しいデジカメを物色中である。私はこれまではFinePix4700zを使っていたのだけど、そのFinePixが半年程度で壊れてしまった。というわけで、C-4040ZOOMがどんなものか期待しているところである。
壊れたFinePixと言えば、そもそも壊れたFinePixは一台ではなかった。私はすでにFinePixを二台も買っているのだ。そして、もうすでに二台とも壊れてしまっているのである。連続殺人事件ならぬ、連続カメラ自殺事件なのである。
まず、一台目に買ったFinePix700ははメキシコのティファナでポケットから落としたら、バッテリーから電源が供給されなくなった。もちろん、ACアダプターを使えば立派に動くのだけれど、それでは少しばかり機動性に欠けてしまう。まさか発電機を持ち歩くわけにはいかないし、コンセントの近くでしか撮影することができないとなると、それは非常に困ってしまう。そこで、すかさず二代目としてFinePix4700zを私は買った。ところが、買ってから半年位たったある日、今度は勤務先の駐車場でポケットから落としてしまった。すると、今度はファインダー視野がズームに連動しなくなって、なおかつレンズがまるでジョイスティックのようにあらゆる方向に曲がるようになってしまった。
こんな風にデジカメはとっても壊れやすくて、半年毎にデジカメ出費を強いられる私に周囲は「落としたオマエが悪い」と非常に冷たいのである。残念なのだ。「そういうのは壊れたんじゃなくて、壊したんだ」と被害者である私をまるで加害者のように告発する人さえいるのである。連続カメラ自殺事件は実は他殺で、しかも犯人は私だと告発する輩さえいるのだ。ひどい話である。
ところで、C-4040に期待しているのは、コンパクトで、レンズアダプターが使えて、レンズがF1.8と明るいことなのである。コンパクトなのは持ち歩くために必要だし、私はなんと言っても超広角デジカメが欲しいのだが、そんなデジカメはないので、ワイドコンバーターを付けたいのでレンズアダプターが必要なのである。明るいレンズの方は、うす暗い中でも撮影する時に重宝しそうなので、少し期待しているのである。
ところで、この位明るいレンズであれば、もう少しぼかすことができるものだろうか?デジカメで写真を撮ってもどうしてもボケない。35mmフィルムを使っているカメラなどと比べるともう全然ボケない。もうほんとにボケない。
例えば、35mmカメラで135mm F4.5開放のレンズなら、ピントの合ってない背景はこの位はボケる。これは京都の哲学の道近くにある吉田山で撮った写真だ。
ピントが合っている位置以外は光がボケて、キレイなボケが発生する。どちらの写真も絞りは開放で撮影しているので、後ろの風景はほぼ丸くボケている。ぼかせばキレイというわけではないけれど、背景などがごちゃごちゃしている中で対象物だけを浮き上がらせたい場合には、「ボケ」させるととても良い感じになる。
しかし、デジカメではそうそう簡単にボケた画像を撮影することはできない。35mmフィルムに比べて、CCDサイズが小さいからである。35mmカメラよりAPSカメラはもっとぼけなくて、それよりデジカメはさらにボケないのである。そんな様子を見るために、二台目として買ったFinePix4700zで「ボケ」を意識して撮影してみたものが下の写真である。手前の植物にピントが合って、奥の道の先はボケてはいるのだけれど、それでも先程の写真などとは比べものにならないほどわずかしかボケていない。
ところで、このような画像の「ボケ」を考えるとき、「ボケ」た画像をシャープに復元しようという話は非常にポピュラーな話題である。例えば、本「できるかな?」でもこれまでに
といった感じで遊んできた。また、さらには「恋の形」を復元しようとしたとか、このようなアプローチを遥か昔に考えていた漱石の「文学論」を振り返ってみたりしたきたのである。しかし、これらはいずれも「ボケたデータを復元する」という問題であった。一方、この逆のアプローチである「シャープなデータをボケたデータにする」という問題も結構ポピュラーである。例えば、音楽をホールやライブハウス風にボケた音にするDSPはかなりの数のオーディオ装置に付けられている。これも、もともとはシャープな音声データが部屋の中でボケていく様子をシミュレートする回路である。また、画像に関する話題でも、ピント位置をずらした複数の画像から任意の「ボケ」画像を作成するといった話題もたまに見かける。
そこで、「できるかな?」でもデジカメ画像を35mmカメラ風にキレイにぼかすことに挑戦してみることにした。今回は、まずはアルゴリズムを確認して、次回以降で簡単プログラムを作成してみることにしたい。
まずは、似たようなソフトウェアがあるかどうか、Googleで適当なキーワードを使って検索をかけてみると、IrisFilter(http://www.reiji.net/iris/)というソフトウェアがあった。これは、「写真のぴんぼけを再現する」というフィルターだった。サンプル写真などを見てみると、これがなかなかきれいだった。例えば、早朝の御殿場の路上を「在りし日のFinePix4700z」で撮影した写真にこのフィルタをかけて、「ボケ」を加えてみたのが下の画像である。
ここではこんな六角形の絞り形状をを用いてみた。右の処理画像中の、車のテールランプや車の下部を眺めてみると、鋭いハイライト部が六角形に光っているのがわかだろう。確かに、「ボケ」がカメラの絞り形状になっていて、良い感じである。
WEBページの記載によれば、このIris Filterは「フィルム特性曲線を利用し、レンズから通った光がフィルムを感光させる様子を再現しています」ということである。なんでも、特許も国内・USP共に出願済みということだが、特願2000-100042もU.S.PTO 09/772532も未だ公開にはなっていないようで、残念ながら特許の内容を読むことはできなない。
このWEBページの記述の中で面白いのは、「データ上の数値をそのまま拡散させる従来のPhotoshopをはじめとした画像処理ソフトと違い、実際のフィルムに当たる光の量(露光量)を逆算し、その露光量をもってピントがずれている様子を再現します」という歌い文句でPhotoshopの「ガウスぼかし」と比較広告してある部分である。
試しに、先の画像をIris Filterで「ボケ」を加えた画像と、Photoshopの「ガウスぼかし」とで「ボケ」を加えた画像を比較してみると、下の二枚の画像のようになる。確かにIrisFilterの売り文句通り、こうして比較してみるとPhotoshopガウスぼかしが写真の「ボケ」っぽくないのに対して、IrisFilterの「ボケ」が写真のそれっぽいことが良くわかる。
さて、お仕着せのソフトを使ってみるだけではなくて、自分でデジカメ画像をキレイに「ボケ」させてみることにしたい。というわけで、hirax.net風「ボケ」フィルターの動作を考えてみる。
まずは、毎度のことだがオリジナル画像が「ボケ」る様子を計算する式は
逆フーリエ変換( フーリエ変換( オリジナル画像 ) x フーリエ変換(ボケ具合 ) )と表すことができる。詳しくは、「宇宙人はどこにいる?」の回でも読んでもらうことにして、簡単に言えば周波数領域でオリジナル画像とボケ具合を掛け算をしさえすれば良いのである。つまり、今回のデジカメ画像をぼかす場合だったら、
- デジカメ画像と「ボケ」具合をそれぞれフーリエ変換し周波数空間に変換
- 周波数空間で乗算を行う
- 逆フーリエ変換して実空間に戻す
じゃぁ、早速やってみようとなるわけだが、その前にもう一つ注意することがある。それは、RGB画像の数値というものは実は元々「明るさを対数変換した値」であるということなのである。人間の目も含めて世の中の大抵の材料は対数的な感度を持っている。例えば、人間の目に「2倍明るい」という場合に、光は「2倍明るい」というわけではない。その場合には指数的にX^2倍明るいのである(ここで、xの値はそれぞれのデバイスによって色々と違う)。その明るさをRGB画像の数値データにする時に、明るさの対数をとってLog[x,X^2]で2という数値として表しているわけだ。
RGB画像の数値が「明るさを対数変換した値」だというようすの一例を示すと下の図のようになる。
横軸 = 0〜255の数値データ 縦軸 = エネルギー | 横軸 = 0〜255の数値データ 縦軸 = エネルギー |
逆に明るさからRGB画像の数値データへの変換グラフは例えばこんな感じである。RGB数値で200と255と言っても実はその明るさは大違いであることがわかると思う。
だから、この手の処理を行う際には、まずは指数変換してから処理を行い、そしてその後対数変換してやらなければならないわけだ。もちろん、今回のデジカメ画像をぼかす場合にも、RGB画像の数値をまずは指数変換した後、「ボケ」演算を行って、その演算結果を対数変換でRGB画像の数値に戻してやらなければならないのである。といっても、別に難しい話ではなくて画像を扱う装置だとごく当り前の話だ。
そう、「ボケ」演算のhirax.net風レシピはたったこれだけ〜というわけで、早速このレシピに従ってhirax.net風デジカメ「ボケ」フィルターをかけてみたのが下の画像である。キレイな「ボケ」画像ができあがっていることが判ると思う。
ところで、デジカメ画像のRGB画像の数値を指数変換したものに「ボケ」演算を行ったわけだけれど、もしRGB画像の数値そのものに対して「ボケ」演算を行ったら、どんな結果になるだろうか?つまり、「データ上の数値をそのまま拡散させる」やり方をしたら、どうなるのだろうか?そこで、試しにRGB画像の数値そのものに対して「ボケ」演算を行ってみるとこんな結果になる。
何だかボンヤリとにじんだだけの「キレイじゃない」写真になってしまっている。それは、当り前である。本来2倍明るいものはX^2倍明るいわけで、すごく光の量は2倍どころでなく多いわけだ。それが広がる量を仮にRGB数値そのまま2倍として扱ってしまうと、その光の部分は薄暗くなってしまう。コントラストのはっきりしない、ぼんやりとした写真になってしまうわけだ。ちゃんと、X^2倍のデータとして扱ってやらなければならないわけである。
試しに、指数処理したものと線形処理をしたものとを並べてみるとその画像の違いがよくわかるだろう。
キレイなボケ画像(指数処理) | キレイじゃないボケ画像(線形処理) |
さて、今回はデジカメ画像の「ボケ」フィルターのhirax.net風レシピを確認してみた。次回(と言ってもいつになるか…)以降に、このレシピに従って実際にソフトを作成していこうと思う。
ところで、「文学論」の中で漱石は「ボケ」は焦点的印象又は観念に付随する情緒を意味する、と言っている。それは、言い換えれば「何かの出来事をきっかけとして感じた怒り・悲しみ・喜びなどの感情がボケである」ということだ。そして、さらに言えば、写真で背景をぼかすということは、つまり「背景にある出来事が生みだした怒り・悲しみ・喜びを広く混ぜて包み込む」ということなのである。
だから、何かを撮影する時に対象物の背景をぼかすということは、「背景にある出来事が生みだした怒り・悲しみ・喜びを広く混ぜて対象物を包み込んで、そして対象物を浮き上がらせる」ということなのかなぁ、とぼんやりと考えてみたりする。そんな写真は対象物を写しこんでいるのと同時に、それを包みこむ背景も写しこんでいるンだろうなぁ、と考えてみたりする。