2000-06-16[n年前へ]
■ヘルメットの色空間分布
学生運動の色空間とグラフ配置
さて、私は「迷信の押し付け」は大嫌いである。もちろん、その人の中で信じている分には結構で、それも文化の一つだとは思う。しかし、それを私にまで押し付けられるととたんにムッとしてしまう。そんな私ではあるが、「占い」はそう嫌いでもなかったりするのが面白いところだ。いや、むろん「占い」を信じているわけでは毛頭無くて、「遊び」として好きなのである。
何しろ、占いというのは「根拠無し」に「決めつける」ことが出来る素晴らしいものである。何の前振りもなしに
「君はお菓子の食べすぎでデブになる。」と言うと、普通であれば張り倒されることだろう。しかし、それを
「君の前世は象だった。だから、君は太る運命だ。」と言えば、どうなるだろうか。悪いのは「前世」や「運命」であって、「口の悪い私」ではないのである。それどころか、
「えぇ〜、なになにその占い〜。教えて、教えて〜」という好意的な反応すら予想される(あくまで予想だけ)のである。これを便利と言わずして、何と言おう。
しかも、占いの特徴の一つは後付けの結論・理由付けが可能、というところにある。その結果、「占い」というものは現実にとても近くなり、さらに「本当らしさ」がアップする。そういうわけで、私は大好きなのである。
例えば、私の職場の私の机の端には、名前、生年月日、アンケート式etc.といったありとあらゆるタイプの占いを職場の人がやった結果がファイルされている。そして、恐ろしいことにそれらの紙には、それを読んだ人の書き込みがあるのである。例えば、私の性格占いの結果をプリントアウトした紙を見てみると、「もう少しイイ子になる必要があります。」という文章の下に赤線が引っ張ってある。この赤線を書き込んだのは誰だか知らないが、実に失礼な輩である。また、「思ったことをすぐ口に出す傾向があります。」という部分は二重線が引っ張られており、これなども世の中には訳のわからないことをする人間がいる良い一例である。そのくせ、「とても心優しいひとです。」という部分は赤線で消されたりしているのが、私としては理解に苦しむ部分でもある。きっと、この書き込みをした輩は「心優しい」という意味を知らないのであろう。
そういうわけで、こういった人々による書き込み・添削のされた占いの結果、すなわち、後付けの結論・理由付けのされた占いの結果と言うのは実に恐るべき迫真性を持つのである。そして、同時に笑うことができる(本人は別にして)、という素晴らしいものなのである。
ところで、私は「色」が大好きである。もう、何回も「色」に関する話題をしているのだから、そんなことは言うまでもないかもしれない。そこで、「色」と「占い」との関連で言うと、一時期「色占い」というものが流行っていた。「XX色で連想する人は誰?」という質問をして、この色で連想された人はあなたにとって恋人、とか、この色は友達、とか占うのである。
私もこの「色占い」が流行ったときにやった記憶があるのだが、これが全く役に立たなかった。役に立たなかった理由の一つに
- 私の周りの人は服なんて着替えない。
- だから、いつも同じ服を着ている。
- その服のイメージ = その人のイメージになる。
そのために、当時の学生の典型的?な姿を下に示してみる。いや、正確に言えば典型的ではなくて、単に目立っていた学生と言うほうが正しいかもしれないが、その姿を示してみたい。
この絵を見るとわかるように、頭の部分を覆うヘルメットというのは何より目立つのである。この人達が身に付けている服装というものは、そんなにカラフルなものではない。いや、ハッキリ言えば、特徴のない色ばかりである。そりゃそうだ、個性的で目立つ色の服なんか着ていたら、個人的に目をつけられてしまう。
しかし、それに対してヘルメットの部分は実にカラフルである。セクトごとに個性ある色分けがされている。人目見ればわかるような色使いがされている。それは、チームスポーツのユニフォームと同じである。敵か味方か一目で見分けがつかないと、困ってしまうわけである。
そして、そのヘルメットの色の印象が強いがために、
その人達の印象 = その色というような状況すら生まれるのである。だから、先の「色占い」のような質問はそのような場においては、何の意味も持たないのである。それは単なるセクト分け問題と化してしまうのである。とたんに、生臭い問題になってしまうのだ。
ところで、さまざまな場所に位置する各セクトが、どのような「色」の住み分けをしているかは、非常に気になるところである。「色」に常日頃こだわってきた「できるかな?」であるから、各セクトのヘルメットの色空間における空間分布を見てみることにしたい、と思う。
そこで、マルチメディア共産趣味者連合 中央委員会の
- ヘルメットで見るセクト( http://marukyo.cosm.co.jp/MET/index.html )
こうしてみると、ヘルメットによる色表現を考えてみると結構広い「色空間分布」になっているようである。カラー画像をヘルメット画像に色分解する、ヘルメットディザなんていうのも実現できるかもしれない。
しかし、これだけではつまらないので、
- 学生活動家組織の変遷 (http://marukyo.cosm.co.jp/KEIZU/gakusei-keizu.html )
そして、グラフ配置の結果の一例を色空間に重ねてみたものを次に示す。
この画像と先程の「ヘルメットの色空間分布」を比較してもらうと、結構似ているのが面白いところだと思う。もちろん、似たような配置になったものを使用したわけではあるが、それにしても面白いと思うのだが、どうだろうか?
私が大学に入学した当時は、セクト間の陣地争いが盛んだった。といっても、私のいた学校がガラパゴス諸島のように(その手の部分では)化石的な学校だったからで、決して古い昔の話ではない。授業をやっている横の廊下で、内ゲバで殺される人がいたり、朝のキャンパスで血みどろの戦いが行われていたりした。実際のところ、それは私にとって結構衝撃的な出来事だった。少なくとも、そのせいで、あの手の陣地争いを大嫌いになったことは確かだ。とりあえず、現実空間ではともかくこの色空間においては、そんな陣地争いがないのが良いところだ。
さて、今回はタイトルをゲバ字(トロ字)っぽくしてみた。ゲバ字(トロ字)というのは、チラシや立て看などでよく使われた(る?)文字のことである。だから、別に「こういう形」というものがあるわけではない。とりあえず、それっぽくしてみたわけであるが、どうも本WEBにはこういうフォントは似合わないようである。うーむ、失敗である。
2001-04-07[n年前へ]
■私の恋愛価値
(リンク) 恋愛価値は 1130万5715 beau。「交換日記級」(20段階中14番目)。
総合評価
hirabayashi さんは「包容力」の価値が最高値をつけました。包容力がある人は年下の彼氏彼女をつくるとピッタリとハマる傾向にあります。あなたはいわゆるオトナな人、優しい人です。大きな心に「呑気」が加わると一転して利用されかねませんが、しかし些細なことを気にせず相手を深く信頼できるタイプのあなたには安定した恋愛が常に期待できます
全体的な数値ではhirabayashiさんはいたって平均値です。みんなが思い悩むことに悩み、それなりに欠点も抱え、恋愛が楽しいときもあるしほどほどに彼氏彼女もできるけど、どうもパッとしないと感じているのではないでしょうか。抜群の恋愛センスでもない、アブノーマルでもない、そんないたってフツーのあなたを羨む人だっているはずです。ほどほどに向上心を保ちつつ、ほどほどで満足しておきましょう
★恋愛要素ごとの評価★(S、A、B、C、D、Eの6段階評価)
恋人 評価「C」
結婚 評価「E」
環境 評価「D」
エッチ 評価「D」
ルックス 評価「E」
包容力 評価「A」
過去 評価「B」
テクニック 評価「E」
ふ〜ん。私に「いいかげん大人になれ」と言う人がいても、私が大人だと言う人がいるとは思えないが。
2001-11-10[n年前へ]
■耐え切れずに泣いたマンガ
川原泉、パタリロ!のあの頃の話、ストロベリーデカダンは「はなゆめ」読者だったワタシとしては激しく同意(しまった、口調がうつってしまった。いや、こんな書き方は普段しないのですけど)。コミカルな話だから余計に泣いてしまうんだよなぁ。
あぁ、「音匣ガーデン」もそうだったけどこれはコミカルではないか。しまった、「南くんの恋人」もだ。あぁ、きりがない…。
(リンク)(リンク)
2002-04-24[n年前へ]
■視線のベクトルは未来に向くの?
マンガのストーリーの方向を顔向きで探る 前編
一年くらい前から、コンビニで300円ほどの安いコミックをたまに買うようになった。休日の早朝、コンビニで発泡酒とおつまみを買って、ついでにそんな安いコミックを買って、そして、ビールを飲みながらそれを読むのがワタシの休日のささやかな(だけど至高の)幸せなのである。そんな至高の幸せをかみしめるとある休日、286円の西岸良平の「三丁目の夕日」を読みながら、ワタシはふと思ったのである。
これまで、「できるかな?」では、様々な小説、例えば「星の王子さま」「明暗」「こころ」「草枕」「失楽園殺人事件」といった小説を色々と解析してきた。そして、その中の主人公達がどんな風に動いていくのかとか、作者が何を考えているかとか、あるいは、犯人は誰かであるのか、などを調べてきた。何でそんなことを考えるの、と人には聞かれそうだけれども、とにもかくにもワタシはそんなことを考えてきたのである。そして、さらにふと考えてみれば、ワタシの至高の幸せを支える素晴らしき286円のマンガ本に関して、ワタシはストーリー構造などを真剣に考えてみたり、調べてみたりしたことはなかったのである。イケナイ、イケナイ、こんなことでは「恩知らず」野郎としてワタシにはバチが当たってしまうに違いないのである。
そこで、今回「コミックの中のストーリー構造」について調べてみたい、と思う。コミックの中で主人公達がどのような方向へ進もうとしているのか、あるいはその歩みの中で主人公達は一体何を考えているのか、などについて少し調べてみることにしたのである。
これまで、小説中のストーリー構造や主人公達の動く方向を調べるときには、「特定の言葉や主人公達」が登場する位置を調べたり、あるいは他の言葉や登場人物との相関を調べたりしてきた。それでは、一体マンガのストーリー構造や主人公達の動く方向を調べるにはどうしたら良いだろうか?そんなものどうやって調べるの?と一瞬悩んでしまいそうではあるが、ちょっと考えてみればそれはとても簡単なのである。小説と違って、マンガでは登場人物達がちゃんと見えるカタチで描かれているのである。主人公達がどの方向を向いているかがちゃんと描かれているのである。そしてまた、主人公やその周りの人々や、ありとあらゆる人々がどんな方向を向いているかがもうありのままにちゃんと描かれているのである。
だったら話は実に簡単、マンガの中の登場人物達の向きを刻々調べてみれば、そのマンガのストーリーの中で主人公達がどちらへ向かって何を見ながら動いているかが判る、というわけだ。実に即物的でシンプルなアプローチである。
善は急げ、というわけで、早速今さっきまで読んでいた手元に掴んだままの西岸良平の「三丁目の夕日 ジングルベル」の中から、「霜ばしら」という短編を題材にして、その中の主人公の顔の向きを調べてみることにした。ある恋人同士の、とても楽しくて、そしてとても悲しい物語である。
まずは、マンガのコマ中の登場人物達の向きと角度の対応表を下の表のように定めた。登場人物がコマ中で右方向を向いているときに0度とし、正面方向(すわなち読者方向)を向いている時が90度。コマの左方向を向いていれば180度である。そして、280度では真後ろを向いているという具合である。
270 | ||
180 | 0 | |
90 |
このようにコマの中に登場する主人公達の向きを数値化することにして、話の冒頭から結末までの各コマ中での主人公(周平)とその恋人(アキちゃん)の向きを調べてみたのが下のグラフである。青色の四角が主人公で、赤色の三角がヒロインである。また、その二人が向かい合ってる場合には朱色の丸を方向=0の位置に書き入れてみた。グラフ中では水平軸がストーリーの時系列で、左端が話の冒頭であり、右端が話の結末、そして縦軸が「主人公達の向かう方向」である。また、ヒロインのアキちゃんが途中の2カ所にしか現れないのは少しばかり悲しいストーリーのせいだ。この「霜ばしら」は主人公とアキちゃんの涙を誘う悲しい物語なのである。
左端 = 話の冒頭 右端 = 話の結末 縦軸 = 主人公達の向かう方向 |
このグラフを少し眺めていると大体の特徴が見えてくるだろう。すなわち、
- 主人公達はほとんど45、135、235度の3方向しか向いていない
- それ以外の向き(例えば315度)を向く場合などは、ほとんどが「向き合っている」場合である
- そして、135度の方向を向いていることが圧倒的に多い。
しかし考えてみれば、これらの特徴はごく当たり前なのである。まずは、舞台やテレビと同じく、登場人物達は読者にお尻を向けるわけにはそうそういかない。読者に顔を見せずにお尻を向けていたら、誰が誰だかよく判らなくなってしまうに違いない。だから、登場人物達はあまり後ろを向くわけにはいかない。どうしても、主人公達は文字通り「前向き」にならざるをえない。もし、後ろを向くとしたら、それは文字通り登場人物達に「後ろを向かせる」何らかの強い意図に基づく場合以外ありえないに違いない。それが、例えば他の誰かと「向き合って」いる場合であったり、あるいは他の表現意図に基づくものであろう。
また、日本におけるマンガが右から左に読まれていくのであるから、読者の視線の動きの中では「右のコマ= 過去」「左のコマ = 未来」と時間感覚が成立している。マンガを読む私たちの視線のベクトルは右から左、過去から未来へと進んでいるのである。すなわち、「マンガの中の話の流れ= マンガの中の時間・因果の流れ」をスムーズにするためには、主人公達が過去なり未来なりのコマの方向を向くことで、時間の流れ=因果の流れをスムーズに受け継ぐのが自然だと考えられる。過去に発生した「何か」に応えた反応をするならば、主人公達は当然右を向くし、そうでないならば通常は時間の流れる先の向き= 左側を向くことになるだろう。
すると、マンガの中の登場人物達は読者に対して「前向き」であって、なおかつ時間の流れる方向に前向きの「左側」を向くのがごく自然である、ということになって、「コマの中の主人公達は135度の方向を向くことが圧倒的に多い」ということになるのだろう。まぁ、当たり前の話である。
そしてさらには、こんな風にも考えられる。「右<->左」方向は時間の流れに対する主人公達の向きであって、「前向き<->後ろ向き」は登場人物達が文字通り「前向きであるか」あるいは、あるいは「後ろ向きであるか」という「主人公達の内たる気持ちの向き」ではないだろうか、とも考えられるのである。
だから、例えばこの「霜ばしら」の結末の部分80コマ以降を見ると、45->135->225度という主人公のベクトルの変化がある。これは主人公が「過去に向かう向き(死んでしまったヒロインへを見る向き)→未来に向かう方向へ進む→未来に向かう(だけど、やはり亡くなってしまったヒロインをたまに振り返りながら)」というまさに主人公のベクトルを描き出しているのではないだろうか、と思うのである。そんな風に眺めてみれば、最後のコマの主人公の向きが「何かを振り返りながら、だけど未来へと歩いていく様子」をまさに映し出しているようにも見えるのである。ストーリーはここに書くわけにはいかないけれど、こんな想像も割と良い線をいってるのかもしれない、と思ってみたりするのだ。
こんな風に、単にマンガの登場人物の向きだけで主人公達の向かうベクトルを探る、なんていうことが乱暴なのはさらさら承知の上である。こんな人物の配置解析によるストーリー解析が的を射ているのか、あるいは的を外しまくっているのかは、ぜひこのマンガを読んで実際に判断してみてもらいたい、と思うのである。
さて、こんな風に舞台の右と左、上手と下手に対してどんな風に登場人物達が向かっていくのか、なんてことを考えるといろんな想像が広がってとても面白いのである。時間の進むベクトルであるLeftStage(舞台から見ると逆なんてことは言わずに)に消えていく登場人物達(例えば今回の話では恋人アキちゃんを亡くしてしまった主人公)は「残されたもの達」を連想させてみたり、あるいは、色んなものを眺める私たちの視線のベクトルは本当に未来に向いているのかな?などと色んな想像や空想を駆けめぐらせてみることも、それはそれでとても趣深いことだなぁと思うのである。
2002-06-23[n年前へ]
■あなたが描く私の木漏れ日
The your sun streaming through my fingers
「木もれ日プロジェクト」というものを見た。表参道のSPIRALの一角に展示されている木村崇人氏の作品である。色んな形の灯りを作ってやって、木漏れ日が色んな形になるのを楽しもう、という作品である。星形や三日月型の灯りが発する光に掌をかざすと、指の隙間からこぼれた光はキラキラとした星形になったり、幾重にも重なる三日月型になったりするのである。
太陽は丸いから、木漏れ日を見てもいつもは何の不思議にも感じない。だけど、こんな色んな形の木漏れ日を眺めると、重なり合う木々の葉がピンホールレンズになっていて、木漏れ日が刺す様子が大きなカメラオブキュラだったことに今さらながら気づくのである。そしてまた、重ねた掌の隙間からこぼれ出す光が星形を描くとき、とても不思議に気持ちよく感じる。
これを眺めた後に、私も色んなカタチの灯りを作って色んなカタチの木漏れ日を作ってみようか、と考え、それには何が必要かな、はさみと、ランプと、光を拡散させるためのトレーシングペーパーと、色んな色の木漏れ日を使いたいからカラーフィルターも…、と考え始めたときに気が付いた。そんなに色んなものがなくても大丈夫なのだった。考えてみれば、パソコンのディスプレイの画面はかなり明るいのだから。パソコンの画面に「色んな形」を描けば良いだけの話なのである。つまりは、パソコンでお絵かきしている画面を「太陽」の代わりにすれば良いのだ。そして、その画像だけを画面に表示させて、真っ暗な部屋でそのディスプレイの前に手をかざせば、壁に映し出される掌の影の隙間には「色んな形」の木漏れ日が幾重にも重なり見えてくるはずだ。
そこで、例えばこんな風にPhotoshopのフルスクリーンモードで星型を描いてみた。
そして、部屋を暗くして両手を重ねると、両手を重ねた隙間を抜ける光が「木漏れ日」を形作る。それはPCの画面に描いた星型をしている。重ねた両手の指の隙間から抜けた光が、幾重にも重なる星型になって光るのである。
もちろん、PCの画面に自分で「色んな形」を描かなくても良いだろう。誰かが楽しそうにお絵かきをする。マウスを動かして、色んな言葉を書き込んでみたり、ハートマークを書いてみたりする。私はディスプレイの前で手をかざしている。そうすれば、私の掌の影の中の木漏れ日は色んな言葉やハートマークをゆっくり描き出すだろう。それはとても気持ちよい景色に違いない。
そして、さらにはこんな風にも考えてみた。その他の誰かは必ずしも私のPCで「色んな形」を描く必要はない。例えば、ネットワークの何処かに繋がった他のPCを前にして、そんなお絵かきをしてみても良いはずだ。
- Photoshopをフルスクリーンモードで動かして、黒を背景にして好きなものを描く
- その画面をVNCのような「ネットワークを介してPCの画面を転送するソフト」でネットワーク上の他のPCに送る
- その送られた画面を(例えば)InternetExplorerをVNCビューアーにして、フルスクリーンモードで表示する
「三色のハートマーク」の姿をしている |
「あなたの木漏れ日・ストリーミング」はちょうどこんな感じだ。例えば、何処かで誰かが何かを描く。恋人が親があるいは誰かが、他の誰かへの気持ちを描く。例えば、何かの「キモチのカタチ」を描く。例えば、ハートマーク、あなたの名前ををゆっくり描く。あるいは、PCに繋がったCCDカメラに向かってポーズを手を振ってみる。
そこから離れた何処かの場所で、その恋人がその子供があるいは他の誰かが、PCのディスプレイが発する光に掌をかざしてみる。その掌の隙間から漏れた光は掌の下に木漏れ日となって何かを描く。ネットワークに繋がった遠く何処かで誰かが描いている気持ちが、誰かの名前を綴る文字が、あるいは手を振る姿が離れた場所のPCの前にかざす掌の下の木漏れ日になる。遠く何処かで描かれていく「キモチのカタチ」が、「笑いながら遠くで手を振る誰かの姿」が、木漏れ日となって、私達が重ねる掌の下で光り、映し出され、そして私達の目の前に浮かび上がってくる。