2004-07-19[n年前へ]
■コピーの時代
昨日、四条河原町を歩いていると、古本屋のドアに貼られた「コピーの時代」と書かれたそのチラシにふと目を惹かれた。
「現代の私たちの日常生活には多種多様な『コピー』が満ち溢れています」という言葉は、新しくなくむしろ少し古くさい視点のようであるような、そんな風にも感じられるけれど、だけど、そのチラシが貼ってあるのが京都の古くさい古本屋のドアとなると、それは絶妙に素晴らしい。貼ってある場所に何だかとても似合っていて、それは何かを象徴しているようにすら感じられる。
そのコントラストがあまりに気に入ったので、琵琶湖近くにある滋賀県立近代美術館に行ってみた。ふと、(だけど強く)思ったことは、こんな「コピーの時代」という展示であれば、カメラ付き携帯も含めて、色んなカメラでの「写真撮り放題」を奨励しても良いのじゃないかな、ということ。撮影禁止ではなくて、禁「撮影禁止」であっても良いんじゃないのかな、ということ。
色んな人達の著作物の「コピー」をした著作物の価値を展示するのであれば、入館者達の「色んなコピー」を禁止するという行為は何だか自己否定のような感じがする。「色んなコピー」を逆に奨励したりした方が、そしてその「色んなコピー」と比較したりしてこそ、展示物の価値を再認識できるようにも、ふと感じてみたりする。
現代の私たちの日常生活には多種多様な「コピー」が満ち溢れています。昨今のめざましいコンピュータ技術の進歩により本物と寸分違わない精巧な写真や印刷物の複製が次々に生み出され、さらには遺伝子操作によりクローン羊が登場するなど、その勢いは今後ますます加速するように思われます。「コピーの時代」 滋賀県立近代美術館
2005-01-25[n年前へ]
■「舞い落ちる枯葉と、名刺落下のはためき」
「秋になると枯葉が不規則に舞い落ちるのをよく目にする。流体力学の複雑さを象徴する現象として教科書にもしばしば登場する。この舞い落ちる枯葉の数値シミュレーションを行うために、(何故か)手から離れた名刺が左右にヒラヒラとはためきながら落下するようすを計算してみた」という「舞い落ちる枯葉と名刺落下のはためき」
寺田寅彦が椿の花が落下するようすを描いた「思い出草」の話を思い出す。寺田寅彦が理研の庭の椿の花を観察した話をふと思い出す。
2006-03-04[n年前へ]
■「1984年」の日本の姿
「1984年」と言えば、ジョージ・オーウェルの小説1984年が思い浮かぶ。1984年という数字は、長くにわたり、未来の象徴の年号だったはずだ。…しかし、今ではそれはかなり過去の年号になってしまっている。
新渡戸稲造の五千円札や夏目漱石の千円札が発行され、グリコ・森永事件が起き、写真週刊誌「FRIDAY」が創刊された1984年の日本の姿を、スミルノフ教授経由で眺める。
2006-05-18[n年前へ]
■幸せと人生の意味
今日のn年前へは「"幸せ"をはかる定規」なんてどこにも存在しない、「物差し」では計れない、などです。
十一月の晴天の空の下、わたしは自分の指を踏んだ。失くしたのは、左手のクスリ指。そこは、目で見ることができる女のコの"幸せ"が象徴されている場所だ 。 その日から、もうすぐ十年になる。
色んなものを眺めると、色んな「物差し」をあてたくなる。自然と色んな基準で判断したり、色んな値踏みや値付けをしてみたくなる。けれども、ふとこの一節も思い出す。
…幸や不幸はもういいどちらにも等しく価値がある人生には明らかに意味がある
2007-12-03[n年前へ]
■「夕焼を描いた古典絵画」と「火山噴火」の研究とターナーの「戦艦テメレール号」
絵画に描かれた夕焼けの「赤み」と火山噴火の関係を研究したもの。「赤み」は絵画をスキャンした画像のRGBピクセル値から(R/G)と算出したという。「それどこのRGB?」という声が聞こえてきそうだけれど、この色々なものを繋げる遊び心がとても面白い。時の流れの中で起きたことを、絵画の中に見ようとする試みは何だか楽しい。
この研究を見て思い浮かべた絵画が、ターナーが描いた「解体のため錨泊地に向かう戦艦テメレール号」(1838)だ。帆船である船艦テメレール号を、ジェームズ・ワットの蒸気機関で動く蒸気船が曳いている。帆船は、解体地へいく途中である。古い時代の象徴である帆船が去り、蒸気船が新しい時代を牽引している。船艦テメレール号に目をやると、背景は夕焼けに見えてくる。帆船の時代が終わったことを感じさせる。また、蒸気船に目を向け、蒸気船を主役に見るとき、背景はまるで朝焼けのように見えてくる。産業革命を迎えた時代、新しく躍動する時代の幕開けを飾る絵のように、まるで見えてくる。
時代、経済や科学や文化や生活や火山の噴火や…色んな歴史を辿ってみると、そこにあるの既に過去完了形になった古いことだ。けれど、自分が知らないことだから、新鮮に感じる。