2000-03-11[n年前へ]
■Believe It or Not?
空を飛べるんだ
TOYSTORY2がまもなく上映される。カウボーイ人形のウッディを宇宙戦士バズらが救出に向かう話だ。カウボーイ人形のウッディはかつて、テレビ番組の人気スターだったという設定だという。
この設定を聞くと、ある話を思い出す。結構前のことになるが、「アメリカン・ヒーロー(TheGreatest American Hero)」というTVシリーズがあった。簡単に言えば、「スーパーマンのバッタもん」である。しかし、私は大好きだったのだ。一介の高校教師ラルフがUFOからスーパースーツを与えられて、活躍?するという話だ。
その中の一話に、かつて「かつてテレビ番組の人気役だった老俳優」とともにラルフが活躍する話があった。人気役というのはLoneRangerか何かだったと思う。あるいは、違ったかもしれないがとにかく、西部劇の正義の味方役だった。カウボーイ人形のウッディみたいなものだった。もっとも、もう記憶も定かでないので、確かではない。その中で、ラルフが老俳優に"Youare the greatest American Hero."というセリフがあって、笑えるような、ホロリとするような、好きなセリフだった。
そういえば、宇宙戦士バズをカウボーイ人形のウッディが救ったToy Storyでは、ウッディは"Youcan Fly!"というセリフを繰り返し叫んでいた。それに、最後には"I can fly!"というセリフもあった筈だ。これもとっても良い感じだ。「アメリカン・ヒーロー」でもJoeyScarburyが歌っていた主題歌"Believe It or Not?"は同じような感じで素敵だった。
信じるかい? それとも信じないかい? だけど、ぼくは空を飛べるんだ。
2000-04-16[n年前へ]
■透け透け水着の物理学 第二回
水着の生地を手に入れろ
「透け透け水着の物理学」である。前回、
で「透け透け水着」を調べるための「波長別透過計測システム」を作ってみた。予算は総額4000円である。私からすれば、「透け透け水着」は予算をかけた大プロジェクトであると言っても良い。となれば、次は色々な水着の生地における「透け透け度」を調べたくなるわけであるが、その実験がなかなかできなかった。忙しかったせいもあるが、大きな理由は、
- 手頃な水着の生地が手に入らないので、実験ができない (材料の問題)
私の持っている水着はトランクスタイプで生地もかなり厚い。これでは、「透け透け」であるわけがない(それに、透け透けでは私も困るし、世間も困るだろう)。きっと、競泳用のビキニタイプのものであれば、薄い生地が使われているのであろう。しかし、私はビキニタイプの水着など持っていない。まして、レオタードなど持っているわけがない。
もちろん、他の人に借りるという手もないわけではない。しかし、相手が男であれ、女であれ、
「君の水着を少しばかり貸してくれたまえ。」と言うのは少々危険である。誤解される恐れがなきにしあらずだ。もちろん、実験に協力してくれる方がいらっしゃるならば、私のところまで「透け透け水着」を送っていただけるとありがたい。そういう方がもしいらっしゃれば、メールを頂ければ幸いである。とは一応書いてはおくが、送ってくれる人などきっといないだろう。
「いや、変なことをするわけじゃないんだ。」
「ただ、透け透け度を調べてみたいだけだから、気にしないでくれたまえ。」
というわけで、なかなか実験をすることができないでいた。もちろん、水着と似てそうな生地を頭の上では探してはいた。しかし、「服の生地」という観点から離れられないでいた。そのため、手近なところでは見つからないでいたのだ。結局、
- 服の生地を手に入れなければ、実験ができないだろう
しかし、数日前、怪しさ抜群の職場のK藤氏が私に囁いたのである。舞台は、夜の会議室だ。
K藤氏 「いやァ、hirabayashi君。透け透け水着の話なんだけどねェ。」なるほど、確かに雨傘の生地と水着の生地はよく似ている。水を防ぎ、風を防ぎ、ファッションを重視するのも全く同じだ。気づかなかった。気づかなかったのが恥ずかしい位である。もう、最後のK藤氏の
K藤氏 「ボクもやったことがあるんだけど、結構透ける生地ってあるんだよねェ」
私 「えっ、材料は何を使われました?」
K藤氏 「雨傘の布だよ、hirabayashi君。」
「雨傘の布だよ、hirabayashi君。」というセリフなどは、まるでシャーロック・ホームズの
「自明だよ。ワトソン君。」というセリフのようだ。むちゃくちゃ格好良すぎである。
しかし、よく考えてみると、何やら変なシャーロック・ホームズである。何故、シャーロック・ホームズが「透け透け水着の物理学」を探求するのだ?(人のことは言えないが…)
私 「ちなみに、K藤さん、どこでその実験をされました?」なるほど、想像するだけでスゴイものがある。色々な意味でスゴイ人だ。拳法の使い手でもあり、実は火星人だというウワサもある位のスゴい人である。いや、もしかしたらヒトですらないかもしれない。
K藤氏 「夜、部屋でね。一人でカメラを片手にね。ひッひッひッ。」(誇張無し)
そしてまた、この二人の会話に「何故、どんなことをするのか?」という疑問がないのが不思議と言えば、不思議である。そういったことは二人とも、不思議に思っていないようなのだ。
それは、さておき、私もK藤氏のように、雨傘の生地を使ってみたいと思う。その雨傘の生地の赤外線の透過率を確認してみたいと思うのだ。傘なら家にはたくさんある。何しろ、私は傘を持って外出することがない。雨が降ったら、外出先で傘を買うのだ。だから、家には傘が何本もある。
それでは実験を始めてみる。下の写真が家にあった傘である。どれも外出先で買ったものだ。
そして、前回使ったCCDボードであるが、元々は赤外光投光部が付いていた。前回はその部分をあえて使用しなかったのであるが、今回はそれを使用してみたいと思う。
それでは、このCCDボードを用いて赤外光を照射しながら撮影したものと、普通のCCDカメラで撮影したものでどの位「透け透け度」が違うものかを見てみたい。下に示す写真は左が普通のCCDカメラで撮影したものであり、右が今回のCCDボードを使って撮影したものである。雨傘の生地の向こうにある冊子(JAFMATE)の表紙の透け具合を見てもらいたい。
白、桃、藍色の傘の生地は元々透け気味である。だから、普通のCCDカメラでも少し表紙が透けて見えた。しかし、緑色のものなどは普通のCCDカメラや人間の眼ではほとんど透けては見えない。しかし、赤外CCDカメラでは「透け透け」であった。また、茶色のものなども「透け透け度」が高かった。
もし、こんな生地で出来ている水着を着ている人がいるのであれば、これはもう「裸の王様状態」である(赤外線に感度を持つ眼の生物からすれば)。パラダイスとしか言いようがない。いや、そんなことはないか。
さて、「透け透け度」と色の相関は、色の波長を考えると、ある意味当然だろう。しかし、具体的な話は次回にしたい。生地の波長別の透過率を調べてから、ということにしておく。本来ならば、まずは先にそれをやらなければならない。白色光を用意して、雨傘の生地の波長別の透過率を調べなければならないところだ。
しかし、今回はそれができなかった。何故なら、基準光としての白色光、いつも使用している太陽が今日は出ていないからである。平日の昼間は実験ができない。しかし、週末の昼間にもやはり実験はなかなかできない。というわけで、いつか天気が良くて暇な週末が来たら、必ず「雨傘の生地の波長別の透過率」、言い換えれば、「色んな生地の透け透け度」を調べてみたい。
言うまでもないが、今回もまた「やましい気持ち」で動いているわけでない。私はただ「透け透け水着」に対する純真な好奇心(いや、科学的探求心と言い換えておこう)で動いているのみである。これから、夏に向けて「透け透け水着の物理学」はまだまだ進んでいく予定である。そして、水着を買う際の参考にして頂くことを切に切に望むのみである。
2000-05-14[n年前へ]
■恋する心を見てみたい
恋のきっかけはどの出来事?
まずは、簡単な背景から... 今回の話は
を元に大幅に書き直したものである。少し思うところがあって書き直した結果、まったく別物になってしまった。そこで、ここに登場する次第である。以前の話の場合は、「恋のインパルス応答」という言葉を思いついて、最後におまけのように書いてみたわけであるが、今回はそれをメインに書き直してみたのである。A子:「あのさ、アイツほんと酷い男よ。」
A子:「なんで、あんな男好きになったの?」
B子:「そんなこと言われても、私にだって判るわけないじゃない。」
TVドラマを見ていると、時々こんな会話が流れる。登場人物は二人の女の人、舞台はバーのカウンターや旅先や、とにかく日本全国津々浦々である。そして、話をしている雰囲気は真剣そのものである。きっと、B子は悪い男を好きなっていて苦労しているのだろう。そして、きっとB子の親友であるA子が、悪い男に騙されている「恋する心」で一杯のB子を諭しているところなのだろう。
本当のところ、こんな会話が巷に溢れているのかどうか、私は知らない。そりゃそうだろう。私は男であって、女の人が二人というシチュエーションは全然立ち会える筈がない。じゃあ、同じような会話を私ができるかというと、それもやはりできないのだ。論より証拠、もし私がそんなことを言ったらどうなるだろうか?
私:「あのさ、アイツほんと酷い男だよ。」これは相手が女の人だからで、男なら大丈夫だろう、と言われるかもしれない。しかし、そっちの方が実は質が悪い。
私:「なんで、あんな男好きになったの?」
B子:「そんなこと、何でアンタに言われなきゃならないの?。」
私:「いや、ちょっと…」
私:「あのさ、アイツほんと酷い女だよ。」これはとても危険な会話であることが判るだろう。この後は修羅場が待っているハズだ。あるいは、私は道端に倒れていることになるかもしれない。「小さな親切、大きなお世話」である。根本の原因は私の人間性にあるような気もするのだが、そこは今回は考えないでおきたい。
B男:「なんで、オマエがそんなこと知ってんねん?」
私:「いや、ちょっと…」
さて、最初のB子のセリフ「そんなこと言われても、私にだって判るわけないじゃない。」という会話の真偽はともかく、恋する本人にも恋のきっかけというのは不思議なものなのだろう。そして、本人以外にとっても「恋する心」の揺れ動く様子というものはとても興味深いものだ。
そこで今回は、色々な「出来事・きっかけ」が「恋する心」を変化させていく様子を調べてみることにした。今回の登場人物は、
- A子 : 「瞬間」的に燃え上がるタイプの女の人
- B子 : 「ゆっくり」燃えるタイプの女の人
- C男 : いつも、とっても良い男
- D男 : ほとんどの場合、悪い男
次のグラフは
- 横軸 = 時間軸 左から右へ時間は進んでいるとしておく
- 縦軸 = 「恋する心」の大きさ
「瞬間」タイプの女の人A子の場合、その出来事の前後には「恋する心」が瞬間的に盛り上がる。しかし、それほど持続するわけではないのだ。燃えやすく、忘れっぽいタイプである。芸能人で言うと松田聖子あたりがこの例に当てはまるだろう。
それに対して、「ゆっくり」タイプの女の人であるB子の場合には、「恋の炎」がずいぶんとゆっくり燃え出している。また、「恋する心」の広がりが広い分だけ、「恋する心」の最大値も低くなっている。芸能人で言うと誰になるだあろうか?私にはちょっと思いつかない。
それでは、この 「瞬間」タイプのA子と「ゆっくり」タイプのB子が、いつもとっても良い男であるC男に恋をした場合を考えてみる。まずは、優しいC男は色々なことをするのだ。それが、「恋のきっかけ」となる。
時間が左から右へ進んでいくわけであるが、その間にC男は色々なことをするのである。洋服を誉めたり、体を気遣ったり、バックをプレゼントしたり、何ともマメな男である。
また、ここでは「洋服のセンスを誉めたり」、「体を気遣ったり」するという「出来事」よりも、「欲しかったバックをくれた」という「出来事」の方がポイントが高い。ずいぶんと、「即物的」な場合にしてしまった。これなどは、適当にそうしただけで、「私は精神的なポイントの方が高い」という人の方がもちろん私は大好きである。
それでは、これらの色々な「出来事」が起きる時のA子とB子の「恋する心」の変化はどうなるだろうか?先ほど、ある一つの「出来事」に対する「恋する心」の応答を、「恋のインパルス応答」と呼ぶ、と書いた。ある一つの「出来事」によって「恋する心」がどうなるかは、「恋のインパルス応答」を見れば判るわけだ。だったら、色々な出来事が起きた数の分だけ、「恋のインパルス応答」を足し合わせてやれば良いわけだ。この「色々な出来事が起きた数の分だけ、- 恋のインパルス応答 - を足し合わせてやる」という作業を、恋の信号処理では「畳み込み」と呼ぶ。結局、
色々な「出来事・きっかけ」と「恋のインパルス応答」の畳み込み= 「恋する心」という「恋する心」の信号処理が可能なのである。
早速、A子とB子の「恋のインパルス応答」を用いて、先の色々な「出来事・きっかけ」に対する「恋する心」を計算してみた。それが、下のグラフである。黒字がA子、赤字がB子の「恋する心」である。
「瞬間」タイプのA子の場合、ホントに燃え上がるのが早い。C男が洋服のセンスを誉めてくれただけで、もう結構「恋する心」が盛り上がっている。「ビビッ」と恋をして結婚をしてしまいそうなタイプだ。その代わり、一瞬でその「恋する心」が消えているところが怖い。あっという間に離婚をしそうなタイプでもある。
「ゆっくり」タイプのB子の場合は、洋服のセンスを誉められた位では「恋する心」は盛り上がっていない。もちろん、C男に対して良い印象は持ち続けているようだが、恋というほどでもない。
その代わり、A子のように欲しかったバックを貰っても、しばらくすると「恋する心」はすぐに冷める、というようなことはない。C男にとっては、「恋人」になるまでは大変であるが、その後は落ち着いた恋人生活を過ごせそうな相手である。私はC男にはA子よりも、B子の方が相応しいと思うのだが、どうだろうか?(しかし、次回C男には哀しい現実が待ち受けるのであるが...)
さて、このページも少し長くなってきた。そこで、この後は次回に続くことにする。今回、まだ登場していない
- D男 : ほとんどの場合、悪い男
A子:「あのさ、アイツほんと酷い男よ。」という冒頭の会話のような、女の人たちがなぜ数多くいるか(少なくともTVドラマの中では)を明らかにしてみたい。そして、優しいC男の悲しい恋の行方を描いていきたいと思うのである。
A子:「なんで、あんな男好きになったの?」
B子:「そんなこと言われても、私にだって判るわけないじゃない。」
ところで、「辛(つらい)」と「幸(幸せ)」という漢字は互いによく似ている。時々、どっちが「幸せ」だったっけ?と判らなくなりそうになるくらいだ。次回、「恋の印象の平均化効果」というものを武器に、「辛(つらい)」が「幸(幸せ)」にすりかわる様子を見てみることにしたい。「辛(つらい)」が「幸(幸せ)」は紙一重なのだ。「辛(つらい)」は「幸(幸せ)」で、「幸(幸せ)」は「辛(つらい)」なのである。
2000-05-17[n年前へ]
■恋の形を見た人は
恋の相対性理論
さて、前回
では、三人の登場人物A子 : 「瞬間」的に燃え上がるタイプの女の人達の間で繰りひろげられる色々な「出来事・きっかけ」と、それにより発生する「恋する心」を「恋のインパルス応答」を用いて計算してみた。その結果、C男とB子がカップルになれば「ほのぼの」とした幸せな生活をしそうだ、というところまで考察した。
B子 : 「ゆっくり」燃えるタイプの女の人
C男 : いつも、とっても良い男
今回は、その三人に加えて
- D男 : ほとんどの場合、悪い男
さて、今回登場する「D男 = ほとんどの場合、悪い男」はかなり酷い男である。D男がA子とB子に対して何をしたか時系列を追ってみてみることにしよう。
- お金をせびり、
- 浮気をするし、
- それを追求すると殴る蹴るの暴行を働き、
- せっせと貯めたヘソクリを奪いパチンコに行ってしまう、
それに対して、前回のC男は次のグラフのように悪いことは何一つしない良い男だ。
悪いことは何一つしない。良いことばかりをしてくれるのである。何とも良い人である。普通に考えれば、女の人の「ハート」はC男ががっちり掴み、D男は警察官にでもがっちり掴まれているのが当然であろう。掴まれたが最後、シャバには二度と出てきてこないで欲しい位である。しかし、そう単純な話ではないのだ。
人の感覚には「順応」というものがある。簡単に言えば「慣れ」である。ひどいことしかしない男と普段接していると、それが当たり前に思えてしまうのである。相対化してしまうのだ。普段のD男に対する印象が「当たり前」に思えてしまうのである。
さて、その「恋する心」の「順応」を計算するにはどうしたら良いだろうか?そう、普段の印象を基準にすれば良いのだ。普段の印象、すなわち「印象の平均値」を「恋する心」から引けば良いのである。例えば、A子のC男に対する「恋する心」を計算してみることにする。次のグラフで黒字が「色々な出来事」と「恋のインパルス応答」の畳み込みであり、本来のあるべき「恋する心」である。そして、緑字が環境順応後、すなわち、本来のあるべき「恋する心」から「印象の平均値」を引いた「恋する心」である。
この図で、環境順応後の「恋する心」が本来の「恋する心」よりいい印象であることがわかると思う。何故かというと、環境に順応するということは普段の印象が当たり前の状態と思ってしまうことである。普段「悪い」男を相手にする場合は、「悪い」のが当たり前だと思ってしまうのである。数学的には、「悪い」のを引くのであるから、「マイナスを引くとプラスになる」のと同じである。それを式で表してみると、
環境順応後の「恋する心」 = 本来の「恋する心」 - 普段の態度
なのであるから、普段の行動が極めて悪いD男の場合は
環境順応後の「恋する心」 = 本来の「恋する心」 - ( 悪い印象)ここで「悪い印象」が「良い印象」の反対であることから、( 悪い印象 ) =( -良い印象 )とおくと、
環境順応後の「恋する心」 = 本来の「恋する心」 - ( -良い印象)であるから、
環境順応後の「恋する心」 = 本来の「恋する心」 + ( 良い印象)となる。なんと、「悪い印象」が「良い印象」にすり替わるのである。恐るべし、「環境順応」である。スイカに塩をかけると、ショッパイどころか逆に甘く感じられるのと同じく、ひどいD男がちょっとでも良いことをすると、「ものすごく良いこと」に感じられてしまうのである。前回、
「恋の印象の平均化効果」というものを武器に、「辛(つらい)」が「幸(幸せ)」にすりかわる様子を見てみることにしたい。「辛(つらい)」が「幸(幸せ)」は紙一重なのだ。「辛(つらい)」は「幸(幸せ)」で、「幸(幸せ)」は「辛(つらい)」なのである。と書いたが、これがそうだ。普段の「辛(つらい)」を引くと、マイナスをマイナスすることでプラスに変わり、「辛(つらい)」が「幸(幸せ)」にすりかわるのである。
そして、普段悪いことをしないC男の場合はこれとまったく逆に、普段の良い印象を引いてしまうが故に、環境順応後の「恋する心」には「悪い印象」が加わってしまうのである。「普段良い男」が少しでも悪いことをすると、散々に悪く言われてしまうのと同じである。
さて、こういった環境順応した状態での、A子のC男に対する「恋する心」とD男に対する「恋する心」を眺めてみることにしよう。次のグラフは黒字がA子のC男に対する「恋する心」を示し、緑字がA子のD男に対する「恋する心」を示している。
なんと、A子は普段悪いD男の方に強い「恋する心」を感じてしまうのである。「おいおい、それでいいのか?」、と言いたくなるような状況である。「オマエはマゾか!?」と、つい言ってしまいそうである。
まぁ、じっくり物を考えないA子はおておいて、それではB子はどうだろうか?きっと、C男と上手くいくだろうB子はどうだろうか?もちろん、「人の良い」C男を選んでくれるだろう。というわけで、次のグラフが、A子とB子のD男に対する「恋する心」を比較したものである。緑字がA子のD男に対する「恋する心」を示し、黒字がB子のそれを示している。
何ということだろう。こともあろうに、B子もD男に恋をしてしまうのだ。哀しいかな、C男は失恋してしまうのである。しかも、こtもあろうにD男にである。なんということだ!もちろん、D男がB子にひどいことをした時、すなわち「B子のD男に対する恋する心」が低下した時にA子とD男が別れるという可能性もある。しかし、残念ながらB子は「ゆっくり」タイプなのである。A子と違って、「すごく恋が冷める瞬間」がないのである。A子の場合はとっさのいきおいでD男と別れるという可能性もあるが、B子の場合はむしろD男にひっかかりやすいと言えるかもしれない。
このようにして、「普段は悪い男がたまに優しいことをすると、女の人はふと恋に落ちてしまう」という恐怖のストーリーがいたるところで発生するのである。
私の楽しみ「ちゃろん日記」の2000/03/09の「わしはダメだった」に、「印象の平均化定理」に関するしみじみとした一節があるので、そのまま引用してみたい。
「下僕(仮名)は、不幸な女がどぅやってできるか知っとるか?」「一般相対性理論」によれば、完全なる時空間の基準がない。それと全く同じように、絶対的な幸せの基準など存在しない。本人がそれでいいと言うなら、それでいいのかもしれない。強引を承知で言うならば、それが「恋の相対性理論」である。恋の座標軸は本人が決めるしかないのである。「・・・う?ん」「不幸な女は、フダンはとんでもない男がたま?にほんのすこしだけ見せる優しさが忘れられないコトにより生産される」「・・・・・・」「母ちゃんがそぅだった、こりからもそりは生産されるだろうしそんな女が絶えるコトはないだろう、でもそりでいいのカモ知れんの、本人がそりで幸せだったのなら」
さて、これまで、「できるかな?では何度も「恋のかたち」を何とか目に見える形にしようとしてきた。きっと、それはこれからも変わらないだろう。とりあえず今回の話は、私の好きな本橋馨子の「兼次おじ様シリーズ」の中のセリフを引用して、締めくくることにしたい。
「なぁ兼次、愛はどんな形をしているか知っているか?」
「見た事ないからわかりません。」
「そうだ、誰も見た者はないのに、誰もが当然のように形づけて受け入れている...」
「もし愛に優劣を決めるものがあればなんだろう?... たとえ、どんな形だろうと選ぶのはおまえ自身だよ。」
2000-07-29[n年前へ]
■The Spirit Level
Fair is foul, foul is fair.
この写真は九州阿蘇山の麓にある京大火山研究所を撮影したものだ。草で覆われただけの小高い丘の頂上に、この火山研究所の建物はまるで灯台のように建っている。それはあまりに広大な景色だったので、手元にあった小さなカメラではそのままでは全景を撮影できなかった。しかし、「その広大で、それでいて箱庭のような景色の一部分だけを切り出す」ということはしたくなかった。そこで、近くにあったカーブ・ミラーを通してその広大な景色を撮影してみた。カーブ・ミラーの凸面鏡で反射させることで、広角の撮影をしようとしたのだ。だけど、それはとてもぼやけたミラーをだったので、ねじ曲がってただのよく判らない写真になってしまった。だけど、それでもその景色の一部分を切り出すよりは良かったはずだと思っている。
この写真を撮影したのは、もう10年程前のことになる。その夏、私は二週間ほど中国・九州を旅行していた。それは普通の旅行ではなくて、観測のための旅行だった。GPSによる標高測定と水準測量による標高測定を同時に行うことで、ジオイド(重力の等ポテンシャル面のうち平均海面と一致するもの)の形状を調べようとする研究のための観測だった。といっても、私は単なる下働きだったから、何にも考えずただ昼は力仕事をして汗をかいて、夜は温泉に入ってビールを飲む、という何だかとても幸せな二週間だった。
GPSによる幾何的な標高測定に対して、水準測量による標高測定は各地点における水平面を基準として標高を逐次的に測っていく。ところで、そもそも標高とは鉛直方向に対する位置である。それなら、一体鉛直方向とは何だろうか?それは、水平面に対して垂直な方向としか言いようがない。水平面が定まれば、一意に決まるわけだ。それなら、それは確かなものかと言うと、それは違う。
何故なら、水平面自体が場所によって違うからだ。水平面というものは単純なものでは決してない。その周囲(または遠方)の質量の分布によっていともたやすく変わってしまう。重力場が変化するのだから、当然の話だ。水が重力に引っぱられて、重力の等ポテンシャル面を形成するのだから、質量分布によって重力場が変動すればその等ポテンシャル面である水平面は当然のごとく変動してしまう。
水平面・水準といったとても基本的な基準でさえ、地球の内部や外部の状態でよくわからなくなってしまう。それは、ものを伝える言葉だって同じことだ。そもそもの原動力や背景があってこその基準や言葉なのだから、中にどんなものを秘めているかで物事の基準自体が変わってしまう。人が見ているものだって、その背景できっとみんな違っていると思う。それらは実のところ、とてもあやふやなものなのだ。
だから、Fairなんてとても大切な言葉だって、人によってその意味するものは違うのだろう。例えば、今ここで"Fair"を例に出したのも、"Fairis foul, foul is fair."というマクベスの冒頭のセリフを知っていれば、「あぁ、そういうことか」とその意味するところを判るだろうし、その背景を知らなければ「何でそんなことをいきなり?」と感じるだけだろう。それだけのことだ。
ところで、水準測定を行う時の必需品が"Spirit Level"である。この"SpiritLevel"という言葉は、直訳した 「心・生命の高さ・水平」なんて意味では全然なくて、単なる「水準器」という意味だ。簡単に言ってしまえば、単に"Level"だ。"Spirit Level"もグラスの中のアルコールを傾けてみれば、その語源は想像がつくだろう。
確固とした基準になりそうな水準器でさえ、実はそんなに確かなものではないのだから、何かの確かなものがあるという思い込みこそ、実はとてもあやふやなものだろうと思うのだ。