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2006-10-23[n年前へ]

「食べたものを淡々と記録するよ」 

食べたものを淡々と記録するよリクナビNEXT/リクルートの転職サイト ちょうど2年前、こんな記事を書いた。『「食べたものを淡々と記録するよ」というWEBログがある。その名のとおり、毎日食べたものを、ただ淡々とデジカメ写真を使って記録(ログ)しているだけである。書き手は20歳の学生さんで、「おにぎり・ラーメン・カレー」が多い典型的な若者の食生活を続けていた。…ところが、10月23日の夕飯「ぶどうぱんとウィンナー」以降、彼の食べるものは一変する。その日の午後6時頃に新潟県中越地震が起き、そして彼は新潟県長岡市に住んでいたからだ。同じ「おにぎりやラーメン」を食べていても、それ以前のものとはずいぶんと違っていて大変さが伝わってくる。 …それでも、彼は食べたものを淡々と記録する。そして彼の毎日は続く。』

2006年10月7日、結婚しました。以上を持ちまして記録を終わります。
 その「食べたものを淡々と記録するよ」が終わった。けれど、もちろん、彼の毎日はこれからも続く。
最後に一言、ごちそうさまでした!

2006-11-13[n年前へ]

折田先生像が展示中 

(ゴルゴ13・すっぱまん・ナウシカ…とさまざまな姿で私たちを魅了した折田先生像が、「一中・三高・京大−2人が学んだ学校」展で展示されている。
京都新聞電子版inside out (hirax.net)リクナビNEXT/リクルートの転職サイト

2007-09-15[n年前へ]

「線路」と「人生の方程式」 

 朝早くは晴れていたけれど、10時を過ぎる頃には雨と霧で包まれる。高原特有の、白い霧が風に早く運ばれていく。

√a = 18 旅路(ルート)の中では、人はいつも18(age)である。
 青春18切符をポケットに入れて、京都と東京の間を11時間かけてよく移動した。
河から海へ船が出て行く。後ろの港には船が帰っていく。風の流れがそのまま波を動かして、その波の上に立っている人たちがいる。風が吹くともっと潮の匂いが強くなる。
 安いPCでグリッド・システムを組むと、どうしても巨大なハードディスク領域ができあがる。そんな領域を有効活用しようと思うと、Gmailみたいなものになるのだろうか、と昔考えた。
 この方程式で使われている"="は、いわゆる等号"=="ではなく、代入の"="かもしれません。
 "=="が"="に変化した途端に、「人生の方程式」が「人生の定義式」に変わる。自らは決め得ない未知数を条件に応じて解くという行為が、能動的に何かを決めていくということに変わる。
 素直に言い換えれば、「旅路(Route)の中では、人は誰でも18(Age)になる」というコピー文そのままに変身します。さらに言い換えるなら、「すべての人を18歳の頃に戻す」ものが「旅路(Route)」なんだと、声高らかに宣言する力強い定義式なのかもしれません。
 荒木経惟が撮る青春18切符が好きだった。あるビルの回転ドアを出るとき、その回転ドアの対角線上には、ビルへ入っていく荒木経惟がいた。
 自分や他人のつまらない考えに沿った「道(Route)」の上を走り続けるのも、なんだかつまらなく感じられることがあります。そんな時には、そんなルートを外して色んなものを眺めてみるのも、少しだけは、良いのかもしれません。 
 "=="が"="に変化した時、 if 文で使われる「こんな場合には」という等号が、定義という意志と行動に変わる。
「決められたレール」は無いほうがいい。  1995年 「青春18切符」冬

2007-11-24[n年前へ]

オン・レイルズ(廃線) 

 ランニングをしている時、信号待ちをしていると、足下の変な金属が気になった。錆びた黒い金属が長く伸びている。その長く延びる金属の上を歩いていく老夫婦を眺めると、まるでレイル(線路)の上を歩いているように見える。さらによく眺めてみると、老夫婦が歩く道の先に、さらに「レイル」が延びているように見える。

 これは一体なんだろう?と思い調べてみると、その物体は本当に鉄道の「レイル」だった。昭和49年まで使われていたという旧国鉄の蛇松線が、こうして沼津駅から沼津港までの街の中に残っていたのだった。街の中に廃線が残っていて、人がその廃線上を、気づかぬうちに歩いていたりする風景は、映画を写すカメラの中の景色のようで、少し幻想的で綺麗だ。

蛇松線蛇松線蛇松線蛇松線蛇松線沼津港貨物線(蛇松線)その1旧国鉄 蛇松線(沼津港線) その1






2007-12-26[n年前へ]

我入道 

 いつも生活している街並みから、ぽっかり浮かんで不思議にズレているような場所がある。 毎日歩く道先にあるはずなのに、普段はなぜか辿り着けない。 けれど、何かのタイミングが合ったときに、自然とそういった場所に辿り着いてしまうのである。

 そんな場所の一つが、我入道にある大山巌の別荘跡だ。 我入道海岸の端に海に面して急峻な小山がある。 牛が伏せているように見えることから名付けられた、牛臥山の中央海沿いに大山巌の別荘はあった。 牛臥山の隅を切り通して別荘跡に行く道は封鎖されているため、そこにたどり着くためには海側から行くことしかできない。 かといって、牛臥山の海側斜面も断崖絶壁が続いているから、海沿いを歩いていくこともできない。少なくとも、普段は、そこは岩を波が洗っているような場所だから海沿いを歩いていくのは不可能だ。

 しかし、干潮時に牛臥山の崖下に行くと、その岸壁の足下に浜が現れる。 そして、岸壁と波の間にある狭い浜辺道を進んでいくと、別荘跡にまで歩いていくことができるようになる。 大山巌たちが海を眺めた別荘跡、彼らが歩いた石垣や階段跡を散策することができる。 三方を急峻な山に囲まれ、残りは海が広がり、そして現在は誰もいない場所は不思議な空間そのものだ。

 潮が満ちてくると街に戻れなくなってしまうから、そんな陸の孤島を散策することができる時間は、それほど長くはない。 潮が満ちてくる時間には、みるみる間に波が高くなってくる。そして、岸壁と波の間にある狭い浜辺が消えていく速度はとても速い。 いつも生活している街と不思議な空間を繋ぐ道があっという間に消えていくのも、何だか「らしい」感じだ。

 我入道という地名は、船に乗った日蓮上人が「ここが我が入る道である」と言って上陸したことに由来する、という。 日蓮上人と違う私たちは、自分たちが進む道を簡単に決めることなどできない。 考えて時に迷い、時には何も考えずに、ただ歩く。 そして、そのルートが「自分が歩いた道」「我入道」になっていくだけのように思う。 我入道の先にある別荘跡まで、偶然繋がる浜道の景色を思い出しながら、ふとそんなことを考える。


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