2007-12-26[n年前へ]
■我入道
いつも生活している街並みから、ぽっかり浮かんで不思議にズレているような場所がある。 毎日歩く道先にあるはずなのに、普段はなぜか辿り着けない。 けれど、何かのタイミングが合ったときに、自然とそういった場所に辿り着いてしまうのである。
そんな場所の一つが、我入道にある大山巌の別荘跡だ。 我入道海岸の端に海に面して急峻な小山がある。 牛が伏せているように見えることから名付けられた、牛臥山の中央海沿いに大山巌の別荘はあった。 牛臥山の隅を切り通して別荘跡に行く道は封鎖されているため、そこにたどり着くためには海側から行くことしかできない。 かといって、牛臥山の海側斜面も断崖絶壁が続いているから、海沿いを歩いていくこともできない。少なくとも、普段は、そこは岩を波が洗っているような場所だから海沿いを歩いていくのは不可能だ。
しかし、干潮時に牛臥山の崖下に行くと、その岸壁の足下に浜が現れる。 そして、岸壁と波の間にある狭い浜辺道を進んでいくと、別荘跡にまで歩いていくことができるようになる。 大山巌たちが海を眺めた別荘跡、彼らが歩いた石垣や階段跡を散策することができる。 三方を急峻な山に囲まれ、残りは海が広がり、そして現在は誰もいない場所は不思議な空間そのものだ。
潮が満ちてくると街に戻れなくなってしまうから、そんな陸の孤島を散策することができる時間は、それほど長くはない。 潮が満ちてくる時間には、みるみる間に波が高くなってくる。そして、岸壁と波の間にある狭い浜辺が消えていく速度はとても速い。 いつも生活している街と不思議な空間を繋ぐ道があっという間に消えていくのも、何だか「らしい」感じだ。
我入道という地名は、船に乗った日蓮上人が「ここが我が入る道である」と言って上陸したことに由来する、という。 日蓮上人と違う私たちは、自分たちが進む道を簡単に決めることなどできない。 考えて時に迷い、時には何も考えずに、ただ歩く。 そして、そのルートが「自分が歩いた道」「我入道」になっていくだけのように思う。 我入道の先にある別荘跡まで、偶然繋がる浜道の景色を思い出しながら、ふとそんなことを考える。