2007-07-08[n年前へ]
■「分業・神の見えざる手」と「ワットの復水器・調速機」
『国富論』を書き"経済学の父"と称されるアダム・スミスは、蒸気機関を広めたことで有名なジェームズ・ワットと親しかったという。その影響もあってか、経済成長と技術革新、つまり、経済成長とイノベーションの繋がりを強調していた。
スミスは蒸気機関の改良で有名なジェームズ・ワットのお友達なんです。 だから、スミス自身は蒸気機関を使った産業革命・機械化の時代に先駆けた時代の人ですが、技術革新こそが経済成長の源泉だというような内容のことをものすごく強調しています。 栗田啓子ジェームズ・ワットというエンジニアと、哲学者であり経済学者であるアダム・スミスの間にとても深い親交があって、影響を受けあっていたというのは、興味深い。現代の私たちを取り巻いている技術革新が経済成長を生み出しているという事実を、そんな親交からスミスが見いだしたというのは、とても面白い。
そして、きっとそれだけではない、とも思う。
ジェームズ・ワットを「蒸気機関を発明した人」と捉えている人も多いだろう。しかし、ワットは決して蒸気機関の発明者ではない。ワットは、すでに存在していた蒸気機関の効率を飛躍的に向上させることで、経済的に引き合う蒸気機関を作り上げた、という存在である。すでにあった複数の技術を上手く組み合わせることで、蒸気機関を効率よく安定に動かすことを可能にし、産業革命を支えたのである。
産業革命の中で育ったワットは、…1757年にアダム・スミスのはからいで、グラスゴー大学構内で実験器具製造・修理店を開業した。 ここでニューコメン型蒸気機関と出会い、より効率のよい蒸気機関を造るつくるため、熱と力の関係を研究する。 Wikipedia 「ジェームズ・ワット」ワットが生み出した「経済的に引き合う蒸気機関」の重要なポイントは、少なくとも二つあるように見える。その一つは蒸気機関への復水器を導入であり、もう一つは、蒸気機関に調速機を採用したことだ。(続く)
2007-07-11[n年前へ]
■正義とJustice
from セブン・イレブンの今日のn年前へ.
「義」、確か中国語で、足りない物を補う、という意味じゃなかったかな。義手とか義足とか それから考えると、正義という意味は、正しい事が足りない状況に於いて、「正しさを注入して不均衡を均衡に戻す」って事じゃないですかね?
島本和彦のマンガで何人もの正義のヒーロー(ヒロイン)達が偶然出会い、「正義って何だ」と夜通し議論する話があった。 「オマエの-正義-は私怨じゃないのか」とか「オマエの正義は単なる俺ルール」だろう、とか。そして、最後にそれぞれの正義を持ちつつ、「いつかまたな」と別れていく話である。
だとするとやっぱり、正義とJusticeはちょっと意味合いが違うかな
2008-05-02[n年前へ]
■理科の教科書に出てくる「仕事」と「駅前で聴く音楽」
力積で考える「カミソリパンチ」と「ググゥーッと押し込む打撃」の「力積」は「力の大きさと力が働く時間を掛けあわせたもの」です。その一方、「力と変位を掛け合わせた(内積)もの」を、理科の教科書の中では「仕事」と呼びます。
中学か高校の頃、理科か物理の教科書の中で「仕事」という言葉が出てきたときに、何だかその言葉の感覚と教科書の中での定義がズレていて首を捻ったような覚えがあります。たとえば、Wikipedia に「仕事とは呼ばない例」として挙げられているようなこと
人が重い荷物を抱え・支えている状況では、荷物は静止していて、エネルギーは変わらない。つまり、この場合、人は荷物に対して仕事をしていない。を聞きながら、それは仕事でないのかぁ……!?と悩んだわけです。「重い荷物を抱え・支えている状況」はとてもしんどそうなのになぁ……と感じました。それは「仕事」ではないかもしれないけれど、筋肉がパンパンにつく肉体改造・大成長状態だろうに……と思ったのです。
私と同じように、理科の教科書を読みながら、頭の中に大きなハテナマークを浮かべた人はきっと多いと思います。
先日、「手作り三次元グラフ」と"Life Work"や「"複雑極まりない"複素平面」上に「仕事」と「趣味」を描くといったラクガキをしました。そのとき、”理科の教科書の中の「仕事」の説明を読みながら、頭に浮かんだハテナマーク”を思い出しました。
あのラクガキ中の「他人の満足」という軸は、「その人がどれだけ他の人を満足させたか・その人の力で他の人(の心を)どれだけ動かしたか」という、まるで理科の教科書に出てくる「仕事」なのかもしれない、と感じたのでした。
駅前で誰かが演奏している音楽を聴いて心が動かされたとき、「何だか心の中に豊かなエネルギーが入ってきたなぁ」と思ったりもします。それを、理科の教科書を思い出しながら言うならば、「あぁ誰かに仕事をされたんだなぁ」と感じたりするのです。
「力積」と「仕事」はイコールではありません。もしも、「自らを脅かし・揺るがし、新たな出会いや発見がある」としたら、それは「仕事」よりは、力積に近いものなのだろうか、と思っています。
2008-11-14[n年前へ]
■「色を変える"宝石"ガーネット」と「"変化"するMathematica」
「色を変える"宝石"ガーネット」の光吸収スペクトルを探すうちに、こんなページやこういったページに出会いました。こういうページを眺めていると、単純な色名では表現できない宝石の光吸収スペクトルを(数式処理プログラムの)Mathematicaで関数にして、さまざまな照明の中で、宝石が外に見せる色を計算するライブラリを作りたい、と思ったりします。
光吸収スペクトルは変わらなくても、照明光スペクトルや視覚スペクトルに依存して「見た感じ」が変わるようすをMathematicaで描いてみたいと思ったわけです。
そんなことを思いながら、もうすぐ公開される Mathematica の新バージョン、バージョン7を見ました。そのMathematicaが"変化"し続けるさまは、なぜか「色を変える"宝石"ガーネット」を連想させました。さまざまな機能が追加され、姿・見た目が大きく変わっているように見えても、少しその新たな装いを脱がしてみると、その下にはこれまで同じ「HEADで表現される構造が組み合わさったオブジェクト」が見えてきて、そこに色を変える宝石と同じさまを感じたのです。
色鮮やかに映える機能をとても魅力的に感じる人は、多いことでしょう。その一方で、特に変化するわけでもない内部の光吸収スペクトルや基本オブジェクト構造に不思議に心惹かれる人もいるように思います。「さまざまな機能を使って何かをしたい」と思う人もいれば、「基本構造を組み合わせて何かを作ってみたい」と思う人もいそうな気がします。
もちろん、その時の気分で「どっちが好き」かは変わることも多いかもしれません。このページを読む人は技術系の人が多いと思いますが、(この瞬間の)あなたなら「どちら」を好むのでしょう。どちらを選ぶのでしょうか?
2009-08-16[n年前へ]
■新しい出会いもまた楽しいけれど
「ニッポン放浪宿ガイド200―人生を変える旅、運命を変える宿 」から。
人が出てベットが空けば、そこに別の人が入居する。それがGH(ゲストハウス)の自然な流れだ。新しい出会いもまた楽しいけれど、もとの仲間たちとの生活は、二度と戻らない。
今度、今年(2009年)の春に発売された、「新・ニッポン放浪宿ガイド250 」も読んでみよう。
それと、他の安宿ガイドとかと違って、この本の宿紹介文には、作っている人の愛情を感じます。
Amazonブックレビューより