2007-07-11[n年前へ]
■正義とJustice
from セブン・イレブンの今日のn年前へ.
「義」、確か中国語で、足りない物を補う、という意味じゃなかったかな。義手とか義足とか それから考えると、正義という意味は、正しい事が足りない状況に於いて、「正しさを注入して不均衡を均衡に戻す」って事じゃないですかね?
島本和彦のマンガで何人もの正義のヒーロー(ヒロイン)達が偶然出会い、「正義って何だ」と夜通し議論する話があった。 「オマエの-正義-は私怨じゃないのか」とか「オマエの正義は単なる俺ルール」だろう、とか。そして、最後にそれぞれの正義を持ちつつ、「いつかまたな」と別れていく話である。
だとするとやっぱり、正義とJusticeはちょっと意味合いが違うかな
■正義と"Justice"とフィード・フォワード制御
正義がフィード・バック制御に似ているとするなら、"Justice"はフィード・フォワード制御に似ているように見える。
制御対象に対する正確な知識があり、外乱が存在しない場合は、制御=基準量となる操作量を計算し操作すれば、制御量と基準量を一致させることができる。 すなわち、フィードフォワード制御とは、制御量の現在値を用いず、操作量を決める制御である。 内山 章フィードフォワード・フィードバックと経営の関係http://www.posy.co.jp/3319-6uchiyama.pdf正義の女神ジャスティスは目隠しをして、右手に持った剣で人を切る。"Justice is Blind"と言われるように、目の前で起きている景色を直接見ることなく、「制御」という介入を行うのが"Justice"だ。何が起きるかを正確に知り、そんな状況を正す方法が存在して、その方法を少しの間違いもなく把握することができる、そして、その方法を確実に実現する。そんなフィード・フォワード制御と正義の女神ジャスティスは少し似ている。
けれど、…こんな考え方もできる。"Justice"の"just"は「ジャスト」のjust"だ。右手に剣を持つジャスティスは、左手には秤を持つ。その秤で釣り合いを調べ、そして右手に持った剣で、秤が釣り合う「ジャスト」を実現する。それは、フィードバック制御にも重なって見える。