2004-09-17[n年前へ]
■ルイス・キャロルが撮影したアリス・リデル
不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」の作者である数学者ルイス・キャロルが撮影したアリス・リデル。 from Weekly Teinou 蜂 Woman
2004-12-09[n年前へ]
■頭と性格と体力
寺田寅彦の「科学者とあたま」を読むと、やはり藤原正彦を思い出す。危険な曲がり角や○×を志す人の性格条件/プログラミングと体力というような話だが、このエッセイを読んだことがない人は一読してみるのも面白いかも。知らない人は少ないと思うが念のために書くと、数学者である藤原正彦は父が「銀嶺の人」を書いた新田次郎であり(気象庁勤務時代に富士山レーダー建設に携わり、プロジェクトX 第一回の主人公にもなっている)、母が「流れる星は生きている」を書いた藤原ていである。
2004-12-31[n年前へ]
■Now Printing 2004.
LIMG http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/409187701X/hiraxnet-22 n /diary_image/20041231143928s.jpg Title 「ぼくんち」LIMG http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4120004465/hiraxnet-22 n /diary_image/20041231144641s.jpg 「新 物理の散歩道」LIMG http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4812401275/hiraxnet-22 n /diary_image/20041231144917s.jpg 「自虐の詩(下)」
2005-02-21[n年前へ]
■アラン・ケイ「科学とは、新しいアイデアを学ぶためのもの」
「科学も同様で、私たちは子供を数学者や科学者や技術者にしようと思っているのではありません。私たちが子供がそうした考えを理解する手助けをしたいと思うのは、科学が、異なる思考方法やパワフルな思考方法を体現しているからです。
芸術とは、私たちが作るものすべてを指しますが、同時に技術を記述する方法でもあるんですよ。ギリシャ人は技術と芸術を同じ言葉で表して育み、数学はもともと科学の一部として始まりました。
特にギリシャでは、geometry(幾何学)という言葉は「地球の測量」を意味していました。科学は、物質世界で起きていることを考えるための言語として使われたのです。だから、子供たちが科学を学ぶことが大事なのです」というアラン・ケイのインタビュー。
ここに引用した部分は、単にきっかけに過ぎず、必読の文章だと思う。 from 「地球の測量」を経て、Dog yearの中で暮らしている人の日記
2005-04-23[n年前へ]
■「歩いて伝わっていくこと」 その1
過去の富士ゼロックスの広報誌GRAPHICATIONを読んでいると、阿部謹也が「歩く文化」をめぐって算額(全国一覧)のことを書いていた。
江戸時代には、算学者というか数学者も日本中を歩き回っていましたね。これは専門の学者ではなくて、アマチュアの数学好きな(道楽)人たちです。そして、各地の神社などに数式を書いた絵馬を奉納してゆく。…誰か解く者はいないかと。そして、絵馬に書かれた問題を解いて廻って腕を磨くわけです。阿部謹也 「歩く文化」をめぐって GRAPHICATION日本全国津々浦々、数学の道場破りをしていくとは。四国一周八十八札所巡りみたいに、算額八十八札所巡りみたいなものもあるのだろうか?
この後に書かれている「江戸時代の農書では、農民がやってはいけないとされていることとして、美田を買うこと・賭け事・酒を飲む、などの中に-算数に凝る-というのがある」という話も面白い。ということは、つまり算数をしたがる農民も多くいた、ということだろうか? 十字架を隠し持っていた隠れキリスタンのように、算数クイズを隠し持つ隠れ算数農民たちがいたのだろうか?【わしらも実はカネゴン】