hirax.net::Keywords::「満足」のブログ



2008-05-02[n年前へ]

理科の教科書に出てくる「仕事」と「駅前で聴く音楽」 

 力積で考える「カミソリパンチ」と「ググゥーッと押し込む打撃」の「力積」は「力の大きさと力が働く時間を掛けあわせたもの」です。その一方、「力と変位を掛け合わせた(内積)もの」を、理科の教科書の中では「仕事」と呼びます。


ちなみに、AがBに「仕事」をすると、AからBにエネルギーが移ります。

 中学か高校の頃、理科か物理の教科書の中で「仕事」という言葉が出てきたときに、何だかその言葉の感覚と教科書の中での定義がズレていて首を捻ったような覚えがあります。たとえば、Wikipedia に「仕事とは呼ばない例」として挙げられているようなこと

 人が重い荷物を抱え・支えている状況では、荷物は静止していて、エネルギーは変わらない。つまり、この場合、人は荷物に対して仕事をしていない。
を聞きながら、それは仕事でないのかぁ……!?と悩んだわけです。「重い荷物を抱え・支えている状況」はとてもしんどそうなのになぁ……と感じました。それは「仕事」ではないかもしれないけれど、筋肉がパンパンにつく肉体改造・大成長状態だろうに……と思ったのです。
 私と同じように、理科の教科書を読みながら、頭の中に大きなハテナマークを浮かべた人はきっと多いと思います。

 先日、「手作り三次元グラフ」と"Life Work"「"複雑極まりない"複素平面」上に「仕事」と「趣味」を描くといったラクガキをしました。そのとき、”理科の教科書の中の「仕事」の説明を読みながら、頭に浮かんだハテナマーク”を思い出しました。
 あのラクガキ中の「他人の満足」という軸は、「その人がどれだけ他の人を満足させたか・その人の力で他の人(の心を)どれだけ動かしたか」という、まるで理科の教科書に出てくる「仕事」なのかもしれない、と感じたのでした。

 駅前で誰かが演奏している音楽を聴いて心が動かされたとき、「何だか心の中に豊かなエネルギーが入ってきたなぁ」と思ったりもします。それを、理科の教科書を思い出しながら言うならば、「あぁ誰かに仕事をされたんだなぁ」と感じたりするのです。

 「力積」と「仕事」はイコールではありません。もしも、「自らを脅かし・揺るがし、新たな出会いや発見がある」としたら、それは「仕事」よりは、力積に近いものなのだろうか、と思っています。

2008-05-23[n年前へ]

『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』 

 「個性溢れる11人の経済学者の方々に話を聞く」という趣旨の本、『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』が発売されました。大竹文雄・玄田有史・友野典男・松原隆一郎・小島寛之・奥村宏・西村和雄・森永卓郎・中島隆信・栗田啓子・中村達也という、11人の経済に関わる方々が、ものわかりの悪い生徒に実に丁寧に教えてくれたこと、その内容が本になりました。

 本書には、一般の方々や経済学者の方々のアンケートから、「経済学者」「一般のひと」がそっくりだけれど、ほんの少しだけ違う姿が浮かび上がり、「豊かになるために必要なもの」をクラスタ分析した結果から、「希望とか自由とか愛」といった見えないものの繋がりを眺めたりすることができるオマケもついています。また、産業・科学や芸術・宗教といった歴史背景と、経済学の世界地図の上に時系列で並べた「歴史年表」もついています。

 豊かになるために、小島先生はたくさんのものを選び、(「若い頃は時間があるけれど金がなかった。今は時間だけが必要…つまりは年をとったということです」といった言葉とともに)大竹先生と友野先生は時間だけを必要とし、森永先生は「愛」だけを選びました……

 一般の方々や経済学者の方々へのアンケート結果、そこに記された言葉を眺めていると、不思議なほど私たち自身(そして私たちの分身のような経済学者の方々)の姿が見えてきます。そんな私たち自身の姿・私たち自身が望むことを眺めつつ、経済学者の先生方が話すこと読むのも、一興かと思います。

理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く!






2008-05-24[n年前へ]

続・『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』 

 クールビズ・ウォームビズの効果に関するシミュレーション記事の「原稿料の分け方」を飲み屋で話したことをきっかけとして、『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』は生まれました。

 私が授業を受けた11人の経済学者の先生たちには、2つの特徴があったように思います。1つは、ものごとを色々な方向から眺め一種冷めた考え方もする、ということでした。そして、もう1つは、多くの人と同じように、先生方の仕事への熱意は「素朴で単純な」暖かな気持から生まれているのかもしれない、と感じたことです。つまり、クールな頭とウォームな心が混じりあっていた、ということです。
  「はじめに」

 単行本にするにあたり、コラム(今気づきましたが、p.217のフローチャート中の「上がる」「下がる」が逆になっていました)や読んで欲しいと感じた本の「ブックガイド」を書き足しました。インタビューから少し時間を経てから書いたものですが、その分、少し漬かっていて味が深まっていると良いな、と願っています。

 何より大変で、なおかつ、何より一番新鮮だったのが「経済学者の先生方に行ったアンケートの集計作業」でした。「好きな経済学者とその理由」「分数もできないみんなの判断でも”正しい”ことが多いと思うか?」「豊かになるために必要なものは何ですか?」という3つの拙い設問に対して書かれた言葉は、本当にどれも新鮮に感じたのです。記事中で先生方が語った言葉をアンケートに書かれた言葉とともに読み直したい。改めてその言葉を聞き返したいと強く感じさせられました。

 「経済学の目的はみんなを幸せに豊かにすること」だといいます。それならば、「幸せ・豊かさ」とは一体何なのでしょうか。そんな「豊かさ」というものは、人が自分自身で見つけ出すしかないのかもしれません。そんな「豊かさ」は少し「孤独」と似ています。
 最終ページ 中村達也著「豊かさの孤独」に対する紹介文

『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』






2008-05-25[n年前へ]

続々・『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』 

 『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』を出す際に、200人の人たちに「あなたが豊か・幸せになるために必要なものは何ですか?」と尋ねてみました。右に走り書きしたような「自由」「お金」「食べもの」「時間」といった選択肢を並べ見せながら、その人が豊か・幸せになるために必要なもの、を尋ねてみたのです。

 そして、amazonで表示される「お勧め本」やはてなダイアリの「お勧めページ」を算出するのと同じように、つまりはその選択肢を選んだ人の重複度合いなどを計算し、クラスタ分析をした結果の樹形図が右のようになります。右の図ではA,B,C……などのように記号で書いたありますが、もちろん、本の中でもアルファベットが書いてあるわけではなく、「お金」「睡眠」「時間」といったものがクラスタ分析・表示されているわけです。つまりは、「クイズの答え」を知りたくなったら、本書を手にとりそのページを眺めてみて下さいね、ということになります。

 「貨幣とは鋳造された自由である」というのはドストエフスキーの言葉ですが、クラスタ分析の結果は、見事なまでに「お金」と「自由」の距離や、「愛」や「希望」の距離を算出しています。右の図のA,B,C,D,……といった記号が「一体どんな言葉」なのか予想をしてみて、そして回答編を書店で眺め・楽しんで頂けたら幸いです。

クラスタ分析結果選択肢






2008-05-31[n年前へ]

鴻上尚史の「仕事の分類」「恋愛関係の分類」 

 鴻上尚史のドン・キホーテのピアス(668)に、俳優やミュージシャンになろうとする子供を応援する親が増えてきたことに驚きつつ、「きっちりした仕事」「浮き草のような仕事」や「実業」や「虚業」といった区別に意味のない時代になっていて、「やりたい仕事」「やりたくない仕事」くらいの区別しかできなくなっているのかもしれない、ということが書いてあった。

 もっと厳密に言うと、「やりたいけどやれない仕事」と「やれるけどやりたくない仕事」と「やりたくないけどやらなきゃいけない仕事」ということかな。
 おっ、まるで、恋愛関係みたいだ。
 鴻上尚史 ドン・キホーテのピアス(668)
 「「手作り三次元グラフ」と"Life Work"」や「"複雑極まりない"複素平面」上に「仕事」と「趣味」を描く」で作った分類(黒色の横軸="他人の満足"という軸。あるいは、その"他人の満足"が形を変えた”お金”といったもの、青色の縦軸は"自分(本人)の欲求・満足"を示す軸、赤色の軸は"時間軸")に少し似ています。

 少し似てはいますが、鴻上尚史の分類には上のような分類とは決定的に違う・それはまさに決定的な軸がひとつ入っています。それは「やれるけれどやりたくない」と「やりたくないけどやらなきゃいけない」の間で迷い・決定するという「選択肢・意思」です。その選択や意思の軸が、鴻上尚史の分類では明確に描かれています。
 私が描いた三次元図では、もしも人がこの三次元中を移動していくように見る場合には、その人が(その人の仕事が)動く軌跡の過程の中にその選択肢が含まれているというわけです。

 俳優とかバンドマンどか、表現にかかわる仕事の多くは、「失業が前提」の職業になります。……「やりたくてやれる俳優の仕事」が来る日まで、「やれるけどやりたくない俳優の仕事」をするかどうか迷いながら、(「やれるけどやりたくない俳優の仕事」をするくらいなら、レストランのバイトなんかの)「やりたくないけどやらなきゃいけない他の仕事」で生き延びるのです。
 鴻上尚史 ドン・キホーテのピアス(668)
 ふと、私が描いた「自分の満足軸」と「他人の満足軸」が一致してしまったりすると、あるいは、その区別ができなくなってしまうと、「自分自身の満足」というものは得られない・見えなくなってしまうのかもしれない、と思う。
 この資本主義社会に生きている限り、商品とは、他人の欲望を具体化したものです。自分が作りたいだけでは、それは商品とはなりません。それが、他人が欲望するものとなって初めて商品となるのです。
   鴻上尚史「名セリフ!」文藝春秋社
 …問題がひとつだけあるとすると、優秀なセールスマンほど他人の欲望をまず一番に考え続ける結果、自分の欲望がわからなくなることです。いったい、自分は何がしたいのか、自分の人生の意味は何なのか、全くわからなくなるのです。
   鴻上尚史「名セリフ!」文藝春秋社



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