2003-03-30[n年前へ]
2003-06-17[n年前へ]
■アルキメデスのパンチラの式
「スカート円錐」の明るさを探れ
「スカート円錐」の明るさを探れ
以前、「ミニスカートの幾何学」として、女子高生の間などで流行っていたミニスカートの丈の短さの限界について考えてみたことがある。階段を上ろうとしているミニスカートを履いた女性(別に男性でも構わないが…)の下着が見えてしまうかあるいは見えないのかを、女性達が履くミニスカートの丈の長さから考察をしてみたのであった。その「ミニスカートの幾何学」の考察をした結果、ミニスカートの丈がちょうど32cmの時に、ミニスカートで下着が隠されはじめる境界線がちょうど階段と平行になる、ということが判ったのである。そして「下着が隠されはじめる境界線がちょうど階段と平行になる」結果、ミニスカートの丈が32cmより短いと下着が階段下を上る人達から見えてしまうようになり、逆にミニスカートが32cm以上の丈であればスカートの中の下着はなんと幸か不幸か見えることはないのだ、ということが判ったのである。ミニスカートをはいた女子高生が急な駅の階段なんかを上るときでも、ミニスカートの丈が32cm以上であれば、パンチラの恐怖に怯える必要はないということが判ったのであった。
ところで、ミニスカートの中が見えてしまいそうになる場所というのは、必ずしも急な階段だけではないらしい。最近の東京の有名スポットなどでは、「吹き抜け構造の建物内で階下から階上を見上げられる場所」や「建物内外の渡り廊下を見上げられる場所」なんかがたくさんあったりするというのである。そして、そんな場所では、真上にいる「スカートを履いた女性」を急角度で仰ぎ見ることができて、スカートの中の下着がチラリと見えてしまうことがあるというのである。
しかし、である。角度的にスカートの中の下着が見えるからといって、果たして本当に下着が見えるものなのだろうか?角度的には見えるはずでも、実際には人間の目には見えないことだってあるのではないだろうか。なぜなら、スカートが「私たちの視線から下着が見えるのを遮っている」のと同じように、スカートは「照明の光が下着にあたるのをも遮っている」のである。スカートの中というのはスカートに光が遮られて(たぶん)かなり暗いハズなのである。いや、実際に覗いてみた経験があるわけでは決してないので自信を持って「ハズ」と断言することはできないのだけれど、スカートの中が明るいわけはないと思うのである。もし、スカートの中が明るくなければ、仮にその中身を覗くことはできても結局暗くて何も見えないわけで、「スカートの中が(見えるくらいに)十分に明るいかどうか」が肝心だと思うのである。そこで、今回は「下着が角度的に見通せる条件」ではなくて、「スカートの中の下着が十分明るく見える条件」を考えてみたい。
まずは、スカートをはいた女性を下の図のように簡単に示してみよう。スカートを下向きに開いた円錐として考えてみる。もちろん、スカートの中の下着はこの円錐の頂点に位置するわけだ。そして、スカートが広がる角度をΘとでもしてみることにしよう。その時、円錐の頂点にはどれだけの光が当たるものだろうか?
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もちろん、円錐状のスカートが上からの光は遮っているわけだから、スカートの中の下着を照らす光というのは、下の床からの反射光だけである。つまりは、上の図で、「色を付けた部分の床」からの反射光のみが下着にまでたどり着き、それ以外の床からの反射光はスカートに遮られて、スカートの中を照らすことはない。ということは、「スカートの中はどれくらい明るいか?」という疑問を考えることは、それは「色を付けた部分の床からスカートの中の下着にまでたどり着く光がどれだけあるか?」ということを考えることと同じなのである。
そしてまた、床上での光の反射に方向性が無く、光が完全に等方的に周囲に拡散するとするならば、円錐の中心(つまりはスカートの中の下着部分だ)にあたる光の量は、下の左図の色を付けた部分球の面積に比例する。つまり、「スカートの中の明るさ」は「スカートの広がり角」で決められる「部分球」の面積に比例するのである。
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つまり、角度Θで広がるスカートの中が「どれくらい明るいか?」という疑問は、「下図で色を付けた部分球の面積はどのくらいか?」という問題に変わるわけである。「半球全体の面積に対して、スカートの広がりで決められる部分球の面積はどのくらいの割合か?」ということの答えが、それすなわち「スカートの中の明るさ」を決めているのである。
ところで、アルキメデスが発見したように、球(もしくはその一部)の面積はその球に外接する円筒の面積に等しい。つまり、上の図の左で色を付けた部分の面積というのは、右に示したような(色を付けた)円筒の面積に等しいわけだ。ということは、右の円筒部分の面積は
円筒の面積 = 2 π (1-cosΘ)であって、左の半球の面積が(直径=1とすると)2πだから、円錐状のスカートの中の明るさは、スカートの広がる角度をΘとするならば、「スカートの中の明るさ」は
という実に簡単な式で表されることになる。アルキメデスも、まさか自分の球と円筒の表面積に関する発見が「スカートの中の明るさを示す式(ここでは仮に『パンチラの式』とでも呼ぶことにする)」を導くために使われるとは想像だにしなかっただろうと思うが、とにかくアルキメデスのおかげで私たちはスカートの中の明るさを知ることができるのである。
試しに、このくアルキメデスの『パンチラの式』を使って、スカートの広がり角度Θに対して、スカートの中の明るさがどのように変化するかを計算してみると、その結果は下のグラフのようになる。このグラフは、横軸が「スカートの広がる角度」で、縦軸が「スカートの中の明るさ」を示している。周囲の「照明に照らされている床」の明るさを1とした時の「スカートの中の明るさ」を示しているのである。
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基本的にはスカートが広がるにつれて「スカートの中の明るさ」は明るくなるわけであるが、このグラフを眺めてみると、スカートの広がる角度が20°を超えるあたりから次第にスカートの中が明るくなることが判るだろう。例えば、スカートの広がる角度が30°の時には、スカートの中は「床の明るさの10%程度の明るさ」しかないが、スカートの広がる角度が60°にまで広がれば、スカートの中は「床の明るさの半分程度の明るさ」になる、ということが判るわけだ。
ところで、人間の目というものは「見るものの明るさ」に合わせて順応する。例えば、暗いものを見るときには目の感度は自動的に上がる。だから、スカートの中がほのかでも明るかったならば(例えば床の明るさの5%程度にでも明るければ)、自動的にその明るさに目が順応してスカートの中が見えてしまうかと思いきやそうはいかない(ハズだ)。なぜなら、人間の目は明るいものを見る時には、目の感度が逆に自動的に低下してしまうからである。スカートの中以外の明るい場所(例えば照明や、照明に照らされた明るい壁)だって、自動的に視界の中に入ってくるわけで、目の感度はそういう明るい部分に自動的に合ってしまうハズなのである。
例えば、下の画像は周りの明るさに対して、
- 5%の明るさ
- 10%の明るさ
- 20%の明るさ
5 % | 10 % | 20 % |
ということは、先のグラフで「スカートの中の明るさ」が10%を超えていないと、つまりは周囲にある明るい床(や照明や壁)などの明るさの10%を超えているくらいでないと、スカートの中が仮に幾何学配置的に見える条件であったとしても、実際には目の感度的にその中のようすを判別することができないに違いないのである。その場合、おそらく明るい床や壁の明るさに目の感度が合ってしまい、ほの暗いはずのスカートの中は真っ暗にしか見えず、幸か不幸かスカートの中身は識別することができないハズなのだ。
というわけで、先ほどのグラフに「識別できる明るさか否か」を書き入れてみると、次のグラフのようになる。
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つまり、スカートの広がる角度が25-30°を超えていないと、スカートの中身は周囲の床や壁の明るさに比べて相対的に暗すぎて人間の目ではおそらく見ることができないのだ。
例えば、スカートの広がる角度が30°以下に制限されるようなタイトスカートを穿いて、明るい壁や照明などが視界にどうしても入ってしまうような場所にたたずんでいる限りは、もし仮にスカートの中を覗かれたとしてもスカートの中は(人間の目からすると)真っ暗で何も見えないわけで、スカートの中身を見られたりするような被害にあうことはまずないだろう、ということが先のアルキメデスの『パンチラの式』から判るわけなのである。「吹き抜け構造の建物内で階下から階上を見上げられる場所」や「建物内外の渡り廊下を見上げられる場所」なんかであったとしても、背後に明るく輝くものがある限りには、見る人の目を眩ませることができて、スカートの中身は安全なわけである。
ところが逆に、床が白かったりして明るいクセ(つまり下からの照明が強いクセ)に、周りに明るい壁や照明が何故かあまりないような場所がもしあったとして、もしそんな場所で(下から)スカートの中を覗かれたりしてしまうと、(下から覗く人の視界に入る)周囲の明るさに比べてスカートの中が十分明るく見えるせいで、しっかりとパンツの模様をチェックされてしまうということになるだろう、ということも予想することができてしまうのである。だから、そんな場所をもしも短いスカートをはいて歩かなければならないような場合には、例えば何かの「ピッカピッカ輝く光りモノ」でも身につけて、その光りモノの明るさを「スカートの中身をのぞこうとするスナイパー」の視界に入れて、彼らの目を眩ませてしまえば良いだろう、というアルキメデスの知恵さえ授けてくれるのだ。
ところで、今回は「スカートの中の明るさを示す=パンチラの式」を考えてみたわけであるが、この式は考えるまでもなく実にアブナイ式である。パンチラの被害防止に役に立ちそうな気もするし(全然役に立たないような気もするが)、逆に単なる「パンチラの科学」になってしまっているような気もしてしまう。「スカートの中身をのぞこうとするスナイパー」の魔の手から逃げるためのバイブルになるような気もするし、「スナイパー」のための手引き書になってしまいそうな気もする。ギリシャ神話で、あらゆる災厄が入っていたという箱がパンドラの箱だったけれど、このパンチラの式だって案外そんなパンドラの箱のような、色んな災厄の元になってしまうものかもしれないのである。しかも、パンドラの箱の場合には最後に箱の中に『希望』が残っていたわけでまだ良い(?)のである。しかし、アルキメデスの『パンチラの式』の場合には「スカートの中にだっては『希望』が入っているのだぁ」などと口に出したりしたら単に変態扱いされてしまうだけなわけで、そこはパンドラの箱よりもずっとたちが悪いのである。つまりは、科学もアルキメデスの『パンチラの式』も使う人次第なのである。
2003-11-12[n年前へ]
■今日の教えて下さい(男性限定)あなたの窓は何処ですか?
「放水」をする時に何処からホースを出しますか?いわゆる「社会の窓」でしょうか?それとも、それ以外の場所(パンツをおろすとか、横からホースを…とか)でしょうか?ちなみに、あなたはブリーフ派?それともトランクス派?もし、教えて頂ける方がいらっしゃいましたら、ホースを持っている方限定で、教えて下さい。お願いします。ちなみに、まずreferrerは見ていませんので、メールで(jun@hirax.net宛に)教えて頂けるとウレシイです。
OLLI トランクス族その1: 社会の窓は無視して右足の根本から、つまり右横から出す。LI トランクス族その2: チャック&ボタンすべてをはずし、パンツをその部分だけ下げる。LI トランクス族その3: ベルトでがっちり留めてあるときは社会の窓からだします。でも、基本的にはチャック+留具(?)全開でパンツをおろします。LI トランクス族その4: トランクスの窓は使わず、右横から出します。LI ブリーフ派その1 : チャックのみ全開で、ブリーフはズボン内でカラダより剥離させてちょこっとおろし、社会の窓より、あらわのホースにて放水です。で、ブリーフをエレベーティングにて終了です。 オールウェイズ、社会の窓オゥンリーです。スボン膝上ステイの状態が、私はどーも落ち着かないのです。LI トランクス族その5: スーツの時くらいは、社会の窓からだします。といっても、あんまりベルトしないので、チャック&ボタンすべてをはずしパンツをその部分だけ下げる、です。LI トランクス族その6: 自宅以外では社会の窓からです。自宅ではベルトしてても全部おろします。どうも三十路に入った頃から残尿感が気になるようになったので、タマタマになるべく負荷がかかっていない状態でしたいというのが主な理由です。でも短パンのときはそのまま右下からだったりします。右出しの多さについては「日本人は右曲がりが多い」といつかどこかで聞いたような記憶があります。LI ブリーフ族その2(7歳): ズボンのウエスト前部分をちょっとだけ下ろし、ブリーフの窓から放水。LI ブリーフ族その3(4歳): ズボンもブリーフもひざまで下ろして放水。LI トランクス族その7(28歳): ズボンはチャックのみ開ける。(ボタンは外さない)かつ、パンツはその部分だけ下げる。 私は小学生の頃まではブリーフ派だったのですが、やはり同じ方法でした。LI トランクス族その8: チャック&ボタンすべてをはずし、パンツをその部分だけ下げる。普段、チャックでなく、ボタンがついたズボンをはいていることも関係しているのかもしれませんね。LI ブリーフ(というかビキニ族?)族(31歳): ボタンのジーンズをはいていないときには,(1) ズボンの窓をあける (2) ブリーフを臍のほうから親指でずりさげて,ホースをぽろんと出す。 (3) ホースを引っ張ったりしながら調整する、です。オトナのブリーフには窓がついていないのです。いわゆる白ブリーフにはついているんでしょうが, さすがにそれははいてません。 この方法だとホースにストレスがかかるため,収納してストレスが除かれたときに「じわぁ〜」となることがあるので,大変危険です。/OL ブリーフ族はいないのか?そしてまた、いわゆるひとつの「社会の窓」は締め付けズボンの時しか使われないのか?右横派が多いのは何故だ?利き腕と関係があるのか…?世の中には判らないことがみち溢れているのだ。
うむぅ?初めての「社会の窓」使用派はブリーフ族だ。初めてのブリーフ族が、初めての「社会の窓」派だとは。
typo指摘ありがとうございます > トランクス族その5さん。
しまった、「三十路に入った頃から残尿感が気になるようになったので、タマタマになるべく負荷がかかっていない状態でしたい」という意見を聞くと、年齢も聞いておけば良かったか…?
と、思ったら4歳、7歳のブリーフ族のおこちゃま軍団を率いるお母さんからメールが。おこちゃまはさすがに右にも左にも染まっていない、ようである。4歳児に「作法」を誰がどのように教えたかも知りたいところなのである。
小学生の頃まではブリーフ派だったという28歳のブリーフ族その7さん。やはり中学生くらいで、大人の階段を上った少年はトランクスに履き替えるのだろうか?うむー。
初めてのビキニ族だー、と思ったら何と「オトナのブリーフには窓がついていない」という新情報が…。知らなかったぞー。それは思わずビックリだぁ。
2004-02-14[n年前へ]
2004-03-15[n年前へ]
■巨乳ビジョン・シンドローム
「人の視覚は7メガピクセル」編
デジタルカメラの高画素化が急速に進んでいる。定価が数十万円ほどにもなるデジタルカメラであると、使われているイメージセンサの画素数は10メガピクセル(=一千万画素)近くになるし、定価が数万円の普及価格帯のデジタルカメラでも数メガピクセル(=数百万画素)であるのが普通である。そして、最近だと携帯電話に付属しているカメラでさえ2メガピクセル以上のイメージセンサを使っているものすらある。35mmの銀塩フィルムが40メガピクセル弱だから、ハイエンド・デジタルカメラの解像度はその数分の一にまで達しようとしている、ということになる。
そんなふうに、デジタルカメラの高画素化は進んでいるわけだけれど、そもそも私たち自身の「目」というのは一体どの程度の画素数があるものだろうか?最近のデジタルカメラと比べると、私たちの目には一体どの位の画素があるのだろう?デジタルカメラと同じ、「メガピクセル」を単位にするならば、人間の「目」というのは何メガピクセルに相当するのだろうか?
実は、人間の場合、デジタルカメラのイメージセンサの画素に相当するのが、目の中の網膜上の錐体(色を感じ、網膜の中心部に多くある)である。その数はおよそ700万個弱ほどもある。つまり、デジタルカメラと同じように言えば、人間の目は7メガピクセル相当ということになる。ということは、最近の数十万円のデジタル一眼レフカメラでさえ、やっと人間の目と同じ程度の画素数に達した程度なのである。普段生活をしている中では、人間の「目」の画素数なんて気にすることはそうそうないだろうけれど、人間の「目」はやっぱりスゴイのである。そして、そんな人間の「目」と同じレベルになりつつあるデジタルカメラもスゴイものなのだ。
ところで、『普段の生活の中では、人間の「目」の画素数なんて気にすることはそうそうない』と書いた。確かに、人間の「目」の画素数や配置、つまり、人間の「目」の画素、網膜上の錐体の数や配置などを気にすることはまずないかもしれない。けれど、それを意識しなくても実は目にしている機会は多いのである。
それは、例えばこんな縞模様を目にするときだ。片目をつぶって、もう片方の目だけでこの下の縞模様を眺めてみよう。すると、色の付いていないハズの白黒の縞模様の上に、うっすらと色の付いた縞模様が重なって見えてくるハズである。もしも、最初のうち判りにくいようであれば、片目をつぶったまま見る距離を変えてみれば判りやすいかもしれない。縞模様がウネウネと動く様子が見えると思う。
これは、「Brewsterの色」と呼ばれる色模様で、網膜上にある「赤、青、緑」の各色を感じる錐体の配置と「白黒の縞模様」が干渉してモアレが発生することで知覚される偽色なのである。
こんな模様というものは実は結構街中に溢れている。例えば、エスカレーターの階段部分やフェンスの金網、あるいは、マンガの効果線など、こういった規則的な模様を普段の生活の中で目にすることは実はとても多い。そんな時、私たちの目はカラフルな「Brewsterの色」を見ていることになる。見てはいるのだけれど、ただそれを意識しないことが多い、というだけである。逆にこんなモアレを意識してしまうようになると、私たちの7メガピクセルのイメージセンサが景色の中の縞模様と干渉して発生してしまうカラフルなモアレは本当に街中に満ちあふれていることに気づくのである。
例えば、規則正しい模様の服というようなものはとても多い。そして、そんな服の上でさえワタシのまなこ(心の眼かもしれないが)はBrewsterのモアレを見いだしてしまうのである。そして、規則正しい模様の服の上にさえBrewsterのモアレを見いだしてしまうようになってしまうと、これが何とも恐ろしい副作用がもれなくオマケで付いてくるのだ。それは、「巨乳ビジョン・シンドローム」という恐ろしいオマケなのである。
その「巨乳ビジョン・シンドローム」の症状は、下の二枚の写真を見てみると判りやすいのではないか、と思う。まず、左は「規則正しい模様のある生地でできた服」を着ている女性である。そして、右の写真はそんな「規則正しい模様のある服」を眺めたときに、意図せずしてモアレが発生してしまった様子を示している。ほとんど同じ二枚の写真ではあるが、よ~く眺めてみれば服の部分にモアレが発生してしまっている様子がわかるハズだ。しかも、ある特定の一部分であることも判るだろう。
を着ている女性 | モアレが発生すると… |
…そう、規則正しい模様の服を着ている人を眺めた場合には、凹凸の激しい部分で特に顕著にモアレが発生してしまうのだ。そして、そのモアレはその凹凸具合の等高線(と同じようなもの)を示してしまうのである。もっとハッキリ言ってしまうならば、規則正しい模様の服を着ている女性なんかを眺めた場合、胸の部分の凹凸具合の等高線が意図せずして見えてしまうのである*。日夜地図を作り続けている国土地理院もビックリのバスト地図(凸凹等高線入り)が幸か不幸か見えてしまうのだ。しかも、これは凹凸の激しい部分でのみ顕著に認識されたりするがために、巨乳の等高線は容易に見ることができるけれど、微乳の等高線はなかなか見ることができない、というまさに「巨乳ビジョン・シンドローム」なのである。
残念ながら、私はオッパイ星人ではないので詳しいことは判らないけれど、真性のオッパイ星人達は生まれながらにしてこんな巨乳ビジョンのまなこ(眼)を身につけているに違いない。だからこそ、微乳の小胸さんではなくて、巨乳さんに引き寄せられていくのかもしれない。つまりは、オッパイ星人をオッパイ星人たらしめていたのは、こんな巨乳ビジョン・シンドロームだったのかもしれないのである。
そして、おそらく彼らの視力は私たちヒトに比べて遙かに高いハズだ。だから、単に規則正しい絵柄の服だけではなくて、例えば規則正しく糸で織りなされた服、すなわち、それが布製であればどんな服の上からでもこんな等高線モアレを見いだしてしまうに違いないのである。そして、その服を着ているものの胸の凹凸の等高線(もちろんその部分だけではないが)を眺めることができるに違いないのだ。
というわけで、最後に「オッパイ星人の視覚をシミュレートした画像」をでっち上げてみたのが下の動画である。これは、女性が着ている「服の持つ規則性=周期」を自動的に認識し、網膜の周期をその「服の持つ周期]近辺になるように変化させて、意図的にモアレを発生させてみたものだ。どんな模様であってもそれが「規則正しい模様を」である限りは、胸の凹凸の等高線がはっきりと見えてしまうことが実感できることだろう。
というわけで、規則正しい模様の服を着ている女性は周りの視線(オッパイ星人や幸か不幸か「巨乳ビジョン・シンドローム」にかかってしまった人間)に要注意、というのが今日の結論なのだ。そして、邪悪な心を持つ技術者が、「巨乳ビジョン・シンドローム」と同じようなアルゴリズムで動く「巨乳ビジョン・カメラ」を開発しないことを、今はただただ祈るばかりなのである。