2010-06-03[n年前へ]
■「選ばなかった人の物語」
「選ばなかった道」
選ばなかった人の物語は、成功者や失敗者の物語に比べれば華やかさに欠けるかもしれないけれど、実際に分かれ道に立って選んだ時の葛藤に思いを馳せれば、同じくらい劇的な人生であるはずなのだ。成功者のわかりやすい物語よりも、一見「平凡」な人生に隠された、そういったドラマをもっと知りたいと思う。
成功者の視点から語られる物語は、たいていの場合、とても単純明快でわかりやすい。けれど、選ばなかった人の物語は螺旋階段のようにわかりにくい。「選ばなかった人」は「決断を容易にする人」を憧れと同時に冷めた目で眺め、決断を容易にする人は、「選べない人」を…じれったく情けなく思うのだろう。
Appleが華やかだった時代、Apple][のコンパチ基板が秋葉原にあふれていた時代、月に数度、秋葉原に行った。その後、NeXTが消える寸前になり(少なくとも、当時はそう感じていた)、Appleの株券が「燃えるゴミ」同然になっていた時も、秋葉原に行っていた。今この瞬間は、Appleは調子がいいようだ。
海辺の景色を眺めれば、毎日繰り返されてる「潮の満ち引き」が見える。テクノロジーとビジネスの世界も、たぶん、きっと同じなんだろう。
ただ、そんな風に、一歩ひいて眺めていたら何かを選ぶことはできないはずだ、ということもわかる。
2010-06-04[n年前へ]
■Don't Stop Believin'
Glee によるJourneyの"Don't Stop Believin'"から。
Some will win, some will lose.
Some were born to sing the blues.
Oh the movie never ends.
It goes on and on and on and on.
Don't stop believing.
「sing the blues」はブルースを歌うってことから、「泣き言を言う、愚痴を言う、弱音を吐く」という意味になります。
勝つヤツもいる 負けるヤツも、
泣き言を言うために生まれたヤツもいる。
この映画はずっと終わらない。
そんなことがただ続く。
Don't Stop Believin'.
2010-06-05[n年前へ]
■「彼女たちの言葉」
「彼女たちのドラマ―シナリオライターになった女性たち」の頁をめくっていると、おそらくインタビュアーが「シナリオライター志望者へのアドバイス」を問うたのでしょう、女性脚本家たちが、他の人に向けたアドバイスめいた言葉を言う部分があります。ふと、それぞれインタビューイが、一体どんな言葉を話しているのか眺めたくなりました。
そこで、何人かの言葉をここに書き写してみることにしました。違う人が語った言葉でも、それらを並べてみると浮かび上がってくるものがあるかもしれません。
「諦めないで続けなさい」という言葉がよく言われますが、諦めないでやっていても、どうしても報われないときもありますから、無責任には言えなくなってきました。「夢はきっと叶うもの」なんてとても気軽には言えません。でも言える言葉があるとすれば「自分を信じる」ということですね。
井上由美子 (「はやぶさ新八御用帳」など)
結局、自分のしたいようにしてきた人が一番強い。自分のしたいようにするために、努力を惜しまない人。
梅田みか (「お水の花道」など)
何かになれる人はとっくにその何かを始めてる。…だから、「これをやりたい」という強烈な意志のある人が残っていくんだと思います。本当に書きたいという気持ち、それに打たれ強く粘り強いこと。そういう強い意志があれば、その人はきっと何かの道を見つけることができるはずだと私は思います。
大石静 (「ふたりっ子」など)
登らなければいけない坂道の途中では絶対、下を振り向かないで、上だけを見ていて欲しい。というのは、下を見てしまうとつい弱気になってしまうからです。…振り向くな、上だけを見ていなさい、と訴えたいですね。
高橋留美 (「ショムニ」など)
…そして、同時に似たような言葉が含まれている関連記事、「「空の高さ」と「自分の影」と。」を眺めてみると、また複雑な色合いの思いが浮かぶかもしれません。コインをトスして何かに掛ける時、それは一体、表を向くのでしょうか、あるいは、期待に反して裏を私たちに向けるのでしょうか。
だから、コインには2つの面があるということさ。
Steve Wozniak
■リスクを背負いつつその可能性に賭けることができる人たち
川合史朗さんが、「選ばなかった人」の物語(「選ばなかった道」)に続き、その逆の場合、ある「選んだ人」のことについて書かれていました(「選べる人が選べばいい」)。
でも正直に言って、自分が食えるかどうかという不安など、「従業員に来月の給料を払えるかどうか」という不安に比べたら、吹けば飛ぶような悩みにすぎない。その点で、私は人を雇って事業をしている人は尊敬している。
「このチャンスに乗ることを選んだら大変な思いをして、きっと選んだことを後悔する。けれども、選ばなかったらもっと後悔するだろう。」
そう心底思える人だけが、選べば良いのだと思う。
ふと、以前考えたこと、経済学者の栗田啓子先生に話を聞きに行った時に手帳に記した内容を思い出しました。その内容をもとに、書籍用のコラムに変えたものの下書きを引用すると、このようになります。
「賭けることができる人」が経済を動かしてるここで登場するリチャード・カンティロンは、18世紀に生き、放火事件で亡くなり、召使に殺されたとも言われている人です。
「経済学88物語 」(根井雅弘 編)で栗田先生がカンティロンの著作「商業試論」を紹介されています。読んでみて、とても興味を惹かれたのが「市場の動きとなる企業者(アントレプレナー)の本質は、不確実な利益のチャンスを選択するということだ」という内容の部分でした。
”成功するかどうかわからないチャンスに賭けて、そこに向かって走り出すことができる人たちが、企業者であり・経済の市場メカニズムを動かし続けている軸なんだ”という280年も前に書かれた言葉は、今の時代をも、やはり的確に表現しているように思います。
いろいろな技術分野で、確実ではない可能性があるときに、リスクを背負いつつその可能性に賭けることができる人たちが社会を回し続けているのかもしれない、となぜか納得したのです。
「アントレプレナー」の訳語としては、「企業者」という言葉を使う人が多いようです。本来、意味が同じで、発音も同じである「企業者」と「起業者」ですが、経済学素人の私には少し違う言葉に見えてしまいます。
「自ら会社を興し、新たに事業を手がける人」(Wikipedia)というアントレプレナーの意味を考えると、「起業者」という言葉の方がふさわしいようにも思えます。 私のような経済学素人には、歴史の中の「企業者」という言葉は「起業者」と置き換えながら考えた方が、わかりやすいのかもしれません。
コラム以外の部分では、アントレプレナーの訳語としては、(翻訳語句が作られた)歴史的な背景もあり、企業者という語句を使いましたが、私は「起業」者という言葉の方が今でも「わかりやすい」と感じています。
だから、企業者という言葉を起業者と置き換えて、もう一度、その前半の言葉を書き写してみることにします。
”成功するかどうかわからないチャンスに賭けて、そこに向かって走り出すことができる人たちが、起業者という存在であり、その起業者が、経済の市場メカニズムを動かし始める軸なんだ。”
2010-10-24[n年前へ]
■押井守の「たまご」
(少女は“たまご”をかかえている。彼女は、たまごがかえって、鳥になると信じている)
“たまごは割ってみなければ、なかになにが入っているかわからない”
私の好きな(たとえば加納朋子の「掌の中の小鳥」のような)「掌の中にあるもの」とは違うテイストですが、この前後にある言葉を書き写しておきます。
「しかし、たまごを割ってみると、なにもない。これにとまどう人も多いと思うんですが」
「たまごは、言葉を変えていえば、夢とか希望だと思う。それは、今ここにはないもので、可能性として存在しているだけである。しかし、夢とか希望を信じているうちは、人は本当の現実には出あっていないのだと思う」