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1998-11-13[n年前へ]

明るさを測ろう。 

新技術の女神

 今日は浜松ホトニクス(http://www.hpk.co.jp/hpkj.htm)が主催している浜松 PHOTN FAIR 98を見に行った。入場する際に、全員に粗品として、照度計を配っていた。もちろん、私ももらった。

 というわけで、今回はいろいろな場所の明るさを測りたい。というわけで、帰る途中、照度計を片手に測り続けてみた。周りから見ると「変なおじさん」に見えたかもしれない。

いろいろな場所の照度 (左:場所、中央:照度(lx)、右:コメント)、
および、いくつかの環境下における理想照度
日が照っている時の新幹線ホーム(日陰部)
 位置は胸の高さで測定
3500
雑誌、文庫本を読んでいる人が多い。
日が陰った時の新幹線ホーム(日陰部)
 位置は胸の高さで測定
2000
明るい景色が目に入らないので、目が痛くなるということがない。
新幹線の太陽と反対の窓側(12:30)
位置はPCの液晶の上で測定
4500
明るく、PCのTFT液晶も見づらい。
トンネルに入った時の新幹線の窓側
位置はPCの液晶の上で測定
200
PCの液晶が見やすく、目も疲れない。
新幹線の太陽と同じ側の窓側(12:45)
位置はPCの液晶の上で測定
4500
日が直接当っている所が目に入り、目が疲れる。
居間の理想照度
50-100
これは結構暗い。日本人の居間は普通こんなに暗くないだろう。
便所の理想照度
50-100
一体、どのような基準で決めたのだろう?
廊下の理想照度
100-200
実験室の理想照度
200-750

  理想照度の例によれば、製図作業の場合で750-2500 lxということだから、「日が陰った時の新幹線ホーム(日陰部)」で本を読んでいるのは、なかなか理想的と言えるだろう。ただし、勉強机の理想照度は500-1000lxとなっている。この勉強机と製図作業の差がどこから来るのだろう?

 また、「教室、実験室」の理想照度が200-700であるから、PCで作業をするにはトンネルに入った時位でないと辛い。バッテリー駆動で液晶が暗くなっているなら、なお更である。同じ窓側で、太陽と同じ側と反対側でPCの液晶位置での照度自体は同じだったのは少し意外である。ただし、その位置で同じであっても、直接日に当っている所が視野に入るか、入らないかが大きく違う。そのため、目の疲れ方が違うことになる。それは、新幹線ホームの例でも同じである。

 上の表の下部にいくつかの環境下における理想照度を示した。ぜひ、測って自分の快適度と重ね合わせて実感してみたい。ちなみに、私の居室は400 lxであるから、なかなか良い感じである。

 ところで、「浜松ホトニクスを創業したグループが高柳健次郎に師事した人達であった」というのを初めて知った。高柳健次郎というのはTVを発明した日本人である。前に、NHKの朝の連続TV小説で題材となっていたから、知っている人も多いだろう。そのTVドラマ自体もとても面白かった。もちろん、同じような業界なので、浜松ホトニクスと高柳健次郎の間にどこかで接点はあっただろうと思っていたが、浜松ホトニクスがここまで高柳健次郎に影響を受けているというのが新鮮であった。浜松PHOTOND FAIRでも浜松ホトニクスの歴史を展示するブースで高柳健次郎の作ったTVと同じようなものを展示、実演していた。あの有名な「イ」という文字を表示していた。

 そして、高柳健次郎が強く感銘を受けたという言葉が掲げてあった。こういった内容だったと思う。

 「新技術の女神は後頭部ハゲだ。新技術の女神を捕まえようとして、後ろから女神を追いかけて後ろ髪を捕まえようとしても無駄だ。女神の正面に先回りし、正面から前髪を捕まえなければ、捕まえることはできない。」




1998-12-28[n年前へ]

本歌取 1998 

1999年の夏休み

まもなく、1999年だ。1999年というとノストラダムスも有名だが、結構好きな映画に「1999年の夏休み」というものがあった。これを振り出しにして、双六のように考えてみる。

「1999年の夏休み」

 金子修介監督の映画だ。不思議な雰囲気の映画だ。原作は萩尾望都の「トーマの心臓」である。そのまた元を辿ると、同じく萩尾望都の「11月のギムナジウム」に辿り着く。つまり、

萩尾望都「11月のギムナジウム」 -> 萩尾望都「トーマの心臓」 -> 岸田理生(脚本)「1999年の夏休み」となる。-> 金子修介(映画)「1999年の夏休み」

これは、ある本歌に対して、それを翻案したものが連なっているように見える。本歌取が連なった連歌に見える。だから、それぞれ単独で楽しんでもいいが、どのように変わっていったか、などを楽しむのもいい。

「1999年の夏休み」については
「AngelHouse」( http://www2s.biglobe.ne.jp/~sgsc793/index.htm )
「こどものもうそう」( http://www.asahi-net.or.jp/~IH9K-YNMT/ )
などが詳しい。

リンク先はhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~sgsc793/index.htmより
 「1999年の夏休み」では、上の右に写っている、深津絵里が初々しい。
 この中で、薫という登場人物が登場するが、エヴァンゲリオンに出てくるカヲルはこれに影響されているのではないか、という話が先のWEBに出ていた。底が浅いTVに興味はないが、最後の方で登場する人物の名前が「薫」というのは源氏物語の昔に溯る。それは、日本で初めての物語からの伝統なのである。源氏物語の本歌取といっても良いだろう。「薫」という名前を持つ人物を考える際には、源氏物語の「薫」の役割を意識するべきである。最後に物語の全てを背負い、繋げていく役割を背負うのは「薫」なのだ。この本歌取を意識する読み方は、記号論に通じる。
 同じ「薫」が登場するミステリィというと、栗本薫の作品群があるが、特に栗本薫の「猫目石」を読む際には源氏物語の「薫」を意識しなければ意味がないと思う。また、ミステリィ作家で「薫」の名前を持つ人は多い。
  • 北村 薫
  • 栗本 薫
  • 高村 薫
 他にもいたかもしれない。ミステリ作家にこだわらなければ、「赤頭巾ちゃん気をつけて」の作者もそうだ。

 「1999年の夏休み」と同じ金子修介脚本監督の映画として、「毎日が夏休み」がある。こちらは、大島弓子が原作だ。この場合は

大島弓子「毎日が夏休み」 -> 金子修介(脚本)「毎日が夏休み」 -> 金子修介(映画)「1999年の夏休み」

となる。

 次に、深津絵里繋がりで(ハル)に移る。

(ハル)

深津絵里はこの映画にも出ていた。 オープニングの雰囲気は「1999年の夏休み」に似ている。どちらも、映画の重要な要素である画像を(ある意味で)使わず、表現をしているというのがいい。登場人物も非常に少ない。表現は制限をかけてこそいいものができると思う。完全に自由な中にはなかなか良い物ものは生まれない。それは、選択肢が増えすぎると、人は良いものを見つけるのは困難だからかもしれない。
 この映画の内容はパソコン通信関係だ。
リンク先はhttp://www.ntv.co.jp/sinepa/h90708.htmlより

深津絵里の眉毛はまだ太くて良い。

HOME-TOWN EXPRESS

 JR東海のCMというとクリスマスエクスプレスの印象は強いが、第二回目の牧瀬理穂の回しか覚えていない人も多い。しかし、第一回目の深津絵里が演じたHOME-TOWNEXPRESSのクリスマスバージョンが一番良かった。HOME-TOWN EXPRESSはその他にも良いものがたくさんあった。クリスマスエクスプレスになって第二回目の牧瀬理穂の回は、「最後にプレゼントを持って柱の後ろで恋人を待ち、その向うに恋人がいる」ところなど、第一回目の回に対する返歌にも見える。

 JR東海とくると、萩尾望都関連で「半神」の夢の遊眠社のステージをCMに使っていたものもあった。これなども連歌であり、本歌取の繋がったものである。

ブラッドベリ「霧笛」 -> 萩尾望都「霧笛」 + 萩尾望都「半神」 -> 野田秀樹「半神」 -> JR東海「もっと私 CM」

となる。

HOME-TOWN EXPRESS X'mas 1988はもう10年前であることに驚く
HOME-TOWN EXPRESS 1988
帰ってくるはずの恋人がホームに降りてこない。と、思うと柱の向うからプレゼントを持った恋人が現れる。
JR東海「もっと私 CM」
「そんな音をつくってやろう...」

 最近、NODA MAPの「半神」に深津絵里が出る、と聞いた。これで、深津絵里を狂言回しとして、物語は一周したことになる。

そういえば、深津絵里は「虚無への供物」のTVドラマにも出ていた。あのTVを見た人に、原作の「虚無への供物」の面白さがわかるだろうか...

虚無への供物といえば、連歌はこうなる。

中井英夫「虚無への供物」 -> 竹本健二「匣の中の失楽」

というわけで、「匣の中の失楽」を読む前には「虚無への供物」を読まなければならない。「虚無への供物」の中の「どちらが現実で、どちらが架空の世界なのか、誰がわかる?」という訴えを、そのまま展開したのが「匣の中の失楽」である。「匣の中の失楽」に連なるミステリィ物もあるようだが、問題外としておく。

 ここ2,3年は、まるで「虚無への供物」の舞台のような年であったように思う。何が現実で何が架空なのか。

1999-03-30[n年前へ]

ペットボトルロケット 

天まで昇れ

-天まで昇れ-

 先日、2月21日、糸川英夫が死去した。ロケットを研究し続け、日本のロケット技術を築き上げた人である。

ISAS(宇宙科学研究所)の歴史(http://www.isas.ac.jp/info/history/index-s.html)

 そこで、私たちが簡単に打ち上げることのできる、ペットボトルロケットについて考えてみたい。ペットボトルロケットは素晴らしい科学おもちゃだ。ロケットが大気中を飛ぶときと、宇宙空間を飛ぶときの原理の違いを的確に体現していると思う。それは、ペットボトルの中に水を入れてあることだ。ペットボトル中に水を入れることで、革命的ないくつかの効果があると私は思う。挙げてみると、こんな感じだ。

  • 空気と水の粘性の違い->水の方が長時間にわたり一定の噴出量にしやすい。
  • 気体(空気)と液体(水)の圧縮性、質量の違い->
    • 空気を噴出する場合には、ロケットの前後の圧力差が推進力を支配する。
    • 水を噴出する場合には、反作用力(運動量保存)が推進力を支配する。
水の質量は摂氏4度で1000kg/m^3である。気圧が変わっても温度が変わって(0-100程度なら)ほとんど変わらない。例えば0度の時999.9kg/m^3であり、100度で958.4kg/m^3である。
 空気のほうは温度が違うと結構違う。摂氏0度で1.293kg/m^3であり、100度で0.946kg/m^3である。もちろん、気圧が違えば、それに比例して体積は大きく変わる。

 結局、空気と水とでは質量が約1000倍違う。だから、ペットボトルロケットが後ろから水を噴出する場合には、空気の場合に比べて、1000倍もの反作用力を受けるのである。つまり、ロケットは1000倍の推進力を持つことになる。ただし、空気の場合には、ペットボトル中で数気圧分圧縮されているので、質量も数倍になる。したがって、正確には1000倍の数分の一ということになるだろう。

 逆に、ロケットの前後の圧力差を考えてみる。、空気の場合には、前後で数倍の圧力差が生じるだろうが(WEBで調べると5-7倍位が通常上限のようだ)、水の場合には前後での圧力差はほとんどないだろう。だから、水を噴出する際にはこれによる推進力はほとんど働かないだろう。しかし、空気を噴出する際にはこの圧力差によりロケットは進むことになる。真空中ではこの方法では推進力はほとんど働かない。

 こういった違いをもとに子供(といっても高校生位か)に宇宙でのロケットの原理を説明すると面白そうだ。これら推進力の違いは、とても大きいと思う。

 かつては、セルロイドを使った小さなキャップロケットの時代だった。今は、ポリエチレンテレフタラート製の大型ロケットの時代に変わった。

 今日は久しぶりに雪が降った。「雪は天からの手紙である」と言ったのは、雪を研究し続けた中谷宇吉郎だった。ならば、私たちが打ち上げるペットボトルは天へと届けるロケットだ。空へ高く届くように、私たちはそれを打ち上げ続ける。いつか、私たちのロケットは天へ昇る。

1999-05-23[n年前へ]

HooPoディスプレイの謎 

夢の扉が開かれる

 ビジネスショー'99に行った。そこで、面白いものを見かけたので紹介したいと思う。
まずは、NTTのブースである。下の写真では判りづらいだろうが、色々な画像と文字が立体的に(奥行き情報を持って)すばやく映し出されているのである。


 映像が立体的になった瞬間は「まさかレンチキュラー方式?」などと考えてしまったが、
奥行きに2段階しかないことに気づくと(映像の変化が激しく、気づきにくかったのだ)、謎は解ける。一番置くに大きなディスプレイがあり、その前に半透明のシートがあり、そのシートに対して前方からプロジェクターで前景を映し出しているのである。なかなか面白そうなので、後でじっくり観ることにした。

 次の面白いものは、以下である。HoroProディスプレイという名称である。

ディスプレイが透けているのがわかるだろうか?ITEM-16というのは後ろの壁である。


 一見ただのガラス板である。最初は発光ディスプレイかとびっくりした。しかしこれもタネは前のNTTの場合の前景スクリーンと同じようなものである。下からプロジェクターで映しているのである。しかし、それも良く見なければ判らない。
 アオリの調整などはどうしているのだろうか?そういった機能を内蔵するゾーンプレートのようなものなのだろうか?これは実に面白い活用方法がありそうだ。

NTTもHoloProも簡単なタネを持つ科学おもちゃであり、見ているととても楽しい。どういったタネであるかを考えるのはミステリーを解くようで面白い。

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 さて、それでは席をちゃんと確保してNTTのブースを見てみることにしよう。こちらは、キーワードといい、演出といい、実に私好みだった。ラストなど感動してしまった位だ。

「夢の」扉が開かれる。
文字がうすぼんやりと浮かんでいる。



色々な映像が映し出され、カウントダウンが始まる。



始まるといきなり映像に奥行きが生まれる。
前後で映像・文字がすばやく映し出される。


 この瞬間には不思議な立体感が強く感じられるわけである。

ディスプレイとスクリーンの中央が照らされ、そこに人がいたことがわかる。


 ここでも、不思議な立体感は続く。

輝きながら、スクリーンが揚がる。


 この緞帳が揚がる瞬間というのは実に気持ちがいい。コンサートでも舞台でも緞帳というのは現実の世界と架空の世界の間の「扉」である。それを開けるということは、すなわち、架空(今回は夢か)の世界へ入っていくことに他ならない。

ここからメインのプレゼンが始まる
ビジネス、パブリック、ホーム、SOHOといった舞台で様々な人物が登場し、ディスプレイの前後が一体化した寸劇風のプレゼンを行う。
そして彼らは、必ず最後には後ろのディスプレイの中に溶け込んでいく。



 ここでは、一見夢の世界に思えるプレゼンが続くわけである。

プレゼンが終わり、スクリーンが下る。そして、キーワードが前後に映し出される。



 スクリーンが下がる、緞帳が下がるということは、これから「夢」の世界から現実の世界に戻っていくわけだ。

周囲が明るくなり、これまで登場した人物達が
勢ぞろいしていることがわかる。
彼らはビジネス、パブリック、ホーム、SOHOといったものを
代表する人物達である。




登場人物の前後を縦横無尽にこれまで使われた映像、
すなわち、登場人物達を象徴する映像が映し出される。

 これまで登場した人物達は、未だスクリーンの向こう、「夢の扉」の向こうにいるのである。

「夢の扉」を開く原動力、それは...と始まる長い台詞が続く。
エンディングはこうでなくちゃ。
- そして今、「夢の扉」が開かれます -

 もちろん、その瞬間にスクリーンがあがるわけだ。

スクリーンが揚がり、役者が並んでいる。
(絶対、ここは拍手だと思うんだけどなぁ。)

 こういった風景は舞台であれば、単に役者が演じていた者から素に戻り、役者紹介、すなわち架空の世界から現実の世界に戻るだけであるが、今回の場合はそれだけに留まらない。
 「扉」の向こうで演じられていた「夢」がすでにここにある、ということを端的に示しているのである。夢の世界はスクリーンの向こうにあるわけではない、夢の世界はもうここにある-「夢の扉」は開かれた-ことを強く示すものだ。

 最後の「夢の扉を開く原動力、それは..」.の後につづく台詞も結構良かった。役者と製作者達に拍手をしたい。

1999-08-25[n年前へ]

インラインスケートの力学 (初心者編) 

つま先立ちの180°ターン

 今回は滑る道具の話である。シャレではないが、私はスキーが好きだ。そして、最近インラインスケートを始めた。使っている道具はこんなものである。

  • Dynastar AssaultSuperior
  • Hart FreeLaunch
  • K2 BING AIR
 スキーとインラインスケートの道具の写真を以下に示してみよう。
3種の神器
Dynastar AssaultSuperior (右)
Hart FreeLaunch (左)
K2 BING AIR

 それぞれの滑走接地部の長さはDynastar AssaultSuperiorが185cm程であり、Hart FreeLaunchが110cmである。K2BING AIRは26cm位だ。

 Dynastar AssaultSuperiorの長さを1とすれば、Hart FreeLaunchは長さが0.6程度である。半分とは言わないが、かなり短い。75cmも違う。しかし、この程度の長さにしたくらいではそれほど不安定になるわけではない。特にHart FreeLaunchは安定性が抜群である。私もゲレンデで普通に滑っている限りでは、遅い方ではないと思うが、特に不安定になることはない。不安定だと感じるのは、コブ斜面で、なおかつ、雪が積もってコブの形状が見えない場所を滑る場合などである。それほど、安定感があるのである。
 そして、スキー板が短いため、ターンのしやすさといったら素晴らしいものだ。1つのコブの上で、2回3回とターンが出来る。

 さて、今回の本題のインラインスケートはと言うと、かなり接地長さが短いため、さすがにスキーに比べて不安定さを感じる。とはいえ、思ったよりも不安定ではなかった。(初心者の頃の)スキーで曲がる時のことまで考えたら、もしかしたら、スキーよりも転びにくいかもしれない。急角度のターンのしやすさといったら、Hart FreeLaunchの比ですらなく、瞬時の180°ターンなども簡単である(私は上手くないが)。

今回はインラインスケートにおける瞬時の180°ターンの力学について考察を行ってみたい。瞬時の180°ターンに必要なことは以下のようなものである。まず、前向きに進んでいる状態から瞬時に後ろ向きになって進む場合を考えてみる。状態の変化は以下のようなものだろう。

  1. 前向きに進んでいる。
  2. スケートを瞬時に回転させる。
  3. スケートが180°回転した、すなわち、反転したところでスケートの回転を停止させる。
  4. そのまま、後ろ向きになった状態で進行する。
 第一印象では、ちょうど180°分だけ瞬時に回転させるというのは、難しいように思われる。ところが、実際にやってみると比較的簡単なのである。やり方は、こういうやり方である。
  1. 前向きに進んでいる。
  2. スケートブーツの爪先で立つ。
  3. スケートブーツが勝手に180°回転し、反転したところでスケートブーツの回転が勝手に止まる。
  4. いつのまにか、後ろ向きになった状態で進行している。
 その様子をRealVideo形式にしたものはこんな感じ(モデルはK氏)である。一体、何故勝手にスケートブーツは回転するのだろうか、そして、何故ちょうど180°回転するのだろうか?

 まずは、足を回転させてみると、その回転軸は下の図で紫の円で示したような場所に位置することがわかる。土踏まずと中指の根元の中央辺りである。

足を回転させた場合の中心軸

誰がなんと言おうとこれは「足」

 この図を「インラインスケートのブーツを履いた場合」で示したものを以下に示す。

インラインスケートのブーツを履いた場合の回転軸

 それでは、つま先で立ってみよう。どういうものに近似できるだろうか?

つまさき立ちした場合はどのように近似できるか?
このような状態は
こういうものに近似できる。

 何か見覚えがないだろうか? そう、台車の足部分である。ここまでくると判りやすい。台車の場合で考えれば、良く実感できる筈である。

台車の足はどうなるか?
台車の足を押すと...
瞬時に回転する。

 それでは、簡単な力学計算をしてみる。「足の回転軸」と「地面に接触しているローラ部分」を拘束系の剛体問題と考えてみよう。インラインスケートのローラは「足の回転軸」と「地面に接触しているローラ部分」を結ぶ方向にはいくらでも回転できる。したがって、転がり摩擦を無視すれば、その方向に関しては「地面に接触しているローラ部分」は地面からは何の力も受けない。しかし、ローラは「足の回転軸」と「地面に接触しているローラ部分」を結ぶ方向と直行する方向には回転することができない。したがって、その方向へ地面から力を受けることになる。滑っている人の速度をVとすれば、「地面に接触しているローラ部分」が「足の回転軸」と「地面に接触しているローラ部分」を結ぶ方向と直行する方向に受ける力はVsinθである(シータは文字化けしそう...)。

計算の説明図

 もうここまでくれば、一目瞭然である。「インラインスケートを回転させる力」であるVsinθ(シータは文字化けしそう...)をグラフにすると以下のようになる。ここで、θ(シータは文字化けしそう...)がPiを過ぎたところで、-Vsinθ(シータは文字化けしそう...)になっていることに注意してもらいたい。

インラインスケートを回転させる力をグラフにすると

 このグラフは縦軸が任意単位の「インラインスケートを回転させる力」を示しており、横軸がインラインスケートの回転軸に対する角度である。ちょっとでも、インラインスケートが回転軸に対して傾くと(θ(シータは文字化けしそう...)=0でなくなると)つま先を後ろへ向かせる方向へ力が働き急激に回転する。そして、つま先が真後ろを向き始めるとその力は弱くなる。つま先が真後ろを向いたところで、その力は0になり、もし回転しすぎると、また、真後ろへ戻す力が働く。そなわち、つま先が真後ろへ向いているのが非常に安定なわけである。

 というわけで、インラインスケートで前進中に爪先立ちすると、何も考えなくてもちょうど180°回転してくれるというわけである。もちろん、後ろへ進んでいるときに回転したいならば、進行方向側のかかとで立てば良いわけである。

 今回の話はひとまずこんなところである。



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