1998-12-28[n年前へ]
■本歌取 1998
1999年の夏休み
まもなく、1999年だ。1999年というとノストラダムスも有名だが、結構好きな映画に「1999年の夏休み」というものがあった。これを振り出しにして、双六のように考えてみる。
「1999年の夏休み」
金子修介監督の映画だ。不思議な雰囲気の映画だ。原作は萩尾望都の「トーマの心臓」である。そのまた元を辿ると、同じく萩尾望都の「11月のギムナジウム」に辿り着く。つまり、萩尾望都「11月のギムナジウム」 -> 萩尾望都「トーマの心臓」 -> 岸田理生(脚本)「1999年の夏休み」となる。-> 金子修介(映画)「1999年の夏休み」
これは、ある本歌に対して、それを翻案したものが連なっているように見える。本歌取が連なった連歌に見える。だから、それぞれ単独で楽しんでもいいが、どのように変わっていったか、などを楽しむのもいい。
「1999年の夏休み」については
「AngelHouse」( http://www2s.biglobe.ne.jp/~sgsc793/index.htm )
「こどものもうそう」( http://www.asahi-net.or.jp/~IH9K-YNMT/ )
などが詳しい。
この中で、薫という登場人物が登場するが、エヴァンゲリオンに出てくるカヲルはこれに影響されているのではないか、という話が先のWEBに出ていた。底が浅いTVに興味はないが、最後の方で登場する人物の名前が「薫」というのは源氏物語の昔に溯る。それは、日本で初めての物語からの伝統なのである。源氏物語の本歌取といっても良いだろう。「薫」という名前を持つ人物を考える際には、源氏物語の「薫」の役割を意識するべきである。最後に物語の全てを背負い、繋げていく役割を背負うのは「薫」なのだ。この本歌取を意識する読み方は、記号論に通じる。
同じ「薫」が登場するミステリィというと、栗本薫の作品群があるが、特に栗本薫の「猫目石」を読む際には源氏物語の「薫」を意識しなければ意味がないと思う。また、ミステリィ作家で「薫」の名前を持つ人は多い。
- 北村 薫
- 栗本 薫
- 高村 薫
「1999年の夏休み」と同じ金子修介脚本監督の映画として、「毎日が夏休み」がある。こちらは、大島弓子が原作だ。この場合は
大島弓子「毎日が夏休み」 -> 金子修介(脚本)「毎日が夏休み」 -> 金子修介(映画)「1999年の夏休み」
となる。
次に、深津絵里繋がりで(ハル)に移る。
(ハル)
深津絵里はこの映画にも出ていた。 オープニングの雰囲気は「1999年の夏休み」に似ている。どちらも、映画の重要な要素である画像を(ある意味で)使わず、表現をしているというのがいい。登場人物も非常に少ない。表現は制限をかけてこそいいものができると思う。完全に自由な中にはなかなか良い物ものは生まれない。それは、選択肢が増えすぎると、人は良いものを見つけるのは困難だからかもしれない。この映画の内容はパソコン通信関係だ。
深津絵里の眉毛はまだ太くて良い。
HOME-TOWN EXPRESS
JR東海のCMというとクリスマスエクスプレスの印象は強いが、第二回目の牧瀬理穂の回しか覚えていない人も多い。しかし、第一回目の深津絵里が演じたHOME-TOWNEXPRESSのクリスマスバージョンが一番良かった。HOME-TOWN EXPRESSはその他にも良いものがたくさんあった。クリスマスエクスプレスになって第二回目の牧瀬理穂の回は、「最後にプレゼントを持って柱の後ろで恋人を待ち、その向うに恋人がいる」ところなど、第一回目の回に対する返歌にも見える。JR東海とくると、萩尾望都関連で「半神」の夢の遊眠社のステージをCMに使っていたものもあった。これなども連歌であり、本歌取の繋がったものである。
ブラッドベリ「霧笛」 -> 萩尾望都「霧笛」 + 萩尾望都「半神」 -> 野田秀樹「半神」 -> JR東海「もっと私 CM」
となる。
HOME-TOWN EXPRESS 1988 帰ってくるはずの恋人がホームに降りてこない。と、思うと柱の向うからプレゼントを持った恋人が現れる。 | 「そんな音をつくってやろう...」 |
最近、NODA MAPの「半神」に深津絵里が出る、と聞いた。これで、深津絵里を狂言回しとして、物語は一周したことになる。
そういえば、深津絵里は「虚無への供物」のTVドラマにも出ていた。あのTVを見た人に、原作の「虚無への供物」の面白さがわかるだろうか...
虚無への供物といえば、連歌はこうなる。
中井英夫「虚無への供物」 -> 竹本健二「匣の中の失楽」
というわけで、「匣の中の失楽」を読む前には「虚無への供物」を読まなければならない。「虚無への供物」の中の「どちらが現実で、どちらが架空の世界なのか、誰がわかる?」という訴えを、そのまま展開したのが「匣の中の失楽」である。「匣の中の失楽」に連なるミステリィ物もあるようだが、問題外としておく。
ここ2,3年は、まるで「虚無への供物」の舞台のような年であったように思う。何が現実で何が架空なのか。
1999-06-26[n年前へ]
■リモートカメラから世界をノゾこう!
Macintosh用カメラ制御プログラムを作る
今日もニュースを探しに
MAQ?MAK?MAC! ( http://www.maqmakmac.com/)
を見に行くと、おやおや何やら見たことのあるキーワードがある。これが「デジャブ」という奴かと一瞬思ったが、そうではないようだ。本WEBについての記載がある。ビックリだ。いや、ホント。
自分の興味の趣くままにやっているサイトではあるが、好きなサイトで「面白い」といってもらうと、とても嬉しい。また、そこから辿り
WebCatchを見る。「ノーラ」氏の文章には頭が下がる思いである。
MAQ?MAK?MAC!には「もっとMacintoshに関連した話題が多ければ良いのになぁ?。 」とも書いてある。そう、私もMacintoshの話題が少ないとは思っていたのだ。Macintoshが多い私の職場の人々からも(次回の話への伏線)言われ続けてきたことなのである。ならば、MAQ?MAK?MAC!( http://www.maqmakmac.com/ )登場記念にMacintoshを使った話をやってみたい。
というわけで、今回は急遽Macintoshを使った実験の話である。物語は、こんなジャンクを手に入れたところから始まる。ごくたまに、秋葉原でも見かける。もし見かけて、かつ、安かったら、迷わず「買い」だ。LEGOのMindstormsなんかと組み合わせたら、かなりかっこいいはずだ。
これが、「Canon製ビジュアルコミュニケーションカメラ」である。シリアル通信でカメラの向きやズームピントを変えることができるものである。上下左右に首を振ることができるし、ズームやマクロ撮影も可能だ。発売当初は20万円位もしていたものだ。この後継機種も出ている。
これを使って、何か面白いことをしてみようと思った。いや、はっきり言ってしまえば、ネットワーク上のMacintoshにこのカメラをつなげて、それを他のコンピュータから制御しようにしたい。今でこそ、そういったWEBサイトも多々あるが、今回の話の実験を行った時(確か2,3年前)にはまだ少なかったのだ。
このカメラはジャンクとして手に入れたので、ソフトも何も付いていない。しかし、シリアル通信のコマンドは何とか判明したので、制御プログラムを作ってみた。といっても、単なるシリアルポートへコマンドを送りつけるプログラムである。
プログラムはここに置いておく。名前もずばり、「のぞき見君」である。もちろん、Macintosh版なのでWindowsでは使えない。
のぞき見君 0.1anozokimi01a.sit ( sit形式 332kB )
正式にこのカメラを持っているユーザーにも今回のような用途(イヤな用途である)であれば、このソフトはきっと役に立つと思う。
今回(といっても作成したのはずいぶん昔だ)作成したプログラム「のぞき見君」の起動画面が下である。
下がメニュー画面である。画面を見れば判ると思うが、全てのメニューをコマンドキーを用いてキーボードのみでコントロールするようにしてある(これが素早く使うためのミソだ)。
このソフトをインストールして、Macintoshとカメラをシリアルポートでつないで、また、ビデオ出力もMacのビデオ入力につなげばとりあえず、接続完了だ。これで、Macintoshから自由自在に制御できるビデオカメラの完成だ。
さて、次はネットワーク経由で制御するための作戦だが、何ら苦労(私の)は必要ない。例えば、innfo-macに登録されているremote-mouse-keysというようなソフトを使えば、ネットワークにながっているMacintoshのキーボードやマウスを制御することが簡単にできる。
ftp.flashnet.it/mirror/8/sumex-aim.stanford.edu/comm/remote-mouse-and-keys-10.hqx
ビデオ画面の転送はもちろん、Cu-SeeMeでも使えば良い。最近はその手のソフトも多いだろう。それでは、今回のプログラム群を使った構成図を以下に示す。Macintoshはネットワークの自由度が高いので色々な使い道がある。
remote-mouse-keysとCu-SeeMeの組み合わせが軽くてお勧めなのだが、今なら
vnc (http://www.uk.research.att.com/vnc/index.html )
を使うといったやり方もアリだろう。これなら、プラットフォームをあまり選ばないので、WindowsやUnix系OSからでも制御できるし、一つのソフトで制御もビデオ画面転送も済んでしまう。ただし動作がまだ重いとは思う。
それでは、今回のソフトを使った顧客例を紹介しよう。
それは私の職場の「ち*の」氏の使用例である。彼は結婚間近であった。いずれ妻と住む新居にPowerMacintosh6100がこのカメラとともに設置してあった。彼は家の戸締りが気になって、職場から家にPPP経由でRemote-Accessを試みた。彼のPowerMacintosh6100は電話がかかってくるとともに起動音を発し、起動した。そして、彼は職場からの制御により、家のPowerMacintosh6100につながったカメラは首を起こし右へ左へと方向を変え、戸締りのチェックを始めた。彼の目的は達成された。家の戸締りは完璧であった。
ただ一つの問題は、彼は知らなかったが、結婚間近の恋人が掃除をするために新居を尋ねていたことである。彼女の目の前で、電話の音とともに勝手にMacの電源が入り、「ジャーン」という音を発し、そして、そこにあるカメラが「ウィィィーン、ウィィィーン」と右へ左へ動き始めたのである。「ひどい恐怖を感じました」、と彼女は後に語ることになる。
その後、彼の結婚がはたして実現したのか、それとも実現しなかったのかはここでは明らかにしない。
1999-12-27[n年前へ]
■恋の力学 三角関係編
恋の三体問題
今回はもちろん、
の続きである。前回は、恋の力学を二体間の単純問題に適用したが、今回は複雑系の入門編である三体問題に適用してみたい。二体間の単純問題から三体問題になることで、現実問題に近くなる。また、物語性も大幅にアップする(当社比)。その物語性のいい例があるので、簡単に紹介しておく。小山慶太の「漱石とあたたかな科学」講談社学術文庫の第七章に面白い話がある。- 「明暗」とポアンカレの「偶然」 - である。漱石が、明暗の中でのモチーフにしている「ポアンカレの説明する偶然」について、
- ラプラス -> ポアンカレ -> 漱石
「明暗」の中での登場人物
- 津田
- お延
- 清子
前回の「二体間の単純問題」というのは、「無人島で男と女が二人きり」という舞台設定である。現実にはあり得ない。あぁ、しまった。こう書くと、まるで今回の「三体問題」は「無人島で男二人と女一人」という舞台設定に思えてしまう。これだって現実問題としてあり得ないような気がしてしまう(関係ない話ではあるが、「無人島で男二人と女一人」という舞台設定で始まるジョークは「アメリカ人なら男同士が殺し合い、イギリス人なら紹介されるまで口をきかないから何も起きず、フランス人なら片方は恋人で片方は愛人になり問題は起きず、日本人ならホンシャにどうしたらいいか訊く。」というオチだったように思う。うーん、言い返せない。)。
だが、都会という砂漠が舞台であると思えば、東京砂漠に「男二人と女一人」、あるいは「男一人と女二人」といったような舞台設定は無理がないだろう。そう舞台は東京砂漠ということにしておこう。
それでは、考察を行ってみることにする。まずは解析の条件である。「男」と「女」に関する「恋の力」は前回と同じく、
- 「恋の力」 = 「相手の魅力」 * 「二人の間の距離ベクトル」 / 「二人の間の距離スカラー」
- 「同性に対する反発心」 = 「相手の魅力」 * 「二人の間の距離ベクトル」/ 「二人の間の距離スカラー」
- 「恋の力」-「同性に対する反発心」 = 優柔不断度 * 「恋の加速度」
それでは、以下に計算結果をグラフにして示してみる。まずは、「女」「男1」「男2」全員が同じ資質を持つ場合である。この場合、「三すくみ」状態に陥る。
- 「女=赤」 位置=0, 速度=0,魅力=10,優柔不断度=10
- 「男1=黒」 位置=5, 速度=0,魅力=10,優柔不断度=10
- 「男2=青」 位置=-5, 速度=0,魅力=10,優柔不断度=10
この「女」を中心にして、「男」達が身動きが出来なくなった状態はよく見かけると思う。ねるとんなどでよく見かける風景である。ただし、この状態が発生している理由は「男1」と「男2」そして「女」の魅力が全く同じ状態であるからだ。
ほんの少しでも「男1」と「男2」に有利な点があれば、この状態は一変する。次に示すのは「男1」が「男2」よりも1%だけ魅力がある場合である。その1%は理由は何であっても良い。例えば、偶然駅で出会ったなどでも良いだろう。
- 「女=赤」 位置=0, 速度=0,魅力=10,優柔不断度=10
- 「男1=黒」 位置=5, 速度=0,魅力=10.1,優柔不断度=10
- 「男2=青」 位置=-5, 速度=0,魅力=10,優柔不断度=10
その一方、「男1」と「女」は幸せイッパイだろう。クヤシイくらいである。全く...
また、「女」に大きな魅力があった場合には、先の「三すくみ」状態ではなく、見事な「三角関係」に陥る。これは、三すくみ状態を打破するのに十分な魅力が「女」にあるからである。
- 「女=赤」 位置=0, 速度=0,魅力=20,優柔不断度=10
- 「男1=黒」 位置=5, 速度=0,魅力=10,優柔不断度=10
- 「男2=青」 位置=-5, 速度=0,魅力=10,優柔不断度=10
「女」を中心にして「男1」と「男2」が右往左往する様子が手に取るように分かる。これも世の中にはよくあるケースだろう。涙無しには見ることのできないグラフである。いや、もしかしたら、私の周りだけかもしれないが...
もちろん、この場合も「男1」と「男2」の魅力にほんの少しでも違いがあれば、状態は一変する。今度は「男2」に「男1」よりも1%魅力が多くあるものとしてみよう。
- 「女=赤」 位置=0, 速度=0,魅力=20,優柔不断度=10
- 「男1=黒」 位置=5, 速度=0,魅力=10,優柔不断度=10
- 「男2=青」 位置=-5, 速度=0,魅力=10.1,優柔不断度=10
「女」の心が「男1」と「男2」の間で揺れ動いている様子がわかると思う。「男」は「恋の力」と「同性に対する反発心の力」により、右往左往状態である。これぞ、リアルな三角関係である。この場合、果たして「男1」が勝つのか「男2」が勝つのか、よくわからない。どの時点で「勝ち」を決めるかで大違いである。また、「女」にすらその結末は予想できないのではないだろうか。「女」自身も相手を決めた本当の理由はわからないと思われる。
これは、もう複雑の極致であるが故に、何の予想もできないのである。
ここまでの話はまるで天文学者が頭を悩ます三体問題のようである(いや、もちろんあちらが本家だが)。天文学者は天体の三体問題に頭を悩まし、我々は恋の三体問題に頭を悩ますのだ。どちらも、実にロマンチックである。
こうして、今回の話の結末はよくわからないままになってしまった。やはり、ここは「明暗」の津田のつぶやき、
「偶然? ポアンカレのいわゆる複雑の極致?なんだかわからない」という言葉で締めくくろうと思う。漱石は偉大である。
さて、「恋の力学」シリーズはまだまだ続く。近日公開とはならないかもしれないが、次回作の予告をしておこう。
- 恋の力学 運命の人編 - 偶然と必然の境界線 - (仮称)
2000-02-05[n年前へ]
■恋の固体物理学 前書き編
シリコン・エイジの恋
これまで、様々な「恋の形」について考えてきた。古くは、
であったり、あるいは、であったりした。最近の「恋の力学」シリーズでは、初めに男と女の間の「恋の二体問題」を考え、そして二人の男と一人の女の間の「恋の三体問題」を考えてきた。しかし、それらの「恋の力学」が取り扱ってきたものは、ごく少数の登場人物により演じられる物語を解析したものである。また、特に「男」と「女」の間に性質的な差がないものとして、解析を行ってきた。
このような解析の前提条件、
- ごく少数の登場人物
- 「男」と「女」の間に性質的な差がない
- 数え切れない多数の人物が登場し
- 「男」と「女」の性質の間に差がある
例えば、
- 「男」も「女」も結構人数はいるのであるが、その数がかなり違う。
- 「男」が諸星あたるのように、やたら行動力があるが、「女」の方ははなかなか動かない
- 恋人達に何かのショックを与えると分かれてしまう。
- その場の雰囲気でカップルになっちゃった
こういった色々なことが「恋の物理学」では起きる。しかし、
で書いたように、夏目漱石の時代に作り上げられた「恋の力学」ではそのような現象の解明は困難である。そこで、新たな「恋の科学」の分野を作り上げ、そういうことについて考えを巡らせていきたい、と思う。とはいえ、いきなりやるのは私には難しい。そこで、まずは解析のための準備をしていきたい。
というわけで、本シリーズは題して、「恋の固体物理学」である。先に述べたような「不均等な恋の挙動」を例えば半導体工学のような固体物理学のテクニックを用いて解明したいと思うのだ。割に単純な「恋の力学」シリーズとは別に、「恋の固体物理学」シリーズを始めたいと思うのである。
普通に考えるならば、 - 何故「恋」の挙動解明に、半導体工学? - と思われるかもしれない。確かに、唐突であるとは思う。しかし、考えてみればそれほど不自然ではない。何しろ、現在はシリコンの時代であると言われる。
プラスティック・エイジを経て、現在はシリコン・エイジが世界を支配している。シリコン= 半導体技術により、世界は動いているのだ。そうであるなら、「恋に動かされる人」の挙動も、、半導体技術を用いることにより解き明かすことができるかもしれない。(いや、もちろん今考えた理屈である。簡単に言えば、こじつけである。)
そしてまた、「恋」は一般的に(例外はあるが)
- 男
- 女
- プラスの「正孔(ホール)」
- マイナスの「電子(エレクトロン)」
- 「男」も「女」も人数はいるが、その数がかなり違う。
そのような理屈で半導体工学と関連づけながら、「恋の固体物理学」について考えてみたいと思う。
このシリーズは少しヘビー(私にとって)なので、今回は前書きのみに留めたい。これから公開予定の作品群を紹介すると、
- 恋の固体物理学 恋のバンドギャップ編 - 彼女の防護壁を突破しろ! - (仮称)
- 恋の固体物理学 恋のドーピング編 - 女子校の教師はパラダイスか? - (仮称)
- 恋の固体物理学 恋の熱励起編 - 別れたくなかったら頭を冷やせ - (仮称)
- 恋の固体物理学 恋のp-n接合編 - 一方通行の恋の行方 - (仮称)
- 恋の固体物理学 恋のEinsteinの関係式編 - 本気と浮気の境界線 - (仮称)
まだまだ続く「恋の力学」シリーズと共に「恋の科学」を作り上げていきたいと思う。
2000-05-14[n年前へ]
■恋する心を見てみたい
恋のきっかけはどの出来事?
まずは、簡単な背景から... 今回の話は
を元に大幅に書き直したものである。少し思うところがあって書き直した結果、まったく別物になってしまった。そこで、ここに登場する次第である。以前の話の場合は、「恋のインパルス応答」という言葉を思いついて、最後におまけのように書いてみたわけであるが、今回はそれをメインに書き直してみたのである。A子:「あのさ、アイツほんと酷い男よ。」
A子:「なんで、あんな男好きになったの?」
B子:「そんなこと言われても、私にだって判るわけないじゃない。」
TVドラマを見ていると、時々こんな会話が流れる。登場人物は二人の女の人、舞台はバーのカウンターや旅先や、とにかく日本全国津々浦々である。そして、話をしている雰囲気は真剣そのものである。きっと、B子は悪い男を好きなっていて苦労しているのだろう。そして、きっとB子の親友であるA子が、悪い男に騙されている「恋する心」で一杯のB子を諭しているところなのだろう。
本当のところ、こんな会話が巷に溢れているのかどうか、私は知らない。そりゃそうだろう。私は男であって、女の人が二人というシチュエーションは全然立ち会える筈がない。じゃあ、同じような会話を私ができるかというと、それもやはりできないのだ。論より証拠、もし私がそんなことを言ったらどうなるだろうか?
私:「あのさ、アイツほんと酷い男だよ。」これは相手が女の人だからで、男なら大丈夫だろう、と言われるかもしれない。しかし、そっちの方が実は質が悪い。
私:「なんで、あんな男好きになったの?」
B子:「そんなこと、何でアンタに言われなきゃならないの?。」
私:「いや、ちょっと…」
私:「あのさ、アイツほんと酷い女だよ。」これはとても危険な会話であることが判るだろう。この後は修羅場が待っているハズだ。あるいは、私は道端に倒れていることになるかもしれない。「小さな親切、大きなお世話」である。根本の原因は私の人間性にあるような気もするのだが、そこは今回は考えないでおきたい。
B男:「なんで、オマエがそんなこと知ってんねん?」
私:「いや、ちょっと…」
さて、最初のB子のセリフ「そんなこと言われても、私にだって判るわけないじゃない。」という会話の真偽はともかく、恋する本人にも恋のきっかけというのは不思議なものなのだろう。そして、本人以外にとっても「恋する心」の揺れ動く様子というものはとても興味深いものだ。
そこで今回は、色々な「出来事・きっかけ」が「恋する心」を変化させていく様子を調べてみることにした。今回の登場人物は、
- A子 : 「瞬間」的に燃え上がるタイプの女の人
- B子 : 「ゆっくり」燃えるタイプの女の人
- C男 : いつも、とっても良い男
- D男 : ほとんどの場合、悪い男
次のグラフは
- 横軸 = 時間軸 左から右へ時間は進んでいるとしておく
- 縦軸 = 「恋する心」の大きさ
「瞬間」タイプの女の人A子の場合、その出来事の前後には「恋する心」が瞬間的に盛り上がる。しかし、それほど持続するわけではないのだ。燃えやすく、忘れっぽいタイプである。芸能人で言うと松田聖子あたりがこの例に当てはまるだろう。
それに対して、「ゆっくり」タイプの女の人であるB子の場合には、「恋の炎」がずいぶんとゆっくり燃え出している。また、「恋する心」の広がりが広い分だけ、「恋する心」の最大値も低くなっている。芸能人で言うと誰になるだあろうか?私にはちょっと思いつかない。
それでは、この 「瞬間」タイプのA子と「ゆっくり」タイプのB子が、いつもとっても良い男であるC男に恋をした場合を考えてみる。まずは、優しいC男は色々なことをするのだ。それが、「恋のきっかけ」となる。
時間が左から右へ進んでいくわけであるが、その間にC男は色々なことをするのである。洋服を誉めたり、体を気遣ったり、バックをプレゼントしたり、何ともマメな男である。
また、ここでは「洋服のセンスを誉めたり」、「体を気遣ったり」するという「出来事」よりも、「欲しかったバックをくれた」という「出来事」の方がポイントが高い。ずいぶんと、「即物的」な場合にしてしまった。これなどは、適当にそうしただけで、「私は精神的なポイントの方が高い」という人の方がもちろん私は大好きである。
それでは、これらの色々な「出来事」が起きる時のA子とB子の「恋する心」の変化はどうなるだろうか?先ほど、ある一つの「出来事」に対する「恋する心」の応答を、「恋のインパルス応答」と呼ぶ、と書いた。ある一つの「出来事」によって「恋する心」がどうなるかは、「恋のインパルス応答」を見れば判るわけだ。だったら、色々な出来事が起きた数の分だけ、「恋のインパルス応答」を足し合わせてやれば良いわけだ。この「色々な出来事が起きた数の分だけ、- 恋のインパルス応答 - を足し合わせてやる」という作業を、恋の信号処理では「畳み込み」と呼ぶ。結局、
色々な「出来事・きっかけ」と「恋のインパルス応答」の畳み込み= 「恋する心」という「恋する心」の信号処理が可能なのである。
早速、A子とB子の「恋のインパルス応答」を用いて、先の色々な「出来事・きっかけ」に対する「恋する心」を計算してみた。それが、下のグラフである。黒字がA子、赤字がB子の「恋する心」である。
「瞬間」タイプのA子の場合、ホントに燃え上がるのが早い。C男が洋服のセンスを誉めてくれただけで、もう結構「恋する心」が盛り上がっている。「ビビッ」と恋をして結婚をしてしまいそうなタイプだ。その代わり、一瞬でその「恋する心」が消えているところが怖い。あっという間に離婚をしそうなタイプでもある。
「ゆっくり」タイプのB子の場合は、洋服のセンスを誉められた位では「恋する心」は盛り上がっていない。もちろん、C男に対して良い印象は持ち続けているようだが、恋というほどでもない。
その代わり、A子のように欲しかったバックを貰っても、しばらくすると「恋する心」はすぐに冷める、というようなことはない。C男にとっては、「恋人」になるまでは大変であるが、その後は落ち着いた恋人生活を過ごせそうな相手である。私はC男にはA子よりも、B子の方が相応しいと思うのだが、どうだろうか?(しかし、次回C男には哀しい現実が待ち受けるのであるが...)
さて、このページも少し長くなってきた。そこで、この後は次回に続くことにする。今回、まだ登場していない
- D男 : ほとんどの場合、悪い男
A子:「あのさ、アイツほんと酷い男よ。」という冒頭の会話のような、女の人たちがなぜ数多くいるか(少なくともTVドラマの中では)を明らかにしてみたい。そして、優しいC男の悲しい恋の行方を描いていきたいと思うのである。
A子:「なんで、あんな男好きになったの?」
B子:「そんなこと言われても、私にだって判るわけないじゃない。」
ところで、「辛(つらい)」と「幸(幸せ)」という漢字は互いによく似ている。時々、どっちが「幸せ」だったっけ?と判らなくなりそうになるくらいだ。次回、「恋の印象の平均化効果」というものを武器に、「辛(つらい)」が「幸(幸せ)」にすりかわる様子を見てみることにしたい。「辛(つらい)」が「幸(幸せ)」は紙一重なのだ。「辛(つらい)」は「幸(幸せ)」で、「幸(幸せ)」は「辛(つらい)」なのである。