hirax.net::Keywords::「料理」のブログ



2008-01-20[n年前へ]

『「暮らしの手帖」の料理記事』の作り方 

 丸谷才一編集の「恋文から論文まで - 日本語で生きる・3 -」(福武書店)に収録されている文章と言えば、小榑雅章が書いた『「暮らしの手帖」の料理記事』も新鮮だった。

 暮らしの手帖の料理記事は、まず専門の料理人に実際に作ってもらう。その際、編集部員が傍らで材料や分量、調理の具合などを見聞きして、記事に仕立てる。つぎにその記事を手本にして別の記者が試作する。記事通りに出来るかどうかチェックするわけだ。
 編集長の花森安治の指揮のもとで、こうやって記事を作り上げ続けた結果、「暮らしの手帖の料理記事は、書いてあるとおりやると、ちゃんと出来る」という評価が定まった、という。

2009-05-11[n年前へ]

七味唐辛子イリュージョン 

 よく見かけるS&Bの「七味唐辛子」の瓶のサイズは、実はひとつではありません。たとえば、下に張り付けた動画は、最初は、同じ「七味唐辛子」の瓶がふたつ並んでいるように見えますが、実はそうではないのです。大きなつづらと小さなつづら・・・じゃなくて、小さな七味唐辛子の瓶と大きな七味唐辛子の瓶が並んでいるようすを、方向を変え・便の位置を変え、撮影した動画です。

 瓶の大きさと距離感は決してイコールではないのにも関わらず、私たちの脳はそれをあまりに単純化して感じてしまい、「瓶の大きさ」が等しければ「等しい距離に同じ大きさのものがあるものだ」と勘違いしてしまいがちです。・・・少なくとも、私の視覚と脳には、そういう傾向があるように思います。

 上野例は、七味の瓶が二つだけの構図を撮影したものですが、サイズの異なる「七味唐辛子」の瓶が、微妙な配置で並んでいるようすを撮影したら、きっと絶妙なイリュージョン・錯覚動画を作り出すことができるような気がします。異なるサイズの七味唐辛子の瓶を使い、楽しくて・不思議で、そして心惹かれるイリュージョンを作ることができるに違いない・きっとそれはとても面白いに違いない、とふと感じた今朝の午前3時過ぎ、です。

2009-11-30[n年前へ]

NEWS今昔物語「思いこめば見えてくる?」編 (初出2004年05月00日) 

5年前のNEWS(未来)を振り返ってみて思うこと

 昨日、Google Japanの若きエンジニアと話していると「高校生の頃(もしかしたら、中学生の頃と言っていたかもしれません)、JavascriptでBASICインタプリタを実装した」と実に楽しげに思い出話をしてくれました。私自身が中学生の頃を考えてみると、Apple][とCommodore VIC-1001(海外ではVIC-20という型番で売られていました)という「マイコン」を持っていましたが、きちんと動くプログラムを書くことなど全然できていませんでした。しかも、「JavascriptでBASICインタプリタを実装」といったような、アプリケーション思考でなくプログラミング言語志向の発想など、絶対にすることはできませんでした。

 どんな発想をすることができるか、どんなものを作ることができるか、という限界の線は、結局のところ自分自身が線引きをするのだろう、と思います。「すごいな」と思える人を見ると、「自分に対する限界線の引き方」を少し変えることができるような気がします。「思い込みパワー」を増大させることができるような気がするのです。たとえば、私は、「ピンポン」芸を見たときに、そんな「思い込みパワー増大感覚」を非常に感じた覚えがあります。「すごいな」と感じさせてくれるものを作る人、そういう人に出会いは、その出会いだけでも「自分ができること」を増やしてくれる、と思うのです。若かった頃には(良くも悪くも)気づきませんでしたが、そういったことを(良くも悪くも)感じるようになりました。いえ、なってしまいました、と書いた方が正確かもしれません。

 ところで、「マイコン」という言葉も、当時と今とでは意味合いが違っています。今は、マイクロなコンピュータで、いわゆる制御用の特殊で小さなコンピュータ・チップを指すことが多いと思います。

 しかし、かつて私が小中学生だった頃は、大型コンピュータに比べて、「小さな"Micro"」「個人が所有する"My"」コンピュータ、という意味で使われていました。

 言葉も時代に連れ変わっていくことを実感させられます。 さて、このNEWS今昔物語シリーズは、初出が何年も前です(今回は2004年5月初出です)。ですから、下記の記事中で「先週」とか「今月」といったものも、5年以上前の「先週」「今月」になります。つまり、語句の意味合いを「少し翻訳しながら」読む必要があります。また、リンク先はなくなっているものがほとんどだとは思いますが、その点もご容赦ください。温故知新(古きを温めて新しきを知る)という言葉を頭に浮かべながら、再読頂ければ幸いです。

不惑を迎えたBASIC

 先週の5月1日でプログラミング言語BASIC満40歳になった(ビデオ)。三十代以上であれば、二十年近く前のコンピュータ雑誌に掲載されたBASICプログラムをせっせと入力しながら、プログラミングを覚えた人たちも多いはずだ。

 BASICなんてすぐに使われなくなる、とその頃からずっと言われ続けてきた。しかし、Windowsの世界ではVisual Basicはまだまだ現役だし、制御用のプログラマブルIC(PIC)にもBASICインタプリタが搭載され電子工作の世界を支えていたりする。それどころか、計測・制御機器等の中では、今でもPC98(もしくはその互換機)上で動くN88-BASICが現役選手だっりする。実は、私もそんなシステムを使うことがある。システムを入れ替えたいと思いつつ、数千行のGOTO文の迷路を眺めて、ため息をつきつつメンテナンスをあきらめてしまう。

自動着色ソフトウェア「はいから」と思いこみデータベース

 平成15年度未踏ソフトウェア創造事業で採択された自動着色ソフトウェア「はいから」の評価版を来月末までの期間限定で使用することができる。これは、カラー情報が少ない写真に対して、似た絵柄のカラー画像を参照することで、自動的に着色を行うソフトだ。「こんな画像はこういう色であるべきだ」という風なデータベースに基づいて、色を決めつけるわけである。

 考えてみれば、似たような機能はカメラやプリンタなどでは多く使われている。例えば、(顔は綺麗であるべきと決めつけて)写真中の顔を浮き上がらせ綺麗に見せたり、記憶色を重視し肌色を生き生きとさせたりしている(血色が悪いのは良くないと決めつけ)。色に限らず、人間の「思いこみ」や「先入観・決めつけ」のデータベース構築(つまりは人が望ましいと思うイメージの構築)というのはとても重要になるかもしれない。

仮装大賞「ピンポン」芸がペプシのCMで世界の舞台へ

 欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞視聴者をビックリさせたピンポンという芸がある。仮装した人達(その中には日本の伝統芸能の黒子もいる)により、マンガ映画化した「ピンポン」が忠実に再現され、映画The Matrixのようなカメラワークが何の特殊効果や特別な道具を使わずに表現されている。

 この芸が今月下旬からペプシのCMの中に採用され、世界で放映されることになった。これまでにも、彼らの仮装芸はペット・ショップ・ボーイズの新曲"Flamboyant"のプロモーションビデオ(高速回線用低速回線用)中で採用されていたりもする。手段は限りなくローテクであっても、要はアイデア次第で世界を舞台にすることができる、というなんともワクワクするニュースだ。

電子レンジの爆発タマゴで大ケガ

 「電子レンジでゆで卵を作ると、食べようとした瞬間に爆発する爆弾タマゴができあがる」、というのはテレビ番組「探偵ナイトスクープ」で有名になった面白実験ネタだ。しかし、英国の医学雑誌British Medical Journalの最新号に掲載された爆発タマゴにより角膜が傷ついて重傷を負ったという投稿記事が掲載されニュースとなった。

 技術者にとっては当たり前の面白実験料理ネタでも、そうでない人にとっては危険なものになったりする、という点でこのニュースは興味深い。関係ないが、「猫をレンジでチンして裁判が起きたという話」は実は単なる都市伝説だったということを私は最近まで知らず、恥ずかしながら本当の話だと思いこんでいた。

2010-05-24[n年前へ]

「注文の多い料理店」を好きな人・苦手な人 

 食べること・飲むことが好きだ。自分が飲食するのも好きだし、人が美味しそうに食欲大魔神になっているのを見るのも好きだ。…しかし、それはあくまで、食べたいもの・飲みたいものを、自分たちのペースで口に入れている場合である。

 秋葉原で、軽く夕飯を食べようと、串揚げの店に入った。最初に、苦手なものを聞かれ、「苦手なものはありません」と答えると、もう食べられなくなったらストップと言ってくださいと言われ、ひたすらにおまかせで色々な「串揚げ」が次々と出てくる。どれもこれも、間違いなくとても美味しいのだけれども、食事の場としては何だかとても良くない。

 全席カウンター形式というのも、好きなタイミングで好きなものを注文できる限りは最高だが、「苦手なもの」以外は自分の選択肢がないとなると、いや、唯一頼めるメニューが「ストップ」しかないとなると…何だか自分が人工餌をひたすら食べ続けるブロイラーになったような気持ちになってくる。50cmの眼の前に、ひたすらに具を揚げ続ける人がいると、その人に聞こえないように、「この店、今一つ良くないから、すぐ出て違う店に行きません?」と、連れの人たちにその意思を伝えることも難しい。

 また、一緒にいる人たちと話をしていて、串を出されるスピードと食べるスピードが合わないと、揚げた串が食べる前に冷えてしまうこともある(それはとても残念だ)そして、自分の気持ちだけでなく、食べ物にも悪いし、料理を作る人にも悪い。客の回転率を上げ、売上を上げることに関してはとても良いシステムだと思うのだが、それ以外のことを考えると、すべてに悪いシステムであるような気がする。

 美味しい串揚げをお腹いっぱい堪能し「ストップ」と言い、満足して店を出た。しかし、こういうシステムの店には二度と入るまい、とも誓ったのである。「料理の食べ方」が指定されているような注文の多い料理店には、これから気をつけようと思う。

2011-05-27[n年前へ]

イタリアの「アルデンテ」と日本の女子大生の「アルデンテ」の違い 

 中町敦子・中村恵子・四宮陽子の「ゆで過程におけるスパゲティの芯の状態変化とアルデンテの評価」で、女子大生18人に(ゆで具合を変化させた)スパゲッティを食べた官能評価の結果から。

 (「アルデンテ」とは)イタリアではスパゲッティの芯に水が全く浸透していない白い芯のことを意味すると考えられる。
 一方、日本における女子大生の「アルデンテ」は(中略)ややゆで足りない状態を意味すると考えられる。

 「美味しそうな論文」を読んで、料理と美味しさに隠されたヒミツの片鱗に触れてみるのも良いかも。



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