1999-11-15[n年前へ]
■「星の王子さま」の秘密
水が意味するもの
今回は、Saint-Exuperyの「星の王子さま」- Le petit prince -について考えてみたい。しかし、メルヘンな話を期待する方は、おそらく失望することだろう。もし、今持っているイメージを壊したくない方は、今回の話は読まないほうが良いかもしれない。
おそらく一般的に多いであろうイメージの「星の王子さま」というものは、私はそれほど好きではない。よくWEBで見かける「この本は、真実を見る目を失いかけた大人のための童話です。」というイメージである。私も、かつてはそういう認識だった。そして、「それだけでは、何かもの足りない」という感じがしていた。そのため、「星の王子さま」を好きではなかったのだ。
しかし、
- 「星の王子さまの世界 - 読み方くらべへの招待 -」 塚崎幹夫著 中公新書
さて、今回は私なりの「読み方」をしてみたい。具体的には、「水」というキーワードにこだわって解釈を行ってみるのだ。何故か、私はこの「星の王子さま」の中で「水」というキーワードに「深い何か」を感じるのである。
何故、こういう単語にこだわる読み方をするかと言えば、それは塚崎幹夫氏の「星の王子さまの世界- 読み方くらべへの招待 -」の影響である。その内容の紹介を少し紹介しておく。
塚崎幹夫氏は、 話の冒頭に出てくる「ゾウを飲み込むウワバミ」が何かもう少し深いものを指しているのではないか、と考える。「本当にもののわかる人かどうか」知るために、主人公が人に見せる「ゾウを飲み込むウワバミ」が何か深いものを指しているのではないか。「半年のあいだ、眠っているが、そのあいだに、のみこんだけものが、腹のなかでこなれ」そして次の獲物をのみこむウワバミは何を指しているのか、と考えた。
そして、次のような年表を示す。
- (1937.7.7 日本、中国侵略開始)
- 1938.3.10 ドイツ、オーストリア侵略
- 1938.9.29 ドイツ、チェコ侵略
- 1939.3.15 ドイツ、チェコ解体
- (1939.4.7 イタリア、アルバニア占領)
- 1939.9.1 ドイツ、ポーランド侵入
- 1940.4.9 ドイツ、デンマーク、ノルウェー侵入
- 1940.5.10 フランス、ドイツに大敗
- 1940.11 Saint-Exuperyヴィシー政府に失望し、アメリカに亡命、その後、ヴィシー政府がSaint-Exuperyを議員に任命する。(どこかで聞いた話)
つまり、ゾウを飲み込むウワバミが、帽子にしか見えないことが「真実を見る目を失いかけた」といっているのではない。これは、ウワバミの中で飲み込まれつつある動物のことを考えることができないことを、「真実を見る目を失いかけた」と言っているではないだろうか。もちろん、そのウワバミとは文字どおりのウワバミではなく、違うものを意識した話なのである。
同じように、「ぐずぐずしてはいられないと、一生けんめいになって」描いた「3本のバオバブ」は挿し絵についても考察を巡らせている。
|
さて、塚崎幹夫氏の影響を多いに受けている私ではあるが、私なりの「読み方」をしてみたい。「水」というキーワードにこだわった「読み方」をしてみる。私の受ける印象では、「水」というキーワードには深い思いが込められているはずなのだ。
そのために、
- 星の王子様のリンク集( http://www.slis.keio.ac.jp/~makiko9/prince.html )
- Antoine de ST.EXUPERY:LE PETIT_PRINCE ( http://galeb.etf.bg.ac.yu/mp/mp/pp.html )
さて、単語にこだわって解析をするとなれば、
- 夏目漱石は温泉がお好き? - 文章構造を可視化するソフトをつくる - (1999.07.14)
- 失楽園殺人事件の犯人を探せ - 文章構造可視化ソフトのバグを取れ - (1999.07.22)
- 「こころ」の中の「どうして?」 - 漱石の中の謎とその終焉 - (1999.09.10)
それでは本題の、"'eau"の出現分布を調べることで、「水」の出現分布をwordfreqで解析してみる。
最初と最後に「水」が登場しているのがわかる。このような、物語の「始まり」と「終わり」集中して出現する単語と言うものは、重要な意味を持つと考えるのが普通だろう。冒頭で、水を持たない主人公が、話の最後で水を湛える井戸を見つける。これは、どのような意味があるだろうか。また、王子にとって重要な「守るべきもの」に王子は水を与えていたこと、これらは何を意図したものなのだろうか。
さて、「水」が出現するのは
- 50行目付近
- 300行目付近
- 1300行付近
- 115 だって、ぼくが水をかけた花なんだからね。
- 124 水は心にもいいものかもしれないな...
- 131 その水は、たべものとは、別なものでした。
- 131 だけど、さがしているものは、たった一つのバラの花のなかにだって、少しの水にだって、あるんだがなぁ...
- 147 星がみんな、井戸になって...そして、ぼくにいくらでも、水をのませてくれるんだ。
- その人間を解放するということは、彼に渇を教え、また井戸への道を教えてやることだ。
- それら井戸のひとつひとつに、どうしてもたどりつかねばならないようにするだろう...必死になってその井戸をめざさねばならなくなる。
- おまえが水を飲もうと思うとき、....おまえの行為を祈りという意味に化するのである。
こういう言葉の意味するものをそれぞれ考え、「かんじんなことは、目に見えない」という言葉をもういちど読みなおしたときに初めて、Saint-Exuperyの「星の王子さま」が私は好きになったのである。その「星の王子さま」の二面性こそ、私が好きな部分である。
さて、最後に次のような二つの文章を並べてみる。こうすると「星の王子さま」に流れる強い背景・考えを感じるのではないだろうか。
「わたしは、この本を、あるおとなの人にささげたが、....そのおとなの人は、いまフランスに住んでいて、ひもじい思いや、寒い思いをしている人だからである。どうしても慰めなければならない人だからである。... 子どもだったころのレオン・ウォルトに」 「星の王子さま」 献辞 | (レオンウォルトに) 「今夜しきりと思い出す人物は今50歳だ。彼は病気だ。それにユダヤ人だ。どうして彼にドイツの恐怖を乗り越えられよう?」 「ぼくがなおも戦いつづければ、いくらかは君のために戦うこととなるだろう。...ぼくは、君が生きるのを助けたいのだ。実に無力で、危険におびやかされている君の姿が眼に浮かぶ。更に一日生きのびるために、どこか貧しい食料品店の前の歩道を、50という年齢を引きずって歩きまわっているきみの姿が、擦り切れた外套に身をくるんで、仮の隠れ家で身を慄いているきみの姿が、眼に浮かぶ。」 「ある人質への手紙」 |
やはり、「星の王子さま」は端的に言えば、寓話の形をした遺言(の準備をしたもの)であるのだろう。「星の王子さま」が出版された四日後、Saint-Exuperyは戦うためにアメリカからアフリカへ出発する。
「星の王子さま」は一つの挿絵と、その挿絵の説明で話が閉じられる。その最後の挿し絵は王子が姿を消した場所を描いたものだ。それだけではない。その「アフリカの砂漠」は、Saint-Exuperyが最後に「戦う兵士」として飛行機で通過し、そして、姿を消した場所でもある。
「これが、ぼくにとっては、この世で一ばん美しくって、いちばんかなしい景色です」
1999-12-27[n年前へ]
■恋の力学 三角関係編
恋の三体問題
今回はもちろん、
の続きである。前回は、恋の力学を二体間の単純問題に適用したが、今回は複雑系の入門編である三体問題に適用してみたい。二体間の単純問題から三体問題になることで、現実問題に近くなる。また、物語性も大幅にアップする(当社比)。その物語性のいい例があるので、簡単に紹介しておく。小山慶太の「漱石とあたたかな科学」講談社学術文庫の第七章に面白い話がある。- 「明暗」とポアンカレの「偶然」 - である。漱石が、明暗の中でのモチーフにしている「ポアンカレの説明する偶然」について、
- ラプラス -> ポアンカレ -> 漱石
「明暗」の中での登場人物
- 津田
- お延
- 清子
前回の「二体間の単純問題」というのは、「無人島で男と女が二人きり」という舞台設定である。現実にはあり得ない。あぁ、しまった。こう書くと、まるで今回の「三体問題」は「無人島で男二人と女一人」という舞台設定に思えてしまう。これだって現実問題としてあり得ないような気がしてしまう(関係ない話ではあるが、「無人島で男二人と女一人」という舞台設定で始まるジョークは「アメリカ人なら男同士が殺し合い、イギリス人なら紹介されるまで口をきかないから何も起きず、フランス人なら片方は恋人で片方は愛人になり問題は起きず、日本人ならホンシャにどうしたらいいか訊く。」というオチだったように思う。うーん、言い返せない。)。
だが、都会という砂漠が舞台であると思えば、東京砂漠に「男二人と女一人」、あるいは「男一人と女二人」といったような舞台設定は無理がないだろう。そう舞台は東京砂漠ということにしておこう。
それでは、考察を行ってみることにする。まずは解析の条件である。「男」と「女」に関する「恋の力」は前回と同じく、
- 「恋の力」 = 「相手の魅力」 * 「二人の間の距離ベクトル」 / 「二人の間の距離スカラー」
- 「同性に対する反発心」 = 「相手の魅力」 * 「二人の間の距離ベクトル」/ 「二人の間の距離スカラー」
- 「恋の力」-「同性に対する反発心」 = 優柔不断度 * 「恋の加速度」
それでは、以下に計算結果をグラフにして示してみる。まずは、「女」「男1」「男2」全員が同じ資質を持つ場合である。この場合、「三すくみ」状態に陥る。
- 「女=赤」 位置=0, 速度=0,魅力=10,優柔不断度=10
- 「男1=黒」 位置=5, 速度=0,魅力=10,優柔不断度=10
- 「男2=青」 位置=-5, 速度=0,魅力=10,優柔不断度=10
この「女」を中心にして、「男」達が身動きが出来なくなった状態はよく見かけると思う。ねるとんなどでよく見かける風景である。ただし、この状態が発生している理由は「男1」と「男2」そして「女」の魅力が全く同じ状態であるからだ。
ほんの少しでも「男1」と「男2」に有利な点があれば、この状態は一変する。次に示すのは「男1」が「男2」よりも1%だけ魅力がある場合である。その1%は理由は何であっても良い。例えば、偶然駅で出会ったなどでも良いだろう。
- 「女=赤」 位置=0, 速度=0,魅力=10,優柔不断度=10
- 「男1=黒」 位置=5, 速度=0,魅力=10.1,優柔不断度=10
- 「男2=青」 位置=-5, 速度=0,魅力=10,優柔不断度=10
その一方、「男1」と「女」は幸せイッパイだろう。クヤシイくらいである。全く...
また、「女」に大きな魅力があった場合には、先の「三すくみ」状態ではなく、見事な「三角関係」に陥る。これは、三すくみ状態を打破するのに十分な魅力が「女」にあるからである。
- 「女=赤」 位置=0, 速度=0,魅力=20,優柔不断度=10
- 「男1=黒」 位置=5, 速度=0,魅力=10,優柔不断度=10
- 「男2=青」 位置=-5, 速度=0,魅力=10,優柔不断度=10
「女」を中心にして「男1」と「男2」が右往左往する様子が手に取るように分かる。これも世の中にはよくあるケースだろう。涙無しには見ることのできないグラフである。いや、もしかしたら、私の周りだけかもしれないが...
もちろん、この場合も「男1」と「男2」の魅力にほんの少しでも違いがあれば、状態は一変する。今度は「男2」に「男1」よりも1%魅力が多くあるものとしてみよう。
- 「女=赤」 位置=0, 速度=0,魅力=20,優柔不断度=10
- 「男1=黒」 位置=5, 速度=0,魅力=10,優柔不断度=10
- 「男2=青」 位置=-5, 速度=0,魅力=10.1,優柔不断度=10
「女」の心が「男1」と「男2」の間で揺れ動いている様子がわかると思う。「男」は「恋の力」と「同性に対する反発心の力」により、右往左往状態である。これぞ、リアルな三角関係である。この場合、果たして「男1」が勝つのか「男2」が勝つのか、よくわからない。どの時点で「勝ち」を決めるかで大違いである。また、「女」にすらその結末は予想できないのではないだろうか。「女」自身も相手を決めた本当の理由はわからないと思われる。
これは、もう複雑の極致であるが故に、何の予想もできないのである。
ここまでの話はまるで天文学者が頭を悩ます三体問題のようである(いや、もちろんあちらが本家だが)。天文学者は天体の三体問題に頭を悩まし、我々は恋の三体問題に頭を悩ますのだ。どちらも、実にロマンチックである。
こうして、今回の話の結末はよくわからないままになってしまった。やはり、ここは「明暗」の津田のつぶやき、
「偶然? ポアンカレのいわゆる複雑の極致?なんだかわからない」という言葉で締めくくろうと思う。漱石は偉大である。
さて、「恋の力学」シリーズはまだまだ続く。近日公開とはならないかもしれないが、次回作の予告をしておこう。
- 恋の力学 運命の人編 - 偶然と必然の境界線 - (仮称)
2000-01-27[n年前へ]
■「富士の樹海」を目指せ
磁界を可視化しよう
以前から探していた「面白いもの」を入手した。この写真がその「面白いもの」なのであるが、何だかわかるだろうか? ちなみに、大きさは「1cm×5cm」位のシートである。
これは「マグネビュアー」というものである。磁界を可視化してくれるシートだ。マイラーフィルムの間に磁性体を混入させたマイクロカプセルを入れることで、磁界に対する配向性を持たせたものだ。と、言葉でいってもなかなかわかりにくいので、磁界を可視化した写真を示してみる。何しろ、百聞は一見に如かずである。
次の写真は某ピザ店のマグネットシート(よく冷蔵庫の扉に張り付ける奴)の上に「マグネビュアー」をのせたところである。ピザ屋は私の食生活を支えていると言っても良い。私が生きているのはピザ屋のおかげである。
私の「命の恩人」でもある某ピザ店のマグネットシートがつくる磁界が見て取れるだろう。磁界が可視化されているのである。
本WEBではこれまで様々な「可視化」で遊んできた。例えば、
- 感温液晶でNotePCの発熱分布を可視化する
- ハードディスクのエントロピーは増大するか?- デフラグと突然変異の共通点 - (1999.03.28)
- 夏目漱石は温泉がお好き? -文章構造を可視化するソフトをつくる - (1999.07.14)
- 恋の力学 -恋の無限摂動 - (1999.12.21)
- WEBサイトの絆 - WEBの世界を可視化しよう- (2000.01.13)
- 夜のバットマン - 超音波を可視化しよう- (2000.01.17)
上に示した「某ピザ店のマグネットシートの表面」の磁界の様子も面白いが、もっと面白いのは「某ピザ店のマグネットシートの境界」の磁界を可視化したものである。
それが下の写真である。磁界の様子が実感できるのではないだろうか?
下に示す図はドーナツ型の磁石の周りの磁界をCUPSを用いてシミュレーション計算した結果である。この計算結果と同じようなものが「マグネビュアー」を使うと簡単に可視化できる。
普通、こういった磁界の可視化は磁気造影剤や砂鉄みたいな磁性体粒子を用いるのであるが、そういったものはどうにもハンドリング性にかける。液体や粉体などを家の中で実験に使うのはイヤである。いや、もちろん仕事で使うのもイヤであるが... そこで、この「マグネビュアー」が登場するわけだ。
それでは、その他の面白そうな磁界を可視化してみたい。磁界と言えば、やはりアレの登場だろう。もちろん、アレと言えば磁気カードである。クレジットカードや銀行のキャッシュカードといった磁気カードだ。一例を次に示してみる。こんなヤツだ。
カードの下に黒い磁気データ記録部があるのがわかるだろう。
それでは、その「磁気データ記録部」に「マグネビュアー」をのせてみよう。はたして、磁気データは可視化されるだろうか?
といっても、この写真ではわかりにくいので、「マグネビュアー」を拡大してみよう。すると、バーコードのような模様が見えるのがわかると思う。「磁気データ」が簡単に可視化されているわけである。この「マグネビュアー」と普通のスキャナーがあれば磁気データ読み取り機がなくても磁気データが読みとれるのである。
しかし、このカードに関しては内容を解析するとマズイ事情があるので、次回に「ソフマップ」のカードを題材にして磁気カードの内容を可視化してみるつもりだ。題して、
- ソフマップでお買い物 - 磁界の可視化とバーコード - (仮称)
さて、話は変わるが、私はこの「マグネビュアー」を手に「富士の樹海」を目指すつもりだ。「富士の樹海」では」方位磁針が変な方向を示すと伝えられている。そしてまた「富士の麓」ではとかく人は判断を誤りやすいとも聞く。船頭多くして船山に登ると言うが、「富士の樹海」には判断を誤った船が沈没しまくりである。
私は「富士の樹海」の真実をこの「マグネビュアー」で明らかにするつもりだ。「富士の樹海」の謎を明らかにするのである。何故、方位がそして人が判断を誤るのか、その謎を明らかにするのだ。
しかし、もしも、もしも、の話であるが、本WEBの更新が止まった際には、「富士の樹海」で私が眠っていると思って欲しい。「マグネビュアー」が役に立たないはずがないのだが、きっと何か判断を間違えたのであろう。そうそう、あくまで「富士の樹海」である。「富士の裾野」ではないので念のため...
2000-01-31[n年前へ]
■落ちゆくエレベーターの中…で悩みます?
無重力の理想と現実(仮)
今日もまた「ちゃろん日記(仮)」を読みに行くと、何とも面白い話があった。
である。この「ちゃろん日記(仮)」は「疑問とそこに隠れている真実を見つけだす感覚」に満ち溢れている、と私は思うのである。面白すぎである。さて、今回の話は、エンパイアステートビルでエレベーターが落ちたっていうけど、落ちていくエレベーターの中の人は
- 床に張り付く
- 天井に張り付く
- 宙に浮かぶ
「ほんとう〜にそうか? ほんとう〜にそうか?」
こういういかにも教科書に載っていそうな話には、時として落とし穴がある。教科書に書いてあるのは理想的で単純化した場合の結果である。それを鵜呑みにすると間違えてしまうことになる。極端に言えば、教科書に書いてあるような理想的な状態はほとんど存在しないので、教科書に書いてあるような現象はそうそう再現しない、ということになる。
ピサの斜塔から「落下の実験」を行ったのはガリレオ・ガリレイであると思っていると間違いである、というのは少し違う例になってしまうか。
久しぶりに思い出したが、私の所属していた研究室では重力測定は大きな柱であった。そして、確か大学院の入試問題の内の一題は、まさに
「落ちていくエレベーターの中の人達に働く力を精密に論ぜよ」であった(簡単に大雑把に言えば)。私はちゃんとこの問題を解けた覚えがない。いや、はっきり言えばずいぶん悩んだ覚えしかない。ってことはいまいち解けなかったのだろう。なので、「落ちていくエレベーターの中の人達は無重力状態である」と聞くと、「ほんとう〜にそうか? ほんとう〜にそうか?」と歌いたくなる。
研究室関連では、絶対重力測定を行う研究をする人達もいたわけである。絶対重力(加速度)測定は自由落下する物体の運動を測定して、重力加速度を測定するわけであるが、そう簡単に物体は自由落下してくれないのである。簡単な実験で物体を自由落下させて重力加速度を測定してみるとわかるが、大雑把な実験(自分の家ですぐできる程度の)では一桁ちょいの精度しか出ない。一桁ちょいの精度しかでないということは、(例えば)体重が10%弱程度になったように感じるかもしれないが、それは無重力ではない。体重が60kgの人であれば、6kgも感じてしまうのである。(雑な話だが。)
空気中を落ちてくる雨だってそうだ。もし、雨が自由落下を続けていたらものすごいスピードになって、雨に打たれるのは命がけになってしまう。しかし、実際にはそんなことはない。空気抵抗で速度は飽和してしまい、自由落下状態ではないからである。
さて、本題である。果たして、
例えば、
- 若井研究室の研究概要
- http://mech.gifu-u.ac.jp/~wakailab/research/Basic/base_h.html
北海道の上砂川町にある施設(JAMIC)で、490m落下させることにより、10秒の無重量環境が得られます。落下中は空気抵抗を受けるので、落下カプセルを二重構造にし、空気抵抗を無視できるように工夫してあります。と、記述されているように、実際には工夫をこらさなければ無重力状態は実現できないのである。絶対重力系などでも空気抵抗を無視するために、投げ上げて往復運動を測定するなどの工夫がいるのである。
と、言葉だけで書いてもしょうがないので、適当な計算でもしてみる。いや、もちろん、実験をするのが良いわけであるが、面倒だし…
まずはエレベーターには、
- 何の抵抗も働かない
- 空気抵抗とワイヤーの抵抗が働く
そして、エレベーターの中の人には空気抵抗は働かないとした。エレベーターの中の空気と人の速度差はほとんどないからである。また、エレベーターは人よりもはるかに重く、人の重さはエレベーターの運動に何の影響も及ぼさないと近似した。
その計算の結果を以下に示す。これが落ちていくエレベーターの軌跡である。抵抗のない場合が(赤)で抵抗のある場合が(青)である。エレベーターが落ち始めてから30秒後までの軌跡である。
理想的な場合(赤)に比べて、抵抗のある場合(青)の落ち具合が鈍っているのがわかると思う。それでは、もっと時間が経った場合はどうだろうか?それを次に示す。エレベーターが落ち始めて300秒後までの軌跡である。つまり、五分間もこのエレベーターは落ち続けているのである。落ちた距離は理想的な場合で40kmの深さに達している。すごいエレベーターである。こんなに落ち続けていると、すでに重力加速度が一定とは言っていられなくなる。
ここまでくると、抵抗のない場合(赤)と抵抗のある場合(青)では全然違う軌跡になっている。抵抗のない場合(赤)では放物線そのものであるが、抵抗のある場合(青)では一定の速度になっている。
それでは、エレベーターがこのような状態になった時の、エレベーターの中の人に働く加速度(と実際の加速度の差分)を示してみる。これを見れば、落ちていくエレベーターの中の人が無重力状態であるかどうかがわかる。まずは、300秒後までの変化を見てみる。
理想的な場合(赤)はずっとゼロすなわち無重力状態であるが、抵抗のある場合(青)は無重力状態は最初だけで、50秒後位には通常の状態に戻ってしまっている。最初の部分をもう少し拡大してみる。次に示すのは、3秒後までの落ちていくエレベーターの中の人に働く重力加速度(と実際の加速度の差分)である。
これを見ると、あっという間に人は無重力状態ではなくなっているのがわかると思う。
というわけで、先の三つの選択肢、
- 床に張り付く
- 天井に張り付く
- 宙に浮かぶ
先日みたニュースのエレベーター落下実験の中で、中にいた男性リポーターが、落下しながら「ひぃ?」とアオ向けになった状態で床にハリ付いていたからなのです。という実際の現象が正しいのである(いや、もちろん状況はかなり異なるが)。「頭の中だけ」で考えたことというのは大抵の場合間違ってしまう。(もちろん、今回の「できるかな?」の話もその例外ではない)
そして、その後に、
ありはきっと、速度がそこまで充分でなかったのと、もしやのトキのために、男性リポーターに安全な姿勢をとらせていたタメだと思われます。とあるが、実際問題として「速度がそこまで充分」になることは未来永劫ないわけである。だから、(私の中では)エレベーターの中の男性リポーター氏は床から浮かぶことはないのである。
こういうのは、結局考える人の数だけ答えがあるのだと思う。もし、その内のどれが真実に一番近いかどうか知りたければ、実験すれば良いだけの話だし。
2000-05-27[n年前へ]
■ささやかだけれど、役にたつこと
メール紹介の小ネタ集
「できるかな?」の話題に関して色々と面白いメールを頂くことがある。その中には、私の知らない色々な面白いことが書いてあるものも多い。今回はそういったものの一部から小ネタ集(探偵ナイトスクープの桂小枝風)をやってみたい。メールは多少こちらで書き換えている部分もあるが、基本的には頂いたそのままである。
まずは、
の時のように計算間違いをしたりすると、さまざまな正解がメールで送られてくる。非常にありがたいことである。簡潔に間違いの個所を指摘してあるメールもあれば、私と同じように迷路にはまり込んでしまった答えが書いてあるメールもある。どちらにしても、私にはとても面白く、ありがたいものである。 例えば、最近で言うとこんな面白い「間違い指摘メール」を頂いた。
早速ではありますがにてどんぐりころころ、どんぐりこと記述されておりますが「どんぐりこ」ではなくて「どんぶりこ」が正しい歌詞だと記憶しております。真偽を確認の後、然るべき行動を取られることを切に願います。 |
「えっ」、と一瞬思うが、口ずさんで、後の歌詞のつながりを考えてみると、確かにそうかもしれない。どんぐりがお池にはまるなら、確かに「どんぶりこ」の方が自然である。桃太郎の桃が「どんぶりこ」と川を流れてきたように、どんぐりも「どんぶりこ」となるのが自然である。
そこで、WEB上で情報を探してみると、
- どんぐりの歌( http://www.jstudy.ne.jp/~donnguri/html/dongurisong.htm )
そして、同じ「どんぐりころころ」ネタと言えば、こんなものもある。
にて、 - 「どんぐりころころ」と水戸黄門の主題歌の輪唱 - というものを書かれておりましたが、「赤とんぼ」と水戸黄門の主題歌(あぁ、人生に涙あり)も輪唱可能 です。 他に思いついたのが、 おたまじゃくしは、カエルの子。ナマズの孫ではないわいなぁ。も、「あぁ人生に涙あり」の節でいけそうです。 どうも、山田耕作系の曲は合うようですね。以前、「山田耕作の曲は日本語の音韻律に合わせてある。」という話を聞きましたがこれが関係しているのでしょうか? 他に、昔TVで見たものですが、
|
私には水戸黄門の主題歌の題名が「あぁ人生に涙あり」であると知れただけでも、うれしくてたまらない。いいタイトルだ。日本人の心にグッとくるタイトルである。
そして、その後の
- 山田耕作系の曲と「あぁ人生に涙あり」のカノンについての関係性
と、思いつつなかなか手をつけられないでいるので、今回ここに紹介してみた。もちろん、いつか挑戦しようという気持ちは変わっていない。いつか、必ず登場させるだろう。
そして、同じ「モナ・リザ」つながりでは、こういう面白い話を教えてくれるメールもある。
の福田繁雄氏とモナリザの微笑みで思い出したのですが、トーストの焦げ目で描いた作品を見た記憶があります(これが福田氏の作品だったかどうかあいまいなのですが)。この時の作品は、焼け具合の違うトーストを並べてありましたが、展示が終わった後はどうしてしまったのでしょうか。 インドあたりでやってる砂で描いたマンダラに通じるものがあると思いました。(その場限りのものという意味で…) |
このメールを読んでから、「モナリザ」の自己相似形ソフト 料理材料編 に必ず挑戦したいと考えているのである。そのために写真満載の料理ブックも購入してしまった程である。
他にも色々な知識と言えば、こんな情報もとても勉強になった。
で、ところで、ドレミファソラシドの語源はどこにあるのだろう?SoundOfMusicがdoeの歌のイメージから"doa dear ..."と鼻歌を歌うことはあるが、語源は一体?次の宿題にしたいと思う。とありますが、これはなんと、ドレミ....も歌からとられたもので、<聖ヨハネ賛歌>という歌の歌詞から引用したものだそうです。聖ヨハネ賛歌は当時使われていた、6音音階の各音を正しく理解、視唱させるために各行の開始音が6音音階の各音になっていた曲です。 つまり、聖ヨハネ賛歌の各行のはじめの歌詞が、Ut,Re,Mi,Fa,Sol,Laだったので す。 Do Re Mi、は、もとはフランス語のUt Re Mi Fa Sol La Si Utでしたが、16世紀になってイタリアで呼びにくいUtが現在のDoに変わったのでした。 |
こういう言葉が変化していく様子というのは私のとても興味のあるところである。そういう話、「蝸牛考」、あるいは探偵ナイトスクープの「アホとバカの境界線」のような面白い話があったら、ぜひ私まで教えてもらえるとうれしい限りである。
さて、最後にこんなメールをご紹介したい。これは、さまざまな色空間の多様性について書いたものについて頂いた意見の一部である。
複数種類の蛍光色素を用いて動物組織を染色し顕微鏡観察した画像をコンピュータで解析する技術が一般的になっています。ここで使われている疑似カラーが緑と赤ですが、私は緑と紫にしました。2色が重なるところは白くなります。通常使用される疑似カラーで赤を暗く感じることも問題ですが、もっと問題なのは、赤と緑の重なったところを黄色に表示した場合、緑と黄色が区別できないのです。 自分が赤の変わりに紫を使って、緑と紫、重なったことろが白としたのは、これであれば健常者の人でも赤緑色盲の人でも余容易に区別がつくと思ったからです。色盲の人は日本で5%ですがアメリカではその倍以上います。学会の会場や雑誌の読者の中にこのプレゼンテーションが理解できない人が10ー20%いたら、発表している人にも損が生じます。 |
この考えには私もずいぶんと影響を受けた。そのせいで
つくった自作ソフトの色はその方式に合わせたし、では他のソフトの画面をWEB上では色調変換して表示している。こういう「ささやか」なやり方ではあるが、私は緑-紫の疑似カラーの布教活動に勤めているのである。
今回は五通のメールを紹介してみた。その他にもたくさんの「面白いメール」を頂いている。別に技術的な話でもなんでもなくて、単に「こんな面白いことがあった」というメールを頂くこともあるが、それもまたとても私には役に立つのである。例え、現実的には「役立たなく」ても、それはとても「役に立つ」のである。
そんな「ささやかだけれど、役にたつこと」を今回はいくつか紹介してみた。そういうことは「どんなことでも」、こちら(jun@hirax.net )まで送ってもらえると、とてもうれしい。