2003-03-17[n年前へ]
■魔法の液体「ナノカーボン」が付録に〜「ケータイBEST」
これも同じくzdnetの記事。3月15日発売の携帯電話情報誌「ケータイBEST」(ソフトバンクパブリッシング刊)に、魔法の液体「ナノカーボン」がついてくる.「ナノカーボン」は、直径15ナノメートルの超微細なダイアモンド粒子。物体の表面にある目に見えないキズをナノカーボンで埋めて、電気の流れを効率的にする。
鉛筆ゴシゴシとの違いを是非試してみたいのである。というわけで、明日は本屋に走るのだ。
2004-01-23[n年前へ]
■「カミノサイコロ。」
かさねかさねに寺田寅彦の『Sugoroku no sai』をきっかけとして書かれた♪さいころの1は、なあに?が更新されている。重心位置のずれたサイコロの出目がどうなるだろうか、という話だ。
ずっと前に、私は重心位置のずれたサイコロで就職する会社を決めた。私が自分で決めたのはもう少し研究室にいるか、あるいは就職をするかだけだった。その判断をするだけでも十分疲れてしまった私は、研究室の先輩に「紙のサイコロ」を作ってもらって、それで就職(活動)する会社を決めたのだった。どうせ、自分の頭で考えてみてもどの会社が自分に合っているかどうかなんて判らないだろうから、考えてもしょうがないことはサイコロで決めちゃえー、と思ったわけである。といっても、その不器用な先輩が作ったサイコロはとてつもなく重心位置がずれていた。その一番重心に近い面に、今の勤務先を私が自分で鉛筆で書いたのだったから、サイコロに自分の道を決めてもらったような、あるいはそれでも少しは自分で決めたような、何とも私らしい中途半端な決め方だった。しかし、今のところ、そのサイコロの目のアドバイスはそう悪くない出目だったように見える。
そう言えば、昨日ちょうど職場でサイコロの話をしていた。「どんな少しの判断でもそれをするのが苦痛だから、どんな時でもサイコロで選択したくなる」なんて話をしていたのだった。「何かの選択をしたり、あるいは選択できなかったことをずっと後悔するのは辛いから、今はどんなことでも全てサイコロで決めたくなる」なんて相談をしかけていたのだった。仕事場で話す愚痴にしては、トンデモナイ話だと自分でも思う。
「紙のサイコロ」は大抵の場合重心位置もすごくずれていて、出目もずいぶんと偏っているかもしれないけれど、そのサイコロに未来を時折まかせてみたりするぼくらからすれば、そのサイコロはただの「紙のサイコロ」ではなくて、それはもう「神のサイコロ」だ。「神はサイコロを振らない」とかつてアインシュタインは言ったけれど、ぼくら自身は神じゃない。神じゃないぼくらだからこそ、折に触れて「カミノサイコロ」が欲しいと思ったりもする。
2004-02-20[n年前へ]
■サイコロを振るのはつねに人間
「鉛筆を振って進路を決めた」というメールを読みながら、「人間の不完全な知力に免じて、無数の微分方程式を解く代わりにカミのサイコロを用意してくれているはず」という物理学者ボルンからアインシュタインへの言葉を思い出す。「人間らしく」という言い訳のもと、これからは微分方程式をサイコロで解こうと決意する。【未来はサイコロおれカネゴン】
ささやかな予測のために、サイコロを振るのはつねに人間であるボルン
2004-05-10[n年前へ]
■日記には書けないけれども "Sanae-chan was fluid in the net news"(書きかけ)
「日記に書けないこと」を読む。
皆様は、日記に書けないことが一体いくつありますか。【虚空に向かっておれカネゴン】
そう言えば…、と書きかける。なんだか、頭の何処かに浮かんでいる考えをまとめてみようとしているうちに、何故だかふと「"sanae chan"はもういない」を思い出し、そのページの日付を見て驚く。もう六年近く前になることに気づく。なんとビックリ、六年間とはいえ色んなことが起きている。
「"sanae chan"はもういない」がfjで流れて、その内容をLaTeXで整形しながら写経したのは、ほんの十年前のことなのにも驚く。
大学ノートの裏表紙にさなえちゃんを描いたの一日中かかって一生懸命描いたのでも鉛筆で書いたからいつのまにか消えたの大学ノートの裏表紙のさなえちゃんが消えたのもう会えないの二度と会えないのLateXで書いたメールを送ったあの人には、もう会えないの。
2004-06-13[n年前へ]
■点から点へ線を引く
点を鉛筆で順番に結んでいったら、絵になるっていうパズルありますよね。あれをたくさん紹介しているサイトはありますか?という人力検索サイトはてなの質問。色んな"Dot to dot" "Connecting Dot"のパズルが人の手により検索されている。
数字がバラバラに書いてあって、その数字を順番になぞっていくと最後に絵ができるヤツってあるじゃない?バラバラだったりしても、途中で間違っているように思えたりしても、色々と続けていたら最後に何か浮かび上がってきたりしたら、それで良いじゃないのかな?って時々思ったりするの。from アシタノアタシ