2004-05-11[n年前へ]
■今日の思い出し色眼鏡
イラクでの米軍の「捕虜(という取り扱いになるのかよく判らないが)」の取り扱いの写真を見ていると大学に入学した頃を思い出す。
その頃の世の中はバブルに浮かれていた頃であるはずだ。それなのに、時代に取り残されたらしき大学のキャンパスの中では、中核派と革マル派の「陣地争い」が日々起きていた。つまらない、だけれどずいぶんと暴力的な陣取りゲーム(特にこの"sanae chan"はもういないの写真の教室の辺りはその主戦地だった)が飽きもせず毎日行われていたり、授業をしている教室脇の廊下で人が撲殺されたり、朝のキャンパスを血だらけの人が逃げていたり、あるいはイラクでの米軍の「捕虜」の取り扱いの写真とよく似たような風景が昼のキャンパスの中で繰り広げられていたりした。本当にイヤな景色だった。
そして、正直に言えば、その風景はやはり少しショックだったような気がする。特に、今現在眺めている米軍の「捕虜」の取り扱いの写真とよく似たような風景や、あるいは、キャンパスの中で機動隊の盾が踊っている風景はとてもショックだったように思う。
その景色を見てからは、それ以来どんなことであっても声大きく何かを言う人を苦手になった。声高に何かを力説する人を色眼鏡を通して眺めるようになった気がする。話される内容に関わらず苦手になったような気がする。そして、それが本人としては声高でないにせよ、苦手になったような気もする。
そんなこんなで苦手・鬼門は、新聞・正論・声の大きい井戸端会議…。
2004-09-23[n年前へ]
■イラクと幕末
「大小の刀を差した武士、その大小の刀をカラシニコフに置き換えれば、幕末は今のイラクでの状況と何も変わらない。それでも欧米人はビジネスチャンスを求めて幕末日本を訪れた。いつ自分が拉致されて首を斬られないとも限らないのに」という「イラクと幕末」
外へ外へと向かっていくそういうエネルギーがなかったら、人類はいまだに洞窟の中で暮らしてたんだろうか。
2006-04-08[n年前へ]
■「幸福論」
小倉千加子・中村うさぎが書いた「幸福論」を読んだ。「なるほど」と頷くところは多いのだけれど、「モテ・非モテ論」と同じく、「興味を惹かない箱」に入れた。いや、少し違う。「そんなことは考えてもしょうがない、の箱」だ。頷くところはとても多いのだけれど、その結果を不毛に感じたからだ。そして、「未来はどうなっているんだろう?」という質問にムッっとしたアランケイの「未来を予測したい?なら未来を作ってしまえばいいだろ?」というセリフをふと連想した。
彼女らが持つ背景・環境・価値観を共有できる人たちは、とても興味深く読むに違いない。その背景・環境・価値観を実におぼろげに想像することしかできない私ですら、頷くところは多かったのだから。とはいえ、この本のどのページも破り撮り残すこともせず、そのままゴミ箱へ入れようと思う。そして、限られた時間を他のことに費やしたいと思う。この本には、(特に他者に対する意識が強かったり、物事に意味をつけたくなるタイプには)たくさん面白いことが詰まっている。しかし、「未来論」を語るくらいなら、ほんの少しでも「未来」を作った方が好みに合うのと同じく、この「幸福論」という本を長く読み返すくらいなら、他のことをしたい。
そういえば、「幸福」って何だっけ?と思い、新明解国語辞典をひいてみた。なるほど、「幸福」という状態は、「進化を続けてきたことで現在がある生物の世界」とは相反するものなのかもしれない。
「幸福」現在の環境に十分満足出来て、あえてそれ以上を望もうという気持を起こさないこと。また、その状態。 「新明解国語辞典」
外へ外へと向かっていくそういうエネルギーがなかったら、人類はいまだに洞窟の中で暮らしてたんだろうか。 「イラクと幕末」
2006-10-19[n年前へ]
■「銀河鉄道999」@20世紀の洞窟の隅
槙原敬之の「約束の場所」の歌詞にまつわるニュースを見る。第三者の言葉などを含めて「歌詞の誕生経路」は松本零士のコミック経由かも、と思う。その一方で、松本零士という「作家」はブラウン管とカセットテープと一緒に「20世紀に置いて、21世紀には持っていかない、21世紀の私には要らないもの」という箱に入れよう、とも思う。
そう感じつつ関連記事を読んで、件の「銀河鉄道999」が21世紀に入ってからの「作品」だということに驚く。読むつもりは全くないが。
外へ外へと向かっていくそういうエネルギーがなかったら、人類はいまだに洞窟の中で暮らしてたんだろうか。 「イラクと幕末」
2008-03-06[n年前へ]
■「変わらないもの」と「変わるもの」
「あの写真を載せるという判断」が理解できない。が、そういう新聞を買い続ける人がいるのもまた確かか。
僕は偉そうに人に意見する人がすごくイヤなんです。…だから、なんかの主張をがなりたてるよりも、普通の人たちの日常を歌にする方がいいと思うようになった。
魔夜峰央が長く続くのは、最前列(近く)にいたけれど一番手には一度も立ってないからだよね。一番手を続けていたら、なかなか十年は持たないからね。
もしかしたら、自己決定の先にあるのは「わたしに構わないで欲しい」ということであり、自己責任の先にあるのは「あなたのことなんか知らない」ということになってしまうからではないだろうか、とか思う。つまり、あなたとわたしの関係性の放棄。
折田先生像は日独伊三国同盟が結成された年に建立された。そして、イラク軍がクウェートに侵攻したその年に折田先生は初めて「怒る人」に姿を変えた。それからは毎年のように氏は私たちに何かを伝え始めるようになった。米国がイラク侵攻を行った年には、彼はゴルゴ13の姿で何かにライフルを向けた。
人が何を望み、そして、それを叶えていくには どういった技術が必要なのか。そして、どのようにそれが幸せに繋がっていくのか、そういうことを真面目に考えつつサービス・技術の提供をして行きたいのです。