2008-04-09[n年前へ]
■「透明下敷きボード」と「原始的"Mixed Reality"」
「ホワイトボード」に「ラクガキ」をするで書いたように、小さなホワイトボードと色ペンをいつも持ち歩いています。大きなかばんには大きなホワイトボード、小さなバックパックには小さなホワイトボードが入れているのです。また、(もしも「白い板」だけをホワイトボードと言うのなら)さらにホワイトボードではないものも持ち歩いています。その一つが、透明なボード(透明下敷きに特殊加工シートを貼ったもの)です。
僕は考える。
そしてペンを持つ。
思いついたままノートに、
らくがきしてみる。
ウルフルズ「大丈夫」
といっても、実際のところ、この「透明なボード」はあまり役に立ちません。数少ない「役に立つ」場合のまず一つ目は「デッサン力がない人が、目の前の景色をスケッチしたい」という状況です。透明なボードを目の前の景色に重ねて、目に映る景色をボードに上にトレーシングするだけで、誰でも簡単に遠近・透視法ばっちりのスケッチを1・2分で描くことができるわけです。「どんな感じ」かは、下に張り付けた動画を眺めてみれば、きっとわかることでしょう。
左の上の動画は、現実の景色に「スケッチをした透明プラスチックボードを重ねてみたもの」ですから。”現実に人工の描画を重ねた”一種の「MR=Mixed Reality(複合現実)」と言うこともできるかもしれません。以前作った、「マンガの「吹き出し」型ホワイトボード」(他人や自分の心の中にあるイメージ・言葉を描き出すことだってできる優れものです)も、人力複合現実を使ったマンガ的コミュニケーション・システムです。
人力複合現実(MR)を描きながら、最先端技術を超原始的手作業で実現してみたり、超原始的作業を高度な技術を使ってマネしてみたりするのも楽しいのかな、とふと思ったのです。
誰もが胸にしあわせな世界の
イメージを描いて暮らす。
うまくはいかなくても、
まずは一歩ずつ。
答えはひとつじゃないから
ウルフルズ「大丈夫」
2008-05-02[n年前へ]
■理科の教科書に出てくる「仕事」と「駅前で聴く音楽」
力積で考える「カミソリパンチ」と「ググゥーッと押し込む打撃」の「力積」は「力の大きさと力が働く時間を掛けあわせたもの」です。その一方、「力と変位を掛け合わせた(内積)もの」を、理科の教科書の中では「仕事」と呼びます。
中学か高校の頃、理科か物理の教科書の中で「仕事」という言葉が出てきたときに、何だかその言葉の感覚と教科書の中での定義がズレていて首を捻ったような覚えがあります。たとえば、Wikipedia に「仕事とは呼ばない例」として挙げられているようなこと
人が重い荷物を抱え・支えている状況では、荷物は静止していて、エネルギーは変わらない。つまり、この場合、人は荷物に対して仕事をしていない。を聞きながら、それは仕事でないのかぁ……!?と悩んだわけです。「重い荷物を抱え・支えている状況」はとてもしんどそうなのになぁ……と感じました。それは「仕事」ではないかもしれないけれど、筋肉がパンパンにつく肉体改造・大成長状態だろうに……と思ったのです。
私と同じように、理科の教科書を読みながら、頭の中に大きなハテナマークを浮かべた人はきっと多いと思います。
先日、「手作り三次元グラフ」と"Life Work"や「"複雑極まりない"複素平面」上に「仕事」と「趣味」を描くといったラクガキをしました。そのとき、”理科の教科書の中の「仕事」の説明を読みながら、頭に浮かんだハテナマーク”を思い出しました。
あのラクガキ中の「他人の満足」という軸は、「その人がどれだけ他の人を満足させたか・その人の力で他の人(の心を)どれだけ動かしたか」という、まるで理科の教科書に出てくる「仕事」なのかもしれない、と感じたのでした。
駅前で誰かが演奏している音楽を聴いて心が動かされたとき、「何だか心の中に豊かなエネルギーが入ってきたなぁ」と思ったりもします。それを、理科の教科書を思い出しながら言うならば、「あぁ誰かに仕事をされたんだなぁ」と感じたりするのです。
「力積」と「仕事」はイコールではありません。もしも、「自らを脅かし・揺るがし、新たな出会いや発見がある」としたら、それは「仕事」よりは、力積に近いものなのだろうか、と思っています。
2008-05-04[n年前へ]
■ゴールデンボールズの放熱問題を解いてみる!?
中国語の金玉と日本語の金玉と全然意味が違うという話をしていると(「金玉満堂」と「福来る」)、「日本語の方の語源は何に遡るのか?」「日本語の方が指し示すものの”しわ”は放熱のためか?」という全く別の2つの話題となった。「”しわ”は放熱のためにある」ということの真偽はわからないけれど、もしもその放熱効果を考えてみるならば、”しわ”があることによって、一体どのように効率的な冷却が行われるものだろう?
放熱・冷却の効果は、皮膚の表面における"各領域での(皮膚と空気層の)温度差"を表面積にわたって積分したものに比例しそうに思える。また、皮膚内部における伝熱も重要であるに違いない。大雑把にラクガキしてみれば、それは下の図の「緑色の面積が大きいほど放熱・冷却効果が大きい」というイメージになる。
皮膚の”しわ”の効果、表面積の増加、”しわ”が伸びることによる”皮膚と空気層の温度差"の増加、あるいは、(体の)本体と離れることによる伝熱の違い……などを考えていくと、答えを解析的に解くのは困難であるように思える。
暑い夏になった頃、夏休みの宿題がわりに"エクセルで金玉の放熱問題を数値的に解いてみる"ことにしよう。暑さを吹き飛ばす放熱問題を解いてみることにしよう。
2008-05-26[n年前へ]
■ハードディスクに「手動でデータを書き込んでみる」
ハードディスクが動かなくなった。動作音を聞いていると、ヘッドが動こうとしてはいるけれど動くことができない……そんな感じの音だ。仕方がないので、このハードディスクを使うことはもうあきらめて、ディスクの覆いを開いた状態でどんな風に動いているかを眺めて見ることにした。それが、この下に貼り付けた動画である。
ハードディスクの動きを眺めているうちに、ふと、ただ眺めているだけではつまらないような気がしてきた。そこで、ハードディスクに手動でデータを書き込んでみることにした。ホワイトボード用のカラフルなペンを手に持ち、高速で回るハードディスクの表面にデータを書き込んでみたのである。
そのようすが次の動画である。まるで「ろくろの上で回る陶器に色付けをしている」ような具合になった。意味あるデータを書き込むことはできそうにないが、素早く回るハードディスクにラクガキをするのはなかなかに綺麗で新鮮だ。
2008-07-07[n年前へ]
■「25年前に宇宙人へ送信した画像添付メール」の原画
今日は7月7日、七夕の日だ。そういえば、一月と少し前に、「25年前に電波送信した宇宙人へのメッセージ画像の原画が見つかった」というニュースを読んだ。6年前、「七夕の夜に願うこと」で書いた 「スタンフォードの46mのパラボラ・アンテナからアルタイルに向けて送り出された、13枚の画像添付メール」の原画だ。
地球からアルタイルまでの距離は約16光年。メッセージを乗せた電波信号は99年に到着している。知的生命体が住む惑星が存在し、すぐに返事を送ったとすると、2015年に地球へ届くことになる。
この原画だったか、あるいは、そのためのラフスケッチだったか、そんな画像を見たことがある。「少年ジャンプの企画中で、電波に載せて宇宙人へメッセージを送信してみるんだ」と、父が描いたラクガキを見せながら、父は愉快げな顔で話をしてくれたように思う。
宇宙人から返事がくる可能性はほとんどない。宇宙人へのメッセージは、生物の進化を示す画像群は、なぜかエタノールの分子式で終わる。ビールか何かを飲みながらそんな「低解像度のエタノールの分子式」について語る送信者の話を聞いていた覚えがある。
「でも、それでいい」
西暦2000年に送られた、アルタイルへの電波メールが宇宙空間をこの瞬間も秒速30万kmで伝播し続けている途中かもしれないと夢想してみるのも、とてつもなく楽しいことだと思う。
これから続く夏の空を眺めつつ、ビールでも飲みながら、天の川とベガとアルタイルのことや、酔っぱらい二人が送ったそんなメールのことを思い浮かべてみるのも、きっと気持ちが良いと思う。星空が綺麗な高原で、あるいは、星も見えないビル屋上のビアガーデンで。