2006-07-07[n年前へ]
■『行動経済学 経済は「感情」で動いている』
出張打ち合わせが終わった後、急遽、夜の品川で「経済学インタビュー」打ち合わせ。松原隆一郎氏・小島寛之氏に続くインタビューイとして、『行動経済学 経済は「感情」で動いている』の友野 典男氏を選び、質問事項を考える。さてさて、友野 典男氏にどのようなことを聞いてみたいものでしょうね?
2006-07-12[n年前へ]
■「インサイダー取引ってなぜ悪いんですか?」
『大学への数学』『高校への数学』『中学への算数』などでの連載でも有名な小島寛之・帝京大学経済学部助教授に、村上ファンドやライブドアの事件報道中で見聞きした「インサイダー株取引」「企業の価値」「会社は一体だれのものか?」といった話を聞いてみました。
今回の小島寛之 助教授へのインタビューは、話の内容を全文公開したいと切実に思っているほど面白かったのです。そこで、せめて2回に分けた記事にすることで、少しでも記事に入れられる内容を増やしてみました。というわけで、小島寛之 助教授へのインタビューの第一回目です。
単なる一従業員である経営者が、会社の持ち主面をして株式市場に"物言い"をつけるのは何かヘンじゃない?
目には映りにくい「働く人の間のつながりといった社会的な価値あるもの」も、高い株価というカタチできちんとその価値が目に見えるモノにされているんだ…ところで、編集者に送る寸前に、実は原稿のまとめ部分の最後を変えたのです。変える前は実はこんなでした。
いつの間にか”お金大好き”カネゴンになってしまわないか心配になってくるくらいです【鏡を見ればおれカネゴン】。
2006-08-09[n年前へ]
■エンジニアという職業選択は合理的ですか?
「エンジニアのための経済学」に「エンジニアという職業選択は合理的ですか?」が掲載されました。小島寛之・帝京大学経済学部助教授に、「経済学の視点から見た、理系エンジニアを職業として選ぶ理由」「“不況”や“失業者”を巡る二大経済学派の対立」「“理系の”小島助教授が経済学にハマった理由」といったことを聞いてみたのです。
想定読者の範囲はかなり狭まるだろうし読者の数も減るだろうなと思いつつ、狙った人にきちんと届くことを一番に考えた原稿です。
僕がマクロ経済学に飛びついたとき、現実の世界は不況で不安定になっていたわけです。そんなとき、「公共事業をやったり、お札をいっぱい印刷したりすれば安定な世界に戻るんだ」というケインズ理論はとても魅力的で、僕の「こうあってほしい世界観」に近くて、憧れとか高揚感に近い楽しさを感じたんですね。 ところが、その魅力的な世界を…
2006-08-27[n年前へ]
■「エンジニアのための経済学講座」西村和雄教授への質問を考える
次々回の「エンジニアのための経済学講座」の講師は、西村和雄 京都大学経済研究所教授です。複雑系経済学や経済非線形動学理論が専門である西村和雄さんへの質問事項を、先週、編集者と一緒に考えてきました。決めた質問事項のうち、一つは「自由に色んな人が参加する場で、みんなの意見は本当に案外正しいの?(分数ができない大学生でも?)」といったようなことです。そして、もう一つは「人やモノの値段はどのように決まるのか?」ということにしようと思ってます。ネット界隈の現象を眺めながら、色々訊いてみたいことがあるのです。…もう一つ二つ他にする質問事項は、今まだ考えているところです。
これまで、話を聞きに行く先生は「私が話を聞きに行きたい人」ということで選んできました。例えば、「自分たち自身がどんな風に未来を選択するのか」を聞きたくて、"確率的思考 "小島寛之・帝京大学経済学部助教授に話を聞きに行ったり、「自分たに何かの選択をさせる感情」のことを聞いてみたくて、"経済は「感情」で動いている"友野典男 明治大学教授に話を聞きに行ったりしました。今回の(記事上は次々回の)インタビューで西村和雄さんに、「複雑系での全体(みんな)の選択や自分の選択」について聞いてみたいな、と思っています。
将来を決める公式などありません。未来のあなたを決めるのは、過去のあなたではなく、今のあなたがどういう選択をするか、です。1+1を、3や4にしてくれるのは、個人の力に加えて、ネットワークが働き始めたときです。つまり、経済学でいう複雑系が見られるときなのです。これは、あなた自身をも変えてゆく力になるのです。 西村和雄 「満員御礼!経済学なんでもお悩み相談所」
2006-11-06[n年前へ]
■小島寛之「算数の発想」
小島寛之の「算数の発想」を読んだ。あくまで、本書のタイトルは「数学の発想」でなく、「算数の発想」だ。その「数学」と「算数」の違いこそが、この本の「言いたいこと」である。
…無理を承知で、この本の印象をひとことで書いてしまえば、それは「カオス」だ。「はじめに」を引用するなら、まな板の上にあげられる題材は「物理学・経済学・数学・ゲーム理論・統計学…」であるという。それらは、実にバラバラな分野に見える。しかも、「フィクション・作り話」と絡めて、その分野は数学や国語や人生の哲学に話が広がっていく。その話の跳び具合を堪えられない人もいるだろう。けれど、その跳ね具合の中に「繋がり・方向性」を感じる人には、実に面白い本だと思う。
序章の中盤はこのように書かれ、
算数の「なんとか算」のような問題、つまり、つるカメ算、旅人算…などは中学の数学になると、方程式によってすべて統一的に解けてしまう。
これは格好良く言うと、「個別性」から「普遍性」へ関心領域の転換が起こったということである。そして、その序章はこんな風に終る。
算数の発想は、日常生活や人間関係や人生の経験の中からやってくるさまざまなものの見方を集積したものである。
数学の持つ「普遍的な操作性」は、思考や時間の節約という「効率性」あるいは、考え落としや飛躍のない「厳密性」を与えるかもしれないが、世の中を眺める楽しみを育むのは、むしろ算数の「個別的な思考」のほうだといっていい。ところで、この本を読みながら、算数も数学もどちらも同じように苦手な私が、ふと思い浮かべていたのは、おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記の2006年11月05日(日)分
個別のノウハウをおろおろと個別に実行することしかできず、生活のためにしなければならないことをさっぱり一般化できないという一文を含む、「個別」や「一般化」を題材に挙げた一連の日記だった。