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2001-03-04[n年前へ]

柿ピーのシーソー・ゲーム 

柿とピーナツの供給バランスを考える

 結婚しようとするカップルが少しばかり気にした方がよいのが、「柿ピーの好み」である。知らない人がいるとは思えないが、念のために書いておこう。柿ピーと言えば、柿ピー= 柿の種 + ピーナッツであって、亀田製菓の大ヒット商品である。そして、何と言ってもビールの安上がりのおつまみだ。
 

いわゆるひとつの「柿ピー」

 この「安上がりで手軽なおつまみ」というところが、結婚しようとするカップルにはとても重要である。何故なら、結婚する前のカップルであれば洒落た店で飲むことも多いかもしれないが、結婚後はなかなかそうはいかない。いつの間にか手に持ったワイングラスは缶ビール(しかも発泡酒)に変〜身し、「テーブルの上の豪華な食事」はちゃぶ台の上の亀田製菓の柿ピーにバケラッタしているのである。

 そうなると、かつては「このソースとても美味しいよね。うふっ。」なんて言っていた二人も変わらざるをえない。そりゃそうだ。柿ピーを目の前にして、気取ってみてもしょうがないわけだ。そんな時、こんな会話に走りがちである。

「柿の種ばっか、食べないでよ!」
「オマエこそ、ピーナッツどんどん食えよ!」
そう、柿ピーがなまじ「柿の種 + ピーナッツ」なので、片方がどんどん減っていったりすると、これがもう大変。かつては、ワインを片手に愛を語らっていた二人も、今やビール(しかも実は発泡酒)を片手に食い物の奪い合いをすることになるのである。

 これが、カップルの二人がとても似たもの同士で、「私達二人とも柿の種がスゴ〜ク好きだから、ピーナッツなんかいらないの。だから、- 柿の種だけが100%入った柿の種 - を買うの!」なんて感じなら、もちろんノープロブレムだろうし、あるいは、「ぼくらは、ピーナッツだけを買うのさ!」という感じのカップルでも同様だろう。
 

そんな二人のための「柿の種だけが100%入った柿の種」

 あるいは、もう「ぼくは柿の種が好きだけど、きみはピーナッツが好き。二人は違っているから良い組み合わせなのさ。柿の種はぼくがどんどん食べるから、君はピーナッツをお食べ」なんてカップルでもいいだろう。こちらも、「ひとまずは」ノープロブレムである。つまりは、全く同じが正反対のカップルであれば、大抵の場合ほとんど問題はないのである。

 しかし、「柿ピーは柿の種とピーナッツが適当な割合で入っているから良いのさ」なんていうグルメ気取りのカップルがいたりすると、大変である。

「アンタの食べる割合、少しおかしくない?」
「何言ってんだよ!オマエの方が柿ピー食べ過ぎだってんだよ!」
「そんなことないわよ!」
となるのは必至である。この数分後には、巨人の星の一徹父ちゃんのごとく、ちゃぶ台はひっくり返されているのに違いないのである。柿ピーの割合恐るべしだ。

 そして、しかもこれが理系カップルともなれば、もう最低だ。

「柿とピーの割合は7:3で食べなさいよ!」
「違うだろ、6:4が適正値に決まってるだろ!」
「そんなにピーナッツを食べたいなら、柿ピーじゃなくてピー柿にしなさいよ!」
「別にピーナッツが過半数を超えるほどがイイって言ってんじゃねぇ〜!」
「何よ、もっと定量的に話しなさいよ!」
という具合になるに決まっているのだ。このままいくと、柿ピーを前にして離婚談義にもなりかねない。なんともオソロシイ話である。(* ピー柿は7:3でピーナツの方が多い。そんなのが実在することが私にとっては驚きである。)

 そういうわけで、「柿ピーの好み」「柿ピーの割合」「柿ピーの消費の割合」なんていうものは、結構結婚しようとするカップルには重要なのである。結婚しようとするカップルはぜひとも心して聞いておいてもらいたい。とはいえ、モテモテ度テスト

「女にモテない、というより、女に興味がないオマエ。今、一番気になることがドリキャスの値下げだったりなんかしない? まーそれも人生だけど、モテたほうがおいしいことは多いぜ? もうちょい女に関心持てよ。」
と判定された私が言っても説得力がないか。
 

 ところで、そもそも柿ピーの割合はどのくらいが普通なのだろうか?WEBで検索してみると、柿ピー10に対して

  • 柿の種 : 7〜6
  • ピーナッツ : 3〜4
が普通であるらしい。作っている方も、食べる方も結構ウルサ方が多いらしく、結構その割合について書いてあるサイトも多かった。

 そこで、試しに私も手元にあった小袋入り亀田の柿ピーの中身を調べてみた。調べたのは「小袋入り亀田の柿ピー」である。
 

小袋入り亀田の柿ピー

 この一袋の中身を開けてみると大体こんな感じである。
 

一袋に入っていた柿ピー

 もちろん、単に数えても良いわけではあるが、「クダラナイことに、無意味なほどに大ゲサな道具を使うのがこのサイトのポリシー」でもあったりするので、まずは画像処理ソフトを使って柿の種とピーナッツの個数をカウントしてみた。使ったソフトはUTHSCSAImageTool である。PCベースでフリーでお手軽で粒子カウントとなるとこのソフトになるだろう。もちろんNIH-imageベースのScionImagePCという選択肢もないわけではないが、こと粒子カウントになるとはるかにImageToolの方が使いやすい。マクロの取っつきやすさ(機能は較べものにならないほどおちるが)もNIH-image系よりも上である。

 さて、まずは上の画面内で柿の種を粒子カウントしてみたのが次の画面だ。この画面では見つかった柿の種は赤い縁取りがされ、個数がマーキングされていることがわかると思う。ちなみに、この画面内では93個の柿の種が見つかった。しつこいようだが、「数えた方が早いだろっ!」というツッコミはこの「できるかな?」では厳禁である。
 

柿の種は大体100個
ちなみにこの画面では93個

 同じようにして、ピーナッツをカウントしてみたのが次の画面である。この画面では、ピーナッツは23個見つかった。
 

ピーナッツは大体20個
ちなみにこの画面では23個だった

 すると、個数ベースでピーナッツが23/(93+23) = 20%で、残りが柿の種で80%ということになる。柿ピーの割合は大体8:2であったことになる。確か、WEBの亀田製菓に関する情報では

「柿ピー」のブレンドは、柿の種6に対してピーナッツ4が基本
と書いてあったような気がするので、今回の8:2というデータは測定誤差、とその他の何らかの誤差が重なったものだろう。いや、そんな誤差はどうでも良いか。
 

 ところで、大きな袋に入った柿ピーを食べながらよく考えることがある。私は柿の種が大好きなので、柿の種ばっかり選んで食べていくと、袋の口近くの上の方にはピーナッツばかりが残り、明らかに袋の場所ごとに柿の種とピーナッツの割合が異なってしまっていることがよくある。この柿の種とピーナッツの割合の時間的・空間的変化は一体どうなっているものだろうか?そこで、今回その「ピーナッツの柿ピーに占める割合の時間・空間的変化」について、少し考えてみることにした。
 

 まずは簡単に判るように、袋の中から均等に柿の種とピーナッツを「柿ピーの割合を適当な割合で」食べていった場合、「ピーナッツの柿ピーに占める割合」は次の図のようになる。この図は横軸が時間で、縦軸がピーナッツの柿ピーに占める割合である。
 

ピーナッツの柿ピーに占める割合の時間的変化
青 : 柿ピーを8:2の割合で食べた場合
緑 : 柿ピーを8:3の割合で食べた場合

 今回の場合柿ピーは8:2で入っているので、青の場合のように柿ピーを8:2の割合で食べていくと、時間にして10分後に柿ピーがなくなるまで、ピーナッツの柿ピーに占める割合は20%をキープしたままである。しかし、(少しばかりピーナッツが好きな人が)柿ピーを8:3の割合で食べてしまうと、つまりピーナッツを過剰に食べてしまうと、どんどんピーナッツの割合は減ってしまい、ついに8分経過後にはピーナッツが袋の中から無くなってしまうのである。つまり、あとの2分は悲しみと共に柿の種を食べ続けなければならないのである(私は柿の種が好きなので悲しくもなんともないが)。

 じゃぁ、袋の中の空間的分布も考えてみたらどうなるか、というのを次に計算してみた。まずは、袋を大きく二つに分けて、袋の入り口で適当な割合で柿ピーを食べた後、袋の奥から袋の入り口の方へ柿ピーを持ってくる。また、その際に適度に柿ピーをかき混ぜる。そして、柿ピーがなくなるまで柿ピーの割合の変化を調べてみるのである。ちなみに、IE4以降+Excel2000以降?の人であれば、ここをクリックすれば、その計算シートで遊ぶことができると思う。

 例えば、「柿ピーを8:2の割合で食べた場合」と「柿ピーを8:5の割合で食べた場合」のピーナッツの柿ピーに占める割合の時間・空間的変化を調べてみたのが、次に示す結果である。ちなみに、このいずれも横軸は時間である。また、時間軸にして30前後の時点で柿ピーは完全になくなっている。
 

ピーナッツの柿ピーに占める割合の時間・空間的変化
左 : 柿ピーを8:2の割合で食べた場合   右 : 柿ピーを8:5の割合で食べた場合

ちょっと計算上の誤差が大きいが、それはちょっと無視してもらいたい。

 さて、左の「柿ピーを8:2の割合で食べた場合」、つまり本来の柿ピー比と同じ割合で食べていった場合には、入り口近くでも奥の方でも柿ピーの比率は変わらない。そして、入り口の方から柿ピーを取った分を、奥の方から補給しているので、奥の方では時間軸20の時点で空になってしまっている。左の図でピーナツの割合がゼロになっているように見えるのは、実は単に柿ピーがなくなっただけなのである。そして、入り口近くの柿ピーが時間軸30の時点で空になっているまで、柿ピーの比率は変わることはない。当たり前だ。

 では、「柿ピーを8:5の割合で食べた場合」はどうだろうか?つまり、本来の割合よりもピーナッツを多く食べがちな人の場合だ。そんな場合の右を見てみると、奥の方は単に入り口近くに柿ピーを補給しているだけなので、柿ピーの割合は変わらないままだ。しかし、入り口近くではあっという間にピーナッツの割合が減ってしまっている。ほとんどなくなっている、といっても良いくらいの状態である。つまり、ピーナッツ大好き人間にとっては、手の届く袋の入り口近くには全然ピーナッツがないという、拷問状態なのである。周りに女子校や共学の学校はあるけど、自分の通う学校が男子校だったみたいなキツイ状態である。ちなみに、私は高校時代に私服の共学の学校に通った結果、制服の女子高生に強い強い憧れを抱くに至ったことを否定できなかったりするのである。
 

 話を戻して、それでは「袋を適当にかき混ぜながら」、「柿ピーを8:5の割合で食べた場合」はどうなるだろうか?というのが次の結果である。こうすると、奥の方のピーナッツもどんどん消費されているのがわかる。入り口近くも奥の方も、同じようにどんどんピーナッツの割合がどんどん減ってしまい、時間軸15の時点で完全になくなってしまっている。あとは柿の種がなくなる時間軸30の時点まではもう柿の種と向かい合うだけの人生なのである。ツラすぎる(ピーナッツ好きの人にとっては)。私の知人のオッパイ星人が結婚後に妻から、

「アンタはもう貧乳とだけ向き合う人生なのよ。」
と言われ、涙をこぼしていたのを連想させるような「柿の種人生」が待っているのである。

*一部、不適当な発言がありましたことをお詫びします。
 

「袋を適当にかき混ぜながら」、「柿ピーを8:5の割合で食べた場合」
柿ピーの袋の奥の方でも入り口近くでもピーナッツがすぐになくなっていく

 つまりは、ピーナッツが食べたいからといって、あまり柿ピーの袋をかき混ぜるのは良くないということなのである。もちろん、短期的にはピーナッツがたくさん食べることができて良いわけであるが、長期的に見ればその後の長い「柿の種人生」が待っているのである。それが端的にわかるのが、次の「ピーナッツをどれだけ食べているか」を示す結果である。

 この結果の中で、上の方に示した「柿ピーの袋をかき混ぜない場合」では、結構最後までピーナッツを細々と食べていけることがわかるだろう。柿ピーがなくなるのが時間軸で30前後の時点であるが、その少し前23位の時点までピーナッツを食べていけるのである。それに対して、ピーナッツを早く食べたいばかりに、柿ピーの袋をかき混ぜまくりの下の「柿ピーの袋をかき混ぜた場合」には、時間軸で13前後の時点でもうピーナッツがなくなってしまっている。もう、コイツには「柿の種人生」しか残されていないのである。
 

「ピーナッツをどれだけ食べているか」の時間変化
横軸 : 時間、 縦軸 : ピーナッツの消費数
 

柿ピーの袋をかき混ぜない場合

結構最後までピーナッツを細々と食べていける


 
 

柿ピーの袋をかき混ぜた場合

なんとも、太く短くのピーナッツの食べ方である…


 

 とはいえ、柿ピーの袋をかき混ぜながら太く短くピーナッツを食べるか、それをじっとガマンの子で細々と最後までピーナッツを食べるか、どっちが良いかは難しいところだ。ちなみに、私はかき混ぜまくりで柿の種を食いまくり、残ったピーナッツは人にプレゼントするというとても良い性格である。だったら、100%柿の種を買えって感じであるが、売店には置いてないことも多いから、しょうがないのである。
 

 というわけで、今回はビール(やっぱりあくまで発泡酒)を左手にそして柿ピーを右手でつまみながら、酔っぱらった頭で(いつものことだが)、ツマラナイことを考えてみた。モノが本当の柿の種であればオチて芽が出るのが普通なのだけれど、今回の柿ピーの話はオチがあるわけでも芽が出るわけでもない。酔っぱらいのタワゴトだから意味なんか全然ないのである。と、日記には書いておこう(意味不明)。
 

2001-03-18[n年前へ]

平均顔の方程式 

いい顔で、「はい、チーズ!」


 先日、メールマガジン「今日の雑学」の中の一話がコメント付きで転送されてきた。その「今日の雑学」の内容は東京大学原島・苗村研究室で作成・公開されている平均顔作成ツールに関する話だった。

 平均顔作成ツールというのは、顔写真を元に目・口・鼻などの部品の位置情報とテクスチャー情報を使い、平均化した顔を作成するツールである。顔写真を元に目・口・鼻などの部品の位置情報とテクスチャー情報を作成するのはFaceToolという別のツールを使うようになっている。例えば、下の画面はFaceToolを使って顔写真から顔の位置情報を設定しているところである。
 

FaceToolを使って顔写真から顔の位置情報を設定しているところ
 FaceToolを使って顔写真から顔の位置情報を設定する作業は、気分的にはまるでアイコラ作成作業のような感じでなかなか楽しい。アイコラを作ったことはないのだが、アイコラを作る気持ちがとても理解できてしまったりするところが面白い。うむむ…

 何はともあれ、なかなか面白そうなツールなので、近くにいた人の写真を撮って、早速昼休みに平均顔を作成してみた。まずは最初の登場人物は

  • 自称「反町隆」似だが人には「ヒロミ」に似ていると言われるいうIs氏
  • グレムリンのギズモ似と言われる某webmaster H
  • ちょっとペコちゃん似のK氏
である。まずは最初に "ヒロミ"Is氏 + "hirax.net"H(しまった、これでは全然某じゃないぞ、と) はどうなるだろうか?自称「反町隆」似のIsのエッセンスを私の顔に注入すれば、「反町隆」似の私になって、松嶋奈々子と結婚することができるかもしれない。もしかしたら、「ヒロミ」似のギズモになってしまう危険が無きにしもあらずだが、とりあえず松嶋奈々子との結婚に目がくらんでやってみた結果が下である。
 
"ヒロミ"Is
+
"hirax.net"H
=
 周りの採点者達に聞いてみたところ、この二人の平均顔は「パっと見た印象はhirabayashiかなぁ。だけど表情の特徴はIsだなぁ。」という感じだった。また、「IsでもHでもなくて、むしろヒガシさん(仮名)に見えるぞ」という意見が大多数だった。これは顔が長いIs氏と短い私(某webmaster)を合成したので、私でもなくIsでもない全然違うヒガシさん(仮名)であるような印象を与えているのかもしれない。
 しかし、とりあえず「反町隆」似の私であると言った人は一人もいなかった。最初の私&松嶋奈々子の計画は失敗に終わり、ちょっと残念である。松嶋奈々子は遠くなりにけり、なのである。

 そこで今度は私の先生でもあるK氏 + "hirax.net"H をやってみた。

 
K
+
"hirax.net"H
=
 すると、今度は見事に採点者達の意見は二つに分かれた。この二人の平均顔の与える印象は「K氏だ」という意見と、「いや、Hさんかなぁ」と分かれてしまうのである。ちょっと似た系の顔なのでそうなったのだろうか?
 もう少しリサーチしてみると、「近くで見るとHで、少し離れて見るとKさんかなぁ」と意見が多かった。目の表情が見える位の距離だと私で、少し離れると女性に見えるのでKさんと感じられるらしい。さらに採点者達の特徴から考えてみると、何はともあれ人に対する判断を「コイツは男か、女か」の二者択一で行う愛の狩人タイプの人達はこの平均顔を「コイツは女性っぽいからKさんだ」と判断し、人の特徴を目の辺りで感じる人達は「コイツはhirabayashiだ」と判断したようだ、ということがわかってきた。人に対する判断基準が男か女かの1bit判定だけだなんて、それでいいのか?という気もするが、愛の狩人達の判断基準は真実その1bitのみなのである。恐るべし愛の狩人達だ。もう何というか、歩く生殖本能としか言いようがない。
 

 それはさておき、こういう風に、二人の平均顔を作成した上で「その平均顔がどっちに見える?」と聞くとこんな風に人の判断基準が判って、とても面白いわけである。その質問の答えで、聞かれた人達がその平均顔に使われた人をどういう印象で見ているか、あるいは、さらに言えばその聞かれた人達が何を頼りに人を識別しているかがわかるのである。

 さて、先の三人の残りの組み合わせK氏 + "ヒロミ"Is氏をやってみると、これがアッサリ系の良い顔になった。美男子か美女かはわからないが、いずれにせよとても整った顔である。採点者の意見としては、「この顔の与える印象はほぼK氏だ」という意見が多かった。IS氏の影響で顔が長くなっているが、それ以外はK氏の印象であるように私も思う。
 

 
K
+
"ゴリラ"Is
=

 私のエッセンスが入らないと、アッサリ系の良い顔になるというところが、実にヤナ感じではあるが、それが事実なのだからしょうがない。何しろ、私は似ていると言われるのがグレムリンのギズモだったり、ETだったり、ヨ−ダだったりするのである。よく「芸能人だったら誰に似てるって言われる?」と聞かれるたびに、言葉に詰まってしまうのである。果たしてギズモは芸能人か?とか、じゃぁヨーダは俳優だったか?と思ったりしてしまうのだ。ETも売れっ子だが、俳優ではなかったハズだし、芸能人ではないだろう。いや、芸能人以前に地球人ですらないヤツラばかりな気も少しばかりしたりするのであるが、それは言ってはダメダメなのである。
 

 ところで、今回は本来の顔の方にはボカシをかけた。だから、これを読んでいる人には本来の顔はわからないようにしている。しかし、今回は3人の未知の顔からなる3個の平均顔の方程式が判っているわけで、これを逆に解けば本来の顔が判ってしまうキケンもあるかもしれない。そんなことを次回以降にでも考えてみることにしたい。また、その他にもこのツールを使って「強烈な顔・印象の薄い顔」トーナメント大会など色々と遊んでみようと思う。そして、その中から人の印象とは何か、特徴と平均とは何かについて、ゆっくりとゆっくりと考えてみたいと思う。

 さて、今回の話のキッカケになった先の「今日の雑学」のメールは「それぞれの職業の典型的な顔」があって、それは例えば会社の中で「職にあった顔」が大量生産されていくのかもしれない、だから

 毎朝鏡を見て、自分が「いい顔」をしているかどうか確認する。
化粧でごまかすのじゃなく、いい顔をしようと努力してみる。その
ことが、日々少しずつ何かの型にはまってしまう自分を押しとどめ、
理想の自分に向かわせていく、そんな気がする。
と締めくくられていた。そして、それに「いつもいい顔をしていたいですね。」とコメントが付けられていた。


 私も本当にその通りだと思う。そんな風に続けていれば、色んなキッカケが繋がって、いつかきっと理想が実現できたりするだろうなぁ、と思っていたりする。
 

2001-12-24[n年前へ]

私と二度めに出会う「水」 

クリスマスの小さな遺品

 先日、こんなメールを頂いた。

 私の娘は小学三年生。図書館から借りてきた「水の一生」といった、子供向け科学本(蛇口から出た水は下水を通って…<途中大幅に省略>…再度雨になって…というヤツです)を読んでおりました。そこで彼女はいくつかの疑問を口にしました。
「一度下水に流した水は、どのくらい経ったらまた私のところへ戻ってくるの?」
 
私 「必ずしもすべての水が海まで行くわけではなくて、下水処理場で蒸発して、川の取水口あたりで雨になる分子もあるはずだから、そうだなあ、一番早くて3日くらいかなあ。 勿論もっと長い場合もあるし、一度流したらキミが生きている間にはここには戻ってこない分子もあると思うよ」


「コップ一杯の水の中で、私と2度目に出会う水はどれくらいあるの?」

私 「う〜ん…  どれくらいなんだろう?」
 さて、どう思われますか?
 可愛い娘さんとお父さんの楽しそうな会話が伝わってくるメールである。

 ところで、この後半の疑問「コップ一杯の水の中で、私と2度目に出会う水はどれくらいあるの?」というのはたまに見かける話である。何かの小説で、「このコップの話が主人公が科学を志したきっかけになっている」という小道具に使われている例も読んだことがあるような気がする。

 たまに見かける話ではあるのだけれど、同じ本を読んでも人それぞれ抱く感想は違うし、私なりにも考えてみたい気もしたので、今回はこの「コップ一杯の水の中で、私と2度目に出会う水はどれくらいあるの?」を考えてみることにした。

 人が一日に「出会う」水はどの位の量だろうか?成人男子が安静にした状態で、一日当たり大体2.5リットルの水を消費するという。すると、小さい子供の場合でも、少なくとも一日2リットルくらいは水を消費する、つまり水と「出会って」そして「分かれる」ことになる。2リットルの水というと、2000gだから、これを水の1molあたりの重さ18g /molで割って、さらにアボガドロ数(1mol当たりの分子数)をかけてやると、(2l = 2000g ) / 18g x 6.022x1023個 = 6.7 x 1025個となり、私たちが一日に出会う水分子の数の個数がわかる。

 この「とある一日に私たちが出会った水」が川へ流れて、海へ流れて、地球上にまんべんなく拡がったとしよう。地球上の限りなくある水の中に含まれる「とある一日に私たちが出会った水分子」の割合は、いったいどのくらいの程度になるのだろうか?

 地球上の水は大体14億km3くらいだという。そのほとんどは96.5%は海水で、残りが陸地のさまざまな場所(そしてわずかに空気中)に存在している。この地球上にある水の重さを計算すると、14億km3= 1350000000km3 = 1.4 x 109 x 1012 kg= 1.4 x 1024 g ということになって、これを水の1molあたりの重さ18g /molで割ってやると、地球上に存在する水分子の総量は 1.4 x 1024/ 18 = 7.8 x 1022mol ということになる。mol数から水分子の量に直すために、アボガドロ数6.022x1023個/molをかけてやると、地球上の水分子の総量= 4.5 x 1046 個という数字が得られる。

 すると、地球上の限りなくある水の中に含まれる「とある一日に私たちが出会った水分子」の割合は
「とある一日に私たちが出会った水分子」 / 地球上の水分子の総量 = 6.7x 1025個 / 4.5 x 1046 個 = 1.5 x 10-21= 0.00000000000000000015%というとても小さい割合になる。この割合は、新たに水分子と出会った時に、その水分子が「とある一日に私たちが出会った水」である確率と言い換えても良いだろう。とにかく、私たちの普段の生活の感覚からすれば、限りなく小さく思えてしまう。しかし、その再会の確率はとても小さく思えてしまうのだけれど、決して私たちは「とある一日に私たちが出会った水分子二度と水と再会しない」わけでは無いのである。

 例えば、180mlのコップ一杯の水の中には( 180ml = 180g ) / 18g x 6.022x1023個= 6.0 x 1024個の水分子が含まれている。ということは、このコップ一杯に含まれる水分子の中にいる、かつて「とある一日に私たちが出会った水分子」の数を計算してみると、
コップ一杯に含まれる水分子の数 x 「とある一日に私たちが出会った水」である確率= 6.0 x 1024個 x 1.5 x 10-21  = 9000個ということになる。コップ一杯の水の中にはかつて「とある一日に私たちが出会った水」が一万個近くも存在していることになる。

 しかも、この計算は「とある一日に私たちが出会った水分子」だけで計算していて、決して「これまでに私たちが出会った水分子」で計算しているわけではないのだから、「コップ一杯の水の中で、私と2度目に出会う水」はもっと多いことになる。もちろん、実際には私たちが消費した水が理想的に拡散したりはしないだろうから、こんな風に上手くはいかないだろうけれども。

 とりあえず、「コップ一杯の水の中で、私と2度目に出会う水はどれくらいあるの?」という疑問を口にした小学校三年生の娘さんには、「ずっと昔のある日に出会った水がコップ一杯の中には一万個近くもあるかもね」と答えておくのが良いかもしれない。計算の中身、アボガドロ数なんて言っても、小学校三年生では「あぼがど?あぼがろど…?」と頭がこんがらがるだけかもしれないけれど、とりあえず「おとーさんって、何でもわかるんだー」とちょっとくらいは尊敬されたりするかもしれない。
 

 そういえば、先日東京で初雪が降った。「雪は天から送られた手紙」とは中谷宇吉郎の残した名言だけど、その雪を見ながらこんなことを考えた。

 ある日誰かが亡くなり、荼毘に付される。すると、その人の体のほとんどの部分は火と共に空へ昇っていくことだろう。成人の体のおよそ60%は水分だから、体重60kgの人であれば、その60%の36000gもの水が空へ還ってゆくことになる。その空へ還っていった水分子が世界中に散らばっていった後に、いつかまたその水分子と出会うためにはどの程度の水があれば良いだろうか?どの程度の水があれば、この中には「かつてあの人と共に空に帰っていった水分子」が一個くらいはある、と言えるものだろうか?

 これを先程と同じように計算してみると、ほんのちょっと「1 x 10-3g」ほどの水があれば、その中には「かつてあの人と共に空に帰っていった水分子」が一個くらいある、という結果になる。「1x 10-3g」ということは、大きさで言うと1mm3ほどになる。ちょうど雨粒一滴と同じ位の大きさだ。空から降ってくる雨一粒の中には「かつて亡くなった人と共に空に帰っていった水分子」が1個が漂っている、ということになる。

 冬の雪の一片の大きさが雨の一粒と同じくらいであるかは判らないけれど、今日のように何時の間にか雨が雪に変わることもあるくらいだから、やっぱり雪も雨と同じような大きさなのだろう。だとすれば、空から降ってくる雪の一片の中には、「かつて亡くなった人と共に空に帰っていった水分子」が1個宝石のように入っていてもおかしくはない。「雪は天から送られた手紙」であるならば、その中にはその手紙を天から送ってくる「かつて亡くなった人」のまるで遺品が1個づつ封じ込められているのである。「雪は天からの遺品」と言っても良いかもしれない。

 間もなく、クリスマス。そして、クリスマスには白い雪が付き物だ。空から舞い降りてくる白い雪の中には大切な1個の水分子「クリスマスの小さな遺品」が入っているのである。

2004-09-06[n年前へ]

「男の子はバカでヘン」「女の子は意地悪」 

 女の子が幼児期から「周囲と自分を対比してみる」という能力に長けているいるのに対し、男の子はそういうことにまるで頓着しない。
 だからこそ男の子は「面白い」のですが、この辺りを理解していないと母親は「ウチの息子ヘン」「周囲と足並みを揃えられない」と悩むことになります。
 大丈夫、男の子は皆「バカでヘン」です。 ちなみにそのまま大きくなるので、「オトコ」という生き物も基本的に「バカでヘン」だと思って間違いありません。
 ちなみに、「女の子は意地悪」男の子女の子両方を育ててみての感想であり、確信です。「バカ」と「意地悪」が共に暮らす人間社会。いろいろあって当たり前です ね

今日の常識第117回

2004-12-30[n年前へ]

「おち○ちんと△の成長」 

The Natural PenisThe First CutThe Natural Penis 「おち○ちんと△の成長」を解説する"The natural development of a penis and its foreskin"(The facts about circumcision the world's oldest operation) . What is an adult, natural penis like?の後半の「表皮における種々の問題(別名:包茎問題)」を読むと、日本男子は何か一言言いたくなるかも。「日本人男性の50%は大いなる問題を抱えている」って言うし、それに加えて、(とある)最後の画像に対する解説が「こんな祭りを行うこと自体が、その問題の日本における重大さを意味している…」なんだもの。



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