2008-05-27[n年前へ]
■「色んな単位」と「”メガ”+”乳”=”メガ乳”という方程式」
「メガ乳」という言葉の発明者と会ったことがある。マクドナルドのハンバーガー「メガ・マック」などをきっかけに、メガ×○△といった言葉を良く聞くようになったが、最近では、この「メガ乳」という言葉が使われることも多いらしい。「100万倍」を意味する科学用語・単位「メガ」が、こういった用途に使われるということに、奇妙な新鮮さを感じる。
科学離れが語られる今日この頃だけれども、こんなことにも「100万倍=メガ(mega)」という科学用語が使われているのだ。科学と日常生活の距離は、ずっと昔からそうだったように、(もちろん、近いとも限らないが)決して遠くはないのである。
よくよく眺めて見ると、「メガ」+「乳」=「メガ乳」という言葉は、案外良い組み合わせだと思う。たとえば、「メガ乳」の10億倍を意味する「1000兆倍=ペタ(peta)」では、「ペタ」+「乳」=「ペタ乳」になってしまう。これでは、妙にフラットな印象をかもし出してしまうように思う。それなら、むしろメガの10万分の1の「10倍=デカ(deca)」の方が迫力を感じるような気がする。
単位系を眺めているうちに、結構気に入ったのが「1兆分の1=ピコ(pico)」だ。「乳」という言葉の接頭語としては、「ピコ」も結構似合うような気がする。
2008-06-23[n年前へ]
■列車の振動音・鼓動のような「リフレイン」
列車に乗っている時に聞く音のような、リフレインを持つ曲がある。たとえば、それは岡村孝子の「電車」だ。「電車」は、さならがらレールの繋ぎ目を台車が過ぎていく時に発する音のように、(サビ前の部分で)ギターがアルペジオを淡々と奏で続ける。そのリフレインに歌詞が重なることで、音を介して、通勤電車に立つ主人公たちが浮かび上がる。
誰もが自分の生き方を見つけて歩いてゆくけれど、 私は変わらずに私でいるしかできない。
岡村孝子 「電車」
RADWIMPSの「オーダーメイド」も、何かの列車に乗っているかのように感じさせるリフレインを持っている曲だ。この曲の魅力的なリフレインは旋律ではなくて、2回目のAメロから刻み始められるリズムだ。間をおきつつ小刻みに続くドラムの音が、まるで、いくつかの車輪がレールの継ぎ目で音を立てているかのように響く。響くリズムに歌詞も相まって、時間軸に沿って進む長距離列車の姿が浮かび上がってくる、ように感じる。
生まれる前の瞬間に、「人を作る誰か」が「どんな風になりたい?」と「僕」に訊く。「人を作る誰か」は、色んなことを次々と「僕」に訊く。
「大事な心臓はさ、両胸につけてあげるからね」どんな風がいい?と尋ね続ける誰かに、「僕」は「何か足りない・欠けている」ことを次々と選んでいく。いつも「僕」は不完全な片側を、選んでいく。
右側の心臓は要りません。僕に大切な人ができてそっと抱きしめる時初めて、二つの鼓動が胸の両側で鳴るのが、わかるように。
一人じゃどこか欠けてるように。そして、「僕」は「人を作る誰か」に「どっかでお会いしたことありますか?」と最後に逆に問う。いつだったか、その「誰か」に会ったことがあるような気がして、「生まれる前」のさらに前だったか、あるいは「さらに後」なのか、「輪廻」か「デ・ジャヴ」か、「どっかで会ったことがある」気がして「僕」はその「誰か」に聞く。
一人でなど生きてかないように。
どっかで、お会いしたことありますか?
そういえば、「リフレイン」は「主だった旋律の前にそれと同等かそれより長い前語りを持つ楽曲の形式」を意味だという。けれど、「繰り返し・反復」を意味することも多い。小さなメロディが何度か繰り返されることを、意味することも多い。
それは、まるでこの曲が歌う歌詞と小刻みに響くドラムの音が描き出す「不完全なものを繰り返し選択肢・回り続ける輪廻のような世界」を連想させる。
「望み通りすべてが叶えられているでしょう? だから、涙に暮れるその顔を、ちゃんと見せてよ」「人を作る誰か」は誰だろう。それは、もしかしたらそこら中にいる誰かなんだろうか、とも思う。 PVを見ていると、さらにそんな気持ちが強くなる。
「だから、涙に暮れるその顔を、ちゃんと見せてよ。さぁ 誇らしげに見せてよ」「僕」が「人を作る誰か」になって、次の「僕」がまた「人を作る誰か」になり、そんな小さなリフレインが聞こえてくるような気がするこの曲は、「涙」や「誇り」や「望み」が混ざったスープのようなこの曲は、本当に素敵な曲だと思う。いいでしょう?
2008-07-07[n年前へ]
■「25年前に宇宙人へ送信した画像添付メール」の原画
今日は7月7日、七夕の日だ。そういえば、一月と少し前に、「25年前に電波送信した宇宙人へのメッセージ画像の原画が見つかった」というニュースを読んだ。6年前、「七夕の夜に願うこと」で書いた 「スタンフォードの46mのパラボラ・アンテナからアルタイルに向けて送り出された、13枚の画像添付メール」の原画だ。
地球からアルタイルまでの距離は約16光年。メッセージを乗せた電波信号は99年に到着している。知的生命体が住む惑星が存在し、すぐに返事を送ったとすると、2015年に地球へ届くことになる。
この原画だったか、あるいは、そのためのラフスケッチだったか、そんな画像を見たことがある。「少年ジャンプの企画中で、電波に載せて宇宙人へメッセージを送信してみるんだ」と、父が描いたラクガキを見せながら、父は愉快げな顔で話をしてくれたように思う。
宇宙人から返事がくる可能性はほとんどない。宇宙人へのメッセージは、生物の進化を示す画像群は、なぜかエタノールの分子式で終わる。ビールか何かを飲みながらそんな「低解像度のエタノールの分子式」について語る送信者の話を聞いていた覚えがある。
「でも、それでいい」
西暦2000年に送られた、アルタイルへの電波メールが宇宙空間をこの瞬間も秒速30万kmで伝播し続けている途中かもしれないと夢想してみるのも、とてつもなく楽しいことだと思う。
これから続く夏の空を眺めつつ、ビールでも飲みながら、天の川とベガとアルタイルのことや、酔っぱらい二人が送ったそんなメールのことを思い浮かべてみるのも、きっと気持ちが良いと思う。星空が綺麗な高原で、あるいは、星も見えないビル屋上のビアガーデンで。
2008-09-01[n年前へ]
■「流行マップ」と「蝸牛考」
雑誌から流行・ファッションをマッピングするα版ネーム「雑誌流行L!ves」は、地図表示もすることができます。たとえば、トップページで「人気分布地図」表示を選ぶと下のような画面になります。「雑誌流行L!ves」では、アクセスした人がどの地域からアクセスし、どんな雑誌・どんなキーワード・どんなモデル…に興味を持ったかを記録することで、そんな「人気分布地図」を作り出そうとしています。
毎日、300kmくらいの移動をし続け、車窓の外を眺めていると、都会と田舎の生活・流行は違うよなぁと感じます。柳田國男の
文化が中心から周辺へと伝播する過程で、周辺にかえって古い文化が残っているという「蝸牛考」ではないですが、流行にはきっと地域ごとの違い、興味の地域分布があるに違いない、と思うのです。そんなことを考えていた時に、そんな地図・分布を眺めてみることができたら少し面白いな、とふと思ったのです。
そこで、こんな風な表示画面・機能をつけてみました。動かし始めたばかりですからデータは全然蓄積していない状態ですが、現代の流行にもきっと「蝸牛考」で描かれたような波の広がりがあるんだろうな、と思います。300kmくらいの距離の間に波の凹凸が一個くらいあったりしたら面白いな、と想像したりします。飛行機なら数十分で通り過ぎる300kmの空間的な距離を、流行はどのくらいの時間をかけて伝わっていくのだろうか?と疑問に思います。テレビや電話が伝える電磁波のような速度で伝わっていくのか、それとももっと遅い速度で伝わっていくのか、そんなことを眺め知ってみたい、とは思いませんか?
もうひとつ、中心と周辺とどちらが「豊か」なのだろうか?ということをその地図の上で眺めてみたい、ともふと思うのです。そして、どんな場所にいたいか、ということをその地図上で想像してみたい、と考えるのです。
2008-10-25[n年前へ]
■「自信」と「プライド」
本を読む時、これは「どういう意味」の言葉なのだろうか、と考えることがある。たとえば、「自信」と「プライド」という言葉を頁の中に見るとき、いつもこれは一体どんな意味だったのだろうか、と考える。片方は日本語で、片方は外来語のような日本語だけれど、よく「自信」と「プライド」という言葉を一緒に眺めて考えてしまう。
この2つの言葉はよくカップリングされて出てくることが多く、しかも、同じ書き手の本の中でも、その意味合いが揺れ動き・違うようでいて・また重なり合うようでいるため、いつも「自信」と「プライド」という言葉を見ると、最小二乗法か何かで、なるべく誤差が小さい意味推定をしたくなる。
先週も、香山リカの「I miss me.―新しい自分を見つける42章 」を読んでいると、何回かこの2つの言葉が出てきて、そのたびに何回もその行を読み返した。頁ごとにどういう意味・どういう気持ちの言葉なのだろうか、と考えた。
他人には無関係に見えるかもしれないできごとの連なりを、日付というものを「鍵(キー)」にして繋ぎ、自分なりの物語を作るのです。そして、位置づけ・繋がりを理解・納得しようとするのです。
この本は、香山リカが自分と同じ女性、自分と同じような女性に向けたこの本は、たぶん、文庫本で読むといいような気がする。小さな文庫本だからといって、決して通勤電車の中でバックから出して読むのではなくて、部屋の壁に寄りかかりながら一人読んでみたり、長距離列車の外の車窓を眺めつつ適当な頁からつらつらと読むといいような気がする。