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2000-02-19[n年前へ]

携帯電話の同時性? 

競馬の写真判定とパノラマ写真 その後

 先日

を書いてから面白いメールを頂いた。その一部を抜粋すると、
 小生は超音波を利用した新しい流体場測定を行っていますが、この方法で得られるDataは空間1次元時間1次元の2次元データです。従って得られるのは、このページにあったような画像が直接得られるわけです。

 この方法といくつかの結果を発表してから、あちこちからコンタクトがありましたが、その中の一つが、NYのSirovichという高名な流体力学者からの手紙でした。彼はいわゆるSnapShotを、逆に小生のデータから構築できないか、というのです。

 今このWebでされたことの逆をしたいというわけです。流れの空間構造を解析するために使いたいのです。残念ながらこれは、以下に少々説明するように、原理的に無理な話で断らざるをえませんでした。

 つまり、時間軸に速度をかけて空間軸に変換できればよいのですが、流体場はそれ自身が速度分布を持っていますから、一体何を使えば良いのかが定まらない。

 電磁波の場合には光速が一定ですから、時間情報から空間情報を得ることができますが、古典流体力学では不可能なのです。工学的には平均流速を使って、時間-空間の変換をしますが、それはインチキとまでは言わないまでも、便宜的なも
のでしかありません。

 このWEBの中での例では、馬?の速度のみであとは静止しているので、可能でし
ょう。

とある。

 「馬?」という箇所に、私との意見の相違があるようだ。私が明らかに「馬」であると言い張っているものに疑問を持たれているような気がするのであるが、今回そこは気にしないでおく。

 なるほど、音波や電磁波などを使って計測を行い、得られた

  • 空間(あるいは量)-時間
のグラフから、音波や電磁波の速度を用いて
  • 空間(あるいは量)-空間
のデータを再構成する計測というのは多い。例えば、
  • 海の中の魚を探知する「魚群探知機」
  • 気象状況を計測する「気象レーダー」
  • 固体の中の電荷分布を計測する「電荷分布測定装置」
などもそうである。いずれも、音波や電磁波が計測される時間のズレから、音波や電磁波の速度を用いて、空間位置に変換して解析を行うものである。

「魚群探知機」は超音波を水中に発信して、その反射波が刻々と帰ってくる様子から、(超音波の速度を用いて、空間位置に変換した後に)障害物(ここでは魚群)の様子を計測するものである。「気象レーダー」も電波を使って同様に雲の分布などを測定する。
「電荷分布測定装置」の場合は、(例えば外部電界を印加し)電荷を持つ個所を振動させてやり、その振動がセンサー部に刻々と伝わってくる様子から(あぁ、なんて大雑把な説明なんだ)、(固体中の弾性波の速度を用いて、空間位置に変換した後に)固体の中にどのように電荷分布が存在しているかを計測するものである。

と、文章だけでは何なので、WEB上から、それらの計測器を用いた場合の計測例を示してみる。

 下が魚群探知機である。リンク先は

である。
魚群探知機
リンク先はhttp://www.taiyomusen.co.jp/gyogun.html

 また、この下は空間電荷測定装置である。これなども、とても面白いものだ。リンク先は

である。
空間電荷測定装置の計測結果
リンク先はhttp://www.crl.go.jp/ys/ys221/charge/PEA_3D.html

さて、こういうことを、調べてみるだけではしょうがない。自分でもそういう計測をしてみたい。
そこで、次のような実験をしてみようとした。

  1. 部屋の中に複数の「音の発信源」を配置する。
  2. 複数の「音の発信源」から同時に音を発する。
  3. それをPCで収録する。
  4. 音声が「音の発信源」からPCに到達するまでの時間を解析する
  5. 複数の「音の発信源」の位置を計測する。
 しかし、複数の「音の発信源」で同時に音を発するにはどうしたら良いだろうか?電子ブザーなどを複数制作して、部屋の中に配置しようかとも考えたが、それも少し面倒である。

 そこで、安易にも時報を使おうかと考えてしまった。しかも、数があって手軽ということで、携帯電話を使おうとしたのである。

 しかし、複数の携帯電話を集めて、117に電話して時報を同時に聞いてみると、とても同時どころではない。てんでばらばらなのである。電話のスピーカーから流れてくる時報のタイミングには結構ズレがあるのである。

 携帯電話の間には結構同時性がないのだ。また、固定電話とも比較したが、固定電話よりも時報が速いものもあれば、遅いものもあった。

 そこで、複数の携帯電話を聞き比べた結果を以下に示してみたい。この写真中で左の携帯電話ほど時報が先に流れており、右になるほど時報が遅れているのである。一番早い左と、一番遅い右では一秒弱の違いがあった。

左の携帯電話ほど時報が先に流れており、右になるほど時報が遅れている

 また、参考までに、家の固定電話と携帯電話の時報を一緒に聞いたサウンドファイルを示しておく。

この携帯電話は先に示した画像の一番左である。つまり、先の携帯電話群では一番時報が早かったものなのである。しかし、家の電話よりは一秒弱遅かった。ということは、家の固定電話と先の一番遅い携帯電話では時報の時間にして2秒弱の違いがあることになる。

 そして、「家の固定電話と携帯電話の時報を一緒に聞いた音の変化」をスペクトログラムにしたものを以下に示す。

「家の固定電話と携帯電話の時報を一緒に聞いた音の変化」のスペクトログラム

水平軸が時間軸であり、時間は左から右へ流れている。また、縦軸は音の周波数を示している。ここでは、「1」で示したのが家の固定電話の時報であり、少し遅れて「2」の携帯電話の時報が聞こえているのが見てとれる。

 よく時報を確認することはあるが(実は私はほとんどないのだが...)、携帯電話・PHSで時報を聞く限り、秒の精度はそれほどないようである。また、勤務先の固定電話は先の携帯電話群と比べても遅い方であった。それは少し意外な結果であった。

 今回調べた「携帯電話の同時性のなさは」は常識なのかもしれないが、電話の時報で時計を合わせるのはあまり精度が出ないやり方であることがわかっただけでもよしとしよう(別に実験を途中で投げ出した言い訳ではないけれど)。

 今度、TV(衛星TVなども遅延時間を考慮した時報の放送を行っていると聞くし)やラジオを用いて当初計画していた実験を行おうと思う。その際には、時報がPCに到達する時間のズレで「音の発信源」までの距離を計測し、左右のマイクでの違いを計測することにより、「立体音感シリーズ」のように「音の方向」を得てみたい。

 というわけで、話が「立体音感シリーズ」に繋がったところで、今回は終わりにしようと思う。

2000-04-21[n年前へ]

オレにはヤツらが見える 

スギの花粉は「見える?見えない?」



 少し前まで、スギ花粉が飛びまくっていた。スギ花粉症の人にとっては、とても苦しい季節だろう。私の家族も結構スギ花粉症にかかっている。ということは、私もいつか苦しむことになるのだろう。いや、むしろブタ草を主因とする小児喘息で酸素吸入を繰り返した私であるから、まだかかっていないのが不思議なくらいである。

 さて、私の勤務先でもスギ花粉で憂鬱になっている人は多い。ヒドイ(もちろん症状が)人などは、この季節になると、

「今日はスギ花粉がいっぱい飛んでいる。」
「オレにはヤツらが見える。」
「ヤツらがオレに襲いかかってくるんだ。」
と囁き始めるのである。毎日、である。そういう時に
「誰かがオレの頭に電波を飛ばしてくる、という話に似ていますね。」
などとチャチャを入れると大変である。
「スギ花粉症にかかっていないやつに何がわかる!」
「オマエら、スギ花粉症にかかっていないものに、所詮ヤツらは見えないんだ!」
と言われてしまうのである。いや、確かに私には見えないのだ。ピンクの象が飛んでいるのが見えないように、スギの花粉も私には見えないのである。
「ほら、あそこにスギ花粉が見えるだろう」
と指さす辺りを眺めても、私には何も見えない。ただ、ボンヤリした霞が見えるだけである。仕方がないので、そんな時には、なおさら
「普通の人には見えないところなんか、ホント電波と同じですね。」
と言ってみたくなる。いや、私の性格からするともしかしたら言っているかもしれない。うん、言っているだろう。それどころか、
「その花粉を飛ばしてくるのは、宇宙人かナニかですか?」
と、火に油を注ぐようなことを言っているに違いない。しかし、その性格は親譲りだ(坊ちゃんじゃないけれど)。

 それはさておき、

「オマエら、スギ花粉症にかかっていないものに、所詮ヤツらは見えないんだ!」
と言われているだけではくやしいので、私もスギ花粉を見てみたいと思う。当然である。あらゆるものを「目に見えるかたち」にするのが私の好みである。というわけで、可視化シリーズの始まりである。いや、可視化という言葉はどうも小難しく感じるので、名前を改めて「見える?見えない?」シリーズの続きである。これまで、漱石の小説、星の王子さまの内側、透け透け水着、ミニスカートの内側…などさまざまなものを「目に見えるかたち」にしてきたが、その続きというわけだ。

 今回登場する、秘密道具はコイツである。
 

クリーンチェッカー CCW-101

  この道具は、チンダル現象を利用して微粒子を可視化してくれるのだ。というと、小難しく聞こえるかもしれないが、とても簡単な原理である。光を微粒子に当ててその反射光を目で見るだけである。もちろん、微かな反射光を捉えるわけであるから、

  1. 微粒子からの反射光以外は目に見えないようにする
  2. ボケを小さくするために、絞りはできるかぎり小さくする
などの工夫は必要である。以前、でレーザー・ビームプリンターやコピー機で使われるトナー粒子を可視化したのも基本的には同じ原理である。もちろん、「基本的には」である。

  さて、それではコイツでスギ花粉(らしきもの)を見てみよう。暗闇に浮かぶ「スギ花粉(らしきもの)」が見えるのだ。
 

「スギ花粉(らしきもの)」

 こういった感じでスギ花粉(らしきもの)を可視化することができる。といっても、この微粒子がスギ花粉である保証は「全く」ないのであるが、あえて「スギ花粉(らしきもの)」としておくことにする。ちなみに、この画像もスギ花粉の最盛期に撮影したものである。とりあえず、こうすればスギ花粉症のあなたの敵、すなわちヤツらを目にすることができるのだ。敵であるターゲットの姿を知らずして戦うことはできないだろうから、スギ花粉症のあなたにはこの実験をすることを強く勧めたい。この画像はデジカメで撮影したのだが、実際に人間の目で見ると、ものすごい数の微粒子が飛び回っているのがわかる。今回見えた画像がスギ花粉かどうかはさておき、こういった微粒子は部屋の中ではほとんど見られない。しかし、戸外ではかなりの数の微粒子を目にすることができる。

 もう一枚、参考までに示しておく。微粒子が動き回る様子が実感できるはずだ。こういう微粒子があなたの鼻や喉の粘膜に襲いかかってきているのだ。
 

飛び回る「スギ花粉(らしきもの)」

  これらの飛び回る「スギ花粉(らしきもの)」を撮影したmpeg動画(115kB)をここにおいておく。スギ花粉症の人はぜひ敵であるヤツらを自分の目で確認して頂きたい。

 さて、「可視化」シリーズ、改め、「見える?見えない?」シリーズはこれからも続く。ありとあらゆるものの「見える?見えない?」境界線を追求したい。どんなにクダラナイものであっても、あらゆるものを「目に見える」ようにしていきたいと思うのである。
 

2000-10-15[n年前へ]

地平線際の星が見える場所 

 「地平線近くの月が大きく見えるのが、比較対象物があるせいならば、何故地平線際の星座は大きく見えないのか」というメールに返事を書く。星座だって本当は大きく見えたりしているのだけれど、気にしたことがなかったり、地平線際の星が見えなかったりするだけではないでしょうか、と書いた。月に比べて普通の星はずっと暗いので、街の中のビルなんかの明かりの近くにあるときっとはっきりと見ることはできないだろう。私がかつて住んでいた長野県の野辺山でも今では山際にスキー場がいくつかあるし、ライトアップされた45m電波望遠鏡もある。きっと、もうあそこでも山際で光る星は見えづらいのだろう。

2001-02-27[n年前へ]

『毒電波は本当に存在するのか。』 

 依頼内容 >>> よく駅なんかで、「世界が危機に陥るのは、携帯電話からでてくる毒電波の仕業だ。たばこは麻薬だー」と、叫んでいる人がいますが、本当なんでしょうか。あと、うちの近所で、「私の生理不順は松下電器が出している有毒宇宙電波のせいだぁー」と通行人に主張していらっしゃるかたが、住んでおられますが、本当なんですか。調査お願いします。
進行状況 未調査
依頼主 W K一郎
これってもしかしてもしかして > わきめも(リンク

2001-06-04[n年前へ]

あなたの声が、すぐそばにある 

高原の向日葵と月見草 編

 昨日、東京駅の地下街にある「王様のアイデア」でこんなものを買った。見ての通り、ピストル型の集音マイク"SonicExplorer"だ。その数日前にその集音マイクを初めて見かけたのだが、遊んでみるとどうにも気に入ってしまって、次に見た時には必ず買おうと決めていたのである。
 

Sonic Explorer

 数日前に、その"Sonic Explorer"を見かけた時は出張帰りだったのだが、地下街の雑踏の中で「頭にヘッドホンを被り、ゴルゴ13のように集音ガンで狙っている」様子はさぞかしアブナイ奴に見えたに違いない。現に、私が雑踏の中に"SonicExplorer"で狙いをつけていたときには、一緒に出張していた仲間が二・三歩後ずさりして、私の側から離れていったくらいである。自分でも怪しい姿だとは思ったのだが、そんなことを忘れてしまうくらいに面白かったのである。こんなおもちゃみたいな外見に似合わないほど、これを使うと遠くの音がピンポイントでよく聞こえるのだ。地下街の雑踏の中で遥か向こうで携帯電話で話をしている人に"SonicExplorer"を向けると、私の耳元でささやいているかのように聞こえてくるのである。もちろん、遥か向こうといってもたかだか20mくらいではあるのだが、雑踏の先の20mというのはずいぶんと先に感じる。しかし、"SonicExplorer"の先のパラボラ面は見事にその遠く先の音を集めてくれる。

 ところで、遠く離れた人の声はどうして聞き取れないのだろうか?それはもちろん、遠く離れた人の声は小さくしか聞こえなくなって、その人以外が発する雑音に埋もれてしまうからだろう。それでは、人がしゃべる声は距離が離れるとどの程度小さくなるだろうか?
 音波が四方八方に等方に拡がっていくとすれば、音の大きさは音の発信源からの距離の二乗に反比例すると考えるのが自然である。つまり、喋っている人からの距離が10倍になれば、その人の声は1/100の大きさでしか聞こえないことになる。20m先で携帯電話で喋る人の声は、1m隣でささやく人の声のわずか1/400の大きさなのである。それでは、雑踏の中で溢れる他の音に埋もれてしまうのは当り前である。

 そんな声を聞き取りたい時にはどうしたら良いだろう?そんな時、私達は耳に手を当てて、耳を澄ませる。掌で音を耳に集めて何とか声を聞き取ろうとするのである。それと同じく、この"SonicExplorer"は、先端のパラボラ面で焦点にあるマイクに音を集めて増幅するのである。それでは、"SonicExplorer"は私達の耳に比べてどの程度音を多く集めているだろうか?

 そもそも、私の耳の大きさはどの程度だろう?耳はそんなに効率的に音を集めそうな形状をしているわけではなさそうだから、有効な集音面積としては直径1cmの円といったところだろう。それに対してこの"SonicExplorer"のパラボラは直径20cm程だ。ということは、直径にして20倍、面積にして二乗で400倍の面積で音を集めることができるわけである。音を集める程度は音を集める面積に比例するだろうから、"SonicExplorer"を使えば人間の耳の400倍もの鋭さで音を聞き取ることができるわけだ。400倍ということは、つまりは先ほどの「20m先で携帯電話で喋る人の声」と「1m隣でささやく人の声」との違いと同じというわけで、結局のところ"SonicExplorer"を使えば「20m先で携帯電話で喋る人の声」が「1m隣でささやく人の声」であるかのように聞き取ることができる、ということになる。

 ここで面白いのは、音が小さくなってく様子は距離の二乗に比例し、音を集める量は集音面のパラボラの直径の同じく二乗に比例するから、n倍遠くの音を元と同じように聞き取りたかったら、集音面の大きさ(長さ)をn倍にしてやれば良い、という単純な関係にあることである。20m先の声を1m横の声と同じように聞き取りたかったら、耳の大きさ(長さ)を20倍にしてやれば良いのである。

 そんなことを考えていると、ふと二十年位前のことを思い出した。その頃、私は夏になるといつも長野県の野辺山あるいは川上村というところに滞在していた。その数年前まで、私はその野辺山で暮らしていたのである。そして、野辺山にある45mミリ波望遠鏡の建設が佳境に入った頃だったのだろうか、その頃私の父は半分野辺山で暮らしていた。下の写真は八ヶ岳の麓にあるその45mミリ波望遠鏡である。
 

野辺山45mミリ波望遠鏡

http://www.icon.pref.nagano.jp/usr/minamimaki/sawayaka.htm

 そんな二十年位前のある日、父がこんなことを言った。

「45mのアンテナを赤岳(八ヶ岳の最高峰)に向けて、副鏡(焦点)の場所にいると赤岳の上にいる登山客達の話す声がまるで自分のすぐ横にいるかのようにガヤガヤと聞こえてくるんだよ」
一体、それは本当だろうか?上の写真を見ても、赤岳(八ヶ岳の最高峰)の山頂は野辺山の45m望遠鏡の位置から遥か彼方に見える。少なくとも、その頃の私からすれば遥か先のずっと遠くに見えていた。今でもそれは同じことだろう。やっぱり遠く彼方に見えると思うし、その山頂でワイワイガヤガヤと話す登山客達の声が聞こえるとは思えない。

 そこで、試しに地図で野辺山の45m望遠鏡と赤岳の山頂の距離を確かめてみると、直線距離にして10km程である。下の地図で赤い■の位置辺りが野辺山の45m望遠鏡が建っているところだ。10kmということは、メートルにして一万メートルである。メートルに直したところで、やっぱり遠いことには変わりない。
 

野辺山の45m望遠鏡(赤■)と赤岳の山頂の距離

それでは、先ほどの"Sonic Explorer"と同じように考えてみることにしよう。45m望遠鏡のパラボラ面は人間の耳(ここでも直径1cmとしよう)の45m/1cm= 4500cm / 1cm = 4500倍である。ということは、5000m先、すなわち5km先の音が1mのすぐそばにいる人の声と同じように聞こえるということになる。すると何ということだろう、10km先の八ヶ岳の山頂でワイワイガヤガヤと話す登山客達の声は、すぐ2m横でワイワイガヤガヤと話しているかのように聞こえることになる。もちろん、それは理想的な場合の話ではあるが、先の父の話は結局のところ何の不思議もないごく当り前の話だったわけである。
 

 上の写真のような、八ヶ岳の麓にそびえる白い45m望遠鏡ももちろんかっこいいけれど、私が野辺山に住んでいた頃にはまだその45m望遠鏡は建っていなかった。私がいた頃には、下の写真の中に見える朱色の野辺山太陽電波観測所の野辺山干渉計のパラボラアンテナだけが野辺山の高原に点在していた。野辺山干渉計はもう今では現役ではないけれど、今でもやっぱりイースター島のモアイのように大空に向いているはずだ。私は白く輝く45m望遠鏡も大好きだけど、その横に点在している朱色に塗られた鉄骨で支えられている野辺山太陽電波観測所の野辺山干渉計の方が大好きだ。
 

野辺山太陽電波観測所の野辺山干渉計(朱色のパラボラアンテナ)

http://solar.nro.nao.ac.jp/nori/html/introduction-j.html

 現役を引退した今ではどうなのだか知らないけれど、野辺山太陽電波観測所の野辺山干渉計のパラボラアンテナは太陽電波を捕らえるためのアンテナだったので、いつも太陽の方を向いていた。まるで、巨大な向日葵のように忠実に正確に太陽のある方向にパラボラ面を向けていたのである。だから、太陽が強く照らす晴れた日も、薄暗い雨の日も朱色の鉄塔の上のパラボラアンテナを見れば、太陽の方角はいつも一目瞭然だったのである。

 そういえば、私が子供の頃、一時間かけて歩く家から分校までの4キロメートルばかりの道端には、たくさんの月見草が咲いていた。高原の中で高くそびえる赤く巨大な「向日葵」達と、歩く私のすぐ横に咲いている黄色い「月見草」が私はとても大好きだった。

 眩しい太陽を追いかける「向日葵」達も、静かに照らす月を見る「月見草」もどこか遠くの声を耳を澄ませて聞いているのだろうかとか、その声をすぐそば近くに感じているのだろうかとか、少し思ってみたりした。



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