hirax.net::Keywords::「修理」のブログ



2002-12-04[n年前へ]

Thinkpad T30メモリースロット不良 

 とあるプログラムを改良中にメモリ確保量を確認しようとすると、「あれれ?メモリーが512MBしかないぞ…」で、調べてみるとどうやらメモリースロット不良のよう。スロットからほとんど抜き気味にするとなんとか1GB認識する。けど、これじゃ危ないことこの植えない。困ったもんだ、修理すると時間がかかるしなー。どうしたもんかなー。

2004-12-09[n年前へ]

ノートブックPC色々 

 初めて買ったWindows PCが東芝のLibretto 20。すぐに、Libretto 50に買い換えて以降、色々なノートPCを使った。良かった辺りが、Toshiba Portege 320CT(修理を繰り返したが), Portege 3490CT(アキュポイントの作りを除けば最高に良かった), Thinkpad T42p。いずれも、小さく軽い割にパワフル&大画面で、英語キーボードにトラックポイント(アキュポイント)ということ。 IBMがPC事業を売却したあおりで、Thinkpad が(デザインが最悪の)hpやDellやSonyのノートPCみたいになってしまったら、どうしようか。
http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/970107/lib50.jpghttp://crew.tweakers.net/W3ird_N3rd/pics/portege320ct_matrix_bureau.jpgPortégé 3490CTIBM IBMノートパソコンA4 ThinkPad T42 カタログ - Japan - Japan

2004-12-23[n年前へ]

今日書いたメイル 「パンドラの鐘」 

今日書いたメイル 「パンドラの鐘」
> バンコックでも戦後の銀座みたいな
> (みたことは有りませんが)力強さを感じます。
> 80年代のアメリカに行った時は時化た感じがした
> 同じ場所に行っても今は再生(本当はずっと生きて
> いたのをこちらが見ていなかっただけでしょうが)
> している強さを感じたりします。

 積み残しの仕事に追われ、自由時間は半日だけでしたが、バンコクの秋葉原「パンティーププラザ」を駆け足で眺めてきました。かつての海賊ソフトの一大博覧会の状態の片鱗もなく、ハード主体に変わっていました。

 奥手の明るくも華やかでもないブースの中で、ブラウン管の駆動回路を修理している子供を見ながら、何だか感慨深い思いに浸ってしまいました。高架鉄道も地下鉄もできて、バンコクはずいぶん快適な街になってきていますが、それでもまだほのかに戦後の銀座という空気がありますね、確かに仰るとおり。

 ホテルの近くは塾がたくさんある一角で、(高校生向けの)応用物理専門塾とか、基礎物理専門の塾とか、驚くばかりのいろいろな専門塾がありました。そこには、チェラロンコン辺りを狙ってるだろう上流家庭の子供が通ってきていました。その塾の窓には"UnlimitedOpportunity"なんていう風に書いてありました。ずいぶんと"Limited"な"Unlimited"なんだろうな、と少し考えたりもしました。「無限の未来・可能性」への扉、この塾への扉はずいぶんと限られているんでしょう。

 私は"Limited"というものがキライです。確かに、世界は限られているけれど、それを受け入れていかなければならないことも確かだけれど、それでも「身の丈にあった」なんていう言葉はキライです。たくさんの「できること」があるのに、不自由な世界がもっと他にはあるのに、贅沢なばかりに色々なことができるのに、それを勝手に狭める人は好きではありません。狭い世界しか知らず、少ない経験しかなく、そんな狭い視野で世界を狭めて語ろうとする人も好きではありません。

 というわけで、公演パンフレットで「身の丈」「根性」「信じる」という言葉で解説されていた野田秀樹の「パンドラの鐘」、その「パンドラの鐘」が、今日、頭の中で鳴っています。


 賭けをしましょう。
 あなたの服に触れず、その乳房に触れた日のように。

 いつか未来が、この鐘に触れずに、あなたの魂に
 触れることができるかどうか。

 滅びる前の日に、古代の心が、
 ふわふわと立ち上る煙のように、
 いつか遠い日に向けて、届いていくのか。

 あなたは、古代の心は、どちらに賭けます?

 俺は、届くに賭けますよ。


jun hirabayashi


2005-01-17[n年前へ]

「パンドラの鐘」 

 高架鉄道も地下鉄もできて(その地下鉄で事故があったなんていうニュースもテレビではやっていますが…)、バンコクはずいぶん快適な街になってきていますが、それでもまだほのかに戦後の銀座という空気がありますね、確かに仰るとおりに。

 積み残しの仕事に追われ、自由時間は半日だけでしたが、バンコクの秋葉原「パンティーププラザ」を駆け足で眺めてきました。かつての海賊ソフトバザールの片鱗もなく、ハード主体に変わっていました。ビル奥手の明るくも華やかでもないブースの中で、ブラウン管の駆動回路を修理している子供を見ながら、何だか感慨深い思いに浸ってしまいました。

 ホテルの近くは塾がたくさんある一角で、(高校生向けの)応用物理専門塾?とか、基礎物理専門の塾?とか、驚くばかりのいろいろな専門塾がありました。そこには、チェラロンコン辺りを狙ってるだろう上流家庭の子供が通ってきていました。その塾の窓には"Unlimited Opportunity"なんていう風に書いてありました。ずいぶんと"Limited"な"Unlimited"なんだろうな、と少し考えたりもしました。「無限の未来・可能性」への扉、この塾への扉はずいぶんと限られているんでしょうか?

 私は"Limited"というものがキライです。確かに、世界は限られているけれど、それを受け入れていかなければならないことも確かだけれど、それでも「身の丈にあった」なんていう言葉はキライです。たくさんの「できること」があるのに、不自由な世界がもっと他にはあるのに、贅沢なばかりに色々なことができるのに、それを勝手に狭めたりするのはあまり好きではありません。

 というわけで、公演パンフレット中では「身の丈」「根性」「信じる」なんていう言葉で解説されていた野田秀樹の「パンドラの鐘」、そんな「パンドラの鐘」が、今日の頭の中でガランゴロンと打ち鳴らされています。

 賭けをしましょう。
あなたの服に触れず、その乳房に触れた日のように。
いつか未来が、この鐘に触れずに、あなたの魂に
触れることができるかどうか。
滅びる前の日に、古代の心が、
ふわふわと立ち上る煙のように、
いつか遠い日に向けて、届いていくのか。
あなたは、古代の心は、どちらに賭けます?
俺は、届くに賭けますよ。

2007-07-08[n年前へ]

「分業・神の見えざる手」と「ワットの復水器・調速機」 

 『国富論』を書き"経済学の父"と称されるアダム・スミスは、蒸気機関を広めたことで有名なジェームズ・ワットと親しかったという。その影響もあってか、経済成長と技術革新、つまり、経済成長とイノベーションの繋がりを強調していた。

 スミスは蒸気機関の改良で有名なジェームズ・ワットのお友達なんです。 だから、スミス自身は蒸気機関を使った産業革命・機械化の時代に先駆けた時代の人ですが、技術革新こそが経済成長の源泉だというような内容のことをものすごく強調しています。 栗田啓子
 ジェームズ・ワットというエンジニアと、哲学者であり経済学者であるアダム・スミスの間にとても深い親交があって、影響を受けあっていたというのは、興味深い。現代の私たちを取り巻いている技術革新が経済成長を生み出しているという事実を、そんな親交からスミスが見いだしたというのは、とても面白い。

 そして、きっとそれだけではない、とも思う。

 ジェームズ・ワットを「蒸気機関を発明した人」と捉えている人も多いだろう。しかし、ワットは決して蒸気機関の発明者ではない。ワットは、すでに存在していた蒸気機関の効率を飛躍的に向上させることで、経済的に引き合う蒸気機関を作り上げた、という存在である。すでにあった複数の技術を上手く組み合わせることで、蒸気機関を効率よく安定に動かすことを可能にし、産業革命を支えたのである。
 産業革命の中で育ったワットは、…1757年にアダム・スミスのはからいで、グラスゴー大学構内で実験器具製造・修理店を開業した。 ここでニューコメン型蒸気機関と出会い、より効率のよい蒸気機関を造るつくるため、熱と力の関係を研究する。 Wikipedia 「ジェームズ・ワット」
 ワットが生み出した「経済的に引き合う蒸気機関」の重要なポイントは、少なくとも二つあるように見える。その一つは蒸気機関への復水器を導入であり、もう一つは、蒸気機関に調速機を採用したことだ。(続く)



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