2007-08-19[n年前へ]
■「画像処理+Wiki」WEBアプリのαスケッチ版リリース
「画像処理+Wiki」 WEBアプリのαスケッチ版をサーバに置き、アクセス可能にして、基本デザインの確認・問題出しを始めました。アクセス可能にしたつもりではあるのですが、パス設定など不十分なところがたくさんありそうです。また、データアクセスに際し、現在時点ではキャッシュ処理を有効にしていないため、初回ページアクセスに非常に時間がかかります。
とりあえず、「わかりやすく・単純」にしようとしたら、ここ何日かの間にWiki部分がほとんど見えなくなってしまいました。
ところが、戦闘的学友は闘争に忙しすぎて授業に出ておらず、河合の顔が分からないという。
。仕方なく図書館で河合の著書を借り出し、後ろの方に載っていた著者プロフィールの顔写真をコピーして回した。 ものすごく粒子の粗いコピーで、人相はよく分からない代物だった。
2007-11-14[n年前へ]
■「天ぷらの語源」と「美味しいテンペラ画」
ニホン"Japan"と言えば、かつてはフジヤマ・テンプラ・スシ・ゲイシャだった。 この中の一つ、日本を代表するものの一つである天ぷらは、書物を辿っていくと、安土桃山時代の頃に始めて歴史に登場していることから、その時代に他国から伝わったのだろう、と言われている。
この天ぷらの語源は今ひとつよくわかっていない。 以前観たテレビ番組「謎学の旅」では、ポルトガル国立図書館に保存されている「日本使節伝記」に、1584年に日本からポルトガル リスボンを訪れていた天正遣欧少年使節が、9月18日の四旬節(クアトロ・テンプラシ)に魚の揚げ物を食べた」と書いてあることから、このクアトロ・テンプラシが天ぷら"テンプラ"の語源ではないか、としていた(二元書房「謎学の旅」 Part.2)。
イラストレーション・ソフトを作るために油絵の勉強をした時、油絵が広まる前に盛んだったテンペラ画技法について学んだ。 15世紀の画家、ヤン・ファン・エイクらが、非水溶性の顔料を油に溶いて画を描く油絵技法を確立する以前は、色を出す顔料を卵(特に卵黄)で包んで水(時には油)に溶かし画を描くテンペラ画技法が一般的だった。
非水溶性の顔料を卵白や卵黄で包むと、卵を介して水と油を混ざるマヨネーズと同じ原理で、顔料が水に溶けたエマルジョンとなる。 そのため、本来は非水溶性の顔料であっても、顔料を水に溶かし、画を描くことができた。このタネならぬ顔料を卵で包んで、水や油に溶かすテンペラ画は、まるで料理の天ぷらのようだ。
顔料を卵黄で包み油に溶かし画を描く技法はテンペラ・グラッサと呼ばれるが、私の頭の中の天ぷらのイメージは「油を加えたテンペラ画(テンペラ・グラッセ)≒天ぷら調理法」である。 天ぷらの語源が真実がどこにあるのかはわからないが、私の妄想の中では、テンペラ・グラッセのイメージ=天ぷら、なのである。
そういうわけで、テンペラ・グラッセ技法で描かれた名画は、何だか食べることができるような気がする。できれば、塩や大根おろしや柚ポン酢をかけたい。そうすればとても美味しいような気がしてならない。
2008-08-22[n年前へ]
■トーマスエジソン展
美術展を見に行くとき楽しいのが、その美術館や他の美術館などで開催される企画展のチラシを見ることだ。 今夏開催されていた「発明王・エジソン展」のチラシには、エジソンが作ったものの写真と彼の言葉が散りばめてある。
Things come to those to wait, but only the things left by those who hustle.
待てば向こうからやってくるというが、やってくるのはどんどんやる人間が残したものだけだ。
一生懸命探求すれば、答えを隠しておくほど自然(神)は不親切ではない。
To invent, you need a good imagination and pile of junk.
発明には豊かな想像力とゴミの山が必要だ。
休むことは、錆つくことだ。
幸運は、機会と準備が一致したときに訪れる。
Opportunity is missed by most people because it is dressed in overalls and looks like work.
チャンスが見過ごされるのは、それが作業着を着て「仕事」のように見えるからだ。
デトロイトの図書館の、一番下の棚の最初の本から一冊づつ読んだ。私は図書館全部を読んだのだ。
Genius is one percent inspiration and 99 percent perspiration.
天才は99%の努力と、1%のひらめきだ。
もし両親が子供の心の中に、情熱を残してあげることができたら、それは貴重な財産になるに違いない。
2008-09-26[n年前へ]
■Pop-Eye と anan別冊 POPEYE
雑誌サイトを作ってみようとした時、まずはいつものように図書館に通って雑誌文化の下調べをした。色んな雑誌の特徴や創刊時のエピソードを読んでいて面白かったことがいくつもある。たとえば、POPEYEがananの別冊として始まった、といったそういう雑誌の生まれから、雑誌が続いていくうちにどのようにポジショニングが変化していったか、ということだ。
当初は月2回女性誌の「anan別冊・Men's an an POPEYE」として、コラム・マガジンとしてスタートした。アニメポパイの主人公ポパイをキャラクターに、1976年6月に、当時の平凡出版(現在のマガジンハウス)より、「Magazine for City Boys」というサブタイトルで創刊された。
Wikipedia
そして、POPEYEはPop-Eyeだったことに気づく。ウォーホルが口にしたPop-Eyeのような60年代の空気と視線をまとわって、あぁ生まれてきたんだなぁ、と思うと「頭の中の世界年表パズル」中のピースがコトリとはまる感じで小気味よい。
2008-12-05[n年前へ]
■西岡常一 「木のいのち木のこころ 天」
「木のいのち木のこころ―天・地・人 (新潮文庫)」(あるいは「木のいのち木のこころ〈天〉」)は本当に貴重な必読書だと思う。斑鳩大工の西岡常一が語った言葉を塩野米松が書いたこの本には、本当に色々な形の、それでいて重い言葉が詰まっている。
時代は科学第一になって、すべてが数字や学問で置き換えられました。教育もそれにしたがって、内容が変わりました。「個性」を大事にする時代になったといいますな。
しかし、私たち職人から見ましたら、みんな規格にはまった同じものの中で暮らしているようにしか見えませんのや。
近くの図書館の蔵書にこの本が入っていたならば、迷わず借りて読んでみるといいと思う。とても高い密度の真理が、きっとこの本には詰まっている、と思う。そして、折に触れてこの本に書かれている「たくさんのこと」を何度も何度も読み返したい、と思ったなら自分のものとして買ってみると良いと思う。
木そのものが精密やないんですから精密機械は無駄ですな。そのとき精密に削っても次の日には狂っていますやろ。
少なくとも、技術者になりたいと思っている人は、けれどこれまで読んだことがなかったというような人は、読んでみるといいと思う。絶対に、そう思う。