2001-08-23[n年前へ]
■あの小判で何が買えたの?
「夏休みの自由研究」図書館で江戸時代の物価を調べてみた
夏休みも終り、また忙しい生活が始まった。忙しい生活をしていると、「あぁ昔のノンビリとした時代、例えば江戸時代に戻りた〜い」なんて思ってしまう。江戸時代のお気楽な町人かなんかに生まれ変わって、ぼぉ〜っとしてみたり、祭りや火事に興奮してみたり、たまには働いてみたり、そして時には近所の町娘と恋なんかして過ごしてみたりしたいなぁ、と思ってみたりするのである。それに、江戸時代と言えば大昔なのだから、きっと物価はものすごく安いに違いないのである。平均給料がいくらだか知らないが、きっと色々なモノが安く買えるに違いないのだ。
といっても、私は歴史にはとっても疎い(いや違った、「歴史も」だ)ので、本当のところ江戸時代がそんなノンビリとした時代だったかどうかは知らない。まぁ、知らないからこそ、適当にこんな風に楽観的に思ってしまったりするのである。
しかし、世の中には私のような「歴史知らず人間」だけでなくて、「歩く歴史」人間のような方々も多いのである。いや、こう書くといきなり誤解されてしまいそうだ。私は別に「歩く化石」人間が多いとか、「踊るシーラカンス」人間が多いとか言いたいわけではないのである。旧人類が満ち溢れていると言いたいわけではないのである。私は、単に世の中には「歴史大好き」人間が多い、ということを言いたいだけなのだ。そう、例えば歴史大好き人間、例えば時代劇大好き人間(*1)とか幕末野郎(*2)とか戦国野郎(*3)などはきっと誰の周りにもいるハズなのである。
(*1) 古くは「杉さまぁぁ〜」と黄色い声を上げる杉良太郎大好き・時代劇大好きおばちゃん(いや、違ったおねえさん…)、など。そんな「歩く歴史」人間の方々は私を、「江戸時代はきっと色々なモノが安く買えるんだ〜。いいなぁ〜。」などと無知にも憧れたりする素直な私を、必ずやバカにするに違いない。いや、バカにされるのは構わないのであるが、そうなると、そんな自分をちょっと情けなく思ってしまう。
(*2) 坂本竜馬に自分を例える武田鉄也、など。
(*3) 会社から外へ飛び出し、その退社時に「江戸城」という本を後輩に渡して行くようなカッコイイ人、など。
そこで、今回夏休みのぼ〜っとした気分からのリハビリも兼ねて、江戸時代と現代の物価について調べてみることにした。そして、夏休み過ぎの私が夢想する「江戸時代への憧れ」がトンチンカンなものなのか、あるいはそうでないのかを調べてみたい、と思う。つまり、今回は単に「夏休みの自由研究 図書館で江戸時代の物価を調べてみた」ということなのである。そして、「江戸時代はきっと色々なモノが安く買えるんだ〜。いいなぁ〜。」の是非を確かめることにしよう。
とはいっても、じゃぁ、すぐに江戸時代の物価と現代の物価を比べよう、といきなり始めるわけにはいかないだろう。なんと言っても、江戸時代は実に長い。何しろ、江戸時代と一言で言っても、260年もあるのだ。その長い江戸時代の間にお金の価値(物価)がものすごく変化していたとしたら、一体どれが「平均的」江戸時代なのか判らない。
そこで、まずは図書館に行って、「江戸物価辞典」を片手に江戸時代の間に米の価格がどの程度変化していたのかをグラフにしてみた。江戸時代の間に物価がどの程度変化していたかを見てみるわけだ。もちろん、何をもって物価の上昇具合が緩やかなのかあるいは急なのか、という基準が必要なわけで、第二次大戦後の米価格の変化も同じように示してみた。
上のグラフを眺めてみると、江戸時代(幕末期は除く)は緩やかな物価上昇は見られるが、それはごくごく緩やかなものであることが判る。何しろ200年も経っても、たかだか二倍程度にしか上昇していないのである。第二次大戦後の(すなわち、たった50年程度の間の)物価上昇に比べれば、もう物価上昇はほとんど無いといっても良いくらいである。少なくとも人生50年というような時間尺度で眺める限りは物価はほとんど変化していないのである。私の記憶(とても曖昧…)があるたった25年足らずの間に、駄菓子の価格がほとんど二倍(ガリガリ君を除く)になっているのとは大違いなのだ。ということは、少なくとも江戸時代の中期辺りの物価を眺めてみれば、それを「江戸時代」と言ってしまっても良さそうに思える。そこで、
の江戸時代中期の色々なモノの価格をグラフにして並べてみる。また、それらのモノが西暦2001年の現在、何円くらいであるかを私の主観によって判断し、同じようにグラフにしよう。そして、それぞれを比較して、- 今の方が安いモノ
- 昔の方が安かったモノ
とはいえ、もちろん江戸時代にあったが現在はもうほとんど存在しないというようなものも多い。そこで、そういうものは現在における相当品で、例えば
- 富くじ → 宝くじ
- 吉原高級遊女 → 銀座の高級?クラブの基本料金
- 町駕籠 → タクシーの初乗り料金
- 夜なきソバ → 近所のチャルメラ・ラーメン
- 絵本 → 写真集
- 貸し本 → レンタルビデオ
- 夜鷹 → ○×△■
また、モノの価格だけでなく「収入」の基準もやはり必要なわけで、それに対しては大工日当を用いた。つまり、収入の基準との大工日当に対して、色々なモノがいくらであるかを、江戸時代と現在とで比べてみることになる。というわけで、そのグラフが以下である。
このグラフを見ると、例えば大工日当を基準にすると、一両はほぼ十万円に相当することが判る。また、砂糖などは今のほうが江戸時代よりもよっぽど安い。だから、砂糖を基準にすれば、一両は千円にしかならない。逆に夜鷹を基準にしてしまうと、何と一両はおよそ百万円に相当するのである。それほどに江戸時代の夜鷹は安かったのだろう。大変な話だ…。
砂糖も含め、眼鏡とか町駕籠(タクシー)とか飛脚(宅急便)とか提灯(懐中電灯)とかの、いわゆる科学の力を有効活用したものは当然現代の方が安い。そして、わらじとか歌舞伎とかの現代においては希少価値の高いものは江戸時代の方が安かったのも当然である。じゃぁ、吉原高級遊女(銀座の高級?クラブの基本料金)と吉原中級遊女(銀座の大衆クラブ)の価格の違いはどう説明するのかいう疑問も当然湧いてくるわけではあるが、そういう話はどうでも良いのだ。
何はともあれ、タクシー(町駕籠)に乗って銀座のクラブ(吉原高級遊女)に遊びに行くのが大好きな人、しかも眼鏡をかけてて、甘いもの(砂糖)が大好きなんて人には江戸時代はどうも合いそうにない。そんな人たちはすごくお金持ちでないと、江戸時代はかなりツライ時代のようである。そんな人達は、江戸時代よりも2001年現在の方が幸せに違いない。そんな輩には江戸時代はマッチしないハズなのである(根拠薄弱)。
しかし、広い風呂(銭湯)が好きで、夜のチャルメラ・ラーメン(夜鳴きソバ)にロマンを感じ、写真集(絵本)が欲しいけど高くて買えないワタシのような人間にはやはり江戸時代がジャストフィットするに違いないのだ。チープにお気楽に生活できるかもしれないのである。やはり、「江戸時代はきっと色々なモノが安く買えるんだ〜。いいなぁ〜。」は合っていたのである(ウソ)。
よっしゃぁ、私に合う時代はやっぱり江戸時代なのだぁ、とここまでは思ったのだが、もう少し私の生活パターンを考慮して吟味し調べてみると(調べなくても判るだろうが…)、江戸時代には発泡酒はもちろんビールは日本では一般的ではなかったのである。これでは、ビール(だけどお金が無いから発泡酒に変わったが)大好き人間の私としては致命的にマズイのであった…。う〜ん、う〜ん、ちょっと残念なんだけどだなぁ…。
2003-11-03[n年前へ]
■「巨乳」v.s.「微乳」
テレビ朝日の「IQテスト番組」。「東大生」「大工」というグループ分けにエゲツなーと思ったが、「医者」「教師」の次の「巨乳」とまできてしまうと、笑ってしまう。が、「教師」「医者」の「先生(と呼ばれる)グループ」はかぶりすぎような気がする。「先生(と呼ばれる)グループ」であれば「政治家」が欲しいところだし、「巨乳」ときたら「微乳」グループも欲しいところだ。
2004-04-11[n年前へ]
2008-12-05[n年前へ]
■西岡常一 「木のいのち木のこころ 天」
「木のいのち木のこころ―天・地・人 (新潮文庫)」(あるいは「木のいのち木のこころ〈天〉」)は本当に貴重な必読書だと思う。斑鳩大工の西岡常一が語った言葉を塩野米松が書いたこの本には、本当に色々な形の、それでいて重い言葉が詰まっている。
時代は科学第一になって、すべてが数字や学問で置き換えられました。教育もそれにしたがって、内容が変わりました。「個性」を大事にする時代になったといいますな。
しかし、私たち職人から見ましたら、みんな規格にはまった同じものの中で暮らしているようにしか見えませんのや。
近くの図書館の蔵書にこの本が入っていたならば、迷わず借りて読んでみるといいと思う。とても高い密度の真理が、きっとこの本には詰まっている、と思う。そして、折に触れてこの本に書かれている「たくさんのこと」を何度も何度も読み返したい、と思ったなら自分のものとして買ってみると良いと思う。
木そのものが精密やないんですから精密機械は無駄ですな。そのとき精密に削っても次の日には狂っていますやろ。
少なくとも、技術者になりたいと思っている人は、けれどこれまで読んだことがなかったというような人は、読んでみるといいと思う。絶対に、そう思う。
2014-04-11[n年前へ]
■小保方さんを「職人」と称した不可解な記事を、タイの家作り職人さんで理解した!
「世界の日常」を主観的かつ客観的に映し出していくGOLVAL VISION、No.2 は"HOUSE"。世界の3つの場所での日常のうち、タイの家を作る大工さんが最高にいい。
「(建築)作業は長年の勘と経験が生かされる」…ん?それって行き当たりばったりの香りがするぞ(タイだし)?
「ところが、(ロケ日の)今日はどうやら苦戦の様子」
「くそ!どうしてはまらないんだ!」
「設計図はないんですか?」
「そんなものはないよ」
「全部頭の中に入ってるんですか?」
「あぁ全部覚えてる」
「今まで設計図を描いたことがないというので、この家の間取りを訊いてみると…」
「間取りも描いたことがないんだよな」
(…で描き出したのが三角屋根)
「こりゃ本当にわからないな」
「(予算のない夫婦のために)実はこの家はたった6日間で建てたんだ」
「(普通ならば一ヶ月ほどもかかるところを、たった6日で建てたこの家、耐久性は大丈夫だろうか)耐久性は大丈夫ですか?」
「30年は絶対持つよ」
「凄いですね」
「凄いだろ」
「設計図も間取りもなく勘と経験だけで家と作るジャガットさん。住む人を思う気持ちは誰にも負けない」…彼、タイの高床式住宅に、洋式便器を取り付けた。もちろん下にただ落ちるだけ、水も流れなくただボットンだけど、座りやすいのも本当だ(値段は高いけど)。
この大工さんが、(3歳くらいの本当に可愛い娘さんを抱きながら)「これが僕の理想の家だよ」と描いた(三歳児くらいのラクガキに見える)「椰子の木が横にある三角屋根の家の絵」を見たら、単純にとても楽しくて・とても単純に感動してしまった。
そうか!小保方さんを「職人」と称した(その書き手の感覚に少しばかり驚かされた)この記事は、タイの職人さんを念頭に置いたグローバルビジョンかつマイペンライでコップンカーな感性をもとに書かれた記事だったんだな。それなら凄いわかるぞ!(そうでないとわからないけど)