hirax.net::Keywords::「坂村健」のブログ



2005-01-16[n年前へ]

続「坂村健 + 竹村健一 = 坂村健一」 

 坂村健と竹村健一は「ユビキタス社会、始まる—すべてのモノにコンピュータを」なんていう本を一緒に書いているなんていう情報をN氏より頂く…。いや、共著じゃなくて、二人は同一人物で、二人で一人なんだっけ…。
 いや、実際問題Googleで「坂村健一」で検索をかけると、結構?ヒットするんだもの。やっぱり、みんなそう思ってるんだな。「坂村健 ≒ 竹村健一 ≒ 坂村健一」って。
ユビキタス社会、始まる—すべてのモノにコンピュータを「坂村健 + 竹村健一 = 坂村健一」

2005-09-10[n年前へ]

「坂村健」が選挙に出馬!? 

 「はりせんかまし」の一言をきっかけに念写した「坂村健による、日本を前へ」のポスター。 懐かしの坂村健一も。
日本を前へ日本を前へはりせんかまし坂村健一

2005-12-31[n年前へ]

今年作った「12のもの」 

  今年一年12ヶ月、その間に作ったものの中から「12のもの」を選び、下に並べてみました。

1.『坂村健 + 竹村健一 = 坂村健一
  こうした努力の結果が、"坂村健"のイメージ検索結果 第一位に繋がりました。
2.『キース・ヘリング描く「崩れ落ちる男"orz"」
3.『(16才の頃)「知っておきたかったこと」
  『16才の頃、同じ高校一年生として 同じ高校 へ通っていた、 つまりは同窓生の Shiroさんなどを見ると、「自分は二十年の間に何もできなかったなぁ」とつくづく思う』という言葉は本当に心からそう思うのです。それは、その年月を経たからこそ、強くそう思うのです。
4.『【おれカネゴン文体】Wikiページ
  そういえば、〜【おれカネゴン】文体誕生とロック音楽史と福音書〜の項を書いたのも私自身でした。
5.『スライド・デザインにおける「上手と下手」
 「上手と下手」は「かみてとしもて」と「じょうずとへた」をかけてあります。
6.『「ピーターの法則」のまとめ資料
7.『「科学のブラ」が株式会社トリソプから新発売
  こんなエトセトラが、日本テレビの「生着替え」に繋がったわけですね。
8.『「未来の立体ディスプレイ」を作る
  これ、実際に眺めてみても結構面白いです。
9.『「心の中が見える装置」
  くだらないものですけれど、こういう「装置」って素晴らしいんじゃないのかな、と思うのです。
10.『「坂村健」が選挙に出馬!?
  こちらは、"坂村健"のイメージ検索結果 第二位です。
11.『ホルモンバランスで移り変わる女性の平均顔のフラッシュ
 生理周期で変化する女性の「平均顔」をFlashにしてみました。
12.『「ウォームビズ・カリキュレータ」
スラッシュドットへ行って、それが記事になってたりすると一瞬びっくりします。

2007-07-26[n年前へ]

「二十年」 

 from n年前へ.

 1985年発行、つまり、ほぼ二十年前に発行された「科学技術を考える」(グラフィケーション編集部 編)には、坂村健、渡辺茂、村上陽一郎、竹内啓ら19人による対談11編が収録されている。 1985年というと、つくば科学万博が開かれていた頃だ。しかし、その内容は決して古くない。それは、次の文章を読むことで、まざまざと実感させられることだろう。「万博会場の自動翻訳機を使って、エスキモーとケニア人が対話している。いまや、世界中が科学の力で結ばれている。ロボットにピアノを弾かせたり、似顔絵を描かせることが流行している。しかし、そんなことができたからといって、世界中に渦巻いている異民族間、異文化間の問題が何か一つでも解決したわけでもない」 坂村 健は対談相手の端山貢明にこう語る。「技術の進歩が早い、早いとよく言われますが…新技術が研究されてから一般化するまでに二十年かかる」
 この言葉は今から二十年前に交わされた会話である。「二十年前の過去」の未来を振り返ってみることもとても良いのかもしれない。「二十年前の過去」の未来はまさに今現在であるのだから。
「 都合の悪いことはいつもくりこむ。ほんとにそれでいいのかな 」
「都合の悪いことはいつも繰り込んで、そして、いつでも幸せを探す」だって、みんな人間なんだもの。
好きになった女性の素敵な笑顔をみるたび、それがDNAの膨大な組み合わせの中に存在する、「たった1つ」の結果であるということに、「あぁ、本当に良く組み合わさってくれたなあ」と、思います。
 今も、私が大学で勉強する必要性はわからない。けれど、少なくとも、彼女に立派な「大人」になったと認められたいために、彼女に追い付くために、今日も私は学校へ行く。

2007-09-10[n年前へ]

Railsと線路 

 「科学技術が世間に浸透するには20年かかる」と坂村健が言っていた。コンピュータもインターネットも、どんなものも人々の生活に広まるには20年かかる、と言っていた。

 時代とともに弱者は変化していくため、ある時期に特定のグループに所属する人たちを弱者と認定しても、将来そうでなくなることがある。
 Ruby on Railsを触り始めて半年経った。「Railsって面白いですね」と言ったら、「そういえば一昨年くらいにRailsが流行りましたね」と言われたりもして、そんな言葉を背中の汗と共に聞きつつ、Railsを、楽しくいじってきた。

 Rails をいじっていて、"Rest of us"として「良いな」と思ったのが、「簡単に遊べて、簡単に沼の深みに足を踏み出して行ける」という感じだった。もう少し言い換えると、「そこまでの筋道を全部ちゃんと作ってくれる」という感じだ。

 たとえば、Rails で気楽にコードを書くと、JavaScriptまで本当に簡単に生成してくれる。JavaScript に対する苦手心に満ちあふれていた私にも、Rails はJavaScriptのコードを優しくちゃんと生成してくれる。

 経済学はどのような人間の行動もありのままに受け入れてくれる。なぜなら、人間の行動に合理性があるということが経済学の考え方の基本にあるからだ。
 けれど、Rails のヘルパーやRJSが作ってくれるコードは、やりたいことには少しだけ足りない。やりたいことはできなかったりする。その「少しだけ足りないお手本のコード」に少しだけ付け足しをすると、やりたいことができるようになる。そして、少しだけJavaScriptへの苦手心とキライ心が減って、ヘルパーに頼る量が減っていく。

 同じように、とても簡単に使うことができるActiveRecordは、SQLの世界へ近づく「少し足りない良いお手本」だ。
 あの日描いた未来とは何か少し違ってるけど
 Rails というレールは、Edgeな人たちだけでなくて、"Rest of us"な私たちにもいいのかも、とふと思う。最初の「レール」は敷いてもらった方が楽な私たちにこそ良いのかな、と思う。
 思うに希望とは、もともと、あるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは、地上の道のようなものである。もともと、地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。



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