2000-04-21[n年前へ]
■オレにはヤツらが見える
スギの花粉は「見える?見えない?」
少し前まで、スギ花粉が飛びまくっていた。スギ花粉症の人にとっては、とても苦しい季節だろう。私の家族も結構スギ花粉症にかかっている。ということは、私もいつか苦しむことになるのだろう。いや、むしろブタ草を主因とする小児喘息で酸素吸入を繰り返した私であるから、まだかかっていないのが不思議なくらいである。
さて、私の勤務先でもスギ花粉で憂鬱になっている人は多い。ヒドイ(もちろん症状が)人などは、この季節になると、
「今日はスギ花粉がいっぱい飛んでいる。」と囁き始めるのである。毎日、である。そういう時に
「オレにはヤツらが見える。」
「ヤツらがオレに襲いかかってくるんだ。」
「誰かがオレの頭に電波を飛ばしてくる、という話に似ていますね。」などとチャチャを入れると大変である。
「スギ花粉症にかかっていないやつに何がわかる!」と言われてしまうのである。いや、確かに私には見えないのだ。ピンクの象が飛んでいるのが見えないように、スギの花粉も私には見えないのである。
「オマエら、スギ花粉症にかかっていないものに、所詮ヤツらは見えないんだ!」
「ほら、あそこにスギ花粉が見えるだろう」と指さす辺りを眺めても、私には何も見えない。ただ、ボンヤリした霞が見えるだけである。仕方がないので、そんな時には、なおさら
「普通の人には見えないところなんか、ホント電波と同じですね。」と言ってみたくなる。いや、私の性格からするともしかしたら言っているかもしれない。うん、言っているだろう。それどころか、
「その花粉を飛ばしてくるのは、宇宙人かナニかですか?」と、火に油を注ぐようなことを言っているに違いない。しかし、その性格は親譲りだ(坊ちゃんじゃないけれど)。
それはさておき、
「オマエら、スギ花粉症にかかっていないものに、所詮ヤツらは見えないんだ!」と言われているだけではくやしいので、私もスギ花粉を見てみたいと思う。当然である。あらゆるものを「目に見えるかたち」にするのが私の好みである。というわけで、可視化シリーズの始まりである。いや、可視化という言葉はどうも小難しく感じるので、名前を改めて「見える?見えない?」シリーズの続きである。これまで、漱石の小説、星の王子さまの内側、透け透け水着、ミニスカートの内側…などさまざまなものを「目に見えるかたち」にしてきたが、その続きというわけだ。
今回登場する、秘密道具はコイツである。
この道具は、チンダル現象を利用して微粒子を可視化してくれるのだ。というと、小難しく聞こえるかもしれないが、とても簡単な原理である。光を微粒子に当ててその反射光を目で見るだけである。もちろん、微かな反射光を捉えるわけであるから、
- 微粒子からの反射光以外は目に見えないようにする
- ボケを小さくするために、絞りはできるかぎり小さくする
さて、それではコイツでスギ花粉(らしきもの)を見てみよう。暗闇に浮かぶ「スギ花粉(らしきもの)」が見えるのだ。
こういった感じでスギ花粉(らしきもの)を可視化することができる。といっても、この微粒子がスギ花粉である保証は「全く」ないのであるが、あえて「スギ花粉(らしきもの)」としておくことにする。ちなみに、この画像もスギ花粉の最盛期に撮影したものである。とりあえず、こうすればスギ花粉症のあなたの敵、すなわちヤツらを目にすることができるのだ。敵であるターゲットの姿を知らずして戦うことはできないだろうから、スギ花粉症のあなたにはこの実験をすることを強く勧めたい。この画像はデジカメで撮影したのだが、実際に人間の目で見ると、ものすごい数の微粒子が飛び回っているのがわかる。今回見えた画像がスギ花粉かどうかはさておき、こういった微粒子は部屋の中ではほとんど見られない。しかし、戸外ではかなりの数の微粒子を目にすることができる。
もう一枚、参考までに示しておく。微粒子が動き回る様子が実感できるはずだ。こういう微粒子があなたの鼻や喉の粘膜に襲いかかってきているのだ。
これらの飛び回る「スギ花粉(らしきもの)」を撮影したmpeg動画(115kB)をここにおいておく。スギ花粉症の人はぜひ敵であるヤツらを自分の目で確認して頂きたい。
さて、「可視化」シリーズ、改め、「見える?見えない?」シリーズはこれからも続く。ありとあらゆるものの「見える?見えない?」境界線を追求したい。どんなにクダラナイものであっても、あらゆるものを「目に見える」ようにしていきたいと思うのである。
2000-07-18[n年前へ]
■モザイクの向こう
隠しているから良いのです
「できるかな?」への質問?で、同じような内容のメールを頂くことがよくある。その内の一つは、
感温液晶の入手先を教えて下さい。というものである。何か不思議な気がするのだが、けっこう感温液晶を欲しいと思う人がいるらしい。しかも、そのような人はインテリア関係を扱う人が多い。「人のぬくもり」を感じさせるものを作りたい、というわけのである。これを逆に言えば、「人のぬくもり」を感じさせないものが世の中には溢れているということなのだろう。液晶という実に物理的なものを通して「人のぬくもり」を感じることができる、ということが実に不思議で同時に爽快でもある。
さて、私自身は新宿の東急ハンズで感温液晶を購入したのだが、その人達のメールによれば、最近はどうも置いていないらしい。仕方がないので、
- 日本書籍 後藤富治 村上 聡 著 おもしろ科学モノ情報 200選 2000年版
感温液晶シートですが、実験材料でなくて遊ぶのにという返事を最近は出すことにしている。
使うのでしたら、光洋 03-3212-1571にあるようです。
日比谷パークビル9F
平日8:30-5:30
JR有楽町駅近く
そういうわけで、こちらの感温液晶の入手方法に関するメールの方は良いのだが、もうひとつのよく頂くメールの内容がある。こちらの方はメールを頂いても、返事ができるわけでもなく、いつもそのままになっていた。その内容はと言えば、
画像処理と言えば、まずはAVのモザイクの消し方を研究して下さい。というものである。AVのモザイクというと、あの映してはマズイ部分を隠すアノ画像処理のことだろう。本来のモザイクという言葉のモノだけではなくて、アノマズイ部分を隠す画像処理一般について、それをどうにかして欲しい、と言っているのだろうと思う。
しかし、そう言われても困ってしまう。もちろん、私は「見えないもの」を「見える」ようにするのは大好きであるし、趣味でも仕事でも、「見える?見えない?」の境界線に興味を惹かれ、日夜考え続けている。だから、AVのモザイク〜マズイ部分を隠すアノ画像処理〜のようにわざわざ「見えない」ように細工をされてしまうと、それを何とか「見える」ようにしたいという気持ちが無い、と言ってしまうと嘘になるだろう。
しかし、残念ながら、このAVのモザイクの件に関しては「見えない」方が良いと思っているのである。それは、私の好みの根幹に関わる部分なのであるが、ダラダラと言い訳を書いても仕方がない、やはりここはFAQに対しての答えを用意しておくべきだと考えて、ここに簡単な説明を書いておくことにした次第である。
まずは、代表的なマズイ部分を隠すアノ画像処理の種類を示してみたい。次に示す画像は左から、
- オリジナル
- オリジナルに「モザイク」をかけたもの
- オリジナルに「ぼかし」をかけたもの
- オリジナルに「塗りつぶし」をかけたもの
この3つのマズイ部分を隠すアノ画像処理のなかから、今回は
- オリジナルに「モザイク」をかけたもの
- オリジナルに「ぼかし」をかけたもの
さて、まずは「モザイク」に挑戦してみたい。試しに、ミロのヴィーナスのヌード画像に対して、「モザイク」をかけてみよう。次に示すのが、とあるヌード画像に対して「モザイク」をかけたものである。
19kB | 1kB |
GIF画像ということで圧縮もかけてあるため、一概に比較はできないが、オリジナル画像が19kBであるのに対して、右の「モザイク」画像は1kBしかない。つまり、情報量がおよそ1/20であるわけだ。それもそのはず、上の「モザイク」画像は実はオリジナル画像を単に縮小したものを拡大表示してみたものである。情報量が少なくなるのも当然だろう。
19kB | 縮小したもの(GIF画像) 1kB | 単に拡大表示したもの 1kB |
それでは、画像の情報量が減ってしまっている場合に、元の画像を復元することはできないのだろうか?いや、ハッキリと言えばヌード画像に対して「モザイク」がかけられてしまったとしたら、その「モザイク」の向こうのヌード画像を拝むことはできないのだろうか?
それが実はできるのである。その証拠に巷には「AVモザイク消し器」というものが溢れている。また、そんな大層な機械でなくても、巷には「モザイク」の向こうを見通すノウハウという秘伝が伝えられている。例えば、私がリサーチした限りでは、
- TVの前に半透明のシートを張る
- 目を薄開きにして、TV画面を見る
その原理とは「オリジナルの画像の性質を考える」ことである。先のオリジナルのヌード画像をじっくり見ればわかると思うが、ヌード画像というものは割合滑らかである。マッチョなヌード画像ならばいざしらず、少なくとも女性のヌード画像は普通滑らかな画像であるわけだ。当然である。だとしたら、その性質をフル活用してやれば、「モザイク」の向こうのヌード画像を拝むことができるのである。
もう少しわかりやすく言うと、こんな感じだ。まずは、滑らかなグレイスケールの画像に「モザイク」をかけてみよう。
オリジナル | |
上の画像に「モザイク」をかけたもの |
すると、元のオリジナル画像は極めて滑らかな画像であるのに、下の「モザイク」をかけた画像は「モザイク」のせいで滑らかでなくなってしまっている。だとすれば、「モザイク」画像を滑らかにしてやれば、元のオリジナル画像っぽくなるのではないだろうか?周囲の画像を考えながら、滑らかな画像にすれば良いのではないだろうか?具体的に言えば、注目画素の周囲で平均値などを計算してやればよいのだろう。つまり、「ボカシ」をかけてやれば良いのである。「ボカシ」をかけると画像はソフトで滑らかになる。「モザイク」をかけた画像が滑らかでなくなってしまっているのを、「ボカシ」をかけることで滑らかにして、元の画像っぽくしてやれば良いのだ。
先の秘伝
- TVの前に半透明のシートを張る
- 目を薄開きにして、TV画面を見る
例えば、上の「モザイク」画像にぼかしをかけたものを次に示してみよう。「モザイク」画像にぼかしをかけることで、元のオリジナル画像に極めて近い画像になっていることがわかると思う。
オリジナル | |
上の画像にモザイクをかけたもの | |
モザイク画像にぼかしをかけたもの |
これが、いわゆるひとつの「モザイク」の向こうのヌード画像を拝む秘訣なのである。試しに、先のとあるヌード画像に対して「モザイク」をかけた画像を「ぼかす」ことで「モザイク」の向こうのヌード画像を拝んでみたのが次の画像である。「モザイク」画像よりはオリジナル画像っぽいことがわかると思う。
オリジナル | オリジナル画像に モザイクをかけたもの | モザイク画像に ぼかしをかけたもの |
さて、それでは逆にオリジナルに「ぼかし」をかけることでマズイ部分を隠すアノ画像処理をした場合はどうだろうか?この場合は「モザイク」の向こうのヌード画像を拝むことはできるだろうか?
といっても、こちらは以前
で扱っているので、ここでは詳しく書かない。ぼけた画像は例えば、- ウィーナ・フィルタ
- ハイパス・フィルタ
と書くだけでも何なので、試しに、Photoshopのカスタムフィルタで簡単な「ボカシ復元用フィルタ」を作成してみたものをここにおいておく。Photoshopユーザは試してみると面白いかもしれない。
このカスタムフィルタの内容はごく簡単なオペレータ演算で、次の図に示すようなオペレータ演算子を用いたフィルタである。 試しにこのカスタムフィルタを用いて、とあるヌード画像に対してかけられた「ぼかし」画像の向こうのヌード画像を拝んでみたのが次の例である。ちなみにここでの「ぼかし」はPhotoshopでガウス「ぼかし」の半径4ピクセルの設定でフィルタをかけてみたものだ。
オリジナル | オリジナル画像に ぼかしをかけたもの | ぼかし画像に 先のカスタムフィルタをかけたもの |
こんな簡単なカスタムフィルタでもとあるヌード画像の「ボカシ画像」を鮮鋭化できて、その「ぼかし」の向こうのヌード画像を拝むことができることが判ると思う。
実際に、私がネット上で膨大な数のエロ画像、いや違った「ボカシ」画像だ、を収集し試した結果ではかなりの割合の画像に対して、驚くべき効果を挙げることができた。本WEBに訪れるような方のほとんどには当然の知識だとは思うが、もしもこういった処理をかけたことのない方がいらっしゃれば、是非一回挑戦しみてもらいたい。特に素人ヌードの「ぼかし」画像がお薦めである(あくまで復元効果の大きさに関してだけど)。
さて、ここまで書いてから言うのはどうかと思うのだが、以前
でも書いたように、私は「素晴らしい芸術は完全な自由の中では生まれない」と思っている。それと同じで、制限の中で表現する方が実は素晴らしいものができると思っているのである。それは、私服の女子高生には心ときめかないが、制服の女子高生には思わず目を惹かれるのと同じである。完全に何でもありの私服だと実はそう簡単に輝かないのだが、制限のかかっている制服だと何故かとても輝いてしまうのと同じだ。私などは、通っていた高校が制服がなかったため、思わず同級生に「セーラー服を着て来てくれぇ」とリクエストをしてしまったくらいである。あれ、何の話だっけ...そう、つまりわざわざ隠してある部分を眺めてみることは良いとは思わないのである。隠してあるものは、隠しておいたままにしておいた方が良いのではないか、と思うのである。
そう言えば、先ほど「ミロのヴィーナス」の画像用に表紙を使わせて頂いた細野不二彦のギャラリーフェイクの中では、主人公藤田が、
「ミロのヴィーナスは腕が隠されているからこそ、人々の心を捉えたんじゃないですかね」というようなことを言う。私も本当にそう思う。
「ミロのヴィーナス」の存在しない腕を想像することで、現実には作りえない理想の姿を、その像を見る人々は感じることができるのだろう。隠してあるからこそ、良いのである。
あまりに緻密に描写した弟子に「言い仰せて何がある」と言ったのは松尾芭蕉だったはずだ。想像する余地を残して、現実よりもさらに大きいものを表現した方が良い、ということである。私も本当にその通りだと思う。ある一部分だけを切り取ってその部分だけを見てみて、後は想像力におまかせというのが、私も表現としては一番良いと思うのである。もちろん、全ての人の想像力を越えるものを表現する力があるというならばともかく、そんなことができないのならばわざと一部分だけを表現するのが一番良いと思うのである。
いや、だからって別に私が変な想像をしまくりってわけじゃないとは思うけど。かといって、私が想像力とか好奇心が少ない方かと言われると...うーん...
2001-07-06[n年前へ]
■宇宙の仲間を求めて
アルタイルに向けて電波でメッセージを送った話。光村の小学校国語5年生、といっても今年の版では少なくとももう入っていないみたいだ。「もちろん、宇宙人に電波を送ったなんて考えているわけでなくて、私たち自身の心に送ったと思っている」と送信者・実行者のひとりは言ってた。
ところで、アルタイルは中国・日本では牽牛星と呼ばれる。七夕の夜に逢う二人の内の男の方だ。明日は七夕。星に願いは届いたのでしょうか?(リンク)
2001-07-07[n年前へ]
■星に願いを
七夕と言えば笹、笹と言えば竹、そして竹と言えばかぐや姫。そんなかぐや姫はまるで宇宙人みたい、と誰もが思う。かぐや姫は天のどこに帰ったかと言えば、それはヴェガに決まってる。
そうでなければ、アルタイル、だ。
天にいるはずのかぐや姫に願いごとは届くのでしょうか?
2001-08-07[n年前へ]
■「ボケ」た背景で包み込め
デジカメ画像をキレイにボカそう アルゴリズム編
最近、新しいデジカメを物色中である。私はこれまではFinePix4700zを使っていたのだけど、そのFinePixが半年程度で壊れてしまった。というわけで、C-4040ZOOMがどんなものか期待しているところである。
壊れたFinePixと言えば、そもそも壊れたFinePixは一台ではなかった。私はすでにFinePixを二台も買っているのだ。そして、もうすでに二台とも壊れてしまっているのである。連続殺人事件ならぬ、連続カメラ自殺事件なのである。
まず、一台目に買ったFinePix700ははメキシコのティファナでポケットから落としたら、バッテリーから電源が供給されなくなった。もちろん、ACアダプターを使えば立派に動くのだけれど、それでは少しばかり機動性に欠けてしまう。まさか発電機を持ち歩くわけにはいかないし、コンセントの近くでしか撮影することができないとなると、それは非常に困ってしまう。そこで、すかさず二代目としてFinePix4700zを私は買った。ところが、買ってから半年位たったある日、今度は勤務先の駐車場でポケットから落としてしまった。すると、今度はファインダー視野がズームに連動しなくなって、なおかつレンズがまるでジョイスティックのようにあらゆる方向に曲がるようになってしまった。
こんな風にデジカメはとっても壊れやすくて、半年毎にデジカメ出費を強いられる私に周囲は「落としたオマエが悪い」と非常に冷たいのである。残念なのだ。「そういうのは壊れたんじゃなくて、壊したんだ」と被害者である私をまるで加害者のように告発する人さえいるのである。連続カメラ自殺事件は実は他殺で、しかも犯人は私だと告発する輩さえいるのだ。ひどい話である。
ところで、C-4040に期待しているのは、コンパクトで、レンズアダプターが使えて、レンズがF1.8と明るいことなのである。コンパクトなのは持ち歩くために必要だし、私はなんと言っても超広角デジカメが欲しいのだが、そんなデジカメはないので、ワイドコンバーターを付けたいのでレンズアダプターが必要なのである。明るいレンズの方は、うす暗い中でも撮影する時に重宝しそうなので、少し期待しているのである。
ところで、この位明るいレンズであれば、もう少しぼかすことができるものだろうか?デジカメで写真を撮ってもどうしてもボケない。35mmフィルムを使っているカメラなどと比べるともう全然ボケない。もうほんとにボケない。
例えば、35mmカメラで135mm F4.5開放のレンズなら、ピントの合ってない背景はこの位はボケる。これは京都の哲学の道近くにある吉田山で撮った写真だ。
ピントが合っている位置以外は光がボケて、キレイなボケが発生する。どちらの写真も絞りは開放で撮影しているので、後ろの風景はほぼ丸くボケている。ぼかせばキレイというわけではないけれど、背景などがごちゃごちゃしている中で対象物だけを浮き上がらせたい場合には、「ボケ」させるととても良い感じになる。
しかし、デジカメではそうそう簡単にボケた画像を撮影することはできない。35mmフィルムに比べて、CCDサイズが小さいからである。35mmカメラよりAPSカメラはもっとぼけなくて、それよりデジカメはさらにボケないのである。そんな様子を見るために、二台目として買ったFinePix4700zで「ボケ」を意識して撮影してみたものが下の写真である。手前の植物にピントが合って、奥の道の先はボケてはいるのだけれど、それでも先程の写真などとは比べものにならないほどわずかしかボケていない。
ところで、このような画像の「ボケ」を考えるとき、「ボケ」た画像をシャープに復元しようという話は非常にポピュラーな話題である。例えば、本「できるかな?」でもこれまでに
といった感じで遊んできた。また、さらには「恋の形」を復元しようとしたとか、このようなアプローチを遥か昔に考えていた漱石の「文学論」を振り返ってみたりしたきたのである。しかし、これらはいずれも「ボケたデータを復元する」という問題であった。一方、この逆のアプローチである「シャープなデータをボケたデータにする」という問題も結構ポピュラーである。例えば、音楽をホールやライブハウス風にボケた音にするDSPはかなりの数のオーディオ装置に付けられている。これも、もともとはシャープな音声データが部屋の中でボケていく様子をシミュレートする回路である。また、画像に関する話題でも、ピント位置をずらした複数の画像から任意の「ボケ」画像を作成するといった話題もたまに見かける。
そこで、「できるかな?」でもデジカメ画像を35mmカメラ風にキレイにぼかすことに挑戦してみることにした。今回は、まずはアルゴリズムを確認して、次回以降で簡単プログラムを作成してみることにしたい。
まずは、似たようなソフトウェアがあるかどうか、Googleで適当なキーワードを使って検索をかけてみると、IrisFilter(http://www.reiji.net/iris/)というソフトウェアがあった。これは、「写真のぴんぼけを再現する」というフィルターだった。サンプル写真などを見てみると、これがなかなかきれいだった。例えば、早朝の御殿場の路上を「在りし日のFinePix4700z」で撮影した写真にこのフィルタをかけて、「ボケ」を加えてみたのが下の画像である。
ここではこんな六角形の絞り形状をを用いてみた。右の処理画像中の、車のテールランプや車の下部を眺めてみると、鋭いハイライト部が六角形に光っているのがわかだろう。確かに、「ボケ」がカメラの絞り形状になっていて、良い感じである。
WEBページの記載によれば、このIris Filterは「フィルム特性曲線を利用し、レンズから通った光がフィルムを感光させる様子を再現しています」ということである。なんでも、特許も国内・USP共に出願済みということだが、特願2000-100042もU.S.PTO 09/772532も未だ公開にはなっていないようで、残念ながら特許の内容を読むことはできなない。
このWEBページの記述の中で面白いのは、「データ上の数値をそのまま拡散させる従来のPhotoshopをはじめとした画像処理ソフトと違い、実際のフィルムに当たる光の量(露光量)を逆算し、その露光量をもってピントがずれている様子を再現します」という歌い文句でPhotoshopの「ガウスぼかし」と比較広告してある部分である。
試しに、先の画像をIris Filterで「ボケ」を加えた画像と、Photoshopの「ガウスぼかし」とで「ボケ」を加えた画像を比較してみると、下の二枚の画像のようになる。確かにIrisFilterの売り文句通り、こうして比較してみるとPhotoshopガウスぼかしが写真の「ボケ」っぽくないのに対して、IrisFilterの「ボケ」が写真のそれっぽいことが良くわかる。
さて、お仕着せのソフトを使ってみるだけではなくて、自分でデジカメ画像をキレイに「ボケ」させてみることにしたい。というわけで、hirax.net風「ボケ」フィルターの動作を考えてみる。
まずは、毎度のことだがオリジナル画像が「ボケ」る様子を計算する式は
逆フーリエ変換( フーリエ変換( オリジナル画像 ) x フーリエ変換(ボケ具合 ) )と表すことができる。詳しくは、「宇宙人はどこにいる?」の回でも読んでもらうことにして、簡単に言えば周波数領域でオリジナル画像とボケ具合を掛け算をしさえすれば良いのである。つまり、今回のデジカメ画像をぼかす場合だったら、
- デジカメ画像と「ボケ」具合をそれぞれフーリエ変換し周波数空間に変換
- 周波数空間で乗算を行う
- 逆フーリエ変換して実空間に戻す
じゃぁ、早速やってみようとなるわけだが、その前にもう一つ注意することがある。それは、RGB画像の数値というものは実は元々「明るさを対数変換した値」であるということなのである。人間の目も含めて世の中の大抵の材料は対数的な感度を持っている。例えば、人間の目に「2倍明るい」という場合に、光は「2倍明るい」というわけではない。その場合には指数的にX^2倍明るいのである(ここで、xの値はそれぞれのデバイスによって色々と違う)。その明るさをRGB画像の数値データにする時に、明るさの対数をとってLog[x,X^2]で2という数値として表しているわけだ。
RGB画像の数値が「明るさを対数変換した値」だというようすの一例を示すと下の図のようになる。
横軸 = 0〜255の数値データ 縦軸 = エネルギー | 横軸 = 0〜255の数値データ 縦軸 = エネルギー |
逆に明るさからRGB画像の数値データへの変換グラフは例えばこんな感じである。RGB数値で200と255と言っても実はその明るさは大違いであることがわかると思う。
だから、この手の処理を行う際には、まずは指数変換してから処理を行い、そしてその後対数変換してやらなければならないわけだ。もちろん、今回のデジカメ画像をぼかす場合にも、RGB画像の数値をまずは指数変換した後、「ボケ」演算を行って、その演算結果を対数変換でRGB画像の数値に戻してやらなければならないのである。といっても、別に難しい話ではなくて画像を扱う装置だとごく当り前の話だ。
そう、「ボケ」演算のhirax.net風レシピはたったこれだけ〜というわけで、早速このレシピに従ってhirax.net風デジカメ「ボケ」フィルターをかけてみたのが下の画像である。キレイな「ボケ」画像ができあがっていることが判ると思う。
ところで、デジカメ画像のRGB画像の数値を指数変換したものに「ボケ」演算を行ったわけだけれど、もしRGB画像の数値そのものに対して「ボケ」演算を行ったら、どんな結果になるだろうか?つまり、「データ上の数値をそのまま拡散させる」やり方をしたら、どうなるのだろうか?そこで、試しにRGB画像の数値そのものに対して「ボケ」演算を行ってみるとこんな結果になる。
何だかボンヤリとにじんだだけの「キレイじゃない」写真になってしまっている。それは、当り前である。本来2倍明るいものはX^2倍明るいわけで、すごく光の量は2倍どころでなく多いわけだ。それが広がる量を仮にRGB数値そのまま2倍として扱ってしまうと、その光の部分は薄暗くなってしまう。コントラストのはっきりしない、ぼんやりとした写真になってしまうわけだ。ちゃんと、X^2倍のデータとして扱ってやらなければならないわけである。
試しに、指数処理したものと線形処理をしたものとを並べてみるとその画像の違いがよくわかるだろう。
キレイなボケ画像(指数処理) | キレイじゃないボケ画像(線形処理) |
さて、今回はデジカメ画像の「ボケ」フィルターのhirax.net風レシピを確認してみた。次回(と言ってもいつになるか…)以降に、このレシピに従って実際にソフトを作成していこうと思う。
ところで、「文学論」の中で漱石は「ボケ」は焦点的印象又は観念に付随する情緒を意味する、と言っている。それは、言い換えれば「何かの出来事をきっかけとして感じた怒り・悲しみ・喜びなどの感情がボケである」ということだ。そして、さらに言えば、写真で背景をぼかすということは、つまり「背景にある出来事が生みだした怒り・悲しみ・喜びを広く混ぜて包み込む」ということなのである。
だから、何かを撮影する時に対象物の背景をぼかすということは、「背景にある出来事が生みだした怒り・悲しみ・喜びを広く混ぜて対象物を包み込んで、そして対象物を浮き上がらせる」ということなのかなぁ、とぼんやりと考えてみたりする。そんな写真は対象物を写しこんでいるのと同時に、それを包みこむ背景も写しこんでいるンだろうなぁ、と考えてみたりする。