2001-06-04[n年前へ]
■あなたの声が、すぐそばにある
高原の向日葵と月見草 編
昨日、東京駅の地下街にある「王様のアイデア」でこんなものを買った。見ての通り、ピストル型の集音マイク"SonicExplorer"だ。その数日前にその集音マイクを初めて見かけたのだが、遊んでみるとどうにも気に入ってしまって、次に見た時には必ず買おうと決めていたのである。
数日前に、その"Sonic Explorer"を見かけた時は出張帰りだったのだが、地下街の雑踏の中で「頭にヘッドホンを被り、ゴルゴ13のように集音ガンで狙っている」様子はさぞかしアブナイ奴に見えたに違いない。現に、私が雑踏の中に"SonicExplorer"で狙いをつけていたときには、一緒に出張していた仲間が二・三歩後ずさりして、私の側から離れていったくらいである。自分でも怪しい姿だとは思ったのだが、そんなことを忘れてしまうくらいに面白かったのである。こんなおもちゃみたいな外見に似合わないほど、これを使うと遠くの音がピンポイントでよく聞こえるのだ。地下街の雑踏の中で遥か向こうで携帯電話で話をしている人に"SonicExplorer"を向けると、私の耳元でささやいているかのように聞こえてくるのである。もちろん、遥か向こうといってもたかだか20mくらいではあるのだが、雑踏の先の20mというのはずいぶんと先に感じる。しかし、"SonicExplorer"の先のパラボラ面は見事にその遠く先の音を集めてくれる。
ところで、遠く離れた人の声はどうして聞き取れないのだろうか?それはもちろん、遠く離れた人の声は小さくしか聞こえなくなって、その人以外が発する雑音に埋もれてしまうからだろう。それでは、人がしゃべる声は距離が離れるとどの程度小さくなるだろうか?
音波が四方八方に等方に拡がっていくとすれば、音の大きさは音の発信源からの距離の二乗に反比例すると考えるのが自然である。つまり、喋っている人からの距離が10倍になれば、その人の声は1/100の大きさでしか聞こえないことになる。20m先で携帯電話で喋る人の声は、1m隣でささやく人の声のわずか1/400の大きさなのである。それでは、雑踏の中で溢れる他の音に埋もれてしまうのは当り前である。
そんな声を聞き取りたい時にはどうしたら良いだろう?そんな時、私達は耳に手を当てて、耳を澄ませる。掌で音を耳に集めて何とか声を聞き取ろうとするのである。それと同じく、この"SonicExplorer"は、先端のパラボラ面で焦点にあるマイクに音を集めて増幅するのである。それでは、"SonicExplorer"は私達の耳に比べてどの程度音を多く集めているだろうか?
そもそも、私の耳の大きさはどの程度だろう?耳はそんなに効率的に音を集めそうな形状をしているわけではなさそうだから、有効な集音面積としては直径1cmの円といったところだろう。それに対してこの"SonicExplorer"のパラボラは直径20cm程だ。ということは、直径にして20倍、面積にして二乗で400倍の面積で音を集めることができるわけである。音を集める程度は音を集める面積に比例するだろうから、"SonicExplorer"を使えば人間の耳の400倍もの鋭さで音を聞き取ることができるわけだ。400倍ということは、つまりは先ほどの「20m先で携帯電話で喋る人の声」と「1m隣でささやく人の声」との違いと同じというわけで、結局のところ"SonicExplorer"を使えば「20m先で携帯電話で喋る人の声」が「1m隣でささやく人の声」であるかのように聞き取ることができる、ということになる。
ここで面白いのは、音が小さくなってく様子は距離の二乗に比例し、音を集める量は集音面のパラボラの直径の同じく二乗に比例するから、n倍遠くの音を元と同じように聞き取りたかったら、集音面の大きさ(長さ)をn倍にしてやれば良い、という単純な関係にあることである。20m先の声を1m横の声と同じように聞き取りたかったら、耳の大きさ(長さ)を20倍にしてやれば良いのである。
そんなことを考えていると、ふと二十年位前のことを思い出した。その頃、私は夏になるといつも長野県の野辺山あるいは川上村というところに滞在していた。その数年前まで、私はその野辺山で暮らしていたのである。そして、野辺山にある45mミリ波望遠鏡の建設が佳境に入った頃だったのだろうか、その頃私の父は半分野辺山で暮らしていた。下の写真は八ヶ岳の麓にあるその45mミリ波望遠鏡である。
http://www.icon.pref.nagano.jp/usr/minamimaki/sawayaka.htm |
そんな二十年位前のある日、父がこんなことを言った。
「45mのアンテナを赤岳(八ヶ岳の最高峰)に向けて、副鏡(焦点)の場所にいると赤岳の上にいる登山客達の話す声がまるで自分のすぐ横にいるかのようにガヤガヤと聞こえてくるんだよ」一体、それは本当だろうか?上の写真を見ても、赤岳(八ヶ岳の最高峰)の山頂は野辺山の45m望遠鏡の位置から遥か彼方に見える。少なくとも、その頃の私からすれば遥か先のずっと遠くに見えていた。今でもそれは同じことだろう。やっぱり遠く彼方に見えると思うし、その山頂でワイワイガヤガヤと話す登山客達の声が聞こえるとは思えない。
そこで、試しに地図で野辺山の45m望遠鏡と赤岳の山頂の距離を確かめてみると、直線距離にして10km程である。下の地図で赤い■の位置辺りが野辺山の45m望遠鏡が建っているところだ。10kmということは、メートルにして一万メートルである。メートルに直したところで、やっぱり遠いことには変わりない。
それでは、先ほどの"Sonic Explorer"と同じように考えてみることにしよう。45m望遠鏡のパラボラ面は人間の耳(ここでも直径1cmとしよう)の45m/1cm= 4500cm / 1cm = 4500倍である。ということは、5000m先、すなわち5km先の音が1mのすぐそばにいる人の声と同じように聞こえるということになる。すると何ということだろう、10km先の八ヶ岳の山頂でワイワイガヤガヤと話す登山客達の声は、すぐ2m横でワイワイガヤガヤと話しているかのように聞こえることになる。もちろん、それは理想的な場合の話ではあるが、先の父の話は結局のところ何の不思議もないごく当り前の話だったわけである。
上の写真のような、八ヶ岳の麓にそびえる白い45m望遠鏡ももちろんかっこいいけれど、私が野辺山に住んでいた頃にはまだその45m望遠鏡は建っていなかった。私がいた頃には、下の写真の中に見える朱色の野辺山太陽電波観測所の野辺山干渉計のパラボラアンテナだけが野辺山の高原に点在していた。野辺山干渉計はもう今では現役ではないけれど、今でもやっぱりイースター島のモアイのように大空に向いているはずだ。私は白く輝く45m望遠鏡も大好きだけど、その横に点在している朱色に塗られた鉄骨で支えられている野辺山太陽電波観測所の野辺山干渉計の方が大好きだ。
http://solar.nro.nao.ac.jp/nori/html/introduction-j.html |
現役を引退した今ではどうなのだか知らないけれど、野辺山太陽電波観測所の野辺山干渉計のパラボラアンテナは太陽電波を捕らえるためのアンテナだったので、いつも太陽の方を向いていた。まるで、巨大な向日葵のように忠実に正確に太陽のある方向にパラボラ面を向けていたのである。だから、太陽が強く照らす晴れた日も、薄暗い雨の日も朱色の鉄塔の上のパラボラアンテナを見れば、太陽の方角はいつも一目瞭然だったのである。
そういえば、私が子供の頃、一時間かけて歩く家から分校までの4キロメートルばかりの道端には、たくさんの月見草が咲いていた。高原の中で高くそびえる赤く巨大な「向日葵」達と、歩く私のすぐ横に咲いている黄色い「月見草」が私はとても大好きだった。
眩しい太陽を追いかける「向日葵」達も、静かに照らす月を見る「月見草」もどこか遠くの声を耳を澄ませて聞いているのだろうかとか、その声をすぐそば近くに感じているのだろうかとか、少し思ってみたりした。
2001-06-21[n年前へ]
■二十一世紀の「ミニスカートの幾何学」
可愛いAIBOはちょっぴりエッチ
「面白い記事がありましたが、読みましたか?ふふっ(笑)。」というメールが先日私に届いた。さてさて、一体どんな記事だろう?うむむ…?と見に行ってみると、それはZDNNのこんな記事だった。
- 「しつけ」られたAIBO——無線遠隔操作ソフトに,盗撮防止機能
- ( http://www.zdnet.co.jp/news/0106/08/aibo.html?0b06012410 )
しかし、しかし、である。これだけでは、先のメールの書き主が私にわざわざこのニュースを知らせてくれる理由がわけ判らないではないか。私はお茶ノ水博士のようなロボット博士でもなければ、TVチャンピオン常連のおもちゃオタクでもないのである。ましてや、先のメールの「ふふっ(笑)」は奇奇怪怪としか言いようが無い。もしかしたら、これは新手のAIBOの売り込みだろうか?あのSONYもついにSPAMを出すようになったか、あのSONYがなぁ、と思いつつ記事を読み進んでいくと、記事の終わり近くになってやっと疑問は氷解したのである。その部分を少し引用してみると、
今回,遠隔撮影を可能にするAIBO Navigator開発にあたって,ソニー社内でも盗撮問題が再浮上。AIBOを担当するエンターテインメントロボットカンパニー内に「倫理委員会」を設置するなど,盗撮問題に対して真面目に取り組んだという。ということだそうだ。なるほど、これはまさにである。理系学生の憧れナンバー1といえばソニーであるが、そのソニーの「真心」とも言うべきソニーの「倫理委員会」と私は同じような「研究」をしていたわけである。「女性のためのミニスカート理論の構築を目指していた」ミニスカートの幾何学はまさに「真心・倫理」を具現化した研究と言っても良いくらいであるが、やはり判る人には判るのである。先のメールの主は私に「あなたのレポートはまさに日本の倫理のために役立っているのですよ」と教えて下さっているに違いないのである。もっとも、残念なことに私はソニーの倫理委員会と違って「短いといわれているミニスカートの丈の長さを実際に定規で測って調べたり」する機会には恵まれなかったのである。
「AIBOのアタマが,ある角度以上に上を向くと,見てはいけないものが見えてしまう」(ソニー)ということで、倫理委員会では、まず盗撮される側のデータを収集。女性の平均身長の調査から始まり、短いといわれているミニスカートの丈の長さを実際に定規で測って調べ、AIBOの頭部カメラがどの角度までなら大丈夫かをさまざまな角度から調査。その結果、可動角度を最大20度とし、首の位置が20度以上動くようなモーションをしなくてはいけないときは、動画が止まる機構までも装備した
が、そんなことはさておき、「角度で20度までなら、見てはいけないものが見えない」というのは本当だろうか?それは、ミニスカートの幾何学で調べるとどういうことになるのだろうか?というわけで、このナゾについて少し考えてみたい、と思うのである。
というわけで、まずは「ミニスカートの幾何学」の復習をしよう。ミニスカートの内側の下着が見えるか、見えないかを考えるには次のような図を考えると判りやすい。ここでは女性の真下の地点を原点にとり、水平方向にX軸をとり、鉛直上向きにY軸をとっている。
スカートの内側の「見てはいけないもの」が見えてしまうのは、上の図で緑の線よりも下側に入って、その緑の線より上を見上げた場合である。そして、ここでその緑の線は
- 女性の下着の一番下の部分の位置
- ミニスカートの一番端の下の位置
それでは、その「限界角度」を調べるために、とっても簡単「ミニスカートの幾何学」を活用しよう。まずは、例えば女性のヒップ周りが88cmとしてみた場合に、スカート中央から端までの長さ(rcm)は、女性のヒップを円と近似すると、
2πr = 88cmであるから、スカート中央から端までの長さ(r cm)は
r = 14cmとなる。すると、図を見ればわかるように、緑の線 -> 「下着防衛ライン」はスカートの丈を未知数として、
y = - ((スカートの丈 - 25)/14) x + 股下長さという式で表すことができるわけだ。ここで、「AIBOがそれ以上上を向くと見てはいけないものが見えてしまう」という緑の線の角度は
ArcTan[ (スカートの丈 - 25)/14 ] / (2 π)*360で表されるから、それを計算してみて、「スカートの丈」に対する「見てはいけないものが見えてしまう」限界角度を計算してみると、その結果は次のグラフのようになる。
このグラフを見れば判るように、女性のスカートが長くなれば長くなるほど、「見てはいけないものが見えてしまう」限界角度は大きくなる。当り前である。長いスカートの中を覗こうとしたら、AIBOはそのスカートの中へ入り込んで、かなりの上を見上げなければならない。もちろん、スカートの丈が短くなればなるほど、スカートの中身は覗きやすくなる。そうすると、AIBOがそれほど上を見上げなくても、「見えてはいけないもの」が見えるようになってしまうのである。
さて、前回の「ミニスカートの幾何学」では女性達が履くスカートは短くても32cmまでであって、その長さであれば角度が30°ほどにもなる急な階段でも女性のスカートの中の「見えてはいけないもの」は見えることが無い、ということを明らかにした。というわけで、それを知ってか知らずか女性達の履くスカートは短くても32cmまでなのである。だとすれば、その32cmに対応する限界角度は「見てはいけないものが見えるための必要角度」ということになるわけである。
すると、このグラフを見れば一目瞭然、スカートの下限「見てはいけないものが見えてしまう」限界角度は20数度よりも大きいことが判るのだ。ということは、先の記事の通りに、AIBOの首の上限角度を20度にしておけば、もうどうやってもAIBOはスカートの中身を覗くことができなくて、AIBOが盗撮者の手先となってしまう危険は防ぐことができるのである。それより上を眺めれば、見たことのない映像が見ることができるハズなのではあるが、ロボット三原則に基づいて(大ウソ)、AIBOの首はそれより上には上がらないように設計されているわけである。
というわけで、こんな風にソニーの「倫理委員会」がうらやましいばかりの数々の実験を重ねて調べたことも、このミニスカートの幾何学から導き出すことができるのだ。あぁ、なんて社会の役に立つ研究なのだろう。こんな女性のため、社会正義のための幾何学がこの他にあるのだろうか…。しかし、そんな社会正義のための研究だったハズなのに、この「ミニスカートの幾何学」をきっかけにしてhirax.netが色モノサイト扱いされ、さらには有害サイト扱いされるようになるとは… 思いもしなかったなぁ… ふっ… (涙)…。
2002-09-18[n年前へ]
■銀玉鉄砲を撃ちまくれ。(前編)
銀玉鉄砲の弾道計算
世の中には「似て非なるモノ」が溢れている。一見同じように見えるのに、よく見ると何故だか大違いというものである。そしてまた、その「似て非なるモノ」の亜種として「言葉の上ではよく似ていて、実際のところもやっっぱりよく似ているのに、世間一般での印象が全く異なるモノ」というのが数多くある。
その一例が、「月光仮面」と「けっこう仮面だ。月光仮面は「月よりの使者」をキャッチフレーズにする正義の味方で、けっこう仮面は「愛と正義の使者」をキャッチフレーズにするやはり正義の味方だ。二人ともマスクをかぶった正義の味方だし、そのキャッチフレーズだって互いによく似ているのに、世間一般の印象は大違いなのである。「昔、私は月光仮面に憧れていてね~」と遠い目で語る男を優しく見守る女性はいるかもしれないが、「なんてったって、も~、オレはけっこう仮面が好きで好きで~」と呟く男を優しく見守る女性はいるわけはないのである。同じように思い出を語っているのに、そしてその響きもほとんど同じなのに、世間の印象というのは全然違うモノなのである。「月光仮面」と「けっこう仮面」は「似て非なるモノ」なのだ。
そして、よく似た「似て非なるモノ」がもう一つある。それは銀玉と金玉である。両者ともに「金銀銅」というフレーズで並び称される「貴金属の名」に「宝石を意味する玉」が付け加えられたものであり、ギンダマという響きとキンタマという響きだってそっくりであるのに、その響きを人前で発っした場合の印象は180度違うのである。いや、実際のところはギンダマと口から発することはできたとしても、キンタマなんて口から言葉を出すことは普通一般的にはできないのである。口に出すだけでなくて、例えば恋人を部屋に呼んで、昔のおもちゃ箱を開けながら「ホラ、オレの銀玉鉄砲ー、懐かしいだろー」なんて見せびらかせば、「まだコドモみたいー、可愛いー」となるかもしれない。ところが、同じように恋人を部屋に呼んでも、「ホラ、オレの金玉鉄砲ー、スゴイだろー」なんてキンタマテッポーを見せびらかした日には、これはもう一体どうなることかわかったものではないのである。その響きも、そしてそのピストルとしての役割も、銀玉鉄砲と金玉鉄砲はよく似てはいても、その二つはやはり「似て非なるモノ」なのである。
そんな「似て非なるモノ」の片割れの「銀玉鉄砲」、生まれてはや50年ほどになる銀玉鉄砲を、昨日散歩の途中に買ってしまった。街中を歩いていると、古びたオモチャ屋が人知れずあって、その店に気づいたワタシはついつい足を踏み入れてしまったのである。そして、その店の中で棚の下の段ボールに入っていた銀玉鉄砲を見かけたワタシは、思わず銀玉鉄砲一セットを買ってしまったのである。銀玉鉄砲150円+玉100円のしめて250円ナリであった。玉は残念ながら銀玉ではなくて、BB弾だったのだけれども、少なくとも安っぽい銀玉鉄砲の方は昔と同じ見てくれだった。
「銀玉鉄砲の昔」で思い出すことといえば、子供の頃に遊んだ銀玉鉄砲を武器にした「撃ち合い遊び」だ。あの遊びのことをなんと呼んでいたのかはもう覚えていないのだけれど、きっと適当に「戦争ごっこ」とでも称していたのだったと思う。やっていることは同じでも、それを今風に「サバゲ」などと呼んでしまうとそれは「アレゲ」(=「何だか、ちょっと言い難いけど、アレっぽいよねー」という程度の曖昧な言葉)な世界になってしまう。だから、やはりここは銀玉鉄砲で「戦争ごっこ」くらいの言い方にしておくと、その「戦争ごっこ」で使われる銀玉鉄砲の射程距離は子供心にもそんなに長くなかったような気がする。確か、かなりの至近距離でバンバンと撃ち合っていたような気もするし、少なくとも狙う相手が見えないような遠くから撃つものではなかった。それに、映画の「マトリックス」の一シーンではないけれど、自分を狙って撃った弾を何とか避けたりすることも(たまには)できたりしたような気がするから、きっと銀玉はヒョロヒョロの弾道を描いていたのだと思う。
「できるかな?」では、以前「似て非なるモノ」の片割れ=金玉鉄砲の弾道計算をしたことがあった。その名前の響きも、その役割もほとんど同じ「似て非なるモノ=キンタマテッポー」の弾道計算をしたのであれば、せっかくだから今回はもう片方の「似て非なるモノ」=銀玉鉄砲の弾道計算をしてみることにしようと思う。
まず、銀玉鉄砲で発射された銀玉の初速度(≒10m/s)と、銀玉の重さ(≒0.2g)というデータと、銀玉の直径が6mm強というデータを元にまずは銀玉の弾道を計算してみた。下のグラフは「無風状態で銀玉鉄砲を1.2mの高さで水平方向に銀玉を発射してみた時の銀玉の弾道」を示している。下に示した二つのグラフの中で、上のグラフは「空気抵抗を考慮した場合」であり、下のグラフの方は「空気抵抗を考慮しない場合」である。
空気抵抗を無視すると、昔使っていた銀玉鉄砲の銀玉は7m程飛ぶことになる。しかし、実際には銀玉に空気抵抗が働くために、飛距離はそれより少しだけ短くなって6m程しか飛ばないことになる。とはいえ、空気抵抗のせいで短くなってしまった距離は高々1m程なわけで、実際のところ昔の銀玉鉄砲では空気抵抗はあまり影響していなかったのである。子供の頃の記憶を呼び起こしてみても、実際に銀玉はそんなに遠くまで飛んでいるわけではなかったし、この計算結果でも飛距離6mというと「十分遠く」まで飛んでいるとはいえなかった。だから、銀玉鉄砲のバネを改造して強くしてみたり、あるいは銀玉の重さを変えてみたりして、銀玉を遠くまで飛ばそうとした記憶がワタシにはある。その記憶に沿って、「銀玉鉄砲の銀玉の重さを変えてみた場合に銀玉の弾道がどう変わるか」を計算してみたのが下の三つのグラフである。
上のグラフを眺めてみれば、「銀玉の重さ」を軽くすると銀玉鉄砲の銀玉の飛距離はわずかながら長くなることがわかる。子供だった頃を思いおこしてみると、子供心に「銀玉の重さを軽くすると、遠くまで飛ぶハズ」という程度の曖昧な確信で改造をしていたような気がするけれど、アレは今考えてみても正しかったのだなぁ、と思うのである。もちろん、今では「銀玉鉄砲のバネのエネルギーが銀玉の運動エネルギーに変わるから、銀玉の重さの逆数のルートに比例して銀玉の初速度は速くなる。だから、空気抵抗が無視できる場合には銀玉が軽ければ遠くまで飛ぶ」と自然に考えるわけだけれど、少なくとも昔はそんなに淡々とは考えはしなかったのである。
さてさて、そんな懐かしい気分から今現在に気分を強引に取り戻して、最近巷に溢れているという強力なエアガンと昔の銀玉鉄砲の弾道を比較してみたのが下のグラフだ。昔の銀玉鉄砲より50倍ものエネルギーがある最近の強力なエアガンの場合である。そんなエアガンでは、なんと銀弾鉄砲の5倍近く25m以上もの飛距離がある。現実の兵器の世界でも性能競争が激しく行われているのと同じように、おもちゃの玩具の兵器開発も激しいようだ。5mと25mでは大違い、まさに飛び道具である。ここまでくるとやはり「玉」ではなくて「弾」と書く方がふさわしいように思えてしまう。
そして、ここまで強力になってしまうと、その特性も昔の銀玉鉄砲とは全くの別物になってしまう。その証拠に、先ほどの銀弾鉄砲の場合と同じように「発射する弾の重さを変えてみた場合の弾道」を計算してみたものを下に示してみよう。なんと、最近の強力なエアガンの場合は、弾の重さを重くすれば重くするほど遠くまで飛ぶのである。昔懐かしの銀弾鉄砲が銀玉を軽くすればするほど遠くまで飛んだのとは全く逆なのである。最近のエアガンのパワーがあまりに強力で弾の発射速度が速いために、空気抵抗による影響が支配的になってしまうのである。そのため、弾の重さが軽い割に直径が大きい弾よりも、重さの割に直径が小さい弾の方が遠くまで飛ぶようになる。
こんな風に、昔の子供のおもちゃ銀玉鉄砲と最近の強力なエアガンはパワーがあまりに違うため、結局のところその特性は「似て非なるモノ」になってしまっている。「姿形はよく似ているのに、その特質をよく見てみると少し違っていて、その印象は結構異なるモノ」になってしまっている。単にパワーの大きさが違うだけで、そんな特性・印象の違いが生まれてしまったりする。子供と大人が大きさとほんの少しの特質が違うだけで結構違う(部分もある)のと同じなのである。
そう、例えて言うなら銀玉鉄砲は「子供のおもちゃ」でエアガンは「大人のおもちゃ」なのだ。「言葉の上ではよく似ていて、実際のところもやっっぱりよく似ているのに、世間一般での印象が全く異なるモノ」になってしまっているのである。まさに、ギンダマテッポーは「子供のおもちゃ」でキンタマテッポーは「大人のおもちゃ」だったのである。そんなことを考えると、「昨日ワタシが散歩の途中に買ってしまった」のがギンダマテッポーで良かったなぁ、とつくづく思うのである。だって、「ワタシは散歩の途中に「大人のオモチャ屋」にふと足を踏み入れて、大人のおもちゃを買ってしまったのである」なんて言葉を聞く世間の印象はずいぶんと違うに違いないのだから。
2003-01-16[n年前へ]
■他社プロジェクト追跡システム
ある種のデータベースから、他社の社員の組織図やプロジェクトを「勝手に」推定し、その変化なんかを追跡するソフトを作ってみたのである。自分では結構面白いし、おもちゃにしてはなかなかにオソロシイと思うのだけれど、そんな風に思うのはワタシだけかもしれない。
ちなみに、ある種のデータベースというのはハッキリ言ってしまえば公開特許データだったり、そんなソフトを作ったのは某作業中だったり、その某作業中には横でプラグイン作成に興じている某氏がいたりという、何がなんだか判らない状態だったけれど、とりあえずその解析を行う途中で出てくる行列を画像にするとこんな感じ。これはちなみに某E社のここ数年の1000件のデータベースから解析した、某250人の間での相関行列。ちなみにこの中には某一ノ瀬さんもかろうじてはいっています。
というわけで、これが今日の「今日見た景色」
2003-04-06[n年前へ]
■懐かしのカプセラ
カプセラという名前の記憶は無くても、 こんな写真や こんな写真を見れば思い出すかも。つまりは、透明球形ブロックの中に色んなメカが詰まっていて、それを繋げるおもちゃ。
私はホバークラフトもどきを作った覚えがあるなぁ。