2000-02-07[n年前へ]
■記憶の中の風景
Photoshopで美術遊び 水彩画と色鉛筆 編
大学時代のとある日にCanon Ftbというカメラをゴミ捨て場で拾ってから、写真が私の趣味の一つになった。大学院に入る頃には、使われていなかった暗室と写真焼き付け機をも研究室の地下で見つけ、せっせと写真を焼き付けることも大好きになった。その暗室は怪人二十面相が登場しそうな古〜いレンガ造りの建物の地下にあって、実に不気味な場所だったのだが、全然気にならなかったのが今から考えるにとても不思議だ。
私が拾ったFtbはいつの間にか壊れてしまったから、他のカメラを買ったり(それでも中古だったが)、交換用のレンズを買ったりということはした。しかし、私の興味は風景や被写体の方には向いたが、カメラやレンズあるいは暗室機材といったものに対してはあまり物欲がわかなかった。
そんなことを思い出したのは、私の職場の人達がCanon EOS D30(358000円ナリ)を買ったり、EF300mmF2.8L(690000円ナリ)を買ったりと、物欲大魔人に変身していたからだ。まるで、「この世の終わりまであと一ヶ月」の「宵越しの金は持たない江戸っ子状態」で買い物をしまくっているのである。マジメに、「こ、この世の終わりが来るのですか?」とか、「あそこに見える富士山はヤッパリ噴火するのですか?」はたまた、「あなたは実はスタパ齋藤なのですか?」とかおそるおそる尋ねたくなるホドなのである。
ところで、ふと気付くと時はすでに二十一世紀になっていて、持ち歩いていたEOS620はデジタルカメラのFinePixに代わり、数学教室の地下にあった暗室はノートPCの中にあるPhotoshopに変わってしまっている。そんなことをつらつらと考えていると、ちょっとセンチメンタルな気分になったので、今回は暗室で印画紙上に浮かび上がる画像を眺めていた頃を思い出しながら、photoshopで少し遊んでみることにした。(こんなに無意味に前振りを書いたのは、そんなに大した話じゃないけどセンチな気分なのだから勘弁して欲しい、という気持ちである。)
写真というのは何の考えも無しに撮ってしまうと、不必要にリアルになってしまう。不必要にリアルということは、逆に必要なところがリアルでなくなってしまったりする。あまりにリアルすぎて、「記憶の中の風景」とは違ってしまったりするのである。そうなると、私にとってはリアルな「昔見た風景」ではないのである。私の中の記憶が間違っているといえばそれまでなのだが、私の中ではその記憶が基準なのだ。
そんな時、いっそのこと写真を絵画風に加工して、私の「記憶の中の風景」に合わせてしまおうかと思うことがある。写真を絵画風に加工するソフトというのはたくさんあるので、そんなことは簡単にできてしまう。Photoshopに含まれているフィルターでもそれっぽい(かなり不十分な機能ではあるが)ものはたくさんあるし、サードパーティー製のプラグインもたくさんある。そしてまた、インターネット上の情報でも、「絵画風&ソフトフォーカス(デタラメPhotoshop)」などがある。そんな中でも、特にこのVirtualPainterなどはかなりスゴイ。いくつかの処理ができるのだが、その中でも特にこのPlince(色鉛筆風)とRabica (水彩画風)の二つはとてもきれいである。
ソフトが勝手に自動変換したとは思えないくらい、なかなかスゴイできばえである。最初見たときはちょっとビックリしたほどだ。少なくとも私が色鉛筆や絵の具の筆を手にしても、こんな絵は書くことができないに違いない。いや、正直に言えば「できないに違いない」どころではなくて、「できない」のである。
ところで、このソフトはシェアウェアで、未だ購入していないので画面中に「Unregistered」という文字が恥ずかしくも輝いている。もちろん、素晴らしいソフトなので買うつもりではあるのだが、他人様の作ったソフトをただ使うのは今ひとつ面白くない。まずは、自分自身で同じようなことができるかどうか挑戦して、そしてできることならば自分の好きなような効果が出るようなプラグインなりソフトを作ってみたい。
というわけで、自分の頭を整理するために、まずはPhotoshop5.5単体を使って、この二つの処理と似た処理をしてみることにした。まずは簡単そうな水彩画風からだ。
下の写真はメキシコのティファナで撮ったよくある街並みの写真だ。何の変哲もない写真ではあるが、実はこの直後にデジカメを道路に落としてしまって、私のデジカメ様はこの後お亡くなりになってしまったという、私にとってはとても哀しい写真なのである。
さて、この画像を水彩画風に変換する時の方針は、
- 色が付いてる部分は、水彩絵の具で塗りつぶす。つまり、階調性をなくして、境界はにじませる。
- 細かな部分は鉛筆で書くから、シャープに書く。
そして、水彩絵の具っぽくするために、CMYチャンネルを選択して、「フィルタ→ノイズ→ダスト&スクラッチ」をかける。そうすると、もうかなり水彩画調に感じられるようになる。そして最後に水彩絵の具のにじみを再現するために、CMYチャンネルのみに「フィルタ→表現手法→拡散」あるいは、ランダムのグレーノイズを2チャンネル分用意して、「フィルタ→変形→置き換え」でにじみを表現しよう。ちなみに、今回は「フィルタ→変形→置き換え」の方を使ってみた。ここで、「フィルタ→ブラシストローク→はね」はCMYKモードでは使えなかったので、残念ながら却下である。また、色モード変換時に彩度が低下するので、彩度アップは適時しておいた方が良いだろう。
こうして、紙の漉き目に沿った水彩絵の具のにじみも処理すると下のような画像が出来上がる。「できるかな?」の色鉛筆風のメキシコのティファナの風景である。
私のセンスがいまいちなのはさておき、水彩画風にする処理としてはまぁ許せるレベルだと言えるかもしれない。処理自体は何段階もあるが、アクションファイルでも作ってやれば、簡単にできると思う。
さてさて、このイキオイで一気に色鉛筆風も片づけてしまおう。こちらの色鉛筆風の方針は、
- 画像を何色かに分解して、その色で斜線をひく。
- 色が濃い部分は別の角度からも線をひく。
- 細かい部分は黒鉛筆で少しだけシャープな線を入れておく。
まずは、まずは「イメージ→色調補整→色相・彩度」で彩度を最大にする。「イメージ→色調補整→トーンカーブ」で少し明るめの画像にする。次に、「フィルタ→ピクセレート→点描」で、何色かの色に分解しつつ、なおかつ点画像にすることであとで色鉛筆風の斜線に変形する準備をしておく。そして、「フィルタ→ブラシストローク→ストローク(斜め)」で点を斜線に変形させ、その後「フィルタ→シャープ→アンシャープマスク」をかけて、エッジをシャープにして、色も鮮やかにして色鉛筆っぽくする。また、現画像を「イメージ→色調補整→トーンカーブ」ですご〜く明るめの画像にしたものに対して、同様の処理をかけて(ただし、斜線の角度は変え)、先程の画像にαチャンネルで重ね合わせる。また、現画像を「イメージ→色調補整→トーンカーブ」でものすご〜く明るくしたものもさらにαチャンネルで重ね合わせる。
この色鉛筆風の処理のコツは点描で分解して、ストローク(斜め)+アンシャープマスクで長めの鮮やかな線にすることである。
すると、こんな感じで「できるかな?」の色鉛筆風の藤原紀香のできあがりである。Photoshop付属のフィルタだけで処理している割には、なかなか良い感じのできに思えるのだが、それは単に藤原紀香の色香に惑わされているだけかもしれない。
今回は、写真画像を会画風にするためにはどんな処理をすればよいかを考えるために、Photoshopの内蔵フィルタだけを使って処理してみた。次回は、今回考えた処理の流れを自作アプリで組んでみたいと思う。そうそう、あと「こんな処理をしてみたい」という希望メールも大歓迎です。そういう希望を教えていただければ幸いです。だからといって多分何をするわけでもありませんが、ハイ。
2000-02-27[n年前へ]
■「文学論」と光学系
漱石の面白さ
前回、
でさて、モナリザと言うと、夏目漱石と「モナリサ」にも言及しなければならないだろう。と書いた。何しろ
- 恋の力学 三角関係編 - 恋の三体問題 - (1999.12.27)
- 草迷宮・空間'99 - ネコの目から見た世界- (1999.11.05)
- 「こころ」の中の「どうして?」-漱石の中の謎とその終焉 - (1999.09.10)
- 夏目漱石は温泉がお好き? -文章構造を可視化するソフトをつくる - (1999.07.14)
- [Scraps]人静月同照 - ぼくらが旅に出る理由- (1999.06.17)
その漱石は「永日小品(リンク先は青空文庫)」(リンク先は青空文庫)の「モナリサ」中で
「モナリサの唇には女性(にょしょう)の謎(なぞ)がある。原始以降この謎を描き得たものはダ・ヴィンチだけである。この謎を解き得たものは一人もない。」と書いている。女性には興味がなかったとも言われ、ずっと付き添っていた男性との関係も噂されるダ・ヴィンチである。ここらへんは、果たしてどうか?とも思う。むしろ、新宿のホストクラブのホストの方が女性(にょしょう)の謎(なぞ)については詳しいのではないかとも私は考えたりもする。
が、そんなことはどうでも良い。漱石はレオナルド・ダ・ビンチのモナリザに興味を持ち、小品を書き上げたのである。そこで、漱石とダ・ヴィンチの相似点を考えてみたい。
レオナルド・ダ・ビンチの著作には「文学論」というものがある。漱石にも同じ名前の「文学論」がある。この「文学論」はこれまで読んだことがなかったのだが、
- 「漱石の美術愛」推理ノート 新関公子 平凡社 ISBN4-582-82927-9
- 遠近法
- 漱石の文学論の「公式」
これが、とても面白い。仮名遣いが古いため、なかなか目に入ってこないのであるが、とても面白い。これは絶対に文庫本にすべきである。眺めているだけでも面白い。
まずは、冒頭のフレーズがいきなりこうである。
およそ文学的内容の形式は(F+f)なることを要す。Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに付着する情緒を意味す。まるで、理系の教科書である。そして、目次(編)を大雑把にさらってみる。
- 文学的内容の分類
- 文学的内容の数量的変化
- 文学的内容の特質
- 文学的内容の相互関係
- 集合的F
また、「文学論」中では、例えば、浪漫派と写実派の違いについて数値的な比較を通じて述べられていたりする。実に「科学的」な思考による「文学論」である。いや本当に漱石は凄い。
さて、中の文章を解説する力は私にはない。そこで、中の図表を示してみることにする。そこで適当に思うことなどを書いてみようと思う。
次に示すのは、「文学論」の冒頭の方で「意識の焦点・波形」を説明した図である。
漱石全集第十一巻より |
この図は人間が何かを感じるときには焦点にピークがある、そして、その周りはぼやけたものが連続的に続いているということを示したものだ。これなど、
の時の「恋のインパルス応答」を彷彿とさせる。あの時の「恋のインパルス応答」を次に示してみる。 この意識される恋心(f)は先の「意識の波形」と全く同じである。ある出来事(F)と、それに付着する情緒(f)を示したものとなるわけだ。付着する情緒(f)というのは中心が一番大きく、その周りにぼやけたものが繋がっているというわけである。人間の感じ方・情緒を光学系と結びつけているわけだ。
いやはや、「恋のインパルス応答」と同じようなことを考える人はやはりいるものである。まさかそれが漱石だとは思いもしなかった。しかも時代を考えると凄まじい、としか言いようがない。
そして、さらに次に示すのは
およそ文学的内容の形式は(F+f)なることを要す。Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに付着する情緒を意味す。ということを示す図である。先の - 「漱石の美術愛」推理ノート - ではこの図と遠近法の関連が述べられている。
漱石全集第十一巻より |
ここで、縦軸は「時間」となっており、横軸は「色々な出来事」である。ある人が感じた「色々な出来事」を時間方向に収斂させていくと、そこには「作者自身の視点がある」というわけだ。これが漱石の言う「文学論」の中心である。
この図などカメラや望遠鏡の光学系を彷彿とさせる。「光学系の一例」を以下に示す。
先の「文学の焦点」を示した図はレンズで光を焦点に集めるのと全く同じだ。いや、「焦点から光を投光する」のと同じと言った方が良いだろうか。以前、
で、景色に焦点を合わせて、フィルムに結像させるのがカメラだ。しかし、フィルムに写っているのは単なる景色ではない。カメラの光が集まる焦点にフィルムが位置していると思い込むとわからなくなる。逆から考えてみれば簡単に判るはずだ。カメラの視点にフィルムが位置しているのだ。フィルムに景色が写っているのではなく、フィルムが景色を選び、景色を切り取っているのである。と書いたのと全く同じである。その光学系には歪みもあるかもしれないし、色フィルターもかかっているかもしれない。しかし、とにかく焦点にはその人自身がいるのである。写真に写っているのは、撮影者の視点なのである。写真を見れば、撮影者が、どこに立ち、何を見てるかが浮かび上がってくるはずである。フィルムに写っているのは撮影者自身なのだ。
写真でも文章でもとにかく何であっても、色々感じたことを表現していく時、その焦点には表現者自身がいる。私の大好きなこの2000/2/25の日記なんか、実にそれを感じるのである。
2000-03-26[n年前へ]
■透け透け水着の物理学 入門編
透過率の波長依存を探れ
少し前のことだった。舞台は妙高高原の露天風呂である。同じ職場の人とある話をしていた。話題は仕事に関する話で、主な話題は色々な物質の光の透過率や吸収の話だった。ずいぶん長いこと、そういった話題をしていた。
しかし、ふと気づくとなにかがおかしい。会話中に出てくる言葉が変なのである。さっきまで話していた「吸収波長」とか、「感度」とかいう言葉は依然として出てくるのだが、それに加えて変な言葉がどうも出ている。「透け透け水着」とか「丸見え」とか「ナイトショット」といった類の言葉である。これは一体どうしたことだ?これは非常にマズイ。
私たちがいるのは露天風呂である。私たちの数m横の壁の向こうは女性用の露天風呂だ。そこで、私たちは「透け透け水着」と「丸見え撮影」の話題をしているのである。非常に危険なシチュエーションである。逆に、隣の女性用露天風呂に入浴している人がいたならば、とてもイヤなシチュエーションである。隣が「変態さんいらっしゃい」状態だと思ってしまうだろう。
もちろん、心ある人が聞けば、私達が極めて誠実に「透け透け水着」と「丸見え撮影」の「科学」について論じているのはわかるはずだ。ましてや、私という人間を知っていたならば、なおさらである。
しかし、周りはもちろん私達の知り合いではないわけで、誤解されても何らおかしくない。いや、誤解されないのが不自然な位である。
もちろん、私は見えないものを可視化するのが大好きであるし、「32cmの攻防戦」について論じたこともあるが、誤解はしないで欲しい、とあの時周りにいた人達にひとこと言っておきたい。
さて、その時に話していたのは、ビデオカメラで水着が透けて見える話についてであった。あの有名なSONYの「ナイトショット」機能付きのHandyCamのことである。そのカメラでどうして水着が透けて見えるのかについて論じていたのである。その見える理由を聞かれた私は「透け透け水着は赤外線の透過率が高いから、と言われていますね。」と答えた。
例えば、「水着、透ける、ビデオ」で検索すれば、そういう解説が数多くある。それに、私は赤外線フィルムを使って風景撮影をするのが好きだったので、いくらか知識もある。しかし、それはあくまでも知識である。実際に水着の赤外線の透過率を調べたことがあるわけでもないし、可視光との差を比較したことがあるわけでもない。それはあくまで知識だけ、である。実証の伴わない知識というのは今ひとつ好きではない(いや、盗撮を実証するわけじゃないけど)。
そこで、今回は「水着が透ける理由」を実証してみたい、と思うのである。 透ける理由として、よく言われている
- 水着の色や生地によって波長毎の光の透過率が異なる
- 水着によっては、赤外光は屈折・散乱しにくく、透過率も可視光に比べて高いものがある
- 簡単に言えば、その水着は赤外光は透過しやすい、ということである
- ということは、赤外光で撮影をする限りにおいて、その水着は半透明であるようなものである
- また、可視光の影響を防ぐため、可視光をカットするフィルターを用いて、赤外光のみで撮影をする
- すると、なんと水着が透けて見える
さて、先ほどの「透け透け水着は赤外線の透過率が高いから、と言われていますね。」という言葉を実証するためには、色々な生地の透過率を波長毎に調べなければならない。そのためには、光を波長毎に分解する分光器が必要である。そこで、私は
で分光器を作ったわけである。 前回は、分光器の出力をデジカメで撮影した。しかし、これでは赤外光の計測もしづらい。そこで、秋月で可視・赤外対応のCCDボードを買ってきた。これを前回作成したHIRAX一型分光器に取り付けて、計測を行った。名付けて、「HIRAX一型分光器CCD+」である。
まずは、その分校計測出力例を示してみたい。下の写真は「CCDカメラで計測したスペクトルに、可視光の色対応を示すカラーバーを上に示したもの」である。これは前回と同じく、太陽光のスペクトルだ。水平軸が波長を示している。左が波長が短い領域であり、右が波長が長い領域である。可視光領域は左の1/3くらいの領域である。
鮮鋭化処理をかけたもの |
今回は、縦線状に見えるフラウンホーファー線が明らかに数多く見えるのがわかると思う。HIRAX一型分光器自体もスリット幅の改良などで性能がアップしてるのである。
それでは、まずはいくつかの材料の波長毎の透過率を計測してみたい。まず、使う材料は下に示すような色フィルターである。もちろん、こんな透け透けの材料で作った水着を着ている人なんているわけはない。これは、あくまで例である。
それでは、次に「HIRAX一型分光器CCD+」で計測した波長毎の透過性を示してみよう。まずは、赤色フィルタである。赤色フィルタを使用している部分は、使用していない部分に比べて、赤色(そして赤外領域)以外の波長がカットされているのがわかる。
例えば、赤色が見えづらい人であれば、このフィルターは透過性が非常に低く、「透け透け度」が低いフィルターである、ということになる。また、赤外光は透過しているが、すごく長波長側では透過率がかなり低いことがわかる。
また、次が黄色であり、赤色フィルタよりも短波長側まで透過性が高くなっていることがわかる。そして、赤外光の透過性は赤色フィルタよりも高い。
次に示す緑色のフィルタの場合は、緑の辺りの波長と赤外領域辺りの透過性が高いことがわかる。よく、ビデオカメラで赤外リモコンなどの赤外光を撮影すると、緑色に写ることがあるが、あれはこういった緑色のフィルタを使用しているのだろうか?
次が青色フィルタである。赤外光の透過性は結構低い、こともわかる。
CCDカメラで計測したスペクトルに、色対応を示すカラーバーを上に示したもの |
色々、面白いこともある。例えば、赤色フィルタの透過特性と緑色フィルタの透過特性を比べると、重なり合う(透過性が高い)領域(波長)がほとんどないことがわかる。
だから、赤色フィルタと緑色フィルタを重ねると、全然透けないわけだ。透過可能な波長領域がないワケである。こういうのを見ると、暗記用の赤色ペンと緑色下敷きの組み合わせを思い出してしまう。
さて、こういう風に材料毎の透過性を計測できるようになったわけである。さらに、赤外線フィルタの透過性を見てみたい。赤外線の波長領域をまずは実感してみたい、ということである。赤外フィルタは赤外リモコンの発光部のカバーを使用してみた。下に示すのが、「赤外フィルタ= 赤外リモコンの発光部のカバー」であり、
次が、赤外フィルタの透過性を示したものである。可視光はほとんど通さず、波長の長い赤外光のみ通過させているのがわかる。
さて、あまりにも画像が増えてページが重くなってきた。今回は分光計測を行い、赤外線フィルターの分光感度を計測したところまでで終わりにしたい。次回は、色々な生地の透過分光計測を行う予定である。「色々な生地が可視光では透過率が低くても、赤外光では透けて見えることがあるのか」調べてみたい、と思う。
2000-05-12[n年前へ]
■メガネの内側にある歪み
隠れたストレスに光を当てろ
また、可視化の話である。いや、自分でも忘れていたが、「可視化」改め「見える?見えない?」シリーズである。今回はメガネの内側にある「歪み」、隠れたストレスに光を当ててみたい。そして、そこに何があるかを見てみたいのである。
私の眼はどうも明るさに弱い。やたら太陽の光が眩しく感じることが多い。といっても、単に私のガマンが足りないだけかもしれない。あるいは、睡眠不足のせいかもしれない。そして、私は同時に暗さにも弱いのだが、こちらは単にビタミン不足による鳥目だろう。
そういうわけで、明るいのに弱いので車を運転する時には大抵サングラスをかけている。サングラスは何本も持っているわけだが、最近のお気に入りはこれである。
これは、偏光フィルター機能付のサングラスである。偏光というギミック付のところがお気に入りの理由である。以前、
で書いたように、偏光フィルターがあれば色々なものの反射光のみを遮ったりすることができる。例えば、下の右側の写真では左の写真に比べてガラス表面の反射光が減少していることがわかるだろう。これは偏光フィルターの作用のせいである。これと同じように、偏光フィルター機能付のサングラスを使えば色々な反射光を防ぐことができる。例えば、通常は反射光などで車のフロントグラスの内側にいる人の姿はよく見ることができない。しかし、このメガネをかけていれば、反射光に邪魔されずフロントグラスの内側を見通すことができるのである。もう、対向車なんてまるでフロントグラスがないかのようである。
この偏光フィルター機能付のサングラスは、通常「釣り」などで用いられるものだ。水面の反射光を防ぐことにより、水中の魚の姿などを見やすくするためのものである。結構、海の近くに住んでいる私にはうれしい機能である。
このサングラスをかけている時に、ふとある実験を思いついた。普段は透明にしか見えない「普通のメガネ」の影に隠れたストレスを目に見える形にしてみようと思ったのである。よく、「メガネの奥にストレスが隠れている」というが、そのストレスを見て取れる形にしようと思うわけだ。
そこで、新婚ホヤホヤの「夜の帝王」I田氏(関係ないが、I田氏から「Hirabayashiさん、小杉のメーリングリストで-できるかな?-の話題が出てましたよ。」と言われた時はビックリした。とりあえず、どなたか知らないが、メーリングリストで紹介して頂いた武蔵小杉勤務の方には一言お礼を言っておきたい)にメガネを借りてみた。このメガネをじっくり眺めてみてもらいたい。
この透明なメガネの奥に何か見えるだろうか?そこに「歪み」は見えないだろうか?「透明だから、何も見えないだろう。」という人もいるだろうが、あるグッズを使うと、もう明らかに見えてくるのである。それが、下の写真である。レンズを固定している辺りをよく見てもらいたい。不思議な
虹模様と十字の模様が見えるはずだ。
プラスチック等は製造過程での不均一な応力や、外力により複屈折性を示す。光弾性と呼ばれる現象である。そのため、偏光面を直行させた偏光フィルターの間にそういうプラスチックなどを挟みこむと、その弾性体の内部に働いている応力分布の状態を調べることができる。それを応用したのが、偏光顕微鏡などである。
例えば、下の写真はカセットテープのケースの左側部分を、偏光面を直交させた二枚の偏光フィルターで挟んでみたものである。見事に弾性体の内部に働いている応力分布が可視化できているのがわかると思う。これを応用すれば、例えば熱変形をしているようなものであれば、透明体の熱分布も簡易的に見て取ることができる。
そういうわけで、先の写真あるいはそれを拡大した次の写真のように普通では見えない透明なプラスチックレンズの中に隠れている「ストレス」を見て取ることができるわけだ。
とりとめもないが、今回は透明なメガネの影に隠れたストレスに光を当ててみた。ちゃんと見ようと思いさえすれば、目に見えるものは数多くある。「見える?見えない?」の境界線はその人自身が決めるのである。「できるかな?」では、これからも色々な「見える?見えない?」を追求し、「見えるかな?」について考えていきたいと思う。
2000-10-26[n年前へ]
■ポルノ画像を検出する新フィルター
面白いネタではあるが、これの開発・動作確認作業を見てみたいものだ。私も世界平和のために、挑戦したいと思うのであった。(リンク)