hirax.net::Keywords::「飲み屋」のブログ



2000-03-09[n年前へ]

飲み屋の音と1/fノイズ 

くつろぎの音響解析編

 私は典型的なプロレタリアート(死語)である。そのせいか、高級(行ったことがないからわからないのだが)そうなバーは苦手である。しかし、安〜い居酒屋は大好きだ。むしろ、「愛している」と言っても良いくらいである。新宿西口の思い出横町なんかその最たるものだ。

 ところで、飲み屋の喧噪の音を聞いていると、何故か心安らぐような気さえしてしまう。「飲み屋の喧噪の音」というのはノイズとしか言いようのない音であるが、そのノイズが何故か心安らぐのである。しかし、高級そうなバーでは心安らぐどころではないのである。

 一体、この違いはどこにあるのだろうか?いや、もちろん私がビンボーであるせいと言ってしまえば、話は簡単である。しかし、それはあまりにも哀しすぎる(私にとって)。きっと、何か他の理由があるに違いない、と思うのである。そこで、「科学の力」で何か他の理由を探してみることにした。私がバーが苦手で、居酒屋が大好きな理由を探してみることにしたのである。

 居酒屋の環境ノイズを聞いていると、私は何故か心が安らぐわけであるが、「心安らぐノイズ」と言えば、「/fノイズ」というものがある。1/fノイズは心地良さ・気持ちよさを感じる、とよく言われる。今回はこれに着目してみたい。私が居酒屋の音を聴くと心が安らぎ、バーの音を聴くと何故か緊張する理由が「お金」ではなくて、環境音の特性にあると考えてみるのである。私のプライドのためにもそうであって欲しいわけだ。

 そこで、今回は典型的な飲み屋の環境音を音響解析をしてみたいと思う。そして、それが果たして1/fノイズになっているかどうか調べてみたいと思うのである。特に、同じ飲み屋でも居酒屋とバーの間に違いがあるかどうか調べてみるのである。

 それでは、飲み屋の代表的なものとして

  • 居酒屋
  • バー
  • キャバレー
を選んでみる。それらの環境音を実際に録音するのも面倒なので、
  • 効果音大全集 45 屋内ノイズII キングレコード
に収録されている効果音を使用させて頂いた。なかなかこれが雰囲気のある音なので、これで良いのである。参考までに一部を紹介する。 それではそれらのパワースペクトラムを示してみよう。今回は道具として、を使った。ただし、表示色は見やすさのために色変換を行っている。
 
飲み屋の環境音のパワースペクトラム
居酒屋の環境音のパワースペクトラム
キャバレーの環境音のパワースペクトラム
バーの環境音のパワースペクトラム

 これを見てみると、居酒屋とキャバレーはほぼ同じであり、300Hzより高い音に関しては周波数=fが高くなるに従い環境音のパワー密度が低下していることがわかる。しかもその低下の仕方は滑らかである。ここで、表示軸は共に対数軸であるので、居酒屋とキャバレーの環境音は1/fノイズに近いといっても良いだろう。
 私が居酒屋の環境音を聞くと落ち着くのはこれが理由だったのである。安いから落ち着くのではなくて、環境音が1/fノイズであるから落ち着くのである。私がビンボーなせいではなくて、ちゃんとした科学的な理由があったのである。

 それに対して、一番下のバーの環境音では少し様子が異なる。パワースペクトラムは滑らかでもないし、傾きも異なる。すでに、環境音は1/fノイズではなくなっている。これである。このせいで、私はバーでは落ち着かなかったのだ。そう、私がバーで落ち着かないのは私がビンボーなせいではなくて、バーの環境音が1/fノイズでないせいだったのである。

 この三つの環境音の間の違いが判り易いように、この三つを重ねて表示してみる。表示色は

  • 緑:居酒屋
  • 青:キャバレー
  • 紫:バー
という具合になっている。
 
飲み屋の環境音のパワースペクトラム
( 緑:居酒屋 青:キャバレー 紫:バー )

 緑の居酒屋と青のキャバレーがほぼ同じパワースペクトラムであるのがわかると思う。それに対して、バーでは様子が異なり、明らかに環境音が1/fノイズではなくなっている。ずいぶんと不自然なパワースペクトラムであることが判ると思う。

 この不自然さが故に私はバーの環境音を聴いていると、落ち着かないのである。そういうわけで、今回の結論は、

  1. 私は居酒屋の音を聞いていると心が安らぐが、バーの音を聴いていると緊張する
  2. その理由は私がビンボーなせいではなく、居酒屋とバーの環境音の違いによるものである
  3. その違いは居酒屋の環境音が1/fノイズであるのに対して、バーの環境音は1/fノイズではない
ということだ。いい結論である。

 あれっ、そう言えば、キャバレーの環境音も1/fノイズってことは、私はキャバレーの環境音を聞いても心が安らぐのだろうか?うーん、行ったことがないからわからないや。
 

2000-05-27[n年前へ]

ささやかだけれど、役にたつこと 

メール紹介の小ネタ集

 
 

  「できるかな?」の話題に関して色々と面白いメールを頂くことがある。その中には、私の知らない色々な面白いことが書いてあるものも多い。今回はそういったものの一部から小ネタ集(探偵ナイトスクープの桂小枝風)をやってみたい。メールは多少こちらで書き換えている部分もあるが、基本的には頂いたそのままである。

 まずは、

の時のように計算間違いをしたりすると、さまざまな正解がメールで送られてくる。非常にありがたいことである。簡潔に間違いの個所を指摘してあるメールもあれば、私と同じように迷路にはまり込んでしまった答えが書いてあるメールもある。どちらにしても、私にはとても面白く、ありがたいものである。

 例えば、最近で言うとこんな面白い「間違い指摘メール」を頂いた。
 

k氏からのメール
 早速ではありますがにて
どんぐりころころ、どんぐりこ
と記述されておりますが「どんぐりこ」ではなくて「どんぶりこ」が正しい歌詞だと記憶しております。真偽を確認の後、然るべき行動を取られることを切に願います。

 「えっ」、と一瞬思うが、口ずさんで、後の歌詞のつながりを考えてみると、確かにそうかもしれない。どんぐりがお池にはまるなら、確かに「どんぶりこ」の方が自然である。桃太郎の桃が「どんぶりこ」と川を流れてきたように、どんぐりも「どんぶりこ」となるのが自然である。

 そこで、WEB上で情報を探してみると、

に歌詞が載っている。確かに、「どんぐりころころ どんぶりこ」となっている。この後、身の回りの20人以上に聞いてみたが、「どんぐりころころ」の歌詞を正しく歌った人は一人もいなかった。メールを頂いたときには恥ずかしくて顔から火が出そうになったが、私だけではないようなので、恥ずかしさは新鮮な驚きに変わった。きっと、これを読んでいる人の中でもかなりの人が勘違いをしているのに違いない(そう思いたい)。

 そして、同じ「どんぐりころころ」ネタと言えば、こんなものもある。
 

O氏からのメール
にて、 - 「どんぐりころころ」と水戸黄門の主題歌の輪唱 - というものを書かれておりましたが、「赤とんぼ」と水戸黄門の主題歌(あぁ、人生に涙あり)も輪唱可能 です。

 他に思いついたのが、

おたまじゃくしは、カエルの子。ナマズの孫ではないわいなぁ。
も、「あぁ人生に涙あり」の節でいけそうです。

 どうも、山田耕作系の曲は合うようですね。以前、「山田耕作の曲は日本語の音韻律に合わせてある。」という話を聞きましたがこれが関係しているのでしょうか?

 他に、昔TVで見たものですが、

  • 「帰ってこいよぉ?」の節で、「帰ってきたウルトラマン」が歌えます。
  • 「ゲゲゲの鬼太郎OP」の節で、「おさるのかごや」が歌えます。

 私には水戸黄門の主題歌の題名が「あぁ人生に涙あり」であると知れただけでも、うれしくてたまらない。いいタイトルだ。日本人の心にグッとくるタイトルである。

 そして、その後の

  • 山田耕作系の曲と「あぁ人生に涙あり」のカノンについての関係性
などいつか必ずネタにしたいと考えているくらいである。その答えには、きっと不思議なおもむきと科学とバカバカしさが同居しているに違いない。それこそ、「できるかな?」が追い求めている理想の姿である。
 と、思いつつなかなか手をつけられないでいるので、今回ここに紹介してみた。もちろん、いつか挑戦しようという気持ちは変わっていない。いつか、必ず登場させるだろう。

 そして、同じ「モナ・リザ」つながりでは、こういう面白い話を教えてくれるメールもある。
 

R氏からのメール
の福田繁雄氏とモナリザの微笑みで思い出したのですが、トーストの焦げ目で描いた作品を見た記憶があります(これが福田氏の作品だったかどうかあいまいなのですが)。この時の作品は、焼け具合の違うトーストを並べてありましたが、展示が終わった後はどうしてしまったのでしょうか。

 インドあたりでやってる砂で描いたマンダラに通じるものがあると思いました。(その場限りのものという意味で…)

 このメールを読んでから、「モナリザ」の自己相似形ソフト 料理材料編 に必ず挑戦したいと考えているのである。そのために写真満載の料理ブックも購入してしまった程である。

 他にも色々な知識と言えば、こんな情報もとても勉強になった。
 

K氏からのメール
で、
 ところで、ドレミファソラシドの語源はどこにあるのだろう?SoundOfMusicがdoeの歌のイメージから"doa dear ..."と鼻歌を歌うことはあるが、語源は一体?次の宿題にしたいと思う。
とありますが、これはなんと、ドレミ....も歌からとられたもので、<聖ヨハネ賛歌>という歌の歌詞から引用したものだそうです。聖ヨハネ賛歌は当時使われていた、6音音階の各音を正しく理解、視唱させるために各行の開始音が6音音階の各音になっていた曲です。
 つまり、聖ヨハネ賛歌の各行のはじめの歌詞が、Ut,Re,Mi,Fa,Sol,Laだったので
す。

 Do Re Mi、は、もとはフランス語のUt Re Mi Fa Sol La Si Utでしたが、16世紀になってイタリアで呼びにくいUtが現在のDoに変わったのでした。

 こういう言葉が変化していく様子というのは私のとても興味のあるところである。そういう話、「蝸牛考」、あるいは探偵ナイトスクープの「アホとバカの境界線」のような面白い話があったら、ぜひ私まで教えてもらえるとうれしい限りである。

 さて、最後にこんなメールをご紹介したい。これは、さまざまな色空間の多様性について書いたものについて頂いた意見の一部である。
 

B氏からのメール
 複数種類の蛍光色素を用いて動物組織を染色し顕微鏡観察した画像をコンピュータで解析する技術が一般的になっています。ここで使われている疑似カラーが緑と赤ですが、私は緑と紫にしました。2色が重なるところは白くなります。通常使用される疑似カラーで赤を暗く感じることも問題ですが、もっと問題なのは、赤と緑の重なったところを黄色に表示した場合、緑と黄色が区別できないのです。

 自分が赤の変わりに紫を使って、緑と紫、重なったことろが白としたのは、これであれば健常者の人でも赤緑色盲の人でも余容易に区別がつくと思ったからです。色盲の人は日本で5%ですがアメリカではその倍以上います。学会の会場や雑誌の読者の中にこのプレゼンテーションが理解できない人が10ー20%いたら、発表している人にも損が生じます。

 この考えには私もずいぶんと影響を受けた。そのせいで

つくった自作ソフトの色はその方式に合わせたし、では他のソフトの画面をWEB上では色調変換して表示している。
 
赤-緑の色調を使わないようにした画像例

 こういう「ささやか」なやり方ではあるが、私は緑-紫の疑似カラーの布教活動に勤めているのである。

 今回は五通のメールを紹介してみた。その他にもたくさんの「面白いメール」を頂いている。別に技術的な話でもなんでもなくて、単に「こんな面白いことがあった」というメールを頂くこともあるが、それもまたとても私には役に立つのである。例え、現実的には「役立たなく」ても、それはとても「役に立つ」のである。
 そんな「ささやかだけれど、役にたつこと」を今回はいくつか紹介してみた。そういうことは「どんなことでも」、こちら(jun@hirax.net )まで送ってもらえると、とてもうれしい。
 

2002-02-20[n年前へ]

「やおい」の評価演算子 

ベクトルの彼方で待ってて II

 東京駅近くの飲み屋「美少年」で、日本酒利き酒セットを目の前にしながら、私は珍しく「日本の政治」について話していた。といっても、単にそれは話し相手が社会部に属する新聞記者だったからである。で、その時の話題は小泉首相と福田官房長官の話だったろうか?

「福田X小泉っていうのは、結構上手くやっているのかな?」
と私が言うと、おもむろに
「あれは、福田X小泉じゃなくて、絶対あれは小泉X福田なのー」
とその記者が言ったのである。何を言っているのかその意味がよく判らないまま、「ん〜?」と私が首を傾げていると、繰り返し
「福田X小泉と小泉X福田は全然意味が違うのー」
と言い始めるのである。何が何だか訳がわからない。じゃぁ、何か?小泉X福田だと小泉純一郎が総理大臣福田康夫が官房長官だけど、福田X小泉だと福田康夫が総理大臣で小泉純一郎が官房長官になるとでも言うのか??政治の世界では、言う順番で総理大臣が決まるとでも言うのか?と私が口をはさむと、
そう。ただ、ちょっと政治の世界とは違う世界かも〜。政界じゃなくて、やおい界ではー。」
と言うのだ。なんだコイツ?政界は判るけど、やおい界って一体何処の世界の話だ??と、困惑する私も構わず、そこから延々と長い演説が始まった…。その大河ドラマのようにやたらと長い話を要約すると、
  • やおい → 一部の女性が好む「男性同士の恋愛もののストーリー」のこと
  • X → やおいの世界で恋愛の関係を示す記号。例えば、AさんとBさんが恋に落ちるであれば、Aさん×Bさんと表す。で、ここで重要なのは先に位置する方が「攻め役」となって、後に位置する方が「受け役」となる…。つまり、例えばサド侯爵とレオパルド・マゾッホであれば攻め役がサド侯爵で、受け役がマゾッホなので、サド×マゾなのである。決して、マゾ×サドではない…
というわけだ(用語集参照)。 で、先の「あれは、福田X小泉じゃなくて、絶対あれは小泉X福田なのー」という言葉は、「小泉純一郎と福田康夫は良いカップルで、攻め役は小泉純一郎で、受け役は福田康夫なんだー」と言いたい、ということらしいのである。なるほど、奥が深い…。 ……が ……いや何も言うまい…。

 で、日本酒を飲みながら、まだまだ続くその話に悪酔いしていると、「カップルの順序が重要なんだー」という言葉を聞いて、ふと中学の頃の数学の授業を思い出した。その頃、大学を出てまだ一年目の斉藤慶子似の数学の先生と話していたときに、「Hくん、あのね掛け合わせる順序が違うと結果も違っちゃう計算もあるのよ」と教わったことがあった。そんな言葉から私は未知の「数学の世界」をかいま見たりしたのである。 今考えてみれば、新任の斉藤慶子似の女性教師の個人授業なのだから、行列・ベクトルの掛け算の順序なんかじゃなくて、「もっと違う順序」を手取り足取り教えてくれても良かったんじゃないか、とか思ったりするし、そうすれば、私は未だ見ぬ「大人の世界」を覗き見ることができたのではないか、と思ったりもするのだけれど、そんなことは残念ながら無くて、私はただ「行列・ベクトルの世界」を覗いただけだったのである。

 で、そんな昔話を思い出したせいか、頭の中でこんな風に思ったのである。そういえば、これまで「できるかな?」では数多く「恋の力学」でも遊んできた。ただ、そこでは「惹かれ合う恋心の大きさ」だけに注目して、そのカップルの中での役割などは考えたことがなかった。そこで、今回は「やおい」のカップルの「役割・順序」に注目し、その「役割・順序」を評価する演算子を行列・ベクトルの掛け算になぞらえながら考えてみることで、これまでと同じく色々な「恋の形」を眺めてみたいと思う。
 

 まずは、色々な人物(実際の人物であったり、小説などの登場人物であったり)のタイプを二次元空間に配置しよう。「この人は結構攻め役が合いそう」とか「この人は絶対受け役が合うのだー」という適性を

  1. 攻めベクトル
  2. 受けベクトル
の二つのベクトルに分けて、二次元SM平面(本来、攻め = Active、受け = Passiveとでも表記するべきだとは思うのだが、意味合いと少し違うことも承知の上でs,mの方がどうもイメージが湧きやすいので、ここではS.Mを用いる)に配置するわけだ。例えば、サドくんとMくんをそのSM平面に配置してみると、次の図のようになる。
 
SM平面上のサドくんとMくん

 そして、カップリング適性では「A×B、B×Aが全然違う」ということから、外積(ベクトル積)をそのまま流用して、適当な評価関数を作ってみるのが自然だろう。まず、

カップリング適性ベクトル = (攻め度(s)、受け度(m))
と表記して、例えばAさんのカップリング適性ベクトルを(As, Am)と表すことにしてみよう。すると、Aさんが「攻め」でBさんが「受け」のカップリング適性は、この二人の適性ベクトルのベクトル積として表すことができる。つまり、
A×Bのカップリング適性 = ( As * Bm - Am * Bs )
                = Aさんの攻め度 * Bさんの受け度
                  - Aさんの受け度 * Bさんの攻め度
となるわけである。式を眺めれば判るように、Aさんの攻め度が高くて、Bさんの受け度が高ければ、この評価関数は高い値を返す。つまり、「A×Bの順序は正しいのだー」という評価を返す。つまり、「A×B」はなかなか良いカップルだー、と教えてくれる。また、もしAさんの受け度が高くて、Bさんの攻め度が高ければ、低い値を返す。つまり、「A×Bの順序は絶対間違ってるのだー」と評価してくれるのである。なんともありがたいことに(いや別にありがたくはないか…)、この「やおいのカップリング評価演算子」が「福田X小泉」と「小泉X福田」のどちらが自然なのかを教えてくれるのだ。試しに、上のサドくんとMくんであれば、「サドくん×Mくん」= (100,0)×(0,100) = 100*100 - 0*0 = 10000でとっても「良い感じ」でああるが、「Mくん×サドくん」= (0,100)×(100,0) = 0*0 - 100*100 = -10000で「このカップリングは絶対順序が違うー」と判るわけである。

 とりあえず、今回はこの評価演算子を作成するところまでで終えたいと思うが、いずれこの「やおいの評価演算子」を武器にして、いつか(?)「やおいの世界= やおい界」に限らず、色んな数多くの恋の関係を目に見えるようにしてみたいと思う。そして、これまで数多く考えてきた「恋の〜シリーズ」を充実させていきたいと思うのである。

 ところで、今回のカップリング適性評価演算子は基本的に外積そのものである。つまり、この演算が返す値は「二人のベクトルでできる平行四辺形の面積」に等しい。つまりは、「二人のベクトルでどれだけ色んな違うことがきでるか」を示す尺度である。そして、その値は二人のベクトルが直交する時、すなわち二人のベクトルが重ならず独立である時に最大値となる。つまりは、「二人のベクトルが違えば違うほど大きく」なる。例えば、先の「サドくん×Mくん」であれば二人のS,M趣向が完全に正反対であったからとてもお似合いのカップルになったのである。

 これをいわゆる恋の話で考えてみると、とっても独立な二人、趣味が重ならない二人がお似合いだということになる。なるほど、そんなカップルも世の中にはたくさんいることだろう。そんな人達を「外積タイプのカップル」と呼ぶことができると思う。

 一方、趣味が重ならないカップルだけでなくて、世の中にはそれとは正反対の「趣味が重なる良いカップル」も数多くいる。それは「内積タイプのカップル」である。内積はA,Bベクトル間の正射影に比例する量であって、つまりは「二人の重なるベクトルの大きさ」である。それは例えば、相手の中に自分を重ね合わせるような「二人の重なる部分が二人を結びつけるようなカップル」なのである。

 「理系と文系」・「男と女」が対極的なものでも、相反するものでもないのと同じく、「外積カップルと内積カップル」も別に二つに分けられるようなものではないだろう。「外積タイプの恋」も「内積タイプの恋」が混じり合って、それぞれに良いところもあれば、危ういところもあって、などと想像してみるのも面白いに違いない。そして、さらにはもしかしたらベクトル空間で萌えることができるようになったりするかもしれない。
 

 そういえば、ふと考えてみると以前「恋の形を見た人は」で最後に引用した本橋馨子の「兼次おじ様シリーズ」は男性同士の恋の話だった。つまりは「やおい」の話だった。そこで、もう一度そのセリフを最後に飾って眺めてみようと思うのである。
 

「愛はどんな形をしているか知っているか?」
「見た事ないからわかりません。」
「そうだ、誰も見た者はないのに、誰もが当然のように形づけて受け入れている...
もし愛に優劣を決めるものがあればなんだろう?... 異性愛か、同性愛か、そんなものじゃない  …たとえ、どんな形だろうと選ぶのはおまえ自身だよ。」
 

2002-03-16[n年前へ]

何と、女性は宇宙であった。 

今の宇宙は「熟女」なのだ

 私の職場には「オレは女性は絶対年上が良いと思うね」と断言する人達がいる。その一方で「自分より年下でなければ人じゃないスよ」という、「それは人間として如何なモノか」と問いたくなるような新入社員一派もいる。

 ある日、何かの打ち上げでビールを飲みながら、そんな「熟女vsロリ」大論争を聞いている時、私はふと思ったのである。あれ?女性の「色っぽさ」ってどんな色なのだろう?色っぽさって、そういえば何色なんだろう?ちょっと眺めてみたい気がするな〜。
 それに…、その女性の「色っぽさの色」は年を重ねると、どんな風に変化していくのだろう?「色っぽさ」はどんなカーブで成長していくのだろう?と、そんな風に思った私は、今回「女性の色っぽさ」が何色であるか、そしてそれは女性が年を重ねるにしたがってどう変化していくかを調べて、眺めてみることにした。

 これまでも、「できるかな?」ではさまざまな抽象的なもののイメージ(=画像)をネットワーク上から多数集めそれらの色分布を調べることで、それらの抽象的なもののイメージ(=印象)を目に見える形にしてきた。だから、ある程度は「色っぽい」というのがどんな色だかは想像がつく。例えば、下は「心の色はどんな色?」で調べた「笑顔・童話・心・エロ」の色である。
 

「心の色はどんな色?」で調べた「笑顔・童話・心・エロ」はこんな色

 こんな風に、ネットワーク上から多数の画像を集めれば、抽象的なものであっても「目に見える色」にすることができる。ましてや、女性の色っぽさなどは、もちろんもとより「色っぽい」というくらいだから、「目に見える色」にするのは簡単なことだ。いつもと違うのは、女性が年を重ねるにしたがって「色っぽさ」がどう変化していくかを調べるので、ちょっと定量的に扱ってやらなければならないだけである。

 そこでまずは、HiraxNetMosaicMakerに多数の画像の「色の平均値」を出力するウィンドーを付けたてみた。

色の平均値(Lab)出力ウィンドーが付いた"HiraxNetMosaicMaker"

 そして、いつもと同じように「GuruguruImage+Iria+HiraxNetMosaicMaker」トリオでさまざまな女性の画像を収集し、その「色っぽさ」を調査することにしてみた。ネットワーク上からいつものようにゴッソリ集めた画像は全部で6種類である。まずは、年齢に応じた女性の呼び名である

  1. 幼女
  2. 少女
  3. 熟女
  4. 老女
という四種のイメージだ。「少女」と「熟女」の間を何て呼べば良いか判らなかったので、その二つの間はずいぶんと離れてしまった。しかし、そもそも「少女」や「熟女」が何歳くらいだかはよく判らないので今回の第一次調査ではこのままにしておきたい。そこをハッキリさせると、「むきーーー!」って怒る人も多いだろうし…。

 また、上の四つのような年齢だけではなくて、さらに「何らかの属性が付加されている」

  1. 女子大生
  2. 淑女
という二つのイメージもさらに調査してみた。「二十歳前後の問を修めている女性=女子大生」の「色っぽさ」と、「品位のある、りっぱな婦人(新明解国語辞典)=淑女」の色っぽさを調べてみるのである。この二つがあまりに「色っぽい」という結果が出るようであれば、今回の調査方法の妥当性が疑われる、ということである程度のエラーチェッカーになるわけだ。

 さて、早速調査した結果を眺めてみることにしよう。下の表が色んな女性の「色」と「色っぽさ」を示した結果である。ちなみに、ここで「色っぽさ」というのはa*a+b*bを示している。つまり、どれだけ「色っぽい」かを示す数値である。
 

色んな女性の「色」と「色っぽさ」
La*b*色っぽさ
幼女79.51.41.54.21
少女76.02.33.920.5
熟女76.73.84.635.6
老女74.32.93.923.6
女子大生76.91.63.414.1
淑女79.32.33.215.5

 そして、この数値を見ながら、下のLab色空間とそこに配置した「笑顔・童話・心・エロ」のイメージを眺めてみよう。すると、例えば熟女の「色」がa*=3.8,b*=4.6と群を抜いて高く、「心」度も高いが「エロ」度も高い、となるのである。そして、その結果「色っぽさ」は他の倍以上の値を示しているのだ。そう、熟女が一番色っぽいのである。先の「オレは女性は絶対年上が良いと思うね」という一派が大喜びしそうな結果が出てしまったが、別に私は彼らからワイロをもらっているわけでないのである。
 

Lab色空間とそこに配置した「笑顔・童話・心・エロ」のイメージ

 次に、これらの女性の「色っぽさ」をそれぞれ相当する年齢位置に配置して、女性の「色っぽさ」の年齢カーブを示してみたものが下のグラフである。

 すると、生まれてそれほど時間が経っていない幼女は実に「色っぽくない」が、年を経て少女を過ぎる頃にはやがて色づいてくることがよく判る。そして、熟女となる頃には、まさに「熟した女」としか言いようがないくらい、その「色っぽさ」は最高潮に達するのである。そして、さらに年を重ねると、「色っぽさ」は薄まるが、それでも少女よりはまだまだ色っぽい、という事実が目に見える形で私たちの前に姿を現すのだ。
 

「女性の色」を調べることにより、女性の「色っぽさ」のカーブを調べてみたもの

 また、このグラフの女性の「色っぽさ」のカーブを試しに二次関数で近似してみると、

「色っぽさ」=-0.015 x (年齢)^2 + 1.4 x (年齢) + 2.3
となる。試しにこれをhiraxの「色っぽさ」成長近似関数(暫定版)と呼ぶことにしよう。この式さえ知っておけば、再び飲み屋で「熟女vsロリ」大論争が勃発した折りには、この式を片手に、「きみいくつ?えっ、にじゅうごー!?自分より年下でなければ人じゃない?それは違うよ。少なくとも君が45歳くらいまではね。」と冷静にアドバイスしたりすることができるわけだ。

 ところで、このグラフ中の「女子大生」と「淑女」を眺めてみると、平均的な女性の「色っぽさカーブ」から大きく外れて「色っぽくない」ことが判ると思う。そう、学問に打ち込む女性も淑女も「色っぽい度」は低いのである。当たり前である。エラーチェッカーとして入れた「女子大生」と「淑女」の調査結果からも、今回の調査方法も世間のあり方も間違っていないことが見てとれるのである。
 

 また、今回多数採集した「幼女・少女・熟女・老女」をそれぞれ平均化してみた「色」を下に示してみた。これが各女性達の「色っぽさ」=「色」の変化チャートなのだが、あなたはこの中のどの色に「色っぽさ」を感じるだろうか?
 

女性達の「色っぽさ」=「色」の変化チャート
左から「幼女・少女・熟女・老女」の色
幼女     少女    熟女   老女

 さて、こんな「女性の色っぽさ変化チャート」を眺めていると、先日発表された「あの研究報告」を連想してしまう人も多いに違いない。そう、先日米ジョンズ・ホプキンズ大学の2人の天文学者が約20万個の銀河の光を全て平均化した結果、すなわち「宇宙の色はこんな色」と発表したあれである。「多数の何かを集めて平均化して、そのものの色を目に見える形にする」という方法論も、そしてそれがちょっとした遊び心でやるというところも、今回の話とよく似た(だけど大違いの)あの研究報告である。

 あの研究報告の「宇宙の色」と今回の「女性の色っぽさ」ではそれを求める方法もよく似ているが、驚くべきことに何とその結果もうり二つなのである。ちなみに、下が彼らが報告したIIIE gammaを用いて変換した場合の「宇宙の色」の変化チャートである。ビッグバンから今日、そして遙か未来までの宇宙の色の変化を示したものだ。
 

III E gammaを用いた「宇宙の色」の変化
ビッグバンはまだまだ青いが、今日の宇宙はまさに熟女の「色っぽさ」である

 そう、先に示した女性達の「色っぽさ」=「色」の変化チャートと瓜二つなのである。女性の色の変化は「宇宙の色」の変化そのものなのだ。「元始、女性は実に太陽であった」と平塚らいてうは「青鞜」の創刊の辞に書いたが、それは素晴らしく正しかったのである。そして、女性は太陽どころではなくて、何と、女性は宇宙であったのだ。そして、今日の宇宙は(私の勝手な偏見から言えば)ちょうど熟女の「色っぽさ」なのである。今の宇宙はまさに「熟れ頃」なのである。こんな私の研究成果をもしも平塚らいてうに知らせることができたら、一体彼女は何と言うだろうか?う〜ん、平塚らいてうが何というかは判らないが、ルパン三世の峰不二子であれば、きっとこう言うに違いない。

…男ってバカね。

2003-01-03[n年前へ]

キャッチボール その1 

 「わきめも」の「キャッチボール」を読みながら、ふとこんなことを考えた。
 私にとっての私自身のWEBサイトは何だろうか。それは、多くの場合ひとりごとを漏らしてみる場のような気がする。公の空間の中で一人つぶやくひとりごとに似ているような気がする。

 だから、私にとってそれはやっぱり「絵馬」とよく似ているように思う。それは、人のいる街中で、なのにその歩いているはずの人の姿がよく見えない街中で、たくさんの透明人間が生活をしているはずの人通りの中で、ひとりごとをつぶやいている感じによく似ているように思う。

 そして、時折そのひとりごとに答えてくれる人がいる。ひとりごとに何処かにいる透明人間が答えてくれる一瞬だけ、透明人間は透明でなくなる。少なくとも、その瞬間には確かに目に見える人間が私のひとりごとに色んなアドバイスや返事をしてくれるように思う。その一瞬だけは透明人間ではなくて、そしてそれが繰り返されていると、それはいつの間にかれっきとした人間でしかなくなるように思う。そして、時にはそんな風に透明でなくなった人と実際に会ったりすることもある。

 ボールをインターネットの霧の向こうに投げていると、不思議なことにたまにそのボールが返ってくる。人間同士のコミュニケーションとしてはとても洗練されていないぶん、とても不思議な気分になることがあるのも確かだと思う。飲み屋で例えるなら、偶然居合わせた何処かの誰かが突然私がつぶやいたひとりごとに割って入ってくる感じだ。一過性のそんなコミニュケーションと似ているような気がする。

 ただ、とりあえずインターネットのキャッチボールで流れる時間の流れはとても速いようで、だけど、実はとてもゆっくりのような気もする。そしてまた、こんなメディアだからこそ、よく知っている人の意外な顔が見えたりもするのも、面白いところかも。



■Powered by yagm.net