2008-03-05[n年前へ]
■「広重」と「ゴッホ」について書いたこと
いくつかのものを並べて眺めてみたり、あるいは、まとめて平均して眺めてみた時、ようやく浮かび上がり見えてくるものがある。たとえば、安藤広重の「名所江戸百景 大はし阿たけの夕立」とゴッホが描いた"Bridge in the Rain (after Hiroshige)"をを眺めてみれば、江戸とパリで時間と距離を隔てて描かれた、けれど不思議なくらい線が重なる景色が見えてくる。そう思う。
広重とゴッホが描いた景色をモーフィングさせた時、その景色を眺めたとき、そのモーフィング画像の中に一体何が見えるだろうか。色の違いだろうか。それとも橋の設計の違いだろうか、それとも、歩く人の気配だろうか。顔料を通して見えてくる静謐感や躍動感だろうか。
並べて眺めることで、初めて見えてくるものの一つが「立体感」だ。ゴッホ(など)の絵画などの絵画を並べて眺めることで、立体的にゴッホが眺めた景色を私たちも見ることができたり、する。不思議なくらい、立体的に見えてきたりする。
広重「名所江戸百景」を3Dで再現しようという、"CG"名所江戸百景を眺めてみたり、114年前にゴッホが眺めた満月を眺めみるたび、とても不思議な気持ちになる。何しろ、空間や時間を、まるで透明人間のように、自由に行き来できるように(自分が眺めることができない、けれど、他の誰かが眺めている)景色を眺めることができるのだから。
「左下」の画像は広重の東海道五十三次の中の「由井」で、「右下」が「由比」でいつの日かに見た景色だ。長い年月を隔ててはいるけれど、多分、ほとんど同じような場所で眺めた同じような景色だ。たぶん、コンピュータで相対的な色ヒストグラムで解析でもすれば、きっと同じような景色に見える。けれど、人が眺めたら、全然違う時代の景色に見える。地形は同じだけれど、自体は全然違う景色に見える、きっと、そんな写真だと思う。
静岡県 由比にある「東海道広重美術館」の入り口には「版画体験コーナー」がある。「広重の東海道五十三次の「由比」を青・赤・黒の三色の版画で再現し、三色重ね刷りすることで、浮世絵の版画(世界初のカラー印刷技術)を体験しよう」というものだ。
色毎の位置合わせは、手でやるにせよ、機械がやるにせよ、とても難しいことだから、(色あわせに祖失敗した)「見当違い」の版画になってしうことも多い。少なくとも、私はそんな見当違いの版画を作ってしまった。けれど、そんな風に版画を作る体験はとても楽しかった。
カラープリンタが割に一般的になった現在、プリントゴッコで浮世絵を作ったりするのも新鮮で良いと思う。消しゴム版画で浮世絵を作ったりするのも、とても面白いと思う。
2008-03-12[n年前へ]
■私たちが乗った魔法の「ライブ・トレイン」
(高層ビルを消したり・出現させたりすることができる、という)「高層ビル消滅(消灯)マジック」を読んだ人から、メールを頂きました。そこに書かれていた風景・その人 たちが見た出来事がとても素敵だったので、そのメールを(許可を得て)書き写させて頂きます。
「高層ビルを消すマジック」を読み、不思議なほどそれと似た景色を眺めたので、その出来事を書かせて頂き ます。1990年代初頭、つまり、15年くらい前の曲が詰まったR35は私のiPodにも入っています。
私たちは、ライブ(Live) R35という コンサートを、名古屋から東京国際フォーラムにまで見に行きました。1990年代初頭のヒット曲を集めたコンピ レーションアルバム R35 のヒットを記念して行われたコンサートを見に行きました。
開演時間が過ぎても、空席もあちらこちらに見える中、深くリバーブがかかったストリングスと堅い音色のシ ンセサイザが奏でるclassの「夏の日の1993」の前奏が鳴り出しました。東京国際フォーラムという大きな会場で したが、一人の観客も立ち上がったりしませんでした。私もそうでしたが、音楽を聴きながら・その時代を感じ 、そこで立ち上がる必要も、立ち上がることもできなかったのだと思います。何しろ、R35=35歳以下禁止の、あ の時代を共有する人たちですから。
中西圭三がWomanを歌い始めた頃には、空席も既になくなっていました。そんな席は、仕事場から駆けつけた背広姿の人たちや、急いで駆けつけたことが目に見える女性たちが、そんな席を埋めていました。そして、ステージの上の人たちも会場に座る人たちも、あの頃の唄を歌っていました。当時、中西圭三は久保田利伸に似ていたような気がするのですが、今では「オーラの泉の人」にそっくりになっていました。私も、当時は中西圭三と久保田利伸との区別がよくわからなかったような気がします。それにしても、「オーラの泉の人」似というのは本当でしょうか。「まるで別人のプロポーション…」ですね。
Woman
君が探してる未来は
君の中にあるよ
中西圭三 Woman
ライブの最後は、槇原敬之でした。彼が、30代後半、40代の人たちといっても、みんな、若い頃にChoo Choo TRAINを聞いているんですものね。それにしても、Choo Choo TRAINは、中西圭三が作曲されていたとは知りませんでした。ぼくが唄の好きなところの一つは、”唄は変わらない”ってことだと思うんだよね。時代が、歌う人が、色ん なものが変わったように感じられても、唄は変わらないじゃない?それって、すごいことだと思うんだよね。そ んな変わらない唄に、僕は励まされたりして、だから、唄を歌おうって思うんだよね。と(あぁ高槻出身だなぁ)と感じさせる関西弁で喋っているのを聞きながら、その少し前に演奏された中西圭三 作曲のChoo Choo TRAIN、ZOOやEXILEが何度かヒットさせたChoo Choo TRAINの興奮が蘇りました。
35歳以上の会場の人たちが、みんな立って手を叩いたり、体を揺らしていた瞬間を思い出しました。ヒットした時代も、それを歌う人も変わったりもしつつ、けれど、やっぱり、変わっていないものもあるのかもしれない、と思ったのです。
Fun Fun We hit the step step確かに、Zooが歌うChoo Choo TRAINや、同じ風や、一言で言えば、同じ時代を私たちは歩いてましたね。
同じ風の中 We know We love Oh
Heat Heat (The) beat's like a skip skip
ときめきを運ぶよ Choo Choo TRAIN
Choo Choo TRAIN
槇原敬之が、本当に、「どんなときも」のイントロが流れてくると、当時のカラオケボックスを思い出しますね。「あまりにも、バラード過ぎて」歌いづらかったような気もしつつ、それでもやっぱり歌ってしまったりもしたあの頃を思い出しますね。このコンサート・このアルバムは「あの頃に帰りたい」というものじゃ決してない、と思ってる。「あの頃と同じように前に進んで行こう」というものだと、思ってる。ねぇそうだよね?というようなことを言って、コンサートの最後の最後は、全員による「どんなときも」で終わりました。
どんなときも どんなときも
迷い探し続ける日々が
答えになること僕は知ってるから
槇原敬之 どんなときも
名古屋に戻るために、私たちは東京駅へ急ぎ、名古屋行きの最終22:00発「ひかり」433号に乗り込みました。乗り込んだ席は、1号車の向かって右側の席です。一言で言ってしまえば、ライブ(Live) R35が行われていた東京国際フォーラムが見える方の席です。余韻を感じたかったので、そんな席を選んだのです。
そして、最終「ひかり」433号が発車するベルが鳴り始めました。そして、その発車ベルが鳴り終わった瞬間に、不思議なことが起こりました。もうおわかりだと思いますが、目の前の高層ビルが消え始めたのです。そして、不思議に消滅した後に、チラチラと再び点灯し現れるビルの光に送られながら、新幹線は走り出しました。私は正確な時計も、ビルの消灯時間も知らなかったわけですが(記事を読む前でしたから)、偶然にもその「魔法」を素晴らしいタイミングで見ることができたわけです。今、調べてみると、東京駅始発で22:00ちょうどに発車する列車は最終の名古屋行き「ひかり」433号だけなんですね。高層ビル消滅(消灯)マジックに合わせて鳴るアラーム・同時に発車する列車は広い東京駅でもただ一本だけなんですね。しかも、その先頭(の方の)列車の右窓側シートでないと、きっとあの消滅マジックを見ることはできないでしょうね。それはまるで、松本清張の「点と線」のような、ほんの一瞬の「そこだけで起こる魔法」ですね。
その後は、すぐに寝てしまったこともあり、終点の名古屋に着くまでの記憶はありません。名古屋に着く直前に流れたチャイム音、TOKIOのAMBITIOUS JAPAN!を聞いて目が覚めたのですが、何だかそれはライブ(Live)の続きのような、あるいはライブ(Live)の最後のようにも感じました。そういえば、東海道新幹線は終着駅に着く前に、TOKIOのAMBITIOUS JAPAN!が流れますね。 (その前に使われていたチャイムメロディから)あのチャイムに変わった頃は、TOKIOもまだ若かった気がします。今では、彼らもR35になっているんですね。
たとえて言えばロング・トレイン「時は流れていく、と君は言うかもしれない。けれど、動いていくのは時間でなく私たちの方なんだ」という言葉を、何かのSFか、あるいは物理学の本で読んだことがあるような気がします。その日、東京国際フォーラムにいた人たちは、みんなそれぞれ時間の中を走り続ける、そんな長距離列車に乗っているんでしょうね。
風切り裂いて走るように
未来に向かってまっしぐら
TOKIO AMBITIOUS JAPAN!
2008-04-26[n年前へ]
■魅力的な「鉄道グッズ大図鑑」
鉄道写真家としての10年間で、世界50か国で鉄道に乗った総距離数は10万キロメートルを突破したという筆者が、取材の途中で買った鉄道グッズが詰まっている「鉄道グッズ大図鑑」がとても楽しめる。
筆者は10年間の取材旅行中に1000点を超える「鉄道グッズ」を集めたという。そんなカラフルで面白そうなグッズが、フルカラー190ページの中にたくさん詰まっている。
これらのグッズを眺めるためだけにでも、世界の国へ行って、世界の鉄道に乗ってみたくなる。スイス国鉄の「モンディーン腕時計」や「ドイツ国鉄腕時計」のシンプルで美しい姿にとても惹かれる。
2008-04-29[n年前へ]
■「手作り三次元グラフ」と"Life Work"
少し前に、「仕事」と「趣味」を、「本人(自分)の欲求」と「他人の満足」という2軸で表される実軸・虚軸で表現される複素平面に描いてみました。注釈を付けるまでもなく、この「仕事」も「趣味」にもカッコ(「」)が付いています。
カッコは、時に「いわゆるひとつの」という程度の意味を表したり、あるいは、時に「私の感じる言葉とは違うけれども、その人の使う言葉の定義に沿って使って・考えてみれば」というような意味合いで使われることがあります。だから、カッコ(「」)付の言葉が出てきた時には、あるいは、カッコ付の言葉とカッコが付かない言葉が同時に出てくる文章を読むときは、このカッコは何を意味しているんだろう?と考えると、その文章から何だか不思議な立体感を感じたりすることがあります。もしかしたら、それが文章の書き手の中の意識、書き手が眺めるものの距離感なのかもしれない、と感じます。
さて、「"複雑極まりない"複素平面」上に「仕事」と「趣味」を描くを書いた次の日、"Life Work"という言葉を使ったら、どのようなことを思い、どのようなものを描き・書くだろうか、と考えました。「仕事」という言葉から、"Work"という言葉を経て、"Life Work"ということを考えたらどう思うだろう?と感じました。
そして、もう一つ、「"自分(本人)の欲求・満足"と"他人の満足"という2軸で表される複素平面に、少なくとも"時間軸という軸を一つ増やしたい」とも強く思いました。私たちを大きく支配する軸でもあり、私たちにとって希少なものでもある"時間"という軸を増やしてみたいと、思ったのです。
そこで、そんな三次元空間を「ホワイトボード」と「色粘土」と「焼き鳥用の串」で作ってみました。下の写真が、その手作り”三次元空間(複素空間)”です。
誰かが行う何かの作業を考えたとき、この空間はその誰かの作業に対する"ある3つの軸による評価値"を示したに過ぎません。他にも数限りない色々な軸があり、色々な眺め方・受け止め方があるように思います。
また、同じような作業であったとしても、その作業をする人によって、この空間での「座標」は異なってくることでしょう。それは、たとえば「梅宮辰夫の"釣り"」と「釣キチの"釣り"」が、その作業内容が同じようなのに、商品価値(黒い横軸)としては大きく違ってしまうようなことです。
試しに、今の時点での「梅宮辰夫の"釣り"」を緑色の球で、「釣キチの"釣り"」を黄色の点で手作りプロットしてみました。もちろん、材料は色粘土と焼き鳥用の串です。
そしてまた、時間軸に沿って、誰かが行う同じ作業でも、その位置・取り扱われ方が異なってくることもあるでしょう。10年後にも「梅宮辰夫の"釣り"」が今と同じ商品価値を持っているとは限りませんし、逆に、「あなたの知り合いの釣キチの"釣り"」の方が他人に満足を与えているかもしれません。あるいは、ゴッホが生きている時点では、ゴッホの"Art Work"は収入源とはとても言えなかったわけですが、現在では、ゴッホの絵画を見るために人が集まり、その絵画を手に入れるためにたくさんのお金が集まります。
つまり、"誰かが行う何か"を示すこれらの点は、時間を経て動いていくのが普通だと思います。時代の変化にしたがって、何一つ違わない同じ"誰かが行う何か"なのに空間中を移動していって、商品価値を失ったりすることは、よくありそうに思われます。
また、その人の技術の向上といったさまざまなことを理由にして、これらの焼き鳥の串に刺さった色粘土、・・・じゃなかった、その人の作業自体が変わり、この空間における位置づけを変えていくこともよくあることだと思います。
先のことは、誰にもわかりません。「確か」でないことは、世の中に満ち溢れています。「この努力が報われる日が来るのだろうか?」「この釣り番組はいつまで続くのだろうか?」「(定年がある人であれば)定年の先には何があるんだろう」といったことをふと考えて、不安が沸いてくる人も多いことでしょう。
そんなことを考えているうちに、"小説家になりたい"という言葉に強く頷く人もいれば、"それじゃ意味がわからないよ。どんな小説を書きたいのさ?"という風に感じる人もいるだろうな、というようなことが何故か頭の中に浮かんできました。そして、さらに「"Life Work"って何だろう?」「"Life"って何だろう?」と、今更ながらに思ったのでした。
若き二ツ目が、さまざまな努力と工夫を重ねて暗中模索する姿を、私は美しいと見る。陽の当たらない場所で悪戦苦闘する二ツ目の中で、誰が将来の名手になるか。こればっかりは絶対にわからない。若くして天才ともてはやされた麒麟児が老いて駄馬になったり、ヘタクソの見本みたいだった人が五十代になって突然名人の域に飛躍したりする例が、落語家には少なくないからである。
江國滋 「落語無学」
そうそう、とりあえず一つだけ確実なことを見つけました。それは、「粘土遊びは楽しい」ということです。色鮮やかな粘土で、色んなものを作って遊ぶのは、とてもワクワクする、ということは「確か」なようです。
2008-05-25[n年前へ]
■続々・『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』
『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』を出す際に、200人の人たちに「あなたが豊か・幸せになるために必要なものは何ですか?」と尋ねてみました。右に走り書きしたような「自由」「お金」「食べもの」「時間」といった選択肢を並べ見せながら、その人が豊か・幸せになるために必要なもの、を尋ねてみたのです。
そして、amazonで表示される「お勧め本」やはてなダイアリの「お勧めページ」を算出するのと同じように、つまりはその選択肢を選んだ人の重複度合いなどを計算し、クラスタ分析をした結果の樹形図が右のようになります。右の図ではA,B,C……などのように記号で書いたありますが、もちろん、本の中でもアルファベットが書いてあるわけではなく、「お金」「睡眠」「時間」といったものがクラスタ分析・表示されているわけです。つまりは、「クイズの答え」を知りたくなったら、本書を手にとりそのページを眺めてみて下さいね、ということになります。
「貨幣とは鋳造された自由である」というのはドストエフスキーの言葉ですが、クラスタ分析の結果は、見事なまでに「お金」と「自由」の距離や、「愛」や「希望」の距離を算出しています。右の図のA,B,C,D,……といった記号が「一体どんな言葉」なのか予想をしてみて、そして回答編を書店で眺め・楽しんで頂けたら幸いです。