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2000-02-24[n年前へ]

「モナリザ」の自己相似形 

48x48の「世界への微笑」

 以前、

で、
 ASCII文字で描かれたモナリザを初めて見たのは、まだ大型コンピューターしかなかった頃だ。当時、記憶媒体の紙テープをパンチした紙くずと、ラインプリンタから出力されたASCIIアートで遊んでいた。
と書いた。

 私がモナリザを見たのはこのASCIIアートのモナリザが初めてだった。何故か住宅の天井裏にASCIIアートをモチーフにしたカレンダーが貼られていた。天井裏に貼られたモナリザはとても趣があった、と思う。
 そういうわけで、初めて見たモナリザは、カラーではなくて白黒の、しかもASCIIアートのモナリザだったのである。

 もちろん、そのモナリザはもうどこにもいない。そこで、

の時にバージョンのIMAGE2ASCIIでモナリザをASCIIアートに変換したのが下の画像だ。
 
モナリザのASCIIアート

 こんなに縮小してしまうと、ASCIIアートに見えない。そこで、顔(特に目)の辺りの部分の拡大図を下に示してみる。
 

モナリザのASCIIアートの顔(特に目)の辺りの部分の拡大図

 こうしてみると、ASCII文字であることはわかる。しかし、全体像は全く見えなくなる。「これが、モナリザの目の辺りだ」と言っても全く信用されないことだろう。

 こういう画像を考えるときは、全体像と拡大図の両方を感じなければいけない。拡大図しか感じられないと、「木を見て森を見ない」状態になる。そして、全体像しか見ない場合には「実際の所をなにも知らない」状態になる。

 さて話を戻す。私が眺めていたASCIIアートをのモナリザを初めとして、モナリザほど「本歌取り」の「本歌」に使われているものもない。「モナリザの微笑」からは、沢山の人が色々なものを引き出してきた。「モナリザ」の微笑はどうにも奥深く見えるから不思議である。その微笑の先に何があるのかを深く考えさせる。その答えはなかなか見つけられない。
 そういうわけで、東京都美術館で開催されていた「モナリザ100の微笑」を先日見に行ってきた。

 特に、私が見たかったのはこれである。福田繁雄の「世界への微笑」だ。
 

福田繁雄 「世界への微笑」

 もう、おわかりだと思うが、これは切手によるコラージュである。このモナリザの顔(特に目)の辺りの部分の拡大図を次に示してみる。
 

「世界への微笑」のモナリザの顔(特に目)の辺りの部分の拡大図

 拡大すると、全体像が全く判らなくなるというところは、ASCIIアートと全く同じである。こういった、離れてみると、やっと何が描かれているかわかる、という画像はとても面白い。

 そこで、今回はそういう画像を作成してみたい。つまり、「小さな画像の集合が集まって一つの画像になる」ようなものだ。

 それに加えて、先ほど

「モナリザ」の微笑はどうにも奥深く見えるから不思議である。
と書いた。「モナリザの微笑」を眺め考えると、その先には結局「モナリザ」しか見えてこない。答えが見えないのである
 まるで、それはタマネギのようで、自己相似形という言葉さえ思い起こさせる。

 そういうわけで、小さな「モナリザ」が集まって一つの「モナリザ」となるような画像を作成してみることにした。逆に言えば- 「モナリザ」を見つめていくと、その先にさらに小さな「モナリザ」が見えてくる- という画像である。

 そういう画像を作るために、簡単なアプリケーションを作成してみた。それが、これである。

名前はjoconde.exeだ。画像を読み込み、その画像をその画像自身の縮小画像(48x48個)で表現するのである。福田繁雄は切手や国旗で「モナリザ」を表現した。私は48x48個の「モナリザ」で、さらなる「モナリザ」を表現するのである。
 いつものごとく、色々な画像のフォーマット対応のためにはSusieプラグインを必要とする。もちろん、言うまでもないと思うが信用度はアルファ版以下である。

 さて、作成した画像 - 題して、48x48の「モナリザ」 -を次に示そう。「モナリザ」の微笑は「モナリザ」でしか表現し得ない、という私の気持ちの表れである。この画像をクリックすれば、元のサイズの- 48x48の「モナリザ」 - を見ることができる。
 

jun hirabayashi 作 48x48の「モナリザ」

 この画像では、48x48個の「モナリザ」でできていることはわかりづらい。そこで、上の画像のモナリザの目の辺りを拡大したものが以下である。
 

jun hirabayashi 作 48x48の「モナリザ」 部分

 この - 48x48の「モナリザ」 - を眺めていると、「モナリザ」の微笑について色々と考えてしまう。どこが、一体魅力となっているのだろうか? いくら考えてみても、よくわからない。

 さて、モナリザと言うと、夏目漱石と「モナリサ」にも言及しなければならないだろう。しかし、それは次回のココロだ。
 

2000-03-05[n年前へ]

私の日本語練習帳 

アメンボ赤いなアイウエオ

 もうすぐ、4月である。4月といえば、新学期だ。といっても、私は別に学生ではないので、新学期といっても特に何があるわけではない。別に新しい授業が始まるわけではないのである。しかし、私は何故かこの時期になると「英会話」を勉強したくなるのである。

 去年の初めにも英語学習熱に襲われ、NHKのラジオ講座を通勤途中やることにしてみた。しかし、いつものように二ヶ月だけで挫折してしまった。そういうわけで、NHKラジオ「英会話」講座の毎年4月分のテキストが私の家には沢山ある。
 それだけでなくて、この時期には「一週間でわかる英会話(仮名)」というような本も買い込んでしまう。しかし、これもまた買うだけで終わってしまっていたのだ。どうも、私の興味が散漫であることも理由の一つだろう。湯川秀樹は

 「今日はあれをやり、明日はこれ、というように、あまり気が散ると、結局どれもものにならないですね。」
という非常に的確なことを言っているらしいが、まさにその通りである。話題が飛びまくりの「できるかな?」には実に痛い指摘である。しかし、糸川英夫は
 「自分にできること」よりも「世の中が求めていること」に挑戦し続けた方が人生も楽しい。
言っているらしいし、気にしないでおく(進歩無し)。

 私はそういう生活が10年近く続いている。そんなわけで、英語のテキストは増えたが、英語能力は減る一方だ。いやまてよ、ということは

  • 一人の人が持つNHKラジオ「英会話」講座の4月分テキストの冊数
  • 一人の人が持つ英会話能力
は反比例するのかもしれない。その仮説を適用するならば、
  • 今年のNHKラジオ「英会話」講座の4月分テキストを買わなければ、私の英語能力はアップする
という推論が可能である。逆に言えば、今年もまたNHKラジオ「英会話」講座の4月分テキストを買うと、ますます英語能力が低下してしまう、ということだ。私の英語能力が低下したのは、英語のテキストを買いすぎたせいで、もしかしたら、英語のテキストを全部捨てれば英語能力がアップするかもしれない。

 いや、こんなワケのわからない仮説を論じている場合ではない。これは、非常にマズイ。今年こそ、三日坊主は止めなければならない。新しいミレニアムが訪れたことでもあるし、バージョンアップした私(仮に私2000とでも名付けておこう)になるためにも、今回こそ英会話の勉強をしてみたいと思う。

 そこで、発売されてすぐ買ったは良いが、そのまま本棚で眠っていた

  • BLUE BACKS 英語スピーキング科学的上達法 山田・足立・ATR人間情報通信研究所
で遊んでみることにした。この本は
  • BLUE BACKS 英語リスニング科学的上達法 山田・足立・ATR人間情報通信研究所
の続編である。もちろん、私は両者とも買っただけで「積ん読(つんどく)」であった。いや、ホントは読んだのだけれど…

 それでは、今年の勉強を始めてみることにしたい。この本の主な内容は

  • 英語における発音を科学的に分析(主にフォルマント、スペクトログラム)する。
という感じである。

 これまで、「できるかな?」では

といった感じで音のスペクトログラムはよく登場している。なので、きっと感覚的に判りやすいはずだ(少なくとも理屈としては…)。

 しかし、いきなり私に英語はキツイ。まずは日本語の練習から始めることにした。日本語の母音の発音を練習するのである。そうすれば、自分自身の日本語を再確認できるし、この本の信頼性もチェックできる。「フォルマントで音声を判断する」というのがどの程度使えるものであるかを、私の日本語でチェックすることができるのである。何しろ、変な発音かもしれないが、一応私は日本語のネイティブであるからだ。

 それでは、「英語スピーキング科学的上達法」に付属のソフトで私のフォルマントを調べてみる。これが私の「あいうえお」のスペクトログラムとフォルマントである。
 

私の「あいうえお」のスペクトログラムとフォルマント

縦軸=周波数, 横軸=時間

 ここで、色丸で示してあるのが

  • 赤 = 第1フォルマント ( F1 )
  • 青 = 第2フォルマント ( F2 )
  • 緑 = 第3フォルマント ( F3 )
である。簡単に言えば、周波数のピークを低い方から番号付けしたものである。

 それでは、私の「あいうえお」をF1-F2空間にマッピングしたものを次に示す。これも、「英語スピーキング科学的上達法」に付属のソフトによるモノであり、標準的な男性の「あいうえお」の分布が示されている。そして、赤丸で示してあるのが私の「あいうえお」である。
 そして、F1-F2空間における英語の母音分布の上に私の「あいうえお」を重ねたものも示す。
 

F1-F2空間における私の「あいうえお」
横軸 = F1(Hz)、縦軸 = F2(Hz)





私の「あいうえお」を
英語の母音に重ねてみた図

 こうフォルマント分析をしてみると、私の「い」「う」「え」は標準的な分布の中に入っていることがわかる。しかし、「あ」「お」はそうではない。
むしろ、私は発音は英語の母音でいうところの

  • 「あ」 = 
  • 「お」 = 
という感じである。まぁ、
  • 私の発音の精度の問題 = 私の発音がヘン?
  • 測定・解析の精度の問題
かはさておき、精度はこんなものなのだろう。結構、ちゃんと判断できるものだなぁ、というのがこの解析に対して私の受けた印象である。こういう音声解析というのも実に面白そうな分野である。

 さて、最初のうちはこの本付属のソフトを使って遊んでいくことになると思う。しかし、いつか自作のソフトウェアを作成し、F1-F2-F3空間での「あいうえお」の可視化でもしてみたい。言葉の可視化、さらには言霊の可視化をしていく予定である。(あれっ、そう言えば英会話の勉強はどこへ…)
 

今日はあれをやり、明日はこれ、というように、あまり気が散ると、結局どれもものにならないですね。
By 湯川秀樹

2000-03-09[n年前へ]

飲み屋の音と1/fノイズ 

くつろぎの音響解析編

 私は典型的なプロレタリアート(死語)である。そのせいか、高級(行ったことがないからわからないのだが)そうなバーは苦手である。しかし、安〜い居酒屋は大好きだ。むしろ、「愛している」と言っても良いくらいである。新宿西口の思い出横町なんかその最たるものだ。

 ところで、飲み屋の喧噪の音を聞いていると、何故か心安らぐような気さえしてしまう。「飲み屋の喧噪の音」というのはノイズとしか言いようのない音であるが、そのノイズが何故か心安らぐのである。しかし、高級そうなバーでは心安らぐどころではないのである。

 一体、この違いはどこにあるのだろうか?いや、もちろん私がビンボーであるせいと言ってしまえば、話は簡単である。しかし、それはあまりにも哀しすぎる(私にとって)。きっと、何か他の理由があるに違いない、と思うのである。そこで、「科学の力」で何か他の理由を探してみることにした。私がバーが苦手で、居酒屋が大好きな理由を探してみることにしたのである。

 居酒屋の環境ノイズを聞いていると、私は何故か心が安らぐわけであるが、「心安らぐノイズ」と言えば、「/fノイズ」というものがある。1/fノイズは心地良さ・気持ちよさを感じる、とよく言われる。今回はこれに着目してみたい。私が居酒屋の音を聴くと心が安らぎ、バーの音を聴くと何故か緊張する理由が「お金」ではなくて、環境音の特性にあると考えてみるのである。私のプライドのためにもそうであって欲しいわけだ。

 そこで、今回は典型的な飲み屋の環境音を音響解析をしてみたいと思う。そして、それが果たして1/fノイズになっているかどうか調べてみたいと思うのである。特に、同じ飲み屋でも居酒屋とバーの間に違いがあるかどうか調べてみるのである。

 それでは、飲み屋の代表的なものとして

  • 居酒屋
  • バー
  • キャバレー
を選んでみる。それらの環境音を実際に録音するのも面倒なので、
  • 効果音大全集 45 屋内ノイズII キングレコード
に収録されている効果音を使用させて頂いた。なかなかこれが雰囲気のある音なので、これで良いのである。参考までに一部を紹介する。 それではそれらのパワースペクトラムを示してみよう。今回は道具として、を使った。ただし、表示色は見やすさのために色変換を行っている。
 
飲み屋の環境音のパワースペクトラム
居酒屋の環境音のパワースペクトラム
キャバレーの環境音のパワースペクトラム
バーの環境音のパワースペクトラム

 これを見てみると、居酒屋とキャバレーはほぼ同じであり、300Hzより高い音に関しては周波数=fが高くなるに従い環境音のパワー密度が低下していることがわかる。しかもその低下の仕方は滑らかである。ここで、表示軸は共に対数軸であるので、居酒屋とキャバレーの環境音は1/fノイズに近いといっても良いだろう。
 私が居酒屋の環境音を聞くと落ち着くのはこれが理由だったのである。安いから落ち着くのではなくて、環境音が1/fノイズであるから落ち着くのである。私がビンボーなせいではなくて、ちゃんとした科学的な理由があったのである。

 それに対して、一番下のバーの環境音では少し様子が異なる。パワースペクトラムは滑らかでもないし、傾きも異なる。すでに、環境音は1/fノイズではなくなっている。これである。このせいで、私はバーでは落ち着かなかったのだ。そう、私がバーで落ち着かないのは私がビンボーなせいではなくて、バーの環境音が1/fノイズでないせいだったのである。

 この三つの環境音の間の違いが判り易いように、この三つを重ねて表示してみる。表示色は

  • 緑:居酒屋
  • 青:キャバレー
  • 紫:バー
という具合になっている。
 
飲み屋の環境音のパワースペクトラム
( 緑:居酒屋 青:キャバレー 紫:バー )

 緑の居酒屋と青のキャバレーがほぼ同じパワースペクトラムであるのがわかると思う。それに対して、バーでは様子が異なり、明らかに環境音が1/fノイズではなくなっている。ずいぶんと不自然なパワースペクトラムであることが判ると思う。

 この不自然さが故に私はバーの環境音を聴いていると、落ち着かないのである。そういうわけで、今回の結論は、

  1. 私は居酒屋の音を聞いていると心が安らぐが、バーの音を聴いていると緊張する
  2. その理由は私がビンボーなせいではなく、居酒屋とバーの環境音の違いによるものである
  3. その違いは居酒屋の環境音が1/fノイズであるのに対して、バーの環境音は1/fノイズではない
ということだ。いい結論である。

 あれっ、そう言えば、キャバレーの環境音も1/fノイズってことは、私はキャバレーの環境音を聞いても心が安らぐのだろうか?うーん、行ったことがないからわからないや。
 

2000-03-12[n年前へ]

元気な私とカゼひく私 

ガラガラ声の秘密


 のどが痛いし、微熱がある。どうやら、扁桃腺が腫れているらしい。「あー」と言おうとすると、「あ”ー」という声になってしまう。まさにガラガラ声である。

 ところで、ガラガラ声というのは一体どういう声なのだろう。もちろん、私の今の「あ”ー」という声はガラガラ声なのはわかる。しかし、このガラガラ声の特性をちゃんと定量化すべきだろう、と思うのである。まずは可能な限り、考えたり定量化したりしなければならないだろう。「感覚的なもの」というのは、そういうことをした後に持ち出すべきである。(考えること無しに)感覚的に判ったつもりになっているのは、何も感じていないのと同じである。それは、「想像力の欠如」に至ってしまうと思う。そして、想像力の欠如は「その人の地平線」を狭く(狭いという表現はおかしいようにも思うが)してしまう。何かワケの分からない文章だと感じるようであれば、それは私の頭が熱でふらふらになっているせいである。

 さて、

で私の「アイウエオ」の声についての解析を行った。今回も、同じように私の「アイウエオ」の声について調べてみたいと思う。そうすれば、過去の「元気な私」と現在の「カゼひく私」の声の違いがわかるかもしれない。そして、ガラガラ声とは一体何なのか?ということの手がかりが掴めるかもしれない。

 まずは、前回と同じように - F1-F2空間における私の「アイウエオ」 - を調べてみる。カゼをひいてガラガラ声になることで、私の「アイウエオ」のフォルマントはどう変化しただろうか?次の図がF1-F2空間における「元気な私のアイウエオ()と扁桃腺が腫れている私のアイウエオ()」を示したものである。
 

F1-F2空間における私の「アイウエオ」
元気な私のアイウエオ()と扁桃腺が腫れている私のアイウエオ()
横軸 = F1(Hz)、縦軸 = F2(Hz)

 面白いことに、前回標準的な分布から外れていた私の「ア、オ」が今回は標準分布の中に収まっている。ガラガラ声になることで、私はやっと標準的な「アイウエオ」になるようである。何故だか、よくわからないが、面白い。まぁ、きっとフォルマント判断の際のピーク検出精度の問題だとは思うのであるが、不思議な結果である。

 それでは、この「アイウエオ」の変化は一体どのようなものだろうか?音声波形を見てみることにする。それが次に示す図である。

 まずは、「あ」の波形である。
 

元気な私のアイウエオ(上)と扁桃腺が腫れている私のアイウエオ(下)
「あ」の波形編

元気な私

扁桃腺が腫れている私

 元気な私の「あ」が割に単純な正弦波に近い。ただし、完全に上下対称な正弦波ではなくて、上に凸な部分の方が若干立ち上がりが速い波形のように見える。そして、割に綺麗に同じ波形が繰り返されている。
 それに対して、扁桃腺が腫れている私の「あ」はスパイクノイズの入っている波形になってしまっている。こちらもスパイクノイズの入り方は割に同じ繰り返しである。

 また、元気な頃の私の「あ」がF1-F2空間における標準的な「あ」分布と離れていたのは、F2が弱いせいではないかという予想ができるのではないだろうか?本来、上下の立ち上がりが異なるのが普通であるが、私の「あ」は上下が比較的同じであり、それでフォルマント判断の際のピーク検出精度が低下していたのではないか、という考えである。
 それに対して、扁桃腺が腫れている私の「あ」は上下の立ち上がりがかなり異なり、周波数ピーク検出が容易であったのではないか、と私は考えるのである。

 さて、次は「い」である。
 

元気な私のアイウエオ(上)と扁桃腺が腫れている私のアイウエオ(下)
「い」の波形編

元気な私

扁桃腺が腫れている私

 これもやはり、基本的には同じ波形であることはわかる。しかし、元気な時には上に尖っている部分が、扁桃腺が腫れている私の「い」ではまるで部分的に上下逆転しているかのようになってしまっている。まるで、周波数毎の位相特性が異なっているアンプやスピーカーのようである。

 次が「う」である。ここまでくると、同じ「う」に聞こえるのが不思議なくらいである。
 

元気な私のアイウエオ(上)と扁桃腺が腫れている私のアイウエオ(下)
「う」の波形編

元気な私

扁桃腺が腫れている私

 見た目には、完全に別物の波形に見えてしまう。しかし、フォルマント上は「元気な私」と「扁桃腺が腫れている私」でほぼ同じ(F1-F2空間における私の「アイウエオ」を参照)であることを考えると、

  • 各周波数の位相がずれている
  • 高周波が重畳されている
という二つの効果により、見た目が違ってしまったのだろう。

 次の「え」も「う」と同じ傾向である。フォルマント上は同じというのが、目で見る限りはよくわからない。いや、もしかしたら見慣れたらわかるようになるのかもしれないが、今の私の心の目ではよくわからないのである。
 

元気な私のアイウエオ(上)と扁桃腺が腫れている私のアイウエオ(下)
「え」の波形編

元気な私

扁桃腺が腫れている私
元気な私

 最後の、「お」はもう何が何だかわからない。しいて言うならば、元気な私の「お」は高周波が極めて多いが、扁桃腺が腫れている私の「お」は高周波はあまりない。きっと、扁桃腺が腫れている私のノドの応答特性が低下しているせいだろう。しかし、これまでのスパイクノイズが増えている事実とどう繋がるかは、難しいところである。うーん、違うかもしれない…
 

元気な私のアイウエオ(上)と扁桃腺が腫れている私のアイウエオ(下)
「お」の波形編

元気な私

扁桃腺が腫れている私

 ここまでは音声波形を見てきたが、最後に周波数空間での違いを示してみる。元気な私のアイウエオに比べて、扁桃腺が腫れている私のアイウエオは割に高周波が増えていることがわかる。やはり、先の「お」の考察は違っているのかもしれない。
 

元気な私のアイウエオ(右)と扁桃腺が腫れている私のアイウエオ(右)
スペクトログラム編
元気な私のアイウエオ
扁桃腺が腫れている私のアイウエオ

 扁桃腺が腫れている私の声の周波数が高い辺りにいくつも見えるピークは私の「のどの痛みの証し」である。あ”ー、しんどい。いや、ホントにしんどいのである。

 さて、私は鈴が鳴るような綺麗な声がとても好きなのである。いつか、そういう声の秘密について調べてみたい、と思うのであった。また、色々な歌手の声のスペクトログラムについても調べてみたい、と思う。
 

2000-04-01[n年前へ]

恋の力学 恋の相関分析編 

「明暗」の登場人物達の行方

 「恋の力学」シリーズである。前書き編が登場したきりで、なかなか本編に入らない「恋の固体物理学」シリーズではない。今回は、

の続き、ということになる。

 以前、

の中で書いたように、恋の力学シリーズは夏目漱石の影響を多大に受けている。そして、同様に夏目漱石の影響を受けているシリーズがある。それは「文章構造可視化シリーズ」である。

 何しろ、「文章構造可視化シリーズ」は夏目漱石をきっかけとして、始まっているのである。また、シリーズの中の話を見ればわかるように、

この「文章構造可視化シリーズ」の半分は「漱石」に関係しているのである。そこで、今回はこの「文章構造可視化シリーズ」と「恋の力学シリーズ」を繋げてみたい、と思う。文学も科学も「ごった煮」にしてみたいのである。

 そのための準備として、まずは「文章構造可視化シリーズ」で作成した"wordfreq"をバージョンアップしてみた。その動作画面を以下に示す。
 

ファイル出力をつけたwordfreqの動作画面

 赤丸で示したボタンに「ファイル出力」と書いてあるのがわかると思う。つまり、文章中に「任意の単語」が出現した出現頻度を解析した結果をファイル出力する機能を持たせたのだ。1段落中に「任意の単語」が出現した数をテキスト形式で出力するようにしてある。このファイル出力結果を他のソフトに読み込めば、色々な解析ができるわけだ。いつものように、このソフトはここ

においておく。言うまでもないが、アルファ版の中のアルファ版だ。

 さて、今回用いるテキストは

でも登場した「明暗」である。そこで、「青空文庫」から「明暗」の電子テキストをダウンロードした。そして、バージョンアップした"wordfreq"で
  1. 津田
  2. お延
  3. 清子
  4. 吉川
という4つの名前の出現分布を解析してみた。その出力結果をExcelに読み込んでグラフにしたのが次のグラフである。「明暗」の中の「津田」、「お延」、「清子」、「吉川」の出現分布を示したものである。つまり、主人公「津田」と、彼をめぐる三人の女性の出現の状況を示したものだ。
 
「明暗」の中の「津田」、「お延」、「清子」、「吉川」の出現分布

 しかし、これだけでは、よくわからない。せいぜい「清子」が小説の後半(といっても、未完であるが)に登場しているなぁ、という位だろう。しかし、さらに解析を加えてみると、もう少し面白いことがわかる。

 今回は、これらの登場人物間のお互いの関わりを調べたいのである。であるならば、これらの「登場人物」の出現分布の間の相関を調べてみると面白いだろう。互いの関係を示す「相関」を調べてみるのである。異なる「登場人物」が同じような出現をしているならば、それは無関係ではない。きっと、その登場人物の間には何らかの関係があるに違いないのだ。

 そこで、「明暗」を時系列的に6つの部分に分けて、津田と他の登場人物の出現分布間の相関を調べてみたのが次のグラフである。
 

津田と他の登場人物の出現分布間の相関
横軸->時系列、縦軸->相関

 このグラフでは、横軸が時系列であり、縦軸が相関を示している。縦軸で上になればなるほど相関が高い、すなわち、「関係がある」のだ。「相関」は本人の場合で「1」である。だから、例えば最後の部分の清子の「0.6」という結果は関係がアリアリということを示しているわけだ。
 また、「清子」と「吉川(ここでは夫人を意図している)」の相関が逆であることが面白いだろう。「吉川」が活躍(暗躍?)した後に、「清子」が登場するわけだ。

 そして、この「明暗」が盛り上がっていくようすすら、見えてはこないだろうか?全く血の通っていないPCが解析した結果が、漱石の描こうとした「こころ」の動きを読みとっているような気が(少しは)しはしないだろうか?そして、このグラフの延長線上に、漱石の描くはずだった、「明暗」の結末はあるはずなのだ。

 さて、このグラフを見ていると、

で計算した恋の多体(三体)問題の計算結果を思い出してしまう。
 
恋の多体(三体)問題の計算結果の一例

 漱石は、きっと恋の三体問題を意識しながら「明暗」を書いたのである。だから、ある意味当然なのではあるが、科学と文学の一体化した世界が感じられ、とても面白い気分である。さて、この解析結果を元にして、まだまだ色々とやってみたのであるが、それは次回である。
 



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