hirax.net::Keywords::「人体」のブログ



2000-08-13[n年前へ]

WEBの時間、サイトの寿命 

ゆっくり長く続けましょうか?

 以前、

でロゲルギストが
  • 第五物理の散歩道 ロゲルギスト著 岩波新書  「通信を考える」
の中で「信号の伝わる速度と距離と処理速度の関係」を論じていることについて触れた。例えば、計算機は処理速度を高めるためには回路の大きさを小さくしなければならないとか、人間の頭脳の働きの速さから集団生活の広がりの限界があるんじゃないか、という話について論じている部分である。短く言ってしまうと、「通信を考える」の中で、ロゲルギスト達は「ある系」について
  • その系の情報処理の単位時間
  • その系の信号の伝わる速度
  • その系の空間スケール
には
  • 空間スケール < 情報処理の単位時間 × 信号の伝わる速度
という関係が成り立つだろう、と論じていたのである。速いコンピュータを作るためには、コンピュータのサイズを小さくしなければならない(信号の伝わる速度= 光速度は一定で情報処理の単位時間を短くすると、空間スケールは小さくならざるをえない)、なんてのはこの一例である。また、このロゲルギストの推論からは、人と人の間の情報伝達の速度が同じなら、
  • 大人数から構成される企業のスピードは、少人数から構成される企業のそれには遙かに及ばない
などのごく当たり前の事実が導かれるわけだ。
 
 

 ところで、ロゲルギスト達はある系の「単位時間・信号伝達速度・大きさ」の間の関係について、

  • 「単位時間・信号伝達速度」を入力値として、「大きさ」を考える
  • 「大きさ・信号伝達速度」を入力値として、「単位時間」を考える
ということをしていた。ところが、この話の30年以上前に実は似たようなことを考え、この話をさらに展開していた人がいる。それはもちろん寺田寅彦である。この手の話題を考えるときには、どうしても夏目漱石-> 寺田寅彦 -> ロゲルギストという流れを意識せざるをえない、と私は思う。

 さて、寺田寅彦が「単位時間・信号伝達速度・大きさ」について、さらにどのようなことを展開していたかというと、それはある系の「大きさ・寿命」についての関係である。寺田寅彦は

  • 空想日録 三 身長と寿命 (寺田寅彦随筆集 第四巻 岩波文庫 小宮豊隆編)
の中で
  • 人体感覚について振動感覚の限界を調べた実験データ、 - 人は自らの体の固有振動周波数の振動に対してもっとも過敏である- 、というものをきっかけとして、
  • 生物の時間の長さの単位は相対的なものである
  • ある系の「時間の長さの感覚 = 相対的な単位」はその系の固有周期と密接な関係がある(振り子時計なんてわかりやすいだろう)
  • ある系の「寿命」を測る単位は、その系の「時間の相対的な単位」、すなわち、その系の固有周期だと想像してみよう。
  • その場合、ある系の固有周期はその系の大きさに比例するから、大きい動物ほどその系の「時間の相対的な単位」は長いものとなり、見かけ上の「寿命」はその動物の「大きさ」に比例するだろう。
という想像を展開している。

 なるほど、サイズが小さい動物(すなわち固有振動の波長の短い動物)にとっては、ほんの小さな変化も大きな変化である。ということは、その動物の感じる「時間単位」は短くなければ、生き残れないだろう。逆に、サイズの大きな動物は俊敏な動きはできないわけで、その動物の「時間単位」は長くならざるをえないだろう。
 ゾウのような大きい動物は「時間単位」が長く、一見「寿命」が長いように見え、ノミのような小さな動物は「時間単位」が短く、一見「寿命」が短く見えるというわけだ。実は、ゾウもノミもその動物自身の「時間単位」を基準にすると、同じ寿命を生き抜いているということになる。

 本川達雄の中公新書「ゾウの時間 ネズミの時間」では- 体重の4分の1乗に比例して「その動物の時間単位=生理的時間」が長くなる-と述べられているが、昭和八年に既に寺田寅彦は体重は身長の3乗に比例する、逆に言えば体重は身長の3分の1乗に比例するから、「体重の3分の1乗に比例して時間が長くなるだろう」と想像を巡らせているのである。素晴らしい、想像力である。
 

 さて、寺田寅彦はロゲルギストと違って、「単位時間・大きさ」については言及しているが「信号伝達速度」については触れていない(その替わり、さらに「寿命」にまで触れているわけであるが)。もっとも、私があえて書き加えてみるならば、ある系の固有振動にはその系の中での弾性が密接に関係するし、弾性はその中での弾性波の速度も密接に関係する。つまり、ある系の固有振動の周期というものには「その系中での波の伝達速度」が暗に隠されていて、寺田寅彦は単にそれを一定とおいていたわけで、寺田寅彦が述べた内容は実はロゲルギスト達の述べた内容を包括している、と私は思うのである。
 

 このような「単位時間・大きさ・信号伝達速度・寿命」に関する話は動物に限るものではない。

  • ロゲルギストが「信号伝達速度=光速度」として、「処理速度を確保する」ための人類の行動範囲について論じたり、
  • 私(いきなり自分を例に出すのも何だが)が「信号伝達速度の変化」と「大きさ(人口)の変化」から人類の処理速度の変化について論じたり
したように、集合体に対してもその適用が可能であると思う。ここらへんは、ロゲルギスト達が寺田寅彦の想像しえた範囲を越えている部分でもあり、時の流れを感じさせる部分でもある。
 

 さて、前振りが長くなった。前回、

では、単に「信号伝達速度の変化」と「大きさ(人口)の変化」を並べて「処理速度」の変化について考えてみただけだった。今回は寺田寅彦が考えたのと同じく、「信号伝達速度」と「大きさ(人口)」から「寿命」が決まると考えることにより、「人類」の「寿命」の変化について考えてみることにしたいと思う

 まずは、前回使った「人類の大きさ=人口」の変化が次のグラフである。ただし、この人口は全然正確ではないし、むしろかなり不正確なものであることは先に断っておく。ここでは、細かな値を使うのが目的ではないので別に構わないだろう。
 

「人類の大きさ=人口」の変化

 そして、「人類」の中での「情報伝達速度」の変化を示したものが次のグラフである。この速度が「人類」という集合体の中での波の進行速度を決めるのである。
 

「情報伝達速度」の変化

 それでは、「人類」という集合体の固有振動はどうやって扱うかというと、この

  • 「人類の大きさ=人口」
  • 「情報伝達速度」
から求めることができる。「人類の大きさ=人口」をその内部での波の速度「情報伝達速度」で割った
  • 人口 / 情報伝達の速度
というものが、「人類の固有時間」の目安となるのである。この「人類の固有時間」が短くなれば、人類の時間の流れは速くなり、それに応じて見かけの「寿命」は短くなる。これが逆に、「人類の固有時間」が長くなれば、人類の時間の流れは遅くなり、それに応じて見かけの「寿命」は長くなるのである。

 その、人口 / 情報伝達の速度 = 「人類の固有時間」を計算してみたものを次に示してみよう。
 

固有「時間単位」の変化

 こうしてみると、人類というヒトの集合体においては、どんどん時間の流れは速くなり、それに応じて見かけの「寿命」は短くなっている、ということがわかる。人類はまさに生き急いでいるのである。もし、この流れを止めようと思ったら、どうしたら良いだろうか?それには、今回の計算から言えば情報転送速度を遅くするか、人類の大きさを大きくするしかない。情報転送速度を遅くするのはなんとも後ろ向き(byわきめも)だし、人口を減らすというのもなんとも後ろ向きだ。だとしたら、宇宙へでも人類が進出して、人類の空間的なスケールを大きくしていくしかないのだろうか?これもまた難しい話である。
 

 さて、最近、大好きなWEBサイトが閉鎖してしまったり、更新速度が遅くなっていたりしていて少しさみしい。だけど、もしかしたら各WEBサイトにも、「更新速度が速いと、WEBサイトの寿命が短い」なんて法則が実はあるのかもしれない。更新速度が速いということは、そのWEBサイトの固有時間が速く流れているということで、限られた寿命をどんどん使い果たしているのかもしれない。

 だとしたら、更新速度が遅いということはそのWEBサイトの寿命が長くなるということだから、それはそれで良いのかなぁ、などと思ってみたりする。「太くて短い寿命」も「細くて長い寿命」も実は本人からすればどちらも同じ長さなのかもしれないけれど、外から見ている私は「細くても良いから長く続いて欲しいなぁ」なんて思ってもみたりするのである。
 

2002-10-14[n年前へ]

金正日(キムジョンイル) ナゾの9% 

ベールの内側を垣間見るのだ


  新幹線の中で週刊文春のページをパラパラとめくっていると、数々のスクープ写真で知られる不肖・宮嶋茂樹らの「面白い金正日のグラビア特集」が載っていた。新聞によく載っているような「一見真面目だけど、当たり障りのない記事」ではなく、一風変わった視点から(も)金正日を眺めたグラビア写真集だった。それは、例えば金正日の「頭頂部の増毛の日々」を追いかけてみたり、例えば金正日ご自慢の「シークレットブーツ」も俎上に上げてみたり、というような記事だったのである。つまりは、金正日の頭のてっぺんから足先までその秘密をある意味深~く覗いた記事だったのである。

 その頃、日本にも同じように「シークレットブーツ疑惑」に襲われていた似たような「家元」世襲二代目のお坊ちゃまがいたが、金正日のそれはそれとは比べものにならないほどにワタシの興味を惹いたのだった。そして、ついにはその興味に惹かれるままにこの「シークレットブーツ疑惑」をワタシも研究してみることにしたのである。

 そもそも、不肖・宮嶋茂樹らの記事は「金正日のズボンの謎の折り目、ありゃ一体なんなんだ?」という指摘だった。確かに、その指摘通りに金正日のズボンの裾にはいつも謎の折り目がついているのである。いつも同じような服とズボンであるのだけれど、それに加えて金正日のズボンの裾には確かにいつも同じ「不可解な」折り目がついているのであった。ズボンの裾の10cmくらい上に見るからにヘ~ンな折り目がついているのである。
 

何ですか?その変な折り目は?

 先入観なしにその写真を眺めてみても、その折り目はどーにも「この高さまで妙にハイカットのブーツがありますよー、つまりはここまでがシークレットブーツの高さなんざんすよー」と主張しているようにしか見えないのである。そして、先の記事中ではその折り目の高さ辺りにホントの踵が隠されていて、その位置をズボンの裾の角度を頼りに計算してみると金正日のウソッコ身長、つまりはシークレットブーツの高さはおよそ15cmナリと算出しているのであった。

 しかし、もしかしたら、もしかしたら、その折り目は単なるズボンの作りがためについてしまっているだけかもしれない。あるいは、金正日の脚があまりに短くて、そのズボンが15cmほどズボンの内側に裾上げされているのかもしれない。その裾上げの縫い目かなにかで、いつも謎の折り目がついてしまっているのかもしれない。はたまた、金正日の王国では「裾上15cmの折り目」がカコイイとされているのかもしれないし、普通のブーツではなくてハイカットのブーツを履くべし、とされているのかもしれない。だから、ズボンのベールの外側に見える「ナゾの折り目」だけを頼りに、金正日はシークレットブーツ着用マニアだー、と騒ぎ立ててみても、万が一に間違っている可能性だって無いとはいえないのである。
 

 そこで、あえて「ズボンに残るナゾの折り目」は無視して、素直に「金正日の足の長さ」を計ってみることにした。とりあえずは、Googleのイメージ検索で集めた金正日の写真から、身長に対する股下長を計ってみることにしたのである。また、歩いているときの画像など明らかに膝の位置が分かるものについては、股下長を「膝上・膝下」に分けて画像計測してみた。
 

金正日の脚の長さを測ってみるのだ
股下長 : 43 %

膝下長 / 股下長 = 70%
股下長 : 41 %

膝下長 / 股下長 = 68%
股下長 : 40%

 上の三枚の画像で計測してみた結果では、金正日の股下長はおおよそ身長の42%弱という結果が得られる。三枚の画像から得られた結果がとても良く一致するところから、この値はまぁ信頼できると考えて良いと思う。ところで、実は短足胴長で世間にその名を知られる日本人の平均股下長でさえ44%強なのである(「日本人の人体計測データ」)。すると、金正日の股下42%弱という値よりよっぽど日本人の平均値の方が高いということになるのである。つまりは、胴長短足の日本人よりも金正日はさらに胴長短足なのである。もちろん、とてつもなく短足というわけではないが、とても金正日がシークレットブーツを履いているとはとても思えない脚の短さなのである。

 ということは、裾下15cm上でその存在を主張する「ズボンの奇妙キテレツなシワ」は金正日の脚の短さ故にズボン内部に大幅に折りたたまれている裾上げのせいなのだろうか?「シークレットブーツ疑惑」は冤罪であって、それは単に哀しき短足の証拠なのだろうか?どんなズボンも全てが全て長すぎて必ず裾上げが必要で、その裾上げの証拠が必ずズボンに現れてしまっているのだろうか?金正日の「シークレットブーツ疑惑」は事実無根であったのだろうか?

 いいや、違うのである。上の左二枚の写真をじっくり眺めるまでもなく、股下長の割に膝下長がやたらめったら長いのである。異常と言っても良いほどに膝下が長いのだ。日本人の場合、(膝下長/ 股下長)の平均は約60%である。金正日は別に日本人ではないが、この金正日の約69%という値はあまりに異常なのである。もし、日本人の場合と同じように(膝下長/ 股下長)が60%であるとしたら、ホントの膝下長を x ( % ) とすれば

x / ( x+ 13) == 0.6
x = 19.5
であるから、金正日の膝下長は約29%ではなく約20%でなければならないのである。じゃぁ、その29%から20%に減った9%は一体何だろうか?あまりに不可解な「股下にあるけど膝下じゃない、靴の上にあるけど人体じゃない、それは何かと問われてしまう」ナゾの9%の高さが一体何かというと、それはもちろんシークレットブーツの高さに決まっているのである。金正日の身長を仮に165cm位とすれば、人間形状の平均値をもとに言えば、そのおおよそ9%= 15cmがシークレットブーツの高さである、ということになるのだ。

 そう、何と不肖・宮嶋茂樹らが「ズボンの裾の角度を頼りに計算されたシークレットブーツの高さ= 15cm」という結果とピッタリ一致するのである。方や、ズボンの裾に浮かび上がる「ズボンの奇妙キテレツなシワ」から推定したシークレットブーツの高さと、胴長短足の日本人の平均値から推定された「股下にあるけど膝下じゃない、靴の上にあるけど人体じゃない」ナゾの9%の高さが見事なまでに一致するのである。金正日のシークレットブーツの高さは15cm程度であると、複数の別の手法から確認されてしまったわけなのである。

 というわけで、今回の研究から「金正日はムチャクチャ短足で、15cmもの高さのシークレットブーツを履いてみても、なおまだ胴長短足の平均的日本人よりもまだまだ股下長が短いのだ…」という哀しい真実が、金正日のズボンの裾のベールの内側から浮かび上がってくるのである。
 
 

あまりにアブナイ、15cm高のシークレットブーツを履いた状態での階段降り。
まるで膝と踵の間にもう一つ関節があるような…。
そして、後ろに控える人たちの「心配そうな視線」が金正日の足下に集中しているような…?

 ところで、上の写真は「あまりにアブナイ15cm高のシークレットブーツを履いた状態での金正日の階段降りのシーン」である。まるで、金正日には膝と踵の間にもう一つ関節があるような不自然で奇妙な脚の形に見えてしまうのだ。そして、後ろに控える人たちの「心配そうな視線」が金正日の足下に集中しているような気がしてしまうのである。
 こんな奇妙な歩き方を眺めていると、ベールの内側の不自然でウソッコな足下に気をつけて欲しいな、と強く強く思うのである。

2003-03-23[n年前へ]

「湯冷め」を防ぐ「上がり湯」のヒミツ!? 

手の冷たい女は心が温かい?

 大学に入学してすぐの頃、京都のホテルで清掃・ベッドメイクのアルバイトをしていた。しかし、京都のホテルとは言っても、それは決して京都ホテルでもなければ、都ホテルでもなかった。まず、ホテルの駐車場の入り口には何故かビニールの「暖簾」がかかっており、京都にある割にはまるで白雪姫が眠っていそうなメルヘンチックな作りの建物で、そしてその値段設定も休憩一時間2980円~というまるでユニクロのようなディスカウント価格設定で、一泊二万五千円~というような京都の由緒あるホテルなどとはまるで別世界の「ホテル」だったのである。もう少し正確に言うならば、ワタシがバイトをしていたのは単に京都インター・チェインジ近くにあるホテルだったのである。つまり、結局のところワタシは京都I.C.のラブホテルで清掃のバイトをしていたのだった。

 そのバイトは「昼の一時から夜の一時まで」という十二時間労働で時給千円=トータル一万二千円ナリで、労働時間は決して短くはないけれど、単純作業で1日で一万円を超える収入は学生にはとても魅力的だった。だから、喜んで下宿から自転車で一時間程かけて京都I.C.のラブホテルまで行って、情けなくも自転車でホテル入り口のビニールの「暖簾」をくぐり、ホテルの中で十二時間ほど汗を流した後に(もちろん仕事に、だ)、帰りもまた自転車で一時間かかって下宿まで帰っていたのである。そして、ホテルへの客の入りが悪かったりした時には、そのホテルの空き部屋でシャワーを浴びて帰ったりもした。とはいっても、京都の夜は本当に底冷えするので、下宿に向かって自転車を一時間も漕いでいる間に湯冷めしてしまって、骨の芯まで(自転車でラブホテル街を出るときには何故か心までも)冷えてしまったりするのである。

 そんな湯冷めしそうな寒い日には、一緒に働いていた同僚のおばちゃん達から必ずと言って良いほど

「湯冷めしないように上がり湯をちゃんとしていきなさい」
と言われていたのである。上がり湯というものを知らない無知な私に、おばちゃん達は
「シャワーを浴びてお湯で体が温まったら、その後ちゃんと水を浴びなさい」
「体が冷えないように、最後に水を浴びなさい」
と言い続けたのである。しかし、中途半端に理屈っぽいワタシは「体を温めるのに、何で冷水を浴びなあかんねん(ホントは関西弁じゃないけど)」「冷水なんか浴びたら、ますます体が冷えるっつーねん」 と(心の中でコッソリ思いながら)、上がり湯を浴びずに「上がり湯するとホンマ体が冷えませんなぁ」とウソをつきながら、そのまま下宿まで自転車をこぎ続け、そして帰宅する頃にはいつもワタシは骨と心の芯まで湯冷めしていたのであった。そして、自転車を漕ぎながら、ガチガチ震えつつ時折は「もしかしたらおばちゃん達の言っていることはホントなのかもしれん…?」と考え込んでみたりしたのである。
 

 しかし、そんな「冷水なんか浴びたら、ますます体が冷えるっつーねん」 と毒づいていた頃のワタシは、無知だったので「もしかしたらおばちゃん達の言っていることはホントなのかもしれん…?」と考え込んでみたりしてもそれを確認することができなかった。しかし、その後、ワタシは大学で熱伝導方程式などを学び、卒業のために家政学の単位を稼がなければならなかったので、今ではおばちゃん達の「上がり湯をすれば湯冷めしない」説の真偽を科学的に計算できるようになったのである。そこで、今回は試しに、下のように指先を単純化して、「お風呂に入った後、冷えていく様子」を計算してみることにした。
 

 下の図は指先の断面で(そうは見えないかもしれないが)、(白 = 空気、黄色= 脂肪、橙 = 筋肉、灰色 = 骨)というようにモデル化されており、筋肉と脂肪の中は不図示の血管が通っている。そして、骨・筋肉・血管・脂肪の密度はそれぞれ1300,1150,1055,920 [kg/a]、比熱はそれぞれ2.1, 3.8, 3.8, 2.5[J/kg K]、熱伝導率はそれぞれ8.2, 1.6, 1.7,0.7 [W/m K]という物性値を持っている。そして、体内の熱移動は熱拡散と、血液の移動による直接熱移動によって行われるものとしてみて、指先の熱移動のシミュレーションをしてみることにしよう。。
 

(誰がなんと言おうと)モデル化された指先
白 = 空気
黄色 = 脂肪
橙 = 筋肉
灰色 = 骨

 さて、とりあえず風呂にゆっくり入って、体をホカホカ温めて(上の図の)指の骨の芯まで38℃位に温めたとしよう。そして、アマノジャクなワタシが「上がり湯」を浴びずに、その真っ赤にアッチッチになったホカホカ体のまま自転車に乗って、指先が周囲の京都の10℃の冷たい空気で冷えていくシミュレーションをしてみる。

 すると、例えば指の皮膚表面と骨の中心の温度の時間的な変化のシミュレーション結果は下のようなグラフになる。皮膚の表面の温度は冷たい風に冷やされて徐々に温度が下がり、計算終了時には指の皮膚表面の温度は35℃程度になっている。そして、それにつれて指の骨の中心の温度も下がっていく。最初は温度が38℃だった骨の芯も、計算終了時には36℃程度にまで下がってしまっている。そう、かつてのワタシのように京都の寒さに「湯冷め」してしまい、確かに体の芯まで冷えてしまっているのである。
 

皮膚表面と骨の中心の温度の時間的な変化
(上がり湯をしなかった場合)

 じゃぁ、素直におばちゃん達の言うことを聞いて上がり湯をしたらどうなるだろうか?まず、冷たい水(上がり湯)を浴びたならば体がビックリして血管が収縮してしまう。だから、血液の移動による直接熱移動の分を例えばゼロにしてしまうことにしよう。すると、「上がり湯」を浴びた場合の皮膚表面と骨の中心の温度の時間的な変化は下のグラフのようになる。
 

皮膚表面と骨の中心の温度の時間的な変化
(上がり湯をした場合)

 指先の血管が収縮して、指先の血行が悪くなっている分、どんどん指先の皮膚表面の温度は下がってしまっている。計算終了時には何と30℃程度まで下がってしまっている。上がり湯を浴びなかった場合より、よっぽど指先の温度は冷たいのである。これでは、かなり冷たそうで辛そうである。やっぱり、おばちゃん達の言っていることは間違っていて、かつてのワタシが「冷水なんか浴びたら、ますます体が冷えるっつーねん」 と考えたのが正しかったのだろうか?いや、決してそういうわけではないのである。何しろ、この上の図をよく見てみれば、指の骨の芯はまだまだホカホカの38℃であることが判る。何と、体の芯はまだ冷えていないのだ。
 

 そこで、もっと詳しく計算終了時の「指先の断面の温度分布」を眺めてみることにしよう。それが下の図である。
 
 

指先の断面の温度分布 (中心が骨、左右端が皮膚表面)
(アマノジャクに上がり湯を浴びなかった場合)
(素直に上がり湯を浴びた場合)

 アマノジャクに上がり湯を浴びなかった場合は、指先が一様に冷えてしまっているのに対し、素直に上がり湯を浴びた場合には皮膚表面の温度は下がってしまっているが、冷えているのは指の表面近くの脂肪の部分だけで、筋肉も含めた指の芯は以前ホカホカ・アッチッチのままなのである。脂肪は筋肉に対して熱を伝えにくいので、表面の脂肪部分が冷たくても、その内部はずっとアッチッチのままなのである。

 つまり、上がり湯を浴びた場合と浴びない場合では、

  • 上がり湯を浴びないと、(比較すれば)指先は暖かいけど指の芯は冷たい
  • 上がり湯を浴びると、(比較すれば)指先は冷たいけど指の芯は暖かい
という指先の温度と指の芯の温度の間で逆転現象が起きており、一見冷たそうに思える「上がり湯」を浴びることで、何と「湯上がりのポカポカ気分」がずっと長続きすることが判るのである。「冷水なんか浴びたら、ますます体が冷えるっつーねん」 と毒づいていたワタシはたんに無知なヤツだったのである。京都のおばちゃん達が繰り返しワタシに言って聞かせた(ワタシは言うことを結局聞かなかったわけであるが)、「湯冷め」を防ぐ「上がり湯」のヒミツはとても科学的にも当たり前のことだったのである。昔から伝わる知恵は(別におばちゃん達が古いというわけではない)、やはり正しいことが多いのである。昔から伝わる知恵や諺をバカにしてはイケナイのである。その「湯冷めを防ぐ上がり湯のヒミツ」を学んだのが、実はラブホテルのバイト帰りであったにしても、そんな知恵や諺をバカにしてはイケナイのである。
 

 ところで、昔から伝わる知恵や諺をバカにしてはイケナイと言えば、ワタシはふと思うのである。「手の冷たい女は心が温かい」という迷信と思われがちな諺だって、実はとても物理的に正しいことを言っているのでは無いだろうか?素直にこの「手の冷たい女は心が温かい」という文言を読んでみれば、これは「手(体の表面)の冷たい女は心(体の芯)が温かい」という人体内部の熱伝導現象を的確に表現した実験結果であったように読めるに違いないのである。血行不良で冷え性(といっても実は表面だけが冷えている)な女性、しかも男性と比較した場合には脂肪が多い(つまり断熱材を体に巻いているのと同じ)女性は、

  • 手の表面は冷たいけれども、実は体の芯(=心)は暖かいのだ
という実に科学的な現象を的確に表した言葉なのである(ウソ)。というわけで、真偽はともかく「手の冷たい女は心が温かい」という諺は科学的に100%正しいのだ、というトンデモ説を今回ワタシは提案してみたいのである。

 このトンデモ説を踏まえ、これから女性の手を握りながら「キミの手は冷たいね」「ということは心が温かいんだね」とロマンチックに話をするような時には、ぜひぜひココロの中で「(といっても、単にそれは熱移動の物理的な話なんだけどね)」と考えてみて頂きたい(あくまでココロの中で)、と思うのである。もちろん、そのココロの中の独り言が女性に読みとられた結果、アナタがその女性の冷たい手で叩かれたとしても、ワタシは一切関知しないつもりなのである。

2003-10-19[n年前へ]

さらば、大艦巨砲主義。 

鍵はオトコのヤング率?


 海外でトイレに入ると、高い位置にある小便器に四苦八苦することが多い。私が小柄なせいもあるのだけれども、何しろ便器の高さがほとんど股の位置と同じくらいだったりするのである。しょうがないから、そんな時は放水を行う「大砲」の角度を若干上側に調整して、小便が描く放物線を上手く調整しながら放水を行うことになる。そんな風に神経を使う放水作業を行っていると、「もう少し小柄な人のことも考えてくれぇ」となんだか腹が立ってきたりもするのである。

 しかも、そんな位置が高すぎる便器には大抵"AmericanStandard"なんて刻まれていて、人の気持ちをさらに逆なでしたりするのだ。もちろん、それは単に便器メーカーの社名であるのだけれど、それでも"AmericanStandard"だなんてと言われて良い気持ちがするわけはないのである。「この高さがアメリカの標準デ~ス。アナタの大砲の取り付け位置は低すぎデ~ス」と便器にバカにされているような気になってしまい、思わず「それは余計なお世話デ~ス。アメリカの標準を他人に押しつけないでほしぃのデ~ス!」と思わず便器に言い返したくなったりするのである。
 

便器の視線位置に
"American Standard"と刻まれている

 
先日、やはりそんな風に"AmericanStandard"な便器に向かってハラを立てながら「大砲」の角度を調整しながら放水作業をしている時に、ハラが立つあまりにとてもヘンなことをワタシは考えはじめた。

 確かにアメリカンな標準大砲は「取り付け位置」も高いし、大砲は長くて口径も大きい(コーラ瓶のような巨砲を持つアメリカンAV男優を参考にするならば)。そのせいで、射程距離だって確かに長く、高い便器でも全く苦労しないかもしれない。しかし、必ずしも大砲がデカけりゃいいってわけでもないのではないハズである。例えば、かつて我が日本は大艦巨砲主義に固執し巨大戦艦「大和」を作り上げたわけだが、その大艦巨砲主義が時代の流れに取り残されてしまったことは「戦艦大和」の悲劇が証明している通りである。それと同じように、放水の「大砲」におけるアメリカンな「大艦巨砲主義」だって、時代の流れ・時の流れに取り残されることがあるのではないだろうか、と思ったワケなのである。「これがアメリカの標準サイズなのデ~ス」という言い放つブッシュ大統領率いるアメリカン大艦巨砲主義だって時代の流れ・時の流れを考えれば、何処かに「落とし穴」があるのではないだろうか、とワタシは考えたのである。つまりは、高すぎる便器にハラを立てたあまりに、ワタシはなんとかアメリカン・スタンダードな大艦巨砲主義になんとか「落とし穴」を見つけようとしたわけである。

 そして、ワタシが考え出したものがかねてから宿題のままワタシが決して手を付けようとしなかった「オトコのヤング率(物質の堅さを示す係数、応力に対してどの位歪むかを示す)」だったのである。かつてワタシは、人体の柔らかさを「人体におけるヤング率」という物理係数を導入することで、さまざまな人体に関する物理現象を解明することができると提唱したわけであるが(オッパイ星人の力学- 胸のヤング率 編 - を参照のこと)、今回は小便を発射する大砲の強度を定めるオトコのヤング率を考えることで、アメリカが「標準サイズ」と言い放つ大艦巨砲の「落とし穴」を見いだそうとしたのである。鍵はオトコのヤング率なのである。
 

 そのアメリカンな大艦巨砲の「落とし穴」を説明するために、まずは人体におけるヤング率の定義をもう一回おさらいしてみよう。人体におけるヤング率とは人体の柔らかさを定義する係数であって、それは年齢に比例する係数である。人体におけるヤング率は若いときは堅く(ヤングで)、年をとるに従って柔らかくなる(ヤングでなくなる)のである。そういうわけで、例えば胸のヤング率を考えれば、当然若い女性の胸は垂れないけれども、おばあちゃんの乳が垂れていったりするわけである。そして、それと同じように当然オトコの大砲におけるヤング率というものもあるわけで、試しにヤングなヤング率を持つ「ジャパニーズな小砲」と「アメリカン・スタンダードな巨砲」を有限要素法で変形計算をしてみたものが下の二つのグラフである。
 

ヤングなヤング率を持つ「ジャパニーズな小砲」と「アメリカン・スタンダードな巨砲」
長さ = 10cm
長さ = 15cm

 もしも、大砲の取り付け位置の高さが同じであれば、「ジャパニーズな小砲」に比べて「アメリカン・スタンダードな巨砲」は長いぶんだけ、発射口の位置も高い。だから、当然ターゲットがいくら高い便器であっても百発百中で狙いを外さないに違いない。それに対して、「ジャパニーズな小砲」は発射口の位置が低く、ターゲットたる便器を外してしまうことも多いように思える。確かに、小便における大艦巨砲主義は間違っていないように思えることだろう。

 しかし、である。時代の流れ・時の流れを考えるならばどうだろうか?女性のオッパイが年を経て時が流れるに従って、堅くなくなり垂れてくるように、男性の「大砲」だって時が流れ年を経るに従って哀しいけれど堅くなくなってくるのである。さまざまなシチュエーションでそのオトコのヤング率は問題になるわけであるが、とりあえず便器に向かって放水活動を行うときだってそのヤング率は問題になるわけである。というわけで、例えば時を経てヤングでなくなった「大砲」がどう変形するかを同じように計算してみたものが、次の二つのグラフである。
 

年を経たヤング率を持つ「ジャパニーズな小砲」と「アメリカン・スタンダードな巨砲」
長さ = 10cm
長さ = 15cm

 短いがそのぶん時を経ても変形量も少ない「ジャパニーズな小砲」に対して、時代が流れヤングでなくなった「アメリカン・スタンダードな巨砲」はひどく変形してしまっている。巨砲の台座たる根本を固定して遙か上に向かって放水を行ったにしても、アメリカンな巨砲の先端は変形して下を向いてしまっているのである。そうとなれば、大砲から発射される放物線も低い弾道を描き、小便は遠くまで飛ばないわけで、アメリカンな巨砲主義から発射される小便は"AmericanStandard"のターゲットを外すかもしれないのである。しかし、それに対して質実剛健な竹ヤリのような「ジャパニーズ小砲」はほとんど曲がることもなく、失礼な"AmericanStandard"便器をヤングな時代と同じように打破することができるかもしれないわけなのである。
 

 …と、こんな「オトコのヤング率」についてワタシは放水作業をしながら考えたのであるが、ふと我に返ってみれば私たちは別に便器を前に飛距離競争をしていたのではないのであった。そもそも、ワタシと違って股位置の高いアメリカンは大砲の角度を上に向ける必要はないのである。取り付け位置の高い大砲ならば、別に大砲が下を向いていたってちゃんと便器内に放水ができるわけなのである。哀しいけれど大砲の取り付け位置の高さが違うということは絶対的な差を持つのである。

 というわけで、いくら時代の流れ・時の流れを考えても、ワタシはいつまで経ってもアメリカン・スタンダードな便器に苦労し続けるだろうし、背の高い「アメリカン・スタンダードな巨砲」達はいつまで経っても軽々とダンクシュートのごとく小便を便器に命中させ続けるに違いないのであった。ワタシが「さらば、大艦巨砲主義」といくら言ってみたところで、しょせんは虚しい遠吠えなのである。かつて、我が日本の大艦巨砲主義は時代の流れに取り残されてしまったけれども、残念ながらアメリカン・スタンダードな便器における大艦巨砲主義の時代はまだまだ続いてしまうのであった。

2004-09-14[n年前へ]

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