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1999-06-27[n年前へ]

それを決めるのは誰だ? 

見えない「有害サイト指定」の疑惑



 今回は全て三人称で語られるハードボイルドな話である。あるサラリーマン、ここでは「彼」と呼ぼう、の実験と、考えを書く。

 今回の話の前段階として、
リモートカメラから世界をノゾこう!-Macintosh用カメラ制御プログラムを作る- (1999.06.26)
がある。この話の中に
MAQ?MAK?MAC! ( http://www.maqmakmac.com/)
へのリンクがある。ところが、彼の職場からはそのサイト、MAQ?MAK?MAC!を見ることができないというのだ。彼は会社内のLANとは別のルートでMAQ?MAK?MAC!へアクセスすることが多かったので、なかなか気づかなかったのだ。


www.maqmakmac.comは表示されない

 彼の頭にある疑いが生じた。彼はその疑念を確かめるために、tracerouteでwww.maqmakmac.comのIPアドレスを直接調べることにした。彼の指はキーボードを叩く、
tracert www.maqmakmac.com (Windowsマシンである)

tracerouteでIPアドレスを調べた

これでIPアドレスはわかった。彼は職場のマシンからwww.maqmakmac.comのIPアドレスを直接指定した上でアクセスを試みた。すると、彼の想像通りWEBの内容がきちんと表示された。「DNSがうまく動いていないないんじゃないの」という人がいるかもしれないが、そうではない。他のアドレス(後述する例外を除いて)に関しては問題ないのである。

IPアドレスを指定してやるときちんと表示される

彼の(疑いつつも)立てた仮説: www.maqmakmac.comを彼の勤務する会社は「有害サイト」として認識し、社内からwww.maqmakmac.comへのアクセスをブロックしている。

 もうすこし、判りやすく説明するとこうなる。
 彼の勤務する会社内のLANから社外へのGateWay内で登録された「有害サイト」のアドレス(URL)を検知して、アクセスをブロックするというシステム(URL検出法)を用いているのである。もしも、会社内からwww.maqmakmac.comというアドレスへのアクセス要求があったら、「駄目だよ」とその要求を蹴ってしまうのである。
 しかし、www.maqmakmac.comというアドレスでフィルターをかけているので、IPアドレスを直接指定してやると、フィルタを通りぬけて、アクセスをすることができるのである。

彼の知る限りでは、明らかに彼の会社内で全社的にブロックされてしまうアドレスが確かにある。それが恐らく参考になるだろう。例えば、こういったサイトである。

明らかにブロックされてしまうサイトの場合

おやおや、画面表示が少し異なる。ということは、意図的にブロックしているわけではないのか? あるいは、ブロックしている個所が違うのか? これだけではよくわからない。集まってきた情報によると、他の地域の部署ではwww.maqmakmac.comに関しては読みに行けるようだ。

URL規制プログラムで有名な
http://www.cyberpatrol.solution.ne.jp/
の指定する例によれば、「有害サイト」は

  • 暴力/精神的、肉体的(画像または文章)
  • 部分的ヌードと芸術
  • 全裸
  • 性的行為(画像または文章)
  • 下品、残酷な描写(画像または文章)
  • 差別、偏見(画像または文章)
  • 悪魔崇拝、カルト(画像または文章)
  • 麻薬関係(画像または文章)
  • 武器、過激派(画像または文章)
  • 性教育(画像または文章)
  • ギャンブル、違法行為(画像または文章)
  • アルコール、タバコ(画像または文章)
であるとしている。本WEBも含めて個人が開いているサイトは「偏見」に関しては多少なりとも出るのは当然ではある。それも個性の一つだからだ。偏らない見方などありえない。しかし、それは問題になるような程度ではないと思う。また、そういう偏りを排除して何かが得られるとは思えない。

こういったURLアクセス規制は今回の例に留まらない。どこの組織でもあることなのかもしれない。こういったネットワークにからむ問題についてはもう少しオープンにして考える必要があるのではないだろうか。

 彼はタバコを深く吸い込み、事件簿を閉じて、そして呟いた。「これ以上の真偽は確かめようがない...」

1999-10-01[n年前へ]

五色不動のワンダランド 中編 

青と白の結界

 前回までのあらすじ

 江戸を守っている五色の結界、すなわち、五色不動を捜し求めて、私はさまよい歩いてみることにした。まずは、目黒不動をたずね、次なる青の結界をたずねるのであった。

 さて、目青不動の場所を示す。といっても、地図が古いので現在目青不動尊が在る場所とは違う。この地図では、渋谷駅の東の方角のあたり青山である(といっても、地図上に駅など無いが...)。したがって、現在は山手線の内部の場所ということになる。しかし、現在は三軒茶屋の裏に移転している。

目青不動尊の辺り

人文社 「江戸切絵図で見る幕末人物事件散歩」より
 目青不動である教学院は現在は三軒茶屋へ移転している。しかし、この地図では渋谷の東にある。この地図を頼りに探し回りえらい目にあった。ちゃんと、「虚無への供物」通りに行っとけば良かった。なまじ地図を信用してはいけない。
 

 地図を拡大したものを示してみる。「教学院」が探している目青不動である。

目青不動の地図の拡大

 さて、最初は渋谷の辺りを探してしまい、ずいぶん時間をロスしたが、結局三軒茶屋の方へ行き、やっと目青不動に辿りついた。その目青不動尊はこんな感じである。撮影した写真を示す。

目青不動尊

 広い境内に歩み入りながら、...青い薔薇 - 目青不動- そして ...
「虚無への供物」

 灯りに照らされた不動明王はとても不思議な雰囲気に満ちている。三軒茶屋の駅裏であるが、人通りは全く無い。まさにタイムカプセルの内側に入りこんだ気分だ。

 中を覗くと、絶妙に照らされた不動がいる。少し、恐ろしい。これは間違い無くワンダランドの入り口である。

 三軒茶屋の裏に今もこんなワンダランドが存在しているとは実に素晴らしいことである。

 さて、次は目白不動である。いいかげん、ここらへんで疲れが出てくる。いや、本当に歩き回っているのだ。文章を読むと何の問題も無いように思われるかもしれないが、実はかなりさ迷っているのである。やはり、持っている地図がやはり古すぎるのである。

目白不動

目白不動の場所

目白不動周辺の拡大

 そして、案内板はいっぱいあるのだが、ミステリのようにミスリードをしてくれるのだ。いや本当にだまされた。精神的にも、疲れてしまう。まだ三つめだというのに。

目白不動尊

 車は千歳橋のところで上の目白通りへ出ると左へ折れたが、見るとも無く窓の外を見た亜利夫は、ふいに短く声をあげた。...
「あれァ目白不動でさあ」
「虚無への供物」

 学習院大学のすぐ近くである。案内板に従って辿りつこうとすると、ものすごい遠回りになる。
 それはまるで、ミステリー小説の構成が実体化したかのようである。一回は目指す場所(真実)の近くを通りながら、迂回してしまうのである。

 いいかげん疲れてきたところで、次は後編

1999-12-21[n年前へ]

恋の力学 

恋の無限摂動



クリスマスが近くなると、街のイルミネーションが綺麗に輝き始める。いかにも、ラブストーリーが似合う季節である。そこで、今回は、"Powerof love"、すなわち、「恋の力」について考えてみたいと思う。「恋の力」により、人がどのような力を受け、人がどう束縛されるのか、などについて考えみたいのである。また、恋に落ちたカップルがどのような行動をするのかについて解析を行ってみたい。

「できるかな?」では以前、

において、カップルが他のカップルを意識する力について考えたことがある。カップル同士の間に働く斥力を考えることにより、鴨川カップルの行動を考えてみた。それと同様に、今回はひとつのカップルのみを考え、その中に働く力を考えてみるのである。ひとつのカップルの「男」と「女」の間にどのような力が働くかを考えるのである。

そういうわけで、今回の登場人物は「男」と「女」である。その二人は「恋に落ちた二人」である。二人の間には「恋の力」が働いているのだ。その二人の間に働く「恋の力」について考察することにより、恋に落ちたカップルの行動について考察を行ってみることにする。

といっても、「恋の力」を精密に測定した報告例は未だ存在しないので、ここでは適当な値を用いていくことにする。「恋は距離に負けない」とか「遠くて近きは男女の仲」などとははよく言われる。そこで、距離によらないと近似した。また、「遠くて近きは男女の仲」の意味を考えれば、恋の力は無限遠まで働く力である、と考えるのが自然である。
そこで、今回の「恋の力」は距離に関わらず一定であると仮定した。距離=rとした時に-r/Abs[r]の大きさで「相手に惹かれる」ものとした。仮に第一種「恋の力」(仮称)とでもしておく。

今回は「恋の力」は距離によらないものとした。しかし実際は、(通所の距離においては)「男」と「女」は距離が近いほど惹かれ合うし、離れてしまうと惹かれ合う力は弱くなるというのが自然であると思われる。そこで今回の第一種「恋の力」(仮称)は、あくまで大雑把な近似ということにしておく。

恋する二人の間に働く力をもう少し正確に記述しておくと、

  • 「恋の力」 = - 「相手の魅力」 * 「二人の間の距離ベクトル」 / 「二人の間の距離スカラー」
であり、恋する二人には「(hiraxの)恋の運動方程式」
  • 「恋の力」=優柔不断度 *  「恋の加速度」
が成立する。ニュートンの運動方程式に少し似ているが、かなり異なるものである。ニュートンの運動方程式との違いは、「質量」にかわるものが「(hiraxの)恋の運動方程式」においては、「優柔不断度」
であることだ。心がトキメいてもなかなか行動を起こすことが出来ない人がいるだろう。そういう人は「優柔不断度」が高いというわけである。恋の行動における慣性を示すパラメータである。

また、今回は空間を1次元であると簡略化してみた。1次元の空間の中で「男」と「女」が動き回るのである。その時間的変化を調べてみるのだ。従って、シミュレーション結果は空間軸が一次元+時間軸一次元で、合わせて2次元となる。

さて、この「恋の運動方程式」を解くことにより、恋する二人の行動は予測することが可能となるわけだ。試しに、その計算サンプルを示してみる。なお、今回は時間方向で数値的に逐次解を求めている。

初期状態は

  • 「男」位置=5, 速度=0,魅力=100,優柔不断度=10
  • 「女」位置=0, 速度=0,魅力=100,優柔不断度=10
とした。すなわち、「男」も「女」も二人とも停止した状態で恋に落ちたのである。「二人は立ち止まって恋に落ちた」というやつである。一番良くあるパターンであろう。もちろん、「すれ違いざまの恋」といったような初期速度を持つ恋愛パターンも存在するが、今回はパスしておく。
位置や時間の単位は任意単位である。「0」と「5」は東京と大阪であっても良いし、ロンドンとニューヨークであっても良い。あるいは、実空間でなく精神的な空間と考えてもらっても構わない。すなわち、心の動きを示しているものとするのである。
また、二人の「魅力」や「優柔不断度」は対等である場合だ。その結果を下に示す。このグラフは縦軸が空間位置であり、横軸が時間である。黒線が「男」であり、赤線が「女」である。
 
恋する二人の軌跡(「男=黒」と「女=赤」が対等な場合)

「男」と「女」が同じように相手の方向へ向かっているのがわかると思う。これが「恋の無限摂動」である。こういった「恋の無限摂動」の代表的なものには「君の名は」の主人公達の動きなどがある。恋に落ちた二人が、延々とすれ違いを続ける物語である。これは、この「男」と「女」の行動そのものである。

この計算結果では「男」と「女」が糸を紡いでいるようにうまく絡みあっているのがわかる。「恋の無限摂動」の幸せなパターン例である。これは、「男」と「女」が対等であったことがその一因である。

その証拠に、「男」と「女」が対等でない場合の計算結果を示してみる。次に示すのは、

  • 「男」位置=5, 速度=0,魅力=10,優柔不断度=10
  • 「女」位置=0, 速度=0,魅力=100,優柔不断度=10
の場合である。すなわち、「男」の魅力が「女」の十分の一である場合だ。
 
恋する二人の軌跡(「男=黒」の魅力が「女=赤」の1/10の場合)

「男」が右往左往するのに対して、「女」はほとんど動いていないのがわかると思う。おそらく、この場合には「男」と「女」の「心」もこれと同様のパターンを示しているものと思われる。すなわち、「男」の「心」は揺れ動いているのに対し、「女」の「心」はほとんど動いていないのである。

先の例と異なり、これは実に不幸な計算例である。不幸ではあるが実際によくある例であると思う。以降、これを「男はつらいよ」パターンと呼ぶことにする。「女」に「男」が振り回されているパターンだ。もし、奇跡的に結婚などしても、将来どうなるかは火を見るより明らかである。

それでは、「男」と「女」の「魅力」が同等で、かつ、とてもスゴイ場合を示してみる。すなわち、ドラマの主人公達のようにとてつもなく魅力的な二人が恋に落ちた場合である。一般人とは違う二人が恋に落ちたら、果たしてどのような行動を示すのであろうか?この場合のパラメータは以下に示す、

  • 「男」位置=5, 速度=0,魅力=1000,優柔不断度=10
  • 「女」位置=0, 速度=0,魅力=1000,優柔不断度=10
である。
 
恋する二人の軌跡(「男=黒」、「女=赤」の魅力が両方1000の場合)
この場合、見てわかるように「男」と「女」は激しい動きをしながら、絡み合う。芸能人で言うならば、小柳ルミ子夫妻の場合などが挙げられる。まるで、激しいダンスのように「男」と「女」は絡み合うのである。
「魅力ある二人が恋に落ちた場合には、あまり近づかない方が良い」という教訓をここから得ることができる。

最後に、「男」と「女」の二人ともにあまり魅力がない場合である。パラメータとしては、

  • 「男」位置=5, 速度=0,魅力=2,優柔不断度=10
  • 「女」位置=0, 速度=0,魅力=2,優柔不断度=10
の場合である。
 
恋する二人の軌跡(「男=黒」、「女=赤」の魅力が両方2の場合)

これなど「恋」と言えるのかどうかもわからない位である。ほとんど、「ただすれ違っただけの相手」である。これがさらに進むと、魅力がお互いに0同士のパターン、

  • 「男」位置=5, 速度=0,魅力=0,優柔不断度=10
  • 「女」位置=0, 速度=0,魅力=0,優柔不断度=10
の場合となる。下に示すように、
 
恋する二人の軌跡(「男=黒」、「女=赤」の魅力が両方0の場合)

これっぽっちも「男」と「女」は「恋」に落ちていないのである。これではカップルの「男」と「女」ではなく、単なる他人である。

さて、今回は行わなかったが、カップルに「恋のエネルギー損失」を導入することにより、「恋の無限摂動」を減衰させることができる。それにより、現実のカップルの行動にさらに近づくことができるのではないかと、私は考える。何らかの抵抗が生じることにより、「恋の無限摂動」が減衰するのだ。そして、二人は接近した状態で停止するわけだ。

さて、今回の登場人物は「男」と「女」だけであった。しかし、現実でも、ドラマの中でも、通常は多くの登場人物が登場する。登場人物が「男」と「女」だけというような理想的な条件のみではない。
人の恋路を邪魔する(主人公からすれば)ヤツも必ず登場する。また、特定の登場人物の間では斥力が働くだろう。そのような場合、一体どのような現象が生じるのだろうか。

そもそも、今回の恋する二人の行動パターンは予測可能であったが、現実そのようなことがあるだろうか?果たして、未来の行動パターンは予測可能なのだろうか?色々な登場人物が現れる場合にも、今回の結論は成立するのだろうか?

それらは次回の課題にしておく。題して、「恋の力学 三角関係編- 恋の三体問題- (仮称)」である。「恋の力」を一般化し、多体問題として解いてみたいのである。恋する人達とその周りの人達がどのような行動をするか、恋の三角関係においてどのような力が働いているのか、について解析を行ってみたい。今回は、そのための前準備というわけである。
 

2000-05-14[n年前へ]

恋する心を見てみたい 

恋のきっかけはどの出来事?


 まずは、簡単な背景から... 今回の話は

を元に大幅に書き直したものである。少し思うところがあって書き直した結果、まったく別物になってしまった。そこで、ここに登場する次第である。以前の話の場合は、「恋のインパルス応答」という言葉を思いついて、最後におまけのように書いてみたわけであるが、今回はそれをメインに書き直してみたのである。



 
A子:「あのさ、アイツほんと酷い男よ。」
A子:「なんで、あんな男好きになったの?」
B子:「そんなこと言われても、私にだって判るわけないじゃない。」


 TVドラマを見ていると、時々こんな会話が流れる。登場人物は二人の女の人、舞台はバーのカウンターや旅先や、とにかく日本全国津々浦々である。そして、話をしている雰囲気は真剣そのものである。きっと、B子は悪い男を好きなっていて苦労しているのだろう。そして、きっとB子の親友であるA子が、悪い男に騙されている「恋する心」で一杯のB子を諭しているところなのだろう。

 本当のところ、こんな会話が巷に溢れているのかどうか、私は知らない。そりゃそうだろう。私は男であって、女の人が二人というシチュエーションは全然立ち会える筈がない。じゃあ、同じような会話を私ができるかというと、それもやはりできないのだ。論より証拠、もし私がそんなことを言ったらどうなるだろうか?

私:「あのさ、アイツほんと酷い男だよ。」
私:「なんで、あんな男好きになったの?」
B子:「そんなこと、何でアンタに言われなきゃならないの?。」
私:「いや、ちょっと…」
これは相手が女の人だからで、男なら大丈夫だろう、と言われるかもしれない。しかし、そっちの方が実は質が悪い。
私:「あのさ、アイツほんと酷い女だよ。」
B男:「なんで、オマエがそんなこと知ってんねん?」
私:「いや、ちょっと…」
これはとても危険な会話であることが判るだろう。この後は修羅場が待っているハズだ。あるいは、私は道端に倒れていることになるかもしれない。「小さな親切、大きなお世話」である。根本の原因は私の人間性にあるような気もするのだが、そこは今回は考えないでおきたい。

 さて、最初のB子のセリフ「そんなこと言われても、私にだって判るわけないじゃない。」という会話の真偽はともかく、恋する本人にも恋のきっかけというのは不思議なものなのだろう。そして、本人以外にとっても「恋する心」の揺れ動く様子というものはとても興味深いものだ。

 そこで今回は、色々な「出来事・きっかけ」が「恋する心」を変化させていく様子を調べてみることにした。今回の登場人物は、

  • A子 : 「瞬間」的に燃え上がるタイプの女の人
  • B子 : 「ゆっくり」燃えるタイプの女の人
  • C男 : いつも、とっても良い男
  • D男 : ほとんどの場合、悪い男
である。「恋の主人公」はA子とB子だ。「瞬間」タイプの女の人 = A子と「ゆっくり」タイプの女の人= B子がどう違うかを見てみよう。

 次のグラフは

  • 横軸 = 時間軸 左から右へ時間は進んでいるとしておく
  • 縦軸 = 「恋する心」の大きさ
である。ある瞬間に「ある出来事」が生じたとする(赤い線)。その単独の「出来事」による、「恋する心」の生じる様子を示したものである。一般的に、こういう単独の「出来事」に対する「応答」は「インパルス応答」と呼ばれる。インパルスの「出来事」に対して、どのように「応答」が生じるかを示すものである。今回のような、ある「出来事」に対する「恋する心」の応答を、「恋のインパルス応答」と呼ぶことにしよう。
 
ある出来事に対する
「瞬間」タイプとの女の人 = A子
「ゆっくり」タイプの女の人 = B子
の「恋のインパルス応答」の違い

 「瞬間」タイプの女の人A子の場合、その出来事の前後には「恋する心」が瞬間的に盛り上がる。しかし、それほど持続するわけではないのだ。燃えやすく、忘れっぽいタイプである。芸能人で言うと松田聖子あたりがこの例に当てはまるだろう。

 それに対して、「ゆっくり」タイプの女の人であるB子の場合には、「恋の炎」がずいぶんとゆっくり燃え出している。また、「恋する心」の広がりが広い分だけ、「恋する心」の最大値も低くなっている。芸能人で言うと誰になるだあろうか?私にはちょっと思いつかない。

 それでは、この 「瞬間」タイプのA子と「ゆっくり」タイプのB子が、いつもとっても良い男であるC男に恋をした場合を考えてみる。まずは、優しいC男は色々なことをするのだ。それが、「恋のきっかけ」となる。
 

色々な「出来事・きっかけ」
横軸 = 時間軸
縦軸 = 女の人に喜ばれる度合い

 時間が左から右へ進んでいくわけであるが、その間にC男は色々なことをするのである。洋服を誉めたり、体を気遣ったり、バックをプレゼントしたり、何ともマメな男である。

 また、ここでは「洋服のセンスを誉めたり」、「体を気遣ったり」するという「出来事」よりも、「欲しかったバックをくれた」という「出来事」の方がポイントが高い。ずいぶんと、「即物的」な場合にしてしまった。これなどは、適当にそうしただけで、「私は精神的なポイントの方が高い」という人の方がもちろん私は大好きである。

 それでは、これらの色々な「出来事」が起きる時のA子とB子の「恋する心」の変化はどうなるだろうか?先ほど、ある一つの「出来事」に対する「恋する心」の応答を、「恋のインパルス応答」と呼ぶ、と書いた。ある一つの「出来事」によって「恋する心」がどうなるかは、「恋のインパルス応答」を見れば判るわけだ。だったら、色々な出来事が起きた数の分だけ、「恋のインパルス応答」を足し合わせてやれば良いわけだ。この「色々な出来事が起きた数の分だけ、- 恋のインパルス応答 - を足し合わせてやる」という作業を、恋の信号処理では「畳み込み」と呼ぶ。結局、

色々な「出来事・きっかけ」と「恋のインパルス応答」の畳み込み= 「恋する心」
という「恋する心」の信号処理が可能なのである。

 早速、A子とB子の「恋のインパルス応答」を用いて、先の色々な「出来事・きっかけ」に対する「恋する心」を計算してみた。それが、下のグラフである。黒字がA子、赤字がB子の「恋する心」である。
 

「瞬間」タイプと「ゆっくり」タイプの「恋する心」グラフ
黒字 : A子
赤字 : B子

 「瞬間」タイプのA子の場合、ホントに燃え上がるのが早い。C男が洋服のセンスを誉めてくれただけで、もう結構「恋する心」が盛り上がっている。「ビビッ」と恋をして結婚をしてしまいそうなタイプだ。その代わり、一瞬でその「恋する心」が消えているところが怖い。あっという間に離婚をしそうなタイプでもある。

 「ゆっくり」タイプのB子の場合は、洋服のセンスを誉められた位では「恋する心」は盛り上がっていない。もちろん、C男に対して良い印象は持ち続けているようだが、恋というほどでもない。
その代わり、A子のように欲しかったバックを貰っても、しばらくすると「恋する心」はすぐに冷める、というようなことはない。C男にとっては、「恋人」になるまでは大変であるが、その後は落ち着いた恋人生活を過ごせそうな相手である。私はC男にはA子よりも、B子の方が相応しいと思うのだが、どうだろうか?(しかし、次回C男には哀しい現実が待ち受けるのであるが...)

 さて、このページも少し長くなってきた。そこで、この後は次回に続くことにする。今回、まだ登場していない

  • D男 : ほとんどの場合、悪い男
が登場し、A子とB子に「辛い」恋をさせるのである。
A子:「あのさ、アイツほんと酷い男よ。」
A子:「なんで、あんな男好きになったの?」
B子:「そんなこと言われても、私にだって判るわけないじゃない。」
という冒頭の会話のような、女の人たちがなぜ数多くいるか(少なくともTVドラマの中では)を明らかにしてみたい。そして、優しいC男の悲しい恋の行方を描いていきたいと思うのである。

 ところで、「辛(つらい)」と「幸(幸せ)」という漢字は互いによく似ている。時々、どっちが「幸せ」だったっけ?と判らなくなりそうになるくらいだ。次回、「恋の印象の平均化効果」というものを武器に、「辛(つらい)」が「幸(幸せ)」にすりかわる様子を見てみることにしたい。「辛(つらい)」が「幸(幸せ)」は紙一重なのだ。「辛(つらい)」は「幸(幸せ)」で、「幸(幸せ)」は「辛(つらい)」なのである。
 

2001-04-04[n年前へ]

漱石という名前の由来 

 漱石は26才の時に、分家し北海道岩内村浅岡方へ「送籍」し、徴兵免除のために北海道市民になった。また、「吾輩は猫である」中には「送籍」という名の作家のことを自虐的に書いている。
 丸谷才一は「徴兵忌避者としての夏目漱石」に「日清戦争下にあたって、漱石がその送籍に対する自責の念から、精神的に不安定になってそれを執筆活動で癒そうとした」と書いた。確かに、前線に行く兵士がいる中で自分が「送籍」によって残っているということは耐え難いことに違いない。
 この話が真実であるかは誰にもわからないだろう。しかし、少なくともそれが部分的にでも真実でない、ということもやはり誰にもできないだろう。



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