2000-07-08[n年前へ]
■うれし、たのしい、「大人の科学」
エジソン式コップ蓄音機
先日、町田の東急ハンズをぶらぶらとしていた時に、こんな本を見つけた。
- 学研の「科学」と「学習」編 100円ショップで大実験! 監修:大山光春
そして、この本の中でも、特に興味を惹かれた実験がこの「ファイルシート蓄音機」である。ファイルシートでソノシートを作ってやろうというものである。軟らかくて、同時に少し硬い材質のもに音の振動を刻み付けて記録・再生するという、エジソンが発明した蓄音機そのものの構造の機械を簡単に作ろうという話である。
私は以前から、うれし懐かしの「ソノシート」を作ってみたいと思っていたので、この記事を見つけたときは思わず声が出そうになった。いやはや、さすが学研の「科学」編集部である。もしや、これは私のために?と思ってしまう程である。(学研の科学で育った人たちは、きっとみなそう思うことだろう。)
ところで、もしかしたら「ソノシート」を知らない人がいるかもしれない。そこで、念のために辞書で「ソノシート」をひいたものを書いておこう。
ソノシート (商標名Sonosheet)音の出る雑誌「ソノラマ」用にフランスで開発されたビニールレコード。(Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) Shogakukan1988/国語大辞典(新装版)小学館 1988)知らない人はほとんどいないとは思うが、ソノシートは見た目は赤や青の薄っぺらくてペラペラなレコードである。昔は雑誌によく付録でついていた。そこに録音されているものは、テレビの主題歌だったり、声のドラマだったり、色々なおしゃべりだったりした。そして、私の記憶が確かならば、確かどこかのコンピュータ雑誌でソノシートを使ってのプログラム配布なども行われたこともあったと思う。
それはさておき、この「ファイルシート蓄音機」を私もぜひ作ってみよう、と思っていた。ただ、、この記事そのままだと録音可能な時間が短いので、それでは少しつまらない。そこで、そこをどうしたものかとずっと悩んでいたのである。そのため、なかなか製作に取り掛かることができないでいた。
ところが、これまた先日面白いものを見つけた。それは
- 学研 科学と学習 大人の科学
- ( http://www.yumag.co.jp/kagaku.html#adult )
しかし、そんな杞憂は無用のココロだ。これは、学研の「科学」と「学習」が、「昔子どもだった大人」に贈る、タイムカプセルなのである。あの頃と変わらない、「ワクワクする心」を思い出させてくれるプレゼントなのである。これは私達を、「昔、見ていた夢」がいきなり目の前に現れたような気持ちにさせるである。
少し長くなったが、その「大人の科学」の第一作がこの「エジソン式コップ蓄音機」である。
先程の「ファイルシート蓄音機」からはるかに性能が改良され、なんと20秒近くの録音が可能なのである。もちろん、迷うことなく私は購入を決めた。そして、何日か前に、送られてきたものを今日の朝に組み立ててみた。製作時間は20分位である。作ってるときの気持ちは、もう学研の「科学」の付録で遊んでるあの頃と同じだ。
その組み立ててみた「エジソン式コップ蓄音機」が次の写真である。上の紙カップの底に針が着いていて、下の回転する透明カップの表面に紙カップの底の振動を溝として記録するのである。もちろん、再生のときはその逆である。透明カップの表面に刻まれた溝の揺れを針がなぞって、そして紙カップの底を振動させるのである。
この「エジソン式コップ蓄音機」の構造自体は、先の「ファイルシート蓄音機」とかなり似ていることがわかる。紙カップと針の部分など全く同じである。もし、「3000円程の「エジソン式コップ蓄音機」が高い」と感じるのであれば、100円ショップで材料を揃えて「ファイルシート蓄音機」を作製してみるのもきっと面白いだろう。
「エジソン式コップ蓄音機」の針がコップに刻んだ溝をなぞっている様子を次に示してみよう。音を再生している時にも、溝を少し削ってしまい、削りかすが出ているのが見えるだろう。
というわけで、もちろん私もエジソンと同じく「メリーさんの羊」を録音してみた。大きい声で歌っても、再生される「歌声」はとても小さい。いや、再生される「音」はうるさいくらいに大きいのだけれど、「歌声」はかすかにしか聞こえない。それでも、雑音の遠くで聞こえる人の声は、とても懐かしくていい響きがする。もちろん、実際にはガーガーうるさくて、私の声なんか微かにしか聞こえないのだけれど、そんなことはどうでもいいのだ。だって、あの科学の付録なんだから。それだけで、十分だ。もちろん、これの改良作業は早速始めるつもりだ。もう「大人」だからね。
2000-08-13[n年前へ]
■WEBの時間、サイトの寿命
ゆっくり長く続けましょうか?
以前、
でロゲルギストが- 第五物理の散歩道 ロゲルギスト著 岩波新書 「通信を考える」
- その系の情報処理の単位時間
- その系の信号の伝わる速度
- その系の空間スケール
- 空間スケール < 情報処理の単位時間 × 信号の伝わる速度
- 大人数から構成される企業のスピードは、少人数から構成される企業のそれには遙かに及ばない
ところで、ロゲルギスト達はある系の「単位時間・信号伝達速度・大きさ」の間の関係について、
- 「単位時間・信号伝達速度」を入力値として、「大きさ」を考える
- 「大きさ・信号伝達速度」を入力値として、「単位時間」を考える
さて、寺田寅彦が「単位時間・信号伝達速度・大きさ」について、さらにどのようなことを展開していたかというと、それはある系の「大きさ・寿命」についての関係である。寺田寅彦は
- 空想日録 三 身長と寿命 (寺田寅彦随筆集 第四巻 岩波文庫 小宮豊隆編)
- 人体感覚について振動感覚の限界を調べた実験データ、 - 人は自らの体の固有振動周波数の振動に対してもっとも過敏である- 、というものをきっかけとして、
- 生物の時間の長さの単位は相対的なものである
- ある系の「時間の長さの感覚 = 相対的な単位」はその系の固有周期と密接な関係がある(振り子時計なんてわかりやすいだろう)
- ある系の「寿命」を測る単位は、その系の「時間の相対的な単位」、すなわち、その系の固有周期だと想像してみよう。
- その場合、ある系の固有周期はその系の大きさに比例するから、大きい動物ほどその系の「時間の相対的な単位」は長いものとなり、見かけ上の「寿命」はその動物の「大きさ」に比例するだろう。
なるほど、サイズが小さい動物(すなわち固有振動の波長の短い動物)にとっては、ほんの小さな変化も大きな変化である。ということは、その動物の感じる「時間単位」は短くなければ、生き残れないだろう。逆に、サイズの大きな動物は俊敏な動きはできないわけで、その動物の「時間単位」は長くならざるをえないだろう。
ゾウのような大きい動物は「時間単位」が長く、一見「寿命」が長いように見え、ノミのような小さな動物は「時間単位」が短く、一見「寿命」が短く見えるというわけだ。実は、ゾウもノミもその動物自身の「時間単位」を基準にすると、同じ寿命を生き抜いているということになる。
本川達雄の中公新書「ゾウの時間 ネズミの時間」では- 体重の4分の1乗に比例して「その動物の時間単位=生理的時間」が長くなる-と述べられているが、昭和八年に既に寺田寅彦は体重は身長の3乗に比例する、逆に言えば体重は身長の3分の1乗に比例するから、「体重の3分の1乗に比例して時間が長くなるだろう」と想像を巡らせているのである。素晴らしい、想像力である。
さて、寺田寅彦はロゲルギストと違って、「単位時間・大きさ」については言及しているが「信号伝達速度」については触れていない(その替わり、さらに「寿命」にまで触れているわけであるが)。もっとも、私があえて書き加えてみるならば、ある系の固有振動にはその系の中での弾性が密接に関係するし、弾性はその中での弾性波の速度も密接に関係する。つまり、ある系の固有振動の周期というものには「その系中での波の伝達速度」が暗に隠されていて、寺田寅彦は単にそれを一定とおいていたわけで、寺田寅彦が述べた内容は実はロゲルギスト達の述べた内容を包括している、と私は思うのである。
このような「単位時間・大きさ・信号伝達速度・寿命」に関する話は動物に限るものではない。
- ロゲルギストが「信号伝達速度=光速度」として、「処理速度を確保する」ための人類の行動範囲について論じたり、
- 私(いきなり自分を例に出すのも何だが)が「信号伝達速度の変化」と「大きさ(人口)の変化」から人類の処理速度の変化について論じたり
さて、前振りが長くなった。前回、
では、単に「信号伝達速度の変化」と「大きさ(人口)の変化」を並べて「処理速度」の変化について考えてみただけだった。今回は寺田寅彦が考えたのと同じく、「信号伝達速度」と「大きさ(人口)」から「寿命」が決まると考えることにより、「人類」の「寿命」の変化について考えてみることにしたいと思う まずは、前回使った「人類の大きさ=人口」の変化が次のグラフである。ただし、この人口は全然正確ではないし、むしろかなり不正確なものであることは先に断っておく。ここでは、細かな値を使うのが目的ではないので別に構わないだろう。
そして、「人類」の中での「情報伝達速度」の変化を示したものが次のグラフである。この速度が「人類」という集合体の中での波の進行速度を決めるのである。
それでは、「人類」という集合体の固有振動はどうやって扱うかというと、この
- 「人類の大きさ=人口」
- 「情報伝達速度」
- 人口 / 情報伝達の速度
その、人口 / 情報伝達の速度 = 「人類の固有時間」を計算してみたものを次に示してみよう。
こうしてみると、人類というヒトの集合体においては、どんどん時間の流れは速くなり、それに応じて見かけの「寿命」は短くなっている、ということがわかる。人類はまさに生き急いでいるのである。もし、この流れを止めようと思ったら、どうしたら良いだろうか?それには、今回の計算から言えば情報転送速度を遅くするか、人類の大きさを大きくするしかない。情報転送速度を遅くするのはなんとも後ろ向き(byわきめも)だし、人口を減らすというのもなんとも後ろ向きだ。だとしたら、宇宙へでも人類が進出して、人類の空間的なスケールを大きくしていくしかないのだろうか?これもまた難しい話である。
さて、最近、大好きなWEBサイトが閉鎖してしまったり、更新速度が遅くなっていたりしていて少しさみしい。だけど、もしかしたら各WEBサイトにも、「更新速度が速いと、WEBサイトの寿命が短い」なんて法則が実はあるのかもしれない。更新速度が速いということは、そのWEBサイトの固有時間が速く流れているということで、限られた寿命をどんどん使い果たしているのかもしれない。
だとしたら、更新速度が遅いということはそのWEBサイトの寿命が長くなるということだから、それはそれで良いのかなぁ、などと思ってみたりする。「太くて短い寿命」も「細くて長い寿命」も実は本人からすればどちらも同じ長さなのかもしれないけれど、外から見ている私は「細くても良いから長く続いて欲しいなぁ」なんて思ってもみたりするのである。
2000-10-19[n年前へ]
■Evey little thing we ee is magic.
WEBページで作るOscylinderscope
先日、The Reuben H. FleetScience Centerという科学館に遊びに行った。そこで面白いものをみかけた。それはOscylinderScopeという名前のもので、下の写真のようなものだった。
Oscylinderscopeの作者のNorman TuckのWEBサイト
- A Catalog of Kinetic Sculpture byNorman Tuck
- ( http://www.normantuck.com/ )
- TheOscylinderScope
- ( http://www.normantuck.com/catalogPages/oscylinderScope.html)
電気的な変化する信号に合わせて、光の点をsweepさせることで波形を描き出すのがオシロスコープだが、このOscylinderScopeもドラムをい回転させて、ドラム上に描かれた白い線が振動するギターの弦の後ろをsweepして、ギターの弦の振動する様子を描き出すのである。
参考までにNorman TuckがOscylinderScopeに関して取得しているUnites StatesPatent 5,975,911から判りやすそうな図を下に示しておく。揺れる棒の様子がSin波状に見えている、という説明図である。
このOscylinderScopeにはとっても単純だけど素敵な科学的なアイデアと、展示物としてのセンスと、そして何故かちょっとうれしくなるようなバカバカしさが感じられて私はとっても大好きだ。そこで、一ファンとして私も「WEBページで作るOscylinderscope」というのをやってみることにした。
といっても、やることは単純に単なる速く移動する白い線をパソコン画面に映し出すだけである。そして、その前で何かを振動させてその振動の様子を可視化するのである。
まずは、Oscylinderscope風アニメーションGIFだ。おそらくInternetExplorerではゆっくりとしか再生されないと思うが、NetscapeCommunicatorであればプラットホームにもよるが高速に再生することができると思う。少なくとも、Linux上のNetscapeNavigatorではかなり速く再生されるハズだ。
このアニメーションを再生できない環境の人のために、動画ファイル版にしたものもここにおいておく。
- oscylinderscope.avi ( 145kB )
このアニメーションGIFや動画ファイルを再生して、部屋の電気を暗くしてみる。すると、CRTの画面というのはとても明るいので、部屋を暗くしてCRTだけをつけておくと、CRT画面に映し出されている色に部屋が染まる。部屋がそんな風にチカチカした状態で、画面の前で何かを振動させると、アラ不思議その物体の振動の様子が何やら変な風に見えてくる。例えば、真っ直ぐな細い棒を「Oscylinderscope風AVIファイルの前で棒を揺らしてみたところ」である。写真では判りにくいと思うが、真っ直ぐな棒がウニョロウニョロと曲がって見えるだろう。とにかく、真っ直ぐな棒が振動する様子を静止したイメージで目にすることができるのだ。
ところで、私はこんなOscylinderscopeを見ていると、ナポレオンズの「首グルグル・マジック」を連想してしまう。一カ所だけ穴の開いた筒を頭にかぶる。そして、穴の部分から顔を覗かせる。筒を回転させ始めると、なんと顔がずっと見え続ける、つまりエクソシストの少女のように首が回転しているのだ!これがマジックかぁ?と言う人も多いかもしれないが、私はこれこそ本当にmagicそのものだと思う。このマジックには、目に見えていない瞬間に起きていることは結局想像するしかない、という本当の真実と、何故かもう嬉しくなるくらいのバカバカししさが同居していて私は大好きなのだ。他の人はどう思うか知らないけれど。
2000-11-26[n年前へ]
■ブランコの中の∞(無限大)
なんで一体漕げるのだろう?
公園のブランコというのは、何故かとても不思議な雰囲気を持っている。ホントにうるさいくてたまらないくらいのガキんちょ達が、アクロバットのようなスゴイ技を見せていたりする。それは、まるで上海雑伎団を見ているような気分になる。小さな子がなかなかブランコが漕げず、ブランコの上で宇宙遊泳のように四苦八苦しているのを見ているのも思わず笑ってしまうくらいに可愛らしいものだ。もちろん、そこは子供の領分というだけではなくて、黒沢明の「生きる」の主人公がしていたように「大人がブランコに座って揺れていたり」すると、思わずその人の陰に隠れている物語を想像したりしてしまう。ブランコの周りというのはそんな不思議な雰囲気を持っているのだ。
やたらにブランコを漕ぐのが上手いガキんちょもいる一方で、全然ブランコを漕げず四苦八苦する子供もいる。ブランコを漕ぐコツを覚えるのもなかなか大変そうである。考えてみれば、ブランコは一体どういう風に漕ぐものなのだろう?口で上手く説明できる人がいるだろうか?
それに、そもそも私たちはブランコを何故漕ぐことができているのだろう?
いったい、いつから疑問に思うことをやめてしまったのでしょうか? いつから、与えられたものに納得し、状況に納得し、色々なこと全てに納得してしまうようになってしまったのでしょうか?という手紙で始まるのは加納朋子の「ななつのこ」だが、「何故、リンゴは落ちるのかという謎」と同じく、「ブランコの漕ぎ方の謎」だってとても不思議だ。いつも目にする公園のブランコを、私たちは一体どうやって漕ぐことができているのだろう?
いつだって、どこでだって、謎はすぐ近くにあったのです。
何もスフィンクスの深遠な謎などではなくても、例えばどうしてリンゴは落ちるのか、どうしてカラスは鳴くのか、そんなささやかで、だけど本当は大切な謎はいくらでも日常にあふれていて、そして誰かが答えてくれるのを待っていたのです....。
もちろん、「何でブランコの漕ぎ方が不思議なのさ?」と言う人も多いだろう。その中には理路整然とブランコの漕ぎ方を説明してくれる人もいるだろう。そして、「特にブランコの漕ぎ方をじっくり考えたことなんかないもんね」という人も多いに違いない(私だけかもしれないが)。そこで、まずは「ブランコの不思議」を簡単に書いてみることにしよう。
次の図は「ブランコを漕いでる子供」である。
この子供が何もせず立っているだけ(あるいは座っているだけ)だったら、どうなるだろうか?それはもちろん、単なる振り子と同じくようにブランコは動く。もしも色々な摩擦がなければ、まったく同じように動き続けるだけだし、摩擦力があればブランコの動きはただ減衰していくだけである。つまり、子供が何もしなければ、ブランコの動きは「遅く・小さく」なることはあっても、ブランコが「速く・大きく」なることはないのである。
だからブランコを速くするためには、「ブランコに乗ってる子供がブランコを漕がなければならない」わけであるが、ブランコに乗ってる子供は一体どんなことができるだろうか?
次に示す図は「ブランコに乗ってる子供を中心にとった座標軸」を描いてみたものだ。この図の中で直交する二つの軸を描いてある。つまり、
- ブランコの動きの中心を向いている軸A
- 軸Aに直交する、つまりブランコの進行方向(あるいはその逆方向)を向いている軸B
ところが、実は「ブランコに乗ってる子供」はこの二つの軸の内の片方、軸Aに対しての動きしかできない。何故なら、軸B方向に対しては「ブランコに乗ってる子供」動きの支えになるモノが全然無い。だから、ツルツル滑る氷の上では全然動けないのと同じく、「ブランコに乗ってる子供」はその方向には動けないのである。もし子供がその方向に動こうとして体を動かしたりしても、結局子供の重心はその方向には全然動かないのだ。
それに対して、ブランコの動きの中心を向いている軸A方向に対してはブランコの鎖も座っている(あるいは立っている)板が支えになるわけで、その方向に対しては「ブランコに乗ってる子供」は動くことができる。
というわけで、ブランコの上では「ブランコの動きの中心を向いている軸A」方向にしか動けないわけであるが、その方向というのはブランコの進行方向に対しては直交している。つまり、ブランコを漕ぐためには、「ブランコの進行方向に対して直交している方向に動く」しかないことになる。
ここまで書くと、ブランコの不思議が判るハズだ。ブランコを漕ぐ、つまりブランコを軸B方向の速度を上げたいのに、我々は「軸Bに対して直交している方向に動く」ことしかできないのである。一体何故、軸A方向に動いたハズなのに、それに直交する軸B方向の速度が増すのだろうか? この謎「ブランコの不思議」を、ゆっくり考えてみることにしよう。
まずは、ブランコに乗ってる子供が立ち上がったりして、「ブランコの動きの中心を向いている軸A」方向に動いた場合、何が起きるだろうか?
「ブランコの動きの中心を向いている軸A」方向に動くと、ブランコの鎖の長さが短くなることと同じである。すると、回転しているブランコの鎖が短くなるわけで、そうするとブランコの速度は速くなる。何故なら、角運動量が保存されるからである。ちょうど、スケートのフィギア競技の選手が回転中に伸ばしていた手を縮めると回転数が早くなるのと同じだ。
もし、ブランコに乗ってる子供の重心がブランコの鎖の長さの半分だけ(とんでもない身長の子供だ!)上がれば、ブランコの速度はもとの速度の倍になるのである!
ということは、少なくともこの瞬間は「軸A方向に動いたハズなのに、それに直交する軸B方向の速度が増す」わけであるが、これでブランコの漕ぎ方を納得するにはまだまだ早いのである。確かに、「ブランコの動きの中心を向いている軸A方向に動く」とブランコの速度は増すわけであるが、それはその瞬間だけである。ブランコの上で「立ち上がり続ける」なんてことはできないわけで、速度が増し続けるわけではないのである。
もしも、「もう一度ブランコの上で立ち上がるために、すぐに低い姿勢に一旦戻ったり」したら大変だ。ブランコの鎖の長さが長くなるのだから、今度はブランコの速度は遅くなってしまうのである。
もし、ブランコに乗ってる子供の重心がブランコの鎖の長さの二倍だけ(つまりさっき立ち上がった逆の動きである)下がれば、ブランコの速度はもとの速度の1/2になってしまうのだ!
これでは、結局さっきの速度が二倍になったことは帳消しになってしまう。つまり、「単純に」角運動量の保存を考えるだけではブランコの速度を(長い間にわたって)早くしていくことはできないわけだ。
このままでは、「ブランコを漕ぐことなんか不可能である」という結論が出てしまいそうになるが、ブランコを漕いでる子供達はイッパイいるわけで、そんな結論を受け入れるわけにはいかない。彼らがみんな超能力でブランコを漕いでいるわけもないのである。まだまだ見落としていることがあるので、ブランコの不思議の謎が解けないだけのハズなのだ。
そこで、ちょっと考えてみると「とんでもなく単純なこと」を見落としていたことに気付いた。それは、「タイミング」である。例えば、ブランコの速度がずっと同じであるすると、
- 初期のブランコの速度 = 10
- 重心位置を高くして 10 X 2 = 20 (やったぁ、速度が二倍だぁ!)
- 重心位置を低くして 10 X 1/2 = 10 (何てこったい、速度が半分になっちまったか!)
- 初期のブランコの速度 = 10
- 重心位置を高くして 0 X 2 = 20 (やったぁ、速度が二倍だぁ!)
- そのあとブランコの速度 = 0
- 重心位置を低くして 0 X 1/2 = 0 (0が0になっても全然変わってないもんね!ヘヘン!)
人生何事もタイミングが重要である。失恋した男性や女性にタイミングをわきまえた「恋のハイエナ」達が寄ってくるのと同じく、またお金に困っていると何故かサラ金の広告が目の前にチラチラするのと同じく、ブランコを漕ぐにはやはりタイミングが重要なのだ。
なるほど、考えがまとまってきた。このイキオイでそのまま「ブランコの理想の漕ぎ方」まで考えてしまおう。
まず、「重心位置を高くしてブランコの速度早くする」にはできるだけ速度が速い瞬間に行うのが良いだろう。倍率が確定している賭なのだから、元金はあればあるほどおトクである。1万円×2=二万円では1万円しかもうからないが、一千万円×2=二千万円では一千万ももうかるのだ。ブランコの速度が速い瞬間に立ち上がれば、一番おトクに速度を増すことができるのである。
もちろん、ブランコの速度が速い瞬間といえば、明らかにブランコが一番下にきた瞬間である。つまり、ブランコが一番下にきた瞬間に立ち上がれば「一番おトクに速度を増すことができる」わけだ。しかも、その瞬間は鉛直に重心を持ち上げることになる。つまり、位置エネルギーを効果的に増加させることができるわけだ。結局、この時に増加させた位置エネルギーは後で、運動エネルギーに変換されるわけで、結局これがブランコの運動の源となるのである。
そして、「次にもう一度立ち上がるために一旦低い姿勢に戻る瞬間」=「速度が遅くなる瞬間」はブランコが停止しているときであれば何の問題もない。ブランコはもともと止まっているんだから、その速度が何分の一になったって全然気にしないもんね!となるわけだ。そのタイミング= ブランコが止まる瞬間といえば、もちろんブランコが最高地点まで上がった瞬間である。つまり、ブランコが一番上にいった瞬間に低い姿勢に戻れば全く減速無しに次の加速に備えることができるわけである。しかも、その時には実は運動エネルギーを位置エネルギーに変えることで、隠し財産にしているわけで、もう汚い政治家のマネーロンダリングのような見事な方法なわけだ。
というわけで、
- ブランコが下に来たときに(立ってる場合は)足を伸ばして立ち上がったり、(座ってる場合は)足を曲げたりすることにより高い位置に重心を持ってきて(しかも、重力に逆らって重心を上げるため位置エネルギーが増加する)
- ブランコが上に行ったときにその姿勢を元に戻す
それでは、確認のためにそのやり方で本当にブランコが漕げるのかどうか、シミュレーション計算を行ってみた。ブランコの動きは振り子運動だが、振れ幅がとても大きいので、cosx≒xというような近似をする単振動としての扱いはできない。そこで、楕円積分の計算を行わなければならない。が、私が自分の力でできるかどうかはともかく、そこはMathematicaに解かせればイッパツである。もう、驚くくらい簡単なのである。自分の力で解いていないところが、実に悲しい現実ではあるが、それが現実なのだからしょうがない。
というわけで、ブランコの動きのシミュレーションをしてみた結果が次のグラフである。「ブランコに乗ってる子供」の漕ぎ方としては、以下の三つ
- 何もしない場合
- ブランコが下にきたあたりで立ち上がり、ブランコが上にきたあたりで座り込んだ場合
- ブランコが下にきたあたりで座り込み、ブランコが上にきたあたりで立ち上がった場合
→ ブランコの動きはず〜と変わらない |
ブランコが上にきたあたりで座り込んだ場合 → ブランコの動きはどんどん大きくなる 「やったぜ、これが理想の漕ぎ方だぁ。」 |
ブランコが上にきたあたりで立ち上がった場合 → ブランコの動きはどんどん小さくなる 「なんてこったい、遅くなっちまったぁ。」 |
この結果から、ちゃんと1.の「何もしない場合」は「ブランコの動きはず〜と変わらない」し、理想の漕ぎ方であるハズの2.の「ブランコが下にきたあたりで立ち上がり、ブランコが上にきたあたりで座り込んだ場合」は「ブランコの動きはどんどん大きくなる」し、最悪の漕ぎ方であるハズの3.の「ブランコが下にきたあたりで座り込み、ブランコが上にきたあたりで立ち上がった場合」には「ブランコの動きは逆にどんどん小さくなってしまう」ことがわかる。というわけで、今回考えた「ブランコの不思議= 漕ぎ方」はシミュレーション計算結果からも確かめることができたわけだ。
ところで、こういったタイミングを考えながらパラメーターを変えることで動きを大きくしたりすることは「パラメータ励振」と呼ばれる。ブランコの漕ぎ方はその「パラメータ励振」の応用のひとつである。「何故、リンゴは落ちるのかという謎」には重力という基本的な物理現象が隠されていたが、それと同じく、「ブランコの漕ぎ方の謎」にも「パラメータ励振」という物理現象が隠されているのだ。次回以降も、この「パラメータ励振」を手がかりにいくつかの「身近な謎」に迫ってみたい、と思うのである。
さて、公園でブランコを漕ぎまくる子供をもし見かけたならば、ぜひ横から子供の動きを見てやってもらいたい。きっと、その揺れ動くブランコの中にはこんな∞(無限大)の形が見えるハズだ。天まで上ろうとする「ブランコの秘密」はその「ブランコの中の∞(無限大)」に隠されていたのである。子供も含めて人間の可能性は∞(無限大)だと私は思うが、ブランコの揺れる動きから、そんなことを考えてみるのも少し面白いのではないだろうか? それとも、ちょっと考え過ぎかな。
2000-12-01[n年前へ]
■続々オッパイ星人の力学
胸を揺さぶるパラメータ励振 編
前回、
では、純真でピュア〜な幼心に戻って公園で大きく揺れるブランコの動きを考えてみた。近所の公園でよく見かける、小学生位の子供達が一心不乱にブランコを揺らす景色の中に隠れている科学をちょっとばかり考えてみたわけだ。そして、「ブランコの漕ぎ方の謎」の中には「パラメータ励振」という物理現象が隠されていることを眺めてみた。動きの周期のタイミングに合わせて、パラメーターを変えてやることでブランコの振動を大きくしていたのだった。ところで、公園でブランコを揺らす子供達と同じく、純真でピュア〜なのが生まれたばかりの乳児達である。もちろん、そんな乳児達はまだまだ公園でブランコを揺らすなんてことはできなくて、大きく成長するために母親の母乳を飲んで、そしてただひたすら眠る毎日を過ごしているのである。
そんな乳児の頃の純真でピュア〜な気持ちを、大人になっても持ち続けている人達もいる。そんな純真でピュア〜な大人達は大人になっているにも関わらず、生まれたばかりの乳児と同じくオッパイに惹かれ続けているのである。そして人は彼らをほんの少しばかりの尊敬と沢山の侮蔑を込めて「オッパイ星人」と呼ぶのである。
これまで「できるかな?」では、そんなオッパイ星人達の科学である
を考察してきた(いやもちろん目的はオッパイ星人と闘うためであって、女性を守るためであることはもう一度ここで確認しておきたい)。今回は「純真でピュア〜」をキーワードにして「子供達がブランコを揺らす景色の中に隠れている科学」と同じように、「オッパイ星人の力学」について考えてみたい、と思うのである。
まずは、次に示す「純真でピュア〜」な二つの運動を見てもらいたい。一つは、「純真でピュア〜」な
子供達が公園のブランコを揺らしている時の動きであり、もう一つは「純真でピュア〜」な「オッパイ星人」達が眺めているGカップバストを揺らす女性の胸板の動きである。
子供達が公園のブランコを揺らしている時の動き
| 「オッパイ星人」達が眺めている Gカップバストを揺らす女性の胸板の動き |
この二つの図をじっと眺めてみると、何か共通点が見えてはこないだろうか?少なくとも、私(純という名前を持つ位だから純真さでは保証付きである)と同じく「純真でピュア〜」な目で眺めてみれば、共通点が見えてくるハズなのである。
「何か、単に両方グニョグニョした動きにしか見えないぞ。」という人、つまり「純真でピュア〜」な目を持たない人もきっと多いことだろう。哀しいことに、この世知辛い世の中ではそんな「純真でピュア〜」な目を持ち続けるのはムズかしいことなのである。そこで、そんな不純な人でも判りやすいように、さらに
- 子供がブランコを動かすときの「子供の上下方向および水平方向の動き」
- 女性が歩くときの「女性の胸板の上下・左右方向ぞれぞれの動き」
重心の上下方向への運動 |
そして、こちらが女性が歩くときの「女性の胸板の上下・左右方向ぞれぞれの動き」である。
胸板の上下方向への運動 | 胸板の左右方向への運動 |
こうしてみると、ブランコを揺らす子供の動きと、Gカップバストを揺らす女性の動きが、よく似ていることがわかるだろう。上下方向への運動は全く同じであるし、左右方向への動きはタイミングが違うだけ、つまり位相が違うだけなのである。その位相の違いを実感するためには、
- 時間
- 左右の動き = X
- 上下の動き = Y
方向性が逆であるだけで、全く同じであることがよく判ると思う。方向性の違いを除けば、ブランコを揺らす子供の動きとGカップバストを揺らす女性の動きは全く同じなのであって、私はこれら二つの運動の根本原理は全く同じものなのではないか、と思うのだ。もちろん、その原理を「純真でピュア〜な心」である、と言ってしまえばそれで終わってしまうわけなのだが、それでは「科学(?)」ではない。「純真でピュア〜な心」がブランコを動かし、世界を動かし、ついにはGカップバストを動かしているのだぁ、と言えば哲学的(?)ではあるが、科学(?)ではない。いや、そんなのは科学的でも哲学的でもなくて、単なるエロ・エロ・トークだと言う人もいるかもしれないが、そういうことを言うヤカラは「純真でピュア〜」な目を持たない人に違いないのである。少なくとも、「なんて素晴らしいファンタジ〜なんだぁ」という位には言って欲しいのである。
ただ、「ブランコを揺らす子供の動きとGカップバストを揺らす女性の動きは方向性が逆がである」ということは実は面白い考察ができるのである。前回、ブランコの動きを考えた時に、ブランコの効果的な漕ぎ方と方向性が逆の「ブランコが下にきたあたりで座り込み、ブランコが上にきたあたりで立ち上がった場合 」のシミュレーション計算をしてみた。その結果は、ブランコの振動がどんどん小さくなってしまったのであった。つまり、除振効果が働いてしまうのである。
ということは、である。Gカップバスト(いやAAAカップでも同じであるが)を揺らす女性の動きは、実は揺らしているのではなくて、Gカップバストを揺らさないために最も効果的なのではないだろうか?Gカップバストが揺れ動いてしまってはオッパイ星人はともかく、本人はとても困るわけでそのために実は彼女らは「パラメータ(パラメトリック)励振」という物理現象・科学を応用しているのではないか、と想像してみるのもオツなものではないか、と私は思うのである。
もちろん、ブランコの動きが実は結構複雑であるの以上にGカップバストの動きは複雑である。弾性・塑性・そして様々なブラジャ〜による拘束条件も解明しなければならないだろう。それは実にメンド〜な試みではあるが、きっといつか「純真でピュア〜な心」を持つ学生諸君がその謎を解明するに違いない。「天使のブラによる拘束条件とGカップバストのパラメトリック励振」なんていうタイトルの論文を近日中に目にすることができるに違いない、と私は夢見ているのであった。