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2000-10-29[n年前へ]

「しょんべん小僧」の物理学 

あともう一歩、前に出ろ

 以前、
  • スクール水着の秘密 - 腹の部分のデカイ穴 流体力学入門編2 - (2000.08.24)
の時に、「男と女の人の間には知らないことがいっぱいあって、そこには深くて暗?い河が流れているんだなぁ。」とビックリしたものだった。あの時は、「女性は知っているけれど、男性はちっとも知らなかった世界」のことだったけれど、もちろんその逆もある。「男性にはよくある風景だけれど、女性にとっては未知のミステリアスゾーン」というものだっていくらでもある。今回は、そんな「男性にはよくある風景だけれど、女性にとっては未知のミステリアスゾーン」の謎を考えてみることにしたい。

 「男性にはよくある風景だけれど、女性にとっては未知のミステリアスゾーン」といってもたくさんあると思うが「男子トイレ」というものだって、女性にとっては未知のミステリアスゾーンだろう。

 次の絵はよくある男子トイレの一風景だ。便器前のポジションに立つとどうしても目に入る位置にこんな内容を書いたチラシが張ってあることが多い。

「ちょっと待て、あともう一歩前に出ろ。」

「ちょっと待て、あともう一歩前に出ろ。」

 もし、その張り紙がなかった場合にはどうなるだろうか?その場合には、下の絵のような事故が発生してしまうのである。実際のところ、ほとんどの公衆便所で見かける風景だ。
 

もし、その張り紙がなかった場合には…

 そう、便器にロックオンして放水をしたハズなのに、何故かターゲットである便器まで「小便」が届かずに便器下を汚してしまうのである。実にマズイ事態ではあるがよく見かける風景でもある。便器内を狙ったハズの小便が残念ながら目標地点まで辿り着かなかった場合に起きる悲劇である。

 もちろん、どんなに飛距離が小さくても、すなわち小便が放水銃の先から真下に垂れてしまった場合でも、便器の顎の上から放水作業を行っていれば何の問題もないわけだ。しかし、世の中の男性達は何故か遠くから狙いたがるのである。先程の、「ちょっと待て、あともう一歩前に出ろ。」という張り紙ではないが、もう一歩前に出て便器の顎の上から放水作業を行いさえすれば良いのではあるが、何故か漢(ここではあえて、漢と書いてオトコと読むことにしよう)達はそれができないのである。

 さて、この現象には別に公衆便所でなくても発生するわけで、どこのトイレでも便器の下を汚してしまうことになる。そのため、家庭によっては妻から

小便するときは座ってやりなさい
と命令されている男性も多いらしい。想像するだけで涙が出てくるような哀しい現実である。

 はるか古の昔から「男らしさ」のひとつが「立ち小便」でなかったか?、そして「立ち小便」は「男らしさ」の最後の砦ではないのか?という気も私は少しだけしたりするのだが、便器周りを汚しまくる現実の前ではそんな「男らしさ」は2000円札よりも価値がないのである。2000円札ならば喜んで受け取ってくれる人もいるだろうが、便器の下に落ちようとする「小便」は誰も受け取ってくれない。いや、実際のところ小便を喜んで受け取ってくれる人もいるのかもしれないが、少なくともそんな人の数は2000円札を喜んで受け取る人の数よりはきっと少ないだろうと思うのである。

 そしてさらに、「男らしさ」が「立ち小便」なら、そんなものイラナイと言われてしまいそうな気もするし、「立ち小便」が「男らしさ」の最後の砦か!?と言われてしまいそうな気も強くするので、ここらへんについての社会学的な考察は追求しないでおこう。

 それでも、私は世の中の虐げられている「しょんべん小僧」達のため、そして「男らしさ」の最後の砦を守るために、男子トイレの「しょんべん小僧」達がどうしたら、放水ミスをしないかを物理的に考えてみることにしたい、と思うのである。
 

 さて、便器まで小便が届かないという「放水ミス」はどのようにすれば防ぐことができるだろうか?小便の飛距離を小さくしないためにはどのようにしたら良いだろうか?そのためには、まず小便の飛距離がどのようにして決まるのかを考えなければならないだろう。

 下のちょっとリアルな「しょんべん小僧」の放水作業ではないが、小便の軌跡はきれいな放物線を描く。
 

ちょっとリアルな「しょんべん小僧」

 すなわち、空気抵抗などは無視した場合のピストルの弾と同じく

  1. 銃筒の先端を出るときの初速度
  2. 銃筒の角度
の二つが定まれば、小便の運命は決まってしまうのである。例えば、
銃筒の先端を出るときの初速度 = V0
銃筒の角度 =θ
と表すと、小便の飛距離は
a V0^2 Sin[2θ] (aは定数)
と表される。この式を見ればθ = 1/2 rad.の時にSin[2θ]が1になるので一目瞭然であるし、また感覚的にも自然であるが、銃筒の角度の方は上向き45度の角度に向けるときに小便の飛距離は最大になる。一方、初速度V0の方は速ければ速いほど、小便の飛距離は伸びる。

 それを示したのが、次の図である。「小便の銃筒の先端を出るときの初速度と銃筒の角度を変えた時の小便の飛距離」を示したものだ。
 

小便の銃筒の先端を出るときの初速度と銃筒の角度を変えた時の
小便の飛距離

 すると、便器まで小便が届かないという「放水ミス」すなわち、小便の飛距離を小さくしないためには、銃筒の角度を大きくしすぎたり、小さくしすぎたりしないという知見が得られるわけであるが、そんなことは当たり前だ。誰もトイレで銃筒を真上に向けたり、真下に向けたりはしないのである。先のちょっとリアルな「しょんべん小僧」ではないが、手で放水銃を支持している限り何の問題も無いのである。

 つまり、便器まで小便が届かないという「放水ミス」はほとんどの場合「放水銃の角度」のせいではないのである。つまり、「銃筒の先端を出るときの初速度」が問題だったと考えるのが自然である。

 それでは、「銃筒の先端を出るときの初速度」はどのようにして決まっているのだろうか?それを大雑把に考えてみたのが次の図である。腹筋で膀胱に圧力Pをかけて、銃筒の先端から小便を初速度V0で放水作業を行うのである。
 

腹筋で膀胱に圧力Pをかけて、
銃筒の先端から小便を初速度V0で放水作業を行う

 ところで、上の絵でポンプとして表した膀胱に圧力Pをかけた場合には、膀胱からb P (bは比例定数)と表せる量の小便が銃筒に送り込まれるものとしよう。その場合、その量の小便が銃筒の先端から単位時間に出るわけであるから、銃筒の先端の口径をAとすれば、

V0 = b P /A
と表すことができる。すなわち、「銃筒の先端を出るときの初速度V0」は腹筋で膀胱を締め付ける圧力Pに比例し、銃筒の先端の口径Aに反比例するのである。

 さて、いくら腹筋が強い人であっても腹筋をいきなり締め付けることはできない。つまり、腹筋で膀胱を締め付ける圧力Pというものは徐々に大きくなるのである。

 すると一見、「銃筒の先端を出るときの初速度V0」も0から徐々に大きくなる、すなわち、放水作業を開始した最初の瞬間は「銃筒の先端を出るときの初速度V0」= 0であって、小便の飛距離も0である、つまり、便器まで小便が届かないという「放水ミス」が必ず起きるかというと、実はそういうわけではない。

 ポンプである膀胱から銃筒の先端までは、ある程度の長さがある。もちろん、その長さは一定ではないのだが、とにかくある程度の長さがある。そのため、小便が銃筒の先端から出る瞬間には、ポンプである膀胱にかかっている圧力Pは0ではないのである。すなわち、膀胱から銃筒の先端まである程度の長さがありさえすれば、「銃筒の先端を出るときの初速度V0」は結構大きくすることができるのだ。もちろん、腹筋を鍛えて、腹筋に急激に力を掛けることができれば、その効果はさらに上がることは言うまでもない。

 だとしたら、一般的に便器まで小便が届かないという「放水ミス」は一体何時起きるのであろうか?それは、「銃筒の先端を出るときの初速度V0」を決める膀胱にかかる圧力Pが低下し、なおかつ最初の瞬間と違い「膀胱から銃筒の先端までの長さ」を有効に活用できない、放水作業を終える瞬間である。飛行機でも着陸が一番難しいというが、この放水作業もやはり放水作業を終える瞬間が一番難しいのである。そのため、多くの場合小便達は便器内への着陸に失敗し、便器の下を汚してしまうのである。

 しかし、私は「男らしさ」の記念物でもある「立ちしょうべん」を守るために、一つの解決策を考えついたのである。「男らしさ」の最後の砦を守る技術を提唱したいのである。すなわち、「銃筒の先端を出るときの初速度V0」は腹筋で膀胱を締め付ける圧力Pに比例し、銃筒の先端の口径Aに反比例するのであるから、放水作業のラストに膀胱を締め付ける圧力Pが小さくなった、あるいは、膀胱を締め付ける圧力Pを有効に膀胱からの排水に変換できない排水作業のラストにおいて、銃筒の先端の口径Aを小さくしてやればよいのである。そうすれば、「銃筒の先端を出るときの初速度V0」は「銃筒の先端の口径A」に反比例するのであるから、膀胱から出てくる小便の量が低下しても、「銃筒の先端を出るときの初速度V0」を0にならないように維持することができるのである。これにより、放水ミスを防ぐことができるハズなのである。

 さて、私は「男らしさ」の最後の砦である「立ちしょうべん」を守るために、このような技術を考えてみたわけであるが、この技術の実証作業は行っていない。果たして、「銃筒の先端の口径A」を自分の意識で小さくすることができるか!?というところに大きな問題点があるような気もするのであるが、それは「男の意地」で克服できると私は信じている。外部から制御するって手もあるのだし。って何の手の話だ、全く。
 

2001-01-06[n年前へ]

二十一世紀の有害サイト 

有害と無害の境界線!?

 正月休み明けの初出勤日のことだ。いきなり、こんな感じで声をかけられた。
「ついに公式認定されたな!」
「一体何ですか?年明け早々?」
「有害サイトのウェブマスターになった気分はどうだい?」
「な・なんと、それはホントにホントですか?人畜無害を絵に描いたような私こともあろうに有害サイトのウェブマスターですか!」
 話は簡単、私の勤務先からwww.hirax.netがアクセスできなくなったのである。hirax.netもついに有害サイト公式認定されたのである。

 といっても、実はなんとなく予想はしていた。去年の聖なるクリスマスの日にサンタの贈り物ならぬ「業務とは関係のないWEBサイト(公序良俗に反していたり、娯楽・趣味性の高いもの)のWEBサイトの閲覧を制限するからね」という全社通達が送られてきた時から、薄々予想はしていたのである。
 そして、それだけでなく二十一世紀の記念すべき初日に

 毎日会社の昼休みにwww.hirax.netを見るのを日課としていましたが、(ちなみにFirst&Fast、今日の必ずトクする一言も)あまりにも面白いので会社の女性達に本サイトを教えてしまいました。案の定、ハマッタ彼女たちは狂ったように見つづけたようです。
 その数日後、昼休みにwww.hirax.netを見ようとブックマークをクリックすると、なんと、画面にはあのエロサイトなどを見ようとすると現れる、フィルターソフトの画面が...www.hirax.netをエロサイトと同等に扱うのか?何故だ?!内容をよく読んだのか?いや読んだからか?オッパイ星人がいけなかったのか?ピストン桑田か?
 彼女たちが見すぎたのが原因なのかどうかはわかりませんが、IMに抗議も出来ず、しょうがなく自宅で見るようにしています。会社で思う存分見ることが出来る方々が羨ましい...
というありがたいメールをもらっていたので、その予感はますます強くなっていたのである。

 何はともあれ、ついに二十一世紀になった私の勤務先からhirax.netにアクセスするとこんな画面が出るようになったのだ。昼休みにアクセスするくらいいいじゃないのと個人的には思ったのだけれど、そんなつぶやきは情報システム(仮名)に通じるわけもなく、当然のごとくアクセスできないのである。
 

某所からwww.hirax.netにアクセスすると…

 まぁ、別に私自身は勤務先のネットワーク内からhirax.netにはアクセスしないから良いのだが、hirax.netが有害サイト公式認定されたからには他のサイトがどうなっているのかは知りたいところである。いい子を絵に書いたようなhirax.netが有害サイトに公式認定されたからには、世の中は有害サイトで溢れているに違いないのである。

 そこで、まずは調べてみたのが「今日の必ずトクする一言」である。www.tomoya.comとキーを打ち、期待と共にリタ〜ンキ〜を力一杯押す…と、

おっ?、ちゃんと表示されるぞ…
こんな実に的確な指摘があったりするので、てっきり有害サイト殿堂入りしているかと思ったが、う〜む、「今日の必ずトクする一言」はOKか。まぁ、確かにそうかもしれないな。エコロジーを考えるならここは非常に参考になるものなぁ… うん、確かにそうだ。良いところは良いのだ。確かにそうだ。

 と思いつつ、じゃぁ「Fast &First」はどうだ?ことある毎に法律*****をしてそうなここならどうだ、と思いhttp://www.cds.co.jp/ff/リタ〜ン…と?

あぁ?やっぱり、ちゃんと表示されるぞ……

ってことは、有害と無害の境界線は結構正しいのかぁ?と私はちょっと弱気になった。し・しかしである。

アレ?Fast&First情報掲示板には入れないぞ?
だ・だ・だけど
Fast&First動物と熱帯魚の掲示板には入れるぞ〜?
何だこりゃぁ?

 そうか、「Fast & First情報掲示板」は有害で「Fast & First動物と熱帯魚の掲示板」は無害か!なるほど、たしかにそう言われればそうかもしれない。有害と無害の境界線は「Fast& First情報掲示板」と「Fast & First動物と熱帯魚の掲示板」の間にあったのか!「Fast& First動物と熱帯魚の掲示板」はエコロジーだから無害で、よくわからないけど「Fast& First情報掲示板」は公序良俗に反していたり、娯楽・趣味性の高い有害サイト(ちょっと大げさだけど)だったのか。「Fast& First情報掲示板」は私も昼休みに勤務先からよく覗いていたが、有害サイトだとは知らなかった。うん、実に勉強になった。

 じゃぁ「数々のアヤシゲな実験」をしている「突撃実験室」はどうだ!ここなら、きっと期待に答えてくれるだろう。うん、答えてくれるに違いない。http://www.exp.org/リタ〜ン…と?

と・と・突撃実験室もお・お・おっけ〜ですかぁぁ!?
なんてこったい。上の文字の通り私は思わず叫んでしまった。そして、無茶苦茶ロンリ〜な気分になった。「オマエだけは信じていたのに〜」と泣きたくなるような気分である。
ホントにホントにおっけ〜ですかぁぁ!?

ってことは、有害サイトはhirax.netと「Fast & First情報掲示板」だけか…なんてこったい。

 というわけで、「いわゆるひとつの実験?系サイトにおける有害と無害の境界線」を描いてみたのが次の図である。
 

いわゆるひとつの実験?系サイトにおける
有害と無害の境界線

 こ・これはちょっと何だぞ。有害サイト仲間をもっと見つけないと、むちゃくちゃヤナ感じだ。何か「オレは腐ったミカンじゃねぇ〜」とか叫びたくなってきたぞ、と。

 というわけで、「ただいま実験中」の「実験・調査系HP、傾向分析図」にでてるサイト達に勤務先の「有害・無害チェッカ〜」を通してみたのが次の図である。
 

実験・調査系WEBサイトにおける
いわゆるひとつの有害・無害分布

 へ・へ・へ(矢吹ジョー風の乾いた笑い)…有害仲間がいたぞ、いたぞ。「みんなきてKOIKOI」も「なんでも実験室」もみ〜んなみ〜んな有害サイトだ。無害サイトもいっぱいいるけど、とりあえず、有害サイトは結構いるじゃないの。「できるかな?」と「Fast& First情報掲示板」だけじゃないもんね、っと。

 しかし、じっと見てみるとなんだか大雑把な傾向があるじゃないか。頭で勝負しようが体を張ろうが何をしようが「結果重視」のサイトは有害で、「過程重視」のサイトは無害か!なんだかよくわからない基準だけど、そういう基準の企業は実際のところ多いかもしれないしなぁ… お?お?おやぁぁ??

おぉおぉ…!
せ・せ・性と愛研究所は無害ですかぁ!?!?!?…
性と愛研究所は無害でできるかな?は有害ですかぁ… 「胸は揉んだら大きくなるのか」が無害で「恋の力学」は有害ですか!なんてこったい… オッパイ星人がいけなかったのか?ピストン桑田か?ションベン小僧か?ミニスカートか?スクール水着か?透け透け水着か?…(以下、省略)
 
 

 そんなわけで、その後同僚達から集まってきた情報を集めると以下のようになった。例えば、テレビ局のWEBサイトの有害と無害の境界線はこんな感じだ。
 

テレビ局のWEBサイトの有害と無害の境界線…

 そう、NHKは無害だけど、その他は有害なのである。実にスッキリとした有害と無害の境界線である。これはNHK以外はコマーシャリズムに毒されてるから有害なのか?スゴイ!マルクスが聞いたらきっと泣いて喜ぶに違いない…あるいはキムジョ(以下、都合により削除) やはり、無害と言えば国営放送に限るのだ。その他の有害放送局の情報なんか見てはいけないのである。そういう情報はシャットしなければならないらしい…
 

 じゃぁ、日本を支える自動車会社のWEBサイトの有害と無害の境界線はどうか、というとこんな感じだ。
 

自動車会社のWEBサイトの有害と無害の境界線…

 そう、光岡自動車以外はほとんど有害サイトなのであった。大企業は悪で中小企業は正義なのである。男たるもの弱きを助け、強きを挫かねばならぬのであった。大企業は有害で光岡自動車は無害なのである。判官贔屓の日本魂炸裂である。日本人の鏡である。誠に頭が下がる思いだ。
 

 他にも朝日新聞は無害だけど、日刊スポーツは有害だとか、日記猿人(才人)は無害だけどReadMeJapan!は有害だとか、秋月電子は無害だけど秋葉館は有害だとか、笑える境界線は数限りなくたくさんあるのだけど、とりあえず今回はこのあたりで満足することにしよう。とりあえず、アクセス数の多いところは根こそぎNGてな感じかなんだろうな。おっ!?ってことは、アクセスログ片手に人が見ながら判断したのかぁ?それはそれでかなりスゴイものがあるぞ…信じられないような気もするが…
 

 というわけで、該当する某所の人はテキトーな経路、例えば、

とかでアクセスして下さいな、と伝言をしておきます。anonymizerがOKってのもおマヌケですが。とりあえず、アクセスできるので。ハイ。

 それにしても、二十一世紀ってこんな時代だったのだろうか? 何故1984年は1984のようにはならないか、あなたはわかるはずだ。」と言われたのはもうすでに二十年近く前の話だ。あのコマーシャルの中でBIGBROTHERは延々と「害ある情報を隠せば、我々は安泰で、そして繁栄していくのだ」と演説していた。そのBIGBROTHERは走ってきた女性の投げたハンマー、言い換えれば個人が使うコンピューター、が壊した。情報が駆けめぐってる今日はあの延長上にあると私は思うのだ。そしてまた、二十世紀に生まれた人間としては、二十一世紀には素晴らしい世紀になって欲しいと少しばかり夢を抱いていたりするのである。
 
 

2001-04-07[n年前へ]

スカートの力学 予習編 

風に吹かれるスカートは

 四月になって、春風が強く吹き始めた。春風と言えば聞こえは良いけれど、コンタクトレンズを使っていたりする人は強い風が吹くとゴミが入ったりしやすくて辛いだろうし、まして花粉症だったりすると涙が止まらなかったりしてきっと辛いことだろう。

 そんな辛い季節でも、たまにドキドキするような気持ちになる瞬間がある。もちろん、それは春風にスカートが舞い上がった瞬間だ。スカートが風に吹かれた瞬間に、私は理由もなく(いや理由はちゃんとあるのだが)心と体がドキドキする。それはもちろん私だけでなくて、男なら間違いなく誰しもがそんなドキドキを味わったことがあるはずだ。もっとも、そんな男心を理解しないヤカラはそんなドキドキを軽蔑するに違いないのだが、それが男というものなのだからしょうがないのである。

 とはいえ、男心は「男の心」という位だから、女性にはなかなか判りづらいことだろう。「女子高生なんかはどうせスカートの下に短パンを履いているのに、それでもドキドキするものなの?」などと言う女性も多い。しかし、「それでもドキドキしたりする」ものなのである。いや、もちろんスカートの下にジャージを履いてるなんてもっての他ではあるが、短パンくらいならドキドキ度は全然減らないものなのである。それが、つまりは男というものなのだ。

 そして、逆に「スクール水着の秘密」ではないが、女性には常識でも我々男には全然判らないことが世の中にはたくさんあるに違いない。ちなみに、私にとってはスカートもその一つである。何しろ、あまりスカートについて自分のこととして考える機会がなかったのである。いや、実際のところそんな機会は全然無かったのである。そこで、今回は「春風に吹かれるスカート」について考えてみることにした。(本題に入る前に一応書いて置くけれど、今回も「スクール水着の秘密」と同じく、女性から見たら「なんて当たり前のことを」とか「それちょっと違うんじゃないの」ということを書いている。そんな風に感じた方は是非、メールででも私に情報でも頂けたら、と思う次第である。)
 
 

 さて、本題である。

 この右の図のような「風に吹かれながら女性がスカートを押さえている風景」をよく見かける。もっとも、「よく」見かけるなんていうと、私がさぞそういう風景を探し求めているように聞こえるかもしれないが、そんなことはない。風が強い季節であれば、そんな風景は満ちあふれているのである。

 さて、この女性のスカートのように風に吹かれたスカートについてちょっと考えてみよう。
 
 

 

「風に吹かれながら
女性がスカートを押さえている風景」
(animeBODY)

 まずは、体の前方から強い風が吹いているものとする。つまり、強い向かい風が吹いている状態である。ちょっとその女性にとってはツライ状態である。そこで、うすみどり色のスカートを履いている女性は、スカートがめくれ上がらないように、スカートの前部を両手で膝近くで押さえているわけだ。しかし、それでも風に吹かれてスカートの後ろは舞い上がってしまう。例えば、下の右図で女子高生の体の後ろでスカートがめくれ上がっている。それをもっと単純にしたのが左で、この図中ではスカートはCの位置まで上がってしまっている。
 

女性に強い向かい風が吹いている状態
M.H.Tさん画

 もちろん、男心からすればCどころではなくて、Aくらいまでスカートには高く高く舞い上がって欲しいわけであるが、女心からすればそれはとんでもない話だろう。

 さて、このスカートのめくれあがる位置Cは何で決まるだろうか?もちろん、流体力学・弾塑性体力学などを総動員して解かなければならないわけではあるが、それは次回以降のお楽しみということにしておいて、予習編の今回は単純にスカートがOC方向には曲がらないものとしてみよう。だとしたら、話は簡単だ。ただスカートの裾の広さでCBの長さは制限されるわけである。スカートの裾が広ければ、スカートの端は高くまでめくれあがってしまうし、スカートの裾が狭くなっていれば、スカートは比較的低いところまでしかめくれない。

 だから、この下の色々なスカートの中でプリーツ・スカートのようなフレアタイプの場合は、スカートは高隈でめくれ上がってしまうだろうし、タイトスカートのようなスカートの裾が狭いものであれば、強い風にも負けず、スカートはめくれ上がることはないだろう。
 

色々なスカート (http://www.onward.co.jp/

プリーツ・スカート

タイト・スカート
 
 

巻きスカート

ボックス・スカート
 
 

 しかし、しかしである、スカートの裾を狭くすれば春風にスカートが舞い上がってしまうことはなくなるかもしれない。だけど、スカートの裾の長さが制限するのはスカート自身だけでない。スカートを履いている女性の動き自体も制限してしまうのである。それではずいぶんと窮屈になってしまうことだろう。スカートの裾が狭いせいで歩幅も狭くなって、走り回ったりすることもできなくなるに違いない。だからこそ、脚を蹴り上げる藤原紀香のJ-PHONECMのスカートも、脚の動きが制限されないように、スカートの後ろに切れ目が入っているのだろう。

 ということは自由に駆け回ったりしようとすると、つまり、スカートが足枷にならないような裾の広いスカートを履いていると、そんなスカートは風に吹かれて舞い上がりやすいわけだ。そして、そんなスカートを履いていると春風に困らせられることになる。

 とはいえ、実際にスカートを履いたことがあるわけじゃないから、私には実際のところよく判らない。だから、女性の方々の「本当はこうなのだ」という教えでも請うしかないのである。結局、スカートの話は、スカートを履く人には常識きわまりない話だろうが、私はこれまで考えたこともなかったので全然よくわからない。これが、男と女の常識の違いなのかもしれない。いや、単に私の常識知らず、という可能性が一番大ではあるのだけれど…
 

 そういえば、辞書でskirtを引いてみると「女;女の子」なんていう風にも書いてあった。なるほど、風に吹かれるスカートも走り回るスカートも、確かにその女性そのものなのかもしれないなぁ、と少しばかり思ったりしたのである。だとしたら、風に吹かれるスカートは向かい風には負けないで欲しいな、と柄にもなく思ってみたりするのである。ホントに私の柄じゃないのだけれど。

2001-07-25[n年前へ]

遠い空のはて? 

地平線の向こうに手を伸ばせ

 先日、富士山の五合目へ行った。と一言で言っても、富士山の五合目にも色々ある。何しろ上り口が、第一人気の「吉田口・河口湖口」、下りの「砂走り」で有名な「御殿場口」「須走口」、そして測候所の白ドームを目指し最短距離一直線の「富士宮口」と四種類もあるのだ。その色々ある五合目の中で、先日私が行ったのは富士宮口の五合目というところだ。富士山の太平洋側から富士山頂に向かう登山口の標高2400m地点ということになる。もしかしたら、表富士五合目と言う言い方のほうが有名なのかもしれない。

 その表富士五合目から下を眺めると、ずいぶんと遠くまで見えることに本当に心からビックリした。雲が下のほうに広がっていて、そしてその向こうに海や山や地平線が見える。そして、気のせいか地平線がとても丸いような気がする。その五合目までは車で簡単に来ることができたのだけれど、さすが標高2400mは伊達ではなかった…。やっぱり富士山は日本一の山かもしれない…。そして、そんな景色を眺めているうちに、私は色々考えてしまった。
 

 あぁ、下を眺めると遠くまで景色が本当にきれいだ。そういえば、眺めると言えば…

 これまで、私は急な階段の下から上を眺めたらスカートの内側の下着なんかを覗けるかどうかをジックリ考えてみたりしてきたなぁ。それに、SONYの誇る可愛いらしいAIBOの気持ちになって、やっぱり同じく低いAIBOの視点から上を見上げたらやっぱりスカートの内側が覗けるかどうかを考えてみたりしたなぁ。見上げてばっかりだなぁ、しかも、どれもスカートの内側かぁ…。
 そういえば、透け透け水着もマズかったなぁ…。あれ、本当に仕事の話から始まったんだけどなぁ…。誰も信じてくれないし…。

 あぁ、だけど、やはりそんなことを考えていてはいけなかったんだ…。そんなことをしてたから、画像処理追求サイトを目指したハズだったのに、何時の間にか有害サイト認定されてしまったりしたに違いないんだ…。ついには、「こどもに見せられないページ」保証までされたりするしなぁ…

 私は一体何処で間違えてしまったのだろう…? あぁ、それにしても地平線がきれいだ…。地平線が丸い…。 あぁ、地球はやっぱり丸いんだなぁ…。


 と、まるで「生きる」で「ブランコに乗りながら人生を振り返る」志村喬のように、我が身を振り返っている内に、ふと「そういえば、地平線って一体どのくらい向こうにあるんだっけ?」と考えはじめてしまった。そもそも、地球が丸いからどうしてもある距離以上は見通すことができなくて、それが地平線なわけだけど、それは一体どのくらい先なのだったのだろうか?

 おぼろげな記憶を辿ると、意外に地平線は自分の近くにあって、確かほんの数km先程度だった気がするのだけれど…。さて?あれ? はて… 果て…?

 というわけで、地平線までの距離を計算してみた。まずは、そのために下図のように視点の高さYと地球の半径Rをとってやる。
 

地平線までの距離を計算するために…

 「視点位置」と「地球中心」と「地平線」を結んだ三角形(グレーで塗りつぶした部分)がもう簡単なくらいに直角三角形なことに注目して解いてみると、「地平線までの距離」は「視点の高さY」の関数として

というような形になる(計算が合ってれば…)。これに、地球の半径R = 6400kmを代入してやれば、視点の高さYに応じた地平線までの距離が求められるわけだ。

 そこで、まずは視点の高さが0〜3m位までの場合をグラフにしてみたのが次の図である。歩き始めて広い世界で暴れだすだろう頃の一才児の身長を緑、そして、かつてはデカイの代名詞といえばコイツという存在だったアンドレ・ザ・ジャイアントの身長223cmを青で記入してみた。
 

視点の高さが0〜3m位までの場合の地平線までの距離( km )
みどり:歩き始める位の一才児の身長 = 70cm
青:アンドレ・ザ・ジャイアントの身長 = 223cm

 このグラフを見ると、一才児の地平線はおよそ3km先にあって、アンドレ・ザ・ジャイアントの地平線は5〜6km先にあることがわかる。もちろん、その間の身長の人達の地平線はその中間、そう4km先くらいにあるわけだ。私たちの地平線はほんの4km先、なんと走ればほんの20分位のところ、歩いても一時間かからない程度の近くに地平線はあるのだった。地平線なんていうと、遥か遠くにあるように思えるけれど、手の届くほんのすぐ先にいるのである。

 そして、歩き始めた子供の地平線と巨人アンドレ・ザ・ジャイアントの地平線がたいして変わらない、というところも面白いものだ。あれだけ背が高ければ、さぞかし広い世界を眺めているのだろう、と思ったりするがそういうわけでもないのである。

 じゃあ、もう少し高い場所に行くとどうか、ということで1000mまで視点の高さを上げてみたのが次のグラフである。東京タワーの特別展望台の250mを緑で、あくまで計画中の秋葉原タワーの特別展望台の500mを青で示してある。 ここまで上がると、250m地点で地平線は60km先になり、500m地点では80km程度先まで見通せることになる。東京駅の位置からの距離で言うと、60kmでは箱根くらい、80kmで三島くらいだろう。
 

視点の高さが0〜1000m位までの場合の地平線までの距離( km )
みどり:東京タワーの特別展望台
青:計画中の秋葉原タワーの特別展望台

 調子に乗って、さらに視点を高くしてみよう。先の表富士の五合目2400m地点では200km近く見渡せ、東京駅からの距離で言うと地平線は遠く浜名湖辺りまで離れていく。そして、さらにさらに視点を上昇させ、ジャンボジェット機の巡航高度地上10kmからであれば、なんと350kmほども見渡せるのである。350kmだと東京駅から京都くらいだろうか。東京-京都と言えば、そうちょうど東海道五十三次だ。江戸時代の人達が一月近くもかけて歩いたくらいの彼方まで地平線は後ろへ下がっていくわけだ。地平線は時が流れるにしたがって、遠くに広がっていくのだ。
 

視点の高さが0〜10km位までの場合の地平線までの距離( km )
みどり:表富士の五合目
青:ジャンボジェット機の巡航高度

 そのジャンボジェット機から見える地平線は、かつては一月近くもかけて歩いたくらいの遠く、400kmも遠くなのだから、そこまで行くと地平線が「遥か遠く」に思える。一瞬そう思える、のだけれど実はそんなことはない。ジャンボジェット機の速度からすれば、そんな遥か彼方の地平線だって、やっぱり30分ちょい位のすぐ近くだ。私たちが普通に立っているときの地平線が4〜5kmくらいのすぐ近くにあって、歩いてみればやっぱり30分ちょいで行ける、というのとほとんど同じなのだ。
 



ジャンボジェット機から眺めた地平線(水平線)



 五歳くらいの子供の地平線と、空を飛び回るジャンボジェット機の地平線を時間を距離の単位として比較してみれば実はほとんど同じ遠さだ、というのは何だかとても面白い。大地の果てと天とが接っする地平線はとっても近くにあって、そこまで行くのにかかる時間は小さな子供でも巨大なジャンボジェット機でも同じなのである。

 「地平線」なんて言うと、まるで「手が届かないもの」の代名詞みたいに使われたり、あるいは「その先には何があるのかわからないもの」の代名詞に使われたりするけれど、ちょっと行こうとして見れば、片道30分ちょっとでその「地平線」まで辿りつくことができるわけだ。案外、遠くにあると思い込んでいるものも、手を伸ばしてみれば、もしかしたら手が届くものなのかもしれない。しかも、それは地平線まで辿り着く時間が小さな子供でも巨大なジャンボジェット機でも同じだったように、誰でもできたりするものなのかもしれない。

 もちろん、かつての「地平線」だった場所まで辿り着いたとしても、新しい「地平線」は視界の向こうに下がって行くわけなのだけれど、そこまでだってやっぱり歩けばほんの30分だ。遠い空の果て、地平線の向こうは、すぐそこだ。

2001-10-27[n年前へ]

思えば遠くへ来たもんだ… 

故郷を離れて三年目

 「できるかな?」を某所で唐突に書き始めたのが、三年前の10月のことだった。今でもそうなのだけれど、「画像形成技術に関するエトセトラ」といういたって小難しい真面目な話がメインテーマで書いていた。そして、書く内容はそのままに、hirax.netを立ち上げたのが、その12月である。しばらくは、同時進行的に「最初に書き始めた場所」と「hirax.net」に落書きを続けていたのだけれど、今では「最初に書き始めた場所」の方はほとんど更新していない。それでも、書き始めた場所も今でもちゃんと残ってはいる。言わば、故郷はそのままに、外の世界へ飛び出したわけである。そんな風に、「故郷」を離れてもうすぐ三年目になるわけではあるが、とりあえずよちよち歩きを続けている。

 何はともあれ、「できるかな?」も三歳の誕生日を過ぎたわけで、「ハッピーバースデー> ワタシ、ありがとー > ワタシ …」何て、ムナシク誕生日(ワタシでなく「できるかな?」の)を心の中で祝いつつ、そんな三年を振り返えってみると、その三年の間に周りでは色々な変化がおきた。

 例えば、三年前であればワタシにとって検索サイト = infoseekだった。「検索サイトイコール infoseek」であって、「infoseek イコール 検索サイト」であったのである。しかし、今では検索サイトというとGoogle以外にはもう考えられない。私のインターネットエクスプローラには、当然GoogleToolbarがインストールされているので、何か検索したいものがあれば、そのToolbarにキーワードを入れるだけである。

 最近ではよく知ってるサイトに飛ぶのにも、わざわざURLを入れるのがメンドくさいので、GoogleToolbarにキーワードやサイト名を入れて、そのサイトに飛ぶことも多くなってしまった。そして、ついには、検索先のページを見に行かずに、Googleのキャッシュを読んで済ますことさえ、実に多いのである。そう、Gooleはエライのである。「Googleは最も的確な検索結果を瞬時に表示します。」とGoole自ら誇るのも、実にもっともなのである。Googleは正しく、Googleは間違えないのである。物覚えが悪く、めんどくさがりやのワタシを救ってくれるのはいつもGoogleだったのである。
 

 しかし、そんなGoogleの検索結果が私にショックを与えた。ある日、私は”オッパイ”というキーワードで検索をかけた、いや、知人がそのエロ検索をかけたということにしておこう。で、”オッパイ”で検索をかけた結果のサムネール画面が下の一覧である。左から検索結果の1位、2位、…、5位というように並べてある。また、同じサイト内のページは一つにまとめて表示してある。
 

”オッパイ”の検索結果

 で、これを眺めてみると、なんとhirax.netから「オッパイ星人の力学 第四回」が四位にランクインしているのである。世の中にオッパイページが沢山ある中で、「ワタシがオッパイ第四位?」ととてもビックリしてしまったのである。周りの桃色ページに囲まれて、唯一ワタシのテキストページがじっと所在無げにたたずんでいるのだ。ワタシの左は「オッパイねえちゃん」、ワタシの右は「アイドルのぷるるん…」、エッチな向こう三軒両隣、ワタシは一体何処にいるの?どうして、ワタシは此処にいるの…?と思わず考えてしまうのである。

 Googleは正しく、Googleは間違えず、Googleは最も的確な検索結果を表示するハズなのだが、それなら何故ワタシのページがエッチな向こう三軒両隣状態になってしまうのだろうか。これはマズイ。Googleは「できるかな?」をエロページとでも思っているのだろうか?
 

 これはイカン、「冷静になって今の自分の状態を把握せねば!」と、ちょっとエッチ系のキーワードで検索を続けざまにかけてみた。まずは、”オッパイ”という少しばかり曖昧な言葉ではなくて、もう少し具体的にエッチなキーワードにしてみるとどうなるのだ?ということで、オッパイ伝説のキーワードともいえる”松坂季美子”の検索結果が下である。
 

”松坂季美子”の検索結果

 嗚呼、すると何とここでも「松坂季美子と言えば、世界中で四番目にはこのワタシ」なのである。そしてまた、向こう三軒両隣を眺めてみると、左は「アダルトビデオの販売店」、右も「アダルトビデオの販売ページ」、やっぱりエッチな両隣、ワタシは一体何処にいるの?なのである。
 

 こんなものをワタシの母親にでも見られたら、ワタシは既にいい年であるにも関わらず、「こらっ!何ばしようとかいなこの子は!」(by武田鉄矢の母@「母に捧げるバラード」)と怒鳴られること間違い無しなのである。「今も聞こえる〜、あのお袋の〜声〜」なのである。

 「何の何の、これはちょっとした間違い、間違い。ヘンな偶然がちょっと続いただけさっ」と気を取り直して、次は”スクール水着”で検索をかけてみた。
 

”スクール水着”の検索結果

 す・すると、何とスクール水着の第一位はワタシなのである。ワタシはスクール水着の世界チャンピオンなのである。思わず「スクール水着と言えばワタシですかぁ?このワタシが…」と絶句してしまったくらいなのである。「スクール水着と言えばワタシ、ワタシと言えばスクール水着」という必要十分条件でないのが不幸中の幸いではあるが、何ともビックリなのである。そして、今回もまたワタシ以外のページははもう何とも色使いまでよく似ていて、ワタシのテキスト主体のページは肩身が狭そうに薄汚れているのである。いや、薄汚れているまではいかないかもしれないが、少なくとも華やかな装いはしていないのである。
 

 「できるかな?」が三年前、「故郷」を離れて「外の世界」へ飛び出した時には、「画像形成技術に関するエトセトラ」だったハズが、故郷を離れてはや三年経って、何時の間にかスクール水着の世界チャンプになってしまっていたのである。そして、知らないエロエロ向こう三軒両隣の中で、ワタシは肩身が狭そうにじっと佇んでいるのである。

 呆然とするワタシの頭の中で武田鉄矢が歌う

思えば遠くへ来たもんだ  故郷離れて三年目    
思えば遠くへ来たもんだ  この先どこまでゆくのやら
という歌声が流れ出すのも、いたって当然の哀しい現実なのである。「オレは腐ったミカンなんかじゃねぇ〜」と「かとうまさる(加藤優@金八先生パート2)」のように叫びたくなったりもするのである。

 しかし、こんな状態は”スクール水着”に限った話ではなくて、 ”ミニスカート”でも同じだったのである。
 

”ミニスカート”の検索結果

 またしても、ワタシはポールポジションを奪ってしまったのである。「超ミニスカートやセクシーキャミソール」やら「美脚NO.1の西端さおり」を後に従え、トップ・オブ・ミニスカートになってしまったのだ。えーい、もうワタシはミニスカ・チャンプでも、スクール水着・チャンプでもどうでも良いぞー。セクシーキャミソールでも、西端さおりでも何でも持ってこーい。いいから、早く持って来ーい。と、やけになってグレていたワタシを救ってくれたのは、やはりGoogleであった。ワタシを奈落の底に突き落としたのもGoogleであったが、救い出してくれたのもやはりGoogleであったのである。良いヤツなのか悪いヤツなのかよく判らないが、とにかくGoogleだったのである。

 何故なら、WEBページを分類しているGoogleWeb Directoryを眺めてみると、わがhirax.netはちゃんと「World> Japanese > コンピュータ > グラフィックス > 画像処理・開発」 に分類されているのである。そもそも「エロ」という分類がGoogleWeb Directoryには見当たらないような気もするのではあるが、そんなことはどうでも良いのだ。やはりGoogleは「できるかな?」を「画像形成技術に関するエトセトラ」だと判ってくれていたのである。
 

Google Web Directoryでは「画像処理・開発」の中にちゃんと…

 

 とはいえ、何だかアンニュイな気持ちになるのもまた事実なので、武田鉄矢(海援隊)の「思えば遠くへ来たもんだ」の元歌詞でもあるだろう中原中也が歌った「在りし日の歌」中の「頑是ない歌」の替え歌でも口ずさみながら、一人寂しく誕生日を祝うのである。 
 ハッピーバースデー……、  しくしく…、 シクシク…(涙)。
 

あれから三年経つただけ
検索結果を茫然と
眼で追ひ 哀しくなつてみた
あの頃の俺は今いづこ?

これでは まるでエロサイト
思へば遠く来たもんだ
此の先 まだまだ何時までか
続けてゆくのであらうけど…



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