2000-02-02[n年前へ]
■日出ずる処のダイナブック
東芝ノートの発表日の秘密
東芝の作るノートPCはアラン・ケイが考えた"Dynabook"という名前で呼ばれる(日本では)。その名に恥じないように、東芝もノートPCに関しては力を入れまくりのハズである。
私も歴史は浅いが数台にわたって東芝ノートのユーザーである。ポインティングデバイスなどは、東芝のトラックポイントとボタンでないと耐えられない体になってしまった。いや、本当に。
しかし、使い始めて年月が経つと性能の低下や不具合が出てくる。特に、ケースが割れまくる機種などを使っていると、なおさらである。
そうなると、どうにも新製品が気にかかってくる。「早くいい新製品が出ないかな」と熱望するようになるのである。
そういう気持ちは誰しも抱くと思われ、NiftyのフォーラムやWEB上の掲示板を眺めてみても、新製品の噂情報は数多く溢れている。
中でも、
- どんな新製品が ( What )
- いつ出るのか ( When )
だからといって、掲示板で「私はいつPCを買えば良いのでしょう?」などと尋ねたりすると、
「欲しいときに買えェ。」 (By スタパ斎藤)などと言われること必至である。
「そんなことは自分で決めろ。」
だから、新製品を買うべきか買わざるべきか、というジレンマに私たちは頭を悩まされることになる。まるで、ハムレットである。
そもそも、このジレンマの理由は新製品の発表が前もって知ることができないという点にある。いつ・どんな新製品が出るかどうか判っていれば、あとは自分の判断で決めれば良いのである。
このジレンマは東芝の青梅工場に忍び込んだりすれば即座に解決できる。しかし、その場合、今度は「囚人のジレンマ」を考えなければならなくなってしまう。このような問題点のために、「東芝青梅工場に忍び込む」方法は採用すべきではない。
そこで、よく考えてみる。先の
- どんな新製品が ( What )
- いつ出るのか ( When )
今回は、東芝のノートPC製品の発売日を統計的に調べ、そこに隠れている規則性を明らかにしてみたい。というわけで、今回は新製品が欲しい人たちに贈る研究報告である。
まずは、
- Notebook Center ( http://www.kamikura.com/notebook/)
- 機種 発売日
- Libretto50 1997/1/7
- Satellite220 1997/5/8
- Libretto60 1997/6/24
- Libretto70 1997/10/29
- Satellite 300/305/310 1998/2/2
- Libretto100 1998/3/5
- TECRA780 1998/4/2
- Satellite 1998/5/11
- Satellite325/320 1998/7/27
- Satellite4000 1998/8/3
- Portege3010/3000 1998/8/12
- TECRA8000_Satelllite4000X/4010X_PORTEGE7000LibrettoSS1010 1998/10/22
- Satellite2510 1998/11/5
- PORTEGE3020 1999/1/7
- Satellite2520 1999/1/13
- SS3300_Satellite4000 1999/1/26
- SS7020X 1999/4/13
- DynaBook4050X/2540S 1999/5/12
- SS3330 1999/6/3
- Satellite4100X 1999/6/15
- Librettoff1100_DynaBookSS3380 1999/6/28
- DynaBook2060 1999/8/5
- Satellite2590X/2100 1999/10/14
- SS3330V 1999/10/26
- SS3380V 1999/12/7
- Satellite4320/4260/2140 2000/1/19
- Dynabook 2000/1/26
ここで、このグラフの曜日軸は、
- 0 日曜日
- 1 月曜日
- 2 火曜日
- 3 水曜日
- 4 木曜日
- 5 金曜日
- 6 土曜日
- 火曜日〜金曜日
何故、月曜日に発表しないのか、このナゾをと某メーリングリストで質問した所、幸いにもその答えを教えて頂いた。それは日付変更線と関係していたのである。
もし、日本で月曜日に新製品を発表すると、日付変更線の向こう側のアメリカではまだ日曜日である。すると、全世界で同時発表ということができない。東芝は全世界を視野におくので、全世界同時発表ができる火曜以降が良い、というわけである。その結果として「火曜日〜金曜日」になるというわけである。
日出ずる処のダイナブックが故なのである。
また、今回の結果では発表月は1,10月が多かった。
そこで、今回の結論は
- 「東芝ノートPC発表は1,10月の週の中頃に期待しろ」
- 「東芝ノートPC発表は月の始めの金曜日に期待しろ」
P.S.メモリー容量の上限をもっと多くして下さると幸いです > 東芝さま
2000-10-29[n年前へ]
■「しょんべん小僧」の物理学
あともう一歩、前に出ろ
以前、- スクール水着の秘密 - 腹の部分のデカイ穴 流体力学入門編2 - (2000.08.24)
「男性にはよくある風景だけれど、女性にとっては未知のミステリアスゾーン」といってもたくさんあると思うが「男子トイレ」というものだって、女性にとっては未知のミステリアスゾーンだろう。
次の絵はよくある男子トイレの一風景だ。便器前のポジションに立つとどうしても目に入る位置にこんな内容を書いたチラシが張ってあることが多い。
「ちょっと待て、あともう一歩前に出ろ。」
もし、その張り紙がなかった場合にはどうなるだろうか?その場合には、下の絵のような事故が発生してしまうのである。実際のところ、ほとんどの公衆便所で見かける風景だ。
そう、便器にロックオンして放水をしたハズなのに、何故かターゲットである便器まで「小便」が届かずに便器下を汚してしまうのである。実にマズイ事態ではあるがよく見かける風景でもある。便器内を狙ったハズの小便が残念ながら目標地点まで辿り着かなかった場合に起きる悲劇である。
もちろん、どんなに飛距離が小さくても、すなわち小便が放水銃の先から真下に垂れてしまった場合でも、便器の顎の上から放水作業を行っていれば何の問題もないわけだ。しかし、世の中の男性達は何故か遠くから狙いたがるのである。先程の、「ちょっと待て、あともう一歩前に出ろ。」という張り紙ではないが、もう一歩前に出て便器の顎の上から放水作業を行いさえすれば良いのではあるが、何故か漢(ここではあえて、漢と書いてオトコと読むことにしよう)達はそれができないのである。
さて、この現象には別に公衆便所でなくても発生するわけで、どこのトイレでも便器の下を汚してしまうことになる。そのため、家庭によっては妻から
はるか古の昔から「男らしさ」のひとつが「立ち小便」でなかったか?、そして「立ち小便」は「男らしさ」の最後の砦ではないのか?という気も私は少しだけしたりするのだが、便器周りを汚しまくる現実の前ではそんな「男らしさ」は2000円札よりも価値がないのである。2000円札ならば喜んで受け取ってくれる人もいるだろうが、便器の下に落ちようとする「小便」は誰も受け取ってくれない。いや、実際のところ小便を喜んで受け取ってくれる人もいるのかもしれないが、少なくともそんな人の数は2000円札を喜んで受け取る人の数よりはきっと少ないだろうと思うのである。
そしてさらに、「男らしさ」が「立ち小便」なら、そんなものイラナイと言われてしまいそうな気もするし、「立ち小便」が「男らしさ」の最後の砦か!?と言われてしまいそうな気も強くするので、ここらへんについての社会学的な考察は追求しないでおこう。
それでも、私は世の中の虐げられている「しょんべん小僧」達のため、そして「男らしさ」の最後の砦を守るために、男子トイレの「しょんべん小僧」達がどうしたら、放水ミスをしないかを物理的に考えてみることにしたい、と思うのである。
さて、便器まで小便が届かないという「放水ミス」はどのようにすれば防ぐことができるだろうか?小便の飛距離を小さくしないためにはどのようにしたら良いだろうか?そのためには、まず小便の飛距離がどのようにして決まるのかを考えなければならないだろう。
下のちょっとリアルな「しょんべん小僧」の放水作業ではないが、小便の軌跡はきれいな放物線を描く。
すなわち、空気抵抗などは無視した場合のピストルの弾と同じく
- 銃筒の先端を出るときの初速度
- 銃筒の角度
銃筒の先端を出るときの初速度 = V0と表すと、小便の飛距離は
銃筒の角度 =θ
a V0^2 Sin[2θ] (aは定数)と表される。この式を見ればθ = 1/2 rad.の時にSin[2θ]が1になるので一目瞭然であるし、また感覚的にも自然であるが、銃筒の角度の方は上向き45度の角度に向けるときに小便の飛距離は最大になる。一方、初速度V0の方は速ければ速いほど、小便の飛距離は伸びる。
それを示したのが、次の図である。「小便の銃筒の先端を出るときの初速度と銃筒の角度を変えた時の小便の飛距離」を示したものだ。
すると、便器まで小便が届かないという「放水ミス」すなわち、小便の飛距離を小さくしないためには、銃筒の角度を大きくしすぎたり、小さくしすぎたりしないという知見が得られるわけであるが、そんなことは当たり前だ。誰もトイレで銃筒を真上に向けたり、真下に向けたりはしないのである。先のちょっとリアルな「しょんべん小僧」ではないが、手で放水銃を支持している限り何の問題も無いのである。
つまり、便器まで小便が届かないという「放水ミス」はほとんどの場合「放水銃の角度」のせいではないのである。つまり、「銃筒の先端を出るときの初速度」が問題だったと考えるのが自然である。
それでは、「銃筒の先端を出るときの初速度」はどのようにして決まっているのだろうか?それを大雑把に考えてみたのが次の図である。腹筋で膀胱に圧力Pをかけて、銃筒の先端から小便を初速度V0で放水作業を行うのである。
ところで、上の絵でポンプとして表した膀胱に圧力Pをかけた場合には、膀胱からb P (bは比例定数)と表せる量の小便が銃筒に送り込まれるものとしよう。その場合、その量の小便が銃筒の先端から単位時間に出るわけであるから、銃筒の先端の口径をAとすれば、
V0 = b P /Aと表すことができる。すなわち、「銃筒の先端を出るときの初速度V0」は腹筋で膀胱を締め付ける圧力Pに比例し、銃筒の先端の口径Aに反比例するのである。
さて、いくら腹筋が強い人であっても腹筋をいきなり締め付けることはできない。つまり、腹筋で膀胱を締め付ける圧力Pというものは徐々に大きくなるのである。
すると一見、「銃筒の先端を出るときの初速度V0」も0から徐々に大きくなる、すなわち、放水作業を開始した最初の瞬間は「銃筒の先端を出るときの初速度V0」= 0であって、小便の飛距離も0である、つまり、便器まで小便が届かないという「放水ミス」が必ず起きるかというと、実はそういうわけではない。
ポンプである膀胱から銃筒の先端までは、ある程度の長さがある。もちろん、その長さは一定ではないのだが、とにかくある程度の長さがある。そのため、小便が銃筒の先端から出る瞬間には、ポンプである膀胱にかかっている圧力Pは0ではないのである。すなわち、膀胱から銃筒の先端まである程度の長さがありさえすれば、「銃筒の先端を出るときの初速度V0」は結構大きくすることができるのだ。もちろん、腹筋を鍛えて、腹筋に急激に力を掛けることができれば、その効果はさらに上がることは言うまでもない。
だとしたら、一般的に便器まで小便が届かないという「放水ミス」は一体何時起きるのであろうか?それは、「銃筒の先端を出るときの初速度V0」を決める膀胱にかかる圧力Pが低下し、なおかつ最初の瞬間と違い「膀胱から銃筒の先端までの長さ」を有効に活用できない、放水作業を終える瞬間である。飛行機でも着陸が一番難しいというが、この放水作業もやはり放水作業を終える瞬間が一番難しいのである。そのため、多くの場合小便達は便器内への着陸に失敗し、便器の下を汚してしまうのである。
しかし、私は「男らしさ」の記念物でもある「立ちしょうべん」を守るために、一つの解決策を考えついたのである。「男らしさ」の最後の砦を守る技術を提唱したいのである。すなわち、「銃筒の先端を出るときの初速度V0」は腹筋で膀胱を締め付ける圧力Pに比例し、銃筒の先端の口径Aに反比例するのであるから、放水作業のラストに膀胱を締め付ける圧力Pが小さくなった、あるいは、膀胱を締め付ける圧力Pを有効に膀胱からの排水に変換できない排水作業のラストにおいて、銃筒の先端の口径Aを小さくしてやればよいのである。そうすれば、「銃筒の先端を出るときの初速度V0」は「銃筒の先端の口径A」に反比例するのであるから、膀胱から出てくる小便の量が低下しても、「銃筒の先端を出るときの初速度V0」を0にならないように維持することができるのである。これにより、放水ミスを防ぐことができるハズなのである。
さて、私は「男らしさ」の最後の砦である「立ちしょうべん」を守るために、このような技術を考えてみたわけであるが、この技術の実証作業は行っていない。果たして、「銃筒の先端の口径A」を自分の意識で小さくすることができるか!?というところに大きな問題点があるような気もするのであるが、それは「男の意地」で克服できると私は信じている。外部から制御するって手もあるのだし。って何の手の話だ、全く。
2001-10-16[n年前へ]
■「分光的に近い色」
「分光的に近い色」でない場合の問題点は、そこにあたる光の波長分布が違うと色が合わなくなってしまうことが一つあります。昼間の光で色が合っているように見えても、夕日があたった途端に塗りなおした個所が丸判りなわけです。
でもって、もうひとつの問題点は「自分の目」は人によって個性があってそれぞれ違うわけです。だから、たかだか三次元に情報が減らされた「自分の目」で合わせたつもりになっている時には、「他の人にはきっと違う色に見えているんだ」と意識することを忘れないようにしたいな、と思うわけです。 「分光的に近い色」の場合には、自分の目を直接的には介さないかもしれませんが、そのかわりに「一見、機械的には見えるけれども」他の光りがあたっている場合や、他の人の目で眺めた場合のことも意識できるのが良いところかもしれないですね。
とはいえ、私も自分の目で作ってく作業は大好きですよ。えぇ、もちろん。ただ、「自分の目はみんな違う」っていうのがちょっと頭のすみにあるってだけで。
2002-01-20[n年前へ]
■徳川埋蔵金殺人事件
超論理特許ミステリー「狩野埋蔵金の埋蔵場所を解読し発掘する方法」
ワタシの勤務先では「一年に*本特許を書くべし」という恐ろしいノルマがある。もちろん、こまめに書いていれば何の問題もないのだけれど、他の仕事にかまけてついつい後回しにしていたりすると、年末や期末には特許をまとめて書かなければならなくなる。架空の物語を量産する小説家のように、架空の実験データを描き整理し、架空の特許を量産しなければならなくなるのである。
いつものごとく、昨年末もそうだった。年末の最後の二三日は特許書きで追いつめられ、しかも書き上げられずに、できの悪い小学生のように、家へ書きかけの特許を持ち帰って、正月休みに特許を書かなければならなくなったりしていたのである。そんなわけで、正月番組を見ながら、特許庁の電子図書館のサイトにアクセスし特許調査をしつつ特許を書いていた。が、正月番組などを眺めているせいか、どうにもマジメに特許が書けなかったりするのである。いつしか、ビールを飲みながら仕事とは全然関係無い特許公報を眺めていたりしたのである。
今回、紹介する特開2001-42765「狩野埋蔵金の埋蔵場所を解読し発掘する方法」という公開特許公報もその一つである。キャッチーな名前で想像つくとは思うが、なんとこの特許出願はいわゆる赤城山徳川埋蔵金の場所を発掘するための特許なのである。世に出される特許は数多く、埋め立てゴミの数より多いくらいかもしれないが、そんな中でも「埋蔵金の隠し場所を解読し発掘する方法」なんて特許は見たことがない。歴史ミステリー、暗号ミステリー、そして、ご当地モノミステリーなどが好きなワタシは思わず目を奪われ、その特許を読み始め、そしてこの超論理特許ミステリーの世界に引き込まれたのだった。
そして、この特許のあまりの素晴らしさに今回こんな感想文を書いて、世の中にこの超論理特許ミステリー特許を広めたいと思うのである。そして、さらにはこの感想文を読んだ人が特許フォーマットに慣れ親しみスラスラと特許を書けるようになり、ワタシのように特許を書き残しで苦しむ人が減ることを強く望む次第なのである。
さて、特許では、まず「発明の名称」を書かなければならない。この特許でももちろんそうだ。というわけで、
「発明の名称」 狩野埋蔵金の埋蔵場所を解読し発掘する方法
何とも、キャッチーな名前である。これが火曜サスペンス劇場であれば、「徳川赤城山埋蔵金全裸殺人事件2 湯けむり露天風呂で美人女子大生が消えた!村に残る伝説が不気味に今よみがえる!」くらいにはパワーアップすることだろうが、特許の書類としては十分に魅力的である。この名前を見れば、誰しもワタシのようにこの特許の世界に引き込まれるハズである。
そして、次に「どんな範囲のこと」を特許として宣言するかを書くわけだ。これを請求項と呼ぶが、この特許はもちろんこれだ。
「請求項」 従来一般に赤城山徳川埋蔵金といわれている黄金の埋蔵場所を発見・発掘すること
なんと、赤城山徳川埋蔵金といわれている黄金の埋蔵場所を発見・発掘してしまうのである。特許を書いて大金を手に入れるという話はたまに聞くが、特許を書いて埋蔵金を手に入れるという話は聞いたことがない。まさに、夢というか、男のロマンというか素晴らしい特許なのである。
そして、次に「従来の技術」というセクションが続く。つまり、従来はこんな問題がありますよ、こんなに不便だったのですよ、ということを書くのである。それに対して、今回書いたこの技術はそんな「従来の課題」を解決できて、価値があるのですよ、と訴えるのだ。そこで、この特許は説く、
「従来の技術」 従来の技術は、解読に科学性が不足していたために、経済効果の悪いものであった。…暗号のかたちで示されている埋蔵金を資源として再利用するためには、闇雲に探したのでは経済的に成り立たないので技術とは言えない。埋蔵金の探査技術が発達すれば、埋蔵金の発掘は夢や学問でなく産業になるであろう
なんと、これまでの発掘を「技術とは言えない」と喝破しているのである。かつて、近所の埋蔵金伝説に、電子ブロックの金属探知器を頼りに闇雲に探そうとしていたワタシなどは、「あぁ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ…」と謝らなくてはならないような勢いなのである。この作者発明者は埋蔵金の探査技術が発達すれば、埋蔵金の発掘は夢や学問でなく産業になるとまで謳いあげるのだった。今さっき、埋蔵金探しは「夢で男のロマンだぁ」と書いたワタシはさらに「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ…」と謝らなければならないのである。
さらに、従来の「埋蔵金探し」を箇条書きに上げ、
- 勘で場所を決めて、縦穴を掘り、さらにいくつもの横穴を掘ったり、ブルトーザーで土を押しのける
- 百年にもわたり、長期間諦めずに掘る
しかし、そんなミステリー特許に引き込まれていくワタシの心の中のツッコミなど知る由もなく、この埋蔵金小説許では、引き続き具体例を挙げて特許の内容を説明していくことになる。それが、次の「実施例」である。具体的な資料群をもとに、埋蔵金発掘に迫るストーリ〜が書き示されている。
が、この資料群がスゴイのである。何しろ、こんな感じなのだ。
- 資料A 「常習赤城におよそ三百六十万両。古井戸を掘ることを手がかりとすべし」という水野家に伝わる遺言
- 資料B 「寺の床下から発見された方位図・地図・暗号文書」
- 資料C 「空井戸から発見した銅板と像」
- 資料D 「黄金埋蔵はアッという間にされたらしい、という地元住人のウワサ」
しかも、資料Aの「常習赤城におよそ三百六十万両。古井戸を掘ることを手がかりとすべし」という遺言に対しては、「ここで疑問に思うのは、義父が何故もっと詳しく埋蔵場所を教えなかったのか」などと死者にムチ打ち、マジメなのかそれともツッコミ?と言いたくなるような感想・疑問を書き、この疑問に対して延々2ページに渡り超論理的考察、超心理的考察を加えることで、ついには「埋蔵金は七つの古井戸に埋蔵されたことになる」と、超論理科学的に鉄槌結論を下すのである。
そして、下に示す「寺の床下から発見された方位図・地図・暗号」を基に、黄金分割を始めとする数学的考察などを駆使し、埋蔵金の位置を推定する。しかも、単に推定するだけでなくて、経済的・効率的に発掘をするために埋蔵金の位置の計算誤差を延々と論じて、ついには誤差50cm〜7m弱だと推定するのであった。なるほど、この歴史ミステリー小説特許は単に技術特許にとどまらず、経済を見据えた経済ミステリー特許でもあったのだ。「埋蔵金の発掘は夢や学問でなく産業になる」のだ。
さて、この埋蔵金ミステリーで指し示された「埋蔵金の埋まっている七つの古井戸」がどこであるかを知りたい人も多いだろう。ということで、特許の図を重ね合わせ、埋蔵金の埋まっている七つの古井戸の場所をプロットしてみたのが、次の図である。どの辺りか判らない人のために、広域地図をリンクしておくとここら辺りということになる。
さて、この特許の最後には「なお、この辺りは便利な住宅地向きの環境になりつつあるので、住宅が建設される前に発掘することが望ましい」と
と産業としての指針まで描きつつ筆をおくのである。
どうだろうか、面白いミステリー小説特許だったのではなかろうか?そして、特許なんて簡単に書ける、と思った人もいるのではないだろうか?そして、どんどん特許を書きたくなる、と思う人も多いに違いない。で、ワタシは思うのだ。できれば、できることであれば、その書いた特許をワタシにも少し分けて頂いて、ワタシのノルマを少しでも減らして欲しい、と強く強く思うのである。
2002-08-26[n年前へ]
■CleType自主学習(仮)
ちょっと真面目にClearType(仮)
(2002.08.26〜)
- 楽しそうな「iMac」&「電子ブック」風ノートPC用スタンド -はじまり - (2002.08.26)
- 一本道か、分かれ道か - ドキュメントの縦横比について- (2002.08.29)
- 水平思考と垂直思考 - 文字の縦横解像度 - (2002.08.29)
- 細かくすると楽(粗く)になる? - ClearTypeの一番の秘密- (2002.09.09)
楽しそうな「iMac」&「電子ブック」風ノートPC用スタンド -はじまり - (2002.08.26)
Lapvantageという楽しそうな会社を初めて知った。ノートPCをiMac風にするLapvantageDomeやPCを縦置きで使うためのLapvantagePortraitという、とても実用的でいて、それでいて明和電機のような面白い製品を作っている会社である。明和電機は兄弟が運営しているが、こちらのLapvantageの方はビアボーム親子がやっているらしい。iMac風スタンドの方は角度が振れないようのが(特にノートPCを立てられない)残念だが、Lapvantageの方はもう少しデザインがスマートであるならば今すぐにでも欲しくなる。
複数の作業を切り替えながら作業をしたり、あるいはツールバーが多数出てくるようなソフトウェアを使って作業をする時には、左右に広いディスプレイが便利で使いやすい。しかし、単純に一つのドキュメントを読んだり、一つのドキュメントを書いたりする場合には上下に長いディスプレイを使うと、見通しがきいて考えをまとめやすくなる。気のせいか、頭の中の見通しがとても良くなるように感じたりする。だから、以前から横長の画面のノートPC(ToshibaPortege 320)を愛用していたりした私はノートPCの画面を横にして使ったり、縦にして使ったりと、画面を切り替えて使ってみたいと感じていた。AdobeAcrobat Readerであれば、画面を回転させて文章を読む機能があるので、これまでノートPCを回転させて電子ブックのようにして文章を読んだりすることもあった。
Lapvantage PortraitはPivotProのソフトウェア付きなので、Windowsの画面を自由自在に回転させることができる。だから、ノートPCを普通に横置きに使ってみたり、スタンドに載せて縦置きに切り替えて使ってみたり、と好きなように切り替えることができる。「これはなかなか便利そうだ」と思い、私も私も30日有効のPivotProのデモ版をインストールして使ってみることにした。
そして、このソフトのインストールをきっかけにして
で調べたClearTypeに関して、ちょっと少し考えてみた。 (続く)一本道か、分かれ道か - ドキュメントの縦横比について- (2002.08.29)
前回書いたように、複数のことを考えるなら「左右に長いディスプレイ」が良くて、一つのドキュメントを読むなら「上下に長いディスプレイ」が良い。その理由を端的に言えば、「目が左右についているから」だと思う。
まず、「目が左右に付いているので、あまりに大きい左右への目の動きは、目にとってとても非対称な作業であるから不自然」だ。だから、左右を眺めるときには自然と頭を左右に振ることになる。その頭を左右に振るという作業は、頭の中での何らかの切り替え作業を伴うような気がする。だから逆に、ツールパレットの切り替えのような「何らかの作業の切り替え」を伴う作業であれば、その左右へ視線を移動する(自然と頭も左右に動かす)ということはとても自然な行為になる。しかし、それは一つのドキュメントを読むような場合には、いたって不自然な行為になってしまう。だから、一つのドキュメントというのは本来「上下に長い=縦長」であるべきだと思う。
そしてまた、「目が左右についているから」、人は上下方向を「一本道」に繋げて考える。例えば、絵画を眺めるとき、上に見える景色は多くの場合遠い景色で、下に見える景色は多くの場合近い景色だ。漱石の文学論の図を引くまでもなく、この「上下の遠さ、距離」というものを例えば時系列上の「一本道」に繋げるのは、いたって自然な連想だと思う。「遠い上」に見えるものは「遠い過去」で、下に来ればくるほど新しいことになる。それは、ドキュメントを読む場合に対応させて考えると、とても自然だ。それに対して、左右に並ぶものは決して「一本道」ではないのである。それは、「選択肢=分かれ道」であって、決して一つの道ではないのである。左右に並ぶものは「複数の何か」なのである。
だから、一つのドキュメントは上下に並び、上下に長いべきなのである。ドキュメントの表示も同じく、縦に長いべきなのである。
漱石 「文学論」より |
最近のPCであると、ディスプレイは通常横に長い。だから、本来縦に長くあるべきドキュメントを眺めようとする場合には、表示を90°回転させてやることもある。そうすると、本の一ページのようにして画面表示を眺めることができる。例えば、AcrobatReaderで表示画面を回転させたり、PivotProなど使ってPCの画面表示自体を回転させてやれば良いわけである。
このように、ドキュメント表示のための縦横比については、単にディスプレイの表示を90°回転させてやれば問題は解決する。しかし、表示のためのもうひとつの条件、表示品質が問題になってくる。そもそも、液晶(二十世紀においてきたCRTは無視しよう)の解像度はまだま低くて、それを改善するための技術としてClearTypeやCool Fontがあるのだけれど、AdobeのCool Typeはともかく、Clear Typeの場合には表示が90°回転しているという情報をClearTypeが取り扱わない(知らない)ために、上手く動かなくなってしまう。ClearTypeにしてもCool Fontにしても、液晶のRGBのカラーフィルターの並び方を利用してやることで解像度を高めているわけで、その並びの変化(表示の回転)に対応できない場合には表示品質を大幅に落とすことになってしまう。
次に、「ファイト!縦文字文化 -縦と横の解像度を考えよう - (2001.04.29)」で考察した、文字の解像度についてもう少しちゃんと考えてみることにする。
水平思考と垂直思考 - 文字の縦横解像度 - (2002.08.29)
ドキュメントを表示させるためには、文字を表示させてやらなければならない。しかし、液晶ディスプレイの解像度は必要十分には高くないから、文字はつぶれてしまうことが多い。例えば、「現実問題春夏雪雹資本主義電計算機」なんて文字を表示させてみるとかなり潰れてしまい、非常に読みにくいのが判るはずである。これが、英語の"RealProblem seasons Snow capitalism Computer"なんて文字であれば、まだマシである。
この日本語と英語の文字の解像度の差について考えてみる。比較例は下に示した、「漢字」と「英語」のテキストを用いることにする。
まずは、600dpiで20ptのMS Pゴシックのフォントを展開して上のような画像にした後に縦・横方向のそれぞれの解像度を考えてみる。ここでは、縦・横方向の黒い線(あるいは線でない部分)の太さ(幅)の分布を測ってみることにした(今回解析のために作成したソフトはここ(RunLength.lzh)においておく)。テキストのような二値の画像の「解像度特性」を計測するのであれば、このような解析にしなければならない。「ファイト!縦文字文化 -縦と横の解像度を考えよう - (2001.04.29)」でやったようなフーリエ解析は適切な方法ではないのである。
下の図が縦・横方向の黒い線(あるいは線でない部分)の太さ(幅)の分布である。縦方向に計測した黒い線(あるいは線でない部分)の太さというのは、結局のところ横線の太さ(あるいは線の間隔)であり、横方向に計測した黒い線(あるいは線でない部分)の太さというのは、結局のところ縦線の太さ(あるいは線の間隔)ということになる。どれだけの細かさで「太さ」(あるいは「位置」)を描いてやらなければならないか、を示すグラフということになる。
「漢字」の場合には「Vertical 方向で計測した線の太さ(あるいは線の間隔)、すなわち横線の太さ(あるいは線の間隔)」が「縦線の太さ(あるいは線の間隔)」に比べて、大きく小さい方にシフトしていることが判ると思う。また、横線の量が縦線の量に比べてずっと多いことも判ると思う。後者は「数字文字の画像学 -縦書きと横書きのバーコード - (2000.01.21) 」で考えたことと全く同じで、「日本語は横線が多い」ということを端的に示している。そして、前者は「Vertical方向で計測した(すなわち横)線の太さ(あるいは線の間隔)」が縦のそれより大幅に小さいということは、「漢字」の解像度は縦方向に大幅に解像度が高い、ということを示している。漢字は縦書き文字故に鉛直思考志向なのである。
一方、「アルファベット」の場合には、これも「数字文字の画像学 -縦書きと横書きのバーコード - (2000.01.21) 」で考えたことであるが、縦線と横線の量においてはむしろ縦線の方が多いことが判る。水平方向に対して情報量が多いのである。アルファベットは水平思考志向なのである。「アルファベット」の情報量はそのかなりの部分が縦線によるものなのである。そしてまた、線の太さ(あるいは間隔)は横線の方が細い(あるいは線間隔が短い)が、その横線であっても「漢字」の縦線程度の解像度であることが判る。「漢字」に比べて「アルファベット」の解像度は低いのである。
ただし、文字の解像度を「線の太さ(あるいは間隔)の最小値」だけで論じることはできない。「適切な線の太さ(あるいは間隔)」にすることができるほどに解像度が十分高いか、ということも重要である。もし、そうでなかったら線が妙に太くなったり、細くなったりしてしまったり、あるいは、線の間隔が妙に近づいたり離れてしまったり、つまりは文字のプロポーションが崩れてしまったりするだろう。上の場合は600dpiで文字を表示させた場合の解析例だが、次に現在の液晶と同じような解像度(例えば)150dpiでこの文字を表示(展開)させてみる。こうすることでことで「適切な線の太さ(あるいは間隔)」にできていない様子を確認してみたい。
細かくすると楽(粗く)になる? - ClearTypeの一番の秘密- (2002.09.09)
まずは、「現実問題春夏雪雹資本主義電計算機」という漢字と"RealProblem seasons Snow capitalism Computer"というアルファベットを現在の液晶と同じような解像度(例えば)150dpiでこの文字を表示(展開)させてみた。そして、前回と同じようにそのビットマップ画像の「縦・横方向の黒い線(あるいは線でない部分)の太さ(幅)の分布」を調べてみる。その結果が下のグラフである。また、前回に調べた、これよりも4倍程解像度が高い「600dpiで20ptのMSPゴシックのフォントをビットマップに展開してみた場合」をさらに下に比較用として示してみる。
150dpiでTrueTypeをビットマップに量子化した場合には、漢字・アルファベットの場合共に、縦・横方向とも600dpi単位で4,8pixelの太さ=150dpiで1,2ピクセル幅のパターンが発生していることが判る。このようなパターンは、600dpiで20ptのMSPゴシックのフォントをビットマップに展開してみた場合には見られなかったものである。つまり、、着目すべきは例えばアルファベットの場合、
- 縦方向には幅10pixel(600dpi単位)=2.5pixel(150dpi単位)以下の高い周波数は存在していなかった
- 横方向には幅13pixel(600dpi単位)≒3pixel(150dpi単位)以下の高い周波数は存在していなかった
- 縦・横方向共に幅4,8pixel(600dpi単位)=1,2pixel(150dpi単位)以下の高い周波数が生じている
- 縦方向には幅7pixel(600dpi単位)≒2pixel(150dpi単位)以下の高い周波数は存在していなかった
- 横方向には幅11pixel(600dpi単位)≒2.5pixel(150dpi単位)以下の高い周波数は存在していなかった
- 縦・横方向共に幅4,8pixel(600dpi単位)=1,2pixel(150dpi単位)以下の高い周波数が非常に多く生じている
また、これらの文字の場合には本来18〜15≒12pixel(600dpi単位)の線幅・線間のパターンが多いわけであるが、それを150dpi単位( =600dpi単位で4pixel )で量子化してしまうと、場所により4/12 = 33%もの線幅・線間の位置の誤差が生じてしまうことになる。不必要に狭い幅のパターンが作成されたり、不必要に広い幅のパターンが作成されたりして、これでは文字の線が太くなったり細くなったり、線の位置が狂ったりしてしまい、見にくいことこのうえない。これはすべて、150dpiという低解像度で量子化してしまったためである。「低解像度の表示系の解像度に合わせて量子化(ビットマップ化)してしまうと、ますますその表示系では表示しづらい高周波のパターンが生成されてしまい、結果として読みづらい」という一見逆説的に思えてしまう(しかし当たり前の)現象が生じている。
ところで、本題のClearTypeの場合には横方向(通常の液晶はRGBの3つのサブピクセルが横方向に並べられているから)の解像度を3倍だと仮想的に考えて、横方向を3倍の解像度で量子化を行うことになる。ここで、話の単純のために3倍≒4倍と思うことにすれば、つまりはClearTypeの場合には本来150dpiの解像度であるにも関わらず、サブピクセルを考えて600dpiの解像度で量子化している、ということである。それは結局上の二つのグラフの比較と同じであって、ClearTypeを使うと実は表示すべきパターンが「より表示しやすい低い周波数のパターン」になっているのである。それは、「文字の線が太くなったり細くなったり、線の位置が狂ったりしてしまう」ことがなく、目にとってはとても見やすいパターンになるだろう。この量子化の段階について触れている情報は見たことがないが、実はこの量子化の段階にClearTypeの隠された(しかし、一番重要な)メリットがあるように思う。また、アルファベットの場合にはHorizontal方向に振幅を持つパターン(=縦線)が支配的に多いため、Horizontal方向に仮想的に高解像度の量子化を行うことは非常にメリットを効果的に得られると考えるのが自然である。
次に、このように量子化されたデータをClearTypeで表示する際の問題点・その解決方法について考えてみていくことにしたい。
P.S.ちなみに解析ソフト(RunLength.lzh)をアップロードしました。