hirax.net::Keywords::「右から左」のブログ



1999-09-26[n年前へ]

デバイスドライバーは仮免 

ClearTypeの秘密

 昨年、COMDEX/Fall '98においてMicrosoftが発表した「ClearType」技術というものがある。液晶ディスプレイなどの表示の解像度をソフトウェアのみで向上させるという技術である。PCだけでなく、液晶を使った電子ブックなどをターゲットにしているという。(参照:http://www.zdnet.co.jp/news/9811/16/gates.html)

 技術の詳細については、「特許申請中」ということで、明らかにされていない。しかし、その技術について推論している人は数多くいる。例えば、

や、Gibson Research Corporationのといった所がある。中でも、The Technologyof Sub-Pixel Font RenderingからはFree & Clearというデモプログラムをダウンロードすることができる。
Free & Clearの動作画面(縮小後、JPEGに変換しているのでこの画面では効果はわからない)

 ビックリすることに、確かに効果があるのである。カラーシフティングによりシャッキリした文字になるのだ。しかも滑らかなのである。デジタル接続の液晶を用いている方は確認すると面白いと思う。

 もっとも、こういう画像はWEB上で納得するのは難しい。JPEGのような圧縮画像では、情報が完全には保存されず、意図した出力ができないからである。とりあえず、デジタル接続の液晶ディスプレイを使っている方はとにかく試してみると良い。目からウロコである。

 さて、この原理であるが、カラーシフトについては色々なところで説明してあるが、若干わかりにくい画像例が多い。そこで、自分流に解釈しなおして考えてみたい。そして、実験してみようと思う。

 まずは、右上から左下に走る黒字に白斜線を考えてみる。1ドット幅で、しかも、上から下へ行く間に1ドット右から左にずれるようなものである。液晶の1ドットはRGBが縦に並んでいる。例えば、

で計測した画像例だと、
液晶ディスプレイの拡大画面
という感じである。良く見ればRed,Green,Blueの順番で並んでいるのがわかるだろう。

 1ドット幅で、しかも、上から下へ行く間に1ドット右から左にずれる黒字に白い斜線を考えてみる。これはそのような斜線を拡大したものである。

1ドット幅で、しかも、上から下へ行く間に1ドット右から左にずれる斜線
従って画像幅は本来2ドットである。

 そのような斜線を液晶で描くと通常は下の左図のようになる。通常の処理が左で、カラーシフトを用いた処理が右である。通常の処理ではRGBの位置を同じものとして処理しているので、RGBそれぞれが同じように変化している。しかし、カラーシフトを用いた処理においては、RGBの各位置が異なっていることを考慮の上、処理を行ってみたものである。そのため、滑らかな斜線になっているのがわかると思う。

左が通常の処理、右はカラーシフト処理

 このように、デバイスの個性を把握した上できちんと生かしてやれば、デバイスの能力をもっと引き出すことができるわけだ。 個性の違いを越える世界というのは、個性を無視した世界とはまったく逆であり、個性を最大限理解して初めて個性の違いを超えることができるのだ。

 さて、効果を確認するために、そのようなハーフトーンパターンを作成してみた。ただし、ここで表示している画像はJPEGに変換してしまっているので、効果は現れない。また、本来見えるはずの画像とはかなり異なってしまっているので、各画像をクリックしてオリジナルのTIFファイルをダウンロードして確認して欲しい。

1ドット幅で、しかも、上から下へ行く間に1ドット右から左にずれる斜線ハーフトーン
クリックでオリジナルのTIFFファイルにリンクしている
ノーマル斜線
カラーシフトを用いた斜線

  さて、この画像ではわからないだろうが、TIFFファイルの方を見て頂くと、カラーシフトを用いた斜線ハーフトーンの方では、色模様が出現してしまっているのがわかると思う。それは、液晶のガンマ特性を考慮していないからである。

 このガンマ補正については、一般的に使われるガンマの意味だけでないものが含まれている。一言では簡単には説明しきれないので、説明は次の機会にする。Free&Crearでもそのガンマ特性を調整する機能がついている。白地に黒文字であるか、黒字に白文字であるかの違いがあることに注意すれば、その数字の意味がわかる。ここでは、その補正をしたものを示すだけにしておく。と、いっても、私が使用している液晶のガンマを考慮したものなので、一般的には役に立たないだろう。

上の画像をそれぞれガンマ補正したもの
ノーマル斜線(ガンマ補正後)
カラーシフトを用いた斜線(ガンマ補正後)

 あなたが目にしている画像では、画像ではガンマ補正した方が変に見えていると思う。それは、私とあなたの使っているデバイス(と視点)が異なるからである。ここでやったのと同じやり方で、あなたの液晶に合わせて(なおかつ、同じ視点で)やれば、きれいに出るはずだ。
 さて、この結果を私の液晶で見てみると、カラーシフトを用いた斜線(ガンマ補正後)の方ではきれいに斜線のハーフトーンが出ている。ただ、いくつか問題があるのだが、それは次回までの宿題だ。と、いってもヒントはすでに「できるかな?」中でも出現している。ごく最近の話題でも、だ。

 このカラーシフト技術は実に単純なアイデアである。しかし、これは実に面白いアイデアであると思う。効果が有る無しに関わらず、こういうネタは私は大好きである。ただ、こういう技術が日本のデバイス屋さんから出てこないことが少し残念だとは思う。デバイスもドライバーも両方作っているところにがんばって欲しいものだ。それまでは、「デバイスドライバーは仮免」といった所だろう。 .....うーん、ちょっと、強引かな。というわけで、何故か私の手元にはPalm-size PCであるCasio E-500があり、そして、久しぶりにVisualStudioをいじり始めるのであった。。

2001-01-27[n年前へ]

オッパイ星人の力学 仏の手にも煩悩編 

時速60kmの風はおっぱいと同じ感触か?

 本サイトhirax.netは「実験サイト」というジャンルに分類されることが多いようである。何が実験で、何が実験でないのかは私にはよくわからないのだが、とにかく「実験サイト」と呼ばれるサイトは数多くある。そして、その数ある実験サイトの中でも、人間そして愛について日夜取り組んでいるサイトの一つが「性と愛研究所」である。

 その「性と愛研究所」を読んでいると興味深いことが書いてあった。テレビ番組の「めちゃめちゃイケてる!」の中で何でも「時速60キロの風圧はおっぱいの感触である」と言っていたらしい。そしてまた、「性と愛研究所」では「おっぱいの感触と風圧に関する考察」の中で、「時速60kmでは全然おっぱいの感触ではなくて、ちょうど時速100kmを境に急におっぱいの感触を感じます。」というメールを紹介しながら、

「時速100kmの風では、本物は触れないけどお手軽に疑似体験、名付けて『プリンに醤油でウニ』ではなくなってしまう。それでは、まるで『キャビアにフォアグラでトリュフの味』だ。青少年のために疑似おっぱいを探してあげる必要があるな。」
と結論づけている。

 この「時速60kmの風」現象は「できるかな?」的にとても興味深いと思われるので、今回じっくりと考えてみることにしてみた。そして、この結論に何らかのプラスαをしてみたいと思う。

 そう、前回「オッパイ星人の力学 第四回- バスト曲線方程式 編- (2001.01.13)」でオッパイの表面で働いている力について考えてみたのは、実は単に今回・そしてさらに次回の話のための準備だったのである。(さて、ちなみに今回は会話文体をメインに話が進む。「性と愛研究所」ではないが、この手の話は会話文体の方が書きやすいように思うし、私のバイブル「物理の散歩道」でも「困ったときの会話文体」と言われていたので挑戦してみた次第である。言うまでもないが、AもBも私が書いてはいるが、私自身ではない。)
 

A : 「東名高速で出勤途中に確認してみたんだが、やはり時速100kmあたりが妥当な感じだったな。」

B : 「何を根拠に妥当なのかがよくわからないが、確かに時速60kmでは手に何かが触っているという感触すらないな。それにしても、哀しい出勤の景色だぞ、それ。」
A : ほっとけ!だけど、少し考えてみると、このおっぱい(ニセモノ)の感触問題は結構面白く、技術的にもなかなかに深い話だと思うんだよ。」
B : 「はぁそうですか…、としか言いようがないな。」
A : まぁ、聞け。何しろこのおっぱい(ニセモノ)の感触問題には流体力学のエッセンスがぎっしりと詰まっているんだからな。」
B : 「そんな話は聞いたことはないが、とりあえず聞かせてもらおうか。」
A : 「このおっぱい(ニセモノ)の感触問題を解くためには、とりあえず車の窓から手を出したときの指の周りの空気流を計算すれば良いわけだ。」
B : 「ちょっと待て。何で指の周りなんだ。手のひらじゃなくて?」
A : 「簡単なことさ。試しにおっぱいを揉む仕草をしてみろよ。」
B : 「こ、こうか?あぁ?手のひらじゃなくて指で揉んでるっ!
A : 「そうだろ。何故かわからないが、おっぱいを揉む仕草=Mr.マリックが超魔術をかける時のような指使いらしいんだよ。」
B : 「うむ、確かにそのようだな。」
A : 「だから、時速60kmの風からおっぱいの感触を受けているのは指先だと考えるのが自然だろ。それなら、とりあえず下の図のような「指の間を抜けていく空気の流れ」を計算してみれば、おっぱい(ニセモノ)の感触問題が解けるわけだ。」
B : 「実写の手に二次元の計算結果を三次元的に合成するという凝った処理が、実にクダラナイことに使われている例だな…」
車の窓から手を出して、指の周りの空気流を計算しよう
  高速で走る車の窓から手を出して、その手の指の間を抜けていく空気の流れを計算しよう。

 鉛直方向の指の等方性を考えて、右の図に示すような指を輪切りにするような水平面のみを考える。

 こんな写真を撮るときに、自己嫌悪に陥りがちなのは何故だか知りたい今日この頃。

A : 「こういう「空気の流れ」ような流体の力学は、ニュートンのプリンキピアに始まり、オイラーとベルヌーイにより非圧縮・非粘性の理想流体の運動方程式とエネルギー保存則が導かれた。それがオイラーの運動方程式とベルヌーイの式だ。オイラーの運動方程式はちなみにこんな感じだ。」
 

オイラーの運動方程式

加速度 = 外力 + 圧力勾配力
 
v : 速度
s : vに沿ってとった座標
t : 時間
p : 圧力
K : 外力

A : 「基本的には「加速度 = 外力 + 圧力勾配力」という形だな。この非圧縮・非粘性の理想流体の場合はラプラシアンがゼロのポテンシャル流れと呼ばれる単純な流れになる。試しに、そんな場合をNast2Dを元にしたプログラムで計算してみた結果はこんな感じになる。ホントはこの計算自体は完全な理想流体ではないのだが、まぁ大体はこんな感じだ。」

B : 「おっ、あっという間に計算したな。」
A : 「まぁ、ポテンシャル流れならエクセルでもちょちょいと計算できるくらいだからな。ちなみに、これは窓から手を出してしばらくしてからの空気の流れだ。」
 
粘性が(ほとんど)ない時の指の周りの空気の流れ

A : 「で、どうだ?」

B : 「いや、どうだ、と言われても困るが、なんかキレイだな。だけどちょっと小さくて見にくいなぁ。」
A : 「そう言われれば確かにそうだ。じゃぁ拡大してみるか。」
 
粘性が(ほとんど)ない時の指の周りの空気の流れ (拡大図)
空気は右から左へ流れている。いや、指が右から左へ移動していると言った方が良いか?
B : 「で、この結果から何がわかるんだ?」
A : 「この図で空気は左から右へ流れているわけだが、左端の空気の速度と右端の空気の速度は、実は同じなんだ。」
B : 「そう言われても、よくわからないが?」
A : 「指を通り過ぎてく空気は、指をとおる前後で運動量がそのまま変わってないってことさ。つまり、空気は指を通り過ぎる時になんら抵抗を受けてないってことだ。」
B : 「えっ?おかしいじゃないか、それなら逆に言えば指も空気から何の抵抗を受けないってことか?
A : 「そういうことだ。これがダランベールのパラドックスだ。」
B : 「じゃぁ、何か?この指先に感じるまぎれもないおっぱいの感触はだとでもいうのか!? そんなのオレは認めないぞ!」
A : 「まぎれもない、っていうほどのものでもないし、ニセモノおっぱい自体は何か一種の幻のような気もするが、もちろん感触自体は幻であるハズはない。そもそも、空気をサラサラな理想流体として取り扱ったところが間違っているわけだ。そこで、登場するのがナヴィエとストークスだ。彼らはオイラーの運動方程式に粘性を導入した。全てはおっぱいの感触を説明するため、だ。」
B : 「それウソだろ。ナヴィエとストークスが聞いたら怒るぞ。」
非圧縮流体に対するナヴィエ・ストークスの方程式

加速度 = 外力 + 圧力勾配力 + 粘性力
 
v : 速度
t : 時間
p : 圧力
K : 外力
μ: 粘性係数

A : 「見ればすぐわかるだろうが、この非圧縮流体に対するナヴィエ・ストークスの方程式は、最後に粘性項が入っている以外はオイラーの運動方程式と全く同じだ。」

B : 「なるほど。こうしてみると意外に簡単な式だな。」
A : 「あぁ、オイラーの運動方程式に粘性項が入っただけだからな。そのせいで計算はちょっと複雑になるが、最近のパソコンならノープロブレムだ。というわけで、粘性を考慮して計算してみた結果が次の図だ。」
 
 
粘性を考慮した指の周りの空気の流れ
B : 「おっ、ちょっと様子が違うな。何か、ジェットエンジンみたいに尾を引いてるぞ。」
A : 「そうだろ。指の後ろのl様子がずいぶんと違うだろう。で、これを拡大してみたのが次の図だ。」
 
 
粘性を考慮した指の周りの空気の流れ (拡大図)
B : 「左端の空気の速度はもちろんさっきと同じだが、指の後ろでは空気が渦巻いているし、右端の空気の速度は全然違うな。」
A : 「もっとリアルに、窓の外に手を出したときの、指の周りの空気の動きを時間を追って計算してみた計算結果のアニメーションが次の図だ。指の周りに空気が渦巻いていく様子がよくわかるハズだ。」
 
車の窓から手を出して、指の周りの空気流を計算しよう
 窓の外に手を出したときの、指の周りの空気の動きを時間を追って計算してみたもの。指の周りに空気が渦巻いていく様子がよくわかる。

 メッシュを細かく切ったおかげで、計算結果は1GB弱。なんてこったい。

B : 「指が空気の中を走り抜いていく様子がよくわかるな。確かにこれなら、空気の抵抗を受けまくりだな。」
A : 「そうだ。空気は指から力を受けるし、逆に、指は空気からしっかりと力を受けるわけだ。」
B : 「なるほど、この計算結果は指先に感じるまぎれもないおっぱいの感触を説明しているわけだな。いい感じじゃないか。流体力学そして粘性項さまさまじゃないか!」
A : 「あぁ、それも全てナヴィエとストークスのおかげだ。」
B : 「おやっ?ちょっと待てよ!これでは、ただ現実を説明してみただけで、何の解決にもなってないぞ!時速60kmと時速100kmの風の感触の差を説明しているわけでもないし、青少年のためのもっと安全な擬似おっぱいを提供しているわけでもない!」
A : 「いや、それがそういうわけでもない。実はこの先があるんだ。このナヴィエ・ストークスの方程式の解はレイノルズ数という無次元数によって決定されるんだ。今回の場合で言うと、レイノルズ数は「指の直径x 車の速度 / 流体の運動粘性率」という形になる。そして、このレイノルズ数が大きくなるほど渦が延びていくんだ。」
B : 「なるほど、わかってきたぞ。つまりあれだな。時速60kmから時速100kmに速度を上げれば、それに応じてレイノルズ数が大きくなって、空気の渦もおおきくなるし、おっぱいの感触も確実なものになるわけだな。勉強になるな。」
A : 「う〜ん、実際には密度の違いの方が大きいんだが、ナヴィエ・ストークスの方程式の理解としてはそれでいいかもな。あと、単にレイノルズ数を大きくしたかったら指を太くする、っていうのでもいいわけだ。」
B : 「そう言われても指の太さはなかなか変えられないしなぁ。」
A : 「指サックとか色々手はあると思うが、もっといい方法がある。さっきの式を眺めてみれば流体の運動粘性率が小さくなれば、レイノルズ数は大きくなる。例えば、水の運動粘性率は空気のそれの十五分の一だ。」
B : 「ってことは、水の中だったら、レイノルズ数も大きいし、密度も大きいし、指先に抵抗を受けまくりってことだな。すると、水中で手を動かしてみれば、それは空気中の高速クルージングと同じってことになるな!」
A : 「そうさ、風呂の中で手をひとかきすれば良いだけの話さ。何もわざわざ時速100kmの車の窓から手を出す必要はないんだ。実際、風呂の中で確かめてみたけど、なかなかイイ感じだ!」
B : 「時速100kmで走る車の窓から手を出すのに較べれば、風呂の中で手をひとかきすれば良いだけなんて、まさに青少年のためのもっと安全な擬似おっぱいだな!」
A : 「あぁ、それも全てナヴィエとストークスのおかげだ。」
B : 「それはもういいっ言ってるだろ。」
A : 「ところで、ふと考えてみたことがあるんだ。さっき、指を太くすれば遅い速度でもレイノルズ数が大きくなるって言っただろ。東大寺の大仏なんかかなり指が太いじゃないか。」
B : 「確かに、そうだな。」
東大寺の大仏 (想像図)

A : 「今調べてみると、大仏の掌の長さは256cmだ。つまり普通の人間の10倍くらいある。だったら、指の太さも10倍はあるだろう。ってことは、ほんのそよ風が吹いただけでも、大仏の手にはしっかりとしたおっぱいの感触が感じられているんじゃないのかな?」

B : 「単に手が大きいから空気の抵抗も大きいだけどいう気がしないでもないが、指の長さもでかいしさぞかし超巨乳の感触かもしれんな!そう考えると、あの大仏の手も何か実にイヤラシイ手つきに見えてくるから不思議だな!」
A : 「う〜ん、悟りを開いているから、指先のヘンな感触なんかには惑わされないんだとは思うけどな。しかし、案外と仏もそんな煩悩と日夜闘っていたりするのかもしれないなぁ。しかも、その煩悩がホントーにあるのかもよくわからない幻のような擬似おっぱいってところが面白くないか?大仏の指先は二十一世紀の煩悩そのものを暗示しているのかもしれん。仏の手にも煩悩ってところだな!」
B : 「言いたい放題だな、全く。」


 さて、今回は「オッパイ星人の力学第四回 - バスト曲線方程式 編- (2001.01.13)」と繋がるところまで話が辿り着かなかった。おっぱいの表面張力、マボロシのような指先の流体力学、そして大仏の煩悩をめぐる大河ドラマは人生そのもののようにまだまだ続くのである。
 

2002-04-24[n年前へ]

視線のベクトルは未来に向くの? 

マンガのストーリーの方向を顔向きで探る 前編


   一年くらい前から、コンビニで300円ほどの安いコミックをたまに買うようになった。休日の早朝、コンビニで発泡酒とおつまみを買って、ついでにそんな安いコミックを買って、そして、ビールを飲みながらそれを読むのがワタシの休日のささやかな(だけど至高の)幸せなのである。そんな至高の幸せをかみしめるとある休日、286円の西岸良平の「三丁目の夕日」を読みながら、ワタシはふと思ったのである。
 

 これまで、「できるかな?」では、様々な小説、例えば「星の王子さま」「明暗」「こころ」「草枕」「失楽園殺人事件」といった小説を色々と解析してきた。そして、その中の主人公達がどんな風に動いていくのかとか、作者が何を考えているかとか、あるいは、犯人は誰かであるのか、などを調べてきた。何でそんなことを考えるの、と人には聞かれそうだけれども、とにもかくにもワタシはそんなことを考えてきたのである。そして、さらにふと考えてみれば、ワタシの至高の幸せを支える素晴らしき286円のマンガ本に関して、ワタシはストーリー構造などを真剣に考えてみたり、調べてみたりしたことはなかったのである。イケナイ、イケナイ、こんなことでは「恩知らず」野郎としてワタシにはバチが当たってしまうに違いないのである。
 

 そこで、今回「コミックの中のストーリー構造」について調べてみたい、と思う。コミックの中で主人公達がどのような方向へ進もうとしているのか、あるいはその歩みの中で主人公達は一体何を考えているのか、などについて少し調べてみることにしたのである。
 

 これまで、小説中のストーリー構造や主人公達の動く方向を調べるときには、「特定の言葉や主人公達」が登場する位置を調べたり、あるいは他の言葉や登場人物との相関を調べたりしてきた。それでは、一体マンガのストーリー構造や主人公達の動く方向を調べるにはどうしたら良いだろうか?そんなものどうやって調べるの?と一瞬悩んでしまいそうではあるが、ちょっと考えてみればそれはとても簡単なのである。小説と違って、マンガでは登場人物達がちゃんと見えるカタチで描かれているのである。主人公達がどの方向を向いているかがちゃんと描かれているのである。そしてまた、主人公やその周りの人々や、ありとあらゆる人々がどんな方向を向いているかがもうありのままにちゃんと描かれているのである。

 だったら話は実に簡単、マンガの中の登場人物達の向きを刻々調べてみれば、そのマンガのストーリーの中で主人公達がどちらへ向かって何を見ながら動いているかが判る、というわけだ。実に即物的でシンプルなアプローチである。
 

  善は急げ、というわけで、早速今さっきまで読んでいた手元に掴んだままの西岸良平の「三丁目の夕日 ジングルベル」の中から、「霜ばしら」という短編を題材にして、その中の主人公の顔の向きを調べてみることにした。ある恋人同士の、とても楽しくて、そしてとても悲しい物語である。

 まずは、マンガのコマ中の登場人物達の向きと角度の対応表を下の表のように定めた。登場人物がコマ中で右方向を向いているときに0度とし、正面方向(すわなち読者方向)を向いている時が90度。コマの左方向を向いていれば180度である。そして、280度では真後ろを向いているという具合である。
 

コマ中の登場人物達の向きと角度の対応表
225
後ろ向き
270
315
左向き
180
右向き
0
135
正面向き
90
45

 このようにコマの中に登場する主人公達の向きを数値化することにして、話の冒頭から結末までの各コマ中での主人公(周平)とその恋人(アキちゃん)の向きを調べてみたのが下のグラフである。青色の四角が主人公で、赤色の三角がヒロインである。また、その二人が向かい合ってる場合には朱色の丸を方向=0の位置に書き入れてみた。グラフ中では水平軸がストーリーの時系列で、左端が話の冒頭であり、右端が話の結末、そして縦軸が「主人公達の向かう方向」である。また、ヒロインのアキちゃんが途中の2カ所にしか現れないのは少しばかり悲しいストーリーのせいだ。この「霜ばしら」は主人公とアキちゃんの涙を誘う悲しい物語なのである。
 

「霜ばしら」の主人公のベクトル
水平軸 = ストーリーの時系列
左端 = 話の冒頭
右端 = 話の結末

縦軸 = 主人公達の向かう方向

 このグラフを少し眺めていると大体の特徴が見えてくるだろう。すなわち、

  1. 主人公達はほとんど45、135、235度の3方向しか向いていない
  2. それ以外の向き(例えば315度)を向く場合などは、ほとんどが「向き合っている」場合である
  3. そして、135度の方向を向いていることが圧倒的に多い。
などの特徴である。

 しかし考えてみれば、これらの特徴はごく当たり前なのである。まずは、舞台やテレビと同じく、登場人物達は読者にお尻を向けるわけにはそうそういかない。読者に顔を見せずにお尻を向けていたら、誰が誰だかよく判らなくなってしまうに違いない。だから、登場人物達はあまり後ろを向くわけにはいかない。どうしても、主人公達は文字通り「前向き」にならざるをえない。もし、後ろを向くとしたら、それは文字通り登場人物達に「後ろを向かせる」何らかの強い意図に基づく場合以外ありえないに違いない。それが、例えば他の誰かと「向き合って」いる場合であったり、あるいは他の表現意図に基づくものであろう。

 また、日本におけるマンガが右から左に読まれていくのであるから、読者の視線の動きの中では「右のコマ= 過去」「左のコマ = 未来」と時間感覚が成立している。マンガを読む私たちの視線のベクトルは右から左、過去から未来へと進んでいるのである。すなわち、「マンガの中の話の流れ= マンガの中の時間・因果の流れ」をスムーズにするためには、主人公達が過去なり未来なりのコマの方向を向くことで、時間の流れ=因果の流れをスムーズに受け継ぐのが自然だと考えられる。過去に発生した「何か」に応えた反応をするならば、主人公達は当然右を向くし、そうでないならば通常は時間の流れる先の向き= 左側を向くことになるだろう。

 すると、マンガの中の登場人物達は読者に対して「前向き」であって、なおかつ時間の流れる方向に前向きの「左側」を向くのがごく自然である、ということになって、「コマの中の主人公達は135度の方向を向くことが圧倒的に多い」ということになるのだろう。まぁ、当たり前の話である。
 

 そしてさらには、こんな風にも考えられる。「右<->左」方向は時間の流れに対する主人公達の向きであって、「前向き<->後ろ向き」は登場人物達が文字通り「前向きであるか」あるいは、あるいは「後ろ向きであるか」という「主人公達の内たる気持ちの向き」ではないだろうか、とも考えられるのである。
 

 だから、例えばこの「霜ばしら」の結末の部分80コマ以降を見ると、45->135->225度という主人公のベクトルの変化がある。これは主人公が「過去に向かう向き(死んでしまったヒロインへを見る向き)→未来に向かう方向へ進む→未来に向かう(だけど、やはり亡くなってしまったヒロインをたまに振り返りながら)」というまさに主人公のベクトルを描き出しているのではないだろうか、と思うのである。そんな風に眺めてみれば、最後のコマの主人公の向きが「何かを振り返りながら、だけど未来へと歩いていく様子」をまさに映し出しているようにも見えるのである。ストーリーはここに書くわけにはいかないけれど、こんな想像も割と良い線をいってるのかもしれない、と思ってみたりするのだ。
 

西岸良平の「三丁目の夕日」 「霜ばしら」の結末部
冒頭のシーンからはるか後、時間が経過した後の主人公

 こんな風に、単にマンガの登場人物の向きだけで主人公達の向かうベクトルを探る、なんていうことが乱暴なのはさらさら承知の上である。こんな人物の配置解析によるストーリー解析が的を射ているのか、あるいは的を外しまくっているのかは、ぜひこのマンガを読んで実際に判断してみてもらいたい、と思うのである。
 

 さて、こんな風に舞台の右と左、上手と下手に対してどんな風に登場人物達が向かっていくのか、なんてことを考えるといろんな想像が広がってとても面白いのである。時間の進むベクトルであるLeftStage(舞台から見ると逆なんてことは言わずに)に消えていく登場人物達(例えば今回の話では恋人アキちゃんを亡くしてしまった主人公)は「残されたもの達」を連想させてみたり、あるいは、色んなものを眺める私たちの視線のベクトルは本当に未来に向いているのかな?などと色んな想像や空想を駆けめぐらせてみることも、それはそれでとても趣深いことだなぁと思うのである。
 

2002-04-27[n年前へ]

視線のベクトルは未来に向くの? from 麗美さん 

 偶然ですが、4月24日に、NHKで夜中に「BSマンガ夜話」の再放送をやっていて、その中で韓国のマンガ「アイランド」を取り上げて、この「できるかな?」と同じような分析を夏目房之介がやっていました。もちろん夏目氏の場合は「できるかな?」のような理系的・数量的な分析ではなく、ストーリーに則った文学的・文芸的分析だったわけですが、両者とも同じような結論ですね。ということで、人物の配置解析によるストーリー解析は的を射ていると思います。
 夏目氏の分析でおもしろかったのは、韓国ではマンガの台詞は当然ハングルだから縦書きではなく横書きになります。そのため、日本のマンガのように右から左に読み進むのではなく、左から右に読む進む。つまり、韓国では左開きなのです。とすると、絵も基本的に左右が逆転されます。右に向いた顔は未来指向・肯定的・明るさを表わし、左に向いた顔は過去回顧・否定的・暗さを表わします。じゃあ、日本のマンガの絵をそのまま左右反転させればいいかといえばそうでもないらしいです。台詞が横書きであることも関係して、視線の動きが単純に左右反転では合致しないわけです。

日本人の未来は左で、韓国人の未来は右なんですね(笑い)
リンク

2004-06-05[n年前へ]

ヒーローと正義 

 C-MagazineでC++や開発環境の連載を担当したこともあり、東映テレビの特撮ヒーローもののプロデューサーでもある白倉伸一郎の「ヒーローと正義

ポルノ規制を求める人は、だれかよその人がポルノを見ると悪影響を受けると主張する。「俺がポルノを見たら、何をしでかすかわからないぞ」という人はいない。その方が、よほど説得力があるにも関わらず。 正義だの道徳だの倫理だのをめぐる言説は、そうして、つねに「だれかよその人」の問題であり続け(後略)
ウルトラマンコスモス
 英語で「右」"right"が正しいように、日本語でも左は「悪」で右が「善」であり、善玉は右・悪玉は左に立つ、という記載が面白い。だから、ウルトラマンのスペシウム光線も仮面ライダーのライダーキックも、もっぱら右から左へ放たれる。そして、善玉どうしでも、右側に立つ方が位が高い、というのがジャンルを問わず見られる傾向だという。ヒーローものに限らず、恋愛ものからポルノまで日本の映像全体で。



■Powered by yagm.net