2004-06-05[n年前へ]
■ヒーローと正義
C-MagazineでC++や開発環境の連載を担当したこともあり、東映テレビの特撮ヒーローもののプロデューサーでもある白倉伸一郎の「ヒーローと正義」
ポルノ規制を求める人は、だれかよその人がポルノを見ると悪影響を受けると主張する。「俺がポルノを見たら、何をしでかすかわからないぞ」という人はいない。その方が、よほど説得力があるにも関わらず。 正義だの道徳だの倫理だのをめぐる言説は、そうして、つねに「だれかよその人」の問題であり続け(後略)
英語で「右」"right"が正しいように、日本語でも左は「悪」で右が「善」であり、善玉は右・悪玉は左に立つ、という記載が面白い。だから、ウルトラマンのスペシウム光線も仮面ライダーのライダーキックも、もっぱら右から左へ放たれる。そして、善玉どうしでも、右側に立つ方が位が高い、というのがジャンルを問わず見られる傾向だという。ヒーローものに限らず、恋愛ものからポルノまで日本の映像全体で。
■神は定義・分類し続ける
旧約聖書の冒頭で神はあらゆるものを二つに分け続け、それを善であるかを「定義」し続ける。「『善』と『悪』を区別できるようになる」知識の木を食べて、呪いを受けることになる人とその子孫の間には敵意が置かれ、人は人の頭を踏み砕き、人は人の踵に噛みつくことになる。
from ヒーローと正義「象徴的二元論の罠」
■「悟る」という言葉の定義と実際
自分が何かを「悟る」ことを考えるときに、まずしようと思うのは、「定義すること」と「あきらめること」のような気がする。「悟る」という言葉自身にはなんとなくプラスの響きがあるのに、実際にそれをしようと思うと、なんだかマイナス方向の気持ちになってしまう。「そんなもんよね」って、思ってしまっていいんだろうか?
「悟る」とは仏教用語だと思うのですがその通り、「仏に近づく」感覚がするのです。イコール人間らしさからは遠ざかってる気がする。Mayunezu Space Ver.6