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2002-05-19[n年前へ]

風上に向かう「しょんべん小僧」 

「しょんべん小僧」の物理学 逆風編


 近所の海辺で、不思議なお堂を見つけた。迷路のような曲がりくねった裏小路を抜けて行くと、小高く鋭い丘があって、その上に小さな八幡宮が建っている。そして、その丘(というより小高い岩)の中腹には小さな不動堂が建っている。かつては不動堂がその丘のヌシであったらしく、その丘は不動岩と名付けられている。とにかく、本当に小さいけれど、とても不思議な空間なのである。そして、その不動岩のてっぺんで潮風に吹かれて体が冷えたワタシは、バチ当たりにも立ちションをしてしまったのだ。

 恥ずかしい話ではあるが、ワタシはトイレが近い。長〜い重要な会議中、カリカリと鉛筆の音が響く試験中、ビアグラスがぶつかる音が溢れる居酒屋で、あらゆる時、あらゆる場所でソレをもよおすワタシは、あらゆる場所でソレをする。もうそれは散歩中の犬並といっても良い位にソレをしまくるのである。

 思い起こせば、観光バスで首都高速を走っているときに、いつものようにソレをもよおしたワタシは、観光バスに満載された同級生達(もちろん共に満載である)の視線を背中に浴びまくりつつ、首都高速の道路沿いで立ちションにいそしんだことすらあるくらいだ。そして、さらに真相を書いてしまえば、その時にはあまりの背中に降り注ぐ視線のイタさに(膀胱に押し寄せる強風波浪に関わらず)ろくに放水活動ができなかったことも、今となっては懐かしくも哀しい思い出なのである。

 海辺の不動岩の上で潮風に吹かれながら、そんな「立ちしょんべん」にまつわるエトセトラを思い出したワタシは、久々に「しょんべん小僧」の物理学パートツー- 風に向かって「立ちしょんべん」をするにはどうしたら良いか -を考えてみたい、と思うのである。逆風に負けずに立ちションを遂行するためにはどうすれば良いかを考えることにより、時と場所を選ばず立ちションを遂行したいと思うのである。

 そこで、まずは、「立ちションベン」のパラメーターを決めてみよう。もちろん、立ちションには色々なパラメータがある。もちろん、人によっても違うだろうし、状況(観光バスの視線を集めたワタシのソレは明らかに「普通の立ちション」ではなかった…)によっても違うことだろう。しかし、ここはひとまず「しょんべん」の初速と放水を行う「銃筒」の角度を適当に決めてみる。つまり、立ちションがどの向きにどれだけの速さで放出されているかを決めてみるのである。
 

ちょっとリアルな「しょんべん小僧」
「銃筒」を構え、水平撃ち中の「しょんべん小僧」

「しょんべん小僧」の物理学- あともう一歩、前に出ろ - (2000.10.29)

 下左のグラフは「銃筒」を水平撃ちする歳の「しょんべん」の初速と、その場合の「しょんべん」の軌跡である。「銃筒」から「しょんべん」が秒速2,3,4mで飛び出すときの「しょんべん」の軌跡を計算してみたモノだ。縦軸が鉛直軸、横軸は立っている場所を0とした時の水平距離を示している。単位はいずれもメートルである。ショーという感じで放水中の立ちションの様子がよく判ると思う。「しょんべん」を放つ「銃筒」の高さは70cmとちょっと低めにしてしまったが、普通もう少し高い場所にあるのが自然だろう。
 飛翔中のしょんべんが受けるの空気抵抗も、この計算中では考慮してあるが、この段階では未だ特に風が吹いているわけではないので、しょんべんの軌跡は大体放物線と似通っているものになっている。このグラフを眺める限りでは、しょんべんの初速は秒速3m位に設定するのが自然に思われる。場合によっては(どんな場合だ!?)、もう少し違うような感じもするのだが、とりあえず平均値としては「しょんべん」の初速は3m/s位で良いように思われる。
 

「しょんべんの初速」と「銃筒の角度」が違う場合の軌跡の違い
青 : 2m/s
黒 : 3m/s
赤 : 4m/s
青 : 下向き30度
黒 : 水平撃ち         
赤 : 上向き30度

 そして上右は試しに、「しょんべん」を放つ「銃筒」の放出角度を変えた場合の「しょんべん」の軌跡を計算してみた場合の「しょんべん」の軌跡である。ここでは下向き30度、水平撃ち、上向き30度の三種類をやってみた。この三つの場合の結果、そして色々な「しょんべん小僧」を見る限りでは、「しょんべん」の狙い方としては水平撃ちが普通だろう。自らの経験と重ね合わせてみても、「しょんべん」は水平撃ちが「安定度・飛距離」共に優れており、それ故にそのやり方が一般的ではないかと思うのである。
 

 さて、こんな感じで大雑把に初速度を決めてみたところで、本題の風が吹いている場合の「しょんべんの軌跡」を計算してみた。下のグラフが、潮風に吹かれながら風上に向かって放水作業を行う場合の「しょんべんの軌跡」である。つまりは逆風に晒されたしょんべん小僧のしょんべんの軌跡である。

 左は吹いている風の風速を0〜28m/sまで変えてみた場合のしょんべんの軌跡を計算してみたものだ。しょんべんはもちろん風上に正確に狙いを付けている。このグラフを見ると、風が強くなるに従い、しょんべんの軌跡が風に吹かれて自分の足元に吹きながされているのが判ると思う。風速3m/s位では、「しょんべんの飛びが何だかちょっとなんか違うかな?」という程度であるが、風速28m/sにもなると、自分の足元に押し戻される程度では済まず、何と自分の足先に「しょんべん爆弾」が見事に誤爆してしまっている。何とも恐ろしい事態である。秒速28m/sの風= 時速50kmの風圧と言えば、それはすなわちCカップバストの感触(擬似オッパイに関するhiraxの関係式)であるわけであるが、その「天使のCカップバスト」を装う魔の風に銃筒を向けて「しょんべん」を撃った瞬間に、何と自分の足先に天罰が下ってしまうのである。恐るべき、逆風なのだ。
 

風が吹いている時の「しょんべんの軌跡」の違い
左 : 風速の違い
右 : 銃筒の角度 (風速28m/s下)
黒 : 0m/s (時速0km)   
赤 : 3m/s  (時速10km)  
青 : 8.5m/s  (時速30km)
緑 : 28m/s  (時速55km)
 
青 : 水平撃ち          
黒 : 下向き30度
風速 = 秒速28m, 時速55km

 そこで、もちろん、そんな強風の中での立ちしょんべんをする場合に誤爆しないようにするためには、いくつかの対策がある。もちろん、誰でも思いつく一番判りやすい方法が「しょんべん」が銃筒を飛び出す初速や構える銃筒の角度を変えるというものである。風に負けない強さでしょんべんを放水したり、飛距離が出なくても良いから、風に流されにくいような銃筒の角度に狙いを変えるというものだ。右のグラフは、例えば銃筒の角度を水平撃ちを止めて、「しょんべん爆弾」が風に流されて誤爆しないように、下向き30度の速射タイプに変更してみたものである。自分の足に見事に命中していたしょんべん爆弾が、なんとか誤爆せずに地面に吸い込まれていることが判ると思う。
 

  ところで、実は立ちションベンにはたくさんのパラメーターがある。ションベンの初速度と銃筒の角度だけではないのである。実は地味だが、大きなパラメータが数多くある。その内の一つが、しょんべんを撃つの銃筒の口径なのである。風が吹いていないような場合にはあまり関係ないが、風が強くて空気抵抗がとてもとても無視できないような場合には、この銃筒の口径は大きく効いてくるのである。空気抵抗の大きさ自体が口径の二乗で効いて、ションベンの質量は口径の三乗に比例するから、結果として口径に比例して空気抵抗の影響が小さくなる。すなわち、口径が小さいと風の影響を強く受け、口径が大きいと風の影響を受けにくいのである。つまりは、細くショワァーと放水するか、太くジョワァーと放水するかどうかはとても重要なのである。

 というわけで、下のグラフが風速28mの逆風下で「しょんべんを水平に撃つの銃筒の口径」を変えてみた場合の計算結果である。口径を大きくすることで、風の影響を受けやすい水平撃ちをしているにも関わらず、しょんべん爆弾の誤爆を楽々と防ぐことができているのが判るだろう。風吹く中で立ちションを力強く安定してするためには、何より放水口の口径を大きくすることが大切なのである。
 

しょんべんを撃つの銃筒の口径を変えてみた場合
青 : 半径 4mm 
黒 : 半径 3mm
赤 : 半径 2mm
(風速28/s = 55km/h下における水平撃ちの場合)

 というわけで、「逆風に負けずに立ちションを遂行するためにはどうすれば良いか」「時と場所を選ばず立ちションを遂行するためにはどうしたら良いか」を考えてきたワタシは、「しょんべんを撃つの銃筒の口径を太くするべし」という結論を得たわけである。と、書きつつ「そんなことできるかぁー」と叫びたくもなるが、日々鍛錬をすることで、いつ日かそんなワザを拾得し、あらゆる時と場所で、雨ニモ風ニモ負ケズ、そして「天使のCカップバスト」を装う魔の風にも負けないワタシになりたい、と思うのである。

 ところで、そんな「しょんべんを撃つの銃筒の口径を太くしたりする」ことが既にできるヤツラもいるのである。それはもちろん、ションベン小僧達である。だから、街中に立っているションベン小僧達、強い逆風に晒されりすることの多いションベン小僧達は、「銃筒の口径」がきっと太いのではないか、とワタシは想像するのである。なかなか、彼らのソレの口径を計ったりする機会には恵まれないのではあるが、きっと彼らは太くジョワァーと放水をすることで、風に負けない立ちション生活を貫いているのではないか、とワタシは想像したりするのである。ワタシもいつの日か、力をつけて彼ら逆風に負けないションベン小僧のようになりたいと思うのである。  …どう特訓するのか判らないけど…。
 

2002-07-21[n年前へ]

あの頃流れた電波の行方 

夜空にきらめく「あの頃の番組」

 梅雨も明けて、本格的に夏が始まった。曇りがちだった夜空も、星空が見えるようになってくる。夜空を見上げれば、雲に遮られずに織姫星(こと座ベガ)、牽牛星(わし座アルタイル)などが形作る夏の大三角形が見えるようになる。

 そういえば、何日か前に、"hirax.net"の検索エンジン「ぐるぐる」宛に

 人類が作った最初の電波は、今、ドコを飛んでいますか?「欽ちゃんのドンといってみよう」の放送は、今、ドコ辺りを飛んでいますか?星の彼方のドコを飛んでいますか?
という検索依頼がSさんから送られてきた。アンテナ(例えば東京タワー)から発せられた電波は秒速30万kmで遙か彼方へと飛び続けるわけだけれど、「ずっと昔に東京タワーから旅だった電波は、今ドコにいるの?」「そんな昔聴いたり、観たりしたラジオやテレビの電波は、今ドコを旅しているの?」「あの頃観た世界は、夜空に見えるどの星の辺りに今いるの?」という検索依頼なのである。「昔の見た電波を探して下さい」なんてとても面白い検索依頼である。というわけで、「ぐるぐる」は夏の夜空を見上げて、目を皿のようにして、「あの頃に流れてた電波の行方」を探してみることにした。
 

 東京タワーからテレビやラジオの放送の電波が発射されると、その電波達はアンテナから一直線に離れていく。もちろんきっと指向性などもあるだろうけれど、そんなことはとりあえず無視して考えてみよう。東京タワーから旅立って数十μ秒後(ホントに一瞬だ)には、その電波達はもう「東京23区が見渡せるくらいの場所」にいるハズだ。そして、東京タワーから旅立った数十m秒後にはもう「日本も中国も区別の付かないくらいの地球が見える場所」にいる。そして、テレビ・ラジオが放送された10時間後には、それらの電波は冥王星の軌道を過ぎようとしているところだ。
 

東京タワーからテレビ・ラジオ放送の電波が旅立ってから
数十μ秒後
23区が見渡せる
数十m秒後
中国の片隅に日本がいる
10時間後
太陽系が見渡せる

 すると、 地球から4.3光年離れた恒星アルファケンタウリの辺りを飛んでいる電波は、4年と少し前に東京タワーから放送された電波だ。ということは、ちょうどワールドカップ'98が間もなく始まる、という頃だろうか?初めてのワールドカップ出場にアルファケンタウリは今頃燃えているに違いない。今の東京はワールドカップ'02が終わって惚けている頃だが、アルファケンタウリはまだまだワールドカップ'98を前にして、燃えているハズなのである。

 同様にして、日本でテレビ放送が開始されてから放送された番組が、今頃どの辺りの星を通過しているかを"nearspace"と「ザ・20世紀テレビ番組史」を参考にして少し調べてみた。
 

東京タワーからの
距離 (光年)
恒星その辺りを
通過している電波は
いつ頃の放送? (年)
その頃のテレビ番組
4.3
アルファケンタウリ
1998
ワールドカップ'98
6
へびつかいバーナード
1996
ふたりっ子
8.7
シリウス
1993
ひとつ屋根の下
10.8
エリダヌス座イプシロン
1991
101回目のプロポーズ
11.1
白鳥座61番星
1991
東京ラブストーリー
11.8
くじら座タウ
1990
渡る世間は鬼ばかり
16
アルタイル
1986
あぶない刑事
25
ベガ
1977
アメリカ横断
ウルトラクイズ
30
アークトゥルス
1972
太陽にほえろ
35
ポルックス
1967
チャコねぇちゃん
40
カペラ
1962
てなもんや三度笠
50
カストル
1952
テレビ番組開始

 例えば、ひときわ明るく輝くシリウスの近くを通過しようとしている電波(番組)は、江口洋介が熱演する「ひとつ屋根の下」である。だから、今頃シリウスはきっと「そこに愛はあるのかい?」と呟いているハズであるし、エリダヌス座イプシロンは今頃武田鉄也と共に「ぼくは死にましぇ~ん」と叫んでいるはずなのである。

 そしてまた、七夕のカップルの彼氏、彦星(アルタイル)は「あぶない刑事」が今まさに放送されている頃だ。きっとアルタイルではタカ(舘ひろし)とユージ(柴田恭兵)モドキが溢れているハズに違いない。そして、アルタイルより九才年上(さらに東京タワーから九光年遠い)の彼女、織り姫(ベガ)はもう少し昔の番組を今頃眺めている。そう、始まったばかりの「アメリカ横断ウルトラクイズ」にはまっているのかもしれないし、あるいは「欽ドン、良い子、悪い子、普通の子」辺りを観ているかもしれない。

 ポルックスは「チャコねぇちゃん」を見始めた頃だ。その番組の弟役が主人公として「ケンちゃんシリーズ」が長く長く続き、ついには「洗濯やケンちゃん」なんてトンデモないものが登場することを、彼はまだ知らないのである。
 
 

太陽系近くにある恒星たち
沢武文氏作成のパワーズオブテンによる表示

 こんな風にして夜空を眺めてみれば、日本でテレビ放送が開始(1952年)されてから放送された電波を眺めてみることができる。例えば、カストル(ふたご座アルファ星)の辺りを眺めれば、日本で最初に放送された番組が飛んでいる様子が心に浮かぶことだろう。だから、考えてみれば、夜空のに輝く星はかつて聴いたり、観たりした番組がつまった「タイムカプセル」みたいなものかもしれない。
 

 というわけで、富士の麓で夏の夜空を見上げてきた「ぐるぐる」からSさんへの検索結果です。

 夏の夜空を見上げてみて下さい。三つの星が大きな三角形を夜空に描いているのが見えるでしょうか?その中で一番明るい星がこと座のベガ、七夕に逢い引きをする「織姫」です。
 かつて70年代に東京タワーから旅立っていた「欽ドン」の電波はあの星の辺りを走り続けているはずです。今頃、織姫がラジオやテレビのスイッチを入れれば、欽ちゃんの声が飛び込んでくるはずです。
 織姫が気に入っているのはラジオの「欽ドン」なのでしょうか?それとも、テレビの「欽ドン良い子、悪い子、普通の子」なのでしょうか?さてさて、一体どちらなのでしょうね?

 そして、夏の夜空と言えば、射手座も見えますよね?その中の一番明るい射手座のイプシロンが地球からちょうど120光年の彼方に位置しています。
 約120年前にヘルツの地球から発した最初の電波は間もなくあの射手座に辿り着きます。人類が放った最初の電波は、もしかしたら間もなく射手座のハートを貫こうとしている、のかもしれません。

 夏の夜空を見上げれば、あの頃流れてた電波の行方が、かつて眺めた番組が見えてくるような気がします。

 「ぐるぐる」

2002-08-04[n年前へ]

キラキラ光る景色を描く 

「木漏れ日」プラグイン「リン」を作る

 夏の休日には、朝早く起きて西伊豆の松崎の先にある「雲見・岩地・石部」辺りへ行って、海の中でお魚と戯れてみたり、海辺の温泉に長々とつかってみたりする。例え休日であっても朝早く行けば混雑とは無縁だし、海に照りつける太陽と温泉とビールの三点セットが揃えば、夏の景色としてはとても素敵なのである。

 とはいえ、今日は朝寝坊したので、松崎までは行かずに「無名だけれどとても良い感じの場所」へ行った。海辺に車を止めて、景色を眺めて、ほんの少しの時間泳いでみた。下はその西伊豆の某所で眺めた「今日見た景色」だ。
 

西伊豆の某所で眺めた「今日見た景色」

 「雲見、岩地、石部」であれば温泉も海も最高だけれど、西伊豆の辺りには他にも「海水が綺麗で、人も全然いなくて、トイレも水もある」ような場所はいくつもある。これはそんな場所の一つ。

 県道から海辺の集落に向かう道沿いには素晴らしい滝もあって、まるでプレイステーション2のゲームソフト「ぼくのなつやすみ2海の冒険篇」の世界に迷い込んだかのよう。

 実際に眺めていた景色はもっとキラキラしていたハズなのに、その片鱗も残っていない…。それはひとえに写真を撮ったワタシのウデが悪いから。
 

 海辺でワタシが実際に眺めていた景色は、もっとずっと「キラキラ」していたハズなのに、残念なことに上の写真を眺めてみても、その片鱗すら残っていない。揺れてる波間も、足下の濡れている岩も、眩しい太陽だってもっとずっとキラキラしていたハズなのに、上の写真はただボンヤリした写真になってしまっている。それは、ひとえに写真を撮ったワタシのウデが悪いからである。もちろん、それが一番の理由である。クヤシイ話ではあるが、確かにワタシのウデは悪いのである。

 とはいえ、言い訳を少しばかり書くならば、実際に眺めていた景色がもっとずっとキラキラしていた理由は他にも考えられる。例えば、ワタシ達が景色を眺めるときには、目の前にかかる髪の毛や、睫毛や、目の水晶体を通して景色を眺めているわけで、それらの中で光が回折したりして、キラキラとまるで虹のように光が輝いて見えたりするからだ。そのため、例えば夜空の星の形、本来は丸いはずの星の形、が星型に見えたり、木漏れ日が虹のように輝いて見えたりする。

 そんな様子をもしカメラで再現しようとするならば、ケンコーが出しているクロスフィルターのようなものをつけることになる。しかし、手軽さが取り柄のデジタルカメラでわざわざそんなフィルターをつけるのは面倒くさいし、第一人によって見え方は違うから、「ただ一つのフィルター」で写真を撮ってしまうのは少しばかりイヤな気がする。例えば、「私は目の前に髪の毛がたくさんかかってしまって邪魔なのー」という人もいれば、「最近、抜け毛がハゲしーなぁ…、目の前に髪の毛がたくさんかかっていたあの頃が懐かしぃ…」という人もいるわけで、そんな二人が眺めた景色はきっと全然違うハズなのである。「百人の人がいれば百人百葉様の景色を眺めている」わけで、写真を撮る時点でただ一つのフィルターをデジカメにはめて写真を撮ってしまうのも面白くない。フィルターに限らず、何事も一つの枠にはめてしまうのは良くないのである。

 デジカメの便利なところは、何より撮った後の画像加工が自由自在、というところなわけで、撮った後に「眺めた景色」を再現するように画像を加工してやれば、「写真を撮るときには素直な景色を撮って」「その後で自分が眺めたキラキラ光る景色を蘇らせる」ということができる。そこで、今回はそんな「キラキラ光る景色を描く」Photoshop用のプラグインを作ってみることにした。そして、ワタシの写真の腕の悪さを「技術の力」で誤魔化そうと思うのである。
 

 といっても、基本的には、「ボケ」た背景で包み込めの時の処理を基にして、

  1. 色々な畳み込みの演算カーネル形状を用意し
  2. 演算カーネルのサイズを強度やアルファチャンネルの情報を元にしてピクセル単位で可変にし
  3. カーネル演算を対数変換有無などに対応する
ようにするだけで、比較的簡単に「キラキラ光る景色を描く」Photoshop用のプラグインを作ることができる。光が輪を作ってキラキラする景色を描くプラグインなので、輪を意味する"RINg"と名付けてみた。木漏れ日は時折鈴(りん)の音のように見えるので、その響きにもかけてみた。 ちなみに、RINgプラグインは今のところ、Windows2000(XP?)のPhotoshop6.0,7.0でしか動かないと思うが、いつもと同じようにアルファ版のものをここにおいて(+説明)おく。

 RINgの出力サンプルを少し眺めてみると、下の画像のようになる。まず最初のサンプル画像は、クローバーの写真に「虹十字状」の畳み込みの演算カーネルを用いて、処理をしてみたものだ。左のオリジナル画像では、朝露を載せて光るクローバーを眺めるときに私達が感じる「キラキラしたようす」がほとんど写っていないが、右のフィルター後の写真では私達が睫毛などを通して景色を見るときに感じる虹色のキラキラした自然?な景色が映し出されている。
 

職場の駐車場で眺めた景色
オリジナル画像

左の画像にRINgをかけたもの
(畳み込みの演算カーネルは虹十字状)

 そして、また下の写真は、新宿から初台へ歩く途中で眺めた木漏れ日の向こうのビルの景色だ。左のオリジナル写真はクッキリ・ハッキリ写っているのだが、ただ「それだけ」である。太陽の光を遮る木々の葉っぱも、そこから降り注ぐキラキラする木漏れ日も写ってはいない。しかし、右のRINgが描いた景色の方では、ボンヤリと、だけど強く光る初夏の「木漏れ日」が確かに写っているのである。夏の空気が写っているかのようなのだ。
 

新宿から初台へ歩く途中で眺めた景色
オリジナル画像

左の画像にRINgをかけたもの
(畳み込みの演算カーネルは円状)

 もちろん、このRINgは「ボケ」た背景で包み込めの時の処理を基にしているので、写真のボケも再現することができる。例えば、六角形の畳み込みの演算カーネルを用いて、画面全体に同じ演算カーネルで処理をかけると下の右の写真のようにピンボケの写真を再現することができる。
 

画像全体に同じようにRINgをかけてみた例
(畳み込みの演算カーネルは六角形状)
オリジナル画像
左の画像にRINgをかけたもの

 また、アルファチャンネルも選択してフィルタ処理を行うと、自動的にアルファチャンネルの情報を基に畳み込みの演算カーネルサイズを画素毎に変化させる。だから、例えばアルファチャンネルに距離の情報を入れておいてやれば、下の写真のように距離に応じたボケなども再現することができる。この写真では画面中央下の領域はピントが合ってていて、そこから離れるに従って、ピンボケの具合が大きくなっている。もっとも、現在のバージョンでは大雑把に計算してみただけなので、空の部分などに疑似輪郭などがずいぶんと発生してしまっている。きっと、それはいつかのバージョンで直すつもりなのである。
 

距離の情報としてアルファチャンネルを用いた例
オリジナル画像
左の画像にRINgをかけたもの
(畳み込みの演算カーネルは円状)

 今回のRINgプラグインは光が広がる様子を保存した「畳み込みの演算カーネル」を基に画像にフィルタをかけるだけなので、使う演算カーネルの形状・様子によって色んなフィルタに早変わりする。

 例えば、デフォルトでつけてある三日月型の"Moon"カーネルを使えば、色んな灯りが三日月型に光る景色に早変わりする。もし、星空の写真に"Moon"カーネルでRINgプラグインをかけたら、いきなり全ての星が三日月に早変わりだ。また、"Smile"カーネルであれば、いきなり光が大小様々な「笑顔」に早変わりする。そんな風にして、色んな画像ファイルを演算カーネルにして見ると、色んな景色が見えてくるはずだ。例えば、「星はなぜ星型に見えるのか」のグループが作成した「星型シミュレーションソフトウェア」の出力結果を演算カーネルにすれば、目の前の景色が星空の向こうの景色に早変わりするだろう。そしてまた、水で満たしたコップの向こうに浮かぶ光の画像を使えば、RINgはデジカメで撮った色々な写真を水槽の向こうの景色であるかのように描き直したりするかもしれないし、あるいはまたまるで瞳に涙を浮かべながら景色を眺めてみたかのように描き直したりするかもしれない。

2002-08-17[n年前へ]

Visualizing Science by Citation Mapping 

 Henry Small。引用のリンクから「色々な科学間の距離」を推定する。(リンク

2002-08-26[n年前へ]

CleType自主学習(仮) 

ちょっと真面目にClearType(仮)

- ちょっと真面目にClearType(仮) -
(2002.08.26〜)
  1. 楽しそうな「iMac」&「電子ブック」風ノートPC用スタンド -はじまり - (2002.08.26)
  2. 一本道か、分かれ道か - ドキュメントの縦横比について- (2002.08.29)
  3. 水平思考と垂直思考 - 文字の縦横解像度 - (2002.08.29)
  4. 細かくすると楽(粗く)になる? - ClearTypeの一番の秘密- (2002.09.09)

楽しそうな「iMac」&「電子ブック」風ノートPC用スタンド -はじまり - (2002.08.26)


 Lapvantageという楽しそうな会社を初めて知った。ノートPCをiMac風にするLapvantageDomeやPCを縦置きで使うためのLapvantagePortraitという、とても実用的でいて、それでいて明和電機のような面白い製品を作っている会社である。明和電機は兄弟が運営しているが、こちらのLapvantageの方はビアボーム親子がやっているらしい。iMac風スタンドの方は角度が振れないようのが(特にノートPCを立てられない)残念だが、Lapvantageの方はもう少しデザインがスマートであるならば今すぐにでも欲しくなる。
 

Lapvantage Products
Lapvantage Dome
Lapvantage Portrait

 複数の作業を切り替えながら作業をしたり、あるいはツールバーが多数出てくるようなソフトウェアを使って作業をする時には、左右に広いディスプレイが便利で使いやすい。しかし、単純に一つのドキュメントを読んだり、一つのドキュメントを書いたりする場合には上下に長いディスプレイを使うと、見通しがきいて考えをまとめやすくなる。気のせいか、頭の中の見通しがとても良くなるように感じたりする。だから、以前から横長の画面のノートPC(ToshibaPortege 320)を愛用していたりした私はノートPCの画面を横にして使ったり、縦にして使ったりと、画面を切り替えて使ってみたいと感じていた。AdobeAcrobat Readerであれば、画面を回転させて文章を読む機能があるので、これまでノートPCを回転させて電子ブックのようにして文章を読んだりすることもあった。 

 Lapvantage PortraitはPivotProのソフトウェア付きなので、Windowsの画面を自由自在に回転させることができる。だから、ノートPCを普通に横置きに使ってみたり、スタンドに載せて縦置きに切り替えて使ってみたり、と好きなように切り替えることができる。「これはなかなか便利そうだ」と思い、私も私も30日有効のPivotProのデモ版をインストールして使ってみることにした。

 そして、このソフトのインストールをきっかけにして

で調べたClearTypeに関して、ちょっと少し考えてみた。 (続く)

 

一本道か、分かれ道か - ドキュメントの縦横比について- (2002.08.29)


 前回書いたように、複数のことを考えるなら「左右に長いディスプレイ」が良くて、一つのドキュメントを読むなら「上下に長いディスプレイ」が良い。その理由を端的に言えば、「目が左右についているから」だと思う。

 まず、「目が左右に付いているので、あまりに大きい左右への目の動きは、目にとってとても非対称な作業であるから不自然」だ。だから、左右を眺めるときには自然と頭を左右に振ることになる。その頭を左右に振るという作業は、頭の中での何らかの切り替え作業を伴うような気がする。だから逆に、ツールパレットの切り替えのような「何らかの作業の切り替え」を伴う作業であれば、その左右へ視線を移動する(自然と頭も左右に動かす)ということはとても自然な行為になる。しかし、それは一つのドキュメントを読むような場合には、いたって不自然な行為になってしまう。だから、一つのドキュメントというのは本来「上下に長い=縦長」であるべきだと思う。

 そしてまた、「目が左右についているから」、人は上下方向を「一本道」に繋げて考える。例えば、絵画を眺めるとき、上に見える景色は多くの場合遠い景色で、下に見える景色は多くの場合近い景色だ。漱石の文学論の図を引くまでもなく、この「上下の遠さ、距離」というものを例えば時系列上の「一本道」に繋げるのは、いたって自然な連想だと思う。「遠い上」に見えるものは「遠い過去」で、下に来ればくるほど新しいことになる。それは、ドキュメントを読む場合に対応させて考えると、とても自然だ。それに対して、左右に並ぶものは決して「一本道」ではないのである。それは、「選択肢=分かれ道」であって、決して一つの道ではないのである。左右に並ぶものは「複数の何か」なのである。

 だから、一つのドキュメントは上下に並び、上下に長いべきなのである。ドキュメントの表示も同じく、縦に長いべきなのである。
 

「文学の焦点」

漱石 「文学論」より

 最近のPCであると、ディスプレイは通常横に長い。だから、本来縦に長くあるべきドキュメントを眺めようとする場合には、表示を90°回転させてやることもある。そうすると、本の一ページのようにして画面表示を眺めることができる。例えば、AcrobatReaderで表示画面を回転させたり、PivotProなど使ってPCの画面表示自体を回転させてやれば良いわけである。
 

Acrobat Readerで90°回転表示をする
回転させない場合
回転させた場合

 
PDF表示を90%回転させている例
縦長のドキュメントを読むことができる

 このように、ドキュメント表示のための縦横比については、単にディスプレイの表示を90°回転させてやれば問題は解決する。しかし、表示のためのもうひとつの条件、表示品質が問題になってくる。そもそも、液晶(二十世紀においてきたCRTは無視しよう)の解像度はまだま低くて、それを改善するための技術としてClearTypeやCool Fontがあるのだけれど、AdobeのCool Typeはともかく、Clear Typeの場合には表示が90°回転しているという情報をClearTypeが取り扱わない(知らない)ために、上手く動かなくなってしまう。ClearTypeにしてもCool Fontにしても、液晶のRGBのカラーフィルターの並び方を利用してやることで解像度を高めているわけで、その並びの変化(表示の回転)に対応できない場合には表示品質を大幅に落とすことになってしまう。

 次に、「ファイト!縦文字文化 -縦と横の解像度を考えよう - (2001.04.29)」で考察した、文字の解像度についてもう少しちゃんと考えてみることにする。



 

水平思考と垂直思考 - 文字の縦横解像度 - (2002.08.29)


 ドキュメントを表示させるためには、文字を表示させてやらなければならない。しかし、液晶ディスプレイの解像度は必要十分には高くないから、文字はつぶれてしまうことが多い。例えば、「現実問題春夏雪雹資本主義電計算機」なんて文字を表示させてみるとかなり潰れてしまい、非常に読みにくいのが判るはずである。これが、英語の"RealProblem seasons Snow capitalism Computer"なんて文字であれば、まだマシである。

 この日本語と英語の文字の解像度の差について考えてみる。比較例は下に示した、「漢字」と「英語」のテキストを用いることにする。
 

日本語と英語の文字の解像度
「漢字」
「英語」

 まずは、600dpiで20ptのMS Pゴシックのフォントを展開して上のような画像にした後に縦・横方向のそれぞれの解像度を考えてみる。ここでは、縦・横方向の黒い線(あるいは線でない部分)の太さ(幅)の分布を測ってみることにした(今回解析のために作成したソフトはここ(RunLength.lzh)においておく)。テキストのような二値の画像の「解像度特性」を計測するのであれば、このような解析にしなければならない。「ファイト!縦文字文化 -縦と横の解像度を考えよう - (2001.04.29)」でやったようなフーリエ解析は適切な方法ではないのである。

 下の図が縦・横方向の黒い線(あるいは線でない部分)の太さ(幅)の分布である。縦方向に計測した黒い線(あるいは線でない部分)の太さというのは、結局のところ横線の太さ(あるいは線の間隔)であり、横方向に計測した黒い線(あるいは線でない部分)の太さというのは、結局のところ縦線の太さ(あるいは線の間隔)ということになる。どれだけの細かさで「太さ」(あるいは「位置」)を描いてやらなければならないか、を示すグラフということになる。
 

600dpiで20ptのMS Pゴシックのフォントをビットマップに展開してみた場合
「漢字」の場合
「アルファベット」の場合

 「漢字」の場合には「Vertical 方向で計測した線の太さ(あるいは線の間隔)、すなわち横線の太さ(あるいは線の間隔)」が「縦線の太さ(あるいは線の間隔)」に比べて、大きく小さい方にシフトしていることが判ると思う。また、横線の量が縦線の量に比べてずっと多いことも判ると思う。後者は「数字文字の画像学 -縦書きと横書きのバーコード - (2000.01.21) 」で考えたことと全く同じで、「日本語は横線が多い」ということを端的に示している。そして、前者は「Vertical方向で計測した(すなわち横)線の太さ(あるいは線の間隔)」が縦のそれより大幅に小さいということは、「漢字」の解像度は縦方向に大幅に解像度が高い、ということを示している。漢字は縦書き文字故に鉛直思考志向なのである。

 一方、「アルファベット」の場合には、これも「数字文字の画像学 -縦書きと横書きのバーコード - (2000.01.21) 」で考えたことであるが、縦線と横線の量においてはむしろ縦線の方が多いことが判る。水平方向に対して情報量が多いのである。アルファベットは水平思考志向なのである。「アルファベット」の情報量はそのかなりの部分が縦線によるものなのである。そしてまた、線の太さ(あるいは間隔)は横線の方が細い(あるいは線間隔が短い)が、その横線であっても「漢字」の縦線程度の解像度であることが判る。「漢字」に比べて「アルファベット」の解像度は低いのである。

 ただし、文字の解像度を「線の太さ(あるいは間隔)の最小値」だけで論じることはできない。「適切な線の太さ(あるいは間隔)」にすることができるほどに解像度が十分高いか、ということも重要である。もし、そうでなかったら線が妙に太くなったり、細くなったりしてしまったり、あるいは、線の間隔が妙に近づいたり離れてしまったり、つまりは文字のプロポーションが崩れてしまったりするだろう。上の場合は600dpiで文字を表示させた場合の解析例だが、次に現在の液晶と同じような解像度(例えば)150dpiでこの文字を表示(展開)させてみる。こうすることでことで「適切な線の太さ(あるいは間隔)」にできていない様子を確認してみたい。
 
 
 



 

細かくすると楽(粗く)になる? - ClearTypeの一番の秘密- (2002.09.09)


 まずは、「現実問題春夏雪雹資本主義電計算機」という漢字と"RealProblem seasons Snow capitalism Computer"というアルファベットを現在の液晶と同じような解像度(例えば)150dpiでこの文字を表示(展開)させてみた。そして、前回と同じようにそのビットマップ画像の「縦・横方向の黒い線(あるいは線でない部分)の太さ(幅)の分布」を調べてみる。その結果が下のグラフである。また、前回に調べた、これよりも4倍程解像度が高い「600dpiで20ptのMSPゴシックのフォントをビットマップに展開してみた場合」をさらに下に比較用として示してみる。
 

150dpiの解像度で20ptの文字を出力してみた
「漢字」の場合
「アルファベット」の場合
600dpiで20ptのMS Pゴシックのフォントをビットマップに展開してみた場合
「漢字」の場合
「アルファベット」の場合

 150dpiでTrueTypeをビットマップに量子化した場合には、漢字・アルファベットの場合共に、縦・横方向とも600dpi単位で4,8pixelの太さ=150dpiで1,2ピクセル幅のパターンが発生していることが判る。このようなパターンは、600dpiで20ptのMSPゴシックのフォントをビットマップに展開してみた場合には見られなかったものである。つまり、、着目すべきは例えばアルファベットの場合、

  • 縦方向には幅10pixel(600dpi単位)=2.5pixel(150dpi単位)以下の高い周波数は存在していなかった
  • 横方向には幅13pixel(600dpi単位)≒3pixel(150dpi単位)以下の高い周波数は存在していなかった
ものが、150dpiで量子化した場合には
  • 縦・横方向共に幅4,8pixel(600dpi単位)=1,2pixel(150dpi単位)以下の高い周波数が生じている
ことであり、漢字の場合も全く同じように、
  • 縦方向には幅7pixel(600dpi単位)≒2pixel(150dpi単位)以下の高い周波数は存在していなかった
  • 横方向には幅11pixel(600dpi単位)≒2.5pixel(150dpi単位)以下の高い周波数は存在していなかった
ものが、150dpiで量子化した場合には
  • 縦・横方向共に幅4,8pixel(600dpi単位)=1,2pixel(150dpi単位)以下の高い周波数が非常に多く生じている
ことである。液晶の解像度が低いために、その低解像度で量子化する際に「幅の狭い高周波のパターン」(歪み)が生成されてしまっているのである。そのような高周波のパターンが生成されてしまった場合には、低解像度のディスプレイで表示するためには、ますます無理が発生してしまうことになる。「低解像度の表示系の解像度に合わせて量子化(ビットマップ化)してしまうと、ますますその表示系では表示しづらい高周波のパターンが生成されてしまい、結果として読みづらい」という現象が生じてしまうわけである。

 また、これらの文字の場合には本来18〜15≒12pixel(600dpi単位)の線幅・線間のパターンが多いわけであるが、それを150dpi単位( =600dpi単位で4pixel )で量子化してしまうと、場所により4/12 = 33%もの線幅・線間の位置の誤差が生じてしまうことになる。不必要に狭い幅のパターンが作成されたり、不必要に広い幅のパターンが作成されたりして、これでは文字の線が太くなったり細くなったり、線の位置が狂ったりしてしまい、見にくいことこのうえない。これはすべて、150dpiという低解像度で量子化してしまったためである。「低解像度の表示系の解像度に合わせて量子化(ビットマップ化)してしまうと、ますますその表示系では表示しづらい高周波のパターンが生成されてしまい、結果として読みづらい」という一見逆説的に思えてしまう(しかし当たり前の)現象が生じている。

 ところで、本題のClearTypeの場合には横方向(通常の液晶はRGBの3つのサブピクセルが横方向に並べられているから)の解像度を3倍だと仮想的に考えて、横方向を3倍の解像度で量子化を行うことになる。ここで、話の単純のために3倍≒4倍と思うことにすれば、つまりはClearTypeの場合には本来150dpiの解像度であるにも関わらず、サブピクセルを考えて600dpiの解像度で量子化している、ということである。それは結局上の二つのグラフの比較と同じであって、ClearTypeを使うと実は表示すべきパターンが「より表示しやすい低い周波数のパターン」になっているのである。それは、「文字の線が太くなったり細くなったり、線の位置が狂ったりしてしまう」ことがなく、目にとってはとても見やすいパターンになるだろう。この量子化の段階について触れている情報は見たことがないが、実はこの量子化の段階にClearTypeの隠された(しかし、一番重要な)メリットがあるように思う。また、アルファベットの場合にはHorizontal方向に振幅を持つパターン(=縦線)が支配的に多いため、Horizontal方向に仮想的に高解像度の量子化を行うことは非常にメリットを効果的に得られると考えるのが自然である。

 次に、このように量子化されたデータをClearTypeで表示する際の問題点・その解決方法について考えてみていくことにしたい。

 P.S.ちなみに解析ソフト(RunLength.lzh)をアップロードしました。
 



 
 
 



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