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2000-05-17[n年前へ]

恋の形を見た人は 

恋の相対性理論

 さて、前回

では、三人の登場人物
A子 : 「瞬間」的に燃え上がるタイプの女の人
B子 : 「ゆっくり」燃えるタイプの女の人
C男 : いつも、とっても良い男
達の間で繰りひろげられる色々な「出来事・きっかけ」と、それにより発生する「恋する心」を「恋のインパルス応答」を用いて計算してみた。その結果、C男とB子がカップルになれば「ほのぼの」とした幸せな生活をしそうだ、というところまで考察した。

 今回は、その三人に加えて

  • D男 : ほとんどの場合、悪い男
が登場する。このD男により、A子、B子、C男達の運命はどのように変化していくのだろうか?果たして、C男とB子は幸せな結末を迎えるのだろうか?それとも...

 さて、今回登場する「D男  =  ほとんどの場合、悪い男」はかなり酷い男である。D男がA子とB子に対して何をしたか時系列を追ってみてみることにしよう。
 

ほとんどの場合「悪い男」であるD男の色々な「出来事・きっかけ」
  1. お金をせびり、
  2. 浮気をするし、
  3. それを追求すると殴る蹴るの暴行を働き、
  4. せっせと貯めたヘソクリを奪いパチンコに行ってしまう、
という最低な男である。それでも「本当に」たまに優しいことをするのであるが、それは例外中の例外。普段は暴れまくりである。いやはや、自分で登場させておいてなんだが実にとんでもない男だ。悪い印象しか残さないはずの男である。私が女なら近くに寄りたくないタイプの男である。

 それに対して、前回のC男は次のグラフのように悪いことは何一つしない良い男だ。
 

いつも良い男であるC男の色々な「出来事・きっかけ」

 悪いことは何一つしない。良いことばかりをしてくれるのである。何とも良い人である。普通に考えれば、女の人の「ハート」はC男ががっちり掴み、D男は警察官にでもがっちり掴まれているのが当然であろう。掴まれたが最後、シャバには二度と出てきてこないで欲しい位である。しかし、そう単純な話ではないのだ。

 人の感覚には「順応」というものがある。簡単に言えば「慣れ」である。ひどいことしかしない男と普段接していると、それが当たり前に思えてしまうのである。相対化してしまうのだ。普段のD男に対する印象が「当たり前」に思えてしまうのである。

 さて、その「恋する心」の「順応」を計算するにはどうしたら良いだろうか?そう、普段の印象を基準にすれば良いのだ。普段の印象、すなわち「印象の平均値」を「恋する心」から引けば良いのである。例えば、A子のC男に対する「恋する心」を計算してみることにする。次のグラフで黒字が「色々な出来事」と「恋のインパルス応答」の畳み込みであり、本来のあるべき「恋する心」である。そして、緑字が環境順応後、すなわち、本来のあるべき「恋する心」から「印象の平均値」を引いた「恋する心」である。
 

A子のC男に対する「恋する心」
黒字 : 本来の「恋する心」
緑字 : 環境順応後の「恋する心」

 この図で、環境順応後の「恋する心」が本来の「恋する心」よりいい印象であることがわかると思う。何故かというと、環境に順応するということは普段の印象が当たり前の状態と思ってしまうことである。普段「悪い」男を相手にする場合は、「悪い」のが当たり前だと思ってしまうのである。数学的には、「悪い」のを引くのであるから、「マイナスを引くとプラスになる」のと同じである。それを式で表してみると、

 環境順応後の「恋する心」 = 本来の「恋する心」 - 普段の態度

なのであるから、普段の行動が極めて悪いD男の場合は

環境順応後の「恋する心」 = 本来の「恋する心」 - (  悪い印象)
 
 ここで「悪い印象」が「良い印象」の反対であることから、( 悪い印象 ) =( -良い印象 )とおくと、
環境順応後の「恋する心」 = 本来の「恋する心」 - ( -良い印象)
 
であるから、
環境順応後の「恋する心」 = 本来の「恋する心」 + ( 良い印象)
となる。なんと、「悪い印象」が「良い印象」にすり替わるのである。恐るべし、「環境順応」である。スイカに塩をかけると、ショッパイどころか逆に甘く感じられるのと同じく、ひどいD男がちょっとでも良いことをすると、「ものすごく良いこと」に感じられてしまうのである。前回、
 「恋の印象の平均化効果」というものを武器に、「辛(つらい)」が「幸(幸せ)」にすりかわる様子を見てみることにしたい。「辛(つらい)」が「幸(幸せ)」は紙一重なのだ。「辛(つらい)」は「幸(幸せ)」で、「幸(幸せ)」は「辛(つらい)」なのである。
と書いたが、これがそうだ。普段の「辛(つらい)」を引くと、マイナスをマイナスすることでプラスに変わり、「辛(つらい)」が「幸(幸せ)」にすりかわるのである。

 そして、普段悪いことをしないC男の場合はこれとまったく逆に、普段の良い印象を引いてしまうが故に、環境順応後の「恋する心」には「悪い印象」が加わってしまうのである。「普段良い男」が少しでも悪いことをすると、散々に悪く言われてしまうのと同じである。

 さて、こういった環境順応した状態での、A子のC男に対する「恋する心」とD男に対する「恋する心」を眺めてみることにしよう。次のグラフは黒字がA子のC男に対する「恋する心」を示し、緑字がA子のD男に対する「恋する心」を示している。
 

A子のC男に対する「恋する心」とD男に対する「恋する心」
黒字 : A子のC男に対する「恋する心」
緑字 : A子のD男に対する「恋する心」

 なんと、A子は普段悪いD男の方に強い「恋する心」を感じてしまうのである。「おいおい、それでいいのか?」、と言いたくなるような状況である。「オマエはマゾか!?」と、つい言ってしまいそうである。
 まぁ、じっくり物を考えないA子はおておいて、それではB子はどうだろうか?きっと、C男と上手くいくだろうB子はどうだろうか?もちろん、「人の良い」C男を選んでくれるだろう。というわけで、次のグラフが、A子とB子のD男に対する「恋する心」を比較したものである。緑字がA子のD男に対する「恋する心」を示し、黒字がB子のそれを示している。
 

A子とB子のD男に対する「恋する心」
緑字 : A子
黒字 : B子

 何ということだろう。こともあろうに、B子もD男に恋をしてしまうのだ。哀しいかな、C男は失恋してしまうのである。しかも、こtもあろうにD男にである。なんということだ!もちろん、D男がB子にひどいことをした時、すなわち「B子のD男に対する恋する心」が低下した時にA子とD男が別れるという可能性もある。しかし、残念ながらB子は「ゆっくり」タイプなのである。A子と違って、「すごく恋が冷める瞬間」がないのである。A子の場合はとっさのいきおいでD男と別れるという可能性もあるが、B子の場合はむしろD男にひっかかりやすいと言えるかもしれない。
 このようにして、「普段は悪い男がたまに優しいことをすると、女の人はふと恋に落ちてしまう」という恐怖のストーリーがいたるところで発生するのである。

 私の楽しみ「ちゃろん日記」の2000/03/09の「わしはダメだった」に、「印象の平均化定理」に関するしみじみとした一節があるので、そのまま引用してみたい。

「下僕(仮名)は、不幸な女がどぅやってできるか知っとるか?」
「・・・う?ん」
「不幸な女は、フダンはとんでもない男がたま?にほんのすこしだけ見せる優しさが忘れられないコトにより生産される」
「・・・・・・」
「母ちゃんがそぅだった、こりからもそりは生産されるだろうしそんな女が絶えるコトはないだろう、でもそりでいいのカモ知れんの、本人がそりで幸せだったのなら」
 「一般相対性理論」によれば、完全なる時空間の基準がない。それと全く同じように、絶対的な幸せの基準など存在しない。本人がそれでいいと言うなら、それでいいのかもしれない。強引を承知で言うならば、それが「恋の相対性理論」である。恋の座標軸は本人が決めるしかないのである。

 さて、これまで、「できるかな?では何度も「恋のかたち」を何とか目に見える形にしようとしてきた。きっと、それはこれからも変わらないだろう。とりあえず今回の話は、私の好きな本橋馨子の「兼次おじ様シリーズ」の中のセリフを引用して、締めくくることにしたい。

「なぁ兼次、愛はどんな形をしているか知っているか?」
「見た事ないからわかりません。」
「そうだ、誰も見た者はないのに、誰もが当然のように形づけて受け入れている...」
「もし愛に優劣を決めるものがあればなんだろう?... たとえ、どんな形だろうと選ぶのはおまえ自身だよ。」

2000-09-02[n年前へ]

もうすぐ二歳の「できるかな?」 

初心に帰ってみましょうか?


  「できるかな?」が始まったのは二年近く前の秋のことだった。

でも触れたが、当初(実は今も続いているが)は某社内の某サーバー内でこっそりと始めてみたのだった。それから二年あまりでずいぶんと色々な話が増えた。某社サーバー内でしかアップしていない
  • プリンタドライバーは仮免
  • 続 電子写真プロセスを分数階微分で解いてみよう
  • 続々 電子写真プロセスを分数階微分で解いてみよう
等の外部未公開の話も含めれば、もうすぐ200回近くになる。そして、公開場所の変化もあってずいぶんと話の傾向も変わってきた。最近では「ここのところの話題は何か変じゃないですか?hirabayashiさんどうかしたんですか?」とか、「大丈夫?hirabayashiくん?」などと言われる始末である。

 そして話が増えてきたせいか、自分自身でも「アレッ、あの話はどこにあったけ?」というように迷ってしまうことが多々ある。迷うどころか、最後まで見つからないこともしばしばあるのだ。そして、それは私でもない他の人であればましてやそうだろう。というわけで、

では簡単にそれまでの話の紹介をしたし、ではhirax.net内の全文検索機能を付けてみた。

 今回は、これまでの話題をもう一度自分で読み直して、その中から「自分のお気に入り」を調べてみたいと思う。そして、最近少し話題が変になってしまっている反省をして、もう一度初心に帰ってみようと思うのだ。

 まずは、1998年の話題からいくと

というあたりが、良い感じだ。京都の風物詩である「鴨川カップル」達が人目を気にしながら寄り添う合う姿を考えてみたものだ。後の「恋の力学」シリーズなどはここらへんから始まっていた、といっても良いだろう。そしてこの頃の[Scraps]系の話題としては、がある。少し前に、この「さなえちゃん」を描いた漫画の作者からメールを頂いたのがとても私には印象深かった。

 そして、1999年の上半期から選んでみると、まずは

というところだろう。ハードディスクの情報を可視化することで情報圧縮・エントロピーを考えてみた一話である。そして、同じような「可視化シリーズ」の一つであるはこの後「感温液晶はどこで売っていますか?」という質問メールを多々頂くことになった。そして、[Scraps]系のが私の「お気に入り」でもある。ここら辺から「できるかな?」の中に全然技術的な話題でない物が登場し初めたような気がする。

 そして、1999年の下半期はもう自分で言うのも何だが傑作揃いである。大体、書いているペースが自分でも驚くくらいのハイペースだ。月当たりの話の数を数えてみると、

  •  7月 9話
  •  8月 9話
  •  9月 8話
  • 10月 8話
  • 11月 11話
  • 12月 9話
という感じでいやもうビックリしてしまう。平均すると三日に一話である。どうも、本業が忙しいとそれに比例して制作ペースが増加するという、「恐怖の睡眠時間減少の法則」が成り立つようだ。

 この頃の「お薦めの話」はいっぱいある。例えば、

に始まった「文章可視化シリーズ」や、で始まった「ASCIIアートシリーズ」だろう。から始まる「江戸五色不動シリーズ」は江戸にロケまで行ったので、とても思い出深い話の一つである。しかも、妙な偶然のせいでまるで小説の中に迷い込んだような気持ちになったものだ。

 そして、WEBページを作る上では

などもどうしても外せない。そして、この後結構続くことになるという「恋の力学」シリーズもこの時期に始まっている。そして、この頃の一番人気が何と言ってもだろう。この「ミニスカート」系の話の流れは以降も続くことになるのが自分では意外でもあり、残念でもある。それはさておき、ナンセンス系ではなんてのも面白い話だと思う。そして、1999年の終わりはやはりこれが「お気に入り」の話である。また、[Scraps]系の話がこの時期にはやたらいっぱいあるのが面白いところだ。その内からいくつかピックアップするとこんな感じだろうか? さて、2000年上半期にもなると、すいぶんとペースも内容も落ち着いてしまう。その中でも、「恋の力学」シリーズに夏目漱石をトッピングしてみたという辺りは「文学と科学が合体」した話で、自分の中では書いてて結構面白かった話である。そして、ナンセンス系のもクダラナイところところが外せないと思う。そして、この辺りで始まり未だ継続中のは最近の変な流れを予感させるのが哀しいところである。

 さて、今回は2000年上半期までの話の中から「私の好きな話」を振り返ってみた。とはいえ、私の好きな話=他の人の好きな話ではないようだし、他の話も適当に眺めて頂いたら良いかなぁ(私が)、と思うのだった。
 

2001-03-04[n年前へ]

柿ピーのシーソー・ゲーム 

柿とピーナツの供給バランスを考える

 結婚しようとするカップルが少しばかり気にした方がよいのが、「柿ピーの好み」である。知らない人がいるとは思えないが、念のために書いておこう。柿ピーと言えば、柿ピー= 柿の種 + ピーナッツであって、亀田製菓の大ヒット商品である。そして、何と言ってもビールの安上がりのおつまみだ。
 

いわゆるひとつの「柿ピー」

 この「安上がりで手軽なおつまみ」というところが、結婚しようとするカップルにはとても重要である。何故なら、結婚する前のカップルであれば洒落た店で飲むことも多いかもしれないが、結婚後はなかなかそうはいかない。いつの間にか手に持ったワイングラスは缶ビール(しかも発泡酒)に変〜身し、「テーブルの上の豪華な食事」はちゃぶ台の上の亀田製菓の柿ピーにバケラッタしているのである。

 そうなると、かつては「このソースとても美味しいよね。うふっ。」なんて言っていた二人も変わらざるをえない。そりゃそうだ。柿ピーを目の前にして、気取ってみてもしょうがないわけだ。そんな時、こんな会話に走りがちである。

「柿の種ばっか、食べないでよ!」
「オマエこそ、ピーナッツどんどん食えよ!」
そう、柿ピーがなまじ「柿の種 + ピーナッツ」なので、片方がどんどん減っていったりすると、これがもう大変。かつては、ワインを片手に愛を語らっていた二人も、今やビール(しかも実は発泡酒)を片手に食い物の奪い合いをすることになるのである。

 これが、カップルの二人がとても似たもの同士で、「私達二人とも柿の種がスゴ〜ク好きだから、ピーナッツなんかいらないの。だから、- 柿の種だけが100%入った柿の種 - を買うの!」なんて感じなら、もちろんノープロブレムだろうし、あるいは、「ぼくらは、ピーナッツだけを買うのさ!」という感じのカップルでも同様だろう。
 

そんな二人のための「柿の種だけが100%入った柿の種」

 あるいは、もう「ぼくは柿の種が好きだけど、きみはピーナッツが好き。二人は違っているから良い組み合わせなのさ。柿の種はぼくがどんどん食べるから、君はピーナッツをお食べ」なんてカップルでもいいだろう。こちらも、「ひとまずは」ノープロブレムである。つまりは、全く同じが正反対のカップルであれば、大抵の場合ほとんど問題はないのである。

 しかし、「柿ピーは柿の種とピーナッツが適当な割合で入っているから良いのさ」なんていうグルメ気取りのカップルがいたりすると、大変である。

「アンタの食べる割合、少しおかしくない?」
「何言ってんだよ!オマエの方が柿ピー食べ過ぎだってんだよ!」
「そんなことないわよ!」
となるのは必至である。この数分後には、巨人の星の一徹父ちゃんのごとく、ちゃぶ台はひっくり返されているのに違いないのである。柿ピーの割合恐るべしだ。

 そして、しかもこれが理系カップルともなれば、もう最低だ。

「柿とピーの割合は7:3で食べなさいよ!」
「違うだろ、6:4が適正値に決まってるだろ!」
「そんなにピーナッツを食べたいなら、柿ピーじゃなくてピー柿にしなさいよ!」
「別にピーナッツが過半数を超えるほどがイイって言ってんじゃねぇ〜!」
「何よ、もっと定量的に話しなさいよ!」
という具合になるに決まっているのだ。このままいくと、柿ピーを前にして離婚談義にもなりかねない。なんともオソロシイ話である。(* ピー柿は7:3でピーナツの方が多い。そんなのが実在することが私にとっては驚きである。)

 そういうわけで、「柿ピーの好み」「柿ピーの割合」「柿ピーの消費の割合」なんていうものは、結構結婚しようとするカップルには重要なのである。結婚しようとするカップルはぜひとも心して聞いておいてもらいたい。とはいえ、モテモテ度テスト

「女にモテない、というより、女に興味がないオマエ。今、一番気になることがドリキャスの値下げだったりなんかしない? まーそれも人生だけど、モテたほうがおいしいことは多いぜ? もうちょい女に関心持てよ。」
と判定された私が言っても説得力がないか。
 

 ところで、そもそも柿ピーの割合はどのくらいが普通なのだろうか?WEBで検索してみると、柿ピー10に対して

  • 柿の種 : 7〜6
  • ピーナッツ : 3〜4
が普通であるらしい。作っている方も、食べる方も結構ウルサ方が多いらしく、結構その割合について書いてあるサイトも多かった。

 そこで、試しに私も手元にあった小袋入り亀田の柿ピーの中身を調べてみた。調べたのは「小袋入り亀田の柿ピー」である。
 

小袋入り亀田の柿ピー

 この一袋の中身を開けてみると大体こんな感じである。
 

一袋に入っていた柿ピー

 もちろん、単に数えても良いわけではあるが、「クダラナイことに、無意味なほどに大ゲサな道具を使うのがこのサイトのポリシー」でもあったりするので、まずは画像処理ソフトを使って柿の種とピーナッツの個数をカウントしてみた。使ったソフトはUTHSCSAImageTool である。PCベースでフリーでお手軽で粒子カウントとなるとこのソフトになるだろう。もちろんNIH-imageベースのScionImagePCという選択肢もないわけではないが、こと粒子カウントになるとはるかにImageToolの方が使いやすい。マクロの取っつきやすさ(機能は較べものにならないほどおちるが)もNIH-image系よりも上である。

 さて、まずは上の画面内で柿の種を粒子カウントしてみたのが次の画面だ。この画面では見つかった柿の種は赤い縁取りがされ、個数がマーキングされていることがわかると思う。ちなみに、この画面内では93個の柿の種が見つかった。しつこいようだが、「数えた方が早いだろっ!」というツッコミはこの「できるかな?」では厳禁である。
 

柿の種は大体100個
ちなみにこの画面では93個

 同じようにして、ピーナッツをカウントしてみたのが次の画面である。この画面では、ピーナッツは23個見つかった。
 

ピーナッツは大体20個
ちなみにこの画面では23個だった

 すると、個数ベースでピーナッツが23/(93+23) = 20%で、残りが柿の種で80%ということになる。柿ピーの割合は大体8:2であったことになる。確か、WEBの亀田製菓に関する情報では

「柿ピー」のブレンドは、柿の種6に対してピーナッツ4が基本
と書いてあったような気がするので、今回の8:2というデータは測定誤差、とその他の何らかの誤差が重なったものだろう。いや、そんな誤差はどうでも良いか。
 

 ところで、大きな袋に入った柿ピーを食べながらよく考えることがある。私は柿の種が大好きなので、柿の種ばっかり選んで食べていくと、袋の口近くの上の方にはピーナッツばかりが残り、明らかに袋の場所ごとに柿の種とピーナッツの割合が異なってしまっていることがよくある。この柿の種とピーナッツの割合の時間的・空間的変化は一体どうなっているものだろうか?そこで、今回その「ピーナッツの柿ピーに占める割合の時間・空間的変化」について、少し考えてみることにした。
 

 まずは簡単に判るように、袋の中から均等に柿の種とピーナッツを「柿ピーの割合を適当な割合で」食べていった場合、「ピーナッツの柿ピーに占める割合」は次の図のようになる。この図は横軸が時間で、縦軸がピーナッツの柿ピーに占める割合である。
 

ピーナッツの柿ピーに占める割合の時間的変化
青 : 柿ピーを8:2の割合で食べた場合
緑 : 柿ピーを8:3の割合で食べた場合

 今回の場合柿ピーは8:2で入っているので、青の場合のように柿ピーを8:2の割合で食べていくと、時間にして10分後に柿ピーがなくなるまで、ピーナッツの柿ピーに占める割合は20%をキープしたままである。しかし、(少しばかりピーナッツが好きな人が)柿ピーを8:3の割合で食べてしまうと、つまりピーナッツを過剰に食べてしまうと、どんどんピーナッツの割合は減ってしまい、ついに8分経過後にはピーナッツが袋の中から無くなってしまうのである。つまり、あとの2分は悲しみと共に柿の種を食べ続けなければならないのである(私は柿の種が好きなので悲しくもなんともないが)。

 じゃぁ、袋の中の空間的分布も考えてみたらどうなるか、というのを次に計算してみた。まずは、袋を大きく二つに分けて、袋の入り口で適当な割合で柿ピーを食べた後、袋の奥から袋の入り口の方へ柿ピーを持ってくる。また、その際に適度に柿ピーをかき混ぜる。そして、柿ピーがなくなるまで柿ピーの割合の変化を調べてみるのである。ちなみに、IE4以降+Excel2000以降?の人であれば、ここをクリックすれば、その計算シートで遊ぶことができると思う。

 例えば、「柿ピーを8:2の割合で食べた場合」と「柿ピーを8:5の割合で食べた場合」のピーナッツの柿ピーに占める割合の時間・空間的変化を調べてみたのが、次に示す結果である。ちなみに、このいずれも横軸は時間である。また、時間軸にして30前後の時点で柿ピーは完全になくなっている。
 

ピーナッツの柿ピーに占める割合の時間・空間的変化
左 : 柿ピーを8:2の割合で食べた場合   右 : 柿ピーを8:5の割合で食べた場合

ちょっと計算上の誤差が大きいが、それはちょっと無視してもらいたい。

 さて、左の「柿ピーを8:2の割合で食べた場合」、つまり本来の柿ピー比と同じ割合で食べていった場合には、入り口近くでも奥の方でも柿ピーの比率は変わらない。そして、入り口の方から柿ピーを取った分を、奥の方から補給しているので、奥の方では時間軸20の時点で空になってしまっている。左の図でピーナツの割合がゼロになっているように見えるのは、実は単に柿ピーがなくなっただけなのである。そして、入り口近くの柿ピーが時間軸30の時点で空になっているまで、柿ピーの比率は変わることはない。当たり前だ。

 では、「柿ピーを8:5の割合で食べた場合」はどうだろうか?つまり、本来の割合よりもピーナッツを多く食べがちな人の場合だ。そんな場合の右を見てみると、奥の方は単に入り口近くに柿ピーを補給しているだけなので、柿ピーの割合は変わらないままだ。しかし、入り口近くではあっという間にピーナッツの割合が減ってしまっている。ほとんどなくなっている、といっても良いくらいの状態である。つまり、ピーナッツ大好き人間にとっては、手の届く袋の入り口近くには全然ピーナッツがないという、拷問状態なのである。周りに女子校や共学の学校はあるけど、自分の通う学校が男子校だったみたいなキツイ状態である。ちなみに、私は高校時代に私服の共学の学校に通った結果、制服の女子高生に強い強い憧れを抱くに至ったことを否定できなかったりするのである。
 

 話を戻して、それでは「袋を適当にかき混ぜながら」、「柿ピーを8:5の割合で食べた場合」はどうなるだろうか?というのが次の結果である。こうすると、奥の方のピーナッツもどんどん消費されているのがわかる。入り口近くも奥の方も、同じようにどんどんピーナッツの割合がどんどん減ってしまい、時間軸15の時点で完全になくなってしまっている。あとは柿の種がなくなる時間軸30の時点まではもう柿の種と向かい合うだけの人生なのである。ツラすぎる(ピーナッツ好きの人にとっては)。私の知人のオッパイ星人が結婚後に妻から、

「アンタはもう貧乳とだけ向き合う人生なのよ。」
と言われ、涙をこぼしていたのを連想させるような「柿の種人生」が待っているのである。

*一部、不適当な発言がありましたことをお詫びします。
 

「袋を適当にかき混ぜながら」、「柿ピーを8:5の割合で食べた場合」
柿ピーの袋の奥の方でも入り口近くでもピーナッツがすぐになくなっていく

 つまりは、ピーナッツが食べたいからといって、あまり柿ピーの袋をかき混ぜるのは良くないということなのである。もちろん、短期的にはピーナッツがたくさん食べることができて良いわけであるが、長期的に見ればその後の長い「柿の種人生」が待っているのである。それが端的にわかるのが、次の「ピーナッツをどれだけ食べているか」を示す結果である。

 この結果の中で、上の方に示した「柿ピーの袋をかき混ぜない場合」では、結構最後までピーナッツを細々と食べていけることがわかるだろう。柿ピーがなくなるのが時間軸で30前後の時点であるが、その少し前23位の時点までピーナッツを食べていけるのである。それに対して、ピーナッツを早く食べたいばかりに、柿ピーの袋をかき混ぜまくりの下の「柿ピーの袋をかき混ぜた場合」には、時間軸で13前後の時点でもうピーナッツがなくなってしまっている。もう、コイツには「柿の種人生」しか残されていないのである。
 

「ピーナッツをどれだけ食べているか」の時間変化
横軸 : 時間、 縦軸 : ピーナッツの消費数
 

柿ピーの袋をかき混ぜない場合

結構最後までピーナッツを細々と食べていける


 
 

柿ピーの袋をかき混ぜた場合

なんとも、太く短くのピーナッツの食べ方である…


 

 とはいえ、柿ピーの袋をかき混ぜながら太く短くピーナッツを食べるか、それをじっとガマンの子で細々と最後までピーナッツを食べるか、どっちが良いかは難しいところだ。ちなみに、私はかき混ぜまくりで柿の種を食いまくり、残ったピーナッツは人にプレゼントするというとても良い性格である。だったら、100%柿の種を買えって感じであるが、売店には置いてないことも多いから、しょうがないのである。
 

 というわけで、今回はビール(やっぱりあくまで発泡酒)を左手にそして柿ピーを右手でつまみながら、酔っぱらった頭で(いつものことだが)、ツマラナイことを考えてみた。モノが本当の柿の種であればオチて芽が出るのが普通なのだけれど、今回の柿ピーの話はオチがあるわけでも芽が出るわけでもない。酔っぱらいのタワゴトだから意味なんか全然ないのである。と、日記には書いておこう(意味不明)。
 

2001-12-17[n年前へ]

モンテカルロでビンゴ大会 

「幹事」のための確率講座

 先日、会社の後輩が結婚したので、その結婚式の二次会が新宿で開かれた。会場は、花園神社近くにあるこじんまりとした地下のバーで、多分4〜50人くらいが普通に座ると一杯になる程の広さの店だろう。

 そんな広さの店だったのだけれど、主賓のカップルの人徳だろうか、100人弱くらいの人達がその狭い店中に溢れていた。私達(『会社の先輩』と呼ばれる人達)はその一角に陣をとり、ビールを飲みながらカメラ談義などをしていた。EOS-1Digitalや50mmF1.0というレンズを前にして、私の手元にあるSpyzは段違いに情けなく、田代まさしの事件もあったせいで、恥ずかしさすら感じさせるほどだった。

 そして、その二次会は四時少し前に始まったのだが、ほどなくビールとワインが進んだ四時半頃にはお決まりのビンゴ大会が始まり、私達もシートを片手に司会者の進行に耳を傾けた。
 

5×5のビンゴ用のシート

説明も要らないだろうけど、読み上げられた数がシート上にあれば、
穴を開けて、穴が一直線に並べばビンゴだ

 (私を知らない人からは)クールと言われる私でも、何故かビンゴのシートを手にするとドキドキしてしまう。景品がどーしてもどーしても欲しいー、というわけではないのだけれど、やっぱりビンゴのシート片手にドキドキしてしまう。そんなドキドキは私だけではなくて、私の周りもみんなビンゴのシートを手にドキドキしているし、人間でなくてロボコップのようだと評された(評したのはワタシだが)こともある人でさえも、ビンゴのシートを手に司会者の声に耳を澄ませているのだから、きっとそれはみんな同じなのだ。

 そして、そんな中、司会者は次々と数字を読み上げていった。が、何回新たな数が読み上げられても私の手元のシートはなかなか穴が増えていかないのである。クジ運が良いとは言えない私のシートがビンゴになかなか近づかないのはいつものことなのだけれど、ワタシの周囲の人もまた同じように全然穴が増えていかないのである。そして、それどころか実は会場全体の人がそうだったのである。全然「リーチ」と声を上げる人もいなくて、狭い会場で100人弱もの人がいるにも関わらず、この遅々たる進行状況はかなり異常なのではないか、と感じてしまうほどなのだ。

 で、そのゲームの最中に手元のビンゴのシートを眺めながら私は考えた。なんで、こんなに時間がかかるのだろう?私だけでなく、ここに集う全ての人は不運の持ち主なのだろうか?不運の持ち主が100人集まるとは、これは一体何事だ?不運の会か?と、結婚式の二次会にはとても相応しくない想像さえしていた。
 で、そんな相応しくない想像をしながらそのシートを眺めていると、ふと気づいたのである。「ん?99?えっ?きゅーじゅきゅうー?」 この不安な気持ちは何だろう?手元のシートは5x5で高々25個の数字しかないのに、書いてある数は99までもある。ということは、呼び上げられる数字はきっと01から99までの100個。ということは、呼び上げられる数字に対して、手元のシートの「数字」の数は1/4程しかない。それでは、そもそもシート上になかなか穴が開いていかないのではないだろうか?そのペースで一体何回数字を読み上げれば、シート上で穴が一直線に並ぶのだろう?そして、あの何個もある景品達は一体何時になれば全部売れていくのだろう?う〜ん、ビールが回った頭では全然判らないぞー。いや、きっとシラフでも判らないぞー、そして、貸切の時間を考えるときっと司会者もドキドキしてるぞーと思ったのである。

 結局、最初にビンゴになった人が出たのが、ビンゴを始めてから20分以上過ぎてからだったと思う。そして、10個ほどの景品が配り終えられたのはビンゴが始まって一時間程した頃だった。つまりは、二次会がお開きになるくらいの時間だった。司会者はかなりヒヤヒヤしていたようだった。
 

 そして、帰りの電車の中で私は考えた。もしかしたら、ビンゴ大会を開く幹事には、確率統計の知識が必要とされるのではないか、と。何人の人達が会場にいて、景品は何個あって、ビンゴのシートには1から何までの数が書かれているから、一分に一個の数字というペースで読み上げていけば、ビンゴ大会にかかる時間は何分だ、と概算できるくらいでないともしかしたらマズイのかもしれない、と思ったのである。少なくともヒヤヒヤしないためには、そんな概算をしておくのも良いかもしれない、と思ったわけだ。
 

 で、そんな司会者・幹事のために、今回試しにビンゴの確率論を計算してみることにした。といっても、私は確率・統計がどうにも苦手なので、モンテカルロシミュレーション(別名下手な鉄砲も数打ちゃ当たる法)である。つまりは、何回もサイコロを振ってシミュレーションしてみただけの話である。PCの中で繰り返し、ビンゴ大会を開催してみただけなのである。ビンゴというギャンブルの確率を計算するのだから、それはもうモナコ王国誇るモンテカルロ・シミュレーション以外ないと思うのである。
 

 そんなわけで、下に示すのが「何回目でビンゴになるか一万回試行したときのモンテカルロシミュレーションを行ってみた結果」である。実際にビンゴ大会を一万回したらものスゴイ時間がかかるが、PCの中だったら一瞬ですむのが素晴らしいところである。ちなみに、ビンゴのシートの条件は、シートに書かれている数字が

  • 01〜24
  • 01〜49
  • 01〜74
  • 01〜99
の場合の四種類を計算してみた。さて、一体どんな計算結果になっただろうか?
 
何回目でビンゴになるか一万回試行したときの結果
横軸が何回目
縦軸がその回でビンゴになった人の割合
シートに書かれている数字が01〜24までの範囲の場合
シートに書かれている数字が01〜49までの範囲の場合
シートに書かれている数字が01〜74までの範囲の場合
シートに書かれている数字が01〜99までの範囲の場合

 これを見ると、例えば、シートに書かれている数字が01〜24までの範囲の場合は、12回目位で半数の人がすでにビンゴになっていることが判る。一分に一個の数字というペースで読み上げていけば、5分過ぎには半数が終了している、というペースである。かなり速いペースである。

 それに対して、シートに書かれている数字が01〜49までの範囲の場合ともなると、25回目位でやっと半数である。とはいえ、一分に一個の数字というペースでも、12,3分で半数がビンゴだから、これもやはりかなり速い進行だ。

 ところが、さすがにシートに書かれている数字が01〜99までの範囲の場合ともなると、半数がビンゴになるのが、60回目位なのである。先程の数字を読み上げるペースであれば、時間にして30分である。景品の授与の時間などを考えると、かなり時間がかかってしまいそうだ。きっと4,50分ほどはかかることだろう。実際、先日のビンゴ大会はその程度の時間がかかっていたわけである。

 そこで、試しに先日のビンゴ大会と同じ人数でモンテカルロ・シミュレーションをしてみた結果が下である。会場に100人の人がいた場合のビンゴになる人の回数(時間)に対する割合である。
 

会場に100人の人がいた時のビンゴになった人の割合
横軸が何回目
縦軸がその回でビンゴになった人の割合
シートに書かれている数字が01〜24までの範囲の場合
シートに書かれている数字が01〜49までの範囲の場合
ートに書かれている数字が01〜74までの範囲の場合
シートに書かれている数字が01〜99までの範囲の場合

 この結果だと、会場に100人の人がいた場合、最初のビンゴになる人は

  • シートに書かれている数字が01〜24までの範囲の場合 →  4回目
  • シートに書かれている数字が01〜49までの範囲の場合 →  8回目
  • シートに書かれている数字が01〜74までの範囲の場合 → 10回目
  • シートに書かれている数字が01〜99までの範囲の場合 → 27回目
である。この結果から、「シートに書かれている数字が01〜99までの範囲の場合」というのはかなり時間のかかる設定であることが判る。逆に、「シートに書かれている数字が01〜24、あるいは01〜49までの範囲の場合」というのはむやみやたらに速く、これもまた盛り上げに欠けそうである。なるほど、「シートに書かれている数字は74くらいまで」が盛り上げるためにも、時間が超過し過ぎないためにも良い数字である、ということが判るわけだ。こんな風にビンゴ大会のモンテカルロシミュレーションを行っておけば、大体の時間進行の目安が判る、ということになる。

 というわけで、これからの忘年会・パーティーシーズンに向けて、「幹事」は電卓を叩いて会費の計算をするだけではなくて、確率・統計の知識もあると便利かもしれない、モンテカルロでビンゴ大会の予行練習をしてみるのも良いかもしれない、と思ったのである。とはいえ、そんな確率統計を計算し尽くした「幹事」もちょっとイヤかも、とビールが回った頭で想像したりしたのだった。

2002-02-20[n年前へ]

「やおい」の評価演算子 

ベクトルの彼方で待ってて II

 東京駅近くの飲み屋「美少年」で、日本酒利き酒セットを目の前にしながら、私は珍しく「日本の政治」について話していた。といっても、単にそれは話し相手が社会部に属する新聞記者だったからである。で、その時の話題は小泉首相と福田官房長官の話だったろうか?

「福田X小泉っていうのは、結構上手くやっているのかな?」
と私が言うと、おもむろに
「あれは、福田X小泉じゃなくて、絶対あれは小泉X福田なのー」
とその記者が言ったのである。何を言っているのかその意味がよく判らないまま、「ん〜?」と私が首を傾げていると、繰り返し
「福田X小泉と小泉X福田は全然意味が違うのー」
と言い始めるのである。何が何だか訳がわからない。じゃぁ、何か?小泉X福田だと小泉純一郎が総理大臣福田康夫が官房長官だけど、福田X小泉だと福田康夫が総理大臣で小泉純一郎が官房長官になるとでも言うのか??政治の世界では、言う順番で総理大臣が決まるとでも言うのか?と私が口をはさむと、
そう。ただ、ちょっと政治の世界とは違う世界かも〜。政界じゃなくて、やおい界ではー。」
と言うのだ。なんだコイツ?政界は判るけど、やおい界って一体何処の世界の話だ??と、困惑する私も構わず、そこから延々と長い演説が始まった…。その大河ドラマのようにやたらと長い話を要約すると、
  • やおい → 一部の女性が好む「男性同士の恋愛もののストーリー」のこと
  • X → やおいの世界で恋愛の関係を示す記号。例えば、AさんとBさんが恋に落ちるであれば、Aさん×Bさんと表す。で、ここで重要なのは先に位置する方が「攻め役」となって、後に位置する方が「受け役」となる…。つまり、例えばサド侯爵とレオパルド・マゾッホであれば攻め役がサド侯爵で、受け役がマゾッホなので、サド×マゾなのである。決して、マゾ×サドではない…
というわけだ(用語集参照)。 で、先の「あれは、福田X小泉じゃなくて、絶対あれは小泉X福田なのー」という言葉は、「小泉純一郎と福田康夫は良いカップルで、攻め役は小泉純一郎で、受け役は福田康夫なんだー」と言いたい、ということらしいのである。なるほど、奥が深い…。 ……が ……いや何も言うまい…。

 で、日本酒を飲みながら、まだまだ続くその話に悪酔いしていると、「カップルの順序が重要なんだー」という言葉を聞いて、ふと中学の頃の数学の授業を思い出した。その頃、大学を出てまだ一年目の斉藤慶子似の数学の先生と話していたときに、「Hくん、あのね掛け合わせる順序が違うと結果も違っちゃう計算もあるのよ」と教わったことがあった。そんな言葉から私は未知の「数学の世界」をかいま見たりしたのである。 今考えてみれば、新任の斉藤慶子似の女性教師の個人授業なのだから、行列・ベクトルの掛け算の順序なんかじゃなくて、「もっと違う順序」を手取り足取り教えてくれても良かったんじゃないか、とか思ったりするし、そうすれば、私は未だ見ぬ「大人の世界」を覗き見ることができたのではないか、と思ったりもするのだけれど、そんなことは残念ながら無くて、私はただ「行列・ベクトルの世界」を覗いただけだったのである。

 で、そんな昔話を思い出したせいか、頭の中でこんな風に思ったのである。そういえば、これまで「できるかな?」では数多く「恋の力学」でも遊んできた。ただ、そこでは「惹かれ合う恋心の大きさ」だけに注目して、そのカップルの中での役割などは考えたことがなかった。そこで、今回は「やおい」のカップルの「役割・順序」に注目し、その「役割・順序」を評価する演算子を行列・ベクトルの掛け算になぞらえながら考えてみることで、これまでと同じく色々な「恋の形」を眺めてみたいと思う。
 

 まずは、色々な人物(実際の人物であったり、小説などの登場人物であったり)のタイプを二次元空間に配置しよう。「この人は結構攻め役が合いそう」とか「この人は絶対受け役が合うのだー」という適性を

  1. 攻めベクトル
  2. 受けベクトル
の二つのベクトルに分けて、二次元SM平面(本来、攻め = Active、受け = Passiveとでも表記するべきだとは思うのだが、意味合いと少し違うことも承知の上でs,mの方がどうもイメージが湧きやすいので、ここではS.Mを用いる)に配置するわけだ。例えば、サドくんとMくんをそのSM平面に配置してみると、次の図のようになる。
 
SM平面上のサドくんとMくん

 そして、カップリング適性では「A×B、B×Aが全然違う」ということから、外積(ベクトル積)をそのまま流用して、適当な評価関数を作ってみるのが自然だろう。まず、

カップリング適性ベクトル = (攻め度(s)、受け度(m))
と表記して、例えばAさんのカップリング適性ベクトルを(As, Am)と表すことにしてみよう。すると、Aさんが「攻め」でBさんが「受け」のカップリング適性は、この二人の適性ベクトルのベクトル積として表すことができる。つまり、
A×Bのカップリング適性 = ( As * Bm - Am * Bs )
                = Aさんの攻め度 * Bさんの受け度
                  - Aさんの受け度 * Bさんの攻め度
となるわけである。式を眺めれば判るように、Aさんの攻め度が高くて、Bさんの受け度が高ければ、この評価関数は高い値を返す。つまり、「A×Bの順序は正しいのだー」という評価を返す。つまり、「A×B」はなかなか良いカップルだー、と教えてくれる。また、もしAさんの受け度が高くて、Bさんの攻め度が高ければ、低い値を返す。つまり、「A×Bの順序は絶対間違ってるのだー」と評価してくれるのである。なんともありがたいことに(いや別にありがたくはないか…)、この「やおいのカップリング評価演算子」が「福田X小泉」と「小泉X福田」のどちらが自然なのかを教えてくれるのだ。試しに、上のサドくんとMくんであれば、「サドくん×Mくん」= (100,0)×(0,100) = 100*100 - 0*0 = 10000でとっても「良い感じ」でああるが、「Mくん×サドくん」= (0,100)×(100,0) = 0*0 - 100*100 = -10000で「このカップリングは絶対順序が違うー」と判るわけである。

 とりあえず、今回はこの評価演算子を作成するところまでで終えたいと思うが、いずれこの「やおいの評価演算子」を武器にして、いつか(?)「やおいの世界= やおい界」に限らず、色んな数多くの恋の関係を目に見えるようにしてみたいと思う。そして、これまで数多く考えてきた「恋の〜シリーズ」を充実させていきたいと思うのである。

 ところで、今回のカップリング適性評価演算子は基本的に外積そのものである。つまり、この演算が返す値は「二人のベクトルでできる平行四辺形の面積」に等しい。つまりは、「二人のベクトルでどれだけ色んな違うことがきでるか」を示す尺度である。そして、その値は二人のベクトルが直交する時、すなわち二人のベクトルが重ならず独立である時に最大値となる。つまりは、「二人のベクトルが違えば違うほど大きく」なる。例えば、先の「サドくん×Mくん」であれば二人のS,M趣向が完全に正反対であったからとてもお似合いのカップルになったのである。

 これをいわゆる恋の話で考えてみると、とっても独立な二人、趣味が重ならない二人がお似合いだということになる。なるほど、そんなカップルも世の中にはたくさんいることだろう。そんな人達を「外積タイプのカップル」と呼ぶことができると思う。

 一方、趣味が重ならないカップルだけでなくて、世の中にはそれとは正反対の「趣味が重なる良いカップル」も数多くいる。それは「内積タイプのカップル」である。内積はA,Bベクトル間の正射影に比例する量であって、つまりは「二人の重なるベクトルの大きさ」である。それは例えば、相手の中に自分を重ね合わせるような「二人の重なる部分が二人を結びつけるようなカップル」なのである。

 「理系と文系」・「男と女」が対極的なものでも、相反するものでもないのと同じく、「外積カップルと内積カップル」も別に二つに分けられるようなものではないだろう。「外積タイプの恋」も「内積タイプの恋」が混じり合って、それぞれに良いところもあれば、危ういところもあって、などと想像してみるのも面白いに違いない。そして、さらにはもしかしたらベクトル空間で萌えることができるようになったりするかもしれない。
 

 そういえば、ふと考えてみると以前「恋の形を見た人は」で最後に引用した本橋馨子の「兼次おじ様シリーズ」は男性同士の恋の話だった。つまりは「やおい」の話だった。そこで、もう一度そのセリフを最後に飾って眺めてみようと思うのである。
 

「愛はどんな形をしているか知っているか?」
「見た事ないからわかりません。」
「そうだ、誰も見た者はないのに、誰もが当然のように形づけて受け入れている...
もし愛に優劣を決めるものがあればなんだろう?... 異性愛か、同性愛か、そんなものじゃない  …たとえ、どんな形だろうと選ぶのはおまえ自身だよ。」
 



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