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2000-08-16[n年前へ]

エアコンの風は心地よく吹くか? 

真夏の夜の夢 流体力学入門編

 私は長野県の野辺山という高原で幼い時期を過ごしたせいか、暑さにとても弱い体である。なので、真夏の夜はエアコンが欠かせない体と根性になってしまった。エアコン無しではろくな夢が見られ無いどころか、眠れなかったりするのである。気持ちの良い「真夏の夜の夢」を見るためには、エアコンがとっても重要なのである。

 つい先日、そんなエアコンの話題が「今日の必ずトクする一言」に載っていた。それが、

である。エアコンの冷気に流体素子によってエアコンの送風の具合に1/f揺らぎを導入し、なおかつメーカー製のエアコンの送風では実現されていない急激な送風の変化も加えて、「快適な部屋の空調」を実現しようとするものである。面白い話である。しかも、「エアコンの送風の具合に揺らぎがあると循環の効率が高くなるかもしれず、(その様子を)数式とグラフィックで示すと良いかもしれない」と言った上で、
(おそらくhiraxさんあたりがやってくれるのではなかろうか)
と話題のパスまでされている。いきなり、ボーとしているところを授業で当てられた気分である。

 とはいえ、「エアコンの流体力学」というのもちょっと興味のある話題でもあるし、パスされたからにはやってみなければなるまい。そういうわけで、真夏の眠れない夜のパズル代わりに挑戦してみることにした。
 

 さて、部屋の中の「エアコンから送られる風の様子」を計算するということは、流体力学の計算をするということになる。流体力学の運動方程式(ナビエ・ストークス式)に代表されるような方程式群を解かなければならないのである。そこで、以前

の時にいじりかけたMichael Griebel氏らによる非圧縮性流体のNast2Dのコードをもう一度引っ張り出して使ってみることにした。このNast2Dは非圧縮性二次元流れを計算する教育用のソースコードである。詳しくはあるいは
  • Numerical Simulation in Fluid Dynamics   A Practical IntroductionISBN 0-89871-398-6
を参考にしてもらいたい。
 

 計算するモデルは次の図に示すような部屋である。四畳半一間であるかもしれないし、100畳以上の大きな広間かもしれないが、とにかく正方形の部屋だ。向かって左の青い丸部分にはエアコンがあり、そこから冷たい空気が送られてくるのである。そして、この部屋には何故かタンスがおいてある。「やっぱり、この部屋は四畳半一間じゃないの」というツッコミは言ってはいけない約束である。とりあえず、このタンスが向かって下側にある紫の部分である。このタンスが、エアコンから送られてくる冷た〜い空気流の障害物となるのである。
 

部屋の配置
青い丸部分にエアコンがあり、
紫の部分が空気流への障害物としてのタンスである。

 暑い真夏の夜に、こんな部屋をエアコンで涼しくする時のことを考えてみよう。気持ちよく眠るために、何はともあれエアコンのスイッチを入れるわけだ。そうしないと、暑くて眠れないから当然である。

 そして、そのエアコンには送風モードが何故か三つあるのだ。次のような三種類の送風、

  1. 真っ直ぐ送風するモード
  2. 単純な首振り送風をするモード
  3. 山本式エアコン用流体素子を用いた送風をするモード
を切り替えることができるのである。試しに、そんな三つの送風モードでエアコンを動かした時の「ある瞬間」における
空気流の速度分布の計算結果を次に示してみよう。
 
三種類の送風をした場合における「ある瞬間」の空気流の速度分布の計算結果
真っ直ぐ送風している場合

単純な首振り送風の場合

山本式エアコン用流体素子
を用いた送風の場合

 また、これらの場合の計算結果を動画で示したものをMPEG4形式のAVIファイルとReal形式のファイルにしたものを以下に置いておく。エアコンから空気が送られる様子を知るには、何はともあれこの動画を見て頂きたい。なお、手元のRealProducerの制限のために、このReal形式のファイルは古いバージョンのRealPlayerだとアップデートが必要になってしまった。また、MPEG4のCodecが導入されていない場合には、DivXなどをインストールする必要がある。

 とりあえず

  1. 真っ直ぐ送風している場合 MPEG4 AVI ( 289KB ) Real形式( 73KB )
  2. 単純な首振り送風の場合 MPEG4 AVI ( 577KB ) Real形式( 89KB )
  3. 山本式エアコン用流体素子を用いた送風の場合 MPEG4 AVI( 693KB ) Real形式 ( 92KB )
この動画を見れば、それぞれの場合において部屋の中を流れる空気の速度分布がどのようになっているかがよく判ると思う。エアコンから空気が吹き出している様子とか、「単純な首振り送風の場合」の送風方向がゆっくり動いていく様子とか、山本式エアコン用流体素子を用いた場合のカオス的な送風方向の振る舞いがよくわかると思う(ちなみに、今回は山本式エアコン用流体素子は送風方向をFM変調をかけた値を用いることにより、「らしい」動きを再現してみた)。また、部屋の中にタンスがあるせいで、空気がよどんでなかなか入れ替わらない(つまりなかなか冷えない)部分があることが判ると思う。

 また、それぞれのMPEG4形式の動画のファイルサイズを見れば、それぞれの場合の送風による空気流の速度分布の複雑さは一目瞭然である、と思う。真っ直ぐ送風している場合はとにかく単純な速度分布であって動画ファイルサイズも結果的に小さくなっているのに対して、山本式エアコン用流体素子を用いた送風の場合はかなり複雑な速度分布になっていて動画ファイルも結果的に大きくなっているのである。

 動画を見ることができない人のために、それぞれの場合の連続した3つの瞬間における部屋内の空気流の速度分布の静止画も示しておく。
 

連続した3つの瞬間における部屋内の空気流の速度分布
真っ直ぐ送風している場合

1

単純な首振り送風の場合

1

山本式エアコン用流体素子
を用いた送風の場合
1
2
2
2
3
3
3

 これを見ると、「真っ直ぐ送風している場合」にはエアコンの正面は強烈に風が当たっている(つまり冷えまくっている)ことがわかるが、タンスの陰になっている部屋の隅などはほとんど空気が動いていないことがわかる。また、「単純な首振り送風の場合」は送風方向を動かしているとはいえ、その送風方向の変化はかなりゆっくりであって部屋の中の空気流の速度分布はそれほど急激には変化していないことも判ると思う(そういう風に計算しただけではあるが...)。いずれにせよ、もしもこの部屋の中にあなたがいたとしたら、体の決まった部分にのみ冷た〜い風があたることになるわけだ。それは体にはちょっとよろしくなさそうである。

 一方、「山本式エアコン用流体素子を用いた送風の場合」は時々刻々と送風方向が変化しており、まるで部屋を舐め回すかのように、冷た〜い空気が送られていることがわかると思う。この部屋の中にもしあなたがいたとしても、体のごく一部分だけに冷たい風が当たるようなことはなく、それほど体に悪くないことが予想されるわけである。
 

 さて、このページもかなり重いページになってきた。本来はこのタンスの裏側の空気が澱みやすい場所の「空気の入れ替わり」を、送風の具合を変えた上で調べてみたいわけであるが、それは次回のお楽しみ、ということにしておきたい。とりあえず、「真夏の夜の夢 流体力学入門編」はここら辺で終わりにしたい。

 さて、夏休というわけでこんな景色のところで気持ちの良い風に吹かれてみたりするわけである。この写真の先の方の海の向こうに見えているのは左が伊豆半島で、右が三保の松原の辺である。

 暑い夏の夜はエアコンが欠かせない体ではあるけれど、気持ちの上で言えばエアコンよりはおんぼろの扇風機の方が好きだし、扇風機よりも山の上の風の方がずっと好きだ。いつか、山の上を吹き抜ける風の音を録音して、その1/f揺らぎでも調べてみようかなと思うのである...  それとも、そんなことをしてもツマラナイだけかな?

2001-01-13[n年前へ]

オッパイ星人の力学 第四回 

バスト曲線方程式 編

 先日、父から封書が届いた。二十一世紀にもなったというのに、e-mailでもなくて封書が届いたのである。これは、やはりアレだろうか。いい年にもなってるのに、クダラナイWEBサイトを立てているデキの悪い息子を厳しく叱るためだろうか?しかも、そのクダラナイWEBサイト(しかも、有害公式認定サイト)の名前が自分の名前(hirax)だったりするからだろうか?それとも、「本が出たなら送れ」とは言われても実は送りたくなかった「あの本」を、少し前に父に送ってしまったからだろうか?いや、それとも…

 そんなこんなでドキドキしながら封筒を開けると、記事のコピーが二つ入っていた。他には何も入っていないのである。一体これは何の記事だろう?と思いながらそのコピーを眺めてみた。すると、まずひとつは去年の12月25日付けの毎日新聞の科学欄である。二十一世紀を専門家達が予想した記事の横に「究める」というコーナーがあって、そこに「女性の胸と男性の好みの進化的関係は?」というインタビュー記事があった。そして、その記事が蛍光ペンでマーキングしてあったのである。

 これは一体、どういうことなのだ?と頭の中がグルグル&複雑な気持ちになりながら、とりあえずその記事を読んでみた。すると、この記事がとても面白い。インタビュー中の

 ヒトは異性をどう選ぶのか?そんな疑問から女性のバストと弾性の好みに進化的関係があるかを研究している。
(中略)
 小さいバストほど魅力的だと母に教えられて育った。しかし、大きいバストが好きな男性がいることに気付いて驚き「なぜ」と考えたのが研究のきっかけだった。
(中略)
 「大きいバストが本当に普遍的に好まれるかを知りたい。控えめなバストが淘汰されてしまうとは考えたくないから」と話す。
という東大大学院の東海林さんの語りもとても面白いし、バストサイズを5段階に変えた女性の合成写真を使い、男子学生300人にアンケートしたという実験とか、巨乳好きの性格が父から受け継いだものであるかを調べるために、父子間で性的好みが伝達されるかを調べる、などの話もとても面白い。最高である。

 そして、父からの封筒に入っていたもう一つの記事は宇宙科学研究所の新聞の中の宇宙基地利用研究センターの黒谷氏の「Anti-Gravity」というエッセイだった。なんでも、Anti-Gravityという化粧品があって、
それは顔の皮膚のコラーゲンに皮膚がたるまないようにするというものらしい。顔の皮膚にハリをあたえて、顔のたるみを防ぐのである。顔の皮膚のたるみ元をたどれば重力のせいだから、「anti-gravity= 無重力」化粧品ということになるわけだ。じゃぁ、このAnti-Gravityを体中に塗れば、バストやヒップが垂れるという女性の悩みもなくなるのではないか、と「無重力における生物の専門家」である黒谷氏は書いていて、参考文献に本サイトが挙げられていたのである。

 うむむ、世の中には巨乳の科学について進化論的に研究している人がいたり、オッパイの力学について考え(てみたりもす)る無重力生活の専門家もいるのだ。これはマズイ。油断している場合ではない。私もオッパイ星人研究をもっと真剣にしなければならない。父はきっと私に「研究の厳しさ」を教えようとしたに違いないのである。私の父はこれまでの「オッパイ星人の力学」を読んで、美味しんぼの海原雄山風に「うわあっはっ、こんなものでオッパイ星人の力学だとは笑止千万!」位のことを言ったに違いないのである。

 しかし、それだけではない。「二十一世紀、小さいバスト、大きいバスト、無重力、皮膚、オッパイのたれ」というヒントを与えてくれたのである。ここまでされて何かを書かなくて何としよう。オッパイ星人研究の手は一瞬たりとも休めてはならぬのである。そこで今回は「皮膚のハリ」や「重力」を気にしながら、「オッパイのたるみ・形状」について考えてみることにした。
 

 さて、一体バストの形状というものはどうなっているのだろう?これまでの「オッパイ星人の力学」では

  • 半球モデル
  • 円錐モデル
などのモデルを導入してきた。しかし、これらのモデルは自分で言うのも何だがかなりの無理があったと思う。実際、これらのモデルを元に計算を積めていくとどうにも矛盾が出てくる。そのため、その計算上の矛盾を隠すために「松坂季美子項」等を無理を承知で導入したりしていたのだ。
 そしてもちろん、このモデルに対して不満を持つのは私だけではなくて「これらのモデルには私は納得できません。」というメールがたくさん送られてきた。それどころか、「本当のオッパイをあなたは知らないのではないですか?」という実に失礼?なメールさえ送られて来ていたのである。「それでは、参考までに本当のオッパイの資料でも送って頂けないでしょうか?」とは私は大人なので返事をしなかったが、ちゃんとしたモデルを作らないことにはこれからもそんなメールがまだまだ来るに違いないのだ。

 というわけで、今回は新しいバストの形状モデルを提唱してみたい。それは「バストの内部は液体に満ちていて、その液体を外側の皮膚が支える」という

  • 水風船バストモデル
である。何故こんなモデルを作ったかというと、噂の真相の2000年2月号の中に「生理食塩水を2000cc注入するという豊胸手術」という文章を見かけたからだ(その後reimyさんより、最近はムコ多糖という物質を使ったバイオジェル(ハイドロジェル)を使用するのが主流だ、と教えていただいた。噂の真相の古い感覚こういうところにも現れているかもしれない。)。この記事が本当であれば、生理食塩水という液体がバスト中に注入されていてそれを皮膚が支えるという水風船バストモデルもそれほど不自然ではないと思われるのだ。
 

 こんなモデルに基づいて、バストの形状を計算するにはどのように考えれば良いだろうか?次の図が「水風船バストモデル」における内部の水と各皮膚部分にかかる力を示してみたものである。これはバストの断面をを鉛直方向に示しており、左の黒い鉛直線が胸板であり、赤い線がバストの形状を示すバスト曲線である。(ちなみに、今回はバストを二次元の断面でのみ考えている。)
 

「水風船バストモデル」における内部の水と各皮膚部分にかかる力
左の黒い鉛直線が胸板
赤い線がバストの形状を示すバスト曲線

 「水風船バストモデル」における内部の水には重力がかかり、バストの下の方にいくほど圧力がかかっている。そして、皮膚に面している内部の水はその圧力を皮膚に伝える。そして、皮膚はその圧力で変形しながら水で満ちたバストを支えるのである。この時、バストの形状= 皮膚の形状を示すバスト曲線はどんな条件を満たしているだろうか?

 ここで、胸板にそって下向きにY軸をとり、バスト曲線をB(Y)で表すことにしよう。上の図をよく眺めるとわかると思うのだが、バストの形状= 皮膚の形状を示すバスト曲線をB(y)とすると、バスト曲線B(y)は実はこんな方程式を満たす。
 

「水風船バストモデル」におけるバスト曲線B(y)が満たす方程式

 まぁ、ここでは簡単のために、係数を省略していたり、バストが本当に垂れてしまうような状況は考えていなかったりするので、ごく簡易的なバスト曲線方程式だと思って欲しい。大雑把に係数などを無視して、言葉で言ってしまえば、バスト曲線の傾きの変化はその点より上に位置するバストの重量に等しい、という感じである。自由境界におけるLaplaceの関係でも連想して頂ければわかりやすいだろうか?とにかく、この条件と適当な境界条件さえ入れてやれば、「水風船バストモデル」におけるバスト曲線B(y)は計算することができるのである。
 

 さて、このバスト曲線方程式を一般化したり、係数をちゃんと計算したり、三次元に拡張したりということはまたいつか行うことにして、まずは適当にこのバスト曲線方程式を数値的に解いてみた。それが、例えば、次の図である。これが、「水風船バストモデル」のバストの形状の一例だ。
 

バスト曲線方程式を数値的に解いてみた結果
すなわち、「水風船バストモデル」のバストの形状
「小さいバスト」の場合

赤:すごくハリのあるヤングな皮膚の場合
マゼンダ:普通のハリを持つ皮膚の場合
藍色:ちょっとハリの少ない皮膚の場合

 この図の中でバスト形状のプロットが三種類あるのは「皮膚のハリ = 皮膚のヤング率」として三種類の値を使ってみたからだ。以前

の中で
 そう、もうお判りのはずだ。 「バストに関するヤング率」はまさにヤング率(Young率)なのである。実は年齢に比例する係数だったのだ
と書いたが、あれと同じである。今回は、年齢で変わっていくバストの皮膚のハリを「バストの皮膚のヤング率」とおいてみたのである。そういうわけで、皮膚のハリ= 皮膚のヤング率によってバストの形状は異なるわけだが、まずは眺めてみてもらいたい。以前のどうみても不自然な「半球バストモデル」等に較べて、ずっとましになっているとは思わないだろうか?特に、藍色・マゼンダのプロットなどかなり自然な形状になっていると思うのである。感受性の豊かなオッパイ星人であれば、必ずしやググッとくるハズである。

 さすがに、メチャクチャ皮膚のハリがある赤色のプロットなどは松坂大輔もビックリの「超ロケット乳」になってしまっているが(といっても、この図のアスペクト比に意味はないんだけど)、今や時代は二十一世紀、宇宙へロケットで飛び出す時代だと思えば、こんな「超ロケット乳」を眺めるのもそれまた一興ではないだろうか。ぜひこの「超ロケット乳」には宇宙へ飛び出してもらいたいものである。
 

 もちろん、世の中には「大きいことは良いことだ」という巨乳大好きオッパイ星人達もいるわけで、そんな人達のためにもう少し「大きいバスト」の場合で計算してみたものと並べて比較してみたのが次の図である。
 

「小さいバスト」と「大きいバスト」の計算結果

赤:すごくハリのあるヤングな皮膚の場合
マゼンダ:普通のハリを持つ皮膚の場合

藍色:ちょっとハリの少ない皮膚の場合
「小さいバスト」の場合

「大きいバスト」の場合

 個人の好みもあると思うが、けっこう自然な「巨乳形状」が再現できている。ちなみに、今回使用した簡易的なバスト曲線方程式ではすごく巨乳だったり、皮膚のハリが無さ過ぎてあまりにバストが垂れている場合の計算はできない。簡単に言えば、Yに対してバスト曲線B(Y)が一対一対応しないためである。が、それゆえに巨乳と言っても美乳の範囲のみ考えることができるのである。

 また、この「小さいバスト」の場合と「大きいバスト」の場合の比較から、「巨乳は垂れるのよっ!だから、小さい方が良いのっ!」という世の小振りなバストの女性がよく言うセリフの妥当性も確認してみたいところではなるが、そういうことは何か危険なことであるような気もしてきたので、今回は止めておきたい。

 ところで、今回の話はAnti-Gravityから話が始まっているわけだが、ちなみに「水風船バストモデル」は無重力下ではどのような形状をとるかと言えば、当然体積に対して表面積が最小となる「半球形状」になる。つまり、「半球バストモデル」は「水風船バストモデル」の重力を無視した特殊な場合であり、逆に言えば「水風船バストモデル」は「半球バストモデル」にバスト内部での重力の影響を加えて一般化したものだったのである。

 今回は、とりあえず新たに「水風船バストモデル」を提唱し、そのモデルにおけるバスト曲線B(y)を解くための簡易的な方程式を考察し、それを数値的に試しに解いてみた。次回は今回行った考察を用いながら、少し違うアプローチで「オッパイ星人の力学」を考えてみたいと思う。
 

 さて、今回の話のきっかけともなった黒谷氏らの書いた本「星と生き物たちの宇宙」は原稿のごく初期の段階で実は読ませてもらっていた。その時感想を聞かれたときは、この本はメールのやりとりで構成されているので、「なるべく著者達の私的な部分を消さないままにしておいた方が面白いんじゃないか」なんて適当なことを言っていたのだった。その著者達が書いたこの本のあとがきの言葉を最後に引用して、これからの「オッパイ星人の科学」への「戒め」と「言い訳」としておきたい、と思うのだった…
 

 科学は応用を通じて実生活に関わり、知的追求というこころの喜びにも関わる二面を持っています...多くの人に、こころを喜ばせる科学を楽しんでもらいたいですね。    H.Hirax, A.Kurotani

 

2001-01-27[n年前へ]

オッパイ星人の力学 仏の手にも煩悩編 

時速60kmの風はおっぱいと同じ感触か?

 本サイトhirax.netは「実験サイト」というジャンルに分類されることが多いようである。何が実験で、何が実験でないのかは私にはよくわからないのだが、とにかく「実験サイト」と呼ばれるサイトは数多くある。そして、その数ある実験サイトの中でも、人間そして愛について日夜取り組んでいるサイトの一つが「性と愛研究所」である。

 その「性と愛研究所」を読んでいると興味深いことが書いてあった。テレビ番組の「めちゃめちゃイケてる!」の中で何でも「時速60キロの風圧はおっぱいの感触である」と言っていたらしい。そしてまた、「性と愛研究所」では「おっぱいの感触と風圧に関する考察」の中で、「時速60kmでは全然おっぱいの感触ではなくて、ちょうど時速100kmを境に急におっぱいの感触を感じます。」というメールを紹介しながら、

「時速100kmの風では、本物は触れないけどお手軽に疑似体験、名付けて『プリンに醤油でウニ』ではなくなってしまう。それでは、まるで『キャビアにフォアグラでトリュフの味』だ。青少年のために疑似おっぱいを探してあげる必要があるな。」
と結論づけている。

 この「時速60kmの風」現象は「できるかな?」的にとても興味深いと思われるので、今回じっくりと考えてみることにしてみた。そして、この結論に何らかのプラスαをしてみたいと思う。

 そう、前回「オッパイ星人の力学 第四回- バスト曲線方程式 編- (2001.01.13)」でオッパイの表面で働いている力について考えてみたのは、実は単に今回・そしてさらに次回の話のための準備だったのである。(さて、ちなみに今回は会話文体をメインに話が進む。「性と愛研究所」ではないが、この手の話は会話文体の方が書きやすいように思うし、私のバイブル「物理の散歩道」でも「困ったときの会話文体」と言われていたので挑戦してみた次第である。言うまでもないが、AもBも私が書いてはいるが、私自身ではない。)
 

A : 「東名高速で出勤途中に確認してみたんだが、やはり時速100kmあたりが妥当な感じだったな。」

B : 「何を根拠に妥当なのかがよくわからないが、確かに時速60kmでは手に何かが触っているという感触すらないな。それにしても、哀しい出勤の景色だぞ、それ。」
A : ほっとけ!だけど、少し考えてみると、このおっぱい(ニセモノ)の感触問題は結構面白く、技術的にもなかなかに深い話だと思うんだよ。」
B : 「はぁそうですか…、としか言いようがないな。」
A : まぁ、聞け。何しろこのおっぱい(ニセモノ)の感触問題には流体力学のエッセンスがぎっしりと詰まっているんだからな。」
B : 「そんな話は聞いたことはないが、とりあえず聞かせてもらおうか。」
A : 「このおっぱい(ニセモノ)の感触問題を解くためには、とりあえず車の窓から手を出したときの指の周りの空気流を計算すれば良いわけだ。」
B : 「ちょっと待て。何で指の周りなんだ。手のひらじゃなくて?」
A : 「簡単なことさ。試しにおっぱいを揉む仕草をしてみろよ。」
B : 「こ、こうか?あぁ?手のひらじゃなくて指で揉んでるっ!
A : 「そうだろ。何故かわからないが、おっぱいを揉む仕草=Mr.マリックが超魔術をかける時のような指使いらしいんだよ。」
B : 「うむ、確かにそのようだな。」
A : 「だから、時速60kmの風からおっぱいの感触を受けているのは指先だと考えるのが自然だろ。それなら、とりあえず下の図のような「指の間を抜けていく空気の流れ」を計算してみれば、おっぱい(ニセモノ)の感触問題が解けるわけだ。」
B : 「実写の手に二次元の計算結果を三次元的に合成するという凝った処理が、実にクダラナイことに使われている例だな…」
車の窓から手を出して、指の周りの空気流を計算しよう
  高速で走る車の窓から手を出して、その手の指の間を抜けていく空気の流れを計算しよう。

 鉛直方向の指の等方性を考えて、右の図に示すような指を輪切りにするような水平面のみを考える。

 こんな写真を撮るときに、自己嫌悪に陥りがちなのは何故だか知りたい今日この頃。

A : 「こういう「空気の流れ」ような流体の力学は、ニュートンのプリンキピアに始まり、オイラーとベルヌーイにより非圧縮・非粘性の理想流体の運動方程式とエネルギー保存則が導かれた。それがオイラーの運動方程式とベルヌーイの式だ。オイラーの運動方程式はちなみにこんな感じだ。」
 

オイラーの運動方程式

加速度 = 外力 + 圧力勾配力
 
v : 速度
s : vに沿ってとった座標
t : 時間
p : 圧力
K : 外力

A : 「基本的には「加速度 = 外力 + 圧力勾配力」という形だな。この非圧縮・非粘性の理想流体の場合はラプラシアンがゼロのポテンシャル流れと呼ばれる単純な流れになる。試しに、そんな場合をNast2Dを元にしたプログラムで計算してみた結果はこんな感じになる。ホントはこの計算自体は完全な理想流体ではないのだが、まぁ大体はこんな感じだ。」

B : 「おっ、あっという間に計算したな。」
A : 「まぁ、ポテンシャル流れならエクセルでもちょちょいと計算できるくらいだからな。ちなみに、これは窓から手を出してしばらくしてからの空気の流れだ。」
 
粘性が(ほとんど)ない時の指の周りの空気の流れ

A : 「で、どうだ?」

B : 「いや、どうだ、と言われても困るが、なんかキレイだな。だけどちょっと小さくて見にくいなぁ。」
A : 「そう言われれば確かにそうだ。じゃぁ拡大してみるか。」
 
粘性が(ほとんど)ない時の指の周りの空気の流れ (拡大図)
空気は右から左へ流れている。いや、指が右から左へ移動していると言った方が良いか?
B : 「で、この結果から何がわかるんだ?」
A : 「この図で空気は左から右へ流れているわけだが、左端の空気の速度と右端の空気の速度は、実は同じなんだ。」
B : 「そう言われても、よくわからないが?」
A : 「指を通り過ぎてく空気は、指をとおる前後で運動量がそのまま変わってないってことさ。つまり、空気は指を通り過ぎる時になんら抵抗を受けてないってことだ。」
B : 「えっ?おかしいじゃないか、それなら逆に言えば指も空気から何の抵抗を受けないってことか?
A : 「そういうことだ。これがダランベールのパラドックスだ。」
B : 「じゃぁ、何か?この指先に感じるまぎれもないおっぱいの感触はだとでもいうのか!? そんなのオレは認めないぞ!」
A : 「まぎれもない、っていうほどのものでもないし、ニセモノおっぱい自体は何か一種の幻のような気もするが、もちろん感触自体は幻であるハズはない。そもそも、空気をサラサラな理想流体として取り扱ったところが間違っているわけだ。そこで、登場するのがナヴィエとストークスだ。彼らはオイラーの運動方程式に粘性を導入した。全てはおっぱいの感触を説明するため、だ。」
B : 「それウソだろ。ナヴィエとストークスが聞いたら怒るぞ。」
非圧縮流体に対するナヴィエ・ストークスの方程式

加速度 = 外力 + 圧力勾配力 + 粘性力
 
v : 速度
t : 時間
p : 圧力
K : 外力
μ: 粘性係数

A : 「見ればすぐわかるだろうが、この非圧縮流体に対するナヴィエ・ストークスの方程式は、最後に粘性項が入っている以外はオイラーの運動方程式と全く同じだ。」

B : 「なるほど。こうしてみると意外に簡単な式だな。」
A : 「あぁ、オイラーの運動方程式に粘性項が入っただけだからな。そのせいで計算はちょっと複雑になるが、最近のパソコンならノープロブレムだ。というわけで、粘性を考慮して計算してみた結果が次の図だ。」
 
 
粘性を考慮した指の周りの空気の流れ
B : 「おっ、ちょっと様子が違うな。何か、ジェットエンジンみたいに尾を引いてるぞ。」
A : 「そうだろ。指の後ろのl様子がずいぶんと違うだろう。で、これを拡大してみたのが次の図だ。」
 
 
粘性を考慮した指の周りの空気の流れ (拡大図)
B : 「左端の空気の速度はもちろんさっきと同じだが、指の後ろでは空気が渦巻いているし、右端の空気の速度は全然違うな。」
A : 「もっとリアルに、窓の外に手を出したときの、指の周りの空気の動きを時間を追って計算してみた計算結果のアニメーションが次の図だ。指の周りに空気が渦巻いていく様子がよくわかるハズだ。」
 
車の窓から手を出して、指の周りの空気流を計算しよう
 窓の外に手を出したときの、指の周りの空気の動きを時間を追って計算してみたもの。指の周りに空気が渦巻いていく様子がよくわかる。

 メッシュを細かく切ったおかげで、計算結果は1GB弱。なんてこったい。

B : 「指が空気の中を走り抜いていく様子がよくわかるな。確かにこれなら、空気の抵抗を受けまくりだな。」
A : 「そうだ。空気は指から力を受けるし、逆に、指は空気からしっかりと力を受けるわけだ。」
B : 「なるほど、この計算結果は指先に感じるまぎれもないおっぱいの感触を説明しているわけだな。いい感じじゃないか。流体力学そして粘性項さまさまじゃないか!」
A : 「あぁ、それも全てナヴィエとストークスのおかげだ。」
B : 「おやっ?ちょっと待てよ!これでは、ただ現実を説明してみただけで、何の解決にもなってないぞ!時速60kmと時速100kmの風の感触の差を説明しているわけでもないし、青少年のためのもっと安全な擬似おっぱいを提供しているわけでもない!」
A : 「いや、それがそういうわけでもない。実はこの先があるんだ。このナヴィエ・ストークスの方程式の解はレイノルズ数という無次元数によって決定されるんだ。今回の場合で言うと、レイノルズ数は「指の直径x 車の速度 / 流体の運動粘性率」という形になる。そして、このレイノルズ数が大きくなるほど渦が延びていくんだ。」
B : 「なるほど、わかってきたぞ。つまりあれだな。時速60kmから時速100kmに速度を上げれば、それに応じてレイノルズ数が大きくなって、空気の渦もおおきくなるし、おっぱいの感触も確実なものになるわけだな。勉強になるな。」
A : 「う〜ん、実際には密度の違いの方が大きいんだが、ナヴィエ・ストークスの方程式の理解としてはそれでいいかもな。あと、単にレイノルズ数を大きくしたかったら指を太くする、っていうのでもいいわけだ。」
B : 「そう言われても指の太さはなかなか変えられないしなぁ。」
A : 「指サックとか色々手はあると思うが、もっといい方法がある。さっきの式を眺めてみれば流体の運動粘性率が小さくなれば、レイノルズ数は大きくなる。例えば、水の運動粘性率は空気のそれの十五分の一だ。」
B : 「ってことは、水の中だったら、レイノルズ数も大きいし、密度も大きいし、指先に抵抗を受けまくりってことだな。すると、水中で手を動かしてみれば、それは空気中の高速クルージングと同じってことになるな!」
A : 「そうさ、風呂の中で手をひとかきすれば良いだけの話さ。何もわざわざ時速100kmの車の窓から手を出す必要はないんだ。実際、風呂の中で確かめてみたけど、なかなかイイ感じだ!」
B : 「時速100kmで走る車の窓から手を出すのに較べれば、風呂の中で手をひとかきすれば良いだけなんて、まさに青少年のためのもっと安全な擬似おっぱいだな!」
A : 「あぁ、それも全てナヴィエとストークスのおかげだ。」
B : 「それはもういいっ言ってるだろ。」
A : 「ところで、ふと考えてみたことがあるんだ。さっき、指を太くすれば遅い速度でもレイノルズ数が大きくなるって言っただろ。東大寺の大仏なんかかなり指が太いじゃないか。」
B : 「確かに、そうだな。」
東大寺の大仏 (想像図)

A : 「今調べてみると、大仏の掌の長さは256cmだ。つまり普通の人間の10倍くらいある。だったら、指の太さも10倍はあるだろう。ってことは、ほんのそよ風が吹いただけでも、大仏の手にはしっかりとしたおっぱいの感触が感じられているんじゃないのかな?」

B : 「単に手が大きいから空気の抵抗も大きいだけどいう気がしないでもないが、指の長さもでかいしさぞかし超巨乳の感触かもしれんな!そう考えると、あの大仏の手も何か実にイヤラシイ手つきに見えてくるから不思議だな!」
A : 「う〜ん、悟りを開いているから、指先のヘンな感触なんかには惑わされないんだとは思うけどな。しかし、案外と仏もそんな煩悩と日夜闘っていたりするのかもしれないなぁ。しかも、その煩悩がホントーにあるのかもよくわからない幻のような擬似おっぱいってところが面白くないか?大仏の指先は二十一世紀の煩悩そのものを暗示しているのかもしれん。仏の手にも煩悩ってところだな!」
B : 「言いたい放題だな、全く。」


 さて、今回は「オッパイ星人の力学第四回 - バスト曲線方程式 編- (2001.01.13)」と繋がるところまで話が辿り着かなかった。おっぱいの表面張力、マボロシのような指先の流体力学、そして大仏の煩悩をめぐる大河ドラマは人生そのもののようにまだまだ続くのである。
 

2001-02-19[n年前へ]

ひとりで書いてるだけだから。 

ヘッポコ文章を直したい


   面白い情報を探しにと「お笑いパソコン日誌」を眺めていると、「ウエヤマの事件簿」の「他人の日記をオモチャにしよう!」が紹介されていた。「お笑いパソコン日誌」に〜『できるかな?』風ネタであります〜と紹介されてあった通り、実に私好みの話だった。ウエヤマ氏が「自分で書いてる日記の文章」を解析して、文字の出現頻度を調べてみたものである。

 「できるかな?」は画像や科学の関連の話が多いように見える。しかし、実はそれだけではなくて文章や日記に関する話も多い。例えば、これまでに出てきた話を振り返ってみると、

に始まり、と続く、「文学の世界を眺めてみよう」という話など、あるいは「WEBページで見かける文体の特徴を解析しよう」としたなど、あるいは「WEB日記の文化を眺めて見たい」というなどの話があった。「技術サイト」という分類をされることも多い本サイトではあるのだけど、非技術的な話に強引に技術的な話を持ち込みたくなったり、技術的な話なのに何故かとても私的で非技術的な話が入ってしまったりするのが、良くも悪くも「できるかな?」の特徴だろう。もちろん、良いことでは全然無いのだけれど、こうでも書かないと悲しい気分になってしまうので、「良くも悪くも」と書いているのである。

 そういったhirax.netの特長ならぬ特徴は私が書く文章が下手なせいなわけで、そんなヘッポコ文章から脱出するべく、私の書く文章の特徴を調べて反省してみることにした。もちろん、自分のヘッポコ文章だけを眺めてみてもしょうがない。他の素晴らしい文章を書く書き手と比較しなければならないだろう。そこで、今回はいくつかの文章を品詞解析し、その結果の特徴を調べることにする。そして、書き手による文章の特徴が眺めながら、私のヘッポコ文章の欠点を調べ、さらには誰もが思わず涙がこぼしてしまうような素晴らしい文章を書けるようになりたい、と思うのである。
 

 さて、まずは目標を決めよう。私がヘッポコ文章を脱出してどんな文章を目指すかを、何より先に決めなくてはならない。となれば、あまりにも大それた目標ではあるのだが、やはり日本の文豪、夏目漱石は外せないだろう。そして、その教え子でもある寺田寅彦もやはり外すわけにはいかない。一応私も理系のはしくれ、日本の理系文章の流れを作ったこの二人を目標にしなくてなんとしよう。ヘッポコ文章を脱出していきなり、夏目漱石と寺田寅彦というところに無理があるが、そんなことを考えていては駄目なのである。「少年よ大志を抱け」とクラーク博士も言ったのである。もう少年と言うにはどう考えても年齢的に無理があるのだが、気持ちはまだまだ少年で目標は大きく持ってみたいと思うのである。

 そして、もう一人の目標は「ちゃろん日記(仮)」をマイペースに書き続ける「ななゑ」さんである。私は彼女の書く文章を読むたびにとても素晴らしい理系的センスが感じ続けているのである。しかも、理系的でありつつも笑いと涙のペーソスたっぷりの「ちゃろん文体」という独自の確固とした文体を築いているところも尊敬していたりするのである。

 というわけで、今回の文章の比較は

  1. 夏目漱石
  2. 寺田寅彦
  3. ちゃろん日記(仮) ななゑ
  4. 「できるかな?」 jun hirabayashi
の四人の書き手の文章を適当に二つずつピックアップして、その文章を品詞解析して簡単に特徴を眺めてみることにした。各書き手に対して、それぞれピックアップした文章はである。なお、夏目漱石と寺田寅彦は「青空文庫」から入手した。そして、これらの文章を日本語形態素解析システム茶筌&perlで解析後、Excelでさらに解析・表示を行ってみることにしよう。

 ところで、形態素解析とはどのようなものだろうか。まずは、例を挙げよう。例えば、

私が好きな書き手達は、夏目漱石、寺田寅彦、ななゑさんです。
という文章を茶筌で分解すると、
  1. 私 名詞-代名詞-一般
  2. が 助詞-格助詞-一般
  3. 好き 名詞-形容動詞語幹
  4. な 助動詞
  5. 書き手 名詞-一般
  6. 達 名詞-接尾-一般
  7. は 助詞-係助詞
  8. 、 記号-読点
  9. 夏目 名詞-固有名詞-人名-姓
  10. 漱石 名詞-固有名詞-人名-名
  11. 、 記号-読点
  12. 寺田 名詞-固有名詞-人名-姓
  13. 寅彦 名詞-固有名詞-人名-名
  14. 、 記号-読点
  15. ななゑ 名詞-固有名詞-人名-名
  16. さん 名詞-接尾-人名
  17. です 助動詞
  18. 。 記号-句点
というようになる。このように各文章を品詞毎に分解して、その出現分布から特徴を調べてみるのである。なお、今回注目した品詞は
  1. 読点
  2. 形容詞
  3. フィラー
  4. 感動詞
の四つである。この四つを選んだ理由は、読点は明確な決まりがないだけに書き手の感覚が入りやすいと思われ、形容詞、フィラー・感動詞に関しては書き手の気持ちが素直に現れやすいと思われるからである。ちなみに、フィラーとはから引用すれば、「あのー」「えー」といった語句ということになる。まずは各文章が書き手によってどのくらい特徴づけられるかのイメージを掴むために、形容詞の出現頻度とフィラーの出現頻度を軸にとり、各文章を二次元の世界に配置してみた結果を図示してみよう。
 
形容詞の出現頻度とフィラーの出現頻度を軸にとって、
各文章を二次元の世界に配置した結果

 結構、同じ書き手による文章が同じような位置に配置されることがわかると思う。ちゃろん日記(仮)などは、二つの独立した文章がほとんど同じ位置に配置されている。もう、ちゃろん文体は安定しまくっていて完成されているのである。そしてまた、「文豪」夏目漱石の場合も、「我が輩は猫である」と「坊っちゃん」がかなり近い位置に配置されていることがわかる。

 なるほど、結構書き手による特徴はこんないかにも雑な解析でも評価できるものなのかもしれない(あくまで「遊び」だけどね)。そして、形容詞の出現頻度などは、「雪だるまがいる景色」と「自然と生物」以外は大体同じようなものである。寺田寅彦の「自然と生物」は妙に形容詞の出現頻度が高いところが面白いところである。私の「雪だるまがいる景色」はあまり技術的な話ではなくて、確かに形容詞が多そうな話ではあるのだが、一体「自然と生物」はどうだっただろうか?

 ちなみに、「できるかな?」からの二つの文章は共にフィラーが一個も出てこない。その他の6つの文章にはフィラーが出てくるのであるが、何故か「できるかな?」の二つの文章にはフィラーが含まれていないのである。この差がなければ、寺田寅彦の二編と「できるかな?」はかなり似た場所に位置するのであるが、このフィラーは特に違うのである。

 さて、上の図ではフィラーと形容詞の出現頻度だけを眺めてみたが、読点、感動詞の出現頻度も加えて、クラスター分析を行ってみた。つまり、「読点・形容詞・フィラー・感動詞」の出現分布が似ているものを分類してみたわけである。クラスター分析にはExcelアドイン工房「早狩」の統計解析アドインを使用させて頂いた。ちなみに、クラスターの結合はウォード法を用い、非類似度計算法には標準化ユークリッド平方距離を使用した。その結果が下の図である。
 

クラスター分析の結果

 このクラスター分析の結果を示す図は近い文章をまとめていったものを示している。つまり、文章の「近さ」あるいは「似ている度」を示しているのである。ちゃろん日記(仮)の二編は本当によく似ていて、また夏目漱石の書いた二編も互いに似ている。そして、それより「近い度」は低いが「新宿駅は電気羊の夢を見るか?」は「科学について」に近くて、「雪だるまがいる景色」は「自然と生物」に近い。おして、さらに似ているものを探せば、ちゃろんの二編と「新宿駅は電気羊の夢を見るか?」・「科学について」は似ているといえなくもない、さらに言えばその四編と夏目漱石の二編が似ている。

 ここでは、四人の書き手がいるということが私には判っているので、あえて四つのクラスターに分解してみると、

1.
    • 「雪だるま」がいる景色
    • 自然と生物
    2.
    • 新宿駅は電気羊の夢を見るか?
    • 科学について
    3.
    • ちゃろん日記1998(仮)11月上旬
    • ちゃろん日記1999(仮)6月上旬
    4.
    • 我が輩は猫である
    • 坊ちゃん
という風になる。やはり夏目漱石とちゃろん日記に関してはこんなチープなごく少数の品詞解析でも、「作者の文体が同じである」と解析されてしまうのである。なかなか、スゴイとは思わないだろうか?数多くの解析をしてみるのもなかなか面白いと思う。高校生のレポートくらいだったら、これで何とか書けそうである。

 しかし、その一方で考えてみれば寺田寅彦の名随筆と「できるかな?」のヘッポコ文章が「文体が近い」と解析されてしまっているわけなので、実はこの解析の信頼性はかなり低いと言わざるを得ないところもあるのである。いや、もしかしたら「文体は同じやけど、内容が全然違いますがな」というような冷たいアドバイスを解析結果は言わんとしているのかもしれないが、もうそれは哀しすぎる事実なので考えたくないのである。

 さて、そう言えば一番最初の図で「できるかな?」と寺田寅彦の差はフィラーの出現分布だったわけであるが、「大学の講義における文科系の日本語と理科系の日本語-- 「フィラー」に注目して --」では、「聞き手への働きかけのあるフィラーが多いということは聞き手への配慮が大きいということにつながる」と書いてあった。ということは、フィラーの出現分布は聞き手への配慮に比例するというわけで、「できるかな?」の文章にフィラーが出てこない、ということは読み手に対する配慮がない、なんてことなのかなと思ってしまったりするのである。

 そんなことを考え出すと、ホラどうせひとりで書いてるだけだから読み手のことなんか考えていないのさと、思わず涙がこぼれてしまうような哀しい気持ち、になったのである。う〜む、最初は誰もが思わず涙がこぼしてしまうような素晴らしい文章を書けるようになりたいと思ったったのに、何でこんな結論になるんだろう?

 答え: それは文才がないからです。ハイ。
 
 

2001-04-29[n年前へ]

ファイト!縦文字文化 

縦と横の解像度を考えよう


 今年も去年に引き続き英語研修を受けている。といっても、去年は毎日十五分の英語研修だったが、今年は週二日のものを二種類受けている。何事も、「一番弱いところを強くするのが一番」というわけで、それが私の場合は英語であるわけだ。いや、もちろん弱いところは数え切れないほどあるのだが、英語はもうどうしようもないくらいダメなのである。

 その英語研修を受ける中で、本当に実感するのが「頭の中でも英語で考えないとキツイ」ということである。頭の中で日本語で考えてから英語で喋ろうとすると、その「日本語→英語変換」のオーバーヘッドはすさまじくて、とても会話にならないのである。もちろん、当然その逆もしかりで「英語→日本語変換」なんかもやっていたら、あっというまに相手の喋るスピードについていけず、「ここはどこ?私はだれ?」状態になってしまう。
 

 もちろん、「頭の中で英語で考えられる位なら、そもそも苦労はせんのじゃぁ!」と叫びたくなることもしばしばあるわけで、実際のところ私にはどうしたら良いのか全然わからないのである。「頭の中に言いたいことは沢山あるけど、それを伝えられない状態」と「頭の中でたいしてものを考えることができない、それを伝えられる状態」とどっちかを選べと言われても困ってしまう。残念ながら、「英語で頭の中でビュンビュンと考えて、それが口からペラペラとでてくる」状態は私には遠い夢物語のようなのである。
 

 こんな苦労は、日本語人生一本やりだった私が英語を使う場合にはどうしても避けられない話なのであるが、そんな「私の苦労」と似たような話はコンピュータの世界にも実はある。例えば、「今日の必ずトクする一言」でもよく登場する「Windowsの日本語化のオーバーヘッドに関する一連の話」などがそうである。超漢字あたりであれば話は別なのかもしれないが、Windowsに限らずどんなOSであっても英語だけを使うときと、日本語のような言語を使うときではスピードが全くと言って良いほど違ってしまう。

 例えば、英語版のWindowsであれば最新型のPCでなくてもサクサク動くのであるが、これが日本語版のWindowsともなると、最新型のPCでなければカタツムリのようなスピードに変わってしまうのである。最新型のWindowsやMacOS***の推奨マシンスペックは○×○×です、とOSメーカーが言ったところで、それは英語圏での話で日本語人生の私のようなものにはそれは当てはまらないのだ。わずか100文字ほどのアルファベットですむ英語の場合と、約七千字ほどもある日本語を使う場合とでは文字・フォント処理のスピードが違ってしまうのは当たり前の話である。

 ところで、英語と日本語をコンピューターなどで扱う時の大変さというものは文字数だけの話なのだろうか?数が多いから大変なのは当たり前なのだが、それだけではないのではないだろうか。単に文字数が多いというだけではなくて、一つの文字当たりの情報量も日本語の方が遙かに多いと思うのである。例えば、アルファベットの中でも複雑な形をしている"M"と、日本語というか漢字の中でも結構複雑な形をしている「廳」を比べてみれば一目瞭然だろう。"M"よりも、「廳」の方がずっと複雑な形状をしている。

 漢字の文字数が多いということは、そのたくさんある文字を区別するためにも漢字という文字の形状自体が複雑にならざるをえないわけで、それはすなわち漢字一文字の情報量はアルファベット一文字の情報量よりも遥かに多いということだ。ということは、

  • 一文字辺りの情報量が多くて
  • しかも文字数が多い
という日本語(あるいは漢字などを用いる言語)の処理速度が低下するのはしょうがないのである。
 

 しかし、「PC内部での処理も大変ではあるが、それを外部に出すときも大変だろう」というのが今回の話のテーマである。モニタやプリンタに出力する時の大変さも英語と日本語では大違いで、しかも英語文化で考えると見えない落とし穴があるのではないだろうか、という話である。

 まず、文字を表示するスペースというのは大体決まっている。そんな限られた同じスペースの中に、一文字辺りの情報量が少ないアルファベットと多い漢字を同じように詰め込めるだろうか?先ほどの"M"「廳」を縮小して10pt程度にしてみると、その答えはすぐにわかる。アルファベットの"M"の方はちゃんと読めるとは思うが、漢字の「廳」の方がちゃんと識別できる環境の人がいるだろうか?PCの画面に表示されている「廳」はずいぶんと省略されたてしまっていたり、あるいは潰れてしまっていたりするはずである。

 つまりは、PCの内部でも漢字のような文字を扱うのは大変であるが、それを外部へ表示したりするのも実際問題大変なのである。英語圏のアルファベット文化から考えれば、10ptなんて大きくて読みやすいと思うのかもしれないが、漢字などを考えると今のモニタの解像度では10ptでも小さすぎるのである。逆にいえば、アルファベットなどを表示する時に比べて漢字などの文字を表示する時には、遥かに高い解像度のモニタが必要とされるのである。PC自体の能力だけではなくて、モニタなどの出力機器も遥かに高い能力が必要とされるわけだ。
 

 もちろん、それは漢字だけの話ではない。世界中の文字で当てはまるハズの話である。試しに、

から、六つの文字種を適当に選び、それぞれの文字種の中でも一番複雑な形状をしていた文字を選んでみたのが下の一覧である。
 
世界の文字
アラビア文字
ヒエログラフ
漢字
ラテン文字
マヤ文字
ロンゴロンゴ文字

 アラビア文字あたりはラテン文字であるアルファベットと同じ程度の複雑さであるが、その他の文字はやはり遥かにアルファベットよりも複雑な形状をしている。「この中の半分くらいは使われていない文字じゃねぇーか!」という声も聞こえてきそうな気もするが、そんな小さいことを気にしてはいけない、とにかくアルファベットは色々ある文字の中でも単純な形状をしていて、漢字は複雑な形状をしているのである。

 次に、それぞれの文字画像の複雑さの特徴を眺めるために、それぞれ二次元フーリエ変換をかけて、周波数空間に変換してみたものを示してみることにしよう。まずは、漢字の例を示して図の見方を説明してみたい。
 

漢字の文字画像を二次元フーリエ変換をかけて、周波数空間に変換したもの

 図の横・縦方向が実際の文字の横・縦方向に対応し、図の中で中央から外周方向に向かって低周波から高周波の成分の量を示している。強さは
小 ← 赤 黄 黄緑 青 紫 → 大の順番になっている。

 たとえば、この漢字の例だと
ちょうど縦・横方向の周波数成分が多くて、しかも高周波まで含んでおり、縦と横とで比べると、縦方向の方が多くて、高周波の量も多いことがわかる。
 
 

 上の説明に書いたように、こんな風に文字画像を周波数空間に変換すると、「漢字は縦と横の線が多い」ということがよくわかる。しかも、

の時に調べたように、漢字は「縦方向に周波数成分が多い」、すなわち言い換えれば「横方向の線が多い」こともわかるのである。
 

 さて、世界の文字六種に戻って、それぞれを周波数空間に変換して並べてみると、こんな感じになる。
 

世界の文字六種を周波数空間に変換してみると…
アラビア文字
ヒエログラフ
漢字
ラテン文字
マヤ文字
ロンゴロンゴ文字

 こうして六種の文字種を周波数空間に変換して眺めてみると、色々なことが判る。例えば、

  • アラビア文字はほとんど高周波を含まない
  • ヒエログラフは比較的高周波が少なく、方向性も持たない
  • 漢字に含まれる高周波成分はほとんどが縦・横方向のみであり、その中でも「縦方向に周波数成分が多い」、すなわち言い換えれば「横方向の線が多い」
  • アルファベットは低周波がメインであり、縦横では横方向の方が高周波を含んでいる、すなわち縦の線が多い
  • マヤ文字は一番高周波まで含んでおり、比較的方向性も少ない
  • ロンゴロンゴ文字はアラビア文字よりも高周波が多いが、それでも比較的低周波メインであり、方向性もない
などだ。やはり、漢字やマヤ文字をきれいに表示するためには、ラテン文字のアルファベットやアラビア文字を表示するよりも、ずっと高解像度の表示装置が必要となるのである。
 

 もちろん、ラテン文字が比較的高周波が少ないからといって今の表示装置で十分だというわけではなくて、ラテン文字でもより高解像度のディスプレイが必要とされている。例えば、液晶画面などで文字を多量に読むことを想定している電子ブックなどの用途のためには、

で調べたMicrosoftの「ClearType」などの技術がある。これは液晶のRGBの画素の配列が横方向に並んでいることを利用して、横方向の解像度を高める技術である。

 ということは、こういう技術は横方向の高周波成分が多いラテン文字などでは効果が大きく、またラテン文字自体が比較的高周波成分が少ないために、こういう技術を使えば必要十分ということになるのかもしれない。しかし、日本語(漢字)のようなもともと高周波成分が多くしかもそれが縦方向に多い、というようなものでは効果は比較的少ないことが考えられる。もちろん、それは液晶というデバイスの特徴によるもので仕方のない部分もあるのだが、もしかしたらもしかしたら日本語のような縦方向の高周波を再現しなければならない言語のことを意識していないせいかもしれない。

 こんなことは液晶などのモニタだけではなくて、一般的なプリンタもそうだ。例えば、インクジェットプリンタではエプソンのPM-900Cの仕様などを眺めてみても、標準で720×720dpiで、高画質モードでは1440×720dpiとなっている。それはレーザービームプリンタなどでも同じで、リコーのプリンター大百科からウルトラスムージングテクノロジーを見てみても、やはり横方向の解像度のみを高めて2400dpi×600dpiとなっている。やはり、プリンタなどの印字装置でも横方向の解像度を高めようとはするが、縦方向の解像度は低いままにしているのである。もちろん、縦方向の解像度を高くすると印字速度が遅くなってしまうという、プリンタの特性があるにしても、やはり日本語を印字するためには不利な設定となっているのである。日本人としては、解像度表示は縦方向を重視するべきで、横方向の解像度表示にダマされるべきではないのである。高解像度2400dpiなんて言われても、「ヘヘン、オレは縦文字文化の日本人だから関係ないんだもんね」くらいは言って欲しいわけである。
 

 実際のところ、せっかく日本語(漢字)を使うのだから、日本語の特性に応じたPCやモニタやプリンタがあっても良いのになぁ、と思う。いや、というより日本語の特性をもっと理解するところから始めなければならないのかもしれない。そうだ、私はまずは日本語の勉強から始めるべきなのだ。英語の勉強をしている場合ではないし、頭の中で英語で考えていたりすると、縦文字文化に合った発想ができなくなってしまうに違いないのである。って、英語学習から逃げてるだけだったりして…

 あぁ、しまったぁ。今回はホントに真面目な話になってしまったぞ、と。しかも、まるで国粋主義者みたいだし。
 



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