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2009-11-03[n年前へ]

「経験」を持たない「賢者」 

 ふと目にした言葉、衝撃を受けた言葉や、気になった言葉を、システム手帳にいつも書き写し、時間がある時にはいつも読みなおしている。…その一部をここに書くことが多い。

 その中で、「腑に落ちないけれど、書き写した」というものもある。たとえば、次にひく勝間和代の言葉もそうだ。これは、朝日新聞の2009/05/09に掲載されていた「人生を変えるコトバ」に書いてあった言葉だ。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。
書き写して読み直すのだけれど、どうにも消化できず、この言葉が胃もたれしたままでいる。

 ここで書かれる「賢者」は、数多くの否応なしに学ばさるを得なかった「経験」を自らのものとしては持たなかったのだろうか。あるいは、ここで「愚者」と呼ばれる者は、本屋で歴史書を手にすることはないのだろうか。

 「腑に落ちない胃もたれしたままの言葉」を書いたのは、この言葉だけだ。どうにも、この言葉の深さというものを計ることができず、書き写した頁を眺めるたびに、いつも悩んでしまう。

 ・・・だから、というわけではないが、今日張り付けたイメージ画像は同じ「愚者」でも、勝間和代の本ではない。「指が月をさすとき、愚者は指を見る―世界の名科白50 」である。

本当に重要なことは、あるものが何であるかよりも、誰がそれをいっているのかを知ることなのです。

四方田犬彦