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2010-05-04[n年前へ]

テキ屋のクジに一等賞は入っていない!? 

 学生時代、「みやげもの販売」というバイトをした。もう今の時代にはないだろう、アルバイト雑誌に載っていた「みやげもの販売」という求人情報を見て、電話すると「すぐ来てくれ」と言う。喜び勇んで、電話で教えられた住所に行った。すると、そこは大きめの普通の家だった。しかし、家の中に入ると広めの和室の壁には、「○×組」という提灯が並んでいる。その家は、普通の名前も持っているけれど、「○×組」という名前も同時に装備しているらしかった。そういえば、玄関に変な看板があったことを思い出し、家を出るときに確認してみると、そこには確かに「○×組」と小さく書いてあった。

 「みやげもの販売」といっても、決して名産お土産を売るわけでなく、お祭りが開かれている場所で「くじ」や「綿菓子」や「金魚(スーパーボール)すくい」といった「みやげもの」を販売する店だ、ということがわかった。つまり、そこはいわゆるテキ屋業を営んでいたのである。

 できるなら、このバイトには採用されたくないな・辞退したいな…という気持ちとは裏腹に、「じゃぁ、明日から来てね」と「姐さん」に言われ、次の日から色々な街で開かれている「お祭り」会場に行くことになった。そして、テキ屋の店員として、夏の間中、働くことになった。それは結構ツラく、そして楽しい毎日だった。

 楽しかったのは、何だか祭りという特殊な場所で時間を過ごすことができる感覚や、こどもたちが祭りの中で興奮して楽しくしているさまを見ることができるからだった。そして、ツラかったのは、たとえば、たとえば、「くじ」の担当になった時だった。「くじ」の中には、そもそも一等賞のあたりくじなんか入っていなかったし、「二等賞や三等賞が当たったとしても、適当にごまかして絶対に景品は渡すなよ」ということを、姐さんや氣志團の綾小路翔みたいな実にハンサムな(バイトではない)常勤の先輩に強く言い渡されていたからだ。はずれくじを握って残念そうな顔をするこどもを前に、その一等賞の箱の中には何も入っていないんだよ、ということを考えるのは何だか切なかった。

 結局、こどもの笑い顔を見るのはとても楽しく、こどもの泣き顔を目の前にすると少し辛かった。…その楽しさと辛さで差引き計算をしてみたら、やはり、昔のことだと思えば、「楽しかった」ということになるのだろうか。