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2008-12-18[n年前へ]
■「刺激的ニュースの寿命」 
堀井憲一郎 「ホリイのずんずん調査」 671 「刺激的ニュースの寿命」
ゲリラ豪雨という単語がリアルに使われたのが8月以降であることがわかる。(その後)遡って過去の雨もゲリラ豪雨と名付けられたのだ。
歴史はうっすらとわかりやすいように塗り替えられていく。
秋葉原がトップニュースだったのは6日間。それから7日は地震報道がトップになった。
つまり、おれたちは、どんな大きなニュースでも、他人事であるかぎり一週間で消費してしまう、ということなのだ。
ニュースは情報だから頭の中で処理される。頭の中は7日間で飽きる、ということだ。そういう21世紀を生きている。
2009-12-18[n年前へ]
■日々出会う分岐点に道しるべはない 
「山際淳司―スポーツ・ノンフィクション傑作集成
」の「タマサブローのその後」から。
誰の人生にも分かれ道がある。分岐点というやつだ。しかしそれは奥深く分け入った山道で出会う(道しるべが立っていることが多い)分かれ道とは違う。
日々、生きているなかで出くわす分岐点には、当然のことだが、道しるべはない。そこで、やっかいなのだ。右へ行けば成功するのか、左に行けば可能性があるのか、誰にもわからない。ただいえることは、その場で立ち止まっていてはいけないということだ。立ち尽くし、考え込んでいても何も変わらない。
2010-12-18[n年前へ]
■「ちゃらんぽらん」な世界が大好き!? 
「ちゃらんぽらん」という言葉が好きです。その理由は、「ちゃらんぽらん」という言葉の語感を最高に心地良いと思っていることもありますが、みんな「ちゃらんぽらん」で「てーげー」な世界こそ心地良いと思っているからです。だから、「ちゃらんぽらん」を絵に描いたような人になりたいとか、「ちゃらんぽらん」な世界でフラフラしてみたい、と思っています。
「ちゃらんぽらん」は、「ちゃら」と「ほら」が合体して出来た「ちゃらほら」が変化したもので、もともとは「でたらめ」とか「でまかせ」とか「うそ」とかいった「口から出たことば」に関する言葉だったようです。しかし、その後、そういう「でたらめを言う人」は行動もでたらめであることから、いいかげんな「態度」や「行動」を表わす言葉として「ちゃらんぽらん」が定着したと考えられます。
「ちゃらんぽらん」な世界で食堂に入れば、「これを食べたい」と思い注文した料理とは、ずいぶん違うものが出てくるに違いありません。そして、駅やバス停に歩いて行ったとしても、時刻表なんか「ただの飾り」のはずです。それが「ただの飾りなことがわからん」のは、「偉い人」ならぬ「アンチちゃらんぽらん」な世界の人だけ、なのかもしれません。